第41話 閑話9 人外社会のリィンカーネーション



「はぁ…まだ気持ち悪ぅい…」

 店のカウンターに上体を突っ伏し、自らの胸をクッションがわりに揺らめく。二日酔いが尾を引き、気分はいまだ最悪だ。しかしさすがに3日以上も店を閉めてるわけにはいかないと、彼女は二日酔いを引きずりながら鑑定所の経営を再開した。

「くそう…前世は二日酔いとは無縁だったから…、こういう感じなのか。うう、下山、倉渕、朝倉…今更だけどバカにしてゴメンナサイ…」

 かつて遥かな過去に生きていた頃は、いわゆる酒豪で、生まれてから一度も二日酔いなどというものを経験した事はなかった。

 その苦しみを知らなかった彼(彼女)は、下戸である同僚や後輩をバカにしたり、時に無理矢理飲ませる暴挙を行った事もある。

 しかし酒に酔うか否かはその肉体の、内蔵機能の強弱に依存するもの。来世たる現在に生まれ変わり、こうして二日酔いを経験したことで、我が身が前世のそれとはまったく違うという事を痛感させられる。

「(本当に記憶だけそのままで、生まれ変わったんだよね私。こうして昔を思い出してると、なんか不思議な気分…うーん、前世は過ぎ去った遠い過去かぁ…)」

 人外ひしめく世界へと転生して、前世の記憶を頼りに鑑定屋さんをやってるんです、しかも女になって。

「…それ、なんてド三流な妄想ファンタジー?」

 二日酔いの苦しみから現実逃避するかのように自嘲し、乾いた笑いを漏らした。


「しっかし、増えたなぁ…」

 古ぼけた店内の棚を何気なく見回す。この世界の住人には理解しきれないであろう品が数多く陳列されており、並べきれないモノはその辺の床に転がっている光景。

 鑑定所とはよくいったもので、雰囲気としては珍品や掘り出し物が並ぶ古物屋といった感じだ。静謐せいひつにしてうっすらと冷たい、不快でない埃っぽさを纏った空気が支配する空間は、居心地としては悪くはない。

 なるほど、穏やかな日々を望む欲の枯れた老人が、趣味として店を営む気持ちが今この場にあって理解できそうな気がする。

「……今日は客も少ないし、このまま穏やかにのんびりと―――」

 彼女がそう思いながら、二日酔いの痛みが少し和らいだ頭を自身の胸に埋めてまどろみはじめた、ちょうどその時だった。



「うぉおい! 愛しのミス・ゴールドマリー! 会いたかったぜぇぇえぇえッッ!!」

 けたたましい叫び声、いや遠吠えとでも言うべきだろうか? ご近所迷惑もさることながら、眠りかけた二日酔いの頭痛が一気に覚醒してくれる。

「……うるさい、アーバカ…頭に響く……叫ぶな、この狼もどき」

「もどきじゃねぇ! 立派なウルフマンだっての!! それとアーバカじゃなくてアーバックだってーのっ!!」

 店の戸を勢いよく開けて現れたのは、知己の狼亜人ウルフマンだ。この町の住人で、20歳ほど年上だが種族内でいえば若造レベルらしく、幼い頃から一応近隣住民という程度の付き合いがある。

「(はぁ、面倒なのが来たわ~……)」

 彼の両親は共に理性的で紳士的で品格ある狼亜人で、周囲から見ても羨むような理想的な夫婦なのだが、その子供である彼は本当にあの夫婦から生まれたのか疑ってしまうほど、うるさくも下品な輩なのだ。

「(もしかして、いいとこの坊ちゃんな分、甘やかされてこうなった?)」

 金持ちや良い家柄の血筋は、性格や嗜好性などが遺伝によって受け継がれた子ならばまだ良いだろうが、恵まれた環境や子煩悩に過ぎた親の教育が甘きに過ぎた場合、こういう馬鹿が出来上がるのかもしれない、等と彼女が考えていると…

「なぁ~、寂しかったんだぜぇ~ゴールドマリー。3日も店閉めてよぉ、ナニしてたんだよぉ~?」

 カッコイイんだか滑稽なんだかよく分からないステップでカウンターまで近寄ってきたかと思えば、即効で胸を鷲掴まれる。

「(…こんな神経の図太い行為を平然と行える男は、いくらこの人外ばっかな世界でもコイツくらいしかいないんじゃないの?)」

 呆れ果てると同時に、理解出来てしまうのがちょっと哀しかった。

 もしも前世の自分が今の我が身を他人として見たならば、反射的にバストをはじめとした容姿に目がいってしまっていた事だろう。…だからといってさすがに会い様に胸を掴んで揉む、などという事まではするわけもないが。

「…ご用件は?」

 そして、理解できるからこそ、対応の仕方もわかる。もし普通の女性であれば、こんな真似をされれば “ キャー! なにすんのよこのドスケベ!! ” とでも叫びつつ、あるいは無言で顔を真っ赤にしながら、反射的にコイツをぶん殴りでもするだろう。

 だが、それは大きな間違いであり、悪手もいいところだ。

 もし内向的な性格の男ならばそれで恐れおののき、以後は簡単にそんな破廉恥な行為を自粛するようになるかもしれない。だがコイツのようなタイプはそれでは逆効果になってしまうのだ。

「連れねぇなぁ。久しぶりの再開だぜ? もっとオレと会話を楽しもうよぉ~」

 言いながら胸を揉む事を止めない。それどころか手つきはよりエスカレートし、乳房の奥深くの付け根から全体を掴んで、大きくこねくり回してくる有様だ。が、それでも彼女はまるで動じる素振りを見せず、仏頂面を保つ。

「(……早い話が、スカートめくりをする悪ガキの行動、あれと一緒)」

 その例で言えば、スカートめくり行為の理由は大きくわけて2つある。一つは好意を持った異性に、良し悪しはともかく自分への関心や注目を集めたいがため。もう一つは単純にリアクション反応を楽しみたいがために、過激な行為や行動を取る、というものだ。

 物怖じする事なく常識的にやってはいけない事をするこういうガキへの最大の対応方法、それは

「ご・よ・う・け・ん・は?」

 スルー、つまりは行為に対しての完全なる無視である。怒るにしろ泣くにしろ羞恥にしろ、何がしかのリアクションを取る事こそ、相手を喜ばせ、行為の目的を果たさせてしまう事に他ならない。

 故に一切合切を完璧に無視する事。何をしようとも冷めた目でスルーする事が最善の対応方法である。


「(ヴラマリーさんみたく、相手を半殺しに出来る力でもあれば、そっちで二度とこんな事しなくなるほど、恐怖を叩き込むって方法もアリなんだけど…はぁ、また人間に生まれた我が身が恨めしいわ)」

 2年ほど前に町にやってきて、仲良くなったグレムリン族の女性。スタイルは抜群で自分とはまた違う、獣のしなやかさを持った魅惑の肉体を持った彼女に、この男ときたら今のようにいきなりその胸を掴んでモーションをかけるという愚挙を犯したのだ。

 その結果は、いまでもトラウマが残るほどの恐怖を植えつけられるほどの何がしか――おそらくは拷問――を、この町の宿で受けたらしく、宿の主人は一晩中叫び声がこだましていたと震えながらその夜の話をしてくれた事を覚えている。

 実際、翌日には全身に切り傷や打ち身の痕をつけ、ボロボロになった彼が町中をフラフラと、何かから逃げるように歩く姿が目撃されていたほどだ。


 『綺麗な金髪だしさ、ゴールドマリーちゃんって呼んでもいーい?』


「(私の名前がマリーで、金髪だからゴールド…安直だけど)」

 クスリと微笑を浮かべる。彼女ヴラマリーがゴールドマリーという愛称を付けてくれたのはこの男に対する魔除けの意味もあったのかもしれない。

「(実際、しばらくはゴールドマリーって聞くと、ヴラマリーさんを連想してか、悪さしかけてこなくなったんだけど…。なんて懲りない奴…、時間が経ってこ慣れちゃってまぁ…)」

 いまやゴールドマリーの愛称は、町の住人なら誰でも知っている。贔屓にしてくれている冒険者や探検者の間では、ゴールドマリー=鑑定所という隠語になっているとか。それはそれで本業が潤う話なので結構なのだが、なんとも気恥ずかしい。


「…くうぅ…なんでぇ、ちょっとくらい愛想よくしてくれたっていいじゃんよぉ、未来の旦那サマだぜぇオレはよ」

「だっ…(とと…危ない危ない。ここで “誰があなたなんかー” とか “馬鹿じゃないの?” とか答えるのもナシね)」

 相手の言葉に、つい感情的に反応してしまいそうになるのは女の身に生まれたからだろうか?

 古来より男は仕事などで問題や壁にぶつかりやすい環境に晒されやすく、生き抜くための問題解決能力を問われ、そのためか理路整然とした問答を好む傾向がある。

 そして女は家やコミュニティを守るべく、集団の中で孤立しないよう同調や協調能力を問われたため、感情や共感を伴う問答を好むよう進化した、なんて話を前世で聞いた事がある気がするなとそこまで考え、はたとマリーは不可思議に思った。

「(でも…この “ 異世界 ” の人間の男女も、そんな進化や発展の歴史を歩んできたのかな? こんな人より強い種族がウヨウヨしてる中で元の世界と同じ道を歩んできたとはとても思えないケド…)」

 胸を揉み続けてるアーバックに対してツーンとして冷めた態度を取りつつ、この世界の人間の進化について興味を覚え、思考がいろいろな情報や記憶、知識を漁っていく。

 しかし彼女はこの世界が元いた世界とは異なると思い込んでいる。この地上こそ、かつて前世で暮らしていた世界のなれの果てだという事を知らないため、生まれた疑問の答えにいきつけはしなかった。


「あー、わかったよ! はぁ…ったく、ツレねぇぜホント…」

 ようやく胸から両手を離したウルフマンは、肩下げカバンからゴソゴソと何かを取り出しはじめる。

「今日はコレをよ、鑑定……」

「おーぅい! 鑑定のムスメっこよぅ。店開けたんだって? もう二日酔いは大丈夫なのかぃ…って…テメェは」

 見舞いの品とおぼしきラッピングされた箱を片手に陽気に訪ねてきた酒場の大将が、一気に殺気を伴ってゆく。

「あん? …よーぉ、ウマヅラのクソジジイじゃねぇか。なんだぁ、オレとマリーの愛のひと時を邪魔しようってのかぁ?」

 店の入り口のほうに振り返ったウルフマンも、急激に殺気だってゆく。互いに口元に笑みを浮かべてはいるが、まさに一触即発の雰囲気だ。

「誰に向かってナマイキなクチきいてんだぁ? 年上は敬えよ、クソガキ…」

 酒場の大将は、マリーはもちろんの事、アーバックが子供の時から今の酒場を経営している大人だ。当然その年の差は歴然で、馬獣人ホースマンたる雄々しさの中に、積み重ねた人生経験から醸しだされる大人の風格が宿っている。

「(ソレに対してこっちは…)」

 呆れ気味にウルフマンを見る。臨戦態勢を取っている姿は、人間種たる彼女から見れば確かに脅威的なものだ。ところが酒場の大将と見比べてしまうと、あきらかに不良の悪ガキの域を出ていない。

 着崩してはいるが、いいとこの坊ちゃんが着ていそうなジュストコールを羽織っている分、余計に金持ちボンボンの反抗期感がにじみ出てしまっている。

「(あえて言うなら、なんという格下感、って感じだわー)」

 対して威勢のいい上半身裸体の酒場の大将は、その筋骨隆々とした肉体美と、頭にキチンと巻いたバンダナだけでも、荒々しくも芯のあるかっこよさが感じられる。

「(うん。元男の目線で見ても、現女として見ても大将の勝ち)」

 どちらも知己ではあるが現時点で勝敗をジャッジするとしたら、このウルフマンに勝ち目はない。

 二人の睨み合いを面白がっている自分に気付き、マリーはふとかつての友人達とのやり取りを思い出した。

「(そういえば前世の大学時代、アイドル写真集を広げて同級生と居酒屋で、抱かれるならどいつがいい、みたいな話題で悪ノリしてた事あったっけ)」

 同性に抱かれたいなんてアブノーマルな趣味は当然なかったが、おそらくは誰でも一度くらいはそんなおバカなノリの話題や会話を友人達としたことがあるだろう。男女問わず。

 その流れからマリーの頭は、では今はどう判断するか? という思考へと自然といきつく。

「(んー…まぁ、強いてどっちか、って言われたら、まだ大将のほうかな? でも馬獣人ホースマンってアレが凄そうだしなー…最初がキツそう。まぁ大将は性格的に優しくしれくれそうっていうのはあるかもしれないけど)」

 目の前で火花を散らす二人。どちらも人外ゆえにその生態の詳しいところまではさすがに彼女もよくは知らない。故にもっぱら参考にするのは、前世の記憶にある創作物に登場する人外の情報にったイメージが主となる。

「(コイツは……、しつこそうだしなー。一回させちゃうと絶対お猿さん化して後がめんどくさそう、狼のくせに。あー、でも将来安泰って意味じゃあ、いいとこ出なわけだし? 現実的な話じゃあ、アリになっちゃうのかぁ)」

 なるほど、金持ちや家柄というのはステータスとしての魅力になるわけだと、女の身になって初めて理解が深まる。

 男の場合だと “ 敷居を跨げば七人の敵あり ” ということわざがあるとおり、社会に出るとその多くが生存競争のライバルとなってしまうため、特に金持ちや良い家柄を持つ相手は妬みや警戒心を抱く対象となりやすいが、女性の場合だとそうした感覚は男性より薄いのかもしれない。

 故に高いステータスを有する者に対しては、素直に憧れや好意を抱きやすいのだろうとマリーは考える。

「(……うん、でも私には魅力としては薄いかもしれない。魔王様から使命として今の仕事に就いてるわけだし、収入の補償もされてるし)」

 そんな事を考えながら、作法としてはよくないと思いつつも片肘をついて楽な姿勢を取る。完全に傍観者を決め込み、睨み合う二人をぼーっと眺めるのだった。







「そういえば…。転生した人間の繁殖についてはどう計らうつもりでいるのです?」

「何?」

 質問の意図を汲み取りかねると、魔王は首をかしげた。

「いえ、旧人類の “ 遺産 ” を、正しく扱うための存在として、記憶保持者転生者を現代に生み出す、という所までは良いのですが、その者は他の者達同様の生を送らせるのでしょう?」

 そこまで聞いて、魔王はあぁ、と漏らすように得心した。

「無論、その辺りについての特別扱いは必要なかろう、他の人間種と同様だ」

「ですがその場合、記憶保持者転生者の持つ知識や情報が他の種族に拡散してしまわないでしょうか? それはそれで、新たな問題の芽となる可能性があるのでは?」

「む…。………」

「考えていなかった、などという間の抜けた回答は聞きませんよ?」

 普段の意趣返しです、とばかりにニヤニヤしながら問う神に、魔王はバツが悪そうに苦虫をかみ締める。

 そういえば確かに、知識や情報の拡散についてとんと抜け落ちていたと、少しばかり焦燥感を覚える闇の化身。

「だが、かつての人間たちの技術や文化、文明について…現在の他の種族の者達がどこまで理解が及ぶものか? 我が魔界やそちらの神界ならばともかく、地上においては比べるべくもなく見劣りするものだろう?」

 現在の地上は、かつての旧人類の歴史でいえば中世代かそれ以前の文明力と言ってよいレベルであった。魔界本土や神界本土に関しては同等および一部は旧人類最盛期以上の発展を見ているため、“ 遺物 ” への理解が及ぶ者もいなくはないだろうが。

「それはそうですが、伝播するという事を考えれば、何も対策を施さないのも危ういのでは?」

「確かにな……。では、貴様はどう考えるのだ?」

  問われた神は、少しだけ考えてから口を開いた。

「…やはり、記憶保持者転生者の繁殖に関しても、ある程度は直接介入および管理が必要でしょう。場合によっては、関連する内容について他言できぬよう、禁則的な法か、実際に口が聞けぬよう禁の魔法をかける事まで視野にいれるべきでは?」

 だが魔王はそんな提案に対し、鼻で笑う。神の悪い癖だ、ルールや秩序を重んじる事は結構な事なのだが、もっぱら制限や制約を課す方向ばかりに傾く傾向が強い。

「やれやれ、そこまでしては当人達に息苦しい生涯を送らせる事になるぞ? ただでさえ、こちらの都合で特別な転生の対象となっているのだ、これ以上その生を拘束する事は逆効果になると思うがな」

「そうは言いますが…では、そういう貴方はどうするのがよいと言うのです?」

「繁殖そのものに関しては、やはり自由でよかろう。あと禁則的な法を課すのは賛成だ。が、実際に魔法なりを施す事に関しては、課した法を破った際の罰則として伝え、その記憶や知識を軽々しく伝授せぬよう釘を刺す程度が落としどころではないか?」

 やや不満そうではあるが、反論してこない事を確認すると、魔王はさらに続けた。

「そして縛りを与える以上は、加えて特別な褒美ボーナスでも用意するべきだな、アメとムチだ」

「褒美、ですか。自由な生に一定の縛りを与えはすれど、きちんと守れば良い事もある、とすると? 一体どんな褒美を与えるというのです?」

 すると魔王は含み笑い、したり顔を浮かべた。

「なに、本人の “ 望み ” を叶えてやればよいだけだ。単純だろう?」

「しかし “ 望み ” を叶えると言ってもですね…」

 何でも叶えるわけには、と続けかけた神を制するように言葉を続ける。

「…もっともそれは、繁殖に際しての相手に限る、というものなのだがな」

 要するに、日々生きていく中にあって、結婚などの話になった際、本人が望む相手を100%与えてやるというわけである。しかし神は首をかしげる。

「……それは、十分な “ アメ ” となるのでしょうか? 繁殖のための伴侶、いえ仮に夫婦とならずとも繁殖のみを望む相手がいるケースでもまぁ有効でしょうが、そういった事を一切望まぬ記憶保持者転生者もいないとも限りませんよ? そうした者にとっては、それはなんら “ アメ ” となりえないのではないですか?」

「過去、旧人類の傾向を精査するとだ。異性を望まぬ者は大抵、異性に対しての失望を経験していたり、そういう関係を結ぶ事で生じるデメリットを強く感じていたり、人間関係や生活環境に依存した理由が多い」

 光のグラフを中空に浮かび上がらせ、データを示しながら語る魔王に、神は同じく複数のデータを浮かび上がらせ、目を通しながら耳を傾ける。

「とりわけ歴史を手繰れば、理想とあまりにかけ離れている異性が大半を占めるが故に、伴侶を得る事に圧倒的に消極化したという時代も存在している。ならば “ 自身が望む異性を与える ” という一石を投じたならば、それらは一挙に解決されるケースになるとは思わないか?」

「なるほど、確かに極めて例外的なケースを除けば、確かに有効と言えるかもしれませんね…」


 こうして収入の補償に加えて、伴侶の補償まで付ける代わりに、前世の記憶に基いた情報の他言禁止と、定期的な本土への呼び出しによる出向(禁止事項を破っていないかの検査)――――



「(―――そして前世の記憶を活用しての “ 遺物 ” の鑑定業務を絶対的に課すという条件を付けられて、前世記憶保持者たる人間が現在へと転生する仕組みを整えたのでしたね。もう随分と時間が経ったものですが、まさか “ 私 ” が求められる事になるのは想定外でした)」

 もう民家は見えない。だが彼は軽く振り返る。

 転生者である彼女はかつて、繁殖のパートナーとして神自身を望んだ。おそらくは前世もまた信心深い生を送っていたのだろう。

「(まだ少女と呼べる年頃から、“ 私の全ては貴方様に捧げております。伴侶を選べとおっしゃられるのであれば、私は既に貴方様の所有物です ” 等と言われた時は驚いたものですが…)」

 自らが相手を務めることになろうとは、と微笑むオグ。女天使は、その御心を理解できないもどかしさに悶えながらその側を歩いていた。






「すまんな。二度手間だとは思うが、それだけ重要だと思って取り掛かってくれ」

「あ、いえ、こちらこそなんかその…ありがとうございます、普段からいろいろと便宜を図っていただいて」

 ペコリンとお辞儀するマリーは、なんとも言いがたい浮遊感を感じていた。思わず前世の社交辞令的な雰囲気を醸しだしながら礼を述べてしまう。

 何せここは魔界は魔王の居城。その巨大な城の最深部とも言える場所だ。普段の小さな町角のオンボロ鑑定所から世界の主とも言うべき御方の居城、その荘厳な謁見の間へと移動したのだから、どうにもこうにも落ち着かない。

「(ふおぉおおお……、何回目かだけど、やっぱりすごすぎる。ため息しか出ないってまさにこの事だわー)」

 別世界過ぎる造りの差。むしろしがない鑑定屋風情が、こんなところへと御呼ばれする事自体が身に余りすぎる出来事なのかもしれない。マリーは畏怖してしまい、全身を強張らせる。

「まぁ、期限を設けているわけではない。ノルマが決まっているというものでもないが、前回より今日までの間に送ってきた分の “ 遺物 ” を全て再検査してもらう事になる」

「わかっております。黙々と取り掛かりますので…」

「ああ、頼むぞ。…私が魔法なりで一気に検査してしまうのでも良いのだが、こう見えて他にやる事も多くてな。かといって城に詰める博識の者でもあれら “ 遺物 ” に関しては無知にも等しい故、任せられる奴はおらん。滞在中の衣食住は勿論、それなりの報酬も出す。精力的に勤めてくれ」

 そう言うと魔王は謁見の間より姿を消す。それと同時に、一人のメイドがマリーに近づいてきた。

「ではマリー様、こちらへ。滞在中にご使用いただくお部屋へとご案内させていただきます」

「ありがとう、えーと…確かシーナンさん」

「あら、覚えていてくださっていたのですか?」

 ワーキャットのメイド――シーナンは、少し驚いた様子でマリーを振り返る。マリーは前回の再検査出向の際にも、彼女が滞在中の部屋を清掃してくれていた際に遭遇していた。会話はほとんど交わした事がなかったが、やはり猫獣人族は愛嬌のある女性が多く、その容姿の印象深さゆえによく記憶していた。しかし、以前とは少し異なるものを感じもしていた。


「……なんだか緊張してる?」

 問いかけに対して、前を歩くシーナンがビクンッと両肩を震わせた。

「あー、うー…いやぁ、そのね? うん、もうなんか面倒っ! やー、ホラ? 魔王様のお側付きって事でさぁ、言葉遣いもそうだし、いろいろとビシッとしなきゃいけないっていう雰囲気とかさー」

 真正のメイド然たる凜とした雰囲気がどこかへと吹っ飛び、彼女は一気に脱力する。これが本来の彼女の素なのだろう。

「ああ、私と二人の時は、楽にしてくれていいよ? こっちはただの人間だし、かしこまられると逆に気にしちゃうし」

 刹那、シーナンは両耳を勢いよく上げ、尻尾を振り乱して物凄い速さで擦り寄ってきた。

「ホント!? それすっごい助かる~! よろしく、マリーちゃんっ」

「(あー、びっくりした。さっすが獣人……ギャグマンガ並みの素早さと身のこなし…)」

 種族の差というものを思い知りながら、マリーは頬を叩く。最低限礼節を欠いてしまうような失礼はすまいと気をひきしめるためだ。

 何せその気になればそこらを歩いている可愛らしいメイドさんですら、自分を容易く殺す事の出来るほど、差のある相手なのだから。



「む? おい、そこのメイド」

「はひゃい!? …あ、これは、ガジュラハシャ様! 申し訳ございませんっ」

 シーナンは自分が廊下中央を歩いていたのを、邪魔だと咎められたのだと思い、すぐさま横へと移動する。だが、ガジュラハシャと呼ばれた貴族は、いやそうではなく、と自分がメイドを咎めたと誤解されたと知って、逆に困惑しているようだった。

「その連れの者は何者か? 見たところ、人間種の女性であるようだが」

 コホンと咳払いをする様も、なんとも紳士らしい振る舞いだ。おそらくはそれなりに高位の貴族なのだろうが、あくまでも一般人のマリーからだと、見上げて首が折れるくらい高見に位置する存在なのだろう。

 彼女は途方もない階級差ゆえ目立たぬように控えたほうがよいと思い、少しおそれを抱きつつ、メイドに隠れるように移動した。

「あ、えーと…この方は、魔王様のお客人でして、えーと…」

 なんと紹介するのが適切なのか決めあぐねているシーナン。マリーは少しだけ腹底に力を込めて勇気を搾り出した。

「あ、ど、どうも。えと…地上にて発掘品などの鑑定の仕事をしています、マリー=ミュートーネと申します」

 またしても旧社交的挨拶の仕方をしてしまったと思いながら、少なくとも相手の機嫌を損ねなければOKだと自分を説得しつつ、下げた頭を上げる。すると…なぜか相手は赤面しながらかち合った視線を慌てて逸らしていた。

「(ん? あれ…なんか態度が…??)」

 マリーは改めて相手の姿を確認する。知己でいえばマストルと同じ、馬獣人のようだが、雰囲気はまるで違う。

 マストルは良くも悪くも町の酒場の大将として親しみやすそうな活力あるタイプだ。

 対して、ガジュラハシャはマストルよりも二回りは巨躯ながら、立ち居振る舞いには品位が宿り、しかしてよく精錬された力強さを薄布一枚下に隠している、そんな感じだった。

「(格好からして軍人かな…)」

 顔立ちには他の何がしかの雄々しい獣の面影が見える。おそらく純潔の馬獣人ではないのだろう。

 マリーとシーナンが硬直して伺っていると、ガジュラハシャはようやく重い口を開いた。

「あ、あ…-…ゴホンッ。その、マリー殿! もしお時間があれば…い、いや今すぐでなくとも良いのだがッ、後でお茶でもお付き合い願えないだろうかッ!?」

「……え? あ、はぁ…それは、えーと、私のような者で良いんでしょうかっていう疑問はありますけど、よろしいんでしょうか??」

 唐突な申し出に、マリーは完全に呆気に取られる。いきなりお茶のお誘い? 何がどうなっているのかわからない。あるいはお茶のお誘いと称して、知らず知らずの内にやってしまった、何かマズイ事へのお叱りをお呼び出しなのかもしれないと疑いかけたその時、霧は一気に晴れた。

「(! ……ぁー……そういう……)」

 視線と態度。それが決めてだった。身分差を考えれば、心に思う事もしないほうがいいのだろうが、あえて心の中でだけはツッコミを入れさせてもらおうとマリーは考えた。

「(このオッパイ星人め! ……うん、世界や種族は違っても嗜好は似たようなところに落ち着くのね…)」

 完全に自分の胸から視線を外せずにいる、しかし見るのは失礼だと思っているのだろう。懸命に明後日の方向に目線を向けようとしているが、意識がこちらのバストから離れられないでいるのが手に取るようにわかる。

 きっと彼の中では沸き起こる性欲と紳士的理性がこれでもかと争っている最中に違いない。

「(わかる、わかるよー。まぁ、それが男の悲しい性というヤツだよねぇ、ウンウン)」

 妙なシンパシーを感じはじめた頃には、マリーの緊張は霧散しきって欠片も残っていなかった。



―――廊下の角。

「……魔王様。計ったんですか?」

 他人の痴情を日々の糧とするメイドのデュファエルフが楽しげに問いかけてくる。

「何のことかな? …まぁ、ガジュラハシャは生真面目ではあるがムッツリなのは前々から知っていたからな。それに軍人である奴は、将来的に命を落とす危険性が高い事を考えれば、早いうちに伴侶を得ておいたほうがよかろう」

「(もっとも、彼女に奴をあてがうのは、その生真面目さゆえだがな…。奴ならば、知識や情報を得たとて、私が釘を刺せば誰にも漏らすまい…)」

 適当な令を与えて、マリー達と廊下で遭遇するよう仕向けたのは他でもない魔王だ。マリー自身の異性ごとも考えた場合、なるべくならば自然な出会いやカップリングが望ましくはあるが、ある程度口の堅いものをパートナーに選んでもらったほうが後々面倒がなくてよい、という考えからだった。

「もっともこの後、二人の仲が進展するかどうかは本人達次第だ。これ以上はどうこうするつもりはない…行くぞ」

 魔王はまだ見ていたいと壁にしがみつくメイドの首根っこを掴み上げて、その場からそっと立ち去った。


 この後、マリーとガジュラハシャがどうなるかは、また別の物語……




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