11-5 夢に見たもの

「結婚しよう」


 抱きしめている耳元で言った。自然と出た言葉で、それまで言おうなんて思ってなかったのに、気づいたら口から出ていた。ソレイユはぴくりとして、優しくだが断固とした態度で僕から体を離した。


「無理よ」

「どうして」

 ふっと笑って、訊く。

「お父さんが反対するから?」


 ソレイユはぱちぱちと二度大きく瞬きすると、小さく笑った。


「そうじゃないけど」

「でも反対すると思うよ。僕だもの」


 彼女の髪を撫でて、指に絡めた。それから親指で頬に触れる。ソレイユはじっとしていたが、目は合わせてくれなかった。


「ルギウス……、そうね、私たちは結婚できない。反対されたと思う」

 ソレイユはわずかに声を明るくした。

「私ね、何人か花婿候補がいたのよ。うんと年上もいたんだから」


「そうなんだ」


「そうよ。若い人もいたけど、それでも八歳は上だったな。かっこいい人もいたんだから。背が高くてダンスが上手いの。でも私が足踏んじゃって、気まずくなったから、もしかしたら向こうから断られてたかも」


「それは残念だね」


「手がべたべたしてた人もいたのよ。それはちょっとないんじゃないかと思ったな。気になっちゃって。あと話すときに唾液をまき散らす人もいた。料理が台無しよね。軍の人だったんだけど、誰も注意しないのかしら」


「偉すぎる人なんだろう」

「そうね、なんとかって勲章を自慢してたもの」


「僕の手は嫌い?」

「うーん」と言って、ソレイユは首を傾げて目を閉じた。

 それから、「悪くない」との評価を下す。


 僕は頬をなぞっていた指で下唇に触れたあと、そこにキスした。彼女は顔をそむけたが、すぐに戻してキスを返してくれた。


「私、モテたんだから」

「知ってるよ」


 ソレイユは「すっごい、モテたんだから」とさらに言った。


「でも全部無駄になった。ママがあちこちから収集してきてくれたのに」

「じゃあ、僕としようよ」

「無理」


 無理ともう一度言うと、すましていた表情が崩れてきて、微笑みながらソレイユは涙を流した。始めはいつ筋かが頬から顎へと伝うのを目で追えたが、次第に僕の視界も滲んできた。


「病気になっちゃった」


 ソレイユは無理に口の端を持ち上げて笑った。白い歯が見える。僕はこぼれる涙を舐めると歯に舌を触れさせた。


「ルギウス……、もし……」

 途切れがちな言葉の先を聞こうと顔を離したのに、ソレイユは首を振って濁してしまった。

「なに? 何を言おうとしたんだ」


「ううん、なんでもない。忘れた」

 嘘だ。きっと言おうとしたはずだ。それとも僕の思い違いか。

「もし、病気じゃなかったら……?」


 結婚してくれた? それとも相手にしてくれないかな。どこかの立派な男を選んで、僕のことはすっかり忘れたのかもしれない。


「もし……、私が」ソレイユは肩で大きく息をして、それからふいに微笑んだ。

「私が、病気じゃなかったら……」


 駆け落ちしてでも、結婚したよ。ルギウス、あなたが嫌がってもね。


 言葉は消え入りながら聞こえた。涙声に混ざり、もしかしたら聞き間違えたかも知れない不安がある。それでも都合のいいように解釈して、ソレイユを抱き寄せた。腕に包む白い背が震えている。僕の背を軽く引っ掻く爪が、当たったり離れたりする。いっそ思いっきり引っ掻けばいいのに、かすめるように動く。


「ちょっと憧れてたんだ。私、ちっちゃな家で大好きな人と暮らすの。キッチンの窓辺に鉢を置いてね、パセリ育てて料理に飾るんだ」


 具体的な話に微笑んでしまう。笑ったのが分かったのか、ぽかりと頭を叩かれた。「バカにしたでしょう」とむっとした声。


「まさか。それから」と促す。

「それから、ソファには動物の刺繍をしたクッションがあるの。床には手織りのラグがあって、春は黄色、夏は水色で、秋には茶色にして冬は赤に模様替え」


「そう。ところで誰が刺繍したり料理するのさ」

「あんたよ」

「そうですか」料理は出来るが刺繍は未知だ。


「子供は三人ほしい。女の子と二人と男の子が一人」

 これもあなたが産んでくれたらいいのに、と言われて苦笑する。

「ペットも飼う。犬と猫とアヒル」


「アヒル?」

「そう、アヒル。かわいいじゃないの」


 それから、たくさんピクニックするの。木陰で寝ころんで昼寝。ハンモックもいいな。今度こそツリーハウスを作ってみよう。枝にブランコもあって、二人で乗れたら楽しいね。


「病気でも……」構わないじゃないか。でもソレイユは違った。

「この夢は今の私の夢じゃないの。今までの夢、今までのソレイユの夢」


 わかる? と聞かれて答えられなかった。頬を両手で包まれる。ソレイユの手は温かく、細い指がぽきりと折れてしまいそうで怖い。簡単に壊れる。


「これからは別の夢を見るから。あなたもそうしてね」


 僕の見る夢。君がいる夢だ。他に何があるっていうんだ。でもソレイユが描いた新しい夢の中に、僕はいなかった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る