第4章2 縁は味なもの



――――魔界、魔王の城。謁見の間へと続く廊下。




「!?」


「………」


「…っぁ、す、すみません」


「……で…でけぇ……」


「馬…? でもあの股間のあたりにいる少女って……ルリウス様よね??」


「ええ、淫魔族の。一体何なのかしら?」




 辺りにいる誰もが唖然としている。

 当然だ。この私――ダゴルドもまた、彼らと同じくみっともなく口を開いたまま、閉ざすことができないでいるのだから。


 巨大な漆黒の馬―――廊下の天井ギリギリの直立で歩く魔獣―――の進行。


 普通ならすぐさま衛兵が飛んでくるであろう光景。しかしそうはならないだろう。なぜならば―――


「おお、ダゴルド卿ではないか? 久しいのう、おぬしは城勤めであったなそういえば」

 魔馬の下腹部あたりにある見知った者の姿。その者こそこの魔界の貴族社会においても最上位貴族の一人。

 幼き少女にしか思えない容姿ながら、淫魔族を統べる伝説の救世主クスキルラ=ルリウス、その人である。


「お、お久しぶりでございます、ルリウス様。今日はその、また…えー、なんと申しましょうか……」

 自分も決して貴族としての地位は低くはないが、さすがに上位者たる彼女には頭があがらない。

 いやそれはこの状況下で適切な言葉をつむげないでいる己の情けなさをフォローする言い訳でしかないだろう。


 自分も蛸脚半人スキュラ・クラーケンという、見た目では相応に怪物視されてもおかしくない種族の出の者ではあるが、今の彼女と比べると自分などカワイイものだと断言できる。



「まぁ、言いたい事はだいたいわかるがの。大目に―――少し、失礼するぞ」

「??」


ボゴンッ!!!


「うぇおぁ!? る、ルリウス殿、大丈夫ですか!?」

 彼女の腹が急に肥大化して、本人が丸々おさまれそうなほどの膨らみを目の当たりにする。

 誰が驚きと心配を抱かずにいられようか? 思わず珍妙な声をあげてしまった。


 その身を包んでいる和風の装束がゆったりとした衣装ものでなければ、衣服が割けていたに違いない。あるいはコレを見越した上でのお召し物のチョイスなのだろうか?



「うぷ………ふぅ、やはり魔馬デビルホースの精力は強烈じゃのう。儂でも受けきるのは大変じゃ。心配は無用、魔獣の “ 注文 ” を受けておってのう。その仕込みをしておる最中でな」

 ふと見ると、軽くめくれあがった裾の下から、彼女の両足と魔馬の両太ももが融合しているのが見えた。


「なるほど、その魔獣は貴女が操っておられるのですね」

「ほう、めざといのう。ウム、気性の荒い奴でな。ちょうど良い機会じゃて、ペットとしての教育も兼ねておる。<操るは纏いし衣なりマリオネット・アーマー>という術を使こうておっての。移動が楽でよい」

 いまだ巨大に膨らんだ腹を抱えつつ、平然とした口調で語る少女。今、彼女は意図的に魔獣を身篭ろうとしているのだ。



 ―――魔獣は、魔獣同士の交配のみならず、高位の実力者が意識的に産み落とす事ができる。相手は誰でも良いが、種元が魔獣ならばなお成功確率は高くなり、それが産み出そうとしている魔獣の近親種であればさらに良い。


 つまり彼女ルリウスは、馬系の魔獣を自らの胎内にて作り出そうとしているという事だ。


「その魔馬は貴女のペットでしたか。こう言ってはなんなのですが、貴女を襲い捕らえた魔獣が城に乱入してきたのかと思いましたよ」

 もちろんそれは冗談だ。いや最初にこの姿を見た時は、一瞬とはいえ本当にそう思ったのは事実だが。

 しかし少女が他でもない、クスキルラ=ルリウスならばそれはありえない。魔獣程度にしてやられるほど、甘くも弱くもない御方なのだから。


「フフフ、皆が驚きの顔を浮かべるのが面白いでのう。この姿を見てギョッとしてくれるならば、面倒な魔獣産みを請けおった甲斐があるというものじゃ」

 わずかだがさきほどよりの腹の膨らみがしぼんで、彼女の顔が見えはじめた。とりあえずはホっとする。

 いくら問題ないとわかっていても、それほどにこの幼い少女と巨大な魔馬の図というのは、何かと危険な想像をかきたてられてしまう構図だ。



「ところでじゃ、ダゴルド卿。魔王の奴はおるかの? やってきたからには挨拶くらいはしておかねばと思うておるのじゃが」

 そこらの貴族ならば門前で用件聴取や取次ぎを挟むが、彼女はフリーパスでこの城に入退場可能。それゆえ誰にも話を聞かずにここまで来たのだろう。それはそれで失礼にあたるのではないかとも思うのだが……


「ご存知ありませんでしたか? 魔王様は今、城をお空けになっていらっしゃいますよ。どちらにおもむかれたかまでは、申し訳ありませんが私めは存じ上げてはおりません」

 割とよくある事。

 魔王様はその偉大さとはミスマッチに “ ヤンチャ ” をよくなさる。その一つが唐突にフラリといずこかへおもむかれる事だ。

 何か重要な御用をなさる時もあれば、単に気になるお菓子を買いに行ってただけ、なんて事もある。ただ威張っているだけの一部の上流貴族と比べれば、とても好感のおける御方である。


 とはいえ、自分達城勤めの者にとっては困る事も多いので、できれば一声かけていってほしいと常々悩まされる罪な御方でもあるのだが。


「やれやれ、またか。しょうがない御方じゃのう……とりあえず側近の者にでも話を聞くとするか。すまなかったの、忙しいであろうに足を止めさせてしもうて」

「いえいえ、ルリウス様ともあろう御方を前にして、挨拶なしにすれ違うはそれこそ不敬というものです。では、御緩ごゆるりと御寛おくつろぎくださいませ」

 おそらく現在すべての貴族の中で、魔王城にて心の底からくつろげるのは彼女ルリウスくらいのものだろう。


 魔王様の居城は魔王様の住まいである。それ以外にこの城で寛げる者がいるとするならそれは………








――――魔王の城、クローゼットルーム


「まー、まー! これはこれは、ようこそいらっしゃいましたルリウス様」

「久しぶりじゃのうクライクス。今は衣長ころもちょうを務めておると聞いておったが、すっかり板についておるようじゃな」

 居並ぶメイド達は、目を丸くして二人を見ていた。


 ファフナー魔龍族のクライクスも、メイド服を着たゴツゴツした体表を持つ黒き二足歩行のドラゴンという、見た目には相当にゴツイものがある女性だが、その彼女が今対峙しているルリウスの姿はその上をゆく。


 そんな規格外な姿の二人が親しげに会話を交わしている光景は、見ているメイド達に緊張と珍妙さと敬意と畏怖と……とにかく色々な感情を同時に求められるものだった。


「それで、今日はいかがなされたのでしょう? 何かご入用の御衣装でもございますか? 貴女様の昔の御衣類もすべて保管しておりますよ」

「それは嬉しいかぎりだのう。じゃが今日は服の事ではなく、近頃の“ あやつ ” について話を聞こうと思うてこちらに来させてもらったのじゃ」

「まぁ…それはそれは。でしたら最近、魔王様の側付きを務めた者がおりますゆえ、御呼び致しましょう。レクレーン、ウーネリーを呼んで来て頂戴。それとシーナンはお茶の御用意を、他の者は作業に戻るように」


  ・

  ・

  ・


「あ、あの! えと、ほ、本日はお日柄もよくー」

「そう緊張するでない―――まぁ儂の今の姿を見れば無理からぬ事か。じゃが今は仕込みの大事な時期でのう、この後ろのデカいのは外すわけにもいかんのじゃ。慣れろとまでは言わぬが、とりあえず落ち着け、のう?」

 小ぢんまりしたテーブルに椅子が3つ。マーメイド族のウーネリーには丁度いい大きさ。


 だがクライクス衣長はやや座りにくそうに、ウーネリーと対面する位置に座っている客人たる彼女ルリウスにいたっては椅子を横に除けて、巨大な魔馬をその場に座らせて椅子とし、彼の股間部に座っている ―――裾の長い和ドレスで下半身がどうなっているかはわからないが――― 形だ。


 ウーネリーのように身分の低いただの一メイドに対し、あきらかに超上位者の雰囲気と威圧感を放つ客人が一体何の用があるというのだろうか? 彼女の心は緊張と不安ではち切れそうだった。


「ウーネリー。この御方はクスキルラ=ルリウス様。淫魔族の長であり魔王様の―――」

 部下の緊張を察してか、クライクス衣長がルリウスを紹介する。しかしあるところでルリウスは彼女の言葉を横から制し、自分が口を開いた。


「そこまでは言わずとも良い。……ウーネリーとやら、何もおぬしを糾弾しにきたわけではなし、悪しざまな事を求めるでもないでな。ただ聞かせて欲しいのじゃ、魔王……んん、最近、魔王様の側務めを担ったという、おぬしの話をの」


「は、はぁ…。…えと、ですがクスキルラ様」


「ルリウスで良い。かしこまらずとも、楽に話してくれてかまわぬ」

「は、はい。えーと…で、では失礼しましてルリウス様。私が魔王様の側務めを担ったのは、もう結構前の事でして。その後、魔王様はいずこかへとお出かけになられたままでして」

 ウーネリーは、いかにもたいした話もできそうになく申し訳ないと言わんばかりに縮こまる。

 しかしルリウスはよいよいとほがらかに笑って見せた。


「アレがいずこかへとフラつく癖は、今にはじまった話ではない。別にたいした話を聞きたいというわけでもないからの。何か気になったり、面白い雑談でも聞ければと思っただけじゃ。そう気に病む事はないのじゃぞ」

 困惑するウーネリー。


 ルリウスの見た目は完全にロリッ娘だが、話し方はかなりの年輩者たる威厳と優しさを有しているもの。

 そのギャップに戸惑い、どんな調子で対話すればよいのかわからない。


 頭の中が “ ロリBBA ” という、口にすれば絶対に失礼に値する単語で埋め尽くされてしまっていて、切り出すべき言葉が何一つ生まれてこなかった。


「そ、そのえーと…あ、そ、そういえば! い、以前ここにいた私のメイド友達がですね、魔王様のお側務めによく御呼ばれしてましてですね!」

 偶然か、それとも友情からくる助けか。ウーネリーの中にポッと湧き出した話の種が芽を出す。

 彼女は、今は別の地へと行ってしまった元同僚の事をルリウスに話しはじめた。


「その娘は……えーと、ハーフエレメンタリオっていうちょっと変わった種族の娘なんですけど。だからかな? 魔王様に気に入られたみたいで……ね、閨にも呼ばれたらしいですよ!」

「……ほう? それは興味深い話じゃの。その娘はどのような者なのじゃ?」

 ウーネリーは単純に、女性特有の男女ごとへの興味からルリウスが食い尽きてきたと思った。

 だがルリウスが興味を示したのは別の感情からきている事を、クライクス衣長だけが理解し、下手に藪をつつかぬよう口を閉ざしたまま静かにお茶のお変わりを注ぐ。


「えっと、んー…スタイルは細いけど、出るとこやや物足りない? でもでも、とても綺麗で、特に髪なんかは流れるような感じで……あ、あと凄く真面目! ちょっと融通が利かないかなって感じなんですけど」

 先ほどまでの緊張や不安を払拭したいと、ウーネリーは勢いにまかせて次々と言葉を紡いだ。

 ある程度は友の贔屓目があるとしても、その者への好感と友情を感じさせる雰囲気を醸しながら、とにかく話まくる。


 最初こそ少しピリッとしたルリウスだが、今は穏やかな微笑みを称えて聞いている。クライクス衣長はホッと安堵のため息をつくと、二人に新しいお茶を差し出した。


「少し落ち着きなさい、ウーネリー。それではきちんと伝わらないではないですか。それと貴女……脚」

「あ! し、失礼しました!!」

 マーメイドらしい魚の脚部が椅子から伸びている。いつの間にか二足から元に戻ってしまっていた事にすら気付かなかったウーネリーは顔を赤らめ、急いで二足へと戻した。



「彼女の言う娘とは、ルオウ=イフスというメイドの事です。かつてこのクローゼットルームにも務めておりました故、私もよく存じておりますよ」

 部下が落ち着くまでのつなぎとしてクライクスは口を開く。ルリウスの視線が自分に移った事を感じ取り、彼女はさらに続けた。


「真面目で、みずからの分をわきまえようとし、メイドとしての能力は完璧と言える者でした。しかしながら堅きに過ぎ、まだ若いがゆえに経験も不足……彼女の異動の理由は、そのあたりにあるように伺っておりましたが」

 しかしそこでクライクスは、何か気になる点があるとばかりに少し考える素振りを取る。


「……私個人の所見ではございますが彼女、イフスには何かあるのではないかと。そして異動になった本当の理由はそちらにあるのでは、と思う事もあるのです」

「何か、というところまでは……心当たりがあるわけではなさそうじゃの」

 ルリウスの慧眼恐れ入るとばかりにクライクスは軽く頭下げた。


「ええ。ですが噂で少し聞いた事がございます。イフスの両親はよからぬ者のせいで亡くなったと。イフスがこの魔王城に勤めるメイドとなったのも、魔王様が彼女の身を保護するためであったのではないかとも……」

 その話に一番興味を示したのは、彼女の友人であったウーネリーだ。ルリウスは興味はないわけではないが、今自分が知りたい情報からは程遠いものであると感じ、深く聞こうとはしない。



「ふむ、なにやらありそうじゃのう。ま、いわく付きの者などこの魔界にはごまんとおろうて。それで? そのイフスというメイドは、この城よりいずこへ異動したのじゃ?」

 ルリウスは話題を変える軽い気持ちで疑問を呈したつもりだった。だが返ってきた答えに、その目を見開く事となる。


「確か地上の……、数年前に領主として赴任なさられたワラビット族の御貴族、アトワルト侯付きとして、魔王様よりかの方に送られる形でと聞き及んでおり―――ルリウス様?」

 クライクスは思わず言葉を切ってルリウスを見た。それほど今のルリウスは、普段見ないような驚愕に満ちた表情を浮かべていたのだろう。


「そのアトワルト侯とやら、正式な名はミミ=オプス=アトワルトと申す者で合っておるかの?」

「え、ええ。その通りですが、もしかしてお知り合いでしょうか?」


「いや面識はない。じゃが、このところ何かとよく聞く名であってな。ククク、なんともはや……不思議なものじゃのう」

 これが笑わずにいられようか? おそらくはそのワラビット本人は今頃何も知らぬままに過ごしている事だろう。

 だがそのあずかり知らぬ場で、自身の名が頻繁に誰かの話に上がる――――ルリウスはそれを運命力と呼び、一種のカンを働かせるにあたり、頼りとする材料にしていた。



「(これは流れじゃ。その者に関する流れが起こっておるという事に他ならぬ。もっとも問題は、それが良いものか悪いものかという点じゃが)」

 本人がそうなるように周到に仕組んだとなれば話は別だが、そうでなく意図せず起こっている流れは、やがて大きな結果をもたらす事になる。

 長年生きてきたルリウスにはその流れを感じずにはいられない。では自身はその流れに乗るべきか反るべきか? と考えてしまう。しかしそれは自分の用向きの本命ではない。


「……おっと、城にきた用を済ますのを忘れておったわ。話を少し戻すがウーネリーよ。今、魔王様はこの城にはおらぬという事で間違いないのじゃな?」

「え、あ、はい。間違いないです。どちらに行かれているかまではさすがに存じ上げては……」

 少しは場に慣れたのか、すっかり落ち着いた様子で受け答えするウーネリーに優しく微笑み、確認するように頷くと今度はクライクスに視線を移す。


「うむ、ではクライクスよ。おぬしは何か聞いておらぬか? あやつ……もとい、魔王様の行き先についてじゃ」

「直接見聞きたわけではありませんが、地上へとおもむいたかと思われますよ。当時の側務め……いえ、ウーネリーではございませんが、別のメイドが飲み物を給仕しようとして御部屋に入室した際、地上への転移跡が残されていたなどと聞いております」

「あ、そういえば! シーナン…あ、猫獣人族ワーキャットのメイドで、当時一緒に側務めしていた娘なんですけど、近衛の皆さんも大慌てで、急いで地上に駐在している魔王様直属の方に連絡を、って言われて困惑しながら連絡を取っていました」

 ウーネリーは言ってから、クライクス衣長の会話を切ってしまったと思い、慌てて謝ろうとする。

 しかし当の本人はそれは構わないから、詳細なお話をルリウス様にと目で促していた。


「その時の連絡先か、もしくは連絡した相手の名などは覚えておるかの?」

「えーと……チラっと聞こえただけなので、間違っているかもしれませんが確か……イムルンさん、とか、ナガン領にいるとか、急いで追いかけてとか言ってた気がします」

「ナガン領じゃと? それにイムルン……おそらくはイムルン=ヴラマリーの事じゃな。グレムリン族で魔王直轄。今は確か、地上駐在員の一人のはずじゃ。しかしこれまた随分と……フッ、本当に縁というものは味なものよのぉ、お前もそう思うじゃろう?」

 それはウーネリーでも、クライクスでも、そして己と繋がっている漆黒の魔馬にでもなく、優しく撫でた己の腹の中に語りかけた言葉。

 事情を知らぬ二人が疑問符を頭の上に浮かべながらこちらを見ているのも無視し、ルリウスはしたり顔で笑っていた。







――――――淫魔族種族領土内、ルリウスの屋敷。



 まるで城のように巨大なこの洋館こそ、クスキルラ=ルリウスの本宅である。娼館にいる時も多いので留守にしがちではあるものの、ひとたび彼女が帰宅したなら、使用人のすべてがその仕事の手を止め、一糸乱れぬ動きと礼節を持って出迎える。


 その人数は万を越えており、屋敷の外門から彼女の私室にいたる道筋の両脇を、完璧な間隔で並び、主の路傍を守る。

 その中を彼女―――正確には彼女が操作している魔馬―――が堂々と歩みを進めていた。



「すべては集束していっておる。儂が動かずとも心配はなさそうじゃ、シャルールには案ずるなと返しておくとするかのう。既に “ あやつ ” が地上におるのじゃからな」

 それに対して脇を固め、共に歩く淫魔族―――リステートは、少し怪訝そうな表情を浮かべた。


「しかしながら、我らが同胞シャルールに危害が及ばないとも限らないのではないでしょうか? 何かしらの事が生じた後に助けがあったとしても」

「ある程度は仕方あるまいよ。ケガなり病気なりでイチイチ面倒見てはおれんからのう。娘達はそれも理解した上で各々が生を歩んでおるのじゃ。いらぬ心配というものよ」


「申し訳ございません、出すぎた言を」

「……イフスとやらの話を聞いて思うたが、リステートよ。おぬしもまた生真面目に過ぎるのではないか? 真面目は結構じゃが、その軍人めいた気質はどうにかならんものか?」

 リステートは、ある意味で救世主ルリウスの熱心な信奉者であった。若い世代に生まれた彼女では、淫魔族の過去の不幸など伝え聞くのみでしか知らない。


 しかし、教育の過程において知った偉人伝は、見聞きする者によっては時に深く傾倒するほどの感動を覚えさせる事もある。

 だが大概の偉人伝とは本来、すでに亡き先人達の過去の物語。ゆえに傾倒するはその思想や理念、打ち立てた功績などに対してだ。


 ところがリステートが触れた偉人伝の主役は、今をもって生きている。幼い頃に触れた感動から生まれる敬意、そして忠誠と奉公を捧げられる者が目の前にいるのだ。

 彼女にとって、ルリウスとは己が命を賭してでも守るべき価値ある偉人であり、敬服すべき存在。


 故に彼女は淫魔族にあって珍しい非貫通処女であった。ルリウスに仕える事を夢見て、色事ではなく武芸に精を出し、幼くして他種族の戦士以上の武力を示したことで、ルリウス付きの武官となれた経緯を持つ稀有な者であった。


「おそれながらこのリステート。ルリウス様の御ためならばこの全てを捧げ、御仕えする者にございますれば」

「わかったわかった……はぁ、なるほど。堅すぎるは確かに何かと難儀なものかもしれんのう、我が夫・・・よ?」

 廊下の天井に向けてつぶやき、そして苦笑する。


 奇しくも夫婦で同じ悩みを味わう事になるとは―――ルリウスは軽く肩を上下させ、とりあえずリラックスにつとめようとした。

 屋敷の扉が使用人達の手で開かれ、彼女らが屋内へと入ろうとしたその時。



『ルリウス様、失礼いたします。ただいまワラビット族種族領土より帰還いたしました』

 それは頭の中に響く通信―――<糸のない糸電話メッセージ・ウェーブ>といういう魔法。

 一見するとリアルタイムで会話を交わすテレパシーのような効果に思えるが、実際は特定のメッセージを作ってから送るもので、会話よりは手紙のやり取りショートメールに近い。


 会話タイプの通信魔法と比べるとやや使い勝手が劣るものの、定義化されているため、魔法の才に乏しい者でも比較的修得しやすい。

 ルリウスに仕える者は全員、連絡手段としてこの魔法を身につけていた。


『ご苦労。早速で悪いが今、屋敷に戻ってきておる故、儂の部屋まで来て報告を頼むのじゃ』


『かの地よりのお客人を同行しておりますが、そちらはいかがいたしましょう? 適当な宿にて待たせておきますか?』


『構わぬ。屋敷まで共だって来るがよい』



  ・


  ・


  ・



――――――ルリウスの私室。


「ご苦労であったの。……そして遠路はるばるよく参られた、客人よ。そうかたくならず、我が家のようにくつろいでくれてよいのじゃぞ」

 そうは言われても、なかなかその言葉に従う事はできないだろう。あのシャッタですら、緊張で表情がカチコチに固まっていた。

 何せハイトもシャッタもワラビット族、それもただの村人である。アラナータも魔族とはいえ、単なる一般人でしかない。


 それに引き換え、相対するは淫魔族の音に聞こえし大貴族、クスキルラ=ルリウスである。族長であり、魔界貴族諸侯でも最上位級の貴族の一人にして、淫魔族の救世主と呼ばれる大人物だ。

 年齢も彼らとは万年の開きがある超年輩者である。


 事実、気楽そうに笑っている少女の後ろでは巨大な魔馬がその恐ろしげな姿を晒し、左右に控えているサッキュバスの近衛兵達は、格好こそ色気漂う露出の多い鎧を纏っているが、その眼光は鋭く3人を見据えている。

 指一つとっても怪しい動きは見逃さぬといった迫力がビシビシ浴びせかけられているのだ。


 ただの一般人たる3人に萎縮するなという方が無理な話―――だがハイトは、逆に頼もしさを覚えていた。



「(モノが違う……。もし、彼女の協力を得られたなら、ウンヴァーハに対抗できるかもしれない)」

 おそらくはアラナータも同じ思いを抱いていることだろう。ウンヴァーハはファルスター家の威光を背にした名ばかり貴族でしかなく、対峙した時にはこれほどの迫力と威厳を感じはしなかった。


 クスキルラ=ルリウスに比べれば、おそらく月とすっぽん―――もっともその比較で言えばハイト達にいたってはせいぜいありであろう。

 問題は果たして蟻が鼈に立ち向かうにあたり、どうすれば月から助力を得られるのかという話だが……



「話は大方聞かせてもらったのじゃ、汝らも大変であったのう。まったく、ファルスターの “ ボウヤ ” は自分の一族すらキチンと管理できんのか」

 一般人であるハイト達が直接ルリウスに長い会話をする事はない。まずルリウスの直近の者がハイト達の話を聞いて要件をまとめた後、ルリウスに奏上する。


 雑談や世間話、あるいはよほどの緊急時を除いて、下位者が身分差に開きある上位者へ言葉を述べる際は、この方法が普通である。


「その話とは別件ではあるがな、こちらの事情で調べを進めておった件においても、ウンヴァーハとワラビット族の話が少し絡んでおってのう。心配はいらぬ、全て儂に任せるがよい」

「! ほ、本当ですか。あ、ありがとうございます、クスキルラ様」

 ハイトが驚愕し、深々と土下座する。それに一拍遅れてシャッタとアラナータも頭を下げた。


「よいよい。儂らにも関係がない話ではないでな。それに存外、この件は容易くカタがつく。おぬしらの情報と儂らが調べた情報を精査したところ、どうやらウンヴァーハは単独で悪さをしておるようじゃ。ファルスター家はおそらくかの者の悪事を知らぬ。……リステートよ、使者にはお主が立てい。ボーッとしておるファルスターの当主小僧のケツを蹴ってやるとしよう」


「ハッ、ルリウス様の命とあらば! 用件はファルスター様を呼びつけるという事でよろしいでしょうか?」

「うむ、儂が直接言ってやる。ウンヴァーハとやらを処分させるためにはガツンと言ってやらねばなるまいて」

 ハイト達は唖然としてずっと静止したままだった。目の前で行われているやり取りが自分達の世界を何百段と超え過ぎていて理解が追いつかない。


 名門たるファルスター家の現当主を小僧呼ばわりするルリウス。いとも簡単にウンヴァーハを処分させると言明するということは、彼女の力はファルスター家など物ともしないほど強大であるという事に他ならない。


 はっきり言ってレベルが違いすぎる話。


 ミミを信奉するワラビット族のハイトやシャッタですら、目の前の大貴族の少女と比べて、ミミがいかに矮小な地位でしかないと思い知らされた気がした。

 このままルリウスに信仰心を捧げたくなるほどの差。


 淫魔族とワラビット族の違いを知って、ハイトは……そして特にシャッタは、何か思うところがあるように珍しく難しい顔で、床にその視線を落としていた。


「それにしても、…クックック、まさかとは思うがのう。もしここまで読んでいたとするなら、アトワルト侯とやらはなかなかのやり手じゃの」

 さも楽しげに笑うルリウスは、彼らとは真逆の感想をミミに抱いていた。貴族であるがゆえに単純な権力だけでその者の力量を評するは愚かの極みであると知っている。

 たとえ地位は低くとも、その行動や物事の帰結への功績が大きい者は、まさに侮れない。

 地位は得ようと思えば得られるものだ、どんな汚い手でも使えばいくらでも。それこそウンヴァーハのように一族のコネをフル活用しているような者は、その一例といえる。


 厳しい立場にあってなお優れた結果を残せる実力を有している者こそ、真に高い評価を得る。


 ルリウスの中のミミへの評価は本物であったが、一般人であるハイト達3人からすれば彼女ルリウスの言は、自分達の前で一族の誉れたる下位貴族への世辞を述べたようにしか聞こえていなかった。









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