11-8 チャンス
もし運命を変えるチャンスがあったとしたのなら、このときだったのかも知れない。年末頃、貨物船に乗って内地に帰還する機会があった。三か月ほど航海が続くので、到着後はそのまま召集解除、軍を抜けることが出来た。
シレーナに戻ることも、ソレイユに会いにロンイルに向かうことも出来た。でも僕はその巡ってきたチャンスをふいにした。あの頃はあの頃なりに理由があった。それでも帰国していたら、運命は違った側面を見せたかもしれない。
帰らなかった理由は二つ。ひとつは除隊しても、一年も経たないうちに、再召集される可能性が強かったことだ。王国は南方進出に力を入れ出しており、師団の数も増やしていた。最近では十五歳の徴兵検査でも合格になれば、入営して一年経過しないうちに外地に送られることもあるらしい。
だから僕は軍に留まることに決めた。再召集されたときに今いる中隊に戻れるとは限らない。まったく新しい環境に放り込まれるくらいならこのままでいようと思ったのだ。ムンムも軍に残ると言っていたのも大きいかもしれない。彼と生き別れになるのは惜しい気がした。
もう一つの理由は、部隊の転進が決まっていたこと。島を離れ、今度はスンダランドに駐屯するとの知らせがあった。スンダランドは歴史ある土地だが、長く他国の植民地支配を受けていた。それを王国が半分の領土だったが解放に成功し、南方進出の拠点にしていた。
聞いた話では古い遺跡や建造物が残っており、また植民地支配時代の名残で文化的な側面も見られ、華やかで優雅な街が多く点在しているらしい。現地民も王国民には友好的で行ってみて損はないという。
僕は多くの兵同様に、スンダランドに興味を持ち、一年かちょっとくらいなら滞在してみようという気になっていた。なるべく多くの土産話を持って、ソレイユに会いに行こう。歴史的な建造物や異国の優雅な文化を吸収して、彼女に話して聞かせれば喜んでくれるに違いない。
そんな風に思い、僕はせっかく与えられたチャンスを棒に振ってしまったのだ。送られてくる手紙の雰囲気で、ソレイユは楽しく暮らしていると考え、心配などひとつもしてなかった。
お互いに検閲された手紙を読んでいる事実を深く考えることなく、文脈から少しでも実情を読み取ろうともしなかった。ただ都合のいいように考え、のんきな自己満足に浸っては、甲斐甲斐しい自分を演出していたように思う。
行軍の日程が決まり、乗船ひと月前になると隊では下級兵士を中心とした水泳訓練が始まった。船が撃沈される可能性があり、そうなったときに溺れ死にしないようにとのことだったが、自分も泳げないくせに偉そうに教官に立つ上官の姿を見ていると、本当に訓練なのかどうか疑問だった。
荒波に揉まれて溺れそうになっている隊員を見ても、小舟から手を伸ばすわけでもなく、ただ棒で頭を突いたりして笑っている。僕は本格的に泳ぎの練習をしたことはなかったのだが、浮いたり、短い距離を泳ぐくらいなら難なくこなせた。ムンムは得意中の得意と見えて、「マーメイド」とか言って、両足をそろえて推進し、通りすがりに人の海水パンツをずらす悪行に及んでいた。
軍馬も乗船することになっていて、その準備も忙しかった。徐々に餌を減らしていき、酔いにならす必要があったのだが、中には物分かりの悪い馬もいて手こずった。それでも黒い大きな瞳をまっすぐに向けてくるひたむきな眼差しや、こちらが信頼にこたえようとすればするほど、向こうも心を開いてくれるのが分かるのには心が癒された。
馬との絆というものは、他の動物とはまた違ったものがある。特に軍馬となれば一心同体で共に生死を分かち合うまでになる。始めは動物嫌いで怯えていた隊員でも、いつの間にか夜通し語り合ったりするほどまでの信頼関係を築くのだ。
僕は専用の一頭を与えられていた。黒いたてがみが美しい賢い馬で、彼との無言の語らいにどれだけ救われたか知れない。兄を思い出し、それから母や父を思い出した。姉たちとの思い出に続き、ソレイユとの記憶。叔父のことも話した。ムンムには言えないことも、この馬には話せた。
伝わっていたはずだ。少ししんみりしてくると必ず鼻づらを僕の顔や肩に軽くこすりつけて、頭を何度もふって頷いていた。ドラゴン病。この病も馬には関係ない。ただひたむきな愛情だけでつながっていた。
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