第4章4 嵐の前は穏かなれど




――――アトワルト領内北東端、オリス村。



 この村は規模こそ軒先200件程度。だが、戦火から人々を守ってきた古い避難所をはじめとして、水質の浄化効果をもたらす魔法石をハメ込んだ井戸や、子供に最低限の教育を施すための私営の学問所。

 さらには村を囲う防壁は石積みと板張りを組み合わせた1m近い厚さを持つという、規模の小さな村には過ぎた設備が揃っている。


 それはこの村がアトワルト領の最北北東部に位置し、はるか昔より戦火に晒されやすい見晴らしの良い場所にあるためだ。

 歩んできた村の歴史は、繁栄と衰退の繰り返しであった。




 しかし彼――――――生ける骸骨スケルトンのホネオがこの村の住人となって以来、繁栄こそ微弱なれど衰退する事はなくなっていた。


「………」

 それは長く生きてきた間に溜め込んだ彼のその知識量と、そこから導き出される状況分析の正確さ。そして村の諸問題に対する解決案の提示などが、さまざまな危機から村をよく守り続けてきた結果であった。


 そして後進への教授も着実に芽ぶいている。


 現在、この村で暮らしている老若男女すべての誕生時に、ホネオは立ち会っている。村人達は全員ホネオより年下であり、彼らは物心ついた時からこのスケルトンの先輩に見守られてきた。


 村人のホネオに対する信頼は絶大であり、一切の揺らぎがない。それゆえに数日前、村を出て行ったドミニクの流言は人々を惑わせなかった。

 ホネオは領主たるミミを高く評価している。一般人やドミニクよりも政治を大きな視点で見る事ができる彼は、いかにドミニクが危険な輩であるかをの者が村にやってきた時より感じ取っていた。




「………」

 物言わぬ彼は不意に、グレートライン大いなる山脈を見上げる。


 それはドミニクが村を去ったあと、向かった方角でもある。5、6人ほどを伴って出て行った彼ら……あるいはこの村にいる間に捕まえておけばよかったかもしれないとさえ思う。

 いかに危険そうな者たちを伴っているといっても、村人の数の方が圧倒的に多いのだ。 “ 御方 ” の手をわずらわせてしまったと今更ながらに後悔する。



『魔王様は、魔王様で何かお考えがあるって事だろうよ』


 モーグルに、自分達でドミニク一味を捕縛をすべきだろうかと聞いた際に返ってきた言葉を思い返した。

 さすがのホネオもモーグルから、魔王様が直々にドミニク達を追っている事を聞かされた時は驚愕したものだ。まさかそんな凄い御方が絡んでいる話だとは夢にも思っていなかった。



 今度は反対方向の村の出口の方へと振り向く。ドミニク達が村を出て行った後、モーグルが出立していった方角だ。


『いろいろ世話んなったな、スケルトンの旦那。おそらく後であの方々もさっきの天使の件を片付け次第、ここに来るはずだぜ。そん時はエスコート頼むな』

 そう言って握手を交わした自分の右手に視線を落とす。骨のみのカラダにも、確かな熱さを感じた。

 それは体温ではなく魂の―――確かな意志を持った者の熱さ。


 物知りという程度の特徴しか持たない古びた骸骨な自分。ホネオは、生きとしいける者たちを羨望せんぼうする。

 生きた生身の肉体を持っている事にではない。たぎる魂を持っている事にだ。


 それは、自分にはない不思議なチカラ、意志と気持ちのチカラだ。


 ホネオにだって自我も心もある。けれどアンデッドゆえか、彼らのように起伏には富んではいない。

 やる気と情熱はあっても “ 猛る思い ” と表現できるほどには輝かせられない。それがもどかしかった。




「あ、いたいた! おーい、ホネオさーん!!」

 村はそれほど大きくないと言っても、目当ての人物を探すのは存外苦労する。ホネオが他とは異質な容姿といえどそれは例外ではない。

 すぐ側に山も川も森もある村では、出かけて村内にいない事だって多い。誰がいつどこにいるかなど、そう把握しているはずもない。


「……」

 呼ばれたスケルトンはゆっくりと村人の方を見る。そしてカシャカシャと骨同士がぶつかる音を立たせながら、彼の元へと歩み寄った。


「ホネオさん! ホネオさんの言ったとおりだった。あの怪しいヤツの仲間が、まだ村の中に隠れてたんだ!」


「………」

 それに対してホネオは、小脇に抱えていたスケッチブックを取り出し、ペンを走らせた。


 ―― 捕縛 した ? ――


「ええ、もちろん。で、捕まえた連中をこれからどうしたらいいかホネオさんに聞こうと思って探してたんです」


 ―― 彼らの 目的 を 聞き出す。それが 大事 ――


「でも、そんな簡単にしゃべりますかね??」


 ―― たぶん、喋らない。でも ちょっぴりでも 情報 重要 ――


「わかりました、じゃあ早速みんなと尋問してみます!」


 ―― 私も 行く ――


 ホネオがスケッチブックをパタンと閉じたのを確認してから村人は走りだす。ホネオもそれに続いてカシャカシャ音を立てながら走りはじめた。








――――ロズ丘陵の大森林。その南西、森の出口付近。


「………はぁ、やっぱな。いると思ったわ」

 ザードは己の予感が当たった事を素直に喜べない。

 ため息を吐きながら全長7mはあろうかという両手持ち用の武器、バトルアックスを肩に担ぎ上げた。



「……バカな。何人いたと思ってる? 150だぞ150! それを、それをっ」

 たった一人のリザードマンが、その半数近くをものの5分足らずで屠ったという事実が、ならず者達を戦慄させる。


「ここに伏せてたっつーことはよぉ…、お前らの狙いはあの村なワケだ? 間違ってるなら謝ってやるけどよ…ま、あってるんだろ?」

 まるでこれからお茶を一服でもして、休憩しようやと言い出しそうなほど和やかな雰囲気を漂わせるザード。

 それは他ならぬ自信と余裕のあらわれだった。



「…ちっ、ちくしょぉがぁぁあ!!!」

「バカ、止せ!!!」


 ドバンッ。ブシュァアアアアアァッ!!!


 しびれをきらしたならず者の一人が突撃をかましたが、ザードはまるで体勢を変えることなくバトルアックスを無造作に “ 片手 ” で振るった。迫ってきた相手は上下でいとも簡単に分断され、絶命する。


 無謀な突撃とはいえ、ザードの迎撃をまったく考えていなかった相手ではない。事実、彼は自分の剣を縦に構え、横から迫ったバトルアックスの一撃を受け止めようとしていた。

 ところがその防御の上から剣ごと粉砕され、無残な2つの肉塊に変わり果てた。



 そんな仲間の死に様を見せられ、残された者達に恐怖が襲いかかる。


「念のためにだ、もう一度だけ聞くぜ? お前らの狙いはマグル村であってるな?」

 今度は言葉に気迫が宿っている。これで答えなければ有無を言わさず皆殺しにすると言わんばかりに。


 そんなザードに気圧けおされて、ほとんどの者が腰が引けてしまっていた。彼らの中には人を殺し慣れている殺人鬼すらいる。にも関わらず、狂気に精神を預けたはずの者ですらたじろいでいるのだ。


 ならず者達のリーダーは、たった一人にビビるなど情けなさ過ぎると号令一喝、全員でかかれと叫びたい気持ちだった。

 しかし同時に勝率が極めて厳しいであろう事も理解している。そうは言えなかった。


「……そうだ。我々の “ 担当 ” はマグル村であっている」

 答えた瞬間に襲い掛かってくる事も考え、油断なく構える。それなりに死線を越えてきた使い手達はリーダーの彼同様、いつ戦闘が再開してもいいように臨戦態勢のままザードを睨んでいた。


 そんな彼らを鼻で笑いつつ、巨躯にしていかついリザードマンは肩からバトルアックスを降ろし、その刃を地面に叩きつける。



「担当、ときたか。まったく面倒な事になっちまった。あのバカは本当にしでかしてくれやがって……ったくよぉ!」


 ブォオオオッ………バガァアッ!!!


 感情のままに片手で振るわれたバトルアックスが、近くにあった樹齢5000年はありそうな大木の幹を破砕した。

 メキメキと音を立てて木が倒れてくる―――ザードの上へと。


「た、倒れるぞ! 離れろっ」

 ザードと対峙して、その一番近くにいた者達は大きくその場から飛びのく。


 ズズゥウウン……ボファアッ……


 彼らが着地して倒れる巨木に視線を戻した直後、地響きと砂煙が巻き起こり、倒木と敵の姿がその中へ抱き込まれ、完全に見えなくなった。


「バカな奴だぜ。自分で木の下敷きになりやがった」

「へへ、砂煙が晴れたら動けなくなってるところをぶっ殺そうぜ!」

 これだけ鬱蒼うっそうとした樹林の中を、他の木にひっかかる事もなく倒れた大木。ならず者達は運が自分達に味方したと、誰もが思っていた。


 あれだけの大きさの木の下敷きになれば、いかに剛の者でもダメージは免れないし、身動きもままならなくなるはずだ。


 絶好のチャンス。


 まともに殺りあえば分が悪かった戦況が一気に好転したことで、彼らの態度が幾分か緩んだ―――その時。





 ……ヒュン…ヒュン、ヒュンッ、ヒュンッ! ビュンッ!! ビュゥンッ!!!


 ドンッ! ドバンッ!! ドグシャッ!!!


「んなっ!!?」

「な、なんだぁ!?」


「何が起こった! 攻撃魔法かッ!??」

 突然、数人の仲間の胴体が宙を舞って、ならず者達は混乱する。


 比較的冷静だった者があたりを見回すと、自分達の後方に生えていた樹木の数本が倒れ、その遥か先にあった岩にバトルアックスが突き刺さっているのが確認できて、青ざめる。


「まさか……いや、見えなかったぞ!?」

「いつ投げた!? いや、俺達の間を通り抜けたなら、なぜ気付けなかった!??」

「何かの魔法か、それともあの武器自体がそういう力を持った魔導具―――」


「いや、ただの斧だぜ。デカくて重いだけのな」

 ザードの声がこだますると同時に、斧の方を見ていた彼らが一斉に振り返った。ようやく砂煙がおさまり、かの者の姿が見え始める。


「……マジ、かよ」

「あの大木を片手で持ってやがるなんて、ありえねぇ……」

 ザード自身、リザードマンの中でも体躯に恵まれ、いかにもパワーがありそうなガタイをしている。

 そんな彼の容姿から想像できる腕力ですら、到底持ち上げられなさそうな大重量の倒木を、なんと彼は片手で軽々持ち上げていた。


「……は、はは、嘘だ。何かの魔法を使ってるに決まってる!」

 彼らが真に驚愕しているのは大木を支えるその腕力ではない。あの状態から大型のバトルアックスを目にも止まらぬ速さで、しかも片腕で投擲したという事実の方だ。


「あいにくと魔法は使えねぇんでな。使えたら便利だろうけどよぉ、性分じゃねぇんだわ、頭つかう修行とかは…よっ、と!」

 そう言うと、持ち上げていた大木を何の気なしにぽいっと捨てるザード。直後、さすがに重かったらしく、首を左右に傾けたり両肩をまわしたりし始める。


「ふざけてやがる。どんな力だよ?」

「いやまて! ……アイツ、武器を投げたんだぞ? 今なら丸腰じゃねぇか!!」

 誰かがそう言うと、全員がハッとしてすかさず動きだす。


 武器を拾わせまいとザードとバトルアックスまでのルートを塞ぐように展開し、さらに少数が逃走できないよう大森林の出口を塞ぐ位置に回り込んだ。



「ヒャハハハ! いくら凄い力があっても武器を捨てた今なら話は別だぜ!!」

 先ほどまでの困惑も、不安も、絶望も全てがどこかへ吹き飛んだ。自分達が圧倒的有利と見て、彼らは息を吹き返す。


「わかりやすい連中だなオイ。ま、どうしようがお前らの勝手だがよ、もうちょい頭使わねぇと弱ぇ奴は生き残れねぇぜ?」

「その言葉、丸々かえしてやるよ。テメェこそ頭使ったほうがいいんじゃねぇかぁ? 自分から武器投げちまうなんざどうかして―――ぇべば?」

 男の首が180度回転し、もげ落ちた。


 先ほどのバトルアックスの投擲ほどのスピードではない。むしろ常人でも十分捉える事ができるレベルのスピードで、ザードは男の裏にまわり、捻り殺したのだ。


「知ってっか? 認識ってぇ奴は結構アテにならねぇもんらしいぜ。目の前で見ていたとしても、それを理解するっつーチカラってのはまた別もんなんだってよ」

 いつかの際に他人から教わったウロ覚えの受け売り話。ザード自身、それが本当だと実感できたのはまだほんの4、5年前のこと。


 格段に強くなったという自覚はある。しかしそれはあくまでもも昔の自分に比べれば、の話だ。


「ちょっとしたコツがいるんだけどよ。敵に見つめられていようが、簡単に後ろを取れちまうってワケだ」

 それは緩急をつけた動きの極み。上手くすれば残像により分身したような錯覚を見せる事も出来るというが、さすがにザードはそこまで器用ではない。

 認識のズレを起こさせるので精一杯だし、彼の近接戦闘力を考えれば今でも十分過ぎる技術だった。




「ば、バカな! く、くそぉっ!!」


 ヒュッ! …ゴキン!!


「ッッッ!!!! ……~~~ッッ」

 ザードに槍を突き出した者が、かわされると同時にその腕を折られる。悶絶し、声なき叫びと共にその場にうずくまった敵を、ザードは無造作に蹴り飛ばした。


「んじゃ、またお前らのる気がなくなっちまう前に残りも片付けさせてもらうとするか」


 ズバボォッ!!


「!?」「!!! 突風?」「なんだ、何をしたんだアイツは!?」

 まるでザードの全身から放たれたような突風が彼らを襲った。


 その正体は呼吸―――ザードがならず者達と遭遇した時より体内に溜めていたただの空気である。


 しかし彼らはそれに気付く前にこの世を去ることとなる。




 ゴァアッ!!!


「ッ!!」


 ボンッ


「ゲブボッ!!!」


 バボッ


「げはっ!?」


 ベキャッ


 囲っているはずの男達が、たった一人のリザードマンに見る見る殺されてゆく。しかも全身フル武装に近い重装備者ですら丸腰の、己の四肢だけで戦う彼の一撃に絶命させられていく。


 ドゴッ! バキャッ! ガスッ! バキッ! ドボォッ! ブチィッ!


「これで、145…と。あらかた片付いたが、残りは5人か。あっけないもんだ」

 パンパンと両手を叩き合ってホコリを落とす仕草を取るザード。まるで町中で絡まれた不良を返り討ちにしたような軽い態度だ。


 しかし彼の周囲の爽やかな深緑の森はその美しさを失い、肉片と血の赤に塗りつぶされた、なんとも残酷な光景が広がっている。


 ある者は膂力りょりょくにモノをいわせて捻り潰され、ある者は豪腕から打ち放つ拳で腹を貫かれた。またある者は回し蹴りと尻尾による薙ぎ払いで上半身と下半身をそれぞれ反対方向にひん曲げ、さらにある者は体当たりで樹木に打ちつけられて圧死した。




「武器を投げたのは、武器があろうがなかろうが勝てる、って事かよ、ちくしょう……」

「ああ、それもそうなんだがよ、あーすりゃお前ら、もしかしたら勝てるかも、なんて思って、逃げるっつー選択はしなくなんだろ? 数多いと漏らしちまうかもしんねぇからなぁ。わりィけど、こちとら一人も見逃すつもりはねーんだ、すまねーな」

 ならず者達のリーダーは愕然とした。


 己の力にモノを言わせるタイプかと思いきや、存外頭も切れる敵であったなど悪夢でしかない。最初から一人も逃がさないつもりで行動していたザードに対し、彼らの最適解は早い段階で人数を武器に、大森林の中へ散り散りに逃げる事だったのだ。


「くそっ、こんな強い奴がいるなんて聞いてないぞっ、ふざけんな! ううっ…うわあぁああ!!」

 今更ではあるが一縷いちるの望み賭けて5人は逃げ出す―――が


 ボシュッ! ドゴンッ! ドバチャァッ! ズゴォッ!


「ハッ、お前らの間違いを教えてやらぁ。俺は強くなんざねぇよ、まったくな。本当に強い奴のいる世界を知らねぇ時点で――――」


 ドグギャッ!!


「―――バカやらずに、真面目に生きる道を選んでりゃよかったのさ。最大の過ちは世の中いくらでも強ぇ奴はいる、って事を知らなかったテメェらの無知さだ」


 (昔のオレと、同じようにな……)




―――

――――――

――――――――――


 かつて……かつてオレは、こいつらと大差ない大バカだった。


『うあ、ああ……嘘だ、んなワケねぇ! ありえねぇだろ、なんだよこりゃぁよぉ!!』

 それは、一体何回前の大戦の時だっただろう?


 かつてザードは、リザードマンとしても規格を越えた、生まれながらにして恵まれたその体格と才能が与えてくれる自信に驕り、粗暴で豪放な乱暴者で思慮に欠ける若者だった。


 有頂天になり、自分は強者だと信じて疑わなかった。


 確かに負けなしだった彼はリザードマン最強の個人と言えたかもしれない―――こと “ 地上 ” においては。


『うあああ! グラザドンさん!! んな事が…んな事がッ、あ、あるわけねぇッ!!』

 時の大戦に勇んで兵として参戦したものの、そこで “ 本物 ” を思い知らされた。


 魔界からやってきた本隊の強さは想像を絶した。


 それに比べて自分は、敵軍の猛攻に右往左往しながら戦場を迷い、敵と1対1で遭遇しても長時間の戦闘の後、仲間に助けられてのようやくの勝利という体たらく。

 さらにはあっと言う間に窮地に陥り、命が消される瞬間の絶望をも知る。その時はじめて、自分は強者などではなく単なる雑兵に過ぎなかったと、己が愚を悔いた。


 しかし運に恵まれた。魔界から来たリザードマンの兵士――グラザドン――に寸でのところで彼は救われた。



 彼……グラザドンは強かった。本当の “ 強者 ” と呼べるリザードマンだった。もし自分があと10人いたとしても、グラザドン一人には絶対に敵わないと確信するほどに。


 格が違った。ザードは弱者も弱者だったのだ。

 己がどれだけ井の中の蛙であったかを理解し、改めてグラザドンの強さを目標に己を鍛え直す事を誓った。


 …だが、その認識すらも甘かったのだ。


 そのザードよりも遥かに強いはずのグラザドンすらも、まるで路傍の雑草を踏みにじるが如く、彼の目の前であっさりと殺されてしまった。

 戦いにすらならなず一方的に――――――人が歩きながらうっかり地面の虫を踏み潰しても気付かないような――――――自分が敬服した者が殺された。


 そんな圧倒的な強さは、まだ生きていた彼に完璧な絶望を与えた。


 ザードは自分が井の中の蛙どころか、地面をのたうちまわる蟻の1匹ですらなかったのだと失意に沈んで、その身に無数の致命傷を刻まれながら意識を喪失した。


 気がついた時、彼は医療部隊の天幕の中にいた。


 瀕死の重傷。死は確実という大怪我を負いながらも、医療部隊の尽力と持ち前の体力により、ザードはギリギリのところで一命を取りとめて大戦より生還した。


―――――――――

――――――

―――




――――マグル村の北西入り口前。


「(……あの時、オレは知った。自分がいかに無力な存在で、世界には果てがなく、強さにゃあいくらでも限度っつーもんがねぇと。この傷がある限りそれはぜってぇ忘れねぇ……)」

 自身の頭頂部付近から右即頭部を通り、首の一部にまで延びている大きな傷痕。ザードはあの時に負った致命傷のうち、唯一痕が残った自身の傷を何気なしになでる。


 振り返り、ロズ丘陵の大森林の入り口を眺めた。


 ほんの1時間前まであった血なまぐさいものは、つい先ほど綺麗さっぱり片付け終わったばかり。

 まさか150人が皆殺しにされた現場だとは思えないほどさわやかな風が、深い森の木々を揺らしている。



「テメェは知らなさ過ぎんだよ、アレクス。昔のオレのようにな」

 思いを馳せるザードを村のほうから呼ぶ声が聞こえる。自分が惚れた女性が、マグル村の人々が、彼を出迎えに外まで出てきていた。


 ザードは一息吐くと、ちょっとセンチになった気分をあらためてから振り返り、いつもの調子を取り戻しながら村へと帰っていった。








――――オリス村、長老宅前の広場。



「お前達は何者だ、何の目的があってこの村にきた!?」

 村人の中でも物怖じしない者達が中心となって、積極的に捕縛した男達を問い詰める。

 しかし相手は囲まれた中にあっても沈黙を続けていた。


「テメェ、痛い目みてぇのかコラぁ!?」

 乱暴な性格の者がしびれを切らしては拳を振り上げるが、他の村人に抑えられるよう鎮められてしまい、実際に攻撃が行われる事はない。


 威勢だけの村人達など恐れるに足らず。


 何せ彼らは社会を恐れず、暴力を恐れず、我欲で他者を蹂躙する事に躊躇いのない者達。ほとんどがなんらかの犯罪経験を有している。捕縛状態にあろうと弱弱しい生き様の村人相手に恐れる事など何もない。



「はぁ、はぁ、はぁっ、待たせたなーみんな。ホネオさん連れてきたぜー!」

 その瞬間、村人達の空気が変わった。尋問が停滞し、苛立ちが募っていた群衆の間に期待の色が立ち上った事を男達も感じ取る。


「(……何者だ、この村の有力者か?)」

 ちょっとした好奇心から、縛られてる身体を軽く傾け、村人達の隙間から彼らが視線を向けている方角を覗き見る。

 足と足の隙間からかろうじて、走り寄ってくる村人らしき下半身と、それに併走する白っぽい何かが動いているのが伺い知れた。


「なんだ……よくわからんが、何かがこっちに来るぞ」

「この状態じゃよく見えねぇ。いったいなんだっていうんだ?」

 ゴロツキだのならず者だの呼ばれた彼らは裏社会でしか知られていないような話も見聞きした事がある。

 そんな自分達を驚かせるものなど、こんな辺鄙な村にありはしないだろう。好奇心はあれど期待は盛り上がらず鼻で笑い、傾けた身体を戻す。


 それよりも後ろ手に縛られて地面に座らされている今、群集が自分達以外に注目を向けているのは絶好のチャンスだった。


「(へっ、素人が……油断大敵ってなぁ)」

 男達は腕を動かし、監視の目が緩んでいる今のうちに、自身を縛る縄を少しずつ緩めてゆく。

 だがまだ行動を起こすのは早い。のんびりと機会を待ってから一気に脱出すればいい。


 何も焦る必要はない。ここは牢獄でもないし、周囲には兵士でもないただの一般人しかいない、余裕も余裕だ。


「ホネオさん、こいつらです。なかなか強情でずっと黙ったままでして……」

 それよりも村人がそんなに信頼を寄せているという者がどんな奴かを拝ませてもらおうかと、男達は誰もが思っていた。


 カシャンカシャンと軽い音が徐々に近づいてくる。


「(? なんだ、鎧…いや、金属の感じじゃない…?)」

 結局音の正体を突き止められず、男達は村人が左右に寄って開いた道に注目し、そして、ギョッとした。


「!!!???」


 

 ―――生ける骸骨スケルトン


 その存在は、裏社会でも一応は聞いた事がある。


 だがそれは遥か大昔の時代の話で、現在ではいわゆるアンデッドの類に属する者は現存していない。

 アンデッドは絶大な力を持った者によって都度作られ、使役される存在であり、完全独立した生き物でも種族でもない。

 生物に限りなく近い形態を取ったり行動を行えたりはするものの、基本は傀儡くぐつ人形でしかないものだ。



 そんな一時的にしか存在できないはずのアンデッド。その中の一つであるスケルトンが目の前にいる。


 まっさきに男達が考えたのは、この村人達の中にスケルトンマスター製作者がいるという線だ。


 一個の生命体にも近しいレベルの存在を魔力で創出し、手駒として操るなど相当のレベルの業であり、その者は確実に魔界出身の実力者であるはず。


 ところが彼らのそうした憶測は、すぐさま裏切られる事になる。



 ―― 話すつもり ないなら それでも 結構 ――


「!? こいつ……言葉を、理解しているのか…?」


 ―― そんなに 驚かれる 初めて。新鮮な 反応で 照れる ――


 スケッチブックを提示しながら、ペンを持った手で後頭部を軽く掻くスケルトンの仕草は、何者かの傀儡とは思えないほど自然なものだった。



「テメェら、ホネオさんを馬鹿にしてんのか、あぁッ!?」

「ホネオさんはなぁ、お前達なんかよりよっぽど頭がいいんだぞ!!」

 村人達が憤り、次々と男達を責め立てる。彼らの反応、そしてホネオとやらを語る様子からしてこのスケルトンは信じられない事に、一個の生物として存在できていて、なおかつこの村の一員という事らしい。


 男達は驚愕し、再び目の前のスケルトンに注目した。




 ―― 話してもらわなくとも だいたいの事 わかってる ――


「何?」


 ―― ドミニク。あれは、天使。潜入者。向こうの工作員。 ――


 ホネオがそれを提示した瞬間、村人はおろか、男達もザワめきはじめた。


 ―― お前達、工作員に のせられた者。口先で。――


「な、なんの事だ! 俺らは自分の意志でドミニクさんにのったんだ!」


 ―― それ、口実。本音は、暴れ、奪いたいだけ。違う? ――


「ッ……」


 ―― 工作員、お前達のそんなところ、見透かして 利用した ――


「か、仮にそうだったとして! じゃあドミニクさんは、何の目的で俺らを利用したってんだ!?」


 ―― 天使の工作員。魔界側にきて やること。簡単 ――


 ゆっくりと、その場にいる全員が自分が書いた文字を読んだ事を確認しつつ、新たなページにペンを走らせては提示していくホネオ。

 いつの間にか村人どころか捕縛されたならず者達まで見入っている。一緒になってキュキュとペンが走る音が止まるのを、いまかいまかと待ちわびていた。



 そして……



 ―― お前達 使って、こちらの 不安 煽る ――


 ―― 人々、不安 思う。 不満 募る ――


 ―― どこかに 不満、ぶつけようとする。どこに ぶつける? ――



「……! そうか、領主様だ!!」

 村人の一人がハッとして声をあげ、ホネオはペンを持った指を器用に鳴らした。


 ―― 正解。領主様、がんばってる。けど、人々に がんばり 関係ない ――


 ―― 我らも 含めて 領民、見る 結果だけ ――


 ―― 領主様、がんばっても 報われない。領民の不満 受ける ――


「………」

 村人達は一様に押し黙った、覚えがあるからだ。村の復興作業に際して、領主に対して文句や愚痴をこぼさなかった者は一人もいない。


 ―― 天使の工作員、そこにつけこむ。狙いは こちら側の混乱 ――


 ―― すぐではない。いつかまた 攻める時のため、火をつける ――


 ―― ドミニクという工作員、この村で領主様の不評、流そうとした ――


 ―― きっと、他の町や村でも 同じことしてきた 違いない ――


「そうか…ホネオさんはあのドミニクとやらの狙いを見切って、だから領主様を信じろと我らにあれほど説得を……」

「やっぱホネオさんすげぇ!」

「ああ、ホネオさんを信じてよかったぜ!」

 流れは完全にドミニクが悪者だ。


 捕縛されている男達は苦虫を噛み潰す。ドミニクが天界側の工作員であったという話は衝撃的ではあったが、少なくともこの村を領主に反発させるという彼らの目論見は完全に失敗に終わった。




「…ちょっと待てよ? それじゃあホネオさん。もしかして他の村や町の中には、あのドミニクとかいう奴の言う事を、真に受けちまったところもあるんじゃあ―――」


 ドカァァッ…ン…ッッ!!


 その時、爆発音が鳴り響く。村の近くではないが音量からアトワルト領内のどこかでと推察できる距離感、そして……


「あっちだ! あれは……オレス村の方だぞ!!」

 黒煙があがっていた。


 そうこうしている内にもさらに続く爆発音と増えてゆく黒煙に村人達が狼狽しはじめる。

 そんな中、ならず者達は口元を吊り上げて、自分達の手首の関節を外していた。







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