9-4 田園
それから五日間、僕らはゆっくりと目的地まで進んだ。途中で荷馬車の後ろに乗せてもらうこともあったが、ほとんどは徒歩だった。季節は冬だったが、あれ以来雪も降らず、昼間の太陽は肌が焼けるほど強く照りつけた。
「ほら、親子の案山子がいる」
ソレイユが弾んだ声で言った。僕らは穀物を積んだ荷馬車の後ろに座り、ゆらゆらと体を揺らしながら眼前に広がる牧歌的な景気を眺めていた。霜の降りた田園が日光に反射してきらきらと輝いている。
「親子?」
僕はソレイユが指さした案山子に目をやった。案山子からも湯気のような蒸気がもくもくと湧いており、この日も気温の高い日になりそうだった。案山子は二本だけ田畑の中央に差してあり、片方は帽子を被り、もう片方は手ぬぐいを頭に巻いていた。僕には親子というより夫婦のように見えた。
「面白いね。遠目には人に見えるもの。何を考えてるのかしら」
「案山子が?」
「うん」
ソレイユは機嫌良さそうに足をぶらぶらさせる。小さい子供のようだった。
「今は陽がまぶしいって考えてんじゃないかな。湯気が出てるし」
「もくもく」ふふっとソレイユは笑った。
「あなたが住んでた村はこんな雰囲気だったの?」
僕はあたりを見回して、「もっと田舎だな」と答えた。ここは道が舗装されていたし、遠くには路線が見えた。ちょうど町と町の間にある田園地帯で仕事の傍らに百姓仕事もしている人たちが田畑に手を入れているのだろう。僕が生まれたのは周囲に百姓しかいないような村だった。
「そう。これよりも田舎なんだ」
ソレイユのがっかりした口調に僕は笑ってしまった。
「君は街が似合うよね」
「そんなことないでしょ。自然が好きだもの」
彼女がいう自然は、手入れされた緑豊かな、僕からしたら庭の延長みたいな場所のことだろう。のどかな風景を見ながら、僕は秘密基地で遊んでいた頃を思い出していた。
「川遊びや木登りは楽しかったね。君は僕より上にいったりするから焦ったよ」
「なに、悪いわけ? 高い所は怖くないもの。うちの屋根にも上ったことあるし」
「落ちたらどうしようとか思わないの?」
「スカートを覗かれたらどうしようとは思ったけど」
僕はちょっとまごついた。その様子を見てソレイユが笑う。
「あなたなら大丈夫だとは思ってたけど」
「大丈夫って?」気になる言い草だ。
「まぁ、いろんな意味でよ。それより今日も教会に泊めてもらえるかしら」
僕らは道中教会を見つけては訪ねて行き、夜は司祭館で泊めてもらっていた。ダミアン神父やハンナの名前を出すとどの人も好意的に迎えてくれ、二人の人柄にはこんなところでも救われた。
新婚カップルのふりをした。僕は軍に入隊していて、休暇が取れたので二人で街をめぐりながら簡単な旅行をしているのだと説明した。たぶんすべてを信じてもらえたわけじゃないだろう。なにかあるとは思われていたはずだ。でも深く追求されることはなく、ひと晩泊めてもらい早朝にはお礼を言って別れていた。
ソレイユは見た目には病者であることなど分からないほどで、青白くなっていた顔色も数日のうちに血色がよくなり健康的に輝いていた。足取りも軽く弾けるような態度で、僕のほうがふとしたときに思考が飛んでいるもんだから怪訝に思われたくらいだ。
本当にドラゴン病なんだろうか。口には出さないまでも何度もそう思っては彼女の顔や首に目をやった。片方の眉は失っていたが前髪が伸びていたし、マントのフードを被っていれば、そんな変化など気がつかないし、首に巻いたスカーフも冬の時期には当たり前の格好で違和感など少しもなかった。
汽笛が遠くから聞こえた。まるで悲鳴のような音だ。ソレイユは音がした方向に首をひねるとわずかに身を乗り出した。遠目に黒い物体が煙をあげて走る姿が見えた。その黒々としたかたまりの持つ堂々とした存在感に、僕は胃が掴まれたように気分になり、ソレイユを慌てて抱き寄せた。
彼女は驚いて体をぴくりと跳ねさせたが、迷いなく僕の肩に頭を持たせかけゆったりと体重を預けてくれた。心地よい温もりと重さに胸がうずいた。離れたくない。その思いが募るたびに、別離の現実が生々しい執拗さでもって僕に襲いかかってくる。
一日一日が残酷に過ぎて行く。もうすぐロンイル近くの町まで来てしまう。そこにつけば療養所に連絡して迎えを呼ぶとソレイユは毎晩僕にしつこく言ってきた。聞かないふりは出来なくて、うなずいてはあいまいに微笑んだ。
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