反乱編:第7章

第42話 第7章1 動揺


――――ミミがドウドゥル駐屯村にて捕らわれていたその頃。


 ウオ村からの街道を、サスティに向けて戻る50名ほどの一団は、安堵しつつも困り果てるという、なんとも複雑な心境にあった。

「おい、どうするよ? ベッケスの野郎になんて報告すりゃいいんだアレ?」

「俺に言われてもわかんねぇよ…まぁ、たったこれだけの頭数で戦わずに済んだっつーのはよかったがよ」

 彼らはベッケス軍の先遣隊だ。サスティの町を支配した後、ベッケスは計画通りウオ村へと進軍するため、先だって小規模な隊を送り込んだ。ところが…

「村はもぬけの殻、どこの民家に押し入ってみても、目ぼしいモンはなーんもありゃしませんでした、なんてなぁ…」

「そのまま報告すればいいじゃねぇか、何が問題なんだ?」

 馬鹿な仲間の疑問に対し、一団のリーダー格が徒労感を伴ったため息を吐きながら面倒くさそうに口を開く。

「いいか。あの軍事ヲタクベッケス野郎はウオ村攻略作戦ー、なんつってあーだこーだとウダウダ能書き垂れてたような奴だぞ? これから大挙して攻めようって期待してるアイツにだ、敵がいませんでした、なんて言ってみろ?」

「あー…めんどくさそうだな、確かに。あの野郎、戦争の指揮とるのを楽しみにしてるような感じだもんな。サスティも制圧すんのに随分時間かけちまったしよ」

 その場にいる全員が、徒労感をにじませる。ヘンな癇癪を起こして暴走でもされたりしてはたまったものではない。

 ただでさえ強欲なならず者の集まりなのだ。彼らの中の嫌な予感は、どんなに拭っても拭いきれなかった。



「な、ん、だとぉう!!? うぬぬぬぬ、さては我輩の軍におそれをなしおったかぁ!?」

 サスティの町、ベッケス軍駐在所(とい呼ばせられている不法占拠中の金持ちの屋敷)にてウオ村の現状を報告した一団は、ベッケスのリアクションにやはりといった、同じ思いを共有していた。


「「(何が “ 我輩 ” だよ。あー、ホントにうぜぇなコイツ…)」」


 控えている部下達の心境もどこ吹く風で怒り喚いているベッケスは、しきりに金属製の指し棒を振るっている。やはりというか当然というか、この隊長殿ベッケスにとっては。アレクスの計画を遂行するよりも、戦場にあって戦争を指揮する現場司令官という立場に酔いしれる事の方が重要らしい。

 欲望は人それぞれではあるが、こういう状況下においてここまで趣味に傾倒する者も珍しい。ならず者な彼らとしては、普通ならば制圧後に強奪し放題の物欲が、あるいは戦闘における殺戮などの好戦意欲が勝るものなのだが。

「よぉーし、…全軍ッ、ウオ村まで進軍する!。その後、さらなる侵攻のための準備に取り掛かるぞ! 資財の輸送準備も忘れるなァ!!」

「ハァッ!? お、おいベッケス、それは」

「ええい、黙れ! 我輩の軍は世界一ぃぃ! 進む先に敵はいない! ウオ村の連中が敵前逃亡した時点でそれが証明された今、恐れるものは何もないのだッ!!」

「(敵前逃亡の意味、間違えてないか?)」

「(シッ! 余計な事言うな! 面倒が増えるだろッ!!)」

 満たされる予定だったはずの欲求が満たされなくなった時の趣味への異常没頭者たる者が、ここまで厄介なものだとはさすがに想定を超えていたと部下達は辟易へきえきする。

 ウオ村のさらに先への侵攻…それはナガン領への進軍を意味する。当然ながらそれは組織の、アレクスの計画にはない完全に過ぎた行為である。

 いかにアレクスの計画を真剣にこなす気がないならず者達とはいえ、さすがにヤバイんじゃないかと誰もが動揺を隠さなかった。






「兵を追加でよこせだ?」

 プライトラはどういうこったと、横になっていたベッドから気だるそうに身を起こした。

「マグル村は予想以上に梃子摺ってるみてぇでさぁ。戦力が足りないってさっき使いがきましたぜ」

 オレス村は、少々暴れすぎたせいで満足に使える家屋が残っておらず、プライトラ達は中央広場に天幕を張り、そこでくつろいでいた。

 最低限度ながら土塁を積んでの防壁設置に加えて、見張り台の修復も終えた。ここから本格的な基地化を進めて行くぞというところで、一息ついていたところに舞い込んできた水を差す話に、植物頭の後ろを触手が掻く。

「んな事いってもなぁ…ここも残ってんのはもう500ちょいだぞ? これ以上割ける戦力なんざねーんだがよぉ」

 もともとオレス村制圧後の戦力を分割して、マグル村への駒を進めさせたのだから、プライトラ本隊の頭数もオレス村駐在分としては最低限になっていた。ここからさらに部下を割くのは、さすがに厳しい。

「けど、南のシュクリアもリジーン隊が制圧しているわけだし、この際全員でかけつけて、さっさと攻め落とすってのもアリなんじゃねぇか隊長よ?」

「んな事いって、暴れたりないから戦いてぇってだけなんだろー、お前は?」

 バレたか、とおどけて見せる部下の犬亜人コボルト。しかし一理あるといえばある。

「(ヘタに長引かせちまうよりかは、残り全部で押しかけてすぐ戻ってくりゃ…それもありかもしんねぇな…)」


 だがプライトラにも即決できない理由があった。

オリス北東の方に行った連中からは、まだなんも連絡来ねぇのか?」

 そう、プライトラの隊はマグル同様にオリス村にも制圧のための部隊を割いている。オレス村への攻撃を合図として同時に攻略にかかる手はずゆえに、先だって向かわせていた分、マグル村とは違ってとっくに制圧成功の連絡が来ていなければならない。

「ああ、今日も来てねぇな。あいつらサボってんじゃねーか?」

 既に数日が経過し、いまだに連絡一つよこさないという状況が続いていた。

「違いねぇ、ったく後でアレクスの野郎にドヤされんぞ」

「ハハ、そんときゃオリスいった連中に全部押し付けちまえばいい、サボってんのはあいつらだしな」

 部下達は誰一人として、微塵もオリス村に行った連中が苦戦しているとは思っていなかった。

 田舎領地のアトワルトにあって、その最北東の辺境の村など恐るるに足りないと見ているのだろう。だがプライトラは違う。

「(……マグルを攻撃中の連中が援軍を欲してるんだ。オリス担当の奴らが同じように梃子摺っている可能性だってあるだろ。しかも向こうオリスはこっから遠い…ヤバイ連絡が来るとしても時間かかっちまうだろうと思って待ってみてはいるが…今日まで1度も来ねぇとなると)」

 何か大問題が生じた可能性。あるいは全滅している可能性もゼロとは言い切れない。

 そもそも革命軍の連中は、その全てがならず者で構成されている。田舎領地の町や村など侮って見ている輩しかいない。リーダーのアレクスでさえ、たかが町や村と下に見ていたフシさえある。

 しかしプライトラは現状況に嫌なものを感じていた。

「(そもそもだ。マグル村にしたって、先遣隊が潜んでいたはずだ。それはなんのためだ? 短期で村を制圧するためだったはずだぜ。それが数日を擁しても正面から向かった連中が苦戦を強いられているだぁ? …つまりだ、先遣隊はどうにかなっちまってるって事で…)」

 談笑しはじめている部下達を前に、プライトラは急に立ち上がる。椅子とテーブルがけたたましい音をたて、部下達は何事かと一斉にプライトラに注目した。

「くっそが…面倒なカンジになってきやがったぜ…」

「ど、どうしたんですプライトラ隊長、突然?」

「おい、リジーンとこに連絡飛ばせ。500ほどこっちに兵よこせってな、そんくらいならどうにかなんだろ」

 シュクリアの規模を考えると、あの地を制圧し続けるにはどうしても結構な兵力を保持し続ける必要がある。

 プライトラもそれは理解しているが、自分の持ち場である北方各地の戦況がマズイ状態に陥っている可能性に行き当たり、そうも言っていられないと焦燥感から冷や汗を流す。緑色のツルンとした植物なカラダの表面が汗で瑞々しく輝くのとは裏腹に、彼の内心はすこぶる面倒この上ないと波打ちはじめていた。





 どよめきで人々の不安は広がってゆく。ハロイドの人々は台の上に立つ町長の言葉を聞く余裕もなく、ざわついていた。

「ええい、いい加減に静かにせんかーッ!」

 町長が、その小さなカラダを目一杯膨らませて叫んで、ようやく町民達は静けさを取り戻した。だが表情にはいまだ不安の色が浮かんだままだ。

「けど町長! 領主様が…あの御方が捕えられちまったって…」

 アレクス革命軍が流布した、領主を捕えたという話はハロイドにも伝わっていた。ほんの数日前にこの地にいたあのワラビットの少女が、ハロイドのためにあれほど強力な魔法を武器として残しておいてくれた御方が、連中に囚われの身となっているという。それだけで人々は気が気でいられない。

 しかしワラクーン狸獣人の町長はフンッと鼻息を荒々しく噴出すと、あらぬ限りの声を張り上げた。

「それがどうしたというのか! 領主さまは前々よりおっしゃっておられた、このような事態が、その身に生じる可能性を! その上でじゃっ、その上で我らには決してその事に心とらわれる事なく! 与えしお役目をこなす事を期待しておられた!!」

 町長の言葉がゴウッと唸りをあげた突風と共に人々に吹き付ける。まるで計ったかのようにタイミングの良い自然の風にの後押しを受けて、彼の放つ言葉は人々に染み入るように届く。

「よいか皆の者! 我らはただ信じるのみ! 領主さまは事前にこういう事になられると予見しておられた! ということはじゃ、それに対する策もなされておろう! 我らはただ、信じればよい! 信じて、我らが成すべき役目を続けてゆけばよい!!」

 そもそも、ただの一般人風情が何をどうこう案じてみたところで、どうにかなるものでも、できるわけでもない。

 町長の迷いのない言葉と表情は人々にも伝わり、ハロイドの動揺は小波さざなみの内に収まっていった。






「…なるほど、だいたいの状況は理解した。アトワルト領、随分と賑やかな事になっているようだな」

 タスアナは軽く頷き、まばたきをすると口元に笑みを浮かべる。そして注視していたスケッチブックから目線を上に上げ、書き手の空虚な瞳なき眼窩がんかを伺う。

「しかし驚きだぞ。まさかこのようなところで “ 奴 ” の忘れ形見に遭うとはな」


 ―― こちらこそ 驚き ――

 ―― いらっしゃる事、モーグルさん より 聞いていた ――

 ―― けれど、本当にこのような所、お越しになられるなんて ――


「(なぁ、アイツはいったい何者なんだ?)」

「(わからん。けど、ホネオさんがあんなに慌ててるのは始めて見るな)」

「(もしかして、魔界本土の? ほら、お供もなんかエロい格好しちゃいるけど、なんか強そうだ。…エロい格好してるけど)」

「(そこは大事じゃないだろ! …確かにエロい格好してるけど)」

「(なんか伝染うつってるぞ、お前らどんだけ好きなんだよエロい格好)」

 部屋の扉の隙間からオリス村の人々が懸命に覗き見ている中、ホネオはやや興奮気味に次々とスケッチブックのページをめくっては、猛烈に字を書きこんでいっている。

 タスアナと呼ばれた村の救世主たる鎧の男。そしてその付き人である、今にも局部が見えそうな、布地の少ない大胆な格好のイムルンというグレムリンの女。その正体が気になるところではあるが、少なくとも村の恩人である事は間違いない。

 とはいえ二人に対して、警戒心がまったくないというわけではない。悪しざまにとらえるわけではないが、件の天使の工作員など善人を装った輩の前例がある分、村人達は二人の事を安全かつ絶対的に味方であるとはなかなか断定できずにいた。


「フッ、もはや懐かしいか……。しかしこれほどの長期に渡り、独自に存在し続けていられるとは、おそらくは “ 奴 ” の最後の置き土産なのだろうな」

 遥か昔、魔王はかつて神と協力し、新たな生物を作った。それは地上のみならず、神界や魔界においても並ぶ者無き高い知能と理性、そして強さを兼ね備えた存在として、ゆくゆくは神や魔王にかわって数多の種族を統制する存在として期待して創生されたものであった。


  魔神族 ――――王との合作たる新種族。数多の種族とは異なり、進化によって生まれた種とは異なり、魔王と神によって直接創生された彼らは高潔にして高い能力を有した、最高統治者たる二人の期待通りの存在であった。


 ところが…時を同じくして、神や魔王に取ってかわらんと野心を抱いた者達の一派が魔界にいた。

 彼らは、数多の種族の中でも特に能力に秀で、自らを他種族どころか同種族さえも比肩する者なし、という傲慢なエリート意識と選民思想、そして大それた野望に飲まれた者達であった。


 魔神族 ――――魔の神・・・を自称する数多の種族の集合組織であり、自分達以外を無価値な存在と決め付けて蹂躙する事を厭わない者達。


「(邪心を抱く者達…転じて邪神族、と呼称した連中との戦いも、はや過去の話か)」

 軽く懐かしむ。

 邪神族はその内において、エリート同士が野望のために子をなし、時に非道なやり方でその能力をさらなる高みへと押し上げ、高レベルな集団を保ち続けた。

 地下に潜りてゲリラ戦を展開したかと思えば、あらゆる手段で政治的にも経済的にも根を伸ばし、表面的な戦乱を起こした事もある。

 千年、万年、十万年……

 邪神族との表立った戦いにおいては、しかしてはるか過去に決着がついていた。彼らの滅亡という帰結を持って。


 だが魔王と神の子たる魔神族もまた傷つき、その数を減らしていた。そして己らが優秀に過ぎる種であるという自覚から、第二の邪神族化してしまうことを危惧し、彼らは魔王と神に嘆願して、静かにかつ隠匿すべき存在として扱って欲しいと願った。

 その結果、今日においても魔神族は存在している。にも関わらず、両陣営においておよそほとんどの者がその存在すら知らないほど、彼らは徹底して一族慎ましく隠されし存在と自覚してひっそりと生きていた。

「(だが、戦いは終わってはいない。魔神族同様、邪神族もまた……)」

 しぶとく生き残り、長きに渡りてなおも野心を絶やさぬ者達は、時折歴史の影にあらわれて各界を陰より脅かし続けたのだった。


「(“ 奴 ” は一体どういうつもりでこのホネオを独立させた? …一度詳しく調べておかねばならんかもしれんな)」

 脅かす者―――邪神族の野望を阻止する事。

 今日の魔神族はその事をもはや一族が使命として受け継いでいる。事実、連中の生き残りの動静に対応する事を視野に、比較的最近まで魔王の元にも魔神族の若者が、それなりの “ 魔族の貴族 ” という仮の姿カバーで仕えていた。

 そしてその者が得意としたのが他でもない、無生物を創造し、操る事で己の戦力とする術であった。

「( “ 奴 ” は優しすぎた…。アンデッドを創造する力を磨いたのも、生者の兵を己が采配で死なせぬため。あるいはホネオをこの世に残したのもの、その優しさゆえか。無生物たるスケルトンですら滅びゆくのは哀しいとでも考えていたのやもしれんな…)」

 しかし、優しすぎたからこそ、“ あんな死に方 ” をしたのだろうと過去を悔やむ。本当に惜しい者を亡くしてしまったものだと、今でも魔王をして嘆かずにはいられないほどに。


「っと、物思いにふけすぎたな。問題はこれからどうするか、だが…」

 さすがに長考が過ぎたのか、ホネオだけでなくイムルンや、覗き見ている村人達ですらも心配そうな視線が送られてきていた。

 敵とおぼしき者達は、魔王である彼からすれば粗末極まりない。だが力で強引に排除するのは問題だ。自分が出しゃばって簡単に事態を収めてしまうと、この地の領主であるアトワルト侯の面目は台無しになる。

「(何より、魔王がこんなところに出張ってきている、という話になると、今後地上に遊びに来づらく…いやいや、それもそうだが事が大きくなっては何かと面倒な話へとつながりかねん)」

 特に、他の欲の皮の張った貴族連中が、あの小娘には領主の資格はないと主張して、領地再配分の意を合唱し始めでもした暁には非常にうざったい。

「ふむ…とりあえずは、だ。ホネオよ、この村から動かずして、ここまで事態を推測している事、驚嘆に値する。村を守らんと奮戦した事も含めて大いに褒められるべき偉業だ。この功は後に称えられる事となるだろう」

 その言葉に、村人達がワッと歓声を上げ、そして慌てて声を潜めた。バレバレではあるが、本人達は覗き見ている事がバレていないつもりらしい。

 村人達の様子から、おそらくタスアナは魔界から来た視察か何かの目的できた役人のようなものだと思われているのだろう。そしてホネオはきっと後日、魔界本土から何がしかの恩賞なり褒美なりを受けるに違いないと、今のタスアナの言葉で確信しているようだった。

「フッ、随分と慕われたスケルトンもいたものだな」

 ただの傀儡の、自我など何一つ持たないはずの無機物で、生物ですらない兵隊。それも随分と大昔に造られたであろう最初期のスケルトン。それがこんなにも村人達から信頼され、愛されているなどと知ったなら…

「(果たして “創造主” は非常に喜ぶのだろうな。バカものめ、おいそれと死んだ事をあの世で悔やむがよい)」

 かつての優秀なる部下。自らが直接創生した、子供ともいえる種族。それが生み出したものが予想外の成功を達成している様を見て、さしもの魔王も涙腺が緩みそうな想いがこみ上げてくる。

 とはいえ、イムルン部下が側にいる今、涙を見せるなど魔王としてカッコ悪い姿を見せるわけにはいかない。想いを振り切ろうと話を先に進める。

「それはそれとしても、だ。残念ながら推測だけでは情報としてはとても足りているとは言えん。ここからどのような手立てを取るべきかは、もう少し事態を正確かつ詳細に掴む必要がある―――イムルン」

「はいほーい。私の出番ですねッ、期日は?」

「そう時間はかけてられん…2日。長くて、だ。探れるだけ探って来い。特にオレス村近辺に関しては有益な情報を期待する。…ただし一切余計な手出しはするな。ただ情報だけを持ち帰れ、いいな?」

 最後だけより語気を強くする。過去にお楽しみを奪われたことをまだ根に持ってるんですかー、と小さな声で呟く部下に、いいからさっさと行け、くれぐれもわかっているな、と魔王は呟き返す。

 もちろん念を押して、今度我が楽しみを奪ったら、と軽く殺気も込める事も忘れない。

「あ~、わかってますよぅ。そんなに怖い顔しないでくださいってば~。今度はちゃんと情報 “ だけ ” 持ち帰りますって、それじゃ行ってきますよっ、と」


 フッ


 その場からほぼ無音で姿を消す。閉め切った部屋の中で一体どうやって移動したというのか。その不思議さも然ることながら、エロい格好をした姉ちゃんがいなくなったと、村人達は(もちろん男衆が)露骨に落胆の色を見せている様に、タスアナは思わず笑みをこぼした。





―――――その頃、ナガン領はメリュジーネの屋敷。


 執務室にて報告書を手渡した執事ロディは、即座に両耳を自らの手で覆った。


『な……、なんですぅってぇえぇぇぇぇぇぇッッ!!!!?』


 ゴォッと強烈な衝撃波が室内を駆け巡り、窓という窓が全て吹っ飛んで屋敷全体がグラグラと揺れる。

 同室していた部下達は全員吹っ飛ばされて壁に叩きつけられ、書物は崩れるのを許さぬと見えない手に押し付けられているかのように、揺れる本棚と動きを共にしていた。照明のシャンデリアは中空でガランガランと派手に音をたてながらのたうちまわり、高級な銀色革のソファは革を剥がれ、黒魔導石のテーブルはその模様の線に沿って割れていく。

 メリュジーネは単なるワガママな女領主ではない。魔界の大貴族の一人なのだ。地位のみならず、その本気の実力たるは旧人類における神の一角にも並び称えられてもおかしくないレベルである。

「…うぐぐ、ま、マグロディ様…ず、ずるいですよ…」

「お役目の差です。悪く思わないでください」

 事前に検めて手紙の内容を知っていたロディは、確実にメリュジーネが憤慨するであろう事を予測していた。壁に張り付いたまま執政官が上げる、冗談と本気交じりの抗議も軽やかに受け流す。

 怒気を含む叫び一つで執務室を壊滅させ、並み居る部下達――魔界より伴ってきたはずの精鋭――を行動不能に陥らせる。

 メリュジーネ=エル=ナガンたる者の真の姿が一端を垣間見て、さすがのロディも涼やかな表情を保つその裏で、冷や汗を流していた。


「メリュジーネ様。ご報告に書かれております通り、現在アトワルト領におきましては、組織だった犯罪者達による反乱が発生している模様でございます」

 ハッキリ言ってしまえば今、彼女に何かを語りかけるのは恐ろしい。だが執事として、このまま沈黙しているわけにはいかない。

 ロディはやや緊張の面持ちで、なるべく刺激しないよう穏やかな口調を心がけつつ重い唇を動かし続ける。

「先立っての各地の犯罪者達の移動の件も関与しているかと…。さらに申せば」

「……あの天使どもの件も関係してるんでしょう?」

 全力の逃走を促す恐怖が、本人達が知覚するよりも早く背筋に冷たいものを走らせた。

 声色こそ平常、いや少しトーンが低い程度ではあるが、報告書から上げたその表情は、いつものメリュジーネではなかった。常に側に仕えているはずの彼らですら、膝が震えるほどの恐怖を感じている。

 低く小さい、しかし誰の耳にも届くシューという独特の呻り声は、今すぐにでも殺戮を開始せんとする絶対的上位者の殺意でもって、彼ら全員を包み込んでいた。

 これがもし粗暴なる性格の主であったならば、気晴らしにこの場にいる部下全員を相手に、本当に殺戮を始めていたかもしれない。

 だがメリュジーネはまかりなりにも名門出の大貴族が一人であり、年齢もそれなりに重ねた大人の女性だ。己の中に生まれた暴虐の限りをつくしたい欲望を抑えるのはそう難しい事ではない。


「……ふー~……。失態も失態、大失態だわ。何もかも後手に回りまくってるじゃないのよ……」

 殺意が矛をおさめ、執務室を満たしていた恐怖は霧散する。猛烈な汗をかいていた部下達は途端にズルズルと床へと落ちて、忘れていた呼吸を再開する。

 立ったまま耐え切ったロディも、さすがに大きく深く呼吸を吐いた。

「申し訳ございません、メリュジーネ様。すべては我々の手落ちでございます」

 実際の執務の大半は部下達が行っている。ならず者達の大移動を知り、天使達の悪巧みを突き止める機会がありながらの此度の事件は、彼らの不徳と責められても仕方ないだろう。ロディをはじめとしたその場にいる部下の全員が頭を下げていた。

「…違うわね。あんた達ばかりの責任じゃない。私も…それに、コレ…」

 いつだったか、ミミより送られてきた手紙。それはこちらから遊びに行く以前に届いたものだ。

「こちらは順調だからなんの心配もない…ってこの手紙がなかったら、もっと早くにヤバイ流れが、ミミちゃんとこアトワルト領に向かってることに気付けたかもしれないのにっ」

 悔しくて再び癇癪を起こしそうになっているメリュジーネだが、その言葉を受けて、ロディはふと違和感を覚えた。

「メリュジーネ様、そのお手紙を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」

「? え、ええ…そりゃ構わないけど、フツーの世間話くらいしか書いてないわよ??」

 はい、と片手でひらひらさせていた手紙を渡され、ロディは早速その文面に目を通していく。

「(……。この手紙が書かれたのが、メリュジーネ様が前回、アトワルト領へとお遊びに向かわれる前…。届いたのもさほど時を置いてはいませんし、何よりこの文面は……)」

 確かにメリュジーネの言うとおり、内容自体は非常にありきたりな、友人と交わすような普段の定期交流の範疇におさまる雑談そのものだ。しかし節々に何度も、こちらは大丈夫だから、順調に治めてるから、心配無用、といった語句が散見される。

「(これではまるで、メリュジーネ様を牽制されているかのような……? ……いえ、まさしくメリュジーネ様に来て欲しくないと言っているも同然のようにも……、……)」

 普段ならば、メリュジーネという人物が苦手だから、なるべく接触したくないと遠まわしに言っていると解釈する事ができるだろう。しかし、ロディはさらに深く見通す。


「すぐに兵を集めなさい! アトワルト領に…ミミちゃんを助けにいくわよ!!」

「ちょ、メリュジーネ様自らですか!!? け、軽率に動かれますと結局はあちらのご迷惑になるとっ」

 主と部下達が出陣だなんだとギャイギャイ騒いでいるのを尻目に、ロディの中で線がつながりかける。

「(工作員より聞き出した話から推測できる事として、アトワルト領にも連中の仲間が工作を行っていたはず。おそらくはこのナガン領内へと潜入した頃と同時期でしょうが、ならば今回の反乱騒ぎは、アトワルト領へと潜入していた天使の扇動である線が濃厚…)」


「いーから兵を集めなさいっ! これは領主としての命令よー!!」

「そ、そんなぁ! それはズルいですよメリュジーネ様ッ、ダメですってば! メッ!!」

「(そう、兵士です。天使の工作員がアトワルトにて騒動を起こすにあたり、兵士として現地のならず者達など、犯罪者を利用した。なれば彼らが集う事で、治安の悪化などの兆候は表れていたはずですね。アトワルト侯がそれを見逃すような御方とは…)」

 ロディの集中力は、もはやメリュジーネと部下のやり取りすら置き去りにしはじめる。

「(やはり知っていたと見るべきでしょう。その上でアトワルト侯には何がしかの考えがあり、しかして軍を率いてメリュジーネ様が乱入してくる可能性をご懸念された。この手紙はそれを防止するための事前の釘刺しが目的…)」

「(ですが、このような手紙一つではメリュジーネ様を押し留めておく事は不可能でしょう。どのみちこちらにも情報が流れてくれば、メリュジーネ様が暴走なさる事、アトワルト侯にもわからぬはずはない…と、なると手紙の効果はメリュジーネ様が思わぬ行動に出るのを遅滞させる程度……)」

「…ディ、…ねぇ、ちょっとロディ!? 何一人でブツクサ言ってんの、ねぇロディってば!!」

 ふと気がつけば、主がカラダに撒きついて頭の上から自分を呼んでいた。

「おぉ、これは失礼をば。少しばかり深く考え過ぎていたようです」

「…ま、いいんだけど。それより聞いてよロディッ、こいつら私の命だっていうのに兵を集めちゃダメだって言うのよぉ!?」

「当然です! メリュジーネ様の御立場は非常に重いもの…軽々しく軍を起こし、他領へと進軍なされるなど、一体どれほどの大事だと思っておいでですか!!」

 どうやら主と部下の言い争いは、部下達が踏ん張りきったようだ。微笑ましいものだと軽く笑みを溢しながら、ロディは口を開く。

「彼らの言うとおりです、メリュジーネ様。ご自重くださいませ」

「Booッ、ロディまであいつらの味方するわけぇ!?」

 執事の言葉に部下達が、さすがはロディ様だわかっていらっしゃる、と口々に褒め称える中、今度は彼らに意地悪をするような気分になり、つい口の端を釣り上げる。

「ですが私めが考えまするにメリュジーネ様。大々的な軍を起こす事はいけませぬが、そうですな…1000、いえ1500程度は直ぐに出られるよう、準備しておく事を、このロディは提案させていただきます」

 その言葉に、部下達はもちろんの事、メリュジーネまで驚きをあらわにした。

 理由は兵を集める事を進言してきただけに留まらない。やけに具体的な兵の頭数がロディという非凡ならぬ者の口から紡がれたのだ。

「…どういう事、ロディ? 何かわかったの?」

 少しマジメになって問いかけてくる頭上の主に対し、ロディは肯定のかわりにしたり顔で微笑んでみせた。

「所詮は欲深き者達、という事です。メリュジーネ様ご出陣においての、こちらの難題をあちらが勝手に解決してくれる事でしょう。故にその時に直ぐに動く事ができ、なおかつ “ 理由として最適 ” な頭数を準備しておく事が、現状におけるアトワルトの反乱に対する、我々が取るべき最善手であると、わたくしめは確信いたしております」




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