第2章4 大いなる世界の盛衰



 グレートライン大いなる山脈を隔てて神領地側の山麓、標高1500m地点。


 まだ険しいというほどではない斜面。自生している植物が減り、枝葉のない枯れ木がポツリポツリと生えているのみで、そこらかしこに大小さまざまな岩石が転がっている。



「なかなか殺風景なところですね」

 すぐ後ろを歩く女性天使がそんな山を見上げながらつぶやく。だが彼は、彼女の肩を指先で叩くと、無言のまま別方向を指さした。


「!! あ、あれは一体なんですか? 見たところ人工的な構造物のようですが……」

 荒れてきた山道の行く先、傾斜に沿って寝転がっているを見て天使は驚く。灰色の岩石と同じような色合いだが、確実に自然物ではないソレは、途方もなく大きく、そして朽ちていた。


「これは “ ビル ” という建造物ですよ。かつて人間達が何千何万と建てた塔、とでもいえばいいでしょうか。数十mから数百m、中には1000mを越えるものもあったのですが」

 目の前のそれは完全に横たわっていた。もはやどこがどうなっているかもよくわからないほどボロボロで、ちょっと触れるだけでも砂ジャリとなって崩れ落ち、山の一部へと還ってゆく。


「風化が激しいですが、まだここまで原形をとどめているものが現存しているのは珍しいですね。おそらくは土の中に埋もれていたのでしょうが、それでも数百万年の時を経て、なお形を留めている物はなかなかお目にかかれませんよ」

「一体どのような目的で、古の人間はこれほどの建造物を建てたのでしょうか?」

 天使は知的好奇心がそそられるのか、しきりにその全容を見回している。まるで子供を見守るような気分で、彼はクスリと微笑んだ。


「さまざまですよ。住居、作業場、商店、展望、調査……彼らの生活の、あらゆる場面において用いられていました。形状や構造は時代や設計に依存して違いが見られますが、基本は空に向かって縦に細長く建てられていました。……今は横になっていますけどね」

「驚きです。あの・・人間種にこれほどのものを作れる技術や知識があろうとは、信じがたいです」

 彼女が驚きを口にするのも無理はない。今の世において人間はあらゆる種族の中でも最弱である。庇護すべき対象であり、神に仕える上位種たる彼女達天使からすれば、見くびって当然の下等生物という位置づけだった。


「もともと人間達はこの世界にはいなかった……いえ、この地上そのものすら、この世界にはなかったものですから」

「へ? そ、それはいったいどういう事でしょうか??」

 彼のつぶやいた言葉の意味が理解できないと、彼女は疑問符を頭の上に浮かべて聞いてくる。彼にとってそれはいささか残念な反応だった。


「(そうですか。もはや我ら以外に知る者もほとんどいないほど、時は流れたようですよ魔王殿。あの時は本当に大変でしたねぇ)」




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  “ ディメンショナル・フュージョン ”




 それは今でも神界の大書蔵庫にて閲覧可能な記録に記されている事実―――かつて発生した次元崩壊未遂の大事件を治めるため、神と魔王が共に行った御業みわざである。


 もはや何百万年前かもハッキリしないほど昔、ある次元で決して起こってはならないイレギュラー不測の事態が生じた。


 その次元にて形成されし世界は、“ 人間 ” と呼ばれる高度な知的生命体を獲得し、繁栄したかの種によって順調に回っていた。だがある時、彼ら人間は発見してはいけない技術、物質、概念、法則を次々と見つけていってしまった。

 それらは通常、どんなに発見しようと試みても発見できないものであるはずだったモノ。にも関わらず、世界の根幹たる流れの不具合と偶然の一致が、無限大数分の1の確率で彼らに触れさせてしまったのだ。


「(しかし世界の住人であり、その世界に内包されている存在人間に、世界の……次元を形成している根源に触れる権利や力はありません)」

 器に盛られた熱々のスープが、己のおさまっている器をその熱によって、偶然脆い部分を破壊してしまうようなものである。普通に考えて、余程破損著しい器でもなければそれは絶対に起こりえないことだ。



 …………世界が壊れてしまう直接的な可能性は2つある。


 1つは、次元の許容量を越えた存在力スープを内包してしまう事である。

 世界とは、“ 次元 ” の中に “ 存在 ” がおさまっていてはじめて成り立つもの。中身がこぼれてしまえば世界でありつづける事はできない。


「(ですが彼の次元においては、存在力に対しての許容量は極めて余裕がありました。むしろ次元がまだ成長しきっていなかったほどです。許容量そのものすら、限界まで上がりきっていなかったはずだった)」

 しかし、世界が壊れてしまうもう1つの原因が起こってしまったのだ。すなわち内包されている存在人間が、奇跡という言葉ですら生ぬるい偶然で、自分達の住む世界の内側から次元を破壊してしまった。


 それがかつての事件の起こりである。




「(まだ彼らが世界ごと消滅し、無に帰すだけで済んでいたならば楽だったんですけれども)」


 次元の崩壊。


 それは神と魔王にとっても一大事件であった。他の次元にも影響が及ぶそれは、当時彼らがまだ作り終えたばかりの新たな神界と魔界。それら別次元をも巻き込みながら崩壊へと引きずり込んだのだ。


 存在力の法則が乱れた次元に巻き込まれ、2界もまた生きとし生ける者達の命ばかりか、世界そのものがメチャクチャになりながら壊されていく終末の様相。

 これを食い止めるために、神と魔王が力をあわせて行ったのがディメンショナル・フュージョン次元融合であった。



「(結果として今のこの世界の原形、神界と魔界をこの地上世界が接合するような形で一つの世界になった……)」

 当然、人間達はそのほとんどが死滅し、彼らが築いた文明も技術も知識も何もかもが失われた。しかしそれでも僅かに生き残った者達はいた。それが今日における地上にて暮らす人間種の祖先達である。


「(ですが、全てを失った彼らはあまりに弱く、高度な文明に頼り切っていたせいで最低限の生すらも自ら賄う事ができなくなってしまっていた。そして神界と魔界、それぞれに住まう者達が、この新天地を目指して動き始めた……)」

 だが欲深い開拓者は、原住民を殺戮して奪う事に躊躇ためらいがない。それは人間達の歴史を省みてもあきらかであり、当時の魔界と神界に存在した数多の種族達もそのつもりでいた。

 さらなる惨事を起こさせぬため、神と魔王は傘下の種族に地上を開拓させるにあたり、一つの条件を出した。


「(人間種を保護し、彼らの生活を支えること。危害を加えし者は我らの名において抹消する……でしたか。もはや懐かしいですね)」

 そして最弱な人間種はかつての地球の、わずかに残った欠片ともいうべきこの地上世界と共に、この次元に暮らす住人となった。


 何百万年と経過した今、彼らは完全に溶け込み、もはやかつての御触れすら形骸化し、そんなものがあった事すら覚えている者も少なくなった。それでも最弱な彼らを率先してほふろうとするような弱いものイジメを行う種族は今日においてはほぼ存在していない。




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「…さ…、…さまッ!」

「ん、ああ、すみません。少しばかり昔のことを思い出していました。とりあえず調査をするとしましょう。フゥルネスの放ったらしき手の者が向かったとすれば、用がある場所はこの辺り以外他にないでしょうからね。まずは何か痕跡が残っていないかを探しましょうか」

 かつての人間達の残滓は、現在では遺跡として冒険者達の冒険心を駆り立てるものとなっている。


 この横たわるビルも既に発見済みのもので、ここまでの道は当然誰もが知っているし、来る事が可能だ。中には観光目的でやってくる旅行者も少なくない。

 最寄の村でそんな観光に赴いた者達から聞いた話では、この辺りで怪しい行動をしている者を幾度も見かけたという。他で仕入れた情報と照合してみても、まずフゥルネスの手の者と考えて間違いなかった。


「ん? ……おやおや、これはまた面倒な」

「何か見つかりましたか? ……穴、でしょうか?」

 天使が彼の元へと駆け寄って視線の先を覗く。そこにはビルの残骸の陰に隠れて、まだ真新しいであろう穴が掘られていた。


「……山脈を掘り抜き、魔界側へと続いてると見て間違いないでしょう。工作員を送り込んだ、と見るのが自然でしょうね」

「なぜそんな事を? 戦時中にならわかりますが……」

 確かに戦時中ならば敵領に兵を送り込み、なにがしかの工作活動は自軍を利する有意義な手となる。しかしこの穴は明らかに戦後に掘られたであろう、真新しい掘削跡が見られた。


「おそらくですが……火種を仕込む気なのでしょう。次の一手を今の内に、という事でしょうね」






 ――――半年前、魔界はアズアゼルの牢獄


「……モーグルか」

「!! へ、へいアズアゼルの旦那。いかにもアッシですが、よくおわかりになりやしたね?」

 燃えるように輝く岩石に囲われた牢獄の床に降り立ったのは、土竜獣人の男だった。体躯は小さいが、あらゆる土砂や岩石を掘削できる彼は、アズアゼルの牢にも容易く入ってこれた。


「そんな事はどうだっていい。……仕事だ」

「へ、へい、鎖を切ればいいんスね??」

 ここから脱獄するつもりだから手伝えと言われるものと思った彼だが、アズアゼルは首を横に振った。


「今はかまわん。下手に抜け出たところで問題しか残らぬ。ならば時間はかかろうとも堂々と出ればよい」

「じゃ、じゃあ仕事ってのは……?」


「地上だ。神どもの側の領地まで行き、“ 向こうの連中 ” を導き入れ、我が方の領土で活動する手引きをしろ。例のトンネルはまだ生きているのだろう?」


「と、途中で崩落しちまって塞がってはいやすが……ま、まぁアッシ一人抜けるくらいでしたら時間をかけりゃあなんとか…って、それよりもどういうこってすかい、神側の連中を呼び込めってのは??!」

 下手を打てば魔界側陣営の者であるモーグルは即座に捕えられてしまう、いや殺されてしまうだろう。トンネルにしても大戦中、アズアゼルに命じられてグレートラインの下を掘削していたものだが、途中で崩落して埋まっている。

 向こう側神側領地に抜けるまでにも危険が伴う、非常に厄介な仕事だった。


「この私がこのまま大人しくして、そのうち許される釈放のを待っては何年もの時を要する。それでも構わんしそのつもりではいるが、解き放たれた時より行動を謀っていてはいかにも遅い。だがこのまま大人しくておれば時間はたっぷりとあるのだ、今の内から火種を蒔くだけ蒔いておく。……奴らにしても渡りに船のはずだ。必ずのってくる」


「は、はあ……。ですけどそいじゃアッシの身がヤバイんじゃないですかい?」

「そんな事は知らん。あちらに抜けてからのやり方は任せる、好きにやれ」




 命令を受けたとはいえ、実のところモーグルはアズアゼルの正式な部下ではない。彼の私的な雇われ者であり、金と名誉のために渋々付き従っているだけだ。


「命がいくらあっても足りねぇよ……。はぁあ、何やってんだぁ、アッシはよぉ……」

 土竜獣人モーグル達は本来、広大な魔界において土木作業のスペシャリストとして名を馳せた種族だ。種族の偉人の中には掘削作業1本で爵位まで獲得した者すらいるほどに、彼らの土木作業への信頼は厚い。


 他の皆は当然のようにその誉れ高き仕事に就いており、魔界で土竜獣人の姿を見掛けない工事現場は一つもない。

 だがモーグルは落ちこぼれだった。種族の中でもその性格、能力、容姿すべてにおいて実の親にすら馬鹿にされ、ないがしろにされるほどに。


 しかし彼は偶然にも魔界の大貴族と知り合うことができた。一族の者を見返したいモーグルは、貴族の下で働けばきっと莫大な財産を築く事ができ、名誉も土竜獣人族はじまって以来、いかなる偉人すらも凌ぐものが得られるはずだと信じていた。



 だが現実はそうはならなかった。


「(キツい仕事ばかり……。先の大戦じゃトンネルが崩落して、生き埋めになっちまうし、部下が助け出してくれなきゃ、アッシはあそこで死んじまってたぞ)」

 しかも後でわかった事だが、あの崩落の原因はアズアゼルとフゥルネスの激突の余波で、トンネルの上の山が激しく揺れたせいだったのだ。


「(このままアイツの言いなりじゃ、いつか本当に死んじまう。でもなぁ……)」

 彼は深くため息をついた。


「他のアテなんざアッシにゃねぇもんなぁ……はぁぁぁ~~」

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  ・


 結局、彼は時間こそかけつつも、アズアゼルの命令どおりに地上へと赴き、再びトンネルを掘削して神側の領地へと出た。

 本気で取り掛かったなら3日で済む作業ではあったが、彼はたっぷり1週間をかけた。やる気がなかったのもあったが、時間をかけて丁寧に穴を開ける事で、トンネルの強度を確保したのだ。


 そこからは運が彼を助けてくれた。


 神側の町や村をまわっている最中、偶然にも酒場で魔界側への潜入計画を練っている神側の工作要員とおぼしき連中に遭遇できたのだ。


 言葉を慎重に選びながらも、彼はなんとか神側領地内にある辺鄙へんぴな村の住人であると、たまたま鉱脈を探して採掘していたら向こう側に抜ける事ができたなどと嘘を交えながら、天使達の誘導に成功した。


「(思い返すとアッシって、悪運強いかもしんねぇなぁ。一歩間違ぇやおっ死んじまう事ばっかだったしなぁ)」

 今頃はトンネルを抜けた天使どもが魔界側の地上領土各地で動き回っている頃だろうか? しかし彼らが何をしようとモーグルには関係ない。

 彼にとって重要なのは己の仕事に対する実入りだけであり、魔界や神界の連中がどうなろうとかまわなかった。たとえその中に一族の者や親族が含まれていようとも……


 しかし―――


「くそっ、なんだよいまさら。魔界の一員きどりかぁ? ……モヤモヤしたもんが湧いてくるなんて! アッシは……アッシのためだけに生きるって決めてるんだっ。たとえ世界が破滅したって―――」

「そうしますと、貴方の財も名誉も、そして命までも消え去ってしまう事になるのではないでしょうか?」

「!!!?」


 全身の毛が立ち上がり、一瞬身が硬直する。


 トンネルの入り口の近く、岩石地帯の中へと隠すようにして掘られているモーグルの洞窟隠れ家には彼以外に誰もいないはずだった。しかし差し込む光を背にして人影が二つ、確かにそこに居た。


 刹那の硬直から我に返ったモーグルが、適当な岩壁に飛び込み、穴を掘って逃走を図る。



「逃がしませんよ! 魔界のスパイめっ!!」

 女天使が手の中に集中した光が、彼が完全に地中へと消える前に一瞬早くその足首を捉えた。


「ぐぎゃああああっ!?」

 電流、というほどのものではないが強烈な痺れが全身を襲う。それは無駄を省いた感電とでもいった具合で一瞬にしてモーグルを麻痺させ、その身動きを封じ、拘束した。


「<天輪電拘アークナム・リング> もう逃げられません! 覚悟なさい、この俗物がっ!」

「待ちなさい。彼を殺してはなりませんよ」

 今度という今度こそ死んだと思ったモーグルに、思わぬ救いの手が差し伸べられる。女天使と共にいた男が、彼女の魔法を打ち消したのだ。


 途端に、モーグルのカラダは洞窟の冷たい岩床を転がって、指一本動かせないままに突っ伏した。



「貴方が何者かはわかっております。ですが、こちらにそなたの生命を奪う気はありません。まずそれだけは理解していただきたいのですが、ここまではよろしいですか?」

 丁寧で威厳ある口調から、男はきっと女天使の上司であろう。モーグルは突っ伏したまま必死に何度も頷く。仮に神側に捕らわれるとしても、何よりもまず自分の命が大切だ。


「そ、そのような下賤者に、御方が直接お話なさるなど!! それにその者は魔界の……敵の間者ですよ!?」

「ええ、その通りです。だからこそ重要なのですよ彼が。さて、貴方の名はなんとおっしゃるのでしょうか、教えていただけますか?」


「……も、モーグル……」

「モーグルさんですね? 私は――――そうですね……“オグ” と、呼んでください。早速ではありますが、貴方に一つやってもらいたい事があります。もしお請けしていただけるのであれば、命は保障します。それと前払いで報酬も支払いましょう」







 その洞窟での出来事よりさらに2週間後、モーグルは魔界側の地上領土に戻ってきていた。


「………」

 本当によく生きてるもんだと自分自身の運に感心せずにはいられない。


「オグだったっけ? 敵のアッシに頼みごとなんざ……へっ、お人よしな野郎だぜっ。誰が言うとおりにするかよ、戻ってくりゃこっちのモンだ」

 誰に言うでもなく、虚空に向かってしゃべる。しかし去来する気持ちはさまざまだ。欲望、プライド、仁義、義理、人情、恩……どれかに傾倒してしまえば気は楽だがどれも違う気がして、心は乱れたまま安定しない。


「見逃してくれた上にもらっちまったしな、しかもこんなによ……。ええい、やってやればいいんだろぉ?! アッシにだって、アッシにだってなぁ!」

 最低な部類に属する者だという自覚はある。それでも陳腐なプライドが捨てきれない。

 モーグルは歩き始めた。頼まれ事は果たせたなら果たせばいい、とりあえず気楽に構えよう。そう結論付けて行動を開始する。



「………まずはナガンへ行ってみっかぁ。あそこが一番デカいから、連中の一人か二人はいるだろ」

 モーグルが誘導した天使の工作員たち。オグと名乗った男の頼みは、彼らを探しだして向こう側天界側領土へと送り返す―――帰還命令が書かれている手紙を渡すこと。


 アズアゼルは火種を作り出す一端を自分に依頼しているが、彼らを帰してしまえばその命令に背く行為となる。


「(かまうもんか、わかりゃしねぇ。どーせアッシ以外にも火種とやらを点けさせようと動かしてる連中はごまんといるんだろーし、アッシ一人がやらなくたって!)」

 それに火種の起こし方は何も天使の工作員を活動させるしかない、なんて事はないはずだ。今回の件で失敗したならばアズアゼルは別の手段を考え、また命令を飛ばしてくるだろう。


「はぁ~、気が重ぇなぁ……」

 地位や名誉を保障されているわけでもない。しかし途中で簡単に抜けられるほど甘い相手ではない。

 使いっパシリのまま体よくコキ使われているのはわかっているが、何せ相手は大貴族だ。途中で逃げ出してもすぐ突き止められてしまうだろう。


 モーグルは自分の立場がどんどん八方塞りになっていっている気がした。何度も窮状を脱してこれた悪運も、いつか尽きてしまう時が来るのではないか?


 二足歩行の土竜の背中はそんな将来に怯えるように丸くなり、足取り重くナガンへと続く街道に向けて移動していった。









「ではメリュジーネ様の方は問題ないのですね?」

「はい、ヴロドラス様。同行する護衛部隊からの定時報告では、昼前に無事アトワルト領内に入り、手近な村で昼食を摂られたようです」

 うむ、と執事ロディは部下の報告に深く頷き返す。

 メリュジーネ自身はちょっと隣町まで遊びにいってくる、といった感覚のお出かけのつもりだろうが、決してアトワルト領は近いわけではない。


 当然、その道中は不届き者が出る可能性を考えての護衛がつけられている。部隊を伴っての移動ともなれば、早くても2日から3日はかかる道程みちのりだ。


 その間、護衛部隊から早馬が定期的に飛ばされる。いかに大きな問題が片付いたとはいえ、領主が出かけている間に何があるとも限らない。留守居役を務めて屋敷に残っているロディの元には、彼女の安否の知らせが定期的に届けられる体制が築かれていた。



「魔王様がいらっしゃったのは驚きましたが、それだけ放置できない何事かが起きている、と思って我々も警戒すべきでしょう。くれぐれも油断はなりません、皆にもよく言い聞かせておいてください」

「はっ。我ら臣下一同、心得ております。あ、それとですが……、魔王様があの捕らえたスパイより聞き出した “ 手引者 ” の件なのですが」

 周囲を軽く伺いながら声をひそめる部下に、ロディの眼光が鋭くなる。


「……何かわかりましたか?」

「はい。どうやら数日前、このナガン領内にてそれらしき者の姿が確認されたようです。現在2人ほど尾けている最中ですがいかが致しましょうか?」

 ふむ、とロディがアゴに手を当てて思案しはじめる―――と、その直後に後ろから声がかかった。


「その話、詳しく聞かせてくれるか? ふぁぁぁ~…」

「これは魔王様。お目覚めでございましたか、とんだ失礼を」

 二人は即座に向き直ってその場に片膝を突いたが、彼はあくびをしながら片手をひらひらさせて、楽にして立ち上がるよう促す。


「今は “ タスアナ ” と呼べと言ったろう。お忍びだと理解しているなら、礼に過ぎるも無礼と思えよ?」

「ハッ! 申し訳ございませぬ、魔お―――ゴホンッ、タスアナ様」

 ロディが立ち上がり、客人をもてなすレベルの礼に切り替えると、部下もそれに倣う。その様子に “ タスアナ ” は満足そうに、よしと小さく頷いた。


「メリュジーネ侯は随分と慕われているようだな。まぁいい、話の続きだが」

「はい。情報の姿形に一致する者が、現在このナガン領内にて行動している模様です。今のところ、これといった危険な様子もないようで。ただ、誰かを探しているらしく、行く先々の町や村にて聞き込みを行っているとの報告が今しがたあったばかりです」

 部下の説明を聞いていたタスアナとロディは互いに顔を見合わせる。頭の良い二人は、それだけの説明でもある程度の仮説をすでに立てていた。


「手引者の仕事は、スパイをこちらに招く事です。事前の情報からその者は土竜獣人である事はほぼ間違いなく、しかもこちら側魔界側の住人である可能性が高い、との事ですから」

「間違いなくアズアゼルの手の者だろうな。だが名の知れた部下を今の状況下で動かしはしないだろう。そいつはおそらく雇われ者だな、哀れな事だ」

 高位の者に声をかけられ、使い捨てられる下位者の例は非常に多い。足がつきそうになれば尻尾切りスケープゴートに使われるし、口封じのために簡単に殺害されたりもする。


 どんなに尽くしても、名誉を得ることもなければ地位を掴む機会も永遠にやっては来ない。強いて言えば大金は得られるかもしれないという程度だが、一度使われ出せば、死ぬまで “ 使われる道具 ” のままだ。



「しかし逆に考えますれば懐柔の目はあるかと思います。そのものが雇い主に忠節を尽くしているかどうかは不明ではございますが、もしそうでないというのであれば……」

「だな。それにそいつの今の目的は何かだ。誰かを探しているようだと言ったな? 手引者が手引き仕事を終えた後に探す者がいるとすれば、手引きした者達か私的な探し人くらいのはずだが……」

 そこまで言っておいて検討はついているという顔で、あえてロディの言葉を待つタスアナ。そういうのはおやめくださいと苦笑しながら、執事ロディはアゴ髭を撫でた。


「自らが手引きした者達を改めて探す必要性…、おそらくは工作員達スパイへの命令変更でしょうな。しかし、あちらの黒幕はフゥルネス卿と思われますが、彼が送り込んだ後に命令を変更する理由など、何かあるのでしょうか?」

 敵の大貴族の考えるところまで読み切るには、さすがのロディでも及ばない。3人がその答えを求めて考え込みそうになったその時、タスアナが何かひらめき、思い当たったようにしたり顔で笑いだした。


「フフフ、そうか。そういえばそうだった。なるほど、時間的にもタイミング的にも可能性が一番高い。ハハハ、真面目に仕事をしているというわけだ、あ奴め」

「??? あの……タスアナ様は、何かおわかりで?」

 部下はまだ、タスアナに敬意が過ぎる態度で聞いてくる。するとタスアナは突如部下の首根っこを捕まえ、頭を揉みくちゃにしながら答えた。


「もっと気楽に接しろ。無礼があったとて咎めはしない。……クックク、答えは存外単純だ。つまりフゥルネス以外の者が横から割り込んでその手引者に依頼した、ということだ。まぁ誰かとまでは言わないで置こう。フゥルネスの代理や取って代わろうとしている者があちら側神界側に居ないとも限らんしな」

 だがタスアナは十中八九、誰であるかを確信していた。


「(まぁ地上に来ている内は、軽々しくコンタクトは取れんから仕方ないが。やれやれまったく、本当に世界を保ち、導き、作ってゆくというのは面倒で難しいものだな、神よ?)」

 だがその面倒がまた楽しさの源でもある。難しいからこそ面白いものだと彼は思った。



「メリュジーネ侯が不在なのは、ある意味ではいいタイミングだったかもしれんな。マグロディ=アン=ヴロドラスよ、その者手引者を捕らえて連れて来い。乱暴は避け、丁重にな」

「ハッ。ではすぐにでも行ってまいりたいと思います」

 フルネームで使命を受けるのは、下の者としては誉れの一つである。

 ロディは強く礼を返すと、出かける準備に取り掛かった。


「留守はまぁなんとかやれるだろう。何かあれば連絡を飛ばすが、なるべく早く帰ってきてくれよ? この地の事はよく知らんしな。捕えてる天使スパイはまだ生きているか?」

「はい、地下牢につないだままで相当に衰弱はしていますが」

 答える部下の口調から天使の衰弱ぶりが並でない事をうかがわせる。だが最低限生きていれば問題はない。


「十分だ。他の仲間の居場所を吐かせればいい。その際、正確な人数を確かめるためにも、手引者とスパイを突き合わせる情報照合必要があるから、ある程度口が利けるくらいには回復はしておけ」

「わかりました。では治療の準備に取り掛かりたいと思います」

 部下はあわただしくかけてゆく、と出立の準備を終えて入れ替わるように戻ってきたロディが、ふと声をかけてきた。


「そういえばタスアナ様。あのグレムリンお付きの方はいかがなさいました?」

「ああ、イムルンか。まだグーすか寝ている。ここの若いのを何人か “ 喰わせてもらった ” んで昼まで起きはしないだろう。すまんな迷惑をかけてしまって」

 客が宿泊する際に訪問先で異性の使用人と床を共にするのは、歓待の一種として貴族社会では普通に行われている。ただしそれは客がある程度の上位者や立場を有している場合に限るし、使用人たちの雇用主である屋敷の主の許可が前提となる。


「構いませんとも。タスアナ様にもご用意すべきかと迷ったのですが……」

「ああ、アイツは直属ではあるが愛人じゃない。それに今はそういうの大人の遊びは気分じゃないんでな。気をつかわなくていいぞ」

 互いに苦笑しあう。大人の男同士にしかわからない気恥ずかしさとでもいうのか、独特の空気が流れ、場の雰囲気は和らいだ。



「かしこまりました。では使命を遂行してまいります。昼には帰還いたしますゆえ、それまではどうぞ御寛いでおくつろいでくださいませ」

 屋敷のロビーから執事ロディも去っていく。ポツンと一人残されたタスアナは軽く一呼吸を置くと、調理場の方へと足を向けた。


「さて小腹が空いたが、何か作ってもらえんものかな? せっかくだ、土地のものを味わってみたいな……ふぁぁぁ~~」

 休日の昼前に遅く起きて、とても最高レベルの存在とは思えない気楽さをかもし出しながらのんびりと歩を進める。

 つい先ほどまでそれなりに深刻な会話をしていたとは思えない態度で彼も去り、屋敷のロビーを静寂が支配した。


 しかしその十数分後、騒がしい声が轟いた。


「魔王しゃまぁー、どこいったれすかぁ~? ふぁ~眠ぅ~…、まおーさまぁ~?」

 この後、遅れて起きてきたこの付き人イムルンが広い屋敷の中で主を探し当てたのは、食堂からいい香りが漂いだした頃だった。






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