第90話 第5章5 存在感というもの


―――――――アトワルト領、都市シュクリア。


「…そうですか、あちらは随分と酷い事になっていそうですね」

 ミミはマナーが悪いとは分かっていても、あえて両肘を執務机の上に立てて顔の前で組んだ両手に額を預ける。

 ホルテヘ村よりもたらされたその報は、久々に追加された悪材料だった。


 ゴルオン領内での一部民衆の蜂起、そして鎮圧。


 それによって今後、かの地ではドルワーゼの更なる悪政に拍車がかかるのは明らか。犠牲になるのはゴルオン領の領民たちだ。


 しかし、アトワルト領にしても対岸の火事と見てるだけではいられない。ドルワーゼが更に調子づいてくればこちらにも近々、何らかのアプローチをしてくる事は間違いなく、そしてそれが良からぬものである事は確実。

 ソレは当初予見していたよりも苛烈になると見て、考えていた対策を修正しておかなければならない。


「…ドンさん。誰でもいいですからホルテヘ村への返信の使いを立てるよう手配をお願いします。私の手紙を持たせますので、そのように」

 それは暗に、その手紙を間違っても紛失する事なくしかと届けられるであろう者を選出せよ、という意である。

 民間の早馬配達を利用しない事からも、手紙に書かれる内容はホルテヘ村の村長への重要な命令文書の類だという事を、ドンはすぐに理解した。


「かしこまりやした。念のために護衛を加えた3人一組を選んでもいいですかね?」

「うん、大丈夫。モンスター・ハウンドの動きもまだ大人しいし、幸い急を要する事態は少ないから」

 それも言葉面通りの意ではない。含意は “ いつ事態が急変するか分からない ” だ。


 現在、ガドラ山麓の各町や村には続々と、賞金稼ぎや傭兵くずれ等が集まりつつある。


 相手が相手であるため、彼らも徒党グループを組み、慎重に住処近辺を調査しているおかげか、モンスター・ハウンドも目立った動きは見せていない。

 だが伝え聞く話では、集っているのはドンさんと比較しても同等かそれ以下の者が50~60人程度。


 しかも5~6人で徒党を組んで当たっているとはいえ基本はバラバラだ。


 調査行動にしても、もっぱらガドラ山の麓近辺ばかり。事実上、ガドラ山の南側を半包囲網を、穴だらけな状態で形成しているだけ、といった感じらしい。


「(モンスターの野郎は自然生命体じゃあねぇ。時間経過で欲が深まって、我慢できずに衝動的に行動に出るってぇ事はないはず。…だが最初っから本能と欲全開で活動してるようなモノだ…突発的に動く可能性の方が高いと見とくべきだろうな)」

 いつ何時、とんでもない動きを見せても不思議でない相手だ。事態急変を見越すのであれば、ミミの手勢たる者達を長時間この近辺より離れさせる事は出来ない。


 なので必然、ドンの頭には比較的足の速い者の何人かが最適解として浮かぶ。


「でしたらノーヴィンテン影潜悪魔に手紙を預け、ハウロー半身猟犬フルナ狐亜人に随行してもらいやしょう。どちらかの影に入れば二人の脚なら急げば片道1日弱、往復で2日くらいかと思いやす」

「ん、そうしましょう。手紙はすぐに書きますので、三人を呼んできておいてください。あ、フルナさんにはマグル村への任に関する引継ぎを、エイセンさんにしておくようにも伝えておいてくれますか?」

「了解しやした、伝えておきます」

 早速とドンは退室していく。それと入れ替わるようにしてジャックがノックを入れてから入室してきた。




「ご機嫌麗しゅう、アトワルト候。今は少しばかりよろしいですかな?」

 ミミのスケジュールを気遣うというよりは、体調を気遣っているイントーネションだ。しかしそんな事は、確認せずともジャックならば正確に見抜いているはず。


 わざわざ訊ねるという事は、何かしら重要性を持つ話があるという事に他ならない。


「ご機嫌よう、ジャックさん。ええ、大丈夫です…どのようなご用件でしょうか?」

 書きかけの書類を横にズラしてペンを置き、話を聞く態勢を取る彼女を待って、ジャックは眼鏡のズレを直しつつ1拍、間をおいてから話し始めた。


商売・・のご相談に…と伺った次第でして」

 迂遠うえんな言い回し。


 あくまで一介の商人であるジャックに対し、領主のミミは上位の存在である。その執務室に訪れ、用件を話す事を促されたならば、単刀直入に用件を述べなければ失礼というもの。

 そんな事が分からないジャックではないはずとミミは思い、即座にピンとくる。


「(その商売・・は厄介な事、もしくは公に話を進めるには憚りたい理由がある…と。これ以上問題が積み重なるのは止めて欲しいんだけどなー)」

 ふぅっと小さくため息をつくと、頭の上でその長い両耳を前後左右に振るう。この部屋の中の音を聞かんとしている者はを確かめるためだ。


「(ルゥリィが遊んでいる音……、こっちはドワーフさん達、そしてドンさんはまだ3人を探してる最中で……屋敷の外に来客も、なし…っと)」

 聴覚をフル活用して屋敷内外の状況を把握し終えると、ミミは念のためにジェスチャーでもって、どうぞとジャックを促した。同時に何も書かれていない新しい紙とペンを前に出す。必要であれば使ってください、という事だ。


「では、失礼しまして…」

 ペンと紙がいつでも取れる位置まで近づく。

 そこで一つ咳払いをしてから、ジャックは話はじめた。


「この “ 商談 ” を進める事、如何にしたものか迷いましたが “ 不明 ” も多く…。なれば、先にお話を通しておくべきと思いまして」

 するとジャックは、ペンと取って紙面の上に文字を書き出した。筆の走る音が立たない……ここまで用心深い彼を見るのは、ミミにしても初めての事だった。そして…



 ―― 非常に危険な人物が、この館内にいる ――



 ジャックが記した一文を見て、彼女は思わず両耳をピンと立てこそしたものの、辛うじて声を出すのはこらえた。








――――――都市シュクリア内、商店通り。


 ハイトとアラナータを伴い、散策するメリュジ……ネージュ。本来の身分を忘れ、本当に一般人として伸び伸びと楽しんでいた。


「まだまだ復興途上って感じねー。思ったよりお金なかったのね、ミミちゃん」

「でもなんだか落ち着く町並みです、私はこういう雰囲気好きですよ」

 何だかんだ言いつつ、女子たるネージュとアラナータは店頭を覗きつつ一緒にキャイキャイと盛り上がっている。


 一方のハイトはというと…復興中の店の軒先の様子や、建物越しに遠目に見えている外壁の修繕工事の景観などから、ついネガティブな事を考えてしまっていた。



「(このような大変な時期にお邪魔してしまってよかったのか…)」

 滞在3日。

 領主の館での客人待遇のおかげで、かなり快適な時間を過ごさせてもらっている。おかげで彼の体調もかなり回復していた。


 だがその中で、ミミとその部下である人々は忙しく動き回っている様子も幾度も目にしてきている。

 何もせず、何もできない自分が申し訳なさすぎて、たまたまネージュが町に行くと半ば強引に連れ出されるのに乗っかったが、逃げてきてしまった感があって、後ろめたく思っていた。


 そして繰り出した町中でも人々が復興のために頑張っている様を見て、彼の気持ちはすっかり萎縮し、暗く沈んでしまった。



「………」

 一つの商店の前。軒先に出されている品を見ながらワイワイしつつも、ネージュは鋭くハイトの様子、そして彼の気持ちの変遷を解する。そして兼ねてより考えていた事に、やはり二人を巻き込もうと心の中で決めた。


「…。そーそー、二人ともこの後の旅程って決まってないんでしょう? ちょっと私の手伝いをして欲しーなーって思ってるんだけど、どーお?」

 何気ない話を装うため、品を1つ摘まみ上げて眺めるネージュ。問いかけられた二人は頭の上に?マークを浮かべながら顔を見合わせた。


「といっても、ちょっとあちこち行ってはここに戻ってくるの繰り返しになる感じ。アトワルト領の外まで行く気はないから、都合があえば付き合ってくんない~?」

「ええと…どうしましょう、ハイトさん?」

「予定がないのは事実だし、別に構わないですが…一体??」

 問うハイトに、ニヤリとほくそ笑みながら顔を向けてくるネージュ。二人はますます困惑する。


 そしてまさか、1時間もしないうちにシュクリアを発つ事になるとは、思ってもいなかった。


 ・


 ・


 ・


 ガタガタン、ガタンガタン……


「いやー、助かるわ~。ミミちゃんに馬車を借りたまでは良かったんだけどさー、私じゃ手綱取れなくってー」

 荷台でくつろいでいるネージュは、そう言って尻尾をフリフリと振るう。実際、彼女に御者は出来ないだろう。


 操馬技術の有無ではない。問題はその下半身の形状と大きさだ。


 狭い御者台にはとても座れない身体。仮に彼女が馬車を動かすとなると、荷台から上半身だけ身を乗り出した不安定なキツい体勢で、手綱を引く格好となる。


 なので御者台にはハイトとアラナータが座り、ハイトが手綱を引く形で馬車は進んでいた。



「でも良かったんですか、ネージュさん。モーグルさんのお話ですとこの馬車、元は商売用のものだという事ですけど…」

 アラナータが言いたいのは、貴族等が用いるような高級な旅客用の馬車でなくてよかったのかという事だ。


 一般人を装っているとはいえその正体は超一流のお貴族様。間違ってもこんな使い古されて不安定によく揺れる小さな商売用馬車の、その荷台に搭乗する身分ではない。

 だがネージュは、カンラカンラと笑った。


「お忍びなのにいかにもなモノに乗って移動なんてのは目立つじゃないの? むしろ丁度いい感じのがうまい具合にミミちゃんとこにあって良かったわー。これならさほど目立たないでしょ」

「は、はぁ…確かにそうかもしれませんけれど…そうまでしてこれからどこに??」

「まずは北よ。マグル村っていうところに…大丈夫、道はちゃんと聞いてきたから問題ないわ!」

 







――――――マグル村。


 ネージュ達が到着した頃、日はすっかり落ちて村の中にはかがり火が焚かれていた。


「…ものの数時間で突っ切る道程ではなかった…ですよね…はぁ、はぁ、ふぅ…」

「お、お尻が痛いです…」

 村の入り口前に馬車を止めると、御者台のハイトとアラナータはぐったり上体を垂らした。一方で荷台に乗っていたメリュジーネは元気いっぱいに飛び降りる。


「お疲れ、二人とも。ちょーっとばかし無茶させちゃったわね? とりあえず村の中に入っちゃいましょ」

 メリュジーネが降りるや否や、馬もブフーっと息を大きく吐いて疲労を露わにしていた。さすがにちょっと強行軍を強いてしまった事に、さすがの彼女も馬に向けてゴメンネと両手を軽く合わせる。


「さーって、と。誰か…お」

 見知った顔を探して村に入ってすぐに中を見回すネージュ。

 すると来訪者を察してか、村の中心部の方から誰か走ってきた。


「ん? このような時間に旅人、という風でもないみたいだが、あんたら何者だね?」

 怪訝そうに伺う村人に対し、ネージュは少しムッとした。


「何者とは随分な態度じゃなくて? ま、いいわ…ジロウマルちゃんに取り次いでくれないかしら」

「? あんた、ジロウマルさんの知り合いかね。名は?」

「はぁ、アナタねぇ……さっきからちょっと失礼重ねすぎじゃあないの? 名乗らない相手に名乗る義理はないわ。“魔獣の世話はちゃんとできてる?” って聞けばわかるから、ほらさっさと行きなさいな」

 そう言ってネージュは瞳を光らせる。ごく一瞬ではあったが、言い知れぬ迫力が村人を襲い、ほうほうのていで来た方角へと走り戻させた。


「お知り合いがこの村にいらっしゃるんですか」

「ええ、何人かね。あたしが注文した魔獣の子供の世話を任せているのよ、村に直接来たのは初めてだけどね」

 ネージュがアラナータの問いに答えていると、村の方からカッポカッポと蹄が地面を踏みしめる音が近づいてくる。


「…お久しぶりでございます、メリュジーネ殿」

 多脚馬の手綱を引いて先導していたインセクトエビルの男性が、恭しく頭を下げた。

「おっとー、今のあたしはネージュよ。敬称もいらないからそーゆー事でよろしく頼むわ」

「何かワケあり、と……了解した。それでこちらがメリュ……んんっ、もとい。貴女よりお世話依頼つかまつっていたスレイプニルの仔だ」

 さすがのジロウマルも、楽に接するよう言われてもすぐには慣れないようで、戸惑いながら連れてきた多脚馬を見せた。


「前より一回り大きくなったわねー。顔つきも少し精悍になったんじゃない? うんうん、いい感じに成長しているようで何よりだわ」

 そういってネージュがスレイプニルの頭を軽く撫でると、くすぐったいと顔を振るう。その一瞬の表情にはあどけなさが見えて、まだまだ子供である事を伺わせた。


 だが、その大きさは―――――


「お、大きい……これが魔獣なんですね」

「俺も初めて見たよ、多脚馬…確か…スレイプニル?」

 アラナータとハイトは、思わず自分達が乗ってきた馬車の馬と見比べる。一回りどころの騒ぎではない。

 このスレイプニル1頭で、乗ってきた馬車の荷台と馬を含む全ての大きさとほぼ同同等。メリュジーネはさすがに無理でも、ハイトとアラナータならその背に横になって寝っ転がれそうなほど、立派な体格をしていた。


「それでジロウマルちゃん。シャルールちゃんはまだ安否分からない感じ?」

「! 事情のほど、お聞きになってきたか。その通り…現在、ザードを中心に少しずつ森に調査を送りつつも、無理のない範囲で連中・・の動向や状況を探らんとしてはいるが…いまだこれといった進捗はない」

 いつもは寡黙なジロウマルも、身内も同然のシャルールの事ともなれば舌も回る。その事からも彼の心配の深さが伺い知れて、ネージュも自然と真面目な表情になった。


「そう…まぁそれは焦ってもしょうがないわね。ああ、そうそう…ミミちゃんからお土産預かってきてるのよ。村人達に渡して貰えるかしら」

 そう言ってネージュが荷台に向かうと、ポカンとしていたアラナータとハイトも急いで荷台に集まる。そして彼らが降ろしたのは小さめの木箱、数点だった。


「……む、これは……」

 一つの木箱のフタをあけて中身をあらためると同時に、ジロウマルの口が閉ざされる。


「ま、そーゆーことって事じゃない? 一応、後でミミちゃんの部下がまた来る事になってるから、詳しい話はそっちに聞いて頂戴な。あ、それとだけどちょっとこのコ、一時借りてくけどいいわよね? 代わりにあっちの馬を預けとくから」


 ・

 ・

 ・


 バカラバカラバカラッッ


 行きとは桁違いのスピードと安定感で馬車を引くは、マグル村より借りてきたスレイプニルだ。


「は、速いっ! くぅ、こ、これの手綱を取るのはっ」

 おかげでハイトは四苦八苦していた。何せ身体が大きくて御者台からでは前が見えない。乗ってきた馬とはそのパワーも桁違いなので、手綱をどう操れば言う事を聞いてくれるのかまったく分からず、戸惑うばかりだった。


「無理に手綱を取る必要はないわよ。魔獣は知能が高いし、語り掛けるだけでちゃんと理解して動いてくれるからー」

「わ、わかりましたーーっ」

 後ろから投げかけられるネージュの声もこの速さで後ろに流れていくかのよう。なのですぐ近くでも声量を張り上げなければ互いに聞こえないので、自然、会話の声が大きくなる。


「あ、あそこハイトさんっ、もうオレス村…ですよっ、曲がるようにこのコにお伝えしましょうかっ??」

 隣に座るアラナータも、半立ちになって前方を確認しては自分の髪を抑えながら懸命に声を張り上げる。


「も、もうそんなところまで!? は、速い…っこ、これは…!」

 もう夜の帳がおりているというのに、今からシュクリアに引き返すと聞いた時は驚いたが、この速度なら成程とハイトは得心した。


 オレス村跡地からマグル村まで行きは飛ばして3~4時間、シュクリアからマグル村までの全道程では約7~8時間はかかった。

 ところがその帰り、ものの30分程度でオレス村までの道を踏破―――――夜通しかかるどころか入浴どきに帰りつけそうなスピードだ。


「ううーん、このコったらすっごく成長してるじゃないの。いやー、いい買い物したわぁー。これならきっとロディも文句言えないわね! フフフッフフ…♪」

 ネージュは上機嫌だ。彼女自身、まさかここまで速く走れるようになっているとは思ってもいなかった。これでまだ子供だというのだから今から将来が楽しみすぎて笑いがこみ上げてくる。


 ―――が、不意にその笑みは止まり、難しい表情へと切り替わった。


「(さーて、これくらいでビビッてくれる相手じゃあないとは思うけどー? 少しは牽制になってくれるかしらね…)」



 ・


 ・


 ・


 昨日の夜―――――――


『!! ……そんな大物、まさか本当に?』

 メリュジーネはジャックの様子を注意深く伺いながら、それが冗談ではないと確認すると、その面持ちを険しいものへと変える。


『間違いなく。加えて手勢の者も今、サスティの町に滞在しているようです。…正直なところあり得ない事と私も思いましたが、現に……。貴女も察知はしてはいたでしょう?』

『まぁね、なーんか怪しいのが混ざってるとは思っていたけれど……さすがにそこまでの奴だなんて考えないわよフツー』

 酒の入ったグラスを手に取ると一気にあおる。込み上げてきた緊張を酒と共に流してしまうために。


『何が狙いであるかはまだ定かではありません。まして先の件ではお忍びでとはいえ、この地には魔王様もいらっしゃっている……そんなところへとあの方・・・が軽率にやって来る事がまず考えられませんからね、正直私もいまだに戸惑っていますよ』

 そう言うと、ジャックも珍しく酒の入ったグラスを味わうでなく一気に喉の奥へと流し込むべく傾ける。そしてすぐさま瓶を手に取り、自分とメリュジーネのグラスに次を注いだ。


『……ミミちゃんには荷が重すぎる相手だわね』

『ええ。ですがさすがにアトワルト候に対してどうこうする目的とは考えにくい。なんだかんだ言いましても、この地はたかだか一地方の田舎領……連中・・が目を付けるほどの地ではない……』

『けれど、いるのは現実だし事実なんじゃ、見過ごすのもどーなのよ? 相手の狙いが分からないなら、定石通りにするしかないんじゃない?』

 そう言ってメリュジーネは、くゆらせていたグラスを再び一気に干した。


『牽制…ですか。何かアテでもおありで?』

『まーね、目に見えてどうこうっていうほどのものでもないけど、ソレがいるってだけで無視する事はできない、っていう程度にはなるんじゃないかってのは心当たりがあるわ。私も預けっぱなしだし、ちょうど様子を見たいと思ってたのよね』


 ・


 ・


 ・


 魔獣。


 それはただの野の獣とは桁違いの存在である。力や知能など基本的な生まれ持った能力はもちろんだが、彼らの存在でもっとも注意すべきなのは “ 繋がり ” だ。


 魔獣は親類縁者や仲間を大事にする。


 仮にか弱い魔獣の子供であってもソレを倒そうものならば、その親兄弟は無論、親しい仲間から何から何まで巡りに巡り、多くを敵に回す事になりかねない。



「(このコの存在を示す事でどこまで牽制になるやら……ホント、とんだ大物がやってきたものね……)」


 ネージュが荷台で思索にふけっている間にも、馬車はもうシュクリアが見えるところまで帰ってきていた。







――――――翌朝、ミミの借り家の前。


『ブルルル…ヒヒーンッ』

「キャーキャーッ♪ すごいすごーい♪♪」

 スレイプニルの背に乗せてもらい、遊んでもらっているルゥリィ。その周囲には、ミミと屋敷にいる部下、そしてダルゴートらドワーフたちに、スレイプニルのオーナーであるネージュ、ハイトとアラナータらがたむろしていた。


「ほえー、立派なもんじゃのう」

「地上にも魔獣を飼っとるもんがおったんじゃなぁ、驚きじゃわい」


 特に小柄なドワーフ3人は、物珍しいとスレイプニルを見上げる。3人はいずれも定住せずに日々世界を渡り歩いてきた者達だ。そんな彼らの珍しがる様子に、オーナーであるネージュは大変に鼻高々であった。



「随分と大きくなりやしたね、さすがは魔獣ってなもんだ」

 ドンも知識でしか知らない存在を目の前にして、その成長ぶりに興味津々だ。


 もちろん、彼だけではない。


 誰の様子を伺ってみても、スレイプニルの存在感はその目に大きく映っている。それを確認してネージュは、とりあえずは目的の一つを達する事はできたかなと心中で少しばかり安堵した。


「(問題はこれからよねぇ…。ミミちゃんにもジャックの奴がそれとなく伝えてくれてるはずだけど、注意するくらいが関の山で、対応なんてできないだろうし)」

 ただでさえ自分の領地ところとは違って難しい問題を数々抱えている状況にある友人ミミに厳に警戒し、かつ対処させる事は無理なくらい、不真面目領主なネージュにも分かる。


 加えてミミは、そのお腹にそれこそ魔獣を抱えている身だ。ほとんど身動きできないし、それを支えるために部下の何人かは常に彼女の周囲に常駐が必須。


 ただでさえ手数不足に陥りやすい中、ネージュは領主仲間として友人として、自分に何が出来るかと、蛇の下半身を安定させてアゴに手を当てるとフームと唸りながら考えはじめた、その時―――――



「おおー、すごい~のー。おっきなおウマー」

 そう言いながら近づいてきたのはスライムのムームだった。しかし彼女は、驚きこそしているものの、スレイプニルの近くで足を止めることもなく、そのままミミの近くまで歩を進める。


「ミーミィ。そろそろこのコ、おうちかえるーって。だからムームもまたあそこ・・・にいくーの。つぎは何すればいーい?」

 あそこ、というのはクイ村跡地のことだ。ムームはミミのお手伝いを買って出て、そこで瓦礫の仕分け作業を行い、泥の魔物ゲフェの子供と出会った。


 彼女の肩に乗っかっている茶色のマリモみたいな生物も、手のような突起をピッと伸ばして、別れの挨拶のような事をしている。


「そうですね…それでは――――」

「ミミちゃん、そのコたちを送るのは私達に任せてちょうだい!」

 瞳をキランと輝かせながら、ネージュがミミの肩を叩く。


「え…えーと、…それではお願いできますでしょうか?」

「もちろん、無事に届けてみせるわ! ね、二人とも!」

「わ、私達もですか??」

「えーと、それは別に構いませんが…その、どこへ送り届けるか、場所はちゃんと聞いてから決めた方が…いえ、なんでもないです」

 ハイトとアラナータは完全に巻き込まれだ。しかしミミはクスクスと笑いながらも、ネージュにムーム達の送迎をお願いする事にした。


 彼女が何を考えているのかは分からないが、何の考えもなしにそういう事を申し出るタイプではない事は、ミミも良く知っている。


 そして理由を聞く事もしない―――――ジャックの警告があればこそ、誰がそこに関係してくるかわからない今、ネージュとてその件で動いてくれている可能性もあるからだ。

 ならば多くの者がいる前で根掘り葉掘り深い話をするのはよろしくない。


 そして実際、ネージュはその事で今回の送迎を買って出た。ムームはミミの命でクイ村の後片付けの任をしている者だ。それはつまり他所から来た者・・・・・・・から見れば、ムームもミミの配下であると認識される。そんな彼女を魔獣スレイプニルでもって任地に送り届ける様を見せればどう思うか?


「(このコスレイプニルもミミちゃんの配下…もしくは仲間とには見えるはずよね)」

 友人ミミに良からぬちょっかいや手間をかけさせるような真似を牽制するという意味では、さらに効果が上がる。


 何がしかの企みがある場合、その対抗勢力や存在は無視できないもの。それを分かりやすく見せつける事は、容易に行動に移れないという慎重さを相手に喚起させる事ができる。


 この魔獣はまだ子供で、個体としては大した脅威ではないだろう。だが手を出せばその魔獣の親や仲間が敵にまわる可能性大である事は一般的な知識としては常識だ。これで相手・・は軽率に行動をとれなくなるはず――――――ネージュはそう確信していた。



 ・

 ・

 ・


 そして事実、その者はスレイプニルの存在感を無視できずにいた。


『(魔獣がいるのは想定外……が、まぁよいであろう、事急くものではない。一番犯してはならぬ愚を思えば、奴はいざとなれば切り捨てる事も視野にいれておくのみ。だが事とはなかなか上手く運ばぬものよな…まだまだ忍耐の時、か)』

 そう思いながら、その者の目はチラリと一瞬、魔獣スレイプニルとは別の方向に向けられる。―――――――その視線の先には、ドワーフのダルゴートがいた。



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