第61話 第10章2 怠惰の代償


―――――都市シュクリア、町長の屋敷。


 時刻はすでに昼を回っている。いつもなら食後の昼寝、夢の中にいるはずのリジーンは、食事も忘れて周囲に怒鳴り散らしていた。

「と・に・か・くぅっ! あたしが逃げれればそれでいーんだからっ、ボーっとしてないで早いとこズラかれるようにしてよっ!!」

「も、もちろん今、逃げ道探させてやすが…お、落ち着いて待っててくだせぇっ」

 彼女のワガママは今に始まったことではないし、彼女の直属の部下達もそのワガママには付き合ってきた。それは彼女に付いていればその労に見合うだけのメリットがあるとわかっているからだ。しかしアレクスの組織に合流して以降、彼女の下には元からの部下以外のならず者の数も多くなった。

 その中には当然、リジーンの態度や上に立つ者の資質を疑う者もいる。個の利益や保身のために敵へと通じる裏切り者も状況の悪化に伴って増加し、もはやリジーンの部隊は、軍として機能していない。

 3方より攻め込んできた敵に対して、現場で遭遇した不運な者達が、場当たり的に個々で戦ってるのが現状で、そんな涙ぐましい部下の事などまるで頭にないリジーンは、とにかく自分の身の安全を最優先にこのシュクリアを脱出せんとしていた。


「あーもー…もー、もーもーーーーッッ!! なんでこんな事になってんのー!? あんた達がサボってたからじゃないのッ!!?」

 それは、現状への不満からくる咄嗟の暴言だった。しかし、それをぶつけられたならず者は、昔からの彼女の部下ではない。

 これによりリジーン隊の瓦解は、さらに加速してしまう。

「ふ、ふ……ふざけんなぁ、このクソアマがぁ!! てめぇは何もせず毎日ゴロゴロしてただけの分際でよぉ?!」

「「「そうだそうだ、ざけんなよッ!」」」

「ヒッ!? な、なによう…」

 今まで言い返されるなどなかったリジーンにとって、部下の反発は初めての経験だった。

 彼らはリジーンが悪魔族という種族の強力なツテを有している事を知らない。仮に今それを知ったとしても、激昂するならず者にとってそれが何だというのかの一言で終わり、その憤りはもはや抑える事かなわないだろう。

 彼女は自分の部隊を掌握していたわけではない。ただ任命されたから隊長として振る舞っていた――自分の好きなようにワガママ言ってた――だけである。

 昔からの部下ならばともかく、リジーンにまるで懐いていないならず者が一度彼女に反発したなら、その流れはもう止められない。

「やめろ! かしらに手ぇ出すんじゃねぇ!」

「どけ、この野郎! こんなクソアマ庇うなんざ、頭イカレてんじゃねぇのかぁ!」


 リジーンについてきた者とつかされた者が、ついに殴り合いをはじめる。それは瞬く間に屋敷中に伝染し、あちこちでいさかいがはじまる。

 完全に収集がつかなくなった屋敷内を、リジーンは長として場をおさめようという努力もせず、こっそりと男達の間をすり抜け、自分についてきた部下達でさえ置いて一人で屋敷から逃げ出した。

「もー、使えない奴らっ。このまま逃げちゃおうっ、と」

 だが何もかも部下にまかせっきりだったリジーンはさっそく困る事になる。この都市に入った時も、この町長の屋敷まで一直線に部下達に運ばせて来たのだ。シュクリアの地形や町割りなど何一つ彼女は知らない。

 しかも東はナガン正規軍が、北と西は民兵らが都市内部へ着々と入ってきている。そんな混沌とした見知らぬ都市での逃走は、幼児の初めてのお使い以上の難易度をもってリジーンに襲い掛かった。





「お、おい大丈夫か? そんな急に動いちゃ…」

 その女性が彼ら、シュクリア自警団の囚われている家屋にぶち込まれてきたのはついさきほどの事だった。

「へーきへーき。このくらいどってことないから心配は不要だよッ」

 見た目にも果てしなく乱暴の限りを尽くされたであろう酷い姿をした彼女。ところがならず者達にこの家屋へと放り込まれて床を転がり、そのままうつ伏せになって動かないかと思いきや、自らを放り込んだ敵の気配が遠ざかるや否や、すぐさまガバッと身を起こして立ち上がったのだ。

 そして布一枚しか纏っていないにもかかわらず、片足を大きくあげて――――


 ドガゴッッ!!!  バキャッ!!


 木造なれど内に薄い鉄板を挟んで頑丈にこしらえてある扉に、はしたなくも回し蹴りをお見舞いして破壊した。

「やった、カギ開いたッ!! さ、早く出よう! 今がチャンスだよッ」

 本人はまるで子供のように喜んでいる。まさか蹴り一発で閉ざされた扉をこじ開ける事ができるとはさすがに思っていなかったのだろう。

 捕まっていた自警団の面々は、目の前で起こった一連の流れがあまりにも早くて理解が追いつかない。

 だが少なくとも一つ確かな事がある。それは…

「あ、ああ…で、出られるのは構わないんだけれども…その…ふ、服…」

 エッヘンと仁王立ちしている狐獣人ワーフォックスの最後の布1枚がハラリと地面に落ちて、存分に乱暴されたであろうその裸体が彼らの前に晒されてしまった事であった。



 ――そして解放されたシュクリア自警団は町中を走り、状況に浮足立っているならず者に遭遇しては片っ端からぶちのめしては拘束するを繰り返すこと、既に結構な時間が経過し、自分達への危険性が薄れてきてようやく、互いの持つ情報の交換を行えっていた。

「なるほど、つまり貴女あなたはもともと、領主様の命で潜んでおられた、と」

「そうっ。アトワルト様があいつらからこの町を取り戻す時まで待ってたんだけど、ボク…ううん、わたくしはちょっと先走っちゃったんだ」

 町中を走りながらワーフォックスの彼女は彼らに現状況と自分の経緯を説明する。それを受けて自警団の面々も、今が街を取り戻す好機と理解し、互いに顔を見合わせて頷き合った。

「それで、今はどこに向かって?」

「仲間と合流のためにねッ。この人数でもやれると思うけど…他に私みたく捕まっちゃってるのがいたらいけないしッ。…といっても、今どこにいるかなんてわかんないから、探し回ってるのが正直なところなんだけど。他の連中も無事でいるかちょっと―――」


「その心配は不要なのぜ」

 走り抜けそうになった小さな路地裏から聞こえてきた声に、彼女は慌てて急ブレーキを踏んだ。

 その大きな狐尻尾が、止まり切れずに自分にぶつかりそうになっている真後ろの自警団の男を抱き留める。

「他に捕まってたのは全員解放済みなのぜ。ここからは反撃あるのみなのだぜ」

「そっか、よかったよっ! 私みたいなヘマしてなかったみたいでッ」

 笑顔で頷くワーフォックスに、スネークマンが路地から大通りへと出てくる。その後ろから仲間たちと思しき多くの者達と、ここまでの途上で捕縛したと思われる拘束された状態の敵数名が、ゾロゾロと姿を現した。

「すごい、これだけいれば心強いです!」「さすが領主様、ここまで手を打ってくださっていたとは!」

 シュクリア潜伏担当だった改心組の存在を通して、自警団の領主ミミへの称賛は、彼女ら自身にとっても嬉しいものであった。



「てめっ――ぶぐふっ!!」

 建物が密集する都市内部での戦闘は、存外楽なものである。敵がこちらの存在を明確に認識できていない上に、内外入り乱れて混沌とした都市内の現状では特にだ。

 例えば路地の曲がり角での出会いがしらに、その顔面へとめり込むほどのエルボーを叩きつけ、そのままタックルをかましての瞬殺ノックアウトなんて事も容易い。

 リジーン傘下のならず者達は今、都市の外部から攻められ、しかもあちらこちらでもう外壁を突破されている上に、部隊の責任者であるトップのリジーンがまるで指揮を執っていない。

 さらにならず者達のシュクリアでの堕落した日々は、欲に飢えた者が生み出す醜悪な士気ですら完全に萎えさせてしまっており、その上仲間割れまで起こしている。

 極めつけは裏切者と逃亡者の続出だ。ただでさえ2000数百程度しか温存していなかった戦力がどんどん減少し、一方で敵である外から攻め寄せる相手はというと、解放されたシュクリア自警団や住人の協力により、さらに戦力を増している。

 シュクリアでの戦いの大勢は、完全に決してしまっていた。

「こっち、こっちです! このまま走れば、南門の近くに出れるはずです!」

 飛竜魔人ワイヴェルンのオットーの案内で、彼の店も軒を連ねる旧市街地を走り抜け、一向は都市南部を目指していた。

 ワーフォックスが、スネークマンが、ビートルマンが。ミミの命で潜伏していた仲間達との合流を果たし、ちらほら遭遇するならず者を数の力で勢いのままにぶちのめしながらひた走る。

「はぁ、はぁ、はぁ…お、おかしい。情報は間違いであったか?」

 ビートルマンが息を切らしながら首をかしげた。敵の首領たるリジーンが、南門に向けて移動したという情報を掴んで、彼らはそれを追撃せんと走り続けていたのだが…

「! ストップなのぜっ。あれは……、ナガン正規軍なのぜ。もうここまで抑えていたのぜ?」

「む!? …お前たちは、連中の仲間というわけではなさそうだな? 何者か?」

 南門の目の前、大きな通りに抜けたところで、彼らはナガン正規兵の一団と遭遇した。


 互いに軽く身元と経緯を説明し、情報交換を行えば、やはりリジーンらしき人物は、ナガン正規兵達も目撃していなかった。

「ふむ、だが都市内は隠れる場所が多い。近くで身を潜めているという可能性もある。すまぬがそちらも手を貸してもらえないか? 都市内の奪還も進み、我々も人手には限りがあるのだ」

「わかったよっ、ボク――――んんっ、私たちも引き続き辺りを探そうっ」

 ワーフォックスの元気な掛け声で、場にいる全員が頷き合った。

 彼らは門をしかと固め、周囲の家の隙間や、住人達への聞き込みに協力のもと家宅捜索まで行っていく。だが、それもほどほどで打ち切られ、彼らは大きく移動する事になる。打ち切りは現場にフラリと現れた鎧を着た男の指示によるものだった。




―――――――都市シュクリアの北側、マグル・オレス村勢の陣地。


「あっイムイムいるー。タッスンいないー、どーこー?」

 ムームが困ったように駆けてくる。といっても、早く移動するためか下半身をスライムの塊に戻しているため、半透明ナースの少女がスライムに乗ってポヨンポヨン跳ねながら近づいてくる様子に、問われた当のイムルンはつい笑いを漏らした。

「あはは、面白いねースライムって。いやーごめんごめん、タスアナ様ならたぶんお仕事に出かけたと思うから陣地内にはいないと思うよ? …んで、私もまたいかないと、っと」

 タスアナより先に出たものの、イムルンは早々と外壁沿いに都市を一回りし終えて、一度ドン達に状況を知らせに戻ってきていた。シュクリアのカタがついた後をどうするかを、療養中の彼らに考えてもらうためだ。

「すまねぇ、オレ達の事でイムルンさんらに手ぇ貸してもらって…」

「気にしなくていーよドンちん。どーせ普段は暇してるしさー、たまにはこういう面白い事でもなきゃカラダ鈍っちゃうし。んじゃねー」

 それだけ言うとイムルンはフラリと姿を消す。足音すらほとんど聞こえない歩行は、これから一仕事しようという雰囲気を感じさせた。

「……さて、だな。メルロやイフスの姐さんもこうして無事に合流できたんだ、次に考えるべきは敵のアジトの攻略だ、そこに領主様も囚われているはず」

「ミミ様…ご無事であればよいのですが…」

 イフスはシュンとして暗く沈んでいる。ドンとしても救出すべき対象の居場所が分かっている事はありがたいが、反面、囚われてより結構な時間が経過してしまっている事には様々な懸念を覚えずにはいられなかった。

 だが、だからこそ焦りは禁物だという事も重々理解している。ほんの数十分前まで、すぐにでも助けに行きましょうと息巻いて――暴走して――いたイフスをなんとかなだめ終え、本格的に敵が本拠点としているドウドゥル駐屯村への作戦を考えはじめる。

「(敵の長はアレクス。ザードから聞いた限り、あの時の獣人野郎で違いない。けど…なんだ? 少し引っかかるな…)」

 対峙したのは数える程度しかないドンではあるが、アレクスなる人物像は既になんとなく理解していた。

 強くはあるがこうした組織だった悪事には不向きなタイプという認識だ。狡猾さや強かさとは無縁の、どちらかといえば直情的な相手だろうと踏んでいる。

「(ボスはアイツで間違いなくったって、別に厄介なのがいるかもしんねぇ…)」

 考えながら、ドンはふと天を仰ぐ。視界にはメルロの豊満なバストの下側と、その両の乳房の出っ張りの間に彼女の顔が映った。包帯だらけのドンは今、正座しているメルロの膝上にチョコンと乗せられた、ぬいぐるみのような状態だ。

 メルロは彼の怪我の深さを知り、合流後はひと時も離れることなく傍にいる。それ自体は嬉しい事ではあるが喜んでばかりもいられない。

 ドンはメルロから聞いた情報を頭の中で再確認しなければと彼女に問いかける。

「メルロ、もう一度確認させてくれるか? バランクって奴は、オークと、河童と、ハニュマン猿獣人を連れてたんだな?」

「……ん。そう、……でも」

「ああ、河童の奴はイムルンさんがぶちのめした。けどその場所はここからドウドゥル駐屯村のある方角の途上だ。それにイフスの姐さんの―――」

「操られていた記憶を辿る限り、バランクとかいう最低下劣なチビ商人は、今も駐屯村にいる事はまず間違いないですね」

 ドンの会話の先を読み取ってイフスが言葉を紡ぐが、笑顔を浮かべつつもたっぷりの怒気を孕ませている語り口に、ドンだけでなくメルロやシャルールも軽く引いていた。

「(姐さんの商人嫌いますますが加速しちまいそうだ……)」

 今後、あの商人のジャックが訪問してきた際のイフスの応対の態度が悪化しているであろうことは、容易に想像がつく。かといってここでなだめてみてもなんら意味も効果もないだろう。心中で軽くジャックさんすみませんと謝ると、ドンはとりあえず話を先に進める事にした。

「んんっ! あー、えーと…。アレクスってぇ敵のリーダーは、あれこれ考えるタイプじゃあないと思うんだ。だからきっと、そのバランクって奴か、もっと別の奴かはわからないけど、頭のいい狡猾な奴が一人か二人、あっちにもいるはずだと思ってるんだが」

 アレクス本人は、ドンからすれば真っ向から勝負しても勝てないほど強いことは、先の館での戦闘で身に染みてよくわかっている。だが、ザードやジロウマル、それにイムルンやタスアナといった者達がこれに当たれば、打ち破るはそう難しいことではない。

「アレクスってえ奴は純粋に強いんだが、それでもたぶんザードと同じくらいの実力だと思ってる。イムルンさんやタスアナさんが奴に当たれば、まず確実に倒せる相手だ」

 言いながら、それだとザードが弱いみたいに言ってる気分になり、ドンは少し引け目を感じる。そして今度は心中で、軽く彼に対して謝った。

「けど、もしも敵に悪知恵の働く野郎がいたら、簡単にはいかないはずだ。だから敵のリーダーのアレクスよりも、警戒するのはそのバランクって奴や、同じような類の役回りをしてる奴の動きだとオレは思ってるんだ」

 一瞬、場にいる者達が黙り込んで考えだす。だがすぐに一人が声をあげた。

「でもドンさん。そうだとしても、どう気をつければいいのかな? 相手はお籠りさん状態なんでしょ? こっちはみんなで囲っちゃえば相手はどうしようもないんじゃない??」

「シャルールさんのいう事もわかる。けど、そうとも限らないんだ。なぜかっていうと連中は……領主様を捕えてるんだ」

 それだけでドンが何を言わんとしているかを理解し、シャルールは思ったよりも簡単には行きそうにない事を理解する。

「そっか…向こうがミミちゃんを人質にして盾にしちゃうんだ」

「それに、地図を見る限りドウドゥル駐屯村ってトコロは、本当にすぐ近くが湿地帯になってるからな……完全に包囲するのだって大変な場所なんだ」

「なんとかミミ様を、一足先にお救いできればそれが一番いいと思いますが…」

 イフスの言葉がまさに最もで、ドンもそれに対し頷いてみせる。しかし顔色は晴れない。いくらそれが最善といっても、実現する目途は今のところ、何もない。

「………、りょうしゅ…さまが、私を…助けてくれた…時、中…から、一瞬で、外…に…移動、して…同じ、ことは…できない…でしょう、か…??」

 メルロもがんばって発言する。自分を助けた身代わりのような形で彼女ミミは今、あそこに囚われているのだという思いが強い。

 加えてドンと無事合流できたのがいい影響を与えたのか、随分と精神状態が良くなって、語り口も正常に近づきつつある。

 いい傾向ではあるがと思いつつも、イフスは首を横に振って見せた。

「それはきっと転移系魔法だと思います…ですが、ミミ様の魔力を考えますと、恐らくは使い切りの低位のもののはず。同じ方法で中に侵入するためには、改めて魔法陣を仕掛ける必要性がありますし、転移系魔法の使い手はそうそういらっしゃいません」

 あるいはタスアナかイムルンが、そういった魔法を使える可能性はなくはないだろう。が、難しい魔法は使用の条件も大変である事を、学園を優秀な成績で卒業しているドンは知っている。

「残念だけど、現状じゃあ魔法を使ってこっそり潜入っていうのは難しいだろうな。一応、案の一つとして保留しておくのはいいと思う。ありがとな、メルロ」

「…うーん、それってさ? 別に魔法じゃなくても、どうにかして中に入る事ができれば同じだよね? なんとか出来そうな気もするけど、難しいのかな?」

 シャルールの言葉に、ドンは即座に2案を脳裏に浮かばせた。地面を掘る事と壁に穴を開ける事。しかし即座に自分でそれを否定する。

「外から穴を開ける事ができれば、なんだけど、壁に穴を開けるのは難しい。不可能じゃないけど、あの駐屯村の壁は、木製だが分厚いって聞いてるし、音や気配を殺して気付かれねぇ内に速やかに穴を開けるってのは厳しい。こっそり入り込むのが前提だしな」

「じゃあ、地面は? 穴を掘って下から―――」

「それも無理だ。湿地帯付近だから、たぶん掘りやすいとは思うが、脆い分すぐに崩れちまう。領主様をこっそり助け出すってぇなると、ある程度の人数が侵入できる穴を開けなくちゃならないし、崩れたら逃げ場をなくしちまって、助けにいった奴まで向こうに捕まっちまう。何よりそんな穴を気付かれないように掘るのは難し―――」

「……穴掘りなら、アッシに任せてくれ。あそこの土なら、もうトンネルを掘った経験があるからな」

 ドンとメルロの後ろから突如声をかけてきたのは、意識を取り戻したばかりの土竜人のモーグルだった。





――――――都市シュクリア、南門付近。


「(うー…なんなのよこいつら…なんでこんなに兵士みたいなのがいっぱいいるの?? これじゃ通れないじゃん)」

 リジーンは町長の屋敷で聞いていた情報、その中から外から敵が東西北の3方向より攻め入ってきてるというものを思い出し、じゃあ南に逃げればいいじゃん、と安易に考えた彼女は、ここに来て軽く絶望していた。

 そもそも南側が手薄になることは攻め寄せる側も重々承知している事であり、壁内に攻め込んだ後は敵を逃がさぬよう当然、南へと制圧の手を伸ばす事を考えるものである。

 しかしリジーンにそこまで思い至れる頭はなかった。その自己中心的な性格は、彼女に長年ついてきた直属の部下すらも置き去りにするほどであり、悪魔族出身とはいっても、彼女は思慮深さとは無縁な、世の荒波をまるで知らぬ低脳の女の子でしかない。

 たまたま運がよく、恵まれた出自と勝手についてきたならず者に祭り上げられ、ワガママし放題な山賊の頭となっただけ。山賊としての実力や経験、そして覚悟などは一切持ち合わせてはいない。

「(あーん、こんな事になるならこんなトコ来なきゃよかったぁ~、山の洞窟のほうが安全だったじゃないのよー)」

 運の良さにあぐらをかいて、欲深さに突き動かされた者の末路。せめて山賊として、部下達と共に苦難の一つも経験していればその気概も多少は違っていた事だろう。しかしそれを学ぶ機会としては、今回はもう遅きに過ぎてしまっていた。


「(あれ? なんか皆どっか行った?? …ラッキー! この隙に外出ちゃおうっと!!)」

 南門付近から、人気が失せる。もし、もしも彼女がそれなりに修羅場を潜り抜け、実力で山賊の長になっていた者であったなら、それがおかしい事だと勘づけただろう。

 しかし、どこまでも目先の欲に忠実なただの甘ったれた女子には、辺りに突然訪れた、不自然な静寂と気配の失せた門前は、チャンスとしか思えない。

「…右よし、左よし…誰も、いない…っと。よーっし今のウチ今のウチッ♪」

 この南門自体はシュクリアが発展する前からの旧門をそのまま強化しただけのため、東西北の門と違って強固に固めたブロック壁ではなく、周囲は白塗りの土壁だ。門扉も旧門をそのまま使っているために高さ6m、横幅4mとやや小ぶりで、厚みも5cm程度と薄くて軽い。

 それゆえ閉ざされていても、リジーン一人で開ける事も楽なものだった。とはいえ、家の扉ほどの軽快さで開け放てるほどは軽くない。

 扉を開いた先、待ち構えていた鎧の男の存在に気付いても、彼女の身は扉を開けるために力んで硬直してしまっており、すぐに逃走へと行動を移す事が出来ない。

「ういっ!?」




 ヒュッ! バシンッ!!


 それは、イムルンから受け取っていた敵の武器の一部、鹵獲品のムチだ。千切れて短くなってはいるものの、元が相当に長かった一品なのか、リジーンの身体を巻き取り、門の外へと引っ張り出す事に成功する。

「ほう、不意に引きずり出されても踏みとどまれるくらいはできるか。…見た目ほど弱くはないな、さすがは悪魔族とでもいうべきか」

 悪魔族は数多の種族の中でも、生まれつき優れた能力を有している事が多い種族の一つである。多くは魔術方面の才や能力に長けているが、身体能力や精神的な素養など、多方向に秀でる個体も少なくはない。

 そんな中でリジーンは、珍しく魔力の乏しい生まれであった。しかし…

「な、何よ! なんなのよーっ! もうっ、もーーーっ!! 私が…私が一体何したっていうのよーーーぉ!?!」


 ボッ!! ブファアッ…


 まるで魔法の才の代わりにとばかりに、リジーンには高い身体能力と生命力があった。

 叫び散らすと同時にリジーンに巻き付いていたムチが弾け、消し飛ばされる。

 全身から発したオーラは開いたままの南門の木扉を内側へと限界まで開かせ、彼女を挟んで反対側に位置する鎧の男のマントを後ろへと靡かせたまま、萎えさせるを許さないほどの風圧を発している。

 リジーンが立っている足元の土埃が吹き飛ばされ、入念に掃き清められたかのような地面が露わになった。

 見た目は15~17歳ほどの、変わった色の肌や瞳、そして角や尻尾を持った女の子にしか見えず、その外見に何か変わった様子は見受けられない。


 だがよくよく見れば、まだ未成熟なれど少女の艶やかな若さの輝きを持ったカラダは、その魅力をさらに強めていた。

 その正体は女の子のカラダのラインを損なわない程度にパンプアップした皮下脂肪の下の筋繊維。決して見た目に、筋肉隆々と化したわけではない。

 素人目にはただ少女が癇癪を起し、感情のままに吠えているだけにしか見えないだろう。しかしタスアナはハッキリと、彼女の変化を正確に捉えていた。

「(緩慢だった生命力のエネルギーが全身隅々まで行き渡った。修行や訓練の類は積んではいないな、隙だらけで素人丸出しだが…才だけでこれほどの生命力か)」

 その肌は絶世の美女すら羨むであろうほど、しっとり艶やかな照り返しを宿した。それは彼女を形成する細胞が、十分な生命力を注がれて活性化している事の証。

 その体躯こそ、オークが少し力を込めるだけで簡単にへし折れてしまいそうなほど小さく小柄だが、おそらく今の彼女のカラダは、下手な金属の鎧よりもタフで強固かつ柔軟だろう。

「(生物の特権だな、剛性と柔性を合わせ持つ事ができるというのは。勿体ない事だ、真っ当な道を歩めば相応の生も歩めたろうに)」

 総合的に見れば、これでもイムルンの足元にも及ばない。が、身体能力という点にのみ搾れば、彼女に真っ向からでも1、2撃の有効打を与えられる程度の攻撃力は発揮する事ができるだろう。


 だが、才をもって生まれようとも、怠惰の中で腐らせてしまえば意味はない。


「もぉおぁぁぁ! どけぇぇぇっ!! どっかいけぇぇぇぇ!!!」


 殴りかかってくる。が、当然ながら構えもなければ体勢もなっていない。生まれながらにしての恵まれた才を活かさない者など、生物の進化と高みへの向上を願うタスアナのような者からすれば、イラだちを覚えずにはいられない存在だ。

 故に――――


 ゴッ! ドォオッ!!


「ふぎぎゅうううっ!!?」


 ――――ただの無造作なパンチを見舞う。なれど、そこに手加減はない。

 もっとも、あくまでもこの姿で・・・・の話だ。彼が本当に “ 本当の実力 ” で手加減なしとなれば、パンチ一つで後ろの街ごと原子まで分解して飛ばしてしまいかねない。

「…これでもまだ手加減してやっている、というところだが…さて」

 見た目が可愛らしい少女なだけに、地面を転がって晒している惨めな姿には、タスアナとて多少の罪悪感は覚える。

 だが、彼女は責任者である。悪事の責任を負う義務がある。か弱くもいたいけな女の子といえども、決して許されるべきものではない。


 リジーンの怠惰の代償が今、その身にてあがなわれようとしていた。


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