6-5 裏庭 ……3
「君が悪いなんて思ってないさ」
僕は急いで言葉を吐き出したが、変に嘘っぽく響いた。
「悪くないよ、僕がこんなだから君が怒るんだ」
「そういう態度がよけいに腹立つんだけど」
僕は黙った。沈黙。ひとつふたつ言葉が浮かんだが、喉で絡まって出てこなかった。ソレイユは目元を拭う仕草をすると唇をぎゅっと噛んだ。何か行動しないとと気が焦った僕は、つい彼女の髪に触れてしまった。まずいかと思ったけれど相手が動かないので、調子に乗りそのまま頭を撫でた。
髪は細くて柔らかい。猫を撫でているような気持ちになってきて、初めの緊張感が薄れてきてしまい、無言のまま、しばらくそうして撫でていた。するとソレイユが急に顔をあげ、射貫くように視線がばちりと合ったので、僕はバカみたいに飛び跳ねて驚いてしまった。ソレイユが声を出して笑う。こちらまで自然と嬉しくなる華やかで愛らしい笑顔。
「かみついたりしないって。ごめん、機嫌悪くなって」
また笑う。今度は儚げな笑みですぐに消えた。
「あなたには嘘つきたくないの。正直に話したい。他では嘘ばかりだから」
でも、とソレイユは身を少し屈めて、敷いている僕の上着の生地をつまんだりひっぱったりし始めた。
「あなたの前でも嘘をつかなきゃいけない気分になるの。それが苦痛でいや」
悲し気に微笑まれて、僕は何も言えず、ただあいまいに首を傾げては口角をあげ言葉に聞き入る。信頼が欲しいと思いながらも、どうそれを示せばいいのか分からなかった。
「ねぇ、ルギルス」とソレイユは身を寄せて内緒話をするように僕に言った。
「私は戦争が嫌なのよ。無意味だと思えて仕方がない。でも、それを話し出すとあなたは困ってしまうんでしょう。私が危険な人間に見えるんでしょう」
今なら分かる。このときの彼女の気持ち、焦りや恐怖やいら立ちも。今の僕なら分かってあげられる。けれど、あの頃の僕には冷たいものが走り緊張し、彼女の言葉をそれ以上聞きたくないと感じていた。ソレイユの言う通り、僕は困り果て、彼女が言わんとすることを受け止められるほどの余裕も理解もなかった。
それは表情を通して彼女に十分すぎるほど伝わってしまったに違いない。ソレイユはにこりとして「なんでもない」とつぶやいた。それでほっとして緊張を解いた僕はより彼女を失望させただろう。
こうやって振り返れば振り返るほど、彼女の素晴らしさが分かる。あの当時はまだ戦争といっても外地の統治領で小競り合い程度の衝突があったくらいだった。王国内の経済は悪化していたとはいえ、暮らしぶりは深刻なほどには悪くなく、不満がくすぶっている程度。
王国内では青年将校たちによるクーデターが起こり、政治に軍部の影響力が増していった時期で、そのことも新聞などは好意的に報じていたくらいだ。国民の多くは変革を求め、それを軍に期待していた。
僕らはあの頃、夢を見ていたのだろうか。どうしようもない幻想を抱き、実現できると高揚して騒いでいたのだろうか。十五の僕には、時代の先端にいる高揚感と、それに乗り遅れまいとする焦りしかなかった。
彼女には何が見えていたのだろう。僕らは同じ時代に、同じ場所に立ち、同じ空気の中を生きていたのに、まるで別の方向を向いていたように思う。僕は彼女が自分と同じ方向を見ることを望み、それが彼女のためだと感じていた。
ソレイユのほうではきっと、僕に背を向けて諦めるべきか、それとも手を差し伸べて寄り添い合うべきか悩んでいたのだろう。
彼女が欲しがっていたものを、僕は何ひとつ持たなかった。そうでいながら僕は彼女が自分にとって特別だから、きっと彼女のほうでもそう思っていると、普段は卑屈でいながら、ある部分では自惚れてもいたのだ。そこに絆があると信じていたのだ。
もしも、僕以外の別の誰かがソレイユと出会い、ともに幼い日を過ごしたなら、その人が彼女にとって特別な存在になっただろうことに目を背けていた。
彼女にとって僕でなければならない理由や意味などなかったはずだ。僕は選ばれた存在ではない。出会いが違えば、きっと相手になどされなかった。
そんなことはないと否定できるだけの要素を、僕は自身に見い出すことが出来ない。僕の幸運はソレイユに出会えたことだが、それが彼女にとっても同じであるとは言えない。
もし僕でなければ――彼女のそばにいたのがこんな僕ではなく、もっと優れた人物であったならば、今とは違う結果を生み出していたんじゃないだろうか。
すべては仮定でしかなく、考えたところで現実が変わるわけではない。それでも、僕でなければという思いに蝕まれる。この苦しみはずっと癒えることがないのだろう。僕が僕という存在であるがために永遠にまとわりついて離れないのだ。
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