反乱編:第10章

第60話 第10章1 主の危機と侍従の目覚め

 

――――――――・・・・・・


『……ぅ、……く…、…はぁ、はぁ…、ィフ…スさ…ん、……』


 それは、館に不埒者どもが攻め寄せてきた時の事。気が付くと自分の体が勝手に動いていて、メルロさんを後ろから羽交い絞めにした。


 <な、何を…私は一体何をして!?!? どうして、カラダが…動かないのですか!??>


 不埒者達どもに力を貸す、この不可解な状態に陥ってからの一番古い記憶。


 身体が勝手に動く、というよりは何かの中から自分を見ているような感覚だった。四肢はおろか、頭の先からつま先に至るまで自分の身体と魂が切り離されでもしたかのようだった。

 だから意識はあった。けれど、言葉を話す事も眉を動かす事すらもできなかった。メルロさんをこの手で捕まえ、そして猿獣人や河童たちに酷い事をされているのを傍観しているだけだった……それは他の誰でもない、ルオウ=イフス。すなわち自分自身だった。




――――――――・・・・・・


『!? …あ、あのメイドさんは?!』


 遠くで聞こえた少年の声。見覚えがある。

 そしてこのバランクという忌々しい男は、家屋の中からこちらの様子を伺っている少年の存在に気付いていた。


『とまぁこのように。私の命令には忠実に従いはしますがそれは行動のみ。支配しているとはいっても、そうそう都合よくはいかないという事です』

『なるほどな、洗脳とは違うってワケか。ま、仕方ねぇんじゃねぇか、それよりとっとこの村を探しちまおうぜ?』


 自分の今の状態を完全に理解するに足り、洗脳でない事がわかっただけでも安堵する。けれど、問題はどうすればこの状態から脱却できるか、だった。


<そのような事を、軽々に語る事があるとも思えませんし……ミミ様、メルロさん、ドンさん……皆さんご無事でしょうか??>


 カラダを動かせないばかりか、疲労感や眠気、食欲などといった感覚もまったく感じない分、連れまわされて労苦が蓄積しないのは救いかもしれない。

 けれど仕える者が、主の敵ともいうべき者達にいいように扱われている事には、はしたなくもイラだちを覚えてしまう。


『な、なんだよ! はなせよっ。この、このっ…サルやろーっ!!』


 その声に我に返り、改めて様子を伺う。すると声の主は、やはりあの少年だった。


<あの子は! ミミ様がいつかの時に助けられた―――>


 だが、その驚きはさらなる驚愕によって上書きされた。


『へんっ! 誰が! おまえらみたいなのに話す事なんかなんもねーやっ!!』

『衣服を脱ぎないさい』


 …え?


 まさに、それ以外の言葉が思い浮かばなかった。

 しかし自分の身体は、粛々と脱衣してゆくのだから、たまったものではない。


<な、ななななな、なーーーーーー!!??!?>


『河童』

『あいよっ、へへへ、役得だなこりゃあよっ♪』


 バチンッ!!!


 これだから…これだから “商人” という輩は下品で信用なりませんっ!!!





―――――――都市シュクリアの北側、マグル・オレス村勢の陣地。


 その天幕のうちの一つにおいて、タスアナはどっと汗をかいていた。

「………」

 担ぎ込まれてきたイフスのお腹と胸の間あたりにズボリとその片腕を突っ込んだ体勢のまま、タスアナ―――否、魔王ともあろう者が、ある種の恐怖を感じて静止していた。

「このテの女の恐ろしさというものは、いつぞや “ 妻 ” より感じて以来…か?」

 ゴクリとノドを唸らせる。

 戦慄した理由、それは操られていた時の彼女の扱われ方の酷さを知って、憤りを感じた……からではない。

 イフス自身がバランク達より受けた己への仕打ちに対し、ズゴゴゴゴといった地鳴りか地響きかと思わず辺りを見回してしまうほどの音を伴うかのような迫力を孕んだ、強烈な怒りをその精神に蓄積しているのがヒシヒシと伝わってきていたからであった。

「ま、まぁとにかくだ……イフスよ。お前の現状と原因、身体の状態および精神健全――――うん、健全性に問題は……、……問題は、なかった。すぐに正常な状態へと戻してやる」

 特に素っ裸で結構な距離を移動させられたり、人前でムチ打たれたり、大勢のならず者達の前に裸体を晒されたりした、いわゆる辱しめに対する羞恥心とそこから生まれる憤りが彼女の怒りの大半を占めている。魔王自身がバランク一味に抱いていた怒気が霧散してしまうほど、イフス本人が抱いている感情の毒気が強い。

 しかしてその毒気の中には、怒りだけでなく悔しさも含まれていた。それはタスアナにとっては――多少複雑ではあるが――彼女の変化として喜ばしい事だった。

「(あの生真面目なイフスがな……。結果として酷い目に遭わせる事にはなってしまったが、地上に遣わした事は間違いではなかったか)」

 誰かに対して、個人的感情を含んだ忠誠心を抱く――――それゆえに、仕えし主の役に立てなかった事への悔しさは、より大きくなる。

 魔王城に勤めていた頃の彼女であったなら、そんな個人的な意志など押し込んでしまい、自身の任と職に対する責務を源泉とする悔しさでとどまっていただろう。

 随分と変わったものだ。

 タスアナは無意識のうちに微笑を浮かべつつ、ゆっくりと腕を引く。イフスの中より霧のような無数の光の粒が遅れて引かれるように浮き上がってきて、関節の先から消え失せていた彼の腕へと集約し、10数秒を経てタスアナの右腕は完全に元に戻っていた。



「………よし、処置は終わった。敵の仕掛けは完全に排除したが、身体が痛めつけられている。しばらくは休眠が必要だ」

 それは方便ウソだった。本当はすぐにでも起きて動くことが可能なまでに治療し終えているが、今はイフスの深い怒りと悔恨の念を和らげる方が良いと判断し、タスアナはしばしの間、眠るように彼女を “ 操作 ” したのだ。

「(遺伝子レベルでの融合と操作……あまり褒められた “ 介入 ” の仕方ではないのだが、今は良しとしよう)」

 記憶や経験、趣味や趣向、性格や気質、あらゆる情報はおろか、本人ですら知らないモノまで全てを知る事ができる上、それらを改変したり操作したりと編集、場合によっては書き換えも可能な、まさに神や魔王と呼ばれる者たちの御業だ。

 タスアナのカラダを構成している一部を彼女のカラダに融合させる事で、そんなチート行為を可能としている。

 だが彼ら・・に言わせればそれは、相手の存在をレイプするに近しい行為であり、見た目に問題がないとかそういうことではなく、彼ら・・の倫理観の上では、憚っかって然るべき事に分類される行為である。

 ゆえにタスアナは、誰が見ているわけでもないというのに少しテレて、そんな気分をごまかすかのように、つい咳払いをした。

「タスアナ様ー、こっちも終わりましたよー」

 天幕の中、厚めの布で遮られた隣室で他の怪我人の様子を見ていた部下がヒョッコリと顔だす。内心ではドキリとしたが、そもそもこの御業に対するイケナイ事をしちゃった感というのは、自分達・・・のみの観念であり、他の者にはわからない感覚だ。ゆえにタスアナは表面上は平静を保ち、やがて内心も落ち着かせる。

 それでもヘンなツッコミを受けないとも限らないと思い、そうなる前に話題をふらんとして口を開いた。


「とりあえずは一息といったところだな。…しかしイムルンよ、お前にしては珍しい手落ちだな?」

 さも面白そうにニヤニヤしているタスアナに対し、イムルンはうぐっと言葉を詰まらせる。今回の件に関しては、イムルンはいくつかの失敗を犯してしまっていた。

 1つ目は味方への損害を出してしまった事だ。不意遭遇であったとはいえ、見極めが甘く、結果としてメルロの伴だった者達およびメリュジーネの私兵に怪我人が出てしまった事、加えてシャルールも軽傷で済んでいたとはいえ、これほど新たな怪我人を数多く作ってしまった事は、彼女の実力と実績から考えれば本当に珍しかった。

 2つ目は敵を逃がしてしまった事だ。ドンが怪我をおして敵を引きつけ、イムルンの元へと誘った後、それまで対峙していた敵を屠り、その武器を利用して迎え撃った――――まではよかったのだが、想定以上に河童の持っていたムチの数々は痛みが激しく、イムルンの使用には耐えきれなかったのだ。しかもアレクスが想定外に奮戦して見せ、彼女にはかなわぬと早々と見切りをつけ、戦闘方針を自分達が離脱する隙を作る事に専念する事に変更、その全力を傾けてイムルンから逃れたのだ。

「だ、だってぇ~…ねぇ?」

 とはいえ、逃げる敵を追いかける事など彼女には容易い。だがそれをしなかったのは…

「言い訳としては、怪我人を抱えていたから…か? らしくもないな」

 これまでのつまみ食い・・・・・の恨みつらみの仕返しの意がありありとあらわれている笑顔で責めるタスアナに、イムルンはぐうの音もでない。

 河童を殺してしまった事も落ち度といえば落ち度だ。アレクスが伴っていた兵たるならず者数名を捕まえたまではよかったが、これを尋問してはじめてバランク一味が組織内でも独立した一派である事を知り、河童も情報源として生かしたままひっ捕らえて来なければならなかった事が後から判明したのだ。

 いつものイムルンであればそうした背景を現場で鋭く感じ取り、殺す者、捕らえる者の分別において見事な洞察力を発揮できるのだが、今回は残念な結果となってしまっていた。

「……まぁ、過ぎた事は仕方あるまい。どのみち敵の本丸がわかっている以上、遅かれ早かれ攻め込むことに変わりはないからな」

 バランク一味が何か組織とは別の企みと狙いでもって動いていた事は、イフスの見聞きしていた記憶の中の、連中の言動から十分に伺い知れている。

「(この地の領主に随分と執着している様子であった事からも、領主が囚われている敵の本拠地、ドウドゥル駐屯村とやらから動く事はまずあるまい)」

 敵の動きがある程度しぼれていれば問題ない。知るべき情報があるならば、改めて連中を捕らえるように動けばいいだけなのだから。

「それで、戦況はどうなっている?」

「あのザードってデカいトカゲがけっこー頑張ってるっぽくて、もう第三段階に入るみたいですよー」

 本丸よりも先に、都市シュクリアを落とす――――メリュジーネ経由で知った領主ミミの策略は、魔王をして及第点に至っていた。


 敵の正体が周辺各地より集った犯罪者達ならず者の集まりであるならば、今回のアトワルト領の危機はむしろこの辺り一帯の治安を一手に良くする大好機となる。

 なので敵の本拠地を攻める前に、可能な限り逃げ場を先に抑えておくことは有効このうえない。特にシュクリアのような都市は建物が多く、散開して潜まれては全てを駆逐するのは困難。まだ敵が組織として機能しているうちにまとめて抑えておくのが最良なのだ。

「第一段階で外壁を、第二段階で内部への侵入と橋頭堡の形成、第三段階は都市内部の主だった移動ルートの制圧…だったな?」

「はいな。その後、第四段階で内部協力者と接触して連中を刈り取っていく感じですねー。あー、私も参加したいなーソコはー」

 いいながらチラチラとこちらを伺ってくるのが腹だたしい。が、その甘えに許可を出すわけにはいかない。

「……お前は外壁の上にいろ。メリュジーネの軍は問題ないだろうが、民兵のところはイザという時、敵に抜けられる可能性もあるからな。連中の手に負えないものだけを始末して回れ。今度は・・・しくじるなよ?」

「うえーその言い方は卑怯ですよぅ。……わかりましたよ、1匹も漏らしませんって」

 そもそもイムルンにしてもタスアナにしても、今回の敵に対してはあまりにも場違い過ぎる強者である。手を貸し過ぎるのはこの地の領主アトワルト候のためにもならない。

「…さて、と。早々と終わらせるためにも、私も一つ、つまみ食い…もとい、仕事をするとしようか」





―――――――ドウドゥル駐屯村、アレクスの小屋前。


「……めんどくせぇ事してくれちまったなぁ、オイ?」

 バフゥムの咎めるような言葉には獲物を奪われた悔しさが滲んでいて、それ自体はバランクにとっては聞き心地のよいものだった。しかし、彼はそれを素直には喜べない。現状は自身にとっても厄介な状況にあるからだ。

「フン、よからぬ事を考えていたのは貴方も同じでしょうに」

 バランクとしては、無駄に紳士たらんとする滑稽なアレクスを引き込み、バフゥムを出し抜いて領主ミミを手に入れるつもりでいた。

 ところがフェミニストであろうと思っていたアレクスが、まさか自ら彼女に手をかけるなど、思ってもみなかったのだ。結果として気を失った領主は、アレクスがそのまま小屋へと連れ込み、彼の監視下に置かれてしまっている。

 アレクス自身の静養も兼ねているため、周囲から納得させる理由でもって、領主の身柄を取り上げるのは難しい。

「(静養中の怪我人が、組織においては最も足手まとい。ゆえにアジトで捕虜の監視を担うは、最適な任であり理にかなっている。これを崩すには…クッ、本当に面倒な状況に)」

 一時は自分の思惑通りに事が運びかけ、喜んだバランクも苦虫をかみつぶす。今度は犬頭バフゥムを担ぎ込むことも考えたが、先の自分の告げ口もあって今、アレクスの中で株が急降下中のバフゥムと組む事のメリットは小さい。

「これからどうするんで、バランクさん?」

「……河童の奴は戻りましたか?」

 しかしハニュマンは首を横に振る。あの領主のメイドとおぼしき者を手元にもっておけば、まだ突破口はあったかもしれない。しかしそれを追ったはずの河童がいまだ戻らないとなると、ますます打つ手がない。

「ひとまず貴方は高いところから様子を見ていなさい。何が好機となるやもしれませんからね、この駐屯村内の状況の変化には気を配るように」

「わかった。何かあれば知らせるよ」

「オークは……ふむ、とりあえず保留で。私の供をしてなさい、どこで必要となるともしれませんからね」

「わかったよー…うー、でも腹へった」

「我慢しなさい。(有用な手駒が少なすぎる、どうしたものか…)」




―――――――アトワルト領、オリス村北東部の国境線付近。


 ガラガラと木製の車輪が音を立てる。荷馬車を伴う一団の先頭を、長旅には似つかわしくない恰好のジャックが悠然と歩みを進めていた。

「ようやくアトワルト領内に入りましたか。遠回りになってしまった分、 “ 舞台 ” にはかなり遅れてしまったようですね」

 これまで仕入れた情報から、アトワルト領で起きた反乱事件のほぼ全容を推察し、理解に及んだものの、かといってジャックは急ぎ向かうような事もしなかった。なぜなら、今度の騒ぎにおいて自分には商機がない事もわかっているし、彼としてはアトワルト候は有力な取引先の一人ではあるものの、彼女の味方というわけでもないからだ。

「(ふむ、魔力の流れからすると……、現在はシュクリアの辺りに集中しているようですが)」

 少々の荷ならまだしも、今回は結構な荷数に及んでいる。大量の木材――それでもミミに品定めしてもらうための極一部でしかないが――をはじめとして、アトワルト領の反乱騒ぎの “ 先 ” を見越して他領で仕入れてきた数々の交易品の中には、戦果に晒されるのを嫌う(割れ物など)も多数存在する。

 魔王の動向や旧知のメリュジーネの動きを知り、収束までにかかる時間も計算したうえでの来領だが、それでもややタイミングは早かったらしく、直観が戦いの臭い・・・・・を嗅ぎ分け、ジャックに眉をひそめさせる。

「さてみなさん、まずはオリス村へ向かいますよ。この調子ですと、とりあえずはそこで一休みはできるでしょうが、油断されないように。商品に傷をつけようものならば……わかっていますね?」

 ジャックの奴隷はさらに数を増していた。運搬する交易品が増えるほど、隊商の規模は大きくなり、必然的に目だつ。

 そこへアトワルト領の反乱騒ぎに加わっていたが、離脱したとおぼしき者達が襲い掛かってきたとなれば渡りに舟。ジャックにとっては便利使いできる奴隷が、向こうから来てくれたも同じだ。

 結果として幾度かの襲撃をすべて返り討ちにし、生き残りを隊商に加えて働かせていった事で、今や荷馬車が大小7台に伴う奴隷は40名と、結構な規模に膨らんでいた。

「ん? あれは」

 途中ジャックは足を止め、片手を軽く挙げて後ろの隊商に止まるよう指示を出した。一人で前へと歩み、発見した地面を割いている大きな亀裂の淵へと進む。

「地理上の位置関係から考えてアズウールの爪跡の支流の先端、といったところですか…。しかしこれは…」


 アズウールの爪跡――――それは、遥か太古の神魔大戦における強者同士の戦跡の一つといわれる場所であり、北東方面よりアトワルト領内へと領地境界線を切り込んできている大地の亀裂である。

 亀裂の本流は長さにして10kmは軽くあり、一番深いところで500m以上という巨大な大地の裂け目は、そこから支流ともいえる比較的小さめの亀裂を、南北にいくつも伸ばしている。

 本来、アズウールの爪跡の本流は、オリス村の南側であり、渡るための橋がかかっている。

 ジャックがいる場所はオリス村のまだ北東部の街道より少しそれた、まばらに樹木が生えているようなところで、その亀裂が枝分かれした支流である事は間違いなかった。だが、そんな事はたいした事ではない。

 ジャックが気になったのは、誰かの手が・・・・・入ったような痕跡がその亀裂の周辺に見られた事にあった。

「(よくよく見れば、そこの茂みも後から植えられていますね。街道より近く、しかし行き交う者の目にはただの自然の景観にしか映らず、一見するとおかしなところは何もないかのように見える…ですが、あきらかに意図して隠されている)」

 亀裂の支流の一つ、その終着点。それを誰かが掘削し、移動が可能なように階段を付け、その上に大き目の自然岩を置き、さらに周囲には人工の茂みが配備されている。

 それらを一通り見回し終えると、面白い物を見つけたとばかりに、ジャックのメガネのレンズが光った。

「一体どこのどなたの秘密基地でしょうかね? ま、発見ついでです、多少寄り道をば………貴方達はそこで待機しているように」

 結構な大きさの岩を片手で軽々と転がして除けると、ジャックは亀裂を利用して造られている階段を降りてゆく。亀裂はどんどん幅をひろげ、深さ100mほどのところで土壁を横に掘って作ったとおぼしき隠し部屋を見つけた。

「(ほぉう? これはこれは……)」

 部屋の中を覗くと、多いとは言えないが少なくもない盗品とおぼしき品が無造作に転がり、ベッドなど一応は居住可能なように最低限の家具が置かれていた。

 お世辞にも建築技術に長けているとはいえない、ただ掘った穴を内側から叩いて固めただけの壁や天井は、今にも崩れてしまいそうなほど頼りない。それでも彼は、躊躇することなく中へと入る。

「一時的な隠れ家、というところでしょうか。さて、家主はどこのどなたでしょうかね―――――ん?」

 ジャックは汚いベッドの上に転がっている写真立てを見つけ、手に取る。そこに写っていたのはアトワルト領の領主、すなわちミミ=オプス=アトワルトその人であった。写真には見覚えがある、いつか遭遇した知己の商人が持っていた物と同じものだった。

「ふむ。まぁ、彼女の土地ですし、熱烈なファンがいてもおかしくはないですが……それが野盗の類ともなれば、穏やかとは言えませんね。このボロ屋の主の狙いは彼女自身ですかね」

 お世辞にも綺麗とはいえず、盗品とおぼしき品の扱いもぞんざいだ。加えて最近まで誰かが出入りしていた形跡もある事、そして最近のアトワルト領内の状況を踏まえ、ジャックは家主の像を察する。

「…ま、所詮は下等なならず者。一枚岩ではないのは当然といえば当然、ですかね」





―――――――ドウドゥル駐屯村、出入り口付近。


「ぶぇっくしゃんっ!!! …ちっ、なんだぁ、誰が俺の噂してやがる? まぁいい、お前ら、準備はいいな? とりあえずは適当に辺り回ってこい。もしアレクス達をやった連中に出くわしたらるにしろらねぇにしろ、数人は報告に戻すのを忘れんな、いいなぁ?」

 アレクスに言われた小隊編成を終え、送り出すバフゥム。素直に言う通りにするのは、アレクスにすらあれほどの怪我を負わせた敵の動向を知るためだった。

「(くそっ、風向きが怪しくなってきやがった。こんな事ならもっと早くにウサギちゃん連れて逃げちまえばよかったぜ)」

 領主ミミを捕らえたその日におサラバしていれば、と後悔ばかりが沸いてくる。しかし現時点ではバフゥムの手元にあるのは協力者のモーグルが今頃、自分の隠れ家があるアズウールの爪跡へと連れて行っているはずの、バランクからかすめとったメイド一人だけだ。

 最大の獲物ウサギちゃんをアレクスに取られた今、バフゥムの欲望はそれで妥協する事を許しはしない。

 安全と欲望の狭間で今、彼は揺れていた。

「これでここの兵の数も減っちまったし、ますます長居は出来ねぇな…」

 なんとかして早いところアレクスから獲物を取り戻さないと。そんな事を考えていたバフゥムだが、同時に諦める道も渋々ながら頭の隅に芽生えはじめていた。

 究極的に言ってしまえば、最も大事なのは自分の命である。最高の獲物を諦めるのはどこまでも後ろ髪ひかれるが、望みを叶えたとて死んでしまっては意味がない。

「(チクショウめ、このオレ様がタイミングを見誤るなんざ、縁起ワリぃぜ)」

 不思議な事に、領主ミミを捕らえたあの日以降、自慢の鼻が沈黙し続けている。一番頼りになるはずの相棒が仕事をしない、それがここまで計算違いな状況にバフゥムを追いやっていた。言い換えればこれまでの半生で、それだけ鼻に頼ってきたという証でもあった。



「ううん…妙な…?」

「? どうかしたんですかい、バランクさん?」

 ハニュマンに問われ、バランクは軽く首を左右に傾け、1度回してから答える。

「なぜかはわかりませんがね、どうもカラダの動きが…ふむ、あまりよくない、とでもいいますか…はて?」

 これからアレクスより、いかにして領主をかっぱらうかの方策を考えなければならないというのに、身体の不調に悩まされるなど、タイミングの悪い事この上ない。

 なにせバランクのいざという時の最大の武器は、彼の性格にしては珍しく真面目に修得した高水準の武闘技術なのだ。

 小柄ゆえパワーこそないものの、テクニックとスピートによって支えられるそれは、やりようによっては組織一の強さを持つアレクスにも十分対抗できる、頼もしいスキルである。

 だがそれも身体が十全であればこそだ。奥の手が、必要な時に100%の力を発揮できないのでは意味がない。

「疲れがたまってるんじゃあないですかね」

「そんなヤワな体力はしていないつもりでしたが……ふむ」

 何度も左右の腕を交互に肩から回し、感覚を確かめる。

 疲労の蓄積…は、まったくないわけではないが疲労感を覚えている、というほどでもない。

 全身の関節はしかと動くし、淀みはない…が、力が入らないような、奇妙な虚無感を感じる。

「(これは一体?? 体調に異変が…こうも急に生じるというのもおかしいですね?)」

 そこまで考えて、バランクは一つの可能性を考える。それは魔法的な干渉による肉体への影響である。

「あなた達は何ともないですか?」

「ええ、まあ…特には」「腹は減ってますー」

 手下二人のいつもと変わらない様子に、バランクはますます首をかしげた。彼らは基本、まとまって行動する事がほとんだ。魔法か何かの影響があるとすれば、二人も自分と同じような違和感を感じていなければおかしい。

「(魔法ではない? 身体機能を抑制する魔術か何かかとも思ったのですが…違うとなると…)」

 一番怪しいのはアレクスだと考える。身体の不調を感じ始めたタイミングは、思い返してみればアレクスがこの駐屯村に帰還した後だったからだ。

「(ですが、あの脳無しの正義夢想に、妙な術なり道具なりを用いる知恵があるとは思えないですが…)」

「バランクさん?」

「あなたは変わらず、駐屯村内の様子を監視していなさい。ただ、その際には何か妙な仕掛けが施されていないかにも注意を」

 しかしその可能性は低い。もし駐屯村全体に効果が及ぶような何がしかであれば、自分のみならず、この場にいる他のならず者達も全員が自身の身体の調子に違和感を感じているはずなのだから。




「………ぐぬ…これは…」

 小屋の中、領主ミミを寝かせた藁のベッドの横で、アレクスは壁を背にしながら自分の両腕の感覚に違和感を覚えていた。

「(力が上手く入らぬだと? …なぜだ、そこまで傷は深くはないはずだが)」

 武器を用いるのは無論ながら、彼は素手での格闘術を最も得意としている。中でも、その逞しい両腕から放つ剛撃は、アレクスにとって最も頼もしく・・・・・・最大の威力をもって敵を粉砕するものだ。

「あのグレムリンに受けたダメージはそこまで深刻なものだったのか? 馬鹿な…」

 確かに手ごわく、まるで遊ばれていたのも確かだ。さりとてアレクスも武に精通した者である。強者を相手とした時の戦い方は心得ているし、事実こうしてなんとかやり過ごし、アジトに生還する事も出来ている。五体は無事で、逃げ回る領主ミミを相手に出来た上、一撃をも見舞っている。

 なのにその領主ミミを抱えてこの小屋に寝かせてからというもの、この妙な違和感はどっと襲い掛かってきた。

「今までなんとかもっていた、ということか…?」

 気力と体力が一気に尽きた――にしては、そんな感じはない。疲労感は強いとはいえ、まだ敵10人を同時に相手にしても戦えるという実感があった。

「…いや、感覚に頼るのはよくないか。自分が思う以上に疲弊してしまっているのかもしれん。身体は正直、という事もあるか」

 考えてみれば領主の館を制圧して以来、相当に気を揉む日々だった。今でも不安は尽きない。

 体力…というよりも気疲れしている分があるのだろうと彼は考え、横たわる領主から目を離さないように気を配りつつ、今は休養に専念すべきという結論へと至っていた。



  ト……………  ク………… ン…………




―――――――都市シュクリアの北側、マグル・オレス村勢の陣地。

「ミミ様ッ!! ………あら?」

 イフスが目を覚ますと、そこには跳ね飛ばされたように床に尻餅をついている包帯だらけのドンとその背をしゃがんで起こそうとしているメルロ、そして片足の一部に包帯を巻いているシャルールに、見た事のない半透明のナース姿の女の子がいた。

「おー、おきたー。じゃ、ムーム、タッスンに知らせるーぅ」

 ムームがパタパタと走り去っていく。それと入れ替わるようにイフスに寄る3人は、心配そうに彼女を覗き込んだ。

「イフスの姐さん、身体はもう何ともねぇですかい?」

「なんかすごい酷い事されたって話聞いたけど、平気? 大丈夫? 気を強く持って」

「だ、大丈夫です。大丈夫ですから皆さん、少し離れていただけますか?」

「……よか、った」

 気のせいか、以前より少し声量が大きくなっているメルロの安堵の呟きと共に、ドンとシャルールもホッと一息つく。

 イフスとしては状況がまだよく掴めていないだけに少々困惑気味であるが、すぐに一つの事に思い至り、口を開いた。


「……あの、皆さん。ミミ様はどこに?」



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