序章3 統治者達は嘆く
「そちらも大変ですね。我らの意を理解しえぬ部下ばかりというのは、本当に苦労が絶えません」
光あふれる眩い部屋の中は、神々しさで満ちている。
部屋の主が放つ声は、聞くだけでいかなる者も平伏してしまうであろう威厳が宿っていた。
「はは、血の気が多いのは確かだな。否定のしようがない。…しかしこちらはまだしもだ、天使連中はもっと冷静な者が多いと思っていたが、意外だったな?」
まるで真逆の暗黒と静寂の空間。唯一置かれている王座に座り、神と対話する者。
魔族の証ともいうべき頭の角は、物質というよりも漆黒のオーラそのものであるかのように揺らめいて、時折彼の者の全身にまとわりつくように巡り流れた。
「先入観というものですよ。それで言わせてもらえばあなたの部下である魔族は皆、粗暴で凶悪ということになってしまいますが、魔王殿?」
―――神。光に包まれたその者は神族側の最高指導者である。
老齢を思わせる長いアゴ髭と痩せこけた頬、白亜のローブを纏い、その見た目からは想像できないほど若い声で会話をしている。
だがそれは御方の
「当たらずとも遠からずなだけにそこは反論しずらいな。ハハハ、むしろ本当にそうであってくれた方が存外、楽に御せるかもしれんぞお互いに」
―――魔王。この神と正反対の力の質の権化のような存在が魔族側の最高権力者だ。
ヤンチャな不良少年っぽさを思わせる声が似合わない、巨大な体躯に禍々しい形状をした鎧のような皮膚を有するまさに魔王の如き姿の彼は、茶目っ気たっぷりに軽口で応対する。
しかしそれは一時、面倒な案件に対処しなければならない鬱屈した気分をどこかへと追いやるための言葉遊びでしかない。
和やかな雑談のままでは済ませられない現状に、二人は肩を崩して大きく息を吐いた。
「立場上、彼らの存在もまた必然であり意味がある、と言いたい所なのですが…」
「それも時と場合による、だな。ようやくバランスが取れてきたところで互いの部下の暴走とは……やれやれだ、まったく」
世界を運営するのもなかなかに大変だと、座する姿に徒労感をにじませる両者。
ともあれ、まずはと光の権化が闇の化身に軽く頭を下げた。
どちらが悪いという事はないのだが、
「相変わらず真面目だな。モノは考えようだぞ? どのみち近々 “ 間引き ” が必要だったのだろう? 連中はその手助けをしてくれたと考えればいいじゃないか」
「口が悪いですよ。確かに
「あー、わかったわかった。だから真面目すぎるといってるだろう。バランスが狂うくらい今にはじまった事でもなかろうに? それに、その方が遊びに行く口実―――んんっ、あーあー…もといっ! 我らが直接手直しをするべく、かの地におもむく事ができるというものじゃないか、そうだろう?」
まるで遠足を楽しみにする子供のような笑顔を浮かべる魔王に、神は呆れたと額をおさえて
「またあなたという
「
答えなんぞわかりきっているとニヤニヤしているのが少しばかり不愉快であったが、神は視線を逸らしてただ一言つぶやいた―――行くに決まっている、と。
・
・
・
「御神、神酒をお持ちし―――」
「魔王さまー、お茶持ってきましたよーって」
奇しくも彼らの側仕えが飲み物を運んできたのは、その場に光の欠片も闇の片鱗も残す事なく、時間差なしで偉大なるその身を戦乱渦巻く地へと
「ま、またしてもッ!! 皆の者ー、御神が
「あーんっ、魔王さまってばー! 勝手にフラフラ出歩かないでって
まるで子供じみた事をする最高位の統治者達に、毎度苦労させられる
――――――地上世界、某所。
「うっわ、完全にまっ平らじゃないのよ。また派手にやらかしたわねー、ウチの大将サマは」
「此度の大戦、どうやら魔王様も…そして神も、望まぬ戦いであったようで」
頭を下げている執事を見向きもせず彼女―――メリュジーネ=エル=ナガン侯は、頂高を削られて平らになっている山脈を、その麓より見上げていた。
はるか昔、神と魔王が地上における神魔の境界線として意図的に隆起させたといわれている山脈は誰が呼称しはじめたのか、その名もグレートライン。
そんな、軽く標高1万m以上はあったはずの、地上からは途方もなく巨大な壁にしか見えなかったかの山脈の上方が綺麗に整地されている
だがすぐに気持ちを平静に切り替え、視線の方向を変えぬまま改めて口を開いた。
「ロディ、終息の見立ては?」
端的な問いから主が何を訊きたいのかを理解する執事は、下げていた頭を上げて彼女をまっすぐに見据えつつ解答する。
「本格的な戦争に関しましてはあと3日の内かと……しかしながら完全なる終息、となりますれば半月はかかりましょう。どちらも血の気の多い者達が中心となって暴れているようですし、小規模なイザコザはまだ尾を引くでしょう」
「ふーん、アズアゼル卿ぶっとばして終わり、ってワケにはいかなかったのね」
メリュジーネも今回の大戦の首謀者および、開戦のいきさつはかねてより聞いている。
しかしそれ以上の興味はないとその場で軽く伸びをした。彼女の両手が天に向かって伸びると同時に、長い尾の先端がピンと張ってプルプル振るえる。
尻尾に連動するように、背中の小さな翼がはためいて己の背に風を送る。
すると長く伸びた艶やかなストレートの髪が揺らぎ、肌蹴た背筋が後方にて待機しているお供の兵士達に一瞬だけ披露された。その色っぽさに数人の兵士が生唾を飲み込む。
年の頃は彼女の種族の基準からしても大人の女性に類する。
相応の女らしい色っぽさに興奮を覚えない兵はいない。中にはその美貌に魅了されて彼女の元で働いている者も少なくなかった。
「ま、
「統制者を失い、無法化した者たちを抑える手はずはすでに。それと領内の被害は1割弱程度で済んでおりますので、さほどの難儀ではないかと」
この領主様はとかく我がままだ。とはいえ一応は最低限度の領主に足る仕事はこなしてくれてはいる。
しかしこの気まぐれな
「んー、じゃーロディに全部任せてもいーわよねー?」
まるで子供のような無邪気な輝きを瞳に宿し、彼女はその上半身をロディのすぐ側まで下げてくる。
気品ある装いは麗しき美姫だ。しかし腰より下、多くの種族では2本の脚が伸びているはずの下半身は、長く太い蛇の尾がとぐろを巻いている。
「ハァ……そうは参りませぬ。メリュジーネ様、我がナガン領は地上でも屈指の広さでございます。被害が1割といえど、あくまでそれは領土全体から見ての事。やっていただく事は少なくありませぬゆえ、どうかいつぞやのように勝手にお隣のアトワルト領へとお忍びで遊びにゆき、あちらのご領主に迷惑をかけるなどといったことはなさらぬよう謹んで―――――」
「あーもう、わかったってば! そこまでそこまで。ロディは話が長いのよいつもいつもっ。Boo……」
拗ねた素振りを見せるメリュジーネは後ろに控えている兵士達をチラりと見た。
その視線で―――
“ まだ諦めてないから、その時は手を貸しなさいよ ” と、彼らに投げかけていた。
しかし兵士達は彼女に対して素直に頷き返すことができなかった。
なぜならもう一つ、
“ 甘やかしてはダメです、わかっていますね? ” と、執事からの視線も投げかけられてきていたからである。
「それではメリュジーネ様。早速ですが、お仕事に取り掛かっていただきます」
「えー、今日はもういいじゃない? まだそこらでドンパチしてるんなら危ないし。ね、ね? その辺の町で宿でもとって―――」
「メリュジーネ様。1日でも1件でもお早く、御領主としてのお仕事を片付けていただければこのマグロディ、メリュジーネ様のご動向にとやかく言う事はございませんよ? もちろん、ご旅行の予定なりとご自由にお立てになられましても結構で―――」
「やるっ、超仕事する! ほら皆いくわよー、お仕事お仕事っ!」
まるで子供のようなやり取りに兵士達がポカンとする。蛇尾の下半身が地面を這いずる音とともに御方が動き出すと、その後に執事が続いた。
彼らは互いに苦笑し合いながら、二人の後に隊列をなしてついてゆくのだった。
――――――地上世界、アトワルト領。
「あ…、あ…」
少年はあらためて自分が置かれていた状況を理解し、腰を抜かしてへたり込んでしまった。
自分を助けてくれた女性が無造作に巨石を下ろす。大人はまだしも、子供を押しつぶすには十分な大きさの岩石は、ズシリと地面に転がった。
「…ふぅっ。まったくもー
振り向いて自分の身を心配する彼女は “ 女性 ” と呼ぶには違和感を覚えるような、愛らしさある美少女だった。
しかしその振舞いは頼もしい
「ん、立てない? 腰ぬけちゃったかな?」
前かがみになって覗き込んでくる。少年の視界は彼女の胸の谷間でいっぱいになって、その小さな両目は子供心にも興奮を覚える大きさの双丘へと釘付けになってしまった。
……途端に少年は赤面する。
ほんの数秒前。天を覆いながら落ちてきた岩の塊は自分を押しつぶし……は、しなかった。
命の終わりと、想像もつかない苦痛を覚悟した彼の顔面は、とても柔らかくて温かい良い香りのするものに包まれて死の不幸どころか楽園を感じた。
その正体が彼女の豊かなバストであった事を改めて理解したなら、少年といえども顔面の紅潮を強めずにはいられない。
「はい、ちゃんと立ってね。あんまりゆっくりしてるわけにはいかないの。この辺り…まだ安全とは言えないからね」
自分が顔を赤らめていることが途方もなく恥ずかしく、年少の頃にありがちな小さなプライドも手伝って、彼は下を向きながら起き上がる。
しかし片手は、彼女の差し出した手をしっかりと握り返していた。
「ミミ様~! はぁ、はぁ、はぁ、もう危ないじゃないですか。お一人で急に走り出されて。私、足はあまり早くはないんですから……そちらのお子様は?」
「逃げ遅れたかはぐれたっぽい。一番近い村まで送らないといけないかなーって思うんだけど」
あらたに現われた女性は、彼女の知り合いらしい。
「それでしたら私一人でも十分です。ミミ様は―――」
「……岩が降ってきてこの子と自分を守れる、イフー?」
イフーと呼ばれた方の女性は、うっと小さく呻くと口篭った。そのいでたちは完全にメイドさんだ。
やり取りの様子から、ミミと呼ばれたこの
「どのみち三人で行くしかないかな。後の
自分の手を引いて歩きだした
幼心にもドキッとするほどの美少女。
視線に気づいてニコっと微笑み返してくれた表情と仕草を見て、少年は彼女こそ女神様に違いないと思い、貴重な体験として彼女と繋がっている手の握りを強める。
「仕方ありませんね……かしこまりました。無名ですが小さな村落が近くにあったかと記憶しています、そこへ連れて参りましょう」
まだ少し納得してない様子で
一時の事を思えば随分と静かになった世界。
戦火に両親を焼かれた少年は久しぶりに
男の子として、いかに年上とはいえ女性の前で涙は見せられない―――いっぱしのプライドを武器に、二人に並んで恥じない男にならんと気構えだけは懸命に背伸びさせた。
「無名なんだ、その村?」
「はい。村そのものは古くからあったようなのですが長らく栄えることもなく、人口も少ないので前任のご領主様の時代もほとんど放置されていたみたいです。ちらりと何かの資料に書いてあるのを見た記憶があります」
追いついてきて横に並んで会話している
そしてその会話相手のミミを比べるように見上げると、彼女は少しだけ難しそうな
「ふーん? じゃ、ついでに一仕事していくのもいいかもね」
「? ミミ様?」
「ん、なんでもない独り言。少人数でも今は私の領民なんだからキチンとしないと、って思っただけだから」
左様でしたか、と返すメイドさんはそれ以上深く聞かない。聞く気がなかったのか、それとも村が見えてきたから会話を打ち切ったのか、少年にはわからなかった。
「見えてきた。あそこならまだ
「……あ、あの…あ、ありがと…おねえちゃん」
カッコ悪い。もっとカッコよくお礼を言うつもりだったのに。
少年は自分のダメさ加減に心の中で悶える。手を引く
そこまで考えてふと気づく。彼女に釣り合う男でありたいと思っている自分―――ひいては淡い愛欲を抱いた事に。
それがまた恥ずかしくて悶える。少年が葛藤してる間にも3人は村の入り口へと到着した。
・
・
・
「では状況が落ち着いてきてからで良いですから、村の名前が決まりましたら館まで提出してくださいね」
子供を村人に預けると、ミミ様はとても落ち着いたご様子で村の長老様とお話をされていました。これまで無名だった村に名前を決めて、そして通達するように命じられたのです。
ただそれだけの事なのですが、長老と村の人々はとても喜んでいらっしゃるようです。
「おお、新しい領主様は、なんと……なんという」
「我らの村は、いつもないがしろにされてきたというのに……ありがたやありがたや」
「それになんとめんこい御方か。んむ、すばらしいのう」
領主としてミミ様にご好意いただけたようで、御仕えする
ですが、ミミ様は他にも何かお考えがあるように思えます。
まだ短いお付き合いではございますが、この御方は見た目にはそうは見えなくとも、物事をとても深く考えておられる優秀な領主様とお見受けしております。
「? イフス、帰りましょう。やらなくてはいけない事はたくさんありますからね」
「あ、はいミミ様。ではみなさま、これにて失礼させていただきます」
「まだ戦の名残が各地にて見られますから、くれぐれも気をつけてください。では」
長老以下、村人達に熱烈な見送りを受けながら、私達はその村を後にして館への帰路につきました。
―――途端
「はぁあぁぁ~…、なんっか…ヘンに真面目になっちゃうなー私。ダメだな~」
村が見えなくなったあたりで、ミミ様は思いっきり息を吐き出しました。
普段の調子ではなく “ 領主 ” として村人達とお話をされたのは……
「ご公務だという意識がおありにあったからでは? お立場のご自覚があるのはよろしい事だと思います」
「まぁ、そうかもだけどね。クセってわけじゃないんだけど……知らない人が相手じゃ、気兼ねなくってワケにもいかないし」
つい笑みが漏れてしまいます。今のミミ様は、見た目相応の女の子にお戻りになられたかのようです。
ご領主としてはまだ3年。ご領内にはまだまだ訪れたことのない場所も多い中、その手腕は確かで、着任以降の領内の人口は右肩上がり。
それだけに、もし今回の戦さえ起こっていなければと私、イフスも残念でなりません。
「イフー、この後は
「はい、不肖このルオウ=イフス。ミミ様を精一杯支えさせていただきます」
ミミ様ならば、この困難な戦後もきっと乗り越えていかれるのでしょう。
ですがその言葉にはもっと深く、既にこれから待ち受けるご受難を確信なされていらっしゃった上での御発言であるとまでは、この時の私にはまるで察する事が出来ませんでした。
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