9-3 守るよ
数駅を過ぎたあたりでソレイユは口や胸元を手で押さえるようになった。
「どうした、気分悪い?」
ソレイユは口に手を当ててうなずいた。
「吐きそう……」
僕は顔をあげてあたりを見回した。立っている人も多いが隙間はある。じきに次の駅に止まるはずだ。
「次で降りよう」
僕が耳元で言うとソレイユは首を振った。
「まだ遠いもの。乗ってなくちゃ」
「急ぐ必要ないだろ」
まだ言い返そうとしている彼女を立ち上がらせ、腕でかばいながら人混みを突き進んだ。ドアまで来るとちょうど列車が速度を落とし始める。ぐらりと揺れると停車し、僕は急いで外に出た。ソレイユは白い顔をして目がぼんやりしている。フードに手をやって脱げないようにしながら人混みを抜け、誰もいないベンチを見つけると彼女を座らせた。
「水を貰ってくるよ」
僕が立ち去ろうとするとソレイユは上着の袖を掴んだ。
「いかないで……」
「すぐ戻るから」
心苦しかったが僕はその場を離れ、駆け足でホームを進み、見つけた駅員に事情を話した。すぐにコップに水を入れてもらい戻ったが、ソレイユはベンチを下りてうずくまっていた。顔が見えないように小さく丸まっている。
「ソレイユ。ほら」
びくっとして怯えた顔を見せた。それから僕だと分かったのか表情は緩んだが唇が震えていた。コップを当ててあげると一口だけ素直に飲んだ。
「ごめんなさい」
駅員が心配気に近づいてきたが、僕は身振りで大丈夫だと示すとコップを返し、お礼を言った。相手はまだ気になる様子を示したが僕が背を向けソレイユに集中していると、次に顔を向けた時にはいなくなっていた。
「人に囲まれて……、なんだか全員が、私が病者だって知ってるんじゃないかって……、怖くなってしまって」
「うん」
「気づかれたらどうしようって。ルギウスまで怪我したらどうしようって」
彼女は僕にしがみついた。
「何されるか分からないもの。叩かれたり蹴られたり……、動いている列車から投げ捨てられるかも知れないでしょ。もう……」
人じゃないんだから、という言葉がこぼれ出る。聞きたくなかった。
「ソレイユはソレイユだよ」
僕は言った。
「守るから。必ず守るから」
ケタケタケタ。笑うなよ。耳元で身をくねらせながらあいつが笑う。守るから。守るから。ケタケタケタ。ああ、そうだよ。言ったよ。言ったさ。
「守るから。ソレイユ、好きだよ」
ソレイユは「うん」とうなずいた。それから笑ってくれた。まぶしい笑顔。僕らは人数が減ってくるまでベンチで座って休んでいた。ソレイユは僕の手を両手で握りしめると、胸もとに引き寄せ抱きしめるようにした。
たまに手に唇を当てたり頬を当てたりしている。僕は指を伸ばしてあごの下をくすぐった。彼女は笑うと指を甘噛みしてきた。それから顔を背けてしまい、なかなかこちらを見てくれなくなった。
どれくらいそうしていただろう。何車両かを見送ったあと僕らは汽車に乗るのはやめにして歩いてロンイルまで向かうことにした。途中でまた汽車に乗ってもいいし、乗り合い馬車が見つかればそれをつかまえてもいい。
ゆっくり進めばいいんだ。ソレイユは気が急いているようだったが、僕はなるべく時間を伸ばそうとしていた。このまま永遠に二人で旅を続けたい気持ちになっていた。目的地なんていらない。ただ二人でいたかった。
「休みながら行こう」
僕はトランクを持ち上げると手を差し伸べた。
「そうね」
つないだ手が小さくて細い。彼女は本当に病気なのだろうか。ぐらりと揺れて頭で嫌らしい言葉が響く。手足は腐る。指はなくなる。ケタケタケタ。この指が――この手が。顔は崩れ、鼻は落ちる。髪は抜け――やめだ。やめだ、やめだ。
僕はしっかりと彼女の手を握ると前に進んだ。歩け。とにかく歩け。――まだ、足があるものな。ケタケタケタ。やめろ。やめろ、やめろ。
ソレイユ。ソレイユ、ソレイユ、ソレイユ。僕のソレイユ。誰でもいい。どこでもいいから、ここではないどこかへ僕らを連れて行ってくれ。邪悪のいない世界に僕らを連れて行ってくれ。
――ケタケタケタ。お前が邪悪なんだよ。
うるさい。分かってる。
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