3-2 丘のベンチ
ソレイユは墓地の外れにある古びたベンチに座っていた。そこは小高い丘になっていて、教会と隣接するこじんまりとした司祭館を上から眺めることが出来た。僕は彼女に駆け寄るとベンチのそば、長く伸びた芝生の上に腰を下ろした。
「どこいってたのよ?」
ソレイユは僕のほうを見ずに言った。彼女は足許に生える青草をにらむようして見つめている。僕は胡坐をかくと、芝生をむしって風に飛ばした。
「井戸にいたよ。気がつかなかったんだね」
「井戸?」
ソレイユは嫌そうな顔をして僕を見た。顔を向けた拍子に、垂らしていた巻き毛が揺れる。僕は自分の手が汚れているのを見てがっかりした。そうじゃなければあの髪にこっそり触れたのに。
「うん、いたよ。ナナカマドの後ろにいた」
僕は服で手を拭きながら、何気ない調子で聞いた。
「どうして、あの人を嫌がるんだ?」
「あの人って誰のこと?」
「ハンナだよ。神父さんの妹の。いい人だと思うけど」
ソレイユはため息をつくと、バカにしたように半分笑った顔で僕を見た。僕は視線を彼女からそらし芝生をいじった。彼女を怒らせたくはないのだが、あの態度が気になって仕方がなかった。
「いい人だとは思う。でも、気を付けないといけないのよ」
ソレイユの言葉に僕は顔を上げた。
「どうしてさ」
ソレイユは口ごもると顔をしかめ、それから何も言わずに教会の方へ視線をやった。顔は相変わらず気難しげで、風に前髪がふわりと浮いても身動きひとつしなかった。青い空と琥珀色に透けるような髪色のコントラストが美しかった。僕は思わず手を伸ばしかけ、はっとしてひっこめた。ソレイユは僕のことなんか忘れたみたいに遠くを見つめたままでいる。
「ハンナは僕のこと、かっこいいって言ってくれたよ」
ぼそっと捨て鉢に吐いたセリフにソレイユは敏感に反応してこちらを向いた。彼女はまじまじと僕を見てから顔をゆがめ、溢れるように一気に笑い始めた。
「へーっ、そう。よかったじゃない」
笑いながら言う彼女に、今度は僕が嫌な顔をする番だった。
「どうせお世辞だったんだろ。分かってるさ」
「そう思うの?」
「もう、いいってば」
ソレイユはベンチからするりと下りると、僕の目の前に座った。膝同士が当たるほど近かったから、思わずのけぞってしまった。彼女は意地悪気な笑みを浮かべながら小首を傾げた。
「あなたって自覚ないのね?」
「なにがさ」
「教えてあげない」
ソレイユは僕の肩を押して突き飛ばすと軽やかに立ち上がり、きらめくような笑顔のまま丘を少しくだっていった。僕は慌ててあとを追った。長く伸びた草木が足許で絡みつき転びそうになる。ソレイユは丘の坂が急になっている箇所まで来ると立ち止まり、僕を振り返った。
「あの場所に」と彼女は教会を指さした。
「患者がいるのよ。伝染病だから、不用意に近づかないほうがいいわ」
「教会に?」
僕の言葉にソレイユは首を振った。それから考えをまとめるためか、一点を見つめたまま黙ってしまった。
「詳しくは知らない。けど、いるって話。今は三人くらい住んでるって、パパが話してた。神父さんとハンナで世話してるらしいから、少し気にしちゃうの」
ソレイユは自分の頬を軽くつねると、自傷気味に笑った。
「よくないわね、こんなこと。ハンナは病気じゃないし、親切で立派な人だって分かってるのよ。でも、ドラゴン病が怖いの」
「ドラゴン病……」
僕は背筋が寒くなった。禁句にも近い言葉だった。
ドラゴン病は悪魔病とも呼ばれ、この病にかかると外見上が著しく損傷する。髪や眉が抜け落ち、鼻はとけ、顔面は崩壊する。視力は衰え、やがて失明した瞳は白濁し、体中に膿がわいて悪臭を放った。手足は欠損、全身に激痛が走り、神経が痛む。それでも命に直接かかわる病ではなかったから、その体のまま長くこの世に存在し続けなければならない。
「いるの? あそこに」
僕は教会を指さした。ソレイユはゆっくりうなずいた。ぞっとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます