第2章5 玉を磨きて語らぬ兎



 雨の上がった昼下がり。館へと続く道はいまだ水が流れて、来る者の移動を妨げる。



「水はけを良くしないと、こういう時厄介かもしんねぇな……」

 ドンは何度も何度も水の流れる道を踏みしめた。道は潤いに過ぎて、バシャバシャと大きな音を立てる。

 館の入り口までおよそ500m。緩やかな下り坂が徐々に傾斜をきつくしはじめる辺りで、彼は館に背を向け、見晴らしのいい遠くの景観を眺めるように立っていた。


「確かにメルロやイフスさんにやらせるわけにはいかねーな、これは」

 メイド服が汚れていてはそれこそこれから迎える方に失礼だろう。

 ドンは醜い自分がお客人を出迎えに出るのはどうかと思って最初は断ろうとした。しかしミミは彼が最適だとして、メリュジーネ一行の出迎えを任せた。


 イフスとメルロが館の倉庫より引っ張り出してきた小柄な種族向けの鎧のおかげで、多少は見栄えする格好にはなった。

 地味だが綺麗に磨かれたブレストプレート。簡素ながら上品な彫り物が施されている肩当て。


 さらにほころびていたズボンはなんと、ミミが驚くようなスピードで繕って、新品のように綺麗に仕立て直してくれた。グリーヴ金属ブーツは実用性を重視していて無骨だが、この足元の悪さならヘンに飾ったものよりも相応しい。



「さて、話じゃあそろそろ来ると思うんだが……」

 本当ならば地面に立てて構えておくのが正解だが、まだ興奮の余韻冷めぬドンは、右手に持った立派なパレードスピアー祭礼用長槍の穂先を前に向けたまま、遠くを見ようと左手を額にあてた。





――――――1時間前。


「い、いや一人で洗えますんで! 平気ですから!!」

「おっきくしてちゃ、それこそ失礼になっちゃうからね。ほら、遠慮しないっ」

 ドンとミミは風呂場の中でどちらも全裸のまま追いかけっこをしている。時間がないので一緒に入るのはまだ仕方ないにしても、まさか自分のナニを掴まれ、シゴかれるなど予想もしてなかった彼はつい逃げ惑っていた。


「(んー、そのままにしといても、違う意味でもてなしになるかもしれないけど)」

 かつてメリュジーネが遊びに来たとき、別れた旦那さんの愚痴を散々聞かされたもの。言葉の節々から男に飢えている欲求不満ぶりを感じて、乾いた愛想笑いしかできなかったなと思い返す。


 あの時は館に男性はいなかったが、今はドンがいる。もし彼の股間の盛り上がりに気づけば彼女が可能性も出てくる。

 貴族社会におけるもてなし方には、そういうもの・・・・・・も存在する。むしろ上位の貴族になるほどメジャーな歓待法の一つだ。



「…うん、やっぱ1回ヌいとこ? はいはい、逃げない逃げない」

 後ろから抱きつくようにドンを捕まえると、彼の脇の下に両腕を通してさかっているナニを掴んだ。ミミの豊かな胸がひしゃげるほど密着し、ドンはますます興奮を強めてしまう。


「領主様がお、俺みたいなのにこんな……。だ、ダメですってホント!」

「んー? もしかして自分の容姿とか気にしてるとか? こんなにたくましいカラダしてるんだから、自信もっていいと思うよ?」

 互いの全身はボディーソープの泡に包まれている。ミミは自分の胸の柔らかさを利用して上下に動かす事でドンの背中を洗いつつ、ナニの処理も並行して行う。


 すると彼の両肩が震えだした。


「あれ、そんなに強く握ったつもりはなかったけど……痛かった?」

 それが歓喜によるものであるとは、ミミには理解できないだろう。自分を良く言ってくれ、触れる事に躊躇しない異性―――それがいったいどれほど彼の心の傷を癒す存在であることか。


「い、いえ違いやす。グスッ…すごく気持ちいいです、っウッウッ」

 クシャクシャに歪んで大粒の涙を落とすドン。小柄な風貌も手伝って、子供が泣いているようにも見えて、人によっては母性をくすぐられそうな泣き姿……

 ミミも小柄な体躯ではあるが後ろから密着し、自身のカラダ全部でドンを覆うように抱きしめれば、その心を慰めるに十分な体格差があった。



 ・


 ・


 ・


「……情けねぇ、みっともねぇ姿見せちまった。しかも5回もお世話になっちまって……ととっ! いけねぇいけねぇ。余計な事考えてると、また元気になっちまうな、領主様にお手をかけさせちまったんだ、平常心平常心っ」

 下働きの使用人が仕事のために主に下の世話をさせてしまったなんて、とんだ笑い話だ。

 ドンは息を大きく吸って吐くと寝かせてた槍を立て直し、その柄先をあらためて地面に突き立て、胸を張って堂々と構えた。



「おや。もしかしてアレか?」

 坂の下から登ってくる集団らしき影。徐々にその姿が見えてくる。


 ドンは改めて自分の格好を確認し、両脚を揃えて直立不動で構えなおした。

 せめてこの地の領主ミミが使わした迎えの者として恥ずかしくないよう、務めを果たそうと気持ちを引き締める。

 だが一団の姿がハッキリと視認できるところまでやって来た時、ドンは思わず腰が砕けそうになった。


「(!? ……あ、あれはもしかしてラミア族!??)」

 ナーガ系統の中でも高位にある種族の一つで、今日の魔界においては誰もが知る上位者だ。現役のラミア族なら地上の者では手の届かないような役職や爵位を有していて当たり前の存在である。


「(たまげたぜ……。なるほど、こりゃヌいてもらっておいたのは正解だったっかもしんねぇ、領主様の判断は正しかった)」

 ミミに深く感心すると同時に、彼はますます気を引き締めた。

 一団の先頭を、ご機嫌な鼻歌交じりで歩いているラミア族の女性が隣領の領主であるならば、まず間違いなく魔界においても高い身分であるはずだ。


 しかもラミア族は下位種族に対して魅了の力にも長けていると聞く。そうした能力を有する種族は珍しくないが、ゴブリンのドンからすればあの天に輝く太陽に、自分の手が決して届かないのと同じくらいかけ離れた相手である。

 下手に興奮をもよおしたりして機嫌の一つも損ねたりすれば、その場のノリで殺されかねない。もしそうなったとしてもゴミ一つ消し去った程度にしか相手は思わない。


 対応を何一つ間違えるわけにはいかない。彼の背中を汗が一筋流れ落ちた。






「~♪ ~♪ ……あら? あれはお迎えかしらね?」

 メリュジーネは立ち止まって軽く目を細め、遠目に見える槍を構えて立っている小男の姿を注視する。


「おそらく。格好は以前と少し異なってはいますが、私が事前の通達に出向いた際に応対したゴブリンかと」

「ふーん? ゴブリンねぇ~」

 しかしたいして興味はない。ゴブリンといえば比較的下等な種族で、知能に劣る者が多いと聞いている。


 しかしメリュジーネほどにもなると、そのレベルの種族と接する機会などほとんどなく、ゴブリンというもの自体はじめて目にするぐらいだ。


「この川みたいな坂道もようやくおしまい、ってところかしらね。ほら、あんた達もう少しだからがんばりなさい?」

 護衛団の隊長と数名の熟練者は平然としていたが、残りの兵士達は荒い息を吐きながら流れてくる雨水に逆らいつつ、捗らない歩みで道を登っていた。

 メリュジーネはというと下半身が蛇である彼女。むしろこの、水が流れてくる川のような道は気持ちがいいくらいで、疲労の色はまったくなかった。


「お前達だらしないぞ。あ、メリュジーネ様、お待ちを!」

 護衛団の長らしき男が部下を叱責している間にも彼女は先に進む。その様子を見てか、直立不動で待ち構えていたゴブリンが小走りで駆け寄ってきた。


 おそらくは護衛と護衛対象が離れたのを見てその位置関係上、一瞬でも護衛力が弱まるのを危惧しての事だろう。よく気がつく奴だと感心しながら、護衛団長もメリュジーネの後を追って走りだした。




「お待ちしておりました、メリュジーネ=エル=ナガン侯ご一行ですね? わたくし、ミミ=オプス=アトワルト侯に仕えております、ドン=オンブラと申します。館までの案内役を務めさせていただきます」

「………」

「……? あの、私めに何かおかしなところでも??」

 静止しているメリュジーネは軽く驚いた様子だった。何か間違えたのだろうかとゴブリンは不安げに彼女を見上げる。


 するとメリュジーネは上半身を下ろし、追いついてきた部下に小声で話かけた。


「ねぇねぇ。ゴブリンって、頭悪くてカッコ悪い連中って話じゃなかったっけ?? なんか全然イメージと違うんだけど」

「大方はそうらしいですが、中には彼のような者もいる、という事では? まかりなりにもこの地のご領主に仕えているわけですから、認められる程度には能力を有している者かと」

 メリュジーネは下半身が大蛇である分、普通にしていればその背は2m越えの高さがある。それゆえ他人に耳打ちなどをするときは上半身を下ろしてこなければならない。目の前でそれをされると余計にあからさまに見えてしまう。


 ドンはますます不安にかられたが下手な言動は慎んだ。沸き起こるツバを何度も飲み込み、表向きは平静を保つ。


「ごめんなさいね、えーと……ドン君。じゃ、案内お願いするわ」

 領主から役目を仰せつかっている者に、その仕事を全うさせないのは非常識極まりない。案内なんて不要だ、なんて言おうものなら彼は役立たずに終わり、下手すると即刻解雇されかねないだろう。


「(確かメイドさん一人しかいなかったと思うけど、新しく雇ったのね。ふーん……)」

 彼女は前を歩くゴブリンを頭から嘗め回すようにジロジロと眺める。見たことのない種族という事もあって好奇心から観察せずにはいられなかったが、それ以上に彼女はドンにある事を行っていた。


「(……かからない? へぇー、精神力はそれなりね。少なくともそこらの男よりは見込みあるわー)」

 それは魅惑の魔法の一つ。彼女は新たに見知らぬ男性と接する時、この魔法をかける事を常としていた。

 少しでも非凡な精神力を有していれば毛筋ほどの効果も与えられないが、雑多な性欲を抱いている凡庸な者ならば、たちまちメリュジーネへの劣情に駆られてしまう


――――<下僕は主の夢を見るかラット・オア・カーム


 もしこの魔法で簡単に欲求に駆られるような男ならば、彼女にとって価値は低い。メリュジーネはこの魔法を男を計る物差しとして利用していた。


「(あぶねぇあぶねぇ。……そうか、領主様があれほど強引にして・・くれたのはこれを見越しての事だったのか)」

 もし風呂場でスっきりさせてもらっていなかったら、ドンはメリュジーネの魔法にやられ、彼女への劣情に心を浸してしまっていただろう。

 背中から押し寄せる妙な感覚は、何かしらの魅了の魔法をかけられてのもの。

すっかり落ち着いていたはずの股座またぐらがこそばゆい感じに軽くムズムズしているのがその証拠で、緊張から軽く息を吐いた。








「あ~久しぶりぃ、ミミちゃんっ! やっぱり可愛いわぁ~♪♪」

「め、メリュジーネ様、あんまりグリグリなさらないでくださいませんか?」

 応接室で待っていたメリュジーネは、ミミが入室すると同時に飛びつき、頬ずりする。予想がついていたのか、ミミ自身は困ったような笑顔を浮かべてこそいるが、それほど驚きもせずに対応していた。


 迎える側ホストであるミミが、応接室には後からやってくる。これには賛否両論があるがメリュジーネ流貴族の在り方によれば、たとえ来客との間に身分差があろうとも、館の主は訪ねて来た者をあらかじめ待つ必要はない。


 なぜなら他人の住む館に訪ねる客の方がお世話になるのだから、主たる者は最低限の礼節を損なわない限り下手に出るのは、館の主という立場の格を下げるだけだなのだという。


「うん。髪もちゃんとしてるわね? よろしいッ♪」

 そしてミミに対してもう一つ、以前遊びに来た時に指導した事がある。それが今日の彼女の髪型である。


「苦労するんですよ、毎朝・・髪にロール縦巻きをかけるのは」

「そ・れ・が! 貴族の女の嗜みよ~? 大丈夫、よく似合っているから!」

 嘘をつくのは心苦しいが、ミミが髪の毛に縦巻きロールをかけるのはメリュジーネが来訪する時だけだ。とてもじゃないが普段からしてはいられない。


 何せ後ろ髪を、背中の中腹あたりから腰の毛先に向けての約30cm強、あわせて8房に分けてそれぞれ巻いており、左右の生え下がりもみあげも巻いて、さらに後ろ髪の両サイド2房は顔の横から毛先までのかなり長い範囲を太めにロールさせ、合計12巻きもの縦ロールを施すのは、相当な労力。


 しかも今は暑い時期に差し掛かる。ただでさえ毛髪量ボリュームの多いミミがロールをかけるのは内に熱が篭り、不快感が凄まじいことになる。



「(で、薦めた本人がロールかけてないんだから……も~)」

 言いだしっぺたるメリュジーネはいつものストレートヘアーだ。前髪はパッツンと切ったボブカット風だが、後ろ髪はミミよりもさらに長い。

 しかし全体的なボリュームはメリュジーネの方が少ないため、ロールをしても似合わないという理由から巻いていない―――――要するになんだかんだ理由をつけて、ミミを愛でたいだけなのだ。


「(……なんだかな~。ナーガ系種族の人には男女問わず仲良くしてくれる人が多い気がする。学園に通ってた頃もそうだったし……なんでだろ?)」

 ワラビット族の歴史を学んだ時、彼女はナーガ系種族に対して強い憎しみを抱いたものだ。それはかつて一族が虐げられた時代、最もご先祖様たちを虐げてきた種族リストの中に、ナーガ族も入っていたからだ。


 学んだ当時はまだ幼すぎて短絡的に嫌悪した。しかし学園に通い始めてから不思議な事に、そのナーガ系種族の学生達はとても仲良くしてくれたのだ。

 しかしそれは彼らだけではない。かつて自分達を虐めたという種族の者ほど、懇意に接してくれた。


 最初はご先祖様たちみたいに自分も虐めるつもりでいるのではないかとか、あるいは過去の罪を償うつもりで接しているのだろうかとも思ったりしたものだが、時が経つにつれて単純に彼らがこちらを好ましく感じている事を知る。


「(自分でいうのもなんだけれど、今考えるとモテたなぁ~私)」

 ワラビット族が容姿に優れているとはいっても、ではどうなのかと問われた当人は、自分なんてたいした事ないと謙遜して答える者がほとんどだろう。

 ミミにしてもそうだった。本気で自分の容姿が優れているなどと思っていなかったし、そもそも学園には有象無象ありとあらゆる種族の学生が在籍している。


 見た目の良し悪しなどの美意識は、種族によってまるで異なる事も多い中で、自分が可愛いか不細工かなどと計る事のできる全種族共通の物差しはない。

 そんな中でも言い寄ってくる学生は後を絶えず、送られてくるラブレターの数も3日に1通のペースで、送り主も100人以上に及んでいた。


 しかし当時のミミには、当主だった亡き父の後を継がなければという想いが強く、とても異性ごとや恋愛ごとに目を向けてる暇はなかった。浮いた話は歯牙にもかけず、すべて蹴り飛ばしてしまうような学生であった。






「家屋の修復なんて、ちょちょっとお金出せば解決よ解決。ここならアトワルト領金貨100万枚もあれば十分でしょ?」

「まぁ、そうですね……メリュジーネ様の言うとおりです」

 でしょっ、と鼻息を吹いてドヤ顔で胸を張るメリュジーネ。雑談から領主としての治世に話題は移り、互いの戦後復興の状況を話し合うに至っている。


 だがミミとイフスは疲れを隠すように作り笑顔を浮かべていた。メルロは相変わらず感情の起伏の乏しい表情のままで疲労感は見せないで控えているが、ドンはメリュジーネの発言に対して頭を抱える思いで聞いていた。


「そーそ、復興なんてぱーっとお金だして、ぱーっと済ませちゃえばいいんだから。難しく考えるだけ無駄よ?」

 政治の話に際して、何か問題にぶつかった際の彼女の提案する解決方法、それすなわち等しく “ 金 ” である。

 ミミよりも先輩領主のはずのメリュジーネだが、元々が恵まれた地位にある者。

赴任先は税収が十分な広大な領地であったし、お付きの人材は優秀な者揃いだ。


 彼女が普段行う領主仕事は全体の10分の1ほどしかない。領土は小さいとはいえほぼ全てを一人でこなしている後輩領主のミミとは、領主としての経験で既に大差が開いている。


「あの……、あ、いや、すみません失言でした」

 見かねたドンが、この領地には財政的にそんな余裕はないです、と口を挟もうとしたが、ミミがこちらに向けが眼差しがあまりに真剣なものであったために取りやめた。


「イフー。メルロさんと協力して、兵士の皆さんにもお茶をお出しして差し上げて」

「かしこまりました、ミミ様」

 ドンの口を閉ざさせるために目で咎めた後、控えているメリュジーネの兵士達が自分達同様にげんなりしているのに気づき、ミミは彼らへ配慮する。

 兵士たちはメリュジーネに逆らうような事は言えない。しかし素人でもわかる拙すぎる政治話を黙って聞き続けるのも大変だ。ミミがお茶の手配をした直後、あきらかに彼らの表情に喜色が浮かんでいた。


「(………うん、数もいるし、相手にはちょうどいいかもしれない。予行演習・・・・やっておこうかな。なまってるかもしれないし……でもその場合、メリュジーネ様になんて言って彼らを貸してもらうべきかなぁ。うーん、勘ぐられないようにしないと…)」

 だが思いつかない。兵士達の主であるメリュジーネに、一晩兵士を貸してくれ、と言ったなら、確実に何のためか根掘り葉掘り聞かれる事だろう。

 だがそれは、こちらから手紙を出してまで遠ざけたかった話に触れてしまう。

ミミにとって今後のこと・・・・・を考えれば、今それが彼女に知られるのも勘付かれるのも、最も避けておきたい事だった。


「(うん、下手な事はしないでおこう。本番ぶっつけだって別にかまわないし、元々そのつも―――)」


 カラン、カラーン!


 まるでミミの思考をさえぎるように、玄関の方で呼び鐘が鳴った。



「あら、誰か来訪? 予定があったの?」

「いえ、ありませんわ。……イフス、申し訳ないけれど出迎えてきてくれる? ドンさんも一緒にお願いします」

 ドンを伴う事をまるで強く奨励するかのようなミミのイントネーション。

 イフスは首をかしげながらも一礼して応接室を退出する。ドンも慌ててその後を追い、礼をしてから玄関へと向かった。



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 そしてドンは知る事になる。なぜ自分がイフスの来客の出迎えに付けられたのかを。


「……お引取りください。ミミ様は現在お忙しく、貴方のような下品で醜悪な商人風情とお会いしているお時間はございません」

「でしたら用件だけでも取次ぐのがマナーではないですかね、メイドのお嬢さん?」

 イフスのこめかみ当たりから怒気が発せられるのが見えた気がする。おそらくミミは知っていた、もしくは来訪してきた相手が誰かを予感したのだろう。


 そしてその相手が、イフスと相性が悪い事も見越して自分にも出迎えに出るようにと促した―――ドンは心の中で勘弁してくだせぇと呟き、苦笑いを浮かべた。


「ん? キミは……はじめて見る顔ですね。わたくし、商人のオ・ジャックと申します。以後お見知りおきを、気楽にジャックと呼んでいただいて結構ですよ」

「え…あ、ああ、これはご丁寧にどうも。えーと、ミミ=オプス=アトワルト侯に雇われてます、ドン=オンブラと言います」

 ジャックと名乗る商人の言葉遣いは丁寧に過ぎると思いながら、自分もつられてヘンに丁寧な自己紹介をしてしまうドン。


「(……なるほどな、イフスの姐さんが嫌悪する理由がなんとなくわかった気がする。どこか胡散臭いんだ、このジャックって奴が)」

 具体的にどこがどうと言えないのがもどかしいが、とにかく妙な胡散臭さを感じさせる相手であり、善い者なのか悪い者なのかが直感的にハッキリしない。

 とはいえ仕えている者が、来客者をにべもなく無愛想に追い返しては、主たるミミの名に泥を塗る事になる。


「(イフスの姐さん一人だったら、本当に追い返しちまってたってわけだ。ある意味こりゃキツイ仕事ですぜ、領主さま)」

「えーと、とりあえず領主様にお伺い立ててきますんで、ジャック様。少々お待ちいただけますか?」

「よくご理解いただけてるようで助かりますよ、ゴブリンにしておくにはもったいない御仁ですな、ドン殿は」

 いかにもそれに比べてと続けたそうな言い草のジャックと、笑顔のままのイフスの火花の散らし合いを背に、ドンは半ば逃げ出すような思いで応接室へと駆けていった。





「失礼します。領主様、オ・ジャックという名の商人が領主様をお訪ねに。どうしましょうか?」

「え、ジャックの奴が来てるの?!」

 意外にもドンの報告に対して真っ先に声をあげたのはメリュジーネだった。


「メリュジーネさまはジャックを知っているのですか?」

「そりゃねー、知ってるも何も、幼馴染の一人よアイツ。すんごいヤな奴だけどね。ミミちゃんはいつからアイツと?」

「戦後すぐの頃だったでしょうか。向こうから訪ねていらっしゃいまして……あ、ですがこちらに赴任する直前に遠目に一度見かけた事がありました。今は何かと入用のものを仕入れていただいておりますわ」

 そこまで聞くとメリュジーネは立ち上がり、無言で応接室を出てゆく。控えていた兵士達も何事かと慌てて後を追い、ミミもメルロとドンに目配せをして後を追った。





「おやおや、懐かしい顔ではありませんか。お久しぶりですね、メリュジーネ」

「そっちこそまだ生きてたなんてねジャック。今度はどんな悪巧みを立ててるのかしら?」

 イフスと火花を散らしていたジャックだが、メリュジーネの登場に種類の違うオーラを放ち出す。メリュジーネもそれに応じるように不穏な空気をかもし出し、玄関ロビーは一気に黒々とした雰囲気に包まれた。


「(イフー、イフー。こちらに下がって!)」

「(は、はい。かしこまりました、ミミ様)」

 手招きと小声でイフスをジャックの側から引き離すと、二人はそれを合図にまるで臨戦態勢を取るかのような迫力を周囲に撒き散らしはじめた。

 館の骨組みの古く痛んでいる部分が軋む。窓ガラスがカタカタと音を立て、開いたままの玄関の外では、雨の水分が飛散して近くの草むらや道の上が見る見る乾いていった。


 誰かが、ゴクリと生唾を飲んだ―――途端


「このぉ! とっととくたばればいいのにっ、このカブ男はっ」

「そちらこそ相変わらずですね。ま、古き旧友と遭遇するのは悪い気はいたしませんが」

 険悪なムードが嘘のようにガラリと変わった。メリュジーネはジャックの頭を抱えるように巻きついて後頭部を小突き、ジャックはその束縛をらくらくスリ抜けてズレたメガネを直す。


「えーと、どこかお部屋をご用意いたしましょうか? お二人ともつもる話もございますでしょうし」

 ミミはとりあえず安堵する。そしてこれはチャンスだとも思った。








 ―――――――深夜。

「あ、あのアトワルト様。その、本当によろしいので??」

「ええ。メリュジーネ様にはご許可いただいておりますので、遠慮はいりませんの。滾るままに、私にぶつけてくださってかまいません」

 一番大きな客室の明かりは消えている。そこに詰めているメリュジーネの兵士達は窓からの月明かりだけで、惜しげもなく胸元を肌蹴はだけさせた兎の姿を捉えていた。


 室内には数にして20人。ローテーション制で、現在館の内外の巡回をしてくれている兵士が10人であわせて30人。


「(人数は十分。粗暴性に関して再現させるのは無理かな。そんなヤり方させると、あとでメリュジーネ様に怒られるのは彼らだし)」

 ミミは今宵、兵士達を歓待・・する。

 メリュジーネとジャックは昔話に華を咲かせつつ、やがて酒の飲み比べ勝負をはじめてしまった。

 そのタイミングを狙って護衛の兵達を歓待すると短く伝え、酔った状態ではあるが許可を取り付ける事に成功している。


 夜の見回りをメリュジーネの兵が変わってやってくれる事になったので、ドンとメルロ、そしてイフスは先に寝ている。

 明日の朝食は相当な人数に及ぶため、その用意のために早く起きなければならない故、早々に就寝するようミミが言い渡しておいた。



「っ! …ん」

 ベッドの上に、まず3人があがってくる。兵士達はいずれもミミよりも大柄で、一人でも自分の身を覆い潰せそうな体格のものばかりだ。

 ぶら下げている繁殖器官も、小柄なワラビット族のミミに対して過ぎたる雄々しさだが、彼女は恐れずそれを手にし、自らのカラダの隅々まで活用して彼らの相手を務めてゆく。


 やがて劣情に突き動かされて我慢できなくなった兵士達が、一人また一人とベッドの上へとのぼっていった。


 ミミの姿は完全に見えなくなる。ベッドの上の兵士達はまるで捕えた獲物を乱雑に貪っているかのように動き蠢いている。

 数分の後、彼らの隙間より僅かに見えていた白い肌が動いた。四つん這いなったと思われる太ももの一部。そして―――――

 兵士とミミが、打ち合ったような音が轟きだす。





 月はまだ、夜空の中天にすら差し掛かってはいない………





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