新編:第6章

第91話 第6章1 哀しき傭兵たち


―――――――ガドラ山、南麓。


 ウオ村を拠点として、各地より傭兵達がジワジワと集いつつある。彼らの目当てはもちろんモンスター・ハウンドである。



「へへへ、俺らでトドメさしゃあよ。この地の領主からたんまり報奨金をせしめられるぜ」


「モンスターは大物っつっても1体なんだろう? 楽勝だな、ハハハ」


住処すみかも割れてるんだろう。むしろなんで攻め込まないか、不思議だぜ」



 様々な傭兵チームがガドラ山に登るかどうかという、地面に傾斜のかかりかけた辺りでたむろしている。これから危険な敵が待ち受けている山に登ろうというのに、口にしている言葉は楽観的で、彼らにはまるで危機感がなかった。



 ガドラ山脈は一部に森林樹木こそ生えてはいるものの岩山がベースであり、隠れる場所は一般的な山地よりも少ない。

 傾斜のキツい山肌ゆえ、登山にはある程度ルートが絞られてしまうが、見通しの良さから敵が攻めてきてもすぐに分かる。それが傭兵達に危機感が無い理由だ。



 ダッ……ヒュウウウウウウウウンン………



 なので彼らは思いもしていない。


 互いに視認もできないほど離れた、遥か高い標高いち。そこからまさか、ジャンプして空中へと飛び出し、そのまま落ちてくるように襲撃をかけてこられるなどとは。




 ドォッ、ザシュウ!!!


 ほぼ同時だった。

 超高高度からの着地による衝撃で地面が掘り起こされた音と、傭兵の一人が身体の中心から真っ二つに切り裂かれた音が鳴り響いたのは。


『クキャーーーー、キャキャギャァァァ!!!』


 ドンッ!! ドグヂュッ! グシャァッ!!!


 最初の犠牲者に何が起こったのかを理解する僅か1、2秒の間。

 奇声を発しながら両腕をぶん回すモンスター・ハウンドによって、傭兵チームの一つがあっさり壊滅してゆく。


 力自慢のサイ男が、咄嗟の回避には自信のあったバードマンが、戦闘力の高さに定評のあるドウジ和鬼が。


 腹に風穴を開けられ、全身をバラバラに切り裂かれ、頭の半分が吹っ飛び、もう半分がグチャグチャに潰され……



 1分にも満たない時間の間に4人が戦死していた。



 彼らにとって最悪なのは相手の強さそのものではない。相手に遊びや余裕がなくなっている状態で遭遇した事だ。


 モンスター・ハウンドは、先のメリュジーネ達一行との遭遇にて、まんまと女をゲットしたかと思ったのに、その女から想像を絶する恐怖を浴びせられてしまった。それ以来、このモンスターは一切の余裕を無くし、本気の警戒心を常に帯びるようになっていた。


 皮肉なことに、メリュジーネのお遊び・・・が、間接的とはいえ有志の傭兵達を死においやっていた。最も、その強まった警戒心のおかげで、積極的に人里に攻め寄せる事なく、住処に篭ってくれてもいるわけなのだが。







「…くしゅんっ!!」

「むー? ネージュ~かぜー?」

「んー、そういうわけじゃないと思うけどぉ……誰か噂でもしてるのかしらねー?」

 鼻頭を軽く擦り、大丈夫よーとムームに応えるネージュ。


 彼女らを乗せた馬車は一路、クイ村跡地へと向かっている道中だった。


「もうすぐオレス村跡地です。今度は街道を右に曲がる…でしたっけ?」

 アラナータにそーよーとネージュが答えると、ムームもほぼ同時にそーなのー、と答えた。

 聞きかじりでしか知らないネージュとは違って、実際に現地へ行った事のあるムームだ。彼女の肯定がネージュの聞いてきた情報に間違いがない事を証明してくれる。ハイト達は安心して馬車を走らせていた。


「! …ストップ!」

 だが、快調な馬車の旅は中断される。ネージュの短い指示に慌てて手綱を引くハイト。アラナータは半立ちになってスレイプニルに止まってーと御願いの声をかける。


 そして馬車は間もなく停止した。


「どうかしたんですか、ネージュさん? 急に止めて…」

 御者台から後ろを振り返ると、急停車したせいかムームがコロンと転がって端っこで手足を天井に向けている。彼女の肩に乗っていた泥マリモも床に転げ落ち、泥の突起を4本伸ばしてムームと同じようなポーズを取っていた。


「…お客さんよ。二人とも手綱はいいから荷台の方こっちに入りなさい」

 いつものネージュより少しばかり真面目な雰囲気。ハイトとアラナータが顔を見合わせ、是非もなく素直に御者台より荷台へと移る。


 荷台には高めのホロがついてはいるが、元々が小型の荷運び用。4人が入るには狭いかもしれないと二人が思いかけるのとほぼ同時に、ネージュが後ろへと飛び出した。


「あんた達はそこでジッとしてなさい。万が一の時は、魔獣と荷台の繋ぎを外しちゃって。魔獣そのコなら大概のヤツ相手にしたってまず負けないわ」

 ネージュが指示を出し終えたタイミングで、街道の隅の樹木や茂みなどから男達が姿を現す。

 種族はバラバラだが、恰好はいかにも野盗といった感じの連中だ。ほとんど時を置くことなく、素早く馬車を囲んでいく。


「まー、ゾロゾロと…よくもまぁこれだけの頭数寄せ集めたもんねーぇ?」

 野盗たちはジリジリと囲みを狭めている。その動きだけでもネージュにはすぐにピンとくるものがあった。


「(ふーん、随分と連携が取れてるじゃない? コイツら、ただの賊じゃあないわね)」

「こんな田舎にナーガ族たぁ珍しい旅人だな? 悪いがねーちゃんよ、死にたくなかったら大人しく出すモン出してもらおうか」

 そう言う野盗たちの代表らしき男は、表向きにはハッキリとは示さなかったものの、あきらかにネージュを見てごく一瞬だが眉を潜めていた。それは戸惑いの色。


 ナーガ系種族は、たとえ一般人でもそれなりに高い能力を持つ。先天的に能力に恵まれている、相手にするには厄介な種族であることを、最低でもこの野盗のリーダーは知っているのだ。

 しかしそれは、いささか不自然な事であった。


「(一体誰の子飼いなんだか? ま、とっ掴まえて吐かせてしまえばいいだけなんだけど)」

 本来、こんな地上の片田舎に出没するような野盗など、その教養のほどはたかが知れているはず。

 ところがネージュを見てその種族を知り、ハッキリと怖れを抱いた。しかも野盗ごときがこの人数でこれほど連携の取れた動きをする、というのはまずあり得ない。


 ―――――コイツらはプンプン匂う。



「さーて、お言葉をお返しするとしましょうか。死にたくなかったら洗いざらい吐きなさい? 吐かないならそれでもいいわよ、殺すだけだから」

 ネージュは半分喜んでいた。窮屈で退屈な領主生活では、こうして暴れられる機会など滅多にない。遭遇したとてほとんど部下が片付けてしまい、自分は手を出せないからだ。


 スレイプニルやハイト達を怖がらせない程度にと多少なりとも抑えてはいるものの、その全身からは喜悦と共に殺意がとめどなく流れ出て、辺りを満たしてゆく。


 そして野盗たちが、自分の背筋にゾクリとするものを感じたのとほぼ同時。



 シュルルルルルッ



 ネージュが蛇の半身がその見た目通りの、滑らかなれど素早くうねりを伴う動きでもって地面を這った。不快でない綺麗な摩擦音が響く。


 速い。


 動きが見えないわけではないが、最初に狙われた野盗の一人は反応が間に合わず、手に持っていた武器を構える暇すらないままに接近を許し、そして。


 シュビン! ………ブシィィィィゥッ!!!


「!?!???!?」

 何かが一閃したと思った瞬間、野盗の胸が斜めに切り裂かれて大量の血を噴いた。


 それは尻尾……ただの蛇の尾の先。しかし恐ろしく速い刹那に振るわれた一撃だった。

 ネージュ自身が身体の大部分をほとんど動かす事なく、尻尾の先端部に近しいところだけが一瞬にして前に出て、ムチのようにしなりながら切り裂いたと手近にいた二人の仲間が理解およぶ頃には――――


 ドシュッ! ドゴッォ!!


「がっ?!」「おごぶっ」

 一人が切られ、もう一人はそのみぞおち深くへと真っすぐに彼女の尾の先端が突き込まれていた。

 その間ネージュは、腕を組んだまま尻尾の中腹から先以外は不動だった。


 野盗は全部で30人はいる。だがその全員がワンアクションも出来ぬ極めて短い時間の間に、尻尾のみで3人がやられてしまった。

 しかも彼女は、みぞおちを突いて気絶させた男をそのまま高らかと掲げてみせ、もっとも近くにいる野盗の一人に対し、不敵に微笑む。それは強者たるをせつけるための行い―――仲間には頼もしく感じさせ、敵対者には恐怖を煽る行為。


「ほら、どうしたの? かかってきなさいよ、出すモノ出して欲しいんでしょう? ねーぇ??」

 欲求不満な女の、なまめかしき催促のようであるといえばそう捉える事もできる言動。しかし粘着質でへばりつくような殺気が、野盗たちの恐怖を煽る。


「く、な、…なんだってんだ、コイツ―――――ごほぁっ!?」

 虚勢でも威を張らんとしたワードッグが吹っ飛ばされる。


「ひ、ひぃいい! こ、こんな仕事、いくら命あっても足りね、げべふっ!!」

 すくんだ脚を必死に動かして逃げ出すも、遅々として進まないリザードマンがその背を穿うがたれる。


「き、聞いてねぇぞ!? なんだってこんな田舎にこんな奴がい…ぐぅぶっ?!」

 懸命に武器を構え、戦闘態勢と取ろうとしていたゴツい顔した悪魔族がアゴを下からぶちのめされて気を失い、草の上を転がった。


  ・

  ・

  ・

 僅かな間に半数が死亡、または気絶――――リーダー格の男は、信じられないものを見て愕然とした表情を浮かべた。一応は剣を構えた体勢を維持すれど、完全に固まってしまっている。



「ち、ちくしょおがぁぁぁぁ!!!」

「ば、バカ、迂闊にっ」

 一人が強引に斬りかかる。だがネージュはクスリと口元だけで笑うと、その場で上半身を華麗に1回転させた。

 すると僅かに遅れて蛇の下半身が渦を巻きながら立ち上り、斬りかかってきた相手の全身をこれでもかと打ちのめした上で遠くに吹っ飛ばす。


 まるで竜巻のようにうごいた尾は、しかして地面に降りてゆく時はゆっくりと、乱れなく流麗な水の如く流れ落ちて、ある種の美しさすら伴いながら着地する。

 後には何事もなかったかのように、とぐろを巻いた下半身の上で どうよ? と胸を張るネージュの姿があった。


「もう両手で数えられるくらいしか残ってないけど、まだやる気はあるかしら? それとも大人しくゴメンなさいしちゃう?」

 先ほどまでの殺気は嘘のようになくなる。ネージュはむしろ可哀想になってきたのか、まるで迷子になった小さい子供に接するかのような雰囲気すら醸し出している。


 だが野盗たちは馬鹿にされていると思ったのか、それとも殺気による恐怖の束縛が解けた反動か、一気に激昂した。



「な、な…なめくさりやがってこのアマぁぁぁぁぁ!!」「調子に乗るのもそこまでだ!!」

 数人が一斉に飛び掛かった。だがネージュは反撃せずに、これをかわしながら移動を開始。とぐろを巻いていた蛇の尾が地面の上でうねりながら長く伸びていく。


「逃がすかよっ」


 シュッ!


 飛び掛からなかった1歩後方にいた一人がネージュの動きを捉え、その背中に向けてナイフを投げた。


 ドニュンッ! グプププ……


 コースは完璧だったがナイフは彼女の遥か手前で、馬車の荷台からニュッと伸びてきた青いものに刺さり、取り込まれるように内包されてしまった。


「ぅ~…ちょっといたいー…。でもないふ、てにいれたーのー」


「な、なんだぁ!?? オレのナイフが変なものにっ」

「! おい、そっちは中にいるのをやれ! こっちはあのアマをぶちのめす!!」


 囲っているのだから、ネージュ1人がいかに強かろうとも馬車のすべてを守り切ることは難しい。

 ムームの横やりから馬車内に別の誰かがいると知覚したことで、ようやく馬車を狙わせることに思い至った野盗のリーダーが、慌てて声を張り上げた。


 しかしその手は最初にしておくべき事。ネージュが馬車の方を狙われる事に気が回っていないわけがなく、既に先手は取られていた。


 シュルルルルルルッ!


「なっ!?」

「う、動けな…ぐぎゃあああああ!!?」

「い、いつの間にこの尻尾――――っぐうう、あ、足の骨がっぁぁぁ」


 ネージュが移動を開始すると同時に、彼女の尻尾の先端は逆方向に伸び、馬車の荷台の下などの隙間を通り抜け、密かに敵の足元近くにまで伸び及んでいた。


 反対側にいる野盗たちが馬車の荷台に襲い掛かろうとすると同時に、彼らの足を絡めとって、そしてバッキバキに絞り折った。


「甘いわねぇ。その程度で出し抜けるわけないじゃないの」

「な…い、いつの間に!?」

 目の前にニコニコ顔したネージュの上半身がある。リーダー格の男はギョッとして一瞬身をこわばらせてしまった。その隙に―――――


 ドバチィ!!


「うぶふぅうう!??」

 張り手。


 ただし牽制とか小手先の攻撃とかそういうレベルのものではない。吹っ飛んだ男の口からは何本も歯が飛び出し、頬は手の形にクッキリと赤らんで、やがて青アザめいた色へと変色、そしてすぐに顔形が変わるほど大きくぷっくりと腫れ上がった。


 そんなリーダー格の男が地面の上で悶絶する様を目の当たりにして、残りの野盗たちは身体を小刻みに震わせながら武器を捨て、両手をゆっくりと挙げる。

 それはネージュに対する恐ろしさで、生存本能が無意識の内にとらせた降伏行動だった。


 ・


 ・


 ・


―――――――小一時間後。


 ハイト達の馬車は、クイ村に向けて再出発していた。


「結局、あの賊たちは何だったんでしょうか?」

 事なきを得て旅路を再開できてハイト達は安堵。馬車の走りも安定してきたので、ハイトは野盗たちの処理を一手に行っていたネージュに質問をぶつけた。


「あいつら、この辺の連中じゃあなくって雇われものよ。しかも傭兵くずれ」

「雇われもの…って、誰かに雇われて道行く人を襲っていた、って事でしょうか?」

 アラナータにそうよと頷きつつ、ネージュは続ける。


「…それも魔界本土から違法に・・・召喚されたクチね。だから魔王様直属の牢獄に強制送還してやったわ、フフッ」

 魔法とはいえ、世界をまたいであの人数を送る。そんな芸当が出来るというのは、ハイト達にとってあまりに途方もなさすぎて理解どころか想像すら及ばない。

 なので相槌代わりに苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。



「それより問題は召喚した黒幕の方よ。聞き出した話じゃあ、物資とかいろいろ集めさせるために野盗まがいの真似させてたっぽいのよね」

「それは……何か企んでる悪人が別にいるって事ですか? ミミ様に報告しないといけないのでは――――」

「落ち着きなさいよ、ハイト君。黒幕の件ならミミちゃんは既に知ってるし、部下に調査もさせてるのよ。ミミちゃんが最初に、昨今の諸々の流れから考えると北が怪しいって踏んで警戒してるって話だし、その辺は既に聞いてたでしょう。あのコ、ちゃーんと領主やってるから安心なさい」

 ハイトは途端に恥ずかしくなった。考えてみれば当然だろう。自分のような一般人が慌てふためく頃には、為政者は然るべき情報を得て既に動いている可能性の方が高い。

 いくら人手不足とはいえ比較的小さな領地。しかも片田舎というところは、変わった動きや妙な人物の行き来などには特に敏感で、あっという間に情報が人づてなりにも拡散する。


「(……俺は、俺達は……ミミ様の御役に立てる事があるのだろうか??)」

 魔界はワラビット族の種族領地内でひっそりと暮らしているだけの自分達が、いかに疎いのかを考えさせられてしまう。

 ハイトとて種族の仲間内では聡い方だとよく言われるが、それがこのザマだ。お世話になりっぱなしで事実上のお荷物。何も貢献できないし出来そうな事もないのがとても心苦しかった。


「ハイトさん……」

 ものすごいスピードのスレイプニル。御者台で隣に座るアラナータは、風で自分の髪が顔前に流れるのを抑えながら、ハイトの表情に苦しいものが浮かんでいるのを見て、うれいた。







―――――――都市シュクリア、ミミの借り家。


 ガドラ山のふもとにて集ってきている傭兵から戦死者が出たという報告は、半日と経たずにミミのところへと届いていた。


「被害発生…はぁ、猶予はあまりないなぁ」

 ベッドから身を起こして報告書を眺めながら、深いため息をつく。まだ解決の手はずが整う見通しもたたない中でのこの報告はかなり痛い。


「傭兵連中にしてもモンスターの強さを理解しているはずなんですけどね。どうも程度の低い連中が迂闊に行動しちまったようです」

 報告書を持ってきたドンが補足を入れるも、結局は事態の悪化という点がより強調されたようなものだ。深刻性が増しはしても、気休めにはならない。


「…ドンさん。この件で本当に見込みある人まで逃げ出す・・・・可能性、あると思う?」

 今回の討伐対象が強力である事は、まともな傭兵であれば先刻承知だろう。しかしそれでも、強弱のほどはどうあれ同業者が殺されたというのは、彼らの心中に臆病風を吹かせてしまう材料となる。


 傭兵が今回のようなモンスターの討伐に名乗りを上げるのは、大金を得る数少ない絶好のチャンスというだけの事でしかない。神魔大戦を除けば、地上で大きな戦はなかなか発生しないため、傭兵稼業をしている者は金だけが唯一の戦う理由となる。

 なのでミミが明確に褒賞金の類を出すなどの発表をまだ打ち出していないにも関わらず、続々とウオ村を中心に傭兵達は勝手に現地へと集まってくる。獲物を同業者に先んじて倒さんがためだ。



 だが、何事も命あっての物種。


 自らの生命を賭してでも、人々や世界に害なすものを倒さねば!――――などという正義感に溢れた者は、彼らの中には存在しない。


 たとえ相応に実力と経験ある傭兵であったとしても不安材料があるとすれば、触らぬ神に祟りなしとばかりに安全を選ぶ。迷いなく。




 そして事実、問われたドンの表情は暗かった。


「あるでしょうね、それもかなり……。逆にライバルが減ってチャンスと思い留まる傭兵もいるかもしれやせんが、現状じゃあそういった奇特な奴が出てくる可能性は……厳しいかと思いやす、正直」

 かろうじて " ない " という言葉を飲み込み、置き換える。だがドンが気を遣っても現実は変わらない。



 事実この日以降、ガドラ山に少しでも近づこうとする傭兵の姿はパッタリと消え失せた。

 現場直近のウオ村からも撤収する傭兵が相次ぎ、残った者も、モンスター討伐のためというのは表向きの虚勢となりはてる。やるにしても、なるべく安全かつ小金を稼がんと、街道を行き交う商人や旅人の護衛仕事くらいしかしなくなった。


 そして滞在する傭兵の絶対数が少なくなった事が影響し、せっかく細々ながらに物流が回復しかけていたのが再び悪化する。



 アトワルト領はなおも厳しい状況が続く見込みとなってしまった。







 ドンは、ミミの寝室の扉をゆっくりと閉め終えると、深く考え込みながら歩き出す。


「(マジにまいったなぁ…、モンスターの件は解決策そのものはハッキリしてるってのに、肝心の戦力を集める算段がつかねぇのが…)」

 もどかしい。


 こういう時、自分にもっと強さがあったらと思わずにはいられないが、それはないものねだりだと、すぐに思考を切り替える。


 そもそも生きていれば、必要な時に必要なものがない、もしくは足りないなんて事は日常茶飯事だ。それは一般人のレベルであろうと、お貴族様レベルであろうと関係なく起こること。

 そのたびに工夫と知恵と努力でなんとかしのぐ、乗り切る、解決するのが、生きるという事である。


 そんな事は分かっている。分かってはいるが、こうも打つ手が思い浮かばないとなると、ドンにしても思わず肩を落とし、ため息を漏らさずにはいられず――――


 ・


 ・


 ・


ガキンッ!! ギィンッ!!


『ちっ! この小悪党風情がっ、いい加減あきらめやがれっ。小物の分際でたてつききやがって!』


――――あれは、いつの事だったか? まだ悪党に身を落としていた時代。ドンは、あの険しいく長大なる山脈、グレートライン付近での戦いを思い出した。


 相手は、悪さをした自分を追ってきた近隣の町の警備隊……ではなく


『はぁ、はぁ…ぜぇぜぇ…へっ、どっちが小悪党だ? そのオレみてぇな小物から獲物を横取りしようとしてるヤツがよ?』

 同じ悪党だった。


 時は冬。厳しい寒風が吹き抜け、雪の積もった岩山の道。


 目の前には白く染まった野が見え、雪を着飾った針葉樹の森が添えられている。山と野の境界線といった雰囲気の場所だ。


 冬場は、コソコソと盗みを働くケチな小悪党ですらなかなか得るもの得られない厳しい時期。店は軒先に商品を置かないし、戸締りは厳しく、人々も屋内にいる事が多い。


 そして、行き交う人々を襲って生計をたてている野良の賊徒の類に至ってはさらに厳しくなる。何せ行き交う者自体が少なくなる上に、商人の類も厳しい自然環境込みで手練れの護衛をつける傾向が強まるため、襲撃成功率がぐっと下がってしまう。


 なのでこの時期、賊は仲間内ですら少ない分け前を巡って内輪揉めを起こす事が多くなる。


 そこにきて、ドンのような比較的弱い種族で、誰ともつるまずに行動している一匹オオカミは、力づくで搾取される絶好のカモであった。


 そしてこの日も、ドンを襲ったのは実力でいえば何段階も上の悪党だった。


 ガッ! ガガキッ!


『おらぁあ! ゴブリン程度でっ、よくやったたぁ思うがな! いい加減に死んどけてんだよぉぁっ!!』


 ドゴァッ!!!


『ごふっ!! …ち、ちくしょう…』

 構えた得物の上から、力任せの強引な一撃を受けてドンは吹っ飛んだ。そしてドンが苦労して盗んできた袋が雪の上を転がる。


『…無駄に粘りやがって…はぁはぁはぁ…コイツはオレがありがたく貰っていくからよーお、ハッハッハァ!!!』

 奪われ、そして去っていく敵の背を、朦朧としたゴブリンの瞳が追いかける。


 視線でしか追うことができない。ドンの全身は、疲労と怪我と寒さで思うように動かなくなっていた。


 悔しい。


 弱者の悲哀は、同じ悪党達の間でさえこうして自分を打ちのめしてくる。

 だが、その悔しさが弱きゴブリンに、手にしたボロボロの剣を雪の上に突き立てるだけの力を与えてくれた。


 ザンッ!!


 突き立てた。それを支えにして立ち上がろうとした―――――が、ドンが身を起こす前にソレは起こった。



ザザザ…ドザザァァァァッ!!!!!


『ぁん? ―――――――』


 目の前で、妙な音と震動に気付いた敵が山の上の方に顔を向けた瞬間、その姿は真っ白い怒涛の中に消える―――――雪崩。


『・・・・・・』

 ドンは、口をあけたまま何も発する事なく、ただ驚いたまま茫然とした。

 ただ剣を雪の上に突き立てただけ。それは大した音を立てたわけではなかったはずだ。これまでの戦闘で発せられていた音の方がよっぽど大きなものだった。


 たまたまなのか、それとも崩れるまであと僅かのところにきていたのか…ともかく雪崩は起こり、ドンの勝てなかった敵を押し流した。そして……


 ヒュウン……ドサッ


 奪われた袋が空中高くより落ちてきて、ドンの目の前に戻ってきた。恐らくは雪崩に巻き込まれた際の衝撃で、敵の手を離れて宙に投げ出されていたのだろう。

 その奇跡のような展開に、ドンは寒空の下にも関わらず、しばらくそのまま動けずにいた。


 ・


 ・


 ・



「(あの時、剣を突き立ててなかったら……それと同じだ。結局、奇跡なんて結果を振り返ってみたら凄い事が起こった、ってぇだけの話。どんな小さな事でもやってみりゃ、それが " 起こり " になって大きな事に繋がる。暗くなったりしょげてる暇あるなら、何か…どんな些細な事でもまずはやらなきゃ!)」 

 まずは深く深呼吸する。心を落ち着け、悪い考えをすべて一度追い出す。ネガティブを薄め、ポジティブを己の精神に呼び込むために。





 そして目を開き、まっすぐに前を見る。するとドンの歩まんとした廊下の先の突きあたりを、ちょうど二人のドワーフが談笑しながら横切ろうとしていた。


「! よし、やはりあのお二人に……おぉーい、ゴビウさん、ドーヴァさん、少しお話できやせんかー?」

 呼びかけながら小走りに駆け寄ってくるゴブリンに気付き、二人も足を止めた。


「おー、ゴブリンの。ワシらに何か用かの?」

「はい、実は…やはりお二方にもモンスター退治の御助力をお願いできないかと思いやして…」

 ドンは、対峙する戦力として相応の実力者が複数必要であること、それを考えると二人組のドワーフ傭兵として名を馳せているドーヴァ達にはぜひとも協力してほしい旨を、自分の考えを交えながら持ち掛ける。


 だが問題があった。


 二人は傭兵・・なのだ。当然報酬というものがなければ動かないし動けない。善意だけで命を賭ける仕事など出来るわけもない。

 それはドンもよく理解しているが、今の所ほかに頼るべき戦力がほとんどない以上、実力者はなんとか確保したかった。


「報酬の件につきやしては、…できればいかほどかを事前にお教え願えませんでしょうか? 希望に沿えるかは厳しいかもしれやせんが、なるべく努力はしてみますんで」

 そうは言ってもドンは下っ端。その辺りのことを決める裁量や権限はない。だが今は、とにかく今は繋ぎ止めておく。保留で構わないから、アテを1つでも多く残す努力をする。

 不確実で結果につながらなかったとしても、先を嘆いて今を行動しないよりはするべきだ。

 かつて……ただ雪の上に剣を突き立てるだけという、それ自体は何の意味も結果も出せやしない小さな行為。だが結果、雪崩を起こせたあの時のように。



 もっとも現実とは非情であり、奇跡などそんな頻繁に起こる事はない。


 ドンの相談に、ドーヴァは困り顔ながらもなんとか受けてやりたいという意志が見え隠れする中、ゴビウは腕を組んで黙し、ちと厳しいんじゃあないかといった雰囲気を醸していた。


「……ドン殿や。正直なところを率直に言わせてもらうがの、ワシらはここに来る時に一度、アレの相手をしとる。そしてワシらならまず負けぬ事も確信した。だがの、あのモンスターの強さは本物じゃ。まったくの被害なく、アレを打ち倒すとなると、ワシらにしても、ちょっとやそっとのでは到底、引き受けられん」

 ドーヴァが、誰に対しても親睦性と気の良さを感じさせるドワーフであるのに対し、ゴビウは少しガンコそうなところがある。それは厳格にして現実的、という意味でのガンコさだ。

 そこには一縷の情もなく、ただただ非情の現実に沿って話をしている。


 ドンは少しだけゴビウを怖ろしく感じた。何かこう、人の情が薄いというか、そんなものを吐き捨てるかのような冷酷さのようなものを一瞬感じたからだ。

 しかし普段のゴビウはドーヴァ同様に気のいいドワーフであり、彼のこんな一面を見たのはこれが初めてのことだった。


「(……この冷酷な感じは、仕事の話が絡んでるからなのか? プロは違う…って事か…)」

 一方でドーヴァが、まぁまぁとゴビウを嗜めているところを見ると、何も今に限った感じではないようだ。これがゴビウというドワーフなのだろう。

 もっとも戦場では、その冷酷さが必要になる時も少なくない。それくらいでなければ名声ある傭兵など務まらないのだなと、ドンは納得した。


「まぁワシらとて、あのモンスターの事が気にならんわけではない。のうゴビウよ?」

「…そりゃあのう。被害も出とるようじゃし? 見て見ぬフリは酒がマズくなるし」

 どうやらリアリストに走り過ぎたゴビウを、ドーヴァがなだめるというのがいつもの流れらしく、二人の会話からは慣れきっているといった感じがする。


 だが肝心の討伐協力については、やはりドーヴァも難色を示したまま好転することはなく、手助けしてもらえそうにない。


「(ダメか…けど、沈んでる暇はねぇ。領主様の負担を和らげるために何でもやってみ――――)」

 ドンがダメ元でもうひと押しと思い、口を開きかけた瞬間。


 カランカラーン


 玄関の方で、来客を告げる鐘がなった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る