5-4 教会

 監視されているというわけじゃないが、それでも叔父と暮らしていたころと比べると、自由に外出できるかといえば司祭館でそれは難しかった。僕の仕事と呼ばれる役割がすでに司祭館の生活に組み込まれていて、この時間はどこにいて、何をしているかということを神父やハンナは把握していた。


 だから、ちょっと抜け出してソレイユに会いに行く――あくまで、秘密基地の閉鎖でしかなかったが――ということが、予想以上に難しい。彼らの信頼を裏切りたくないということもあるし、弱みを握られているというか、生活の保障をしてもらっている以上、がっかりさせるわけにはいかない。


 僕は思いきってハンナに説明して許可をもらおうかと考えた。それでも、なにぶんソレイユと僕という組み合わせだ。どこまでごまかして、どこまで正直に話せば不自然にならないか、そういうさじ加減が分からなくて、結局はだらだらとなんのアクションも起こさないまま時間が過ぎてしまった。


 そんなわけで、ソレイユが司祭館に顔を出したのはバザーがあった日から二週間ほど経った頃だった。彼女はハンナに僕を借りると言ったらしい。ハンナは「どうぞ」と答えると、礼拝堂で雑巾がけをしていた僕を呼びに来た。


「ルギウス、デートの誘いよ」


 僕はどうやら嫌悪の表情をしていたようだ。ハンナの背後からひょっこり顔を見せたソレイユはとてもデートの相手に相応しい顔はしてなかった。デートというより、これから体罰を与えると宣言された方が納得する。


 ソレイユはずかずかと足音高く近づいてくると、僕が手に持っていた雑巾をうばいとってぶん投げた。雑巾は先ほど磨き上げたステンドグラスの窓に当たると、ぽとりと弱々しく床にのびた。哀れだった。


「嫌でも来るの」


 嫌ではなかったのだが、面食らっていて言葉は何も出てこなかった。ソレイユは僕の手首を掴むと、足早に外まで引っ張っていった。その様子をハンナは驚くわけでもなく――かといって表情は神聖な場所にはふさわしくないにやけた顔だったが――唖然としてされるがままになっている僕を見ていた。


 僕は混乱していた。突然天使が舞い降りてきて、天国に通じる梯子に僕を引っ張っていったとしても、このときと同じように感じただろう。浮遊感のある現実離れした気持ちだった。


 ソレイユとの仲は隠されたもので、秘められた誰も知らない、僕の心の中だけで存在しているような、そんな繊細なバランスの中で成り立っていた。そうであるから安心できた。僕にとっては、今までのことは全部きみの妄想だね、と言われたほうが納得できるくらいだったのだ。


 教会の外を出てからも、ソレイユはずっと僕の手首を握ったまま通りを進んで行った。誰かに見られやしないかと僕は周囲に目をやってばかりいた。手を抜こうと何度かそれとなく試したが、そのたびにソレイユは手首をもぎ取ろうとしているんじゃないかというくらいに力を入れて逃がさまいとした。


 ソレイユは黙ってまっすぐ前を見続けている。意志の強そうな引きしまった顔は怒っているのか、頬が少しだけ上気していた。僕はハラハラしていた。もし誰かに見られたらと思うと気が気じゃない。


 僕はいつも劣等感に苛まれていた。叔父の病気があってからは、その気持ちがさらに増して、発作的に自分が汚れていると感じることさえあった。自分のせいでソレイユが悪く言われるのは何より嫌だった。少しでも悪い影響が出たらと思うと怖くてたまらない。そんなことになるなら、自分なんか消えてしまったほうがよかった。忘れてくれてもよかった。


 けれど、またその不安や恐怖と同じくらいの喜びで、いっぱいだったのも本当だ。周りの景色に忙しない視線を飛ばしながらも、得意げな気持ちが膨れ上がってくるのは押さえられない。ソレイユといる幸せが僕を満たしてくれる。こうしていると弱気な自分が霞んで、どこからか熱い気持ちが芽生えてくる。


 自然と顔をほころんでいたのだろう。ソレイユは僕をちらっと見ると、厳しい顔つきがぱっと変化して笑った。


「なに、笑ってんのよ」


 言葉が浮かばず、僕はただ笑ってごまかした。

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