14-6 冗談

「あの子と遊んでくれてありがとう」


 彼はそう言って僕に笑いかけた。僕はただ声がするな、という程度で耳を傾けていた。体が痺れたような、どっぷり水底に沈んだような、そんな感覚でいっぱいだった。


「あの子は気難しい子で、なかなか友達が出来なくてね」


 でも、君と出会って変わったんだよ。あんなに無邪気に笑う子だとは思わなかった。君と本当に楽しそうに遊んでいた。


「……ご存知だったんですね。遊んでいたこと」


 秘密なんかじゃない。みんな知っていたのかもしれない。


「そうなんだ。こっそり遠くから見ていたこともあったよ」


「すまないね」と詫びられて、僕は苦笑した。いつの話だろうか。恥ずかしい。なにを見られていたんだろう。隠れて遊んでいるつもりだった。二人だけの秘密だと思って、大人を笑っていた。


「ロンイルに一緒に行ってくれたのも、君だと聞いた。ありがとう」


 ありがとう、とまた彼は言って、僕の肩を叩く。反射的に僕の唇は動いて、愛想笑いをする。


「よかった、と思ってるよ」


 相手はうつむいて小さな声で言った。まるでそう思わないといけないよね、と自分にも、僕にも言い聞かせているように。


「病気だと分かって、わたしたち家族は崩壊しかけてね、いや、もうずっと前から壊れかけてはいたんだけど」


 あの子は君がいてくれて幸せだったに違いないんだよ。彼がそう言うものだから、僕は訳も分からないままなのに、「そうですか」と答えていた。


「ありがとう」


 相手はまた言って、ぼろぼろと涙を流した。急いでごしごしと目を拭うが、それでも肩を震わせて泣く。


「君は……、君は知っているのかな」


 何のことか分からず、僕は首を振った。彼はそれを見て、口をぎゅっとすぼめ、「そうか、そうか」と吐き出すように言った。荒っぽい息づかいをして、当惑している僕に、「ナイフを返すよ。君のだろう」と言った。


「はい、そうです。でも……」


 なぜ、ここにあるんです。秘密基地で埋めたんです。二人で掘り起こそうって約束して。でも言えなかった。じわじわと忍び寄ってくる感覚。来る。そう思った。笑い声がする。ケタケタケタ……、そんな……


「あの子の遺品にあったんだよ」

 

 頭に響き渡る笑い声の中で、相手の声は妙にはっきりと聞き取れた。激しいシンバルが鳴る中で奏でられる鷹笛のように。


「手元に戻ったのは、それくらいなんだ。ほとんど持ち物なんてなくてね。あそこではなんでも処分してしまうんだ。なんでも」


 苛立った声。苦々しく吐き出される言葉。僕に向けられているわけじゃないと分かっていたが、それでもどすどすと体を突き刺してくる。僕はふらつき、壁に手をやって倒れそうになったのを防いだ。


「何でも隠すんだ」と低いが鋭い声で吐き捨てる。毒を噛むように、罵る。


「わたしが知ったのだって、半年も経ってからだった。それだって、しつこく訊ねてやっと聞き出したんだ。あらゆる権力を使った。娘なのに。娘の死すら、すぐには知らせないんだ」


 死。


「手術中だと言うんだよ、君。あの子は手術中に死んだんだと。まだ遺骨を取りに行ってないんだ。でも無理かもしれない。家族の墓地に埋葬できるかどうか、親族の反対があるんだ。あのまま、島にいてもらうしか……」


 骨。


「結婚の話は届いてたんだ。手紙で知らせてくれた。相手の男に会ってないんだが、わたしは喜んだんだよ。同じ病者同士、支え合える相手がいるというのは、いいことだろうってね。祝福した。夫婦になれば個室がもらえるというんだ。お金も送った。八月だったよ。あの子の誕生日に結婚した」


 結婚。


「でも、それから三か月だっていうじゃないか。あの子は妊娠が分かるとすぐに中絶手術をしたというんだ。どこまで本当なんだか分からないよ。そもそも断種手術が失敗したという話だ」


 妊娠。


「でも三か月だよ。結婚の話が出ると、相手は手術を受けたらしいんだが、医者じゃなく看護長が執刀したようだ。むこうは絶対に認めないけどね」


 中絶。


「わたしは全く知らなかったんだが、あそこでは結婚の条件に断種手術を受けることが決められているらしい。子供への感染や出産で母親の病状が悪化しないようにだとか、そんな理由だと聞いた」


 違法なはずだ。そう、彼は言った。院長の独断なんだと。


「信じられん場所だ。あんなに劣悪だとは知らなかった。わたしはあそこに何人送りこんだと思う? 娘までやってしまって。そこで殺されたんだ。手術に耐えられなかっただと。嘘をつけ。好き勝手に体をいじったに違いない」


 結婚、妊娠、中絶、死。


「一体、誰の話をしてるんです?」

 僕は言った。相手は笑った。泣きながら。

「ソレイユだよ。わたしの娘の話だよ」


「冗談でしょう」僕の声はのんびり廊下に響いた。


 だって、ソレイユは助かるはずですよ。治療薬が見つかったんです。まだ王国にはないけど、敵国にあるんです。治った患者がいるんですよ。僕は戦争が終わったら、まっすぐに彼女に会いに行くんだ。それから島を出て、二人で暮らす。


「夢があるんです。ソレイユにも、僕にも」


 駆け落ちしてでも、結婚したよ。


「もうすぐ、叶うはず。あと少しだけ、我慢していれば」


 今までの夢。今までのソレイユの夢。


「待っていて。きっと助けに行くから」


 僕は勇者になりたかった。

 邪悪なドラゴンから王女を救い出す勇者に。


「ところで、どうしてナイフがここにあるんだろう」


 手にあるナイフを見て、僕は不思議でならなかった。


「二人で掘り出すって約束したのに。これじゃ、怒られちゃいますよ」


 それから笑って、目の前が突然真っ暗になった。


 きっと太陽が沈んだんだろう。僕はそう思って、ゆっくりと眠ることにした。朝が来たら、ソレイユに会いに行こう。明日は何して遊ぼうかな。探検ごっこがいいかな。木登りしようか。川に行ってもいいな。楽しみだな。


「大好き、ソレイユ」

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