第4章3 潜る者を潜み狩る



――――――大いなる山脈グレートラインの中腹。



 比較的近いとはいってもアトワルト領からは間に2つ、他の領地を挟んでなお北方に、この山脈はある。

 先の大戦の際にその頭頂部が削られたとはいえ、もっとも高くて長い山脈として今なお地上世界を二分する、大自然の境界線であり続けている。


 魔界側領土と神界側領土の行き来は依然として簡単ではない。




「………」

 彼女、イムルンが敵を待ち受けている場所も相応に高い標高ではあるが、山頂まではまだ遥か遠く、目を凝らして見上げてみたところでいただきはまったく見えない。


 息をひそめて獲物がやってくるのを待つグレムリンの瞳が、不意に揺らめく。


「来た……あれだ。ウン、間違いない」

 完全に任務モード。格好は相変わらず露出の高い軽装であるものの、その表情からは普段のおふざけな態度が完全に消えていた。



「…………」

 念のため、彼女はより深く対象を観察した。


 先頭を歩いている者は、全身を覆い隠す簡素なローブをまとっているが、覗き見える顔付きや背格好は事前に聞いている情報通り。

 同行する者達も種族こそバラバラだが、明らかに一般人や旅行者ではないゴロツキの雰囲気をまとっている。


「(……そもそもこんな道も整備されてないトコに一般人が来るはずないよねー)」

 石と岩だらけの山肌に、かろうじて天然の坂道が出来ている殺風景で荒れた山中。


 正規の山道から続く分岐点にはいくつも大岩が転がって塞がれており、まともな登山者が興味本位に登って来るような場所ではない。


 事実、イムルンがこうして岩陰に潜みはじめてより4時間が経過してようやく、彼らが最初の通行者であった。


  ・

  ・

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「皆さん、もう少しで目的地です。急ぎましょう」

 ドミニクは自分でもらしくないと思うほど心が泡立っていた。


 アトワルト領での工作活動が順調だった矢先の撤収命令。


 それも命令を下した者の名は、彼らが絶対的忠誠を捧げる相手ときている。その直々の命令となれば、何をさしおいても遂行しなければならない。


 たかだか集合地に向かうだけだが、他の仲間に遅れを取る事も許されないという焦りが生じていた。

 それと同時に、もう少し自身の活動を完璧なものに仕立てておきたかったという残念も、彼の精神の乱れに影響を及ぼしていた。



「(できれば撤収の理由をお教えいただき、その理由次第では直訴して私だけでも活動の再開を―――)」


 ビュン!! ドスッ!


「ドミニク殿!! チッ、何奴だっ?!」

 かばうように前に出た袋口鳥亜人ペリカン・マンが歩みを制したために当たりはしなかったが、ドミニクがあと1歩そのまま進んでいたら確実に当たっていたであろう位置―――地面の上に矢が突き刺さって震えていた。


 その可愛らしい顔とは裏腹に、鋭く矢が飛来した方角を睨む彼に続き、他のお供も、そしてドミニクも何もない岩だらけの山肌に視線を集中させる。

 すると、いくつかの大きな岩の陰から鎧に身を包んだ者達が姿を現した。内一人が弓を手にして、背中より新たな矢を引き抜いてつがえようとしている。


「……見たところ調査団、というところですかね?」

 領主によっては自領の地理や未踏地域を調べるため、私兵にチームを組ませて行動させたりしている。

 出てきた連中は顔をすっぽりと覆うフルフェイスタイプの兜を身につけ、その種族や容姿はハッキリしない。

 しかし、全体的に貧相な下級兵士用に量産されたプロテクタータイプの、色褪いろあせた青緑色の鎧をまとっていた。


 それぞれが刃渡りの短い携行性を重視した剣2本、左腕のアームガードにサイズの小さなバックラー、腰には大きめの荷袋をつけているなど、最低限の装備で統一されている。


 その内2人の背には測量道具らしきものが見え隠れし、1人はなにやら大きめの紙とペン―――おそらくはマッピング中―――を所持していた。



「問題はそのどこぞの調査団がなぜいきなり攻撃してきたか、ですな」

 ペリカン・マンの言に同意するようにドミニクが頷く。調査中にたまたま遭遇した者を攻撃するなど普通はありえない。

 最低でも連中は有無を言わさずこちらを攻撃する理由があるわけだが、その所以ゆえんはすぐに判明した。


『そこにいるのは指名手配中の凶悪犯罪者、ローベロだな! 大人しく縛につけ!!』

 相手の一人が思ったよりも甲高い声で叫ぶ。それを合図にするように、相手の全員が一斉に剣を抜いて臨戦態勢をとった。


「なるほど、そういう事でしたか。たまたま我らと遭遇し、我らの中に犯罪者の姿を見つけた、と」

 組みし易いかと思い、犯罪者やならず者ばかりを手なずけた事がここに来て裏目に出たかと、ドミニクは舌打ちする。

 だが内心ではどこかホッとしていた。自分が工作員である事がバレて追跡されていたわけではなかった、と。


「ですがここで足止めを喰らうのはマズイですね。かといって強行に目的地へ向かえば彼らもついてきてしまう……ローベロさん」

 ローベロと呼ばれた男は、寡黙な半魔半犬ハーフ・コボルトだ。だがその時の心情をよく表情にあらわす。

 ドミニクが何を言わんとしているかを理解し、不敵な、そして危険な犯罪者の笑みを浮かべていた。


「では、ここは頼みましたよ。彼らが私達を追ってこれないよう……もちろん、倒してくれてかまいません。彼らがどこの手の者であろうと死人に口なしですから」

 ドミニク達が走りだす。相手もそれに気付いて追いかけようとするが、間にローベロが立ちはだかった事でその足を止めた。



 ・

 ・

 ・


 言い渡された作戦―――


  ――標的であるドミニク達に攻撃を仕掛け、その際には偶然の遭遇を装う事。


  ――ドミニクに同行していると思われる指名手配犯を狙う事。


  ――ドミニクがモーグルの抜け穴へ向かうように仕向け、引き返させない事。


  ――1人も逃がさないために、自分達で完全に挟み込む形を作る事。


  ――剥がれた敵を排除しつつ、後方より包囲を縮めてゆく事。


 イムルンは改めて頭の中で自分の役目を踏まえて確認する。



「(ここまで予定通り…っと。ホントにこれでいいんですかねー、ウチがサクっと全員ヤっちゃった方が簡単なんじゃー? 何もこんなまわりくどい事しなくても)」

 そこまで考えてイムルンは思い出していた、自分が地上に来た魔王と合流した時の事を。


「あぁ、ご自身でも楽しみたいんでしたっけ。んじゃ、こっちはまずアレ1匹で我慢しとくとしますかー」

 そう言いながら岩陰から姿をあらわした者にローベロはギクリとした。対峙した調査団らしき者達以外、この場に他の気配はないと思っていたからだ。

 にも関わらず、まだ潜んでいた者がいてその気配に気付けなかったという事実。


 それだけで目の前の破廉恥な格好の女が、相当な実力を有している事を理解する。



「そう身構えずにさー。もっと楽にしなよ、でないと遊びにもなんないよ?」

 軽い口調と態度の彼女からまるで隙が見出せない。


 冷や汗がにじんだ次の瞬間、ローベロのそれは大量の脂汗へと変わった。


 パチン。


 イムルンが指を鳴らした瞬間、これまで戦っていた相手が一人残らず消え去った。転移や目にも止まらぬ速さで移動したとかではない。完全に消滅したのだ。


「ま、天使の工作員っていってもさー。この程度の幻術も見破れないようじゃあ、たかが知れてるよねぇ。アンタもそう思わない?」

 彼女の声からどんどん感情がなくなってゆく。


 ローベロは、気配を感じさせる幻など聞いた事がないと心の中で叫んだが、口はパクパクと動くばかりで言葉が出ない。

 滝のように流れる汗が、両脚をつたって地面を湿らせてゆく……


 ……フヒュンッ!!


 宝石のように深みのある蒼だったグレムリンの瞳が金色に輝いたかと思うと、ローベロの眼前に彼女の顔はあった。

 一見すると愛らしい、しかし途方もなく恐怖がこみ上げさせてくる敵の瞳が、ほんの30cm程度の距離で己と視線を交差していた。


 彼は咄嗟とっさに、両手にもっていた逆さに湾曲した刀剣を自身の前で交差させるように振るいあげる!


 ガキン!!!


 ローベロ自身は迫るグレムリンの身を押し留めようと思っての行動だった。だが、まったく認識できていなかった彼女の攻撃を偶然にも防ぐ事ができた。


「うんうん、それくらいでなくちゃつまらないよねぇ~、アハハハハッ」

 笑い声―――しかし笑顔ではない。終始薄ら笑いで固まった表情でそのしなやかなる身をひるがえし、間合いをあける彼女。


 イムルンの瞳には感情らしいものは一切感じられない。情けもなく、ローベロをまるで命などない玩具を見る、無邪気な子供から感じる恐ろしさ。

 狂気すら含んでいそうな視線を一身に受け、凶悪犯罪者たる自分が、とても可愛いものだろうと笑いたくすらあった。


「(時間稼ぎはジャスト10分。このワンワンをねじ伏せるのは簡単……過ぎるなぁ。うーん、逆に面倒だなコレは~)」








――――――グレートライン、モーグルの抜け穴手前。


「ハァハァ、追っ手は…ありませんか?」

 どんどん急勾配になり、足場もより荒れてくる坂道を登りながら、ドミニクは息を乱しつつ後ろを振り返った。お供3人の後ろには誰もいない。


「……心配いらない。仮にいたとしても途中で食い止められるはず」

 ペリカンマンの言うとおり、ここまでの道程には途中、供だってきた部下を置いてきている。あの調査団の一行がローベロをかわして追ってきたとしても、自分達に追いつく事はできないだろう。


 万が一の時にはモーグルの抜け穴に飛び込み、そのまま神界側まで逃走してしまえばいい。もっともその時は、ドミニクは部下を捨て駒にして自分だけ助かる事になるわけだが。


「(皆と合流すればあの程度、返り討ちにするは容易い。それも手段の一つとして考え……)」



 <静止する影ディアクティブ・ワン


 静かな、しかしよく通る男の声とともに、ドミニクは身動きが出来なくなった。

 言葉を発せず、眉一つ動かす事もままならない。時間にして2、3秒の間に、眼前で部下が砕け散ってゆく。


「(な…? …こ、こいつは一体!??)」

 理解が追いつかないままに、最後まで粘っていたペリカンマンも首と胴が離れた。


 敵とおぼしき相手は1人だけ。振るう剣はオーソドックスなもので、これといった装飾もない、きわめて地味でありふれた両刃剣のみ。



「まぁ、チンピラはこんなものだろうな」

 ドミニクを残し、一言の叫びもあげずに死んだ部下。この魔界側の領内で言葉巧みにスカウトした者達ゆえ情はない。だが、その凄惨にしてあっさりとした殺され方を目の当たりにしたドミニクは戦慄する。


「さて、本命といこうか」

 男は持っていた剣を無造作に投げ捨てた。血のりがたっぷりと付着した刀身は、まだ刃こぼれ一つおこしておらず、陽光に照らされて銀色の輝きを返している。



 パチン。



 男が指を鳴らすと同時にドミニクの全身に自由が戻った。思わずつまずきそうになるが踏ん張り、ワンステップ後方に飛びのいて男から間合いを離す。


「何者です……と、聞いておいてなんですが、素直に話してはくれないのでしょうね」

 自分の混乱具合が手にとるようにわかる。思考が乱れた状態……非常にマズイ展開だ。ドミニクはまとまらない頭で必死に状況を分析する。


 一番考えられるのはローベロの件だろうか。


 先に遭遇した者達は偶然ではなく、ローベロ一味を追ってきた者と考えるのが妥当で、この男は雰囲気から察するに彼らの隊長格か何か。そしてこちらの動きを先読みし、ここで待ち構えていた―――


「(いや、それはおかしいですね? 部下達も含め、目的地を誰かに明かした事はない。どうして我らがここへ向かうとわかるのか?)」

 モーグルにしても手紙を預かってきただけで、ドミニク達の集合場所は封がきちんと施されていた手紙の中に書かれていたから、彼からどこかに漏れたという可能性は低い。

 かといって偶然というのは無理があるし、そもそも目の前の敵が何者かも判然としない。フルフェイスのヘルメットで顔が見えず、種族も不明瞭だ。


 しかしヘルメット頭頂部のトサカの、禍々しく前方に鋭い牙を剥くような形状。動きやすさのためか間接の装甲を省いたフルプレート。身にまとっている装備は豪華で、いかに下っ端ゴロツキ相手であったとはいえ、先ほどの戦いぶりからして実力は相当に高い事は明らか。



「(こちらの行動を縛る魔法といい、魔界側の名士でしょうか? ともあれ近接戦は不利ですね)」

 なぜ剣を捨てたかなど謎は残るが、不確定要素からの推測に頼る分析はこれ以上は難しい。

 最優先として、ドミニクはとにかくこの場を切り抜ける策を考え出す。


 互いにジリジリと間合いを計りあう中、ドミニクは腕を動かさず、指先だけを相手に向けた。



必着の光フィンガー・ライト


 一発、二発と指を折り、5発の光弾を連射。

 男は素早く右にステップを踏んで避けようとしたが、この魔法は敵を追尾する。軌道を変えて自分に向かってくる光の弾に対し、相手は左腕を前に出して防御した。


 パパァッパァンッパァッ! パァンッ!!


 全弾命中。だがドミニクの顔に喜色は浮かばない。

 もともとたいした威力ではない上に、装甲の厚いフルプレートを纏っている相手に、ダメージを見込めない事はもとより承知している。


 着弾と同時に相手の動きが止まった隙を狙い、さらに間合いをあけながら素早く両手を交差させた。



「これならどうです? <赤き墓標の頂点フレイム・ピラミッド>」

 唱えると同時に交差させた腕を解く。


 その瞬間、男を中心に納めるよう、その周囲に四角錐を描く頂点位置に魔法陣が展開して図形の内側に火を噴いた!

 四角錐の中はあっと言う間に炎一色になり、男の姿は紅蓮の中へと掻き消える。


「………」

 ドミニクは二度後方にステップを踏み、さらに間合いを開いた。


 正直なところ、これで致命的なダメージを与えられなくとも良い。火傷の一つも負えばその動きは大きく制限される事になる。そうなればこの場より逃げ切れる可能性が高くなるはずだ。


 最初から勝利など考えていない。まず、なによりもまずこの場から離れる事。


 敵の正体は不明でも、確実に自分に敵対してくる者がいる今、まずは行方をくらませて安全を確保し、それから落ち着いて今後の方策を考えるべきだと結論付けていた。

 だが彼が想定したとおり、敵は容易く自分を逃がしてはくれない。



 ヒュンッ!! パキィッ!!



「ッ! やはり魔法を…、かなりの手錬てだれですね」

 氷のつぶてが飛んできて自分の近くにあった岩に当たる。破壊はされず、岩肌の一部が氷結したところを見ると、拘束目的の攻撃だろうか。


「そちらこそ思っていたよりはやる。楽しませてくれそうだな」

 ドミニクは軽く眉をひそめた。今の発言から考えられる、敵の戦闘に対する姿勢……おそらくは戦いを楽しむタイプだろう。

 戦闘というものに対して結果よりも戦い甲斐を求める者ではないかと推測し、自分の勝率が上がったことを確信する。


「……私などより、他にいくらでも戦うに値する者はいると思うのですが?」

 よしんば敵の襲撃の目的を吐露させる。


 ここは既にモーグルの抜け穴にかなり近い位置だ。もしこの敵が自分が到着する前に抜け穴の事を知り、仲間である工作員達を捕縛した後だとしたら―――いまだ無事なドミニクにはなんとしても神界側に戻り、工作員達なかまが捕らわれた事を伝える義務が生じる。


「事情あって、こうして戦闘に出る機会が少なくてな……<巻雷ハグ>」

「ッ、ぬ…くッ!」

 電流が渦を巻きながら広がり、ドミニクの周囲を取り囲む。決してその身に触れてはこないが、流れ続ける電流線が彼のまわりを完全に包囲していた。


「さて、これをどう切り抜けるかな?」

 腕を組み、ドミニクが自分の魔法にどう対処するか見物するといった態度を取る男。続け様に攻撃を仕掛けようとする様子はない。直立不動だ。



「(やはり戦闘狂。ならばまだ付け入る隙はありますねッ)」


 <幕引き後の役者ポイント・スライド


 ビュビュビュビュビュビュ……、……―――ビシュンッ!!


「! ほぉう、短距離の座標移動系魔法か。いざという時に拘束を逃れる用といったところか?」

 男は一転して前に飛び出してきた。焦ってはいないだろうが、せっかくの獲物を逃がすのも勿体無いといった風に、かろやかに間合いを詰めてくる。


「愚か! 不用意ですよっ、<魔を吹き飛ばす聖なる手オールエビルズ・バスタード>」

 ドミニクがもっとも自信を持っている攻撃魔法。今までこれで倒せなかった敵はいないと自負している、文字通りの切り札。しかし―――


 パァァ…ブフォバァアアッ!!!


「? なんだコレは。随分とちゃちな攻撃魔法だな」


 ガシッ!!


 舞い上がった砂煙。その中で自分の腕を掴みながら平然とした言葉を放つ敵。


 もしかしたら通用しないかもしれないと、一応はその可能性を考慮していた。

 しかし通用しないにしても怯ませるくらいは出来るはずだと思っていたのが、まともに受けて、なお間合いを詰めて前に突き出した自分の腕を掴むなど……


「並みの者ではない、相当な実力者……やはりこちらの事はバレていましたか」

 自分達が神界側の工作員とバレているに違いない。そして敵が待ち構えていた事を加味すると、他の仲間は既に捕まっている可能性が高かった。


 願わくば抜け穴を通り、逃げ切ってくれていればとも思うが、それなら敵がこんなところで自分を待ち構えてるはずがない。既に捕えた者から、まだここに来る者がいる事―――ドミニクがやってくる事を聞きだしたからこそだろう。


「なんだ、もうおしまいか? 存外浅いものだな。少々期待しすぎた―――」



 ズボムッ!!!



「何?!」

 さすがの男も驚き、怯んだ。

 掴んでいたはずの敵の手首―――ドミニクの片手――が爆発し、千切れたのだ。

 苦痛に顔を歪めながらも束縛から逃れた事を確認すると、ドミニクはすかさず魔法を唱える。



「<印消えぬは我が居室なりムービング・セーフティホーム>!!!」


 その瞬間、魔力の光に包まれたドミニクは山脈のふもとに向けて飛び出す。いざという時のため、マーキングの魔法陣を施してある場所へと高速に退避することができる瞬速移動魔法テレポートだ。


「よし、ひとまず離脱は成―――ゴハッァ??!」



 ブシュァアァアアァッッ!! ドサッ!!



 後ろ向きに空中へと飛び出していたドミニクの背中、天使たる証明ともいえるその翼が隠されている辺りに2本のナイフを突き刺され、両脚で彼の腰を蹴りながら自身の体重をかけ、そして魔力でもって彼の魔法をかき消す。


 無残にも地面に叩きつけられたドミニクの背には、一人のグレムリンが乗っかっていた。



「イムルン。お前また―――」

 せっかくの獲物を掠め取られるのはこれで二度目だ。不満たらたらの声色で咎めようとする上司の言葉をさえぎり、彼女は口を挟む。


「いやー、今回は逃げられちゃさすがにマズいですって。……手出ししても問題ないですよねー?」

 遊びすぎて失態を犯しそうだった魔王に、それをフォローした部下が皮肉たっぷりにハニかむ。


「く……そ、そうだな。はぁ…だがこちらは欲求不満だ、まったく」

「あはは、貴方様が満足するレベルの相手って、地上にはいないんじゃないですかねー。諦めてくださいよ、っと」

 言いながらイムルンは、ドミニクの背に突き刺したままの2本の短剣をグリグリと動かし、より深く押し込んだ。


「ぐああああああッッ!!!」

 ドミニクの絶叫が岩場にとどろく。止まりかけていた出血が再び勢いを増し、伏している彼の身体の下に出来た血溜まりが、その面積を広げた。


「ああ、そうそう。コイツの部下は全員ぶち殺しておきましたよ、ここまでの道中にいたのも全部。地上のコッチ側のゴロツキばっかでしたから問題ないですよね。 ……で、コイツはどうします? このままだとたぶん出血だけであの世行きかなーって思うんですけど」

「もちろん引き出すものを引き出す。手当ては必要ないが、早々と “ 入れて ” おいた方がよさそうだな」

 魔王が片手を挙げる。するとあたりの岩陰からいくつもの紫色の球体が浮かび上がって周囲に落ちた。人一人が十分におさまる大きさのソレは、よく目を凝らせばまさに人影が見える。


「空いているものは……よし、コイツに押し込め」

「はーい。ほら立ちな、んでもって~…ドーンッ」

 イムルンが失血でフラフラ状態のドミニクの背を押すと、紫色の球体の一つにその身が沈んだ。


「これでいい。少なくともその中にいる間、死ぬことはない」



内包するは時動かぬモノポージング・シャボン

 ――――――中に居る限り、生き物だろうと無生物だろうと、入れられた時の状態を保ち続ける魔法。

 出し入れの自由は術者にのみ権限があるが、魔力をもって抵抗すれば中に入れられている者が自力で移動し、外に出る事も可能である。それゆえ捕縛目的でこの魔法を用いる場合、対象をある程度弱らせてから投入する必要がある。


 ちなみに魔王はこの魔法を、お土産を買って帰る際の保存バッグとして用いていたりする。




「よし、情報を引き出すとしよう。既に聞きだしているほかの者はイムルン、念のために今一度搾っておけ。さて……<口の軽い隣人インフォームド・トーカー>」

 どんなに口を閉ざそうとも、強制的に情報を語らせる強制聴取が可能な魔法。術者が念じた質問に対し、かけられた者はまるで抵抗できずにスラスラと答えてしまう。


 ドミニクの意志とは関係なく、紫の球体からまるでスピーカーを通したような彼の声が響きはじめた。



 ―――お前の名と身分を明かせ。

『ドミニク。天使族下級第9位、神界諜報部所属。戦後、地上担当として赴任した』


 ―――お前の活動地と、そこを選んだ理由を答えよ。

『アトワルト領。目を付けたのは片田舎である事、領主が新任で領民の信頼にいまだ欠けるであろう点を狙っての事だ』


 ―――アトワルト領主との接触は? またその理由を答えよ。

『ある。どのような者であるか探りを入れるため。活動を行うにあたり、事前に訪問し、学者を装って話を聞きだした』


 ―――聞き出した話とは?

『領地経営に難儀している事。なかなか領地全体に手が回っていない事。私兵を雇う事もままならない事……』



 そこまで聞いて、魔王はふと奇妙な違和感を覚える。


 ナガン領メリュジーネの屋敷にて、アトワルト領についてのこれまでの経過を聞いた限り、むしろ地上の片田舎を短期間で順調に繁栄させてきたように記憶している。領主の手腕は極めて優秀であったと評することのできる情報ばかりだった。


 だがドミニクが領主本人から聞いたという話は、いずれもあえて弱みを晒すかのような内容ばかり。中には事前に得ている情報とは明らかに矛盾する物もあった。


「(ふむ、これはどういう事だ? メリュジーネの屋敷でナガン領とアトワルト領の交易の記録などの資料を見せてもらった限りでは、執事ロディに教えてもらった情報のほうが正確なはず。この魔法で虚偽を語る事はできないのだが……)」

 既に瀕死のドミニクが、何かしらの魔法なり特殊能力なりを用いているとは思えない。魔力も感じず、魔導具のような特別なアイテムを所持している様子もなかった。



 ―――……一連の話を聞き出し、お前はアトワルト領主をどう思った?

『容易く策謀を張り巡らせる事ができ、貶めるに容易しと感じた。年若く、領主として不備だらけであるならば、我が企みも楽に成就するだろうと』



「クッ、ククク…ハッハッ、なるほど? どうやら見抜いていたようだな。あるいは予見していたか? まぁどちらでも良いが、あの若さで工作員を泳がそうという考えが出来るとはな」

 魔王は、アトワルト領主―――ミミが、ドミニクが訪問してきた時点で彼が工作員、もしくはよからぬ者と見抜き、その上であえて弱みを見せて自領内を泳がせたと推測。

 驚きと賞賛からつい声を出して笑ってしまった。


『ぐぅ…ハァハァ、しかし…私の策略さくりゃくは既に成就している…もう手遅れです。あの領主が私を見抜き、何事かの目的を持って我らを看過していたとしても火は燃え盛る。そこに我らがいる必要はありません、事は間もなく始まるはず…ハハッ、ハーッハッハッ、ゲホッゴホッ……ハァ、ハァ…我らの勝利…ッ』

 高らかに笑うドミニクの声からは負け惜しみの苦しさは感じない。むしろ深い自信を孕んでいた。


「ならば次は、その策略とやらを聞かせてもらうとし――」




 ドカァァッ……ン……


「タスアナ様! あれを!!」

 魔王が振り返るより先んじてイムルンが呼びかけ、指を指す。その方角はグレートラインの山肌とは逆の、魔界側の地上領土内、彼らのいるグレートライン中腹あたりからは直線距離で200~300kmは離れているであろう先で細い黒煙が上がっているのが辛うじて確認できた。


「随分と遠くの爆音だとは思ったが……先ほどのはアレか?」

「ですね。あ、うっすらとですが火の手も見えますよ」


『ク…クックック…、どうやら…ハァハァ、始まった…ようですね。フフッ、フフッ…もう、かの地は終わりです。混乱と暴力に染ま…る…、今からではとても止められはしないでしょう、ハハハハッ、アーッハッハッハ!!!』


 ボシュッ!!


 紫の球体から半透明感がなくなり、完全にドミニクの姿と声が掻き消えた。魔王は握り潰すように結んだ手をゆっくり開くと、あらためて黒煙の立つ方角を見る。


ゴォォォ…ン……ドォン…ドドォン……


 新たな爆発音が継続的に鳴り響き、上がる黒煙の数が増えてゆく。


「あちゃー。あれはマジでヤバそうですけど、どーします??」

「とりあえずは放っておく。こっちはこっちで、こいつ等を “ アイツ ” に引き渡す仕事が残っているからな」


「? アイツ…っていうのはどこのドイツです?? ウチも知ってる人かな??」

 イムルンはくりんと小首を90度横にひねる。先ほどまでの真面目な雰囲気はどこへやら、戦闘が終わった事もあってかすっかりいつもの調子に戻っていた。


「(ふーむ……いかに直轄といえど、イムルンを “ 奴 ” に引き合わせるのはやめておいたほうがいいか)」

 魔王は考える。


 イムルンだけ先にアトワルト領に向かわせる、というのも有りではあるが、そもそも彼女は地上における自分の護衛という立場で側に付いている。

 先ほどのように戦闘で作戦としての別行動ならともかく、大きく離れるような事はあまりしない方が良い。


 とはいえ、モーグルの抜け穴を共に通り、神に会う場に居合わせさせるのもできれば回避したい。

 そんな魔王が導き出した答えは……


「イムルン、お前は抜け穴の前で待機だ。まだコイツらの仲間がここに来ないとも限らん。私は抜け穴を通り、神界側へ向かう。あちらには私の意で潜入している者が待っているはずだからな、そいつに工作員達こいつらを引き渡し、戻ってくる」


「大丈夫ですかぁ~? ウチらみたいに、あっちでも待ち伏せとかしてるかもしれませんよ??」

「問題ない。抜け穴を出る前に向こうに確認の通信を飛ばす。それに―――」


 ドッ……ドォン……ガァン……ドガァン…


 遠くからこだましてくる爆発音は、いまだ鳴り止まない。


「ここはなるべく早く収めて、あちらアトワルト領に向かった方がよさそうだからな、さっと行ってすぐ戻ってくるつもりだ」










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