第43話 第7章2 傷痍の中の遭遇



――――ミミが囚われてより3日目。


 スライムのムームは、ようやくオレス村を望む位置まで街道を進んできていた。しかし…

「むー…、むずかしいのー」

 自在に姿を変えられる彼女だが、村の出入り口にたむろするならず者達を見て、それ以上進むのを躊躇っていた。

 自分の能力を知らない相手ならばともかく、ムームはアレクス革命軍が蜂起する前からドウドゥル駐屯村にいた。ならず者達は当然彼女の変幻自在の能力を知っているし、多くのならず者達がその能力に “お世話に” なっている。

 実際、オレス村入り口前にいる数名のうち、半数は見たことある顔ぶれだった。

「げほ、ごほっ…。ど、どうした? 何か問題か…?」

「あ、ドンドン起きたー? …うんー、オレス抜けるの、ちょっとむずかしいっぽいー」

 そう言うと、ムームは自分のお腹の辺りの透明度を少し上げる。手当てを受けているとはいえ、まだ2、3日程度の休養では回復らしい回復もしてないドンは、咳き込みながら外の様子をうかがった。

 スライムのカラダの便利さに改めて感心しつつも、透明度の高い部分から覗く光景に顔をしかめる。

「オレス村もか…。くっ、ぅ…、ちくしょう、奴ら…いてて」

 なるほど、村の周辺は適度に開けていて見通しがよい。加えて外回りで巡回している連中がいるらしく、まだかなり遠くではあるがこちらに向かって歩いてい来る4、5人の姿も確認できた。

「ドンドン、興奮するのよくないー。おちついてー」

 そう言うとムームは、そのまま街道を外れて手近な茂みへと移動する。村の様子がよくわかるが、同時に容易く見つからないよう、位置取りに気を配る事も忘れない。加えてカラダの一部を草木に変形させ、より完璧な潜伏態勢を整えた。

「このまま夜まで待つのー。そのほうが安全ー」

「……すげぇな。自然物にまで化けられるのか」

 加えて、子供っぽくも知能の低そうな口調とは異なり、よく気が付くし、判断力や状況把握力も高い。ムームは思った以上に優れた者なのかもしれないと、その腹の中で休むゴブリンは感心に感心を重ねつつ、瞼を閉じた。




「…ん、あ…? お、…もう夜、なってんのか…」

 瞼を閉じて一瞬で、昼夜が逆転してしまったような気分だった。ドンは、自分のケガが休眠を必要としているほど深いものなのだなと再認識しつつ、周囲を見回す。

 相変わらずの半透明なスライム越しながら、辺りは小動物や虫の鳴き声ばかりで、村の方も静まりかえっているのが確認できる。

「移動するなら今しかないな。…ムーム? おーい、ムーム??」

「は…ふわぁ~? …ムーム、寝てたー。夜なってるーの…ふぁぁぁ」

 相変わらず間の延びた口調は、なんら変わらないように思えるが、ムームもここまでドンを連れて移動してきた疲労が溜まっていたのだろう。彼女が大あくびすると共に、スライムのカラダの中を大きな気泡がゴポポッと音を立てて上っていった。

「…オレス村を抜けちまえば、マグル村まではもうすぐだ。頑張って行こうぜ」

「お~、なの~ぉ」

 ドンは大丈夫か、などとは言わない。ムームの体調を心配しないわけではないが、ここで長時間休息を取るのは安全とは言い難いのだ。

 移動できる時に移動し、休みを取るならば確実に安全が確保できる場所に行き着いてからでなければならない。

「(ムームの変幻自在な能力はすげぇけど、だからって戦闘まで得意になったりするようなものじゃあねぇからな…。厄介な相手に出くわさねぇうちに、先を急いだ方が―――)」


 しかしドンの不安は早々に裏切られた。毛のないはずの頭から毛が逆立つような思いで、月のない夜の下、目の前に立ちはだかった相手を見る。

「~? 貴方はどちら様でしょーか?」

 ムームが普段の口調をひそめて、可能な限り知的な言葉遣いをもって問いかける。だが、相手はさも可笑しいと含み笑うばかりで、その問いに答える事なく口を開く。

「こんな夜ふけに、それも闇の中を村を遠巻きに見ながら移動する者がいる故、何者かと期待したが…なんてことはない、ただのスライムとはな」

 ムームの腹の中にいるドンにもハッキリとわかるほど、彼女が動揺している。カラダを形成しているスライムの肉の表が緩やかに波打ち、ドンのいる腹中には小さいが水漏れを起こしている――恐怖を感じている証。

「…強者との戦いを期待し、くだらん革命“ゴッコ”に参加したものの…いまだ、我が望みは達せられぬ、…か」


 ブツブツとつぶやきながらゆっくりと近づいてくる。距離が詰まるにつれ、相手の姿が露わになり―――ドンは歯ぎしりした。

「(ヤバい…こいつぁ…)」

 先の大戦において、自ら参加した兵士の中には戦いそのものが参加理由である者も多い。そんな中、その欲求が満たされる事なく生き残った、いわば傭兵崩れな連中は平時においても荒事を渇望し、やがてその身を薄ら暗い陰へと落とす事すら厭わない。それはならず者達の中でも異質の、非常に危険な存在である。

「ムーム、こいつはバトルジャンキー戦闘中毒者だ! 逃げの一手しかねぇ……走れッ!!」

「っ! わかったのーッ」

 それれがスライム族における走る、という動作なのかは不明だが、ドンに促されて変身している姿に合わせた走り方も投げ捨て、スライム特有の地面を滑るような移動をしはじめたムームの動きは素早い。

 以前乗った事のある、霧状に変化したイフスもなかなかのスピードだったが、景色の流れる速さからして、今のムームのスピードはそれに勝るとドンは確信する。しかし…

「遅い」


 フッ


「!? な…」


 妊婦姿から半分スライムに戻ってまで移動に専念するムームに、まるで瞬間移動でもしてきたかのように軽々と追いつき、そして


 ビュオッ!!


「いけねぇっ!! ムーム、俺を外に……いや、投げ捨てるんだっ!!」


 ドン達の上に現れた相手は、そのまま中空で回転し、両手に持っている直刀を振るう。それは、竜巻が横たわったかのような回転の斬撃。


 ズバァム!


 間一髪、ムームは収めていたドンを外へと放つ。二人の間の微かに糸を引いているスライムの残滓が斬り割かれ、ムームとドンはそれぞれ反対方向へと転がった。

「くぁっ…ぐっはっ!!」

「ふぁぁぁぁ~、あうっ。…きゅぅ~」

 それぞれ木に当たり、あるいは草原との摩擦で止まる。そこへ、すかさず飛来する刃!


 ドスッ ザクッ!


「ちぃっ!! ぐっ、痛ぅっ…」

「はぁうっ、い、痛いの~」

 ドンは怪我の痛みを感じながらも、なんとか飛来したモノをかわす。地面に突き刺さったそれは、相手が持っていた直刀だ。

 しかし反対側で苦痛を訴えるムームには、それが完全に突き刺さっていた。

「ムーム!!」

「だ、だいじょぶ~…。痛いけど、へいき~…」

 ズルリと蠢いて直刀から退避するムームは、一見何事もなかったかのように見える。だが彼女のスライム体の一部は直刀にまとわりついたまま動かず、ムームの移動と共に千切れ留まった。ダメージは確実に入っているはずだ。

 完全にスライム本来の姿へと戻った彼女の表情は苦痛に満ちていた。

「(ちぃっ、こいつぁマズイ、マズ過ぎる!)」

 ドンは自分の近くの地面に突き立っている敵の直刀を掴むと、それを握りしめて相手へと向かって弾けるように向かっていった。

 直刀は決して大振りなものではない標準的な長さであったが、怪我をしているドンは、大振りなロングソードを持ったかのような感覚にとらわれてしまう。

「……フッ、愚か」


 ブンッ、ブンッ


 その感覚の錯誤が精細さを欠いた振り回しとなって表れる。相手は余裕で回避してみせるが、それでもドンは虚しく空を切るだけの攻撃を繰り返した。

「逃げろっ! こいつはオレがひきつけておくっ! 早く逃げるんだっ!!」

 ムームは迷うようにたじろぐ。が、さすがに自分がいても何もできない事を理解したのだろう。何事かを言いかけて、しかしその場から急いで離れてゆく。

「死にかけのゴブリンなど、なんの足しにもならぬが…まぁよい。せいぜい命の灯を燃やし、美しき絶命の輝きを見せてみよ」

 敵はムームがいた辺りへと飛びのき、素早く直刀を地面より抜く。同時に、着地の反動で地面を蹴ってドンへと向かってくる。途中で軽く空振って刀身に付着したスライムの肉片を振り飛ばすと、改めて切っ先をドンに向けなおした。

 風が吹き、木々や草が揺れた事で村の明かりが差し込む。向かってくる敵の顔が闇夜の中に、より鮮明に浮き上がった。


 ―――クレイジー・マンティス鬼蟷螂


 インセクト系種族の一つ、マンティスカマキリ系の種族にあって、狂ったように戦闘にのめり込んだ連中。その中でより卓越した者が、更なる力と強さ、そして高みを求めた結果として仲間のすべてを屠り、世に仇なす者たる修羅と化した個体。裏社会でもそこそこ名声があり、ドンもかつて耳にした事のある危険人物であった。


「(ちくしょうが…っ)」

 それは、地上をウロウロしていて良いようなレベルの実力者ではない。

 鬼蟷螂と呼ばれる彼は戦闘技術に卓越し、己を磨く事しか頭にない。その他一切を斬り捨てる事になんら躊躇いがなく、たとえドンが完全な状態であろうと、1太刀で殺されてしまうであろう強者だ。

 自分の武器である直刀を容易く投擲したのがその証拠。ドンやムームがその直刀を手にしようとも、負ける要素がないと確信しているが故の行為なのだから。

「ゴブリン風情、とは言わぬ。せいぜい綺麗な花を咲かせ、散りゆけ」


 ゴウッ!!


 いやに耳に響く澄んだ言葉の後、暴風のような斬撃が襲い来る。

 1撃や2撃はドンでもなんとか合わせて受け止められた。しかし、すれ違いざまに斬りつけられた回数は合計8撃。

 たった1本の直刀から、向かってくる敵とすれ違う際の刹那に放てる手数としては常軌を逸している。


「………がはっ!」

 ドンの全身から血が噴き出す。もともとの傷口も開いたのだろう、まさに血ダルマと化して草原を転がった。


「良き気合いであった。今、その苦しみより解放してやろう」

「か、勝手に…、決めて…、はぁ、はぁ…くれんなぁっ!!」


 ガッ、ギャァンッ!!


 ドンは血をまき散らしながらも地面より斬り上げるように攻撃を繰り出す。

 直刀同士がカチ合い、しなりながら互いに弾かれる。そのまま間合いがひらくかと思いきや、鬼蟷螂はなおもドンに迫るように踏み込み、彼の直刀を持つ手を上から握って――


 ゴリッ


 ――捻った。


「ぐがぁああぁぁぁあッッ!!!?」

 

 絶叫と共にドンの手から直刀が落ちる。だが地面に接するまでに鬼蟷螂はソレをかっさらうように手にすると、そのままドンの胴を真っ二つにせんと横薙ぎの一閃を放つ!


 ヒュゥン


 まるで涼やかな、一陣の風のような音と共に刀は振りきられる。

「終わりだ」


 なんの感情も宿さない終焉を告げる声。ゴブリンの肉体から一滴残さず血が噴き出し、上下に斬り分かれて無残に地面に転がる――――はずであった。


 ボシュゥッ


「!? な、に…これは…奇怪な」

 振り返ると、血しぶきも上がらなければ、上下にも分かれていない。斬り裂いたはずの、そこにあったゴブリンの肉体は煙のように霧散していた。



「ふーん、何事と思って来てみれば、面白いのがいるじゃん?」


 ドンは、自分に何が起こったのか理解できずにいた。鬼蟷螂に斬られたのではないのか? なぜ自分は――――悪戯魔族グレムリンの女に首根っこを掴まれて持たれている??

 しかも女は、いかに小柄なドンの身体とはいえ、まるでボールでも持っているかのように左手で軽やかに扱っている。その反対側、彼女の右脚にすがりつくようにして寄り添っているムームも、何が起こったのかわからず、目をパチクリさせていた。

 おそらく彼女は、ムームが避難中に遭遇し、助けを求めた者なのだろう。

「…え、えーと、その、なんというか。助けてくれてありがとうございます」

 まだ状況がうまく理解できないままにお礼を言うドンの様子が面白いのか、グレムリンの女はケタケタと笑う。

「お礼ならさ、偶然会った私になりふり構わず助けを求めてきた、そっちのスライムちゃんにしなよ。えーと…」

「あ、俺はゴブリンのドン…って言いやす」

「む、ムームはムームッ!」

 それを聞いて、このグレムリンはますます愉快そうに笑む。しかしその瞳の奥の光が向かう先は、ドンでもムームでもない。目の前の鬼蟷螂、ただ一人に向けられ続けている。

「ほうほう、ドンちんとムーちゃんね。私はイムルンっていうんだ、よろしくねー。んじゃ、和むのは後にするとしてー。二人とも、ちょーっとそっちでイチャイチャしててくれる? ここからは私の楽しい時間だからさ」

 そう言うと彼女は、ドンとムームを無造作に後ろの茂みへと放り投げた。イチャイチャとはその言葉のイントネーションから手当をしてて、という意味である事は容易に理解できる。だが二人は傷の手当てをするどころか、茂みから顔を出して対峙する二人を見る態勢を取った。

 不思議なことに、絶対的な死を覚悟したあの鬼蟷螂ですら、なぜかイムルンと名乗ったあのグレムリンの前では小者にしか見えない。ドンに至ってはイムルンが鬼蟷螂に負ける姿がまるでイメージできず、困惑してしまっていた。






「ふーん、地上にもお前みたいなのがいるなんてねー。…ペロッ」

 直刀と短剣。

 数撃を交わし、イムルンの右肩付近が薄っすら赤いラインを描く。垂れた血をすくい取って舐めてみせる彼女に焦りはない。むしろ別の事で頭がいっぱいだった。

「(うーん…どうしよっかなー。魔王さまに置いといた方がいいかなー? 手ごたえある奴は喜ばれるだろーなー。でもなー…)」

 肩越しにチラッと後ろを伺う。まるで子供がバックネット裏で著名なスポーツ選手の活躍でも見るかのような状態のドンとムームの視線を受け、イムルンはなんだか自分が善なる英雄ヒーローにでもなった気がして背中がむず痒くなた。

「(助けを求められたのは私だし? ここは…ヤっちゃってもいいよねぇさすがに。後で怒らないでくださいよーっと)」


 むしろヤっちゃいたい。思わず舌なめずりしてしまうほどに。


 イムルンにとっても、手ごたえのある戦闘は大好物なのだ。とりわけ地上勤務になってからというもの、敵対するもののレベルの低さに欲求不満気味だっただけに、この獲物はぜひともじっくり味わいたかった。


「………」

 鬼蟷螂はしゃべらない。黙してイムルンを睨み続けているが、その表情に余裕はない。互いに与えたダメージ量、という点で見れば優勢ではある。だが彼ほどの実力者ともなれば、イムルンの強さが肌で感じ取れてしまう。まるで勝機を見いだせない相手に、優位に戦闘を展開できているとはいえ、このまま攻め続ける事に苦しさすら覚えはじめていた。


「縮こまるにはまだ早いんじゃないの? もっと遊ばせてもらわないとさー…ガッカリさせないでよねー、頼むから?」

 目を見開き、ともすれば狂人の愉悦とも形容できそうな表情を浮かべ、攻めに転じるイムルンに対し、鬼蟷螂は歯噛みしながら応戦する。


 キキィンッ! カッ、ガッ! ギィンッガギン! ギャキンッ!


 短剣と直刀。リーチでは勝るが手数ではやはり1歩短剣に譲る。

 防御主体でようやく全撃をいなした鬼蟷螂。一撃たりともその身に刃を受けこそしないが、再び攻撃に転じる隙も見い出せない。

「うんうん、そうでなくっちゃあね。く~、ウズウズするぅ~♪」

 今すぐにでも殺してしまいたい衝動。戦闘者にとっては、手ごたえのある獲物を仕留める時の快感ほど得難い楽しみはない。奇しくも鬼蟷螂にしても、それは大好物であった。

 だがそれは自分が勝利者とならなければ味わえない至上の美食である。このまま押し切られては、その御馳走にありつけない。


「…ぐっ、ならばッ」

 鬼蟷螂は一気に上半身をかがめて後方へ弾かれたように飛ぶ。追いかけて来ようとしたイムルンに対し、左右の直刀を前方でクロスさせてけん制し、ようやく数歩分の間合いを取るや否や、間髪入れずに攻撃を繰り出した。


「おっ?」


 ヒュゥンッ! ヒュゥンッ!! ヒュゥン!!!


 しかし、鬼蟷螂が新たに繰り出してきた連撃を、イムルンは…かわす、かわす、かわす。

 右へ身をひねり、左へ側転し、後方に仰け反り、飛び跳ねて反転し……まるでダンスを踊っているかのような軽やかな身のこなしで、イムルンはすべての攻撃を回避してみせた。

「いいね、いいね。そうこなっくっちゃあねっ」 

 そう簡単に攻撃が当たらないであろう事は、鬼蟷螂とてわかっている。この連撃の意図は別にあった。


「(ふぅん? 撫で斬りかぁ…直刀なんて武器じゃ、やりにくいだろーに)」

 敵の繰り出す剣の軌跡は、振るわれたムチのようにしなやかな曲線美を描いている。それはイムルンに致命の一撃を与えるための斬撃ではなく、肌の表を切り刻む事が目的の攻撃である。

 本来は反りがあったり、形状が湾曲しているような片刃の武器に適した攻撃法の一種だが、完全に真っすぐな両刃の直刀では少々不適切な斬り方であると言えた。

 とりわけ身体が頑強な種族も少なくないこの世界、一撃で大ダメージを見込める攻撃以外の小手先の攻撃というものは、多少斬りつけようがその効果が弱い。

 そのためこうした撫で斬りは拷問目的か、圧倒的優位にある側が楽しむ目的で用いるかというくらいであり、レベルの高い二人の真剣勝負殺し合いで用いるに有効な攻撃とは言い難い。

「さーてぇ? 何を企んでるのかなっと?」


「………」

 イムルンも、ある程度は鬼蟷螂の狙いは理解できる。実力差のある相手に勝つためには、相手の油断を突いての一撃が、最も勝利を引き寄せる方法だろう。

 だからこそ彼女も回避のみに専念し、あえて油断をして見せている。敵が何を仕掛けてくるのかを待っているのだ、ワクワクしながら。


「……なれば…これをも、かわせるかっ?!」

 意を決して鬼蟷螂が跳ぶ。空に、ではなくイムルンに向かって。


 両手の直刀を逆手に持ち替え、そのまま彼女の胸の中央へと全身で飛び込まんとするかのような勢いで突っ込んでくる。

「(ただの突撃…、体当たりタックルでもないよね?)」

 間合いを詰めての玉砕覚悟な捨て身の一撃と判断したイムルンは、正直、期待外れでガッカリしていた。

 判断としては思い切っているし、その意気は買うが、彼女としてはもっと面白い事を仕掛けてきてほしかった。過度に期待しすぎたかと失望を露わにするが、その気持ちの隙を鬼蟷螂は見逃さなかった。



  フッ…、…――ォンッ!!



「な、なんだ?! 見えなかった…き、斬り上げた…のか?」

 真っ先に声を荒げたのは傍観者のドンだった。

 それなりに荒事を経験していると自負するその眼にも、鬼蟷螂が行った攻撃を捉えらる事ができなかった。

 鬼蟷螂はイムルンと接触するか否かの、まさに寸でのところで強烈に踏みとどまり、その運動エネルギーのすべてを自らの直刀に込めて下から上へと斬り上げたのだ。

 ドンの視界にはその初動、地面を這うような位置にあった右手の直刀が、グレムリンのはるか頭上へと瞬間移動したようにしか映らなかった超速の斬撃。

 初動位置から一切湾曲する事なく、真っすぐに上昇した逆手の刃は、グレムリンの正中線を完璧に斬り裂いたはずだ。しかもよく見れば、左手の直刀も横薙ぎに振るっている。完璧な十字斬りだ、目に見えないほどの剣速の。

 しかし鬼蟷螂の絶技は、それを上回る驚きに塗りつぶされる事となる。


「……馬鹿な。これを、避ける…だと」

 その言葉を発したのは、他ならぬ技を放った鬼蟷螂本人だ。

 ともすれば、互いの身体がぶつかるであろう超接近。そこからの目にも止まらぬスピードでの斬り上げは油断なく構えられていたならばなるほど、避けられても仕方ないかもしれない。

 しかし彼は、イムルンの見せた油断からくる隙に、完璧に合わせて技を繰り出したのだ。

 加えて鬼蟷螂が狙ったのはイムルンのその大きな乳房である。胸部に刃の先をひっかけ、乳の肉塊ごとえぐり斬る事で、致命ならずとも心身に痛烈なダメージを与える。

 それによりこの後の戦闘の流れを、自分の有利に傾ける算段であった。ところが…

「惜しい。狙いは悪くないね。…でも、“するど過ぎ”た。こういうのは、適当に荒く入れた方がいやらしくて効果的なもんだよ」

 あの絶技を恐ろしく柔軟に、後ろへと仰け反ってかわした態勢のまま語るイムルン。ブリッジ状態の態勢のその身はいずこも、横薙ぎの斬撃も彼女のお腹や乳房はもちろんの事、その身も衣服も毛1本ですらも斬り払われてはいない。


 ドンはようやく理解の色を浮かべた。

「ま、さか…あのスピードの攻撃を、…胸の間・・・を通したっていうのか!?」

 イムルンはあの斬り上げを察知した瞬間、微かな胴体の動きでもって、自身のバストの揺れをコントロールした。そして乳房の谷間に鬼蟷螂の直刀を通し、さらに横薙ぎにも対応せんとそのまま後方へと仰け反ったのだ。

 だがそれは、0.1mmでもズレれば乳房の内側を擦り、肉を削ぎ落とされてしまう危険極まりないかわし方だ。しかも射程を見誤れば胸部のど真ん中を斬り裂かれ、致命傷を受けてしまう恐れだってある。


 ガッ! ドカッ!!


「くはぁっ!! …くっ、ぐ…ぬ」

 仰け反ったまま、上体を起こすことなくそのまま下半身のみ動かし、サマーソルト後転蹴りで敵を蹴り上げると、今度は全身を捻っての変則型の回転蹴りを放つ。新体操のように伸びやかでしなやかな動きと、卓越した武術の使い手のような俊敏な連続攻撃の動きは、見る者に美しさすら感じさせた。

 今まで冷徹で無表情だった鬼蟷螂が、蹴り飛ばされた先で態勢を立て直しつつ、はじめて苦々しい表情を作ってイムルンを睨みつける。


「毛1本から、爪先まで。自分のカラダを隅々まで把握して動く…そんくらいたいした事じゃないっしょ」

 そう語る気楽な口調と表情とは裏腹に、今までのあっけらかんとしたオフザケな雰囲気はまるで感じられない。

 感情の伴わない冷笑を浮かべる “ 本物 ” が、なお足掻こうとしている鬼蟷螂虫ケラを見据えている。今の二人から感じるのはそんな印象だった。


 寒気。


 見ているドンやムームですら感じるそら恐ろしさを、対峙している鬼蟷螂は今、より強く感じている事だろう。

 そしてドンは気づいていた、彼女が冷笑を浮かべている理由を。

 あれは敵を見下しているわけでも、この程度かと失望しているわけでも、ましてや怒っているわけでもない。

「…よ、悦んで、やがる…。……いったい何者なんだ、あのグレムリンは…?」

 先ほどの技ですら掠りもさせない技量を持つイムルンに対し、鬼蟷螂が勝利する事はもはやありえないだろう。

 ゴクリと喉が唸る。

 敵ではないと思いたいが、助けてくれたからといってイムルン彼女が味方であるとも限らないという思いが、ドンを緊張させる。

 だが、今のうちにこの場から立ち去ろうとする気も起こらない。ドンとムームは、これから始まるであろうイムルンの一方的な虐殺お楽しみを、ただただ傍観し続けるのだった。






「んー! はぁっ…、久しぶりに楽しめたぁ、アハハハ。いやぁ、たまにはやっぱ、こういう獲物もいないとねー」

 思いっきり背伸びをした後、敵の直刀2本と、自分の得物である短剣2本をお手玉のように弄びながら、もう動かなくなった鬼蟷螂の死体を踏みつけ、そして蹴り飛ばす。

 仰向けにうつ伏せにと二転三転してから止まった屍はピクリとも動かない。だがイムルンはトドメとばかりに直刀2本を鋭く投げつけ、死体の首と腹部に突き立てた。


「むー…あそこまでする、必要あるー?」

 ムームが顔をしかめながら訊ねてくる。その気持ちはわからないでもないが、ドンはイムルンの行為は正当なものであると理解していた。

「強い敵が、実は生きてました、なんてのは悪夢でしかねぇからな。ああやって確実に死んだかどうか確かめるもんなんだ。雑魚ならかまやしねぇけど、死んだフリしてこっちが背中見せた途端ズバッってのが一番キツい。残酷っちゃあ残酷だけど、彼女の行為は…ぐっ、痛つつ…ッ」

 戦闘が終わり、安堵から張っていた気が緩んだのだろう。さらに増えたドンの傷が大音量で合唱しはじめる。

「あらら、大丈夫? にしても珍しい組み合わせだねぇ、ゴブリンとスライムって。こんな夜遅くに、なんかワケありかな?」

 いつの間にかすぐ近くにいたイムルンが、事情があるならお姉さんに話してみ? とでもいわん態度で顔を近づけてくる。

 戦闘中に見せていた、残虐さを垣間見せる笑顔とは違う。お調子者が仲間を気遣う時に浮かべるような、見る者を元気付けるような笑顔だ。そこに裏表は感じられない。

「…はぁ、はぁ…ふぅ、だ、大丈夫…って言うほど大丈夫じゃあねぇけど。…一体何者だ、アンタ?」


「ああ、まぁ警戒するのはとーぜんだよねぇ。じゃ、改めて自己紹介だねー。私はグレムリンのイムルン=ヴラマリー。気楽にイムルンって呼んでくれていーよー」

 ムームが支えてくれているおかげで、なんとか顔をあげていられる状態のドンには、イムルンと名乗ったグレムリンの笑顔は、なんとも癒させるものを感じる。

 邪気が一切ない笑顔を受けて、ドンは最後の警戒心を解いて脱力しつつ口を開いた。

「オレはゴブリンの…はぁはぁ、ドン…ドン=オンブラ…っつーもんです」

「ムームはスライム。名前、ムームだけー」

 事前に名乗ってはいたが、改めてキチンと名乗っておくべきというドンの雰囲気に合わせたのか、ムームも名乗る。だがイムルンという者の善悪さを測りかねているらしく、警戒したままスライムの身を固く強張らせて(?)いた。

「あっはっは、そんな緊張しなくったっていいってムーちゃん。別にとって食べやしないから」

 明るく振る舞うイムルンは、先ほどまでと同じ人物とは到底思えない。ほがらかで奔放そうな物腰の女性だ。その恰好もよく見れば随分と奔放極まりないものだが。

「助けてもらったのは事実だしな。とりあえず礼を言っとくよ。…見たとこ、奴らの仲間ってわけでもなさそうだしな」

 そう言ってドンはちらりとムームを伺う。もし反乱軍の関係者ならば、ムームが知っている可能性があるし、何より鬼蟷螂ほど名のある奴と顔見知りでないはずがない。それと正面きって殺し合うのだから、血に狂っているのでもなければ奴らの仲間である可能性は低いと、ドンは判断していた。


「奴ら? んー、そのヘンもちっと詳しく聞かせて欲しいんだけど、いい? こう見えて、ちょーっとばかしお偉いさんに仕えてる身でねー、魔界の…って言えばドンちんは、だいたい察してくれるかな?」

 イムルンは僅かな時間の間にドンが取った態度や仕草、口調などからそれなりに聡明である事を見抜いていた。こう言えば多くを語らずとも理解を示してくれるだろうと確信を持てるほどに。

「情報収集の諜報員か何かか? …知ってる事はあんまねぇけど、それでもいいってんなら」

 話が早くで助かると、ニッコリ微笑むイムルン。

「うんうん、ぜんぜんオッケーよ。やー、下手に動きづらい状況だしさー、いろいろ基礎的な情報漁るのも面倒でねー。渡りに舟ってやつ?」

 ドンとしては、うまく領主様の頑張りと苦労をお伝えし、その上でその“お偉いさん”とやらを通じて、反乱を鎮める手立てなり軍隊なりを手配してもらえればベストだと考える。

 その点、相手組織にいた経験を持つムームがこの場にいたのは幸いだった。敵に関するより詳しい話を説明できるだろう。

「反乱騒ぎの関係でオレら、マグル村へ行こうとしていたんだ。悪いが、話は移動しながらでもいいか? あまり時間もかけてらんねぇんで…痛ッゥ」

「んー、まぁいっけど、ドンちん大丈夫? その怪我で移動するのはちょっと大変じゃーない?」

「大丈夫なのー、ムームがはこびながら、手当するー」

 そう言うと、ムームは斬られて小さくなったスライムの身体を風船のように膨らませてドンを覆い包んだ―――が、それが精一杯。

 やはり一部とはいえ斬り裂かれたせいで体積が不足し、ドンを包んでなお移動する余力はなくなってしまっている。

 ムームが内心困っていると、イムルンは軽々とスライムを担ぎ上げた。

「わ、わ?」

「マグル村だっけ? んーと、確かあっちの方だよね? んじゃひとっ走り運んであげるから。…ちょーっと口閉じてた方がいいよー二人ともっ」

 片腕でドンを包んだムームを担いでいるにも関わらず、イムルンはその場で軽くトントンと垂直に跳び、何度かステップを踏む。そして小さく行くよ、と告げたかと思うと…


 シュドォ…ッ!!


 自身の周囲、草原の短い雑草を360度全周囲に向けてひしゃげ倒すワンステップで、時速にして150kmほどのスピードまで一瞬で加速し、マグル村に向けて走りはじめたのだった。


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