孤島
10-1 煙突
駅で迎えの車を待っていると、ひとりの男が近づいてきた。
「君たちかな。そっちの彼女が……?」
ちらっと男の視線がソレイユの首元に向かう。
「ロンイルの……」ソレイユが言うと男はうなずいた。
「こちらだ。車がある」
男は一見すると憲兵のように見えたが、着ている服は色あせた緑をした作業着だった。感情を抑えた態度が威圧的に見せていたのだろう。先を行く男は肩越しに何度か振り返ったが、ずっと無言のままだった。
「乗って」とソレイユに言うと、僕に視線をやり、「君も来るのかい」と関心のなさそうな口ぶりながら訊ねてきた。僕はトランクを抱えると、ソレイユの隣にぴったりとくっついて座った。
車は見たことがある移送車とは違い、ごく一般に見かける小型の四人乗りで、乗り込むのに抵抗はなかった。周りからは僕らは旅行者に見えたはずだ。通り過ぎる人たちも特に興味をもってこちらを見ている様子はなかった。
僕らは手を握りあいながら息をひそめるようにして乗っていた。車内でも男は無言で、道をいくタイヤが鳴らす音が聞こえるだけだった。街を抜け、昨日見かけた木々が茂る道へと入って行く。しばらくは山の中を走り、蛇行する道や木々の根が盛り上がる舗装されていない道にぼこんぼこんと車内は大きく跳ねた。
ソレイユはうつむいていたが、何度か僕を見て微笑した。無理に笑っている。でも僕も同じような顔をしていたはずだ。窓に視線をやり、前で運転している男の後頭部に目をやり、それからソレイユを見る。それを繰り返しているうちに、いつまでも山道が続くと思った場所が突然開けて海が視界に飛び込んできた。
「船はすぐ出るから」と男は言った。
「君も乗るつもりかい?」バックミラー越しに僕を見る。
「はい」
ソレイユが何か言いたげな視線を向けてきたが、僕は反対を向いて無視した。最後に大きくバウンドして車は停車する。右端に見える沿岸に漁に使うだろう船が数隻止まっていたが、こちら側には木製の小型の船がひとつあるだけだった。
ソレイユは車を降りると僕からトランクを受け取ろうとした。でも僕は掴んで離さず、何か言われる前にと、彼女より先に船に向かった。船は二人横に乗れば幅はいっぱいで、あと縦に数人乗れるだけの広さだった。
「桟橋までって」隣に腰を下ろしながらソレイユが小声を出す。
「うん、向こう岸のね」すまして答えると左腕を彼女の腰に回して引き寄せた。
船に乗ったのは、僕とソレイユ、それから車を運転してきた男だけで、この人が船の操縦もした。遠目には美しく見えていた海は近くで見えると、濁った緑色をしていて、まるでよどんだ池のようだ。覗き込んでいると水面から得体のしれないものが突然浮上してきそうな不気味さで、ぐらぐらと不安定に船底が揺れる。
三十メートル先にある島には砂浜が見えるが、あとは濃い葉色の木々が茂る山になっていて、そのてっぺんから角のように一本の立派な造りの煙突が飛び出ていた。煙は出てなかったが、まるでがっちりとした工場の煙突のようで、療養所があるはずの場所にそびえるには不釣り合いだった。
「火葬場があるのよ」ソレイユが言った。
「ほら、煙突。見えるでしょ」
僕は一度うなずき、それから二度三度と続けてうなずいた。何かを振り払うかのように頭を動かす。潮風の匂いに物珍しさを覚えたが、次第に近づいてくる岸に怯えそうになった。
手をつないだまま、海に飛び込もうか。なかば本気で腰を浮かしかけ、膝にあたったトランクのゴトリという音に驚いて座る。落ち着かない気持ちがソレイユに伝わってしまうのが嫌だったが、それでも止められず、何か一心不乱に別のことを考えていないと涙ぐんでしまいどうしようもなかった。
「船酔いしたの?」
ソレイユがやさしく微笑む。僕は目を閉じた。
「ううん。なんか緊張するね」
何に、という言葉はいらない。あらゆることが含まれた。頭の中ではぐるぐると今までのことが蘇り、次に目を開けた時に知らぬ場所にいて戸惑った。桟橋におりたときには足がぐにゃりと曲がりそうで、ふらふらとよろめいてしまった。
白い帽子とエプロン、マスクをした女が二人、桟橋まで僕らを迎えにきていた。看護人だったのだろうか、ソレイユを見ると「こちらに」と言い、さっさと連れて行こうとする。引き留めようとすると背後から男に呼び止められ、肩を掴まれた。
「君は今度はあっちから戻るんだ」
指さすほうを見ると離れた場所に別の桟橋があり、船が横付けされていた。
「患者と職員は別の場所から行き来するようになってる。本来は面会人もそうだ」
「わざわざ分けてるんですか」
「あたりまえだろう」
男は呆れ声を出した。そうか、と僕はぼんやり思いながら、ソレイユに視線を戻す。彼女はもう遠くまで進んでいて、ひとりの看護人が横で何か話しかけていた。
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