第44話 第7章3 力無きウサギの武器



―――――ミミが囚われてより4日目。


「ふぁ~、退屈だなオイ」

 ドウドゥル駐屯村の中央広場。木製の壁の色といい、草一本生えていない乾いた硬い地面の色といい、屋根から壁まで木製の家屋の数々といい…、駐屯村に残存するならず者達は毎日茶系色に囲まれた空間の中、暇を持て余していた。

「総大将が館落としたのが一週間くらい前…だっけ? もうあちこちの町や村も制圧してんだろ? なのに俺らはまーだこんなとこで引きこもってなきゃいけないなんてな。貧乏クジもいいとこだぜ」

 最初こそ事を起こすにあたっては、安全で楽な担当だと喜んでる者もいた。しかし美味い汁を吸えるのはいつだって危険リスクをかいくぐった者である。

 もちろん理解はしてはいるが、そろそろおこぼれくらいにはあやかりたいものだと、彼らは欲求不満から頻繁に愚痴をこぼすようになっていた。

 しかもそれを加速させたのは他でもない、4日前の事件だ。

「バフゥムさんもズリぃよなー。相手は領主だからって、俺らの知らねーとこにぶち込んじまってよー。どーせ一人占めしてるんだぜ? いくら留守番組で一番偉いっつったってよー、ヒドイと思わねぇ?」

 たった一人で乗り込み、こちらが領主だと思って捕らえていた女性を助け出し、そのかわりとばかりに捕らえられたワラビットの女。

 バフゥム曰く、彼女こそが本物の領主であり、丁重に扱わないとダメだと部下たちを一蹴したあげく、彼の一存で捕らえた獲物はいずこかへと投獄された。しかしそれがどこかを知っているのはバフゥムのみである。

「まぁそういうなよ。バフゥムさんだって、あの偽領主?を俺らに回してくれたんだ。自分はいいからっつってよ? 一応はそれなりに配慮してもらってんだ、少しは抑えようぜ」

「んな事いったってよー、結局その女もどっか消えちまってさ? 番回ってこなかった奴もまだ山ほどいたんだぜー。回してくれたつたって、これじゃあ最初からなんもないのと変わらねーよ」

 所詮はゴロツキどもである。彼らのいうところの公平とは、バランスの取れた実入りの配分ではない。仲間がその欲望を満たしている時は、己が我欲も満たされている事こそが公平なのである。

 量や配分の多寡でも不平不満は出るが、欲深い彼らはいかに事前に美味しい思いをさせてもらったといっても、今現在において欲求が満たされない事が不満なのだ。

 何せ彼ら全ての根底にある、ならず者たる原動力とは、あらゆる欲望を自分一人が独占し、満たし続けたいという強欲に等しく突き当たる。

 理非でもなければ、理屈でもない。ただただ自分が思うところの、欲が満たされる事のみを追い求めて止まず、その強欲の頂に達しない限りは、無限に次の欲を求め続ける、どこまでも罪深き者達であるがゆえに反社会的犯罪者ならず者と呼ばれているのだ。





 ピチョン……ピチャンッ


 何時間もかけてようやく膨らんだ水滴は、成長した自重によって天井より離れ落ちる。

 ドウドゥル駐屯村の内部は、この地域特有の強い湿気を緩和するように、地面も家屋の随所にも除湿乾燥の工夫を持って建設されている。

 しかし、その位置する場所は大湿地帯のほとりだ。この地下牢の中にも地面に蓄えられていた湿気が抽出され、キッチリ隙間なく分厚く作られているはずの石天井すら浸透し、こうして何時間かに1度、滴り落ちてくる。


 今のミミにとってはそれが、現在の時刻を知るための時計変わりとなっていた。

「……朝、かぁ。んー~、~~っはぁ」

 あらぬ態勢で鎖に繋がれ、思いっきり背伸びができないのがもどかしいが、彼女は目をあけて可能な限り背や四肢を伸ばしつつ、深呼吸した。


 ギシッ…ジャララッ…


「…にしても、これはさすがに予想外だったなー。うー、腰にきそう」

 囚われたミミは、鎖につながれる事こそ想定はしていた。だがそれは、牢獄の石壁に両腕を広げた状態で繋がれたり、両脚に重量のある鉄球のついた枷をはめられたりといったイメージでだ。

 ところが現在の彼女の恰好はというと、天井から吊り下がっている2本の鎖に、両腕を高く上げた状態で繋がれ、上へと引き上げられており、両脚もそれぞれが左右の壁に向かって伸びる鎖によって引っ張られ、肩幅分開脚させられた状態で立っているカタチだ。しかも鎖の長さは絶妙で、四肢はほとんど動かせない。

 さらに天井から吊り下がっている鎖と、足を拘束している鎖の前後位置は微妙にズレており、ミミは上半身を前のめりにし、後ろにお尻を突き出しているような不自然な態勢を強いられていた。

「…うーん、せめて座りたいなぁ」

 その装束はこの4日で痛みきっており、バストのカップ部分は完全に破り捨てられている。柔らかく張りのある両乳房が床めがけて零れ落ちそうに伸びをしているのを、彼女の長く豊かな髪の一部がかろうじて隠している。ヒップ部分も乱暴に破かれた跡があり、尻尾と後髪で隠せはするものの、でん部お尻と股間部を包む布は一切なくなっている。伝線しまくっているストッキングは、もはやその脚を保護する役目を果たしていない。

「せめてスカートがあったら…うーん、でもどのみちあのバフゥムにボロボロにされただろうし、メルロさんに使ってやっぱ正解かな」

 そもそも行動中は邪魔になると思い、スカートを外して動き回っていたのが、メルロ救出に際してスカートをつけてきたのは、彼女がヒドイ目にあっている事を見越していたからだ。元々救い出した際に彼女の身を包む目的でつけてきたものなのだから、ミミの事前予定の上でもなんら間違いはない。

「(ホント、いろーんなものが足りないなぁ…私は。だからこそギリギリのところでなんとかしなきゃならなかったんだけど、…はぁ~ぁ)」

 貧乏領主&力なき貴族の悲哀を、ダブルパンチで改めて痛感させられ、口を開けばため息を漏らすか嘆きを堪えるように苦笑するばかりだった。



「ま、今やれる事はこれ・・だけだって事にはかわりないし、バフゥムが来る前になるべくたくさん・・・・済ませとこうね」

 彼女以外、誰もいない冷たい石に覆われた牢獄の中、まるでミミは誰かに語り掛けるようにつぶやく。

 そして軽く目をつむると、自身の全身に宿る魔力を操作しはじめた。

「(睡眠で少しは回復したけれど、完全に回復しきるのは無理だし…、どうしても日をおうごとに “ 量 ” は減らざるをえないのは…)」

 辛い。

 全身の魔力を高め、集中し、そして――――減ってゆく・・・・・

「んっ…やっぱりこの減少する時の感じは…体に響くなー…」

 ともすれば、ここ毎日受けているバフゥムのねちっこくも執拗な “ 拷問 ” よりも負担は大きいかもしれない。

 しかし “ これ ” ばかりはやらねばならない。脱力感とじんわりと滲むような苦しみが全身を覆う中、他人との性行為を食事とする事の出来る知己の顔が頭をよぎる。

「あはは…こういう時、シャルさん達のような種族は羨ましいかも」

 全身の魔力が明らかに減っていく。それは例えるならば手の平の上の砂金を、全てを溶かす溶岩の中へとサラサラ零れ落とすのを見ているかのような気分――もったいない――になる。

 それでもやらねばならない。無駄に終わる可能性が高いとわかっていても、低確率とはいえもし上手くいったならば、これこそ最後の一手、それも一番安定した手となるはずだから。





 ミミが目を覚ましてより1時間ほどが経過した頃に、それは突然起こった。


  ガコッ…ガコ、ガコ…、ゴコッ…


「?」

 驚きはしない。

 何が起こってもどのみち鎖で繋がれている現状では、何ができるでもないのだから、ミミにとってはなるようになれという選択をするより他ない。どのような事態が起ころうとも、冷静かつ悟りきった老人のように落ち着きはらったままでいられる。

 それがたとえ、妙な音と共に牢獄の壁の石の一つが、急に動き出そうとも、だ。


 ガココンッ! ゴトンッ!!


 大きさにして横60cm×縦30cmほどの壁の石が牢獄の中へと落ち、ぽっかりと長方形の穴が開く。続けざまに顔を出したのは、土竜人族とおぼしき頭だった。

「ふー、やっと開通した…おっと、アッシは怪しいもんじゃないぜ。見ての通り、土竜人族のモーグルってもんだ。アンタが囚われの領主様で間違いねぇな?」

「ん、まぁね。こんな恰好で挨拶するのは失礼で申し訳ないけど…はじめまして、この地の領主、ワラビットのミミ=オプス=アトワルトです」

 ミミにしては初対面の相手に対して珍しく、最初からラフな口調で話す。相手が何者かもわからないが、こういう場に加えてこんな状態で貴族らしく振る舞うのも滑稽なだけだろうし、何よりモーグルと名乗った土竜人族に、ある種の違和感を覚えたからだ。

「それで、私になんの用かな? ここにそんな入り方してくるって事は、少なくとも内密の用事っぽいけど」

 仮にバフゥムの知り合い、もしくは連中側・・・であるならば、堂々と牢獄の入り口から鍵を開けて入ってくればいい。にもかかわらず、いかに土竜人族といえど地中を掘ってこんな朝早くにこの場に立ち入ってくる必要はないはずだ。それも壁に穴をあけてまでして。

 ミミが自身の背景を推察しているその口ぶりに、モーグルは驚愕して目を見開いた。そして大きく開いた瞳が、暗い地下牢獄の中の彼女の全身を改めて捉え直す。驚愕はすぐになりを潜め、その表情はしかめられた。

 そんな土竜人の顔は、我が事でもないというのに今にも泣きだしそうな哀の色へと変わってゆく。

「あはは、ヒドイ恰好でしょ。まぁ私自身こうなるのは想定内の出来事だから、そんな顔しないで?」

 本人はそう言うものの、その酷さたるや客観的に自身を見れないミミが思っている以上に酷い姿だ。

 豊かで綺麗だったであろう髪は汚れ痛み、瑞々しさを失って力なく垂れさがっている。衣類は改めて見るまでもなく、裸となんら変わらないほどボロボロにされ、そして何より肌の露出した部分に刻まれたムチや拷問器具に責められた跡が彼女に襲い掛かったこの4日間の酷さを更に際立たせていた。


 ワラビットも獣人系種族だ。高い生命力があるため、こうした傷も跡も残さずにいずれ治癒するだろう。しかしそれがわかっていてもモーグルは、男として彼女をこんな目に合わせている者に対し、言い知れぬ憤りを覚えずにはいられなかった。


「あ、あー、と…それでだな。アッシが来た目的だけどよ、ズバリ助けに来たんだ」

 とりあえず沸き立つ感情を抑え、モーグルは自分の目的を語りだす。ドミニクを魔王の待ち構えているところへと誘導し終えた後、彼がドウドゥル駐屯村にやってきたのは他でもない、こういう事態に際して囚われた領主側の者を逃がすためだった。

 もちろん内部の情報収集や、ならず者達の活動をなるべく不活性化させるように誘導する目的もあるが、ドミニク神界側の工作活動が功を成す事を防ぐためにも、現地要人の救出は優先されるべき事だと彼は判断し、彼女ミミの居場所を少しずつ捜索していたのだ。

「助ける? …私を?」

 キョトンとして聞き返すミミに、モーグル頷いてみせる。だがそれでも彼女は、喜色を浮かべるでもなく、これといった感情を露わにはしなかった。

「んー………。……えーとね、ここを探り当てるのに苦労してきてくれたと思うけど、それは無用」

「! な、なんでだ!? それにどうしてここを探り当てるのにアッシが苦労したと―――」

「ここって、あのバフゥムっていう犬頭しか知らない牢獄でしょ? この4日、彼以外に出入りしていない事からしても、私をここに拘束しているのはあの犬頭が私を独占して、他の仲間にも内緒にしてる事はほぼ確実だろーし」

 実際、モーグルが彼女が囚われてから4日目にしてようやくここに来れたのも、まさにバフゥムがミミを投獄している場所を誰にも言わなかったせいで、探り当てるのに時間がかかってしまったからだ。

 モーグルは思わずゴクリとツバを飲み込んだ。牢獄からの脱出を手引きするのを断られたのはこれで2度目だが、両者には決定的な違いがある。

 満たされた地位と力、環境を有したアズアゼルとは異なり、ミミはというと中流貴族でさしたる権力も生まれつき強い能力も持たず、こんな片田舎の領主という労苦の身の上である。

 そんな彼女から大貴族アズアゼルとすら比肩できるような知性と聡明さを感じ、この小さな土竜人はアズアゼルに対する恐ろしさとは異なる、良い意味でのゾクゾクを感じ得て背中を震わせた。

「んでもって、えーと…モーグルさん。うん、誰かお偉いさんの命令で連中のとこに潜り込んでるんだよね、たぶん?」

 さらにギョッとするような事をサラッと口にするミミ。さすがにモーグルがこの駐屯村にいる背景に、魔王が絡んでいる事までは想像できないだろうが、この邂逅かいこうから僅かな時で、相手のさらに向こう側にいる者を想像するなど、なかなか出来る事ではない。

「でなきゃいくら穴掘ってとはいてここまではなかなか来れないし、ましていくら領主だからって会ったこともない私を善意だけで助けるには過度な労力と危険を払う事になるよね?」

 もはやあいた口が塞がらない。自分の置かれている状況、立場、現在の情勢などから分析しているのだろうが…

「(これが領主って立場にある奴の…)」

 もっともミミの場合は、貴族として貴族社会の中でもやっていけるよう培った見抜く目であるのだが、どのみちモーグルからすれば驚愕の連続である事に変わりはない。

「何より私が連中に捕まった事、おそらくまだこの駐屯村以外は知られていないはずだし」

 対外的には捕まった事は流布されているだろうが、それはあくまでメルロの事。彼女を領主と勘違いしての話がまだ生きている。

 メルロをここに連れてくる際に、バランクが本物の領主でないことに気づいてからというもの、今もなお自分ミミを探し回っている事だろう。

 もしバフゥムが正直に、本物の領主を捕らえた事を報告しているなら、バランクは真っ先に戻ってきて、バフゥムに是が非でもここの事を聞き出し、やってきているはずだ。それがない、ということはつまり、

「領主である私を捕らえた事は連中の間で広まっている。けれど、そこには連中の間でちょっとした情報交換の差異があって、あの犬頭バフゥムはいまだその辺を正そうとはしてない。そこから考えられる事は―――」



 ガチャ、ギィィィ…バタン。


 その時、かなり小さな音だが、上の方で木造扉が開き、そして閉じる音がした。目の前のモーグルはその音に気付いていないようだが、ワラビットの聴力はハッキリとソレを捉え、ミミに全力の警戒を促す。

「モーグルさん、話はあとっ! あの犬頭が来るっ」

「なっ!? わ、わかった、アッシはひとまずここから出て―――」

 しかしモーグルが牢獄から退去に対し、ミミは首を横に振った。

「ダメ、ここにいて。開けた穴もそのままで」

 だけどよ、と言い淀む相手に構わず、ミミは声のボリュームを抑えつつ、次々と指示を飛ばし、彼に行動をまくしたてた。

「…で、その場合であれば先の通りに述べれば大丈夫なはずだから。それで次は私の後ろへ来て、疑われる可能性が高いからフリではなく―――」





 バフゥムは、己の鼻に多大な感謝をしていた。自らにとって最高に美味しい獲物を常にかぎ分けてくれる、この世で最も頼れる相棒は、まさに最高の獲物を彼のものへと変えてくれたのだ。

「へっへっへ……ジュルリ、まったく。こう毎日ヨダレが止まらないなんてなぁ」

 ドウドゥル駐屯村の奥、小さな物置小屋の一角に、浮きだすように置かれている石板。それをズリ動かせば、彼しか知らない地下牢獄への入り口が開く。

 この地下牢獄はかつてはただの穴倉だった。本来の目的は地下蔵だったのだろうが、バフゥムが組織に合流して以来、ひそかに牢獄へと改築したものだ。

 その目的はほかでもない。この地で得られるであろう、最高の獲物を誰にも知られる事なく、隠しておくためだ。

「ヒッヒッヒ…そろそろあのバランクの野郎が持ってきた財宝の数々も運び込んで来なきゃあなぁ。誰にも見つからねぇようにするのが大変だが…ジュルリ」

 何度も何度も舌なめずりを繰り返す。そのたびにヨダレは地下牢獄への階段の一段一段へと滴り落ちてゆく。

 ここ4日、毎日あれほど激しい “ 拷問 ” に勤しんでいるというのに、今日も朝からはち切れんばかりの元気の良さを示している下半身。少しばかり自重しろよと、まったく自重させるつもりのない声で諫めた、気持ちのいい朝の目覚め。

 バフゥムの心持ちはまさに上機嫌、いや有頂天の盛りにあった。


 しかし、階段の下りた先で見た光景は、彼の気分を著しく墜落させる。


「…よぉバフゥム。ひどいじゃあないか? こんな獲物を独り占めしやがってよぉ」

 大好きな兎ちゃんの腰に、小さな影が引っ付いている。

 矮小な土竜人。しかし組織の中ではアレクスに次ぐ…いや、あるいは同等の存在といっても過言ではない、ある意味で扱いに困るうっとおしい相手が、バフゥム最高の獲物の尻に引っ付いていた。




「………」

 目の前で時が止まったかのように静止しているバフゥムからは、明らかに過ぎる怒気が感じられる。

 元々小心者なモーグルだ。それを自身に向けられている理由もわかるだけに、恐ろしさで全身の毛が逆立ちそうになった。

 だが彼は持ち前の虚勢をフルに張り立たせ、縮み上がった肝をはたいて、バフゥムから視線を逸らさず、睨み続ける。

 交差する目線に込める感情はもちろん “ 獲物を隠していた仲間への非難 ” である。

「……これはこれは、モーグルさん。ちょっぉとばかし、はしたないんじゃあないですかねぇ? 他人の “ 金庫 ” に穴まで空けてくれちゃったようで?」

 ゾクリとする。

 怒気は、殺意に変わっていた。だがこの牢獄という閉鎖空間――ミミと自分以外他に誰もいない場所――でバフゥムが殺しにかかってこないのは、モーグルがドミニクという不動の存在が導いたこの組織の頂点に近い者であるからこそだ。

 殺意こそ放っているものの、まだバフゥムの中ではモーグルを始末するという選択にまでは至っていない…いや、至れないのだろう。

「おいおい、勝手に “ 隠し・・金庫 ” なんざ作って大丈夫なのか? まかりなりにもここは俺らの本拠地・・・だろうに、あとでアレクスやドミニクさんに叱られたって、知らねぇぞ?」

 ピクリと反応する犬頭の耳。ミミがバフゥムとの会話のポイントとして教授してくれた、権力的上位者の名を絡めた発言は非常に有効に働いたらしく、バフゥムからみるみる殺意が萎んでゆく。

 彼にしても個人的企みで組織に属していた事は想像にかたくない。現時点では、まだバフゥムとしても組織内で馬脚をあらわす事は避けたいのだろう。その眼光から怒気は失せて冷静でいやらしい、いつもの輝きを取り戻す。

「はっは、それは困っちまうなァ…。しかしよくここがわかったもんだな、モーグルさんよ?」

「ん、ああ…たまたま地下がどうなってるか調べようと思って掘ってたら偶然な。地面の中に明らかに人工的に切り出されたカタチの石が並んでたからよ、怪しいもんは調べないとだろ?」

 

  ―― バフゥムの意図は、他の者にバレていないかという確認 ――


 ミミがぽそりと、バフゥムの言葉の裏に込められた意図を教えてくれたおかげで、モーグルは窮地を脱する。元々こういう緊迫した場面での言い合いなど不得手な彼には、大変ありがたい助け船だった。

「んで、だ。バフゥムよ…お前さんが獲物を隠してるのも理解できないわけじゃあないんだが…」

 そこまで言うと、バフゥムが明らかに不快だと言わんばかりに睨みつけてくる。怯みかけたモーグルだが、下半身をギュっと締める感覚に応援されて、かろうじて勇気を保った。

「いい加減、他の連中にも “ おごって ” やったらどうだ? 領主を捕らえた事は、ここに残ってる奴全員が知っている事実だ。もう随分と結構な不満がお前さんに向けられてるぜ?」

 下っ端の不満などどうでもいいが、冷静さを取り戻したバフゥムにとっては無視できないものでもあった。何せ獲物モノはアレクス革命軍の最大目標といっても過言ではない人物ミミである。

 もし不満から下っ端が上に、アレクスらに報告でもしたなら、このまま独占し、隠し通し続ける事はできなくなるだろう。下手すると取り上げられてしまう。

 それはバフゥムにとってはなんとしても避けたいはずだ―――ミミはこの4日間の責めを受けている間に、バフゥムの異常なまでの自分への固執を知り、逆に自分の存在がバフゥムの組織内での立ち回りに影響すると踏んで、モーグルにバフゥムとの対話に利用するよう話ておいていた。

「……。……チッ。いや、なんでもねぇですよっと。…そりゃあもちろん、仲間たちにも美味しい思いはさせてやりたいと思ってないわけじゃねぇけどな。ホラ、こいつぁ “領主” だろう? ただ “ 拷問 ” するだけじゃあなく、情報を引き出すって事もしなきゃなんねぇじゃあないか。下っ端どもじゃあそれは難しい…で、オレが一人で責任もってやってたってわけで…」

 やたら饒舌だ。バフゥムは無口というわけではないが、基本無駄口を叩かず明瞭簡潔な会話が多い奴である。


  ―― 迷い。自分の欲望と、立場の崩壊というリスクとの天秤で揺れてる ――


 またしてもミミがアドバイスをつぶやいてくれ、モーグルはなるほどと得心する。ならば事前に、彼女が言っていた通りに話を持っていく事が出来るだろうと思い、モーグルは予定通りに話を切り出した。

「なぁに。別にお前の所有で構わないさ。獲物を取り上げようってわけじゃあない。ただ、少しばかり他の連中にもおこぼれをくれてやれ、ってだけの話さ。……なんなら、最終的にお前の思うとおりになるよう、計らってやらんでもないぜ? もっともアッシにできる事はそう多くはねぇとは思うが、な」

 バフゥムの顔色が少しだけ明るくなった気がした。が、すぐに影が差す。今度はこちらを疑っている目つきだ。

 当然だろう。無条件で他者を助ける者はそうはいない。とりわけ彼らのようなならず者の世界では、何かにつけて我欲が付きまとうものだ。助けてやる、そのかわり…があって当然なのだ。

「……モーグルさんよ。オレに手ぇ貸す裏で、何企んでんだぁ?」

 やはり来た。そしてこちらの腹の内を見透かさんとするような嫌な視線。ここからは言葉だけでなく、指先一つ、瞳の動き一つも間違えられない。

「何、アッシはドミニクさんの知り合いってだけで、なんら美味しい思いをしてねぇんでね。かといって働きもせずに “ おこぼれ ” にありつけると思うほどバカじゃあねぇ。多少の女と多少の金……そのくらいの実入りは欲しいのさ、遠からずココ・・おサラバする・・・・・事になる前にな」

 またしてもバフゥムの耳がピクピクと蠢く。モーグルは感心すらしていた、ミミの分析と先見性、いや相手を見抜く力に。

 ミミはバフゥムの個人的な狙いのほとんどを、僅かな判断材料だけで既に看破していた。そしてモーグルがどう切り出せば相手が乗ってくるかすらも見えていた。


 しかし、罪悪感が残る。いかに、いかに気取られないためとはいえ…


 バフゥムは最後の疑念を振り払うため、ミミのお尻に抱き着いている恰好のモーグルを横から見んとしてくる。そこには確かに、ミミとモーグルの隙間から、両者が繋がっている事が伺い知れる影があった。

 それを確認して、ようやくモーグルへの疑念の一切は、バフゥムの中から消えたらしい。

「…詳しい話はまた後にしようや。オレも他人の “ 楽しみ ” を邪魔するほど、野暮じゃあねぇんでな…」

 そう言い残すとなんとも残念そうな、そして恨めしい表情でバフゥムは牢獄を去っていく。

 階段を上っていく彼からは何度も、くそっという言葉と舌打ちが聞こえてきた。



「…すいやせん、アッシみたいなモンがこんな」

 完全にバフゥムの気配や音がなくなった事を確認すると、モーグルは腰を引く。しかし、それは1cmも進まないところで止められた・・・・・

「んー、構わないって、先にも言ったでしょ。バフゥムあれの相手するのに比べたら、よっぽど楽だし」

 少なくともモーグルはムチを振るったり、怪しげな道具で責め立ててきたリはしない分、本当にミミとしては助かっていた。肉体への苦痛などは耐えられなくはないにせよ、できれば勘弁してもらいたいに決まっている。

「せっかくだし、最後までして・・いってくれていいから。どうせ今の私には払える報酬はないし前払い、って事で納得してくれるとこっちも助かる・・・から遠慮なくね」

「え、ええ~、そ、そんなアッシみたいな小者が…本当にいいんで?」

 モーグルとて男である。この状況下でそんな事を言われては、もはや断れない

「そ、それに本当にアレでよかったんですかね…あんな事言ったら、これから大量に押し寄せてくるんじゃ…」

「うん、そうだろうね。でもその方が・・・・私としては助かるの。あんまりあれこれ言えないから、今は納得しずらいと思うけど、私にも考えがあるという事だけ理解してくれてれば…じゃあ一つだけ、とりあえず長くて10日ここに居る予定、って事だけ教えとく」

 釈然とはしないものの、彼はとりあえずこれ以上はあれこれ心配しても無意味と悟り、彼女の言葉を信用しようと己に言い聞かせた。

 そしてとりあえず今はバフゥムを信じさせるという意味でも、素直に前払い報酬を堪能させてもらう事に決めたのだった。




 歩く。


 バフゥムは歩く。その醜い面いっぱいの不満を周囲にまき散らしながら。下っ端のならず者たちが、短く驚きの声をあげつつ遠ざかるのも無視して、バフゥムは歩を進める。

 自分だけの至上の獲物。それを取られたような気分が抜けない。実際、取りはしないだろうが、独占状態を喪失した事で、彼は強い苛立ちを覚えていた。

「(クソが、土竜ごときがデケぇツラしやがって……)」

 あの、メルロとかいうカエル女も美女ではあったし、非常にレベルの高い女だった。しかしバフゥムの鼻はより自分好みの、さらなる獲物の存在をすでにかぎ取っており、あの時点ではメルロとかいう女は他の連中のお手付きだった事もあって、あっさりと下っ端連中にくれてやる事ができた。

 だからこそ、信頼する相棒が選んだ極上の獲物ミミは自分だけのモノであって当然のはずだ。先の御馳走を我慢したのだ、更なる御馳走を独り占めにして何が悪いというのか?

「(……だがまぁ、メリットもあるっちゃあるか)」

 バフゥムにとって、獲物ミミと財宝の数々をいかにして奪い、トンズラするかが直近の最大課題であった。

 しかし土竜人族は穴掘りのエキスパートである。ある程度の譲歩と報酬を代償に、味方にしておくには悪くない相手。

 領主ミミを捕らえた時点でバフゥムの大望は、彼女を徹底的に虐め抜いた上で一生自分が飼いならして連れまわし、莫大な金をもっていずこかに棲家を構え、悠々自適の欲悦に満ちた生活を送る事と定まっていた。残る過程はこの組織からどうやって獲物と数々の財宝を運び出し、そして逃げ切るかであったが、これで脱出に関してはメドが立つ。

 他の野郎に舐めさせるなんて本当はまっぴらゴメンだ。しかし、世の中コストを支払わずに大きな成功を得られる事など稀であるという事も重々承知しているバフゥムは、大望が叶うまでもう一歩の辛抱と判断し、自身に言い聞かせる。

「…できるだけ口の固い奴を見繕わねぇとな」

 いかにおこぼれを与えるといっても、有象無象に味見させる気はこれっぽっちもない。ある程度は賞与なりと妥当な理由がつけられ、かつ自分にとってデメリットを成さない部下バカを探し求めて、バフゥムはドウドゥル駐屯村内を見回しながら歩き続けた。



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