第89話 第5章4 草の根の緊張



「なんと、あの行商人にそのような裏が?」

 ・

 ・

 ・


「道理で…。こんな時分に気前が良すぎると思ったんだ」

 ・

 ・

 ・




―――――――マグル村。


「ザード。シトノとニアラにやった使いが戻ってきたぞ。どうやら両村とも不可思議に思ってたようで、こっちの言い分をあっさり聞いてくれたそうだ」

「そうか…そいつぁ良かったぜ。相手が何考えてんだかまだわからねぇが、ロクでもない事になっちまってからじゃあ遅ェからなぁ。これで連中がまたぞろ妙な接触してきても警戒してくれるだろう」

 そもそも困っている者に都合よく必要な物を提供してくれるなど、そうある事ではない。

 よほど正義感や慈愛に満ち、かつ余りある財力を有して弱者救済の精神を持った、そんな世に極々限られた超スーパーな聖人級の人物でもいればあるいはそういった事もあり得るだろう。


 だが世の中そんなに良い奴がゴロゴロ転がってるものではないし、そもそもそんな善人が、悪徳でもないこの地の領主に話を通す事なく勝手な行いはしないだろう。

 弱きに手を差し伸べるにあたり、あまりにも条件が良すぎる――――よからぬ裏があると見てかかるべきなのである。


 ザードは思考をまとめると、鼻息を一つ吹いて一度気持ちを落ちつける。そして次の手立てを考えはじめた。


「(とにかく情報が足りんな。何とか森の連中と連絡を取りてぇところだが……アイツらが今、どうなってんのかわかんねぇってのも厄介だ。下手に突っついてやべぇもんが飛び出しても困るしよ…)」

 村は相変わらずの食料不足。なんとか餓えないように繋いでいるとはいえ、未だ厳しい事にかわりない。

 完全な飢餓に至ってしまう前に問題を片付けてしまわないと、イザという時には理屈では分かっていようとも、村人たちの倫理と秩序は崩れてしまう。

 そんなタイミングで悪意ある者がやってきたら、抵抗も何もあったものじゃない。口八丁手八丁でいいようにされてしまうのは目に見えている。


「――――狐の嬢ちゃん…えーと、フルナだったか? 聞きてぇんだが、領主の嬢ちゃんには手立てがある・・・・・・ってぇ考えといてもいいんだよな?」

 それは、今回マグル村に戻ってくる時に共に運んで来た魚介の件。


 もし領主ミミに食糧難を解決する施策があって、それが順調に進んでいるのであれば、それに完全に頼ってしまうのも悪くない。そうすればザードは森とシャルールの件に全力で当たる事ができる。



「んーとねー、ボク――――私も詳しい事はよくわかんないんだけど、このアトワルト領内で魚を自前で手配する方法を、アトワルト様は前々から考えてて何かやっていたみたいだよッ」

 すっかり運び出し終えて空になった荷箱を組み直しながら答えるフルナ。その様子からは、言葉通りあまり詳しいところまでは知らない様だ。


「(部下にも多くを語らねぇってのは秘中の秘で、それだけ自信…あるいは結果が見込める方策だったって見る事も出来る……よぉし)」

 少なくともザードの目からみて、ミミは領民に悪しきを行うような為政者ではない。

 政治とは結果を出さなくては領民から棘を返されやすいもの。なので何かしらの政策を講じていても、その成果が確実になるまでは公に情報を出さずに水面下で進行させるのはよくある事だ。

 ザードは村の食糧難に関しては領主ミミの手腕を信じる事に決め、森の問題に注力しようと決心した。



「フルナさんよ。こっちは森の事で恐らく手いっぱいになる…村の食糧不足解消はそっちに期待したいって、領主さんに伝えといてもらえるかい?」

「了解だよッ。そっちの方も何かわかったら教えてね! じゃあひとっ走り、シュクリアに一度帰ってくるから」

 組み終えた空荷箱の上から軽やかに飛び降りると、フルナはそれをヒョイと持ち上げ、ソリに載せ直す。

 行きは荷が詰まってとても一人では運べない重量だった箱も、今は軽々だ。


「おう、道中気ぃつけてな。こっちもお前さんがまた来る前に片付けとくつもりでかかっとくからよ」

 実際は、とてもそんな早く問題が片付けられる気がしない。

 ただ村人一人が森に入っていったきり帰ってこず、森の部族の村によそ者がいて、怪しい動きをしている、というあやふやな事しか分かっていない。まだ問題の内容も原因も何も見えていないも同然なのだから。


「(さて……さしあたり、何をどうしたもんだかだなァ)」

 村の入り口から箱の乗ったソリを引いて走り去っていくフルナを見送る。その様子を眺めながら、ザードは次にどうすべきか、まとまらない考えに頭を悩ませはじめた。







―――――――ホルテヘ村。


 アトワルト領内最西端の村は今、妙な雰囲気に包まれていた。


「(なんだ? やけにこちらを警戒しているな)」

 旅のワーウルフ狼獣人は、深く被ったマントの隙間から村の様子を伺う。村人達はいずれも、普段通りを装いつつチラチラとこちらを伺っているのが丸わかりの態度。

 田舎の小さな村などが余所者を警戒する傾向が強いのは理解できるが、それにしては不自然だった。


「(前にこの村を通過した時は、こんなんじゃあなかったが…どうなっている?)」

 彼は以前、アトワルト領よりゴルオン領へと抜ける際にこの村を通過している。その時の村の中の様子はこんな風ではなかった。

 だが今回、彼はゴルオン領から・・・・・・・アトワルト領へと越境してきた。違いがあるとすれば移動の方向が東か西かだけ。


「(……事情は分からないが、ここはさっさと出て行った方が良さげだ)」

 どう見ても歓迎されてない雰囲気。それが自分という個人に対してなのか、それともゴルオン領からの旅人全てに対してなのかは分からないが、トラブルに遭遇するのは彼も避けたい。

 足を早め、村の東出口へと向かおうとした――――その時、行く手に立ちふさがる影があった。


「旅のお方ぁよぉ、どこぉ行きなさるのかぁのぉお?」

 老いた豚亜人オーク。その両脇にも大柄で少しばかり武装した若いオークが2人。雰囲気からして村の長とその護衛といった感じだ。



「……なんだ、この村はいつからそんな事を旅人に聞くようになったんだ?」

 不機嫌そうに答えるワーウルフ。全身を覆う深い藍色の布が、身体の揺れ動きによって前髪辺りのところがフワリと動く。もともと隠しているわけではなかったが、それによってハッキリとその顔が明らかになった。


 露わになった顔には眼帯がついている。


「ほぉほぉほぉ、それはのぉお…お前さんがぁ隻眼の狼獣人じゃからじゃあよぉ」

「?! ……なんの事だ、わけがわからんな。隻眼で何か文句があるのか」

 より不機嫌さを露わにする。だが内心では相当に焦っていた。理由は不明だが、なぜかこの村全体が自分という個人を強烈に警戒している。


 武装したオーク2人が手にした得物を強く握り直し、かすかに重心を下げているのが分かる――――いつでも攻撃に移れる態勢。


「(どういうことだ?? 不審に思われるような事は何もしてないはずだぞ…)」

 アトワルト領はもちろん、他のいずこにあっても目立った問題や行動はしていない。こうも警戒される理由が彼には皆目見当つかない。


「そうさぁのぉ……さしずめぇ、ドルワーゼ候の密偵か何か…といったところじゃあろぉお?」

「! ……何言ってるんだ? サッパリだ、意味がわからん」

 何も知らぬとばかりにすっとぼけてみせる態度と言葉とは裏腹に、なぜバレているのか頭の中は困惑でいっぱいになる。


 だが、今はその理由はとりあえず置いとくより他ない。何せ相手は、このままアトワルト領内へと抜ける事は許さないとばかりの雰囲気だ。加えて後ろの方にもジリジリと回り込もうとする気配―――――包囲されつつある。


「(チッ、ドルワーゼの野郎かその手先か知らないが、何かしくじってるんじゃないだろーな?!)」

 もはや言い訳不可能。ワーウルフはすぐにもこの場から脱するべく、脚に力をこめてゆく。

 そして、その筋肉の緊張を見逃す村長ではない。歴戦のオークたる観察眼は一目で相手が全力で逃げ出すであろうことを見抜く。



「…捕縛せぇい!」

「「ハッ!!!」」

 見た目よりも遥かに雄々しく頼もしい声をあげながら、若いオーク達がワーウルフに飛び掛かった。


「クッ! 何がなんだか…だがな!!」


 ブンッ!! シャッ


 後転。鋭い爪を立てた足が、迫ったオークの振り上げた腕を掠める。

 3本の軽い切り傷が走り、微かに出血するもオークは怯まない。


「おおお!!」

「クソッ、うっとおしい!」

 間合いをあけたはずが、一瞬の時間も置かずにまた詰められる。ワーウルフの全身を覆っていた深い藍色の布が身体から離れて宙を舞う。


「(よし、布が視界を塞いだ隙を狙って――――)」

 だが、かぶさりそうになった布をオークは手持ちの槍を回して柄に空娶った。かなりの技量だ、とても辺鄙へんぴな田舎村の住人とは思えない。


「ほぉっほっほっ……の、ほうりゃっ!!」


 ビュウッ!! ザシュッ!


「ぐあっ!?? な、なにぃ?!」

 むしろ若いオークに目がいった一瞬の隙を突かれたのはワーウルフの方だった。老いぼれた村長が放った鋭い投擲は、ソレが刺さるまで何を投げたのかすら見えなかった。

 ワーウルフの右太腿には、砕けた細い木の破片が深々と突き刺さっていた。


「一瞬の油断も命取りよ。右目だけでなく、右脚も不能になるやもしれんのぉう?」

「ちくしょうが、何なんだお前ら? けどこのくらい…ぐぐぐぐ…おぉおおおっ、あぁあっ!!!!」


 ズシュウウッ!!


「ほっほぉ…なんとぉ。根性はぁあるよぉじゃなぁあ?」

 木片を引き抜き、その辺に捨てるワーウルフ。大量の出血こそあるが、すぐさま自分の服の一部を破り取って太腿に巻く。

 その手際の良さはそれなりにハードな生き方をしてきた者のそれだ。戦闘中、僅か数秒の間に止血を終え、なおかつ対峙した態勢を維持したままでの応急手当は、村長をして感心するほどだった。


「ハッ、こんなもん…軍人ども・・・・の攻撃に比べりゃあ屁でもない。けどよくもやってくれたな、おぉぉおっ!!」

 ワーウルフは怪我を負った脚にも構うことなくその場で思いっきり跳躍する。周囲が包囲されていても上空はフリーだ。そのまま空中で一回転しながら家の屋根に飛び乗り、逃走を図った。


「追え! 村から出すな!! …すみませんおやっさん、まさかあのケガであそこまで跳べるとは…」

 若いオークの一人が頭を垂れた。既に逃げ切られてしまうであろう事を理解し、責任を感じている。


「なぁに、彼奴はぁゴルオン領側へと走っていきよったでぇなぁ。捕らえられんかったんは残念じゃぁがぁ、まずはぁよしとせんよ」




 隻眼のワーウルフが警戒されていたのは、前もって地図を買い求める怪しい輩として情報があったのもあるが、一番の原因はベギィのアトワルト領内での活動にあった。


 怪しい何者かがアトワルト領内でモンスター発生を仕掛けた可能性から、現実にロズ丘陵の大森林を中心にその怪しい誰かさんが活動している事が濃厚になりつつあるという事情ゆえ、ミミはゴルオン領との関係を危惧して警戒すべき人物像たる情報として、ゴルオン領に接するホルテヘ村に伝達していた――――いわゆる指名手配である。


 それがこのワーウルフが村ぐるみで警戒された理由だが、彼自身がそれを知る事はないだろう。



「はぁ、はぁ…はぁ…、ここまで来ればもう追ってこないか…はぁ、はぁ…クソ、依頼・・失敗だな。まぁこっちはバックレるだけだ、ドルワーゼに義理立てて無理する意味はねぇ。けどなんなんだ? まさか軍の手配が回ってたりするのか?? …クソ、だとしたらかなりマズイが…」

 彼はある犯罪を侵して郷里を追われる事となったならず者。家からも縁を切られ、今は完全なる流浪の身だ。路銀のために行く先々で依頼を請け負いつつ各地を転々としている。


「ふぅ…とにかく別のとこに行くしかないか。怪我の手当もちゃんとしないと…イテテ…マストルのクソジジイに殴られた時とどっこいか…ま、あの時は骨がメチャクチャに粉砕、今度は刺し貫かれちまったっていう違いはあるな…」

 もう会う事もない故郷に人々の顔を思い浮かべつつ、隻眼のワーウルフは右脚を引きずりながらいずこかへと姿を消した。







――――――数日後、ゴルオン領。


 アトワルト領最寄の関所跡で、ドルワーゼはイライラしていた。


「遅い…あのオオカミ野郎はまだ戻ってこんのか!?」

 彼はいざという時、足がつかないようにと直々の兵や自分の部下ではなく、流れ者を雇って潜入調査をやらせていた。


「は、はい、戻ってくる気配はありません。境界ラインギリギリまで様子を見に行かせましょうか」

「…フンッ、もうよいわ。前金も所詮はした金、たいした損もしとらん。…それで?」

「は?」

 ジロリと睨まれた兵士は小首を傾げる。ドルワーゼが何を聞かんとしているのか、その意図がまったく分からない。


「愚か者!! もう一つの件はどうなっておるのかと聞いてるに決まっとるじゃろうがッ!!」

「! はっ、は…申し訳ございません。反乱分子の潜伏場所につきましても、いまだ調査隊が戻ってきておらず先の伝令以降、新たな情報はこれといって…」

 そこまで聞くと小太りなドワーフはこれでもかと不機嫌さを露わにした。睨みつける両目には殺意すら宿っている。


「どいつもこいつも無能ばかり…役に立たん奴らよな!? 給金を減らされとうなければさっさと成果をあげい、グズグズするでないわい!!」

「は、はいぃっ、た、ただちに調査隊に急ぐよう連絡を送りますっ!!」

 兵士がわたわたと逃げるように走っていく。

 それを見ながらドルワーゼは、いかにもご立腹だとばかりに乱暴に椅子へと身を預けた。


「ワシみずから出向いてやったのだぞ、まったく…。とっととネズミどもを始末してしまわんか…ブツブツブツ」





――――ゴルオン領の民は、何もドルワーゼの暴政に指をくわえて眺めているだけではない。


 ある者は領内より逃げ、ある者は領主の政に密かに背き、ある者は反抗の意を決する……


 今まではそれらが個々の小粒な動きであった。だがそれも時が経ち、醸成してくればやがて粒は集合し、塊となってゆく。

 かつてドルワーゼの隆盛に手を貸したローブの男がいた時は、そうした民草の動きは完璧に封殺されていた。

 だが、かの者が去った後、そんな政治的技量など皆無なドルワーゼである。自身に反する者を抑えきることなどとてもできないし、そういった存在が出てくるという事そのものを想像する力さえ欠如していた。

 それは彼に反する者達にとっては大きな隙であった。


「……今、全員で170といったところだよ。同志は着々と集まっている」

「だがさすがに勘付かれたらしい。かなり近くまでドルワーゼの野郎が自ら兵を率いて来てるそうだ」

「大丈夫だ、こちらから仕掛けなければ見つかりはしない。まだ準備は十全ではないし、今動いても潰され消えゆくだけ……まだ耐え時だ」

 ある時を境に急に警戒が緩んだ時には、自分達をあぶり出すための罠かと彼らは訝しんだ。やがてその緩みが本物であると思えるようになると、彼らは徐々に集いはじめ、力を増していった。


 ゴルオン領の中心地より大きく離れた外縁地域に点々と隠れ家を構え、ドルワーゼと取引を交わしていそうな行き交う商人を襲っては物資を獲得。静かに地固めを行ってきたものの、さすがに幾度も商人から強奪を繰り返せば、ドルワーゼの耳にも届く。

 それでも今しばらくは、野盗の類としてドルワーゼは対策に本腰を入れてはこなかった。

 だが少し前に兵士と接触し、引き込もうという計画を実行した事が裏目に出てしまったのだ。


「あれでさすがに俺達の事がバレたんだろう」

「仕方ないさ。ヤツの手勢を味方につける事ができれば、いろんな事が一気にこちらに傾くし、今よりもっと手広く動けるようになるメリットは実際大きいからな。けど、意外だったのはあんな奴にも忠誠を誓う兵士がいたって事だ、運が悪かったよ」

「いや、忠誠を誓うっていうよりも我々とドルワーゼを天秤にかけてどっちにつくのが得かって感じだったな。クソ、もっと力があったなら…」

 仕える兵士達とてドルワーゼがどれだけ酷い男かは重々承知している。だが裏切りという行為は己の全てを賭けるという重いリスクが伴う。賭ける先に自己利益の多寡を見るは当然だ。

 弱々しい野盗まがいな反逆集団と、少額でも給金と立場を与える悪辣なる領主。生きてゆく事を考えた時、義勇よりも食い扶持を選んでしまうのを誰も責める事は出来ない。


「スカウトは一時休止だ。今しばらくは俺達の動きを掴まれないよう、身を潜める事に専念しよう、残念だが」

「仕方ないさ。急いて俺達が失敗すりゃ、ますますあのクソドワーフ野郎をぶちのめせなくなっちまうし」

 反乱分子を見つければ悪行三昧な領主はこれを潰しにかかるし、その後は二度とそんな輩が現れないよう、徹底して取り締まりを厳しくしてしまう。

 そうなっては今以上に活動が難しくなってしまうし、うなだれた人々は更なる不幸な日々を送ることになってしまうと、彼らはよく理解していた。


「それと面白い話があるぞ。隣のアトワルト領のホルテヘ村では、村の防備を厚くしてるらしい。もしかするとゴルオン領こっちと何か摩擦があるのかもしれない」

「! それはもしかして…チャンスが来るかもしれないってことか?」

 ―――――期待するのは領主同士の大きな軍事的アクション。

 こちらへの警戒が弱まり、活動や横槍を入れる絶好の好機となりうる。なんなら隙をついて、ドルワーゼを直接攻撃する事だって可能になるかもしれない。


「それは確かに面白い話だな! まだどう転ぶかはわからないが、そうとなればますますここで失敗するわけにいかない。今まで以上に慎重に事を運ぼう」

 彼らは頷き合う。

 種族は違えど、誰もがドルワーゼの暴政に耐えかね、怒りを胸に明るい未来を目指す希望を共有する同志。


 高いこころざしと失敗できないという危機感が感情を抑え、冷静な判断と行動へと結びついて、ドルワーゼの手をより煩わせる事に繋がっていた。






 ・


 ・


 ・


 だが物事とはままならぬもの。彼ら慎重派とは逆に、現状を好機として行動を良しとする者達もいた。



―――――ゴルオン領、東部。

 ゴルオン領は、現在の東方中央部辺りだけが本来の領地である。

 それがドルワーゼが領主となって以降、周辺領地に対して危ない駆け引きでジリジリと周辺境界を侵しつつ拡大を続け、本来ならば他領となる南北西方向に大きく食い込んだ結果、現在では従来の3倍近い広さにまで膨張している。


「いいか皆。ドルワーゼの奴は今、兵を伴って西方に出向いてるって情報があった…つまり、こっち側・・・・は警戒が手薄になっている、絶好の好機到来だ!」

「「オォォオ!!」」

 ゴルオン領の首都より東に数十キロ。本当なら別の領地の民であったはずの彼らは、ドルワーゼの動きをこれ幸いとして今、この時に蜂起してしまった。


 強引に、暮らしていた町や村ごと編入させられたかと思えば重税を課せられ、そして最近は食糧の徹底した徴収を受けるなど、人々の怒りはとっくに限界を超えていた。

 だが私兵にだけは食わせているドルワーゼである。餓えた民がいかにハングリー精神を動力源にしようとも、対抗できる算段はなかなか立たなかった。

 それでも着々と物資を集め、同志を募り、地下で準備を進めたところへ、敵が背を向けたと聞けばもう我慢の限界。


 彼らは、行動するべくして行動に移ってしまった。


 ・

 ・

 ・

 


「「「ワァァァァァッ!!!」」」

 ゴルオン領首都東部にて立ち上がった民兵は、首都近郊の関所へと襲い掛かった。


「くそっ、数が多い…おい! 誰か救援要請に――――ぐげっ」

「うおおお!! ドルワーゼの野郎をぶちのめせー!! ヤツの帰る城を破壊してやるんだー!!」

 関所の常駐兵はほんの30足らず。兵士として装備も練度も高いとはいえ、蜂起した民兵達は500余り。

 関所はものの1時間もかからずに陥落し、彼らは首都へと攻め込む足掛かりを得る。



 だがそこからが問題であった。何せ首都の防壁は高く厚い。


 常駐する兵士も1000はいる…彼らの戦力で抜ける事が出来ないのは、軍事に精通していなくとも分かる事だ。


 それでも彼らが関所を襲い、これを奪って拠点を得るという行為に出たのは、その成果を喧伝し、ゴルオン領内各地にて息を潜めている同志たちを駆り立てるため。そして近隣であれば自分達の下へと招集・合流を促し、一気に戦力アップを狙うという意図もあった。


 ・

 ・

 ・


 しかし、繰り返すが物事とはままならぬものである。


「全部で800、か…」

 関所を占拠してから1週間。最初こそ続々と集まってきた同志、その増加の勢いに自信を深めた彼らだったが、3日目で700人を超えた辺りから一気にやってくる者は減少し、今日にいたっては1人も来なかった。

 しかも合流してきた者の中には意志弱く、単に餓えのあまり食わせてもらいたいだけという、戦力にならなそうな者も多かった。


 誤算の元―――――それは、ゴルオン領民の大半がドルワーゼへの怒りの時期を通り越し、気力すら削がれてしまっている段階に至っていた事だ。


 立ち上がった民兵たちも所詮はただの一般人である。自分の住む地とその近隣くらいしか土地の実情はつかめないし、知らない。

 まさか領内の人々のほとんどが、ドルワーゼに反抗するだけの気力すら残っていない状態にまで陥っているとは思いもしていなかった。



 こういった飢えた民が蜂起するためには、分かりやすく先を示さなければならない。

 つまりドルワーゼを打ち倒す事で大量の食糧が手に入り、餓えは解消され、明るい未来が訪れる事を、具体的かつ成功する事・・・・・・・・・・示せなければ絶望した人々は立ち上がれない。

 そんな政治的な算段と策を示せる者が彼らの中にそう都合よくいるはずもなく、ましてや存在だけで人々を突き動かしてしまうような絶大なカリスマ性を持った者などもいやしない。


 彼ら、民兵による小さな関所での勝利程度では、ゴルオン領民の沈んだ心を浮上させる事はまるで叶わなかった。


 ・

 ・

 ・


 ヒュンッヒュヒュンッ


「くそっ、絶え間がない! これじゃ反撃出来ないぞ!」

 占拠した関所とて、大きい方ではあるが砦のような防衛力はない。

 最大で900人ちょっとまで増えた彼らも、首都から来たたかだか500人程度の部隊相手にジリジリと責められ、日に日にその数を減らしてゆく。



 降り注ぐ矢は、激しいわけではないが統制の取れた射撃で止むことがない。


 槍を構えて打って出て突進してみても所詮は民兵。リーチで劣る剣で軽々とあしらわれては、切り捨てられてしまう。


 小隊を2つ作り、こっそりと敵の左右から挟撃を仕掛けるなど、小賢しく頭を回転させてみても上がる成果はかんばしくなく、敵兵1体を倒すのにこちらは3人~4人が犠牲になっている。



 そして、悪いしらせの方が簡単に広まるもの。


 彼らの劣勢の報は “ やっぱりな ” と人々をただ落胆させるだけに終わり、蜂起より1カ月も経過した頃には、もはや加わろうという者は一切いなくなっていた。




―――――ゴルオン領西方、首都への街道。

「フン、馬鹿な連中よ。このワシにたてつこうなど万年早いわ、ファッファッファッ!!」

 優雅な帰路の途上、馬車の中でドルワーゼは久々に気分のいい報せを受けて高らかに笑う。

 西方での反乱分子殲滅は結局は果たせなかったものの、その憂さも晴れたと言わんばかりに機嫌がコロっと変わる。


「…じゃが、ワシに刃向かった者がどのような末路を辿るのか、一つ示しておかんとな」

 西方遠征の事実上の失敗を認めたくないドルワーゼは後日、東方で反乱を起こした民兵達を惨殺する。

 しかも彼らの家族に加え、故郷の村の住人までも殺戮し尽くし、その死体を見せしめのために飾らせるという暴虐非道を尽くして見せたのだ。


 この後、ゴルオン領内は更なる抑圧と通関の厳格化が施された。場合によっては関所を通らんとする者を全裸にしてチェックし、相手が女であれば現場の兵士がこれを平然と強姦する事件も多発…しかしそれはやがて常態化してゆく。


 そんな状態に陥っていくがゆえに、ゴルオン領へと近寄る者は比例して減少。負のスパイラルの底は見えない。


 領主ドルワーゼの下、ゴルオン領は何もかもが更に腐り果てていく。それは一切の歯止めがきかぬままにどこまでも進行し続けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る