第62話 第10章3 ドウドゥル駐屯村

 

――――――ドウドゥル駐屯村まで、あと3km地点の街道上。


 10数台の馬車とそれを守るように囲って移動する兵士達。一見すると物々しい行軍に見えるが、その総兵力は500人ほどだ。

「……あそこだ。まだちと遠目ですが、あそこで間違いないです」

 モーグルが馬車の幌を開けて顔を出す。彼が目的地の建造物に向けて指さすと同時に、その後ろから馬車内にも見えるよう布を大きく開きつつタスアナが姿を見せた。

「ふむ、聞いていた通りの外観だな。高い防壁に囲われ、出入り口は基本一つか」

「ドウドゥル駐屯村は、資料によりますと小さな窓などもない場所だそうですよ。湿地帯から流れてくる湿気が入りにくくするための作りになっているようですね」

 丁寧だが、別段気負いもしない様子の口調で説明を添えるイフス。彼女はタスアナの正体を知らない―――というよりも、タスアナが自身の正体を知る者たちに教えぬよう口止めしていた。

 イフスは元は魔王に仕えていたメイドである。もしタスアナの正体を知れば、昔のように丁寧に過ぎるカタい態度と口調になってしまう事だろう。

 地上はアトワルト候の下に赴任して以降の彼女の変化をよろこばしい物と受け止めていた魔王としては、今の・・イフスを大事にしてもらいたいと考え、正体を明かさぬようにしていた。

「ふむ…イムルン、どう思う?」

「んー、そうですねぇ~。メルロっちやドンちんからも話聞いてますけど、確かに微妙に厄介な場所かもしれないですよ、あそこ」

 いつものように軽い態度を取ってはいるものの、ドウドゥル駐屯村を注視するその表情は真剣そのものだった。イムルンほどの者が難色を示すのは珍しい事で、タスアナは意外そうに感嘆と疑問を織り交ぜた短い相槌を漏らし、言葉は紡がず彼女の意見を待つ。

「まずですね、この湿度。まぁ不快な事この上ないワケなんですけど、この高湿の空気のせいで気配を消しきるのが難しくなってますねー。少しばかり敏感なのが見張りに2、3人いれば、バレずに潜入するのは厳しいかな~と」

 しかも入り口は1つだ。敵はそこにそれなりの兵力を常時置くだけで正攻法での潜入無気配で隙を突くは困難になる。

 仮に壁を登って越えるにしても垂直に反り立つ高い壁は、一切の音を立てずに登りきるのは厳しい。

「一番いいのは思い切って見張りからもうヤっちゃう事ですけど…今回は救出対象がいるんで、なるべくドンパチは引き延ばさないとって感じですしねー」

「やはり事前の計画通りにやるしかない…ってことになるか?」

 ドンがほろの隙間から顔を出し、駐屯村を睨む。

 この馬車には今回の作戦における主だった要員が乗り合わせている。移動しつつ現場レベルの作戦をギリギリまで議論するためだ。

「そうだな。多少のアドリブは必要になるかもしれんが…ムーム」

「ほいっ! なーにー、タッスん~?」

「敵には強い魔法の使い手はいない、間違いないのだな?」

 そう問われ、ムームは少しだけ頭を傾けた。

 1秒、2秒、3秒……

 傾けた頭が上半身を引っ張り、全身で馬車の床に近づいてゆく。古き良き木の香りを嗅ぎ取る前に、その身は引き戻された。

「んー、いないー…はずっ! ムーム知ってる魔法つかうの、ドミニクっていう奴だけー」

「ドミニクの奴は、まお――――んっんっ、タスアナさんが始末つけてくれていますよね??」

 思わず口が滑りそうになり、あわてて咳払いをするモーグルの様子を、さも面白そうにイムルンが眺めているのをスルーし、タスアナは頷き返す。

「ああ、問題ない。であれば、敵に魔法的脅威はないと考えてしまって構わないだろう。最も、儀式魔法のような設置タイプの何がしかがないとも限らん。最低限の留意はしておくべきだな」

 それならばもう後は計画通りに事を進めるだけでいい。敵には戦力として危惧すべきものはなく、せいぜい取り逃がさないように気を配る程度。改めてその認識で全員が一致し、軽く頷き合う。

「モーグルさんが地下から穴掘って侵入で、オレらは空から・・・壁を越えての偵察とかく乱……んでもって、ナガン候の隊とタスアナさん達が正面から、と」

 ドンは指折り数えながら確認しつつ、地図を広げた。といっても地図というよりは白紙におおよその図形を書き込んだだけの簡素な戦略図面だ。そこに新たに書き込みを加えていく。

「北側は湿気に強いムームと、イムルンさんに、んでもって領主様が改心させた連中と、ナガン候から借りた兵士100人で目ぇ光らせとく…と」

「…うー、ドンちーん、担当変わってほしいな~?」

 イムルンが甘えたような声と共にドンに片手を伸ばしてじゃれつく。

 それに対し、ドンの傍に座っているメルロが首をかしげながら不思議そうに眺めていた。元夫との間でも、こういった意図的に茶目っ気や愛想を振りまいて相手に甘える、というような事をした経験がない。

 ゆえに彼女は少し興味があるらしく、学ぶようにイムルンのその態度をじっと注視していた。

「ダメだ。此度はこの配置がベストだ。……ま、北に逃走してきた敵ならば好きにして構わんから、それで我慢しろ」

 タスアナが少しキツめの口調で窘めたことで、イムルンもさも残念そうに引き下がる。その様子を眺めるドンは、少し羨ましい気持ちを抱いていた。

「(これが主従の関係ってやつなんだな。さすがに領主様とオレじゃあここまで気さくにゃできねぇが………、…待っててくだせえ領主様。もうすぐ助けに行きますんで!)」





―――――――都市シュクリアより東へ2kmの地点。

 ここには今ザードを長とした民兵とナガン正規兵の混成部隊によって、南北に長い防衛陣が敷かれていた。

「よっし、こんなもんだな。後は何人か馬で常に見回りを続けるよう、ローテーションを組んじまえば、問題ねぇだろ」

「了解です。こちらに残った騎兵は全部で30はおりますので、この規模であれば十分足りるでしょう」

 シュクリアの奪還に成功した後、現在都市内部は各所の戦闘の後始末と、最低限の街の修理および住民への対応に着手している最中だった。

 そんな中、ザード達は万が一にもドン達が漏らした敵の残党が、こちらに流れてこようともこれを迎え撃ち、捕縛するために南北に長い、壁のような陣形を築いて待機しているのだ。

「まぁ、さすがにこっちの出番はねぇだろうなぁ」

「なぜです? 聞く限りドウドゥル駐屯村とやらはなかなか堅固な作りであると聞き及んでおります。周辺の地理から考えましても、一筋縄ではいかないのでは?」

 こういう時、ナガン正規軍のようなマニュアルで鍛えられている兵士は弱いな、とザードは軽く苦笑してから解答する。

「あそこは分厚い木造の、高い外壁で囲まれてる。ところが出入り口は一つしかねぇのさ。そこに篭っている奴らが、今向かってるこちら側を突破してだ、抜け出られると思うかい?」

「ふむ、確かに現実的とは言い難いのは事実でしょう。……しかし、可能性として絶対にゼロと考えては、油断につながるのでは?」

「まぁな。とはいえ、仮に抜け出たとしてもだ。まとまった戦力としちゃあ乏しいモンだろうからな。それらが一体どこへ逃げる? 確か…ナガンの領主さんの計らいで、東側もこうやって大外固めてくれているんだろう?」

「ええ。我が軍の兵士300余名が回され、我らとは反対側を、同じように固める手はずであると聞いておりますが」

 ならば話は終わっていると、ザードは力を抜いてその場に座り込み、肩の力を抜いた。

「北は広大な湿地帯に、南は登頂するのも困難な切り立ったガドラ山脈の山肌だ。よしんば東西に走る街道に沿って逃げたとしても、あの辺はひらけてるからな。逃走するには目立つ場所だ、追撃して刈り取るのも簡単よ」

 そこまでいって、ナガン兵はほぉと感嘆した。

「ザード殿は地理に明るいですな」

「根無草だからな。旅…ってほどのもんでもねぇが、昔からあちこち歩き回ったのが生きてるってぇだけだぁな。…ま、油断禁物ってのもその通りだ。警戒だけは怠けねぇさ」

 ザード個人は、駐屯村に向かう連中に加わり、アレクスの顔面に一撃見舞ってやりたかった。

 しかし今度の作戦では、ザードはこのシュクリアを守る防衛ラインを指揮するほうが役割としては正しい。それなりに戦える力を持つ者が前面に集中してしまうと、イザ抜かれた時に後方が危険に晒される。組織だって戦う上では基本だが、同時に重要な事だ、彼自身もそれを重々理解しているからこそ、こうして後方を引き受けた。

「(ま…あの野郎が捕らえられた時にでも、一発ぶちこんでやりゃいいか)」





――――――ドウドゥル駐屯村内。

「くそ、来やがった、来やがったぞー!」

「アレクスさんに報告しろ! どうするか指示もらってくんの忘れんなッ」

「くっそ、どうなってんだ? いつの間にこんな追い詰められてんだよオレたち?」

「知るか! プライトラの野郎も、ベッケスの馬鹿も、リジーンの小娘もやられちまったんだろ? 畜生、何が美味い汁が吸える、だ! マジでヤバイじゃねぇかよ!」

 ならず者達は口々に不満をのたまっている。そもそも美味い汁が吸えるだなととは彼らの勝手な思い込みであり、アレクスがそれを確約した事は一度もない。

「(いろいろと煮詰まってきましたか。…そろそろ頃合い、といった感じですかねぇ)」

 浮足立ったならず者達の様子を眺めて嘲笑するのも程々に、バランクは自身にもあまり時間が残されていない事から、そろそろ行動を起こさねばと歩を進めはじめる。

「バランクさん」

 小柄なドラゴンニュートのすぐ後ろに、雑踏から流れるように合流するハニュマン猿亜人が、歩幅を同調させ、そのまま続く。

「……。首尾はどうです?」

「上々だ。100…いや、300は動くぜ。豚の野郎は先に行かせたが構わないだろ? アイツ、ノロマなんでこうでもしないとタイミングが合わないだろうしな」

「もちろんですとも、良い判断です。では、張った根を引き上げるとしましょうか…クックックッ!」

 バランクの後ろにハニュマンが。そしてその後ろに雑踏の中からならず者が一人、また一人と、続いてゆく。

 その数はあっという間に50を越え、他のならず者達の様子などどこ吹く風で、彼らは明確に特定の場所を目指して突き進んでいった。



「!! なんだとぉ!!? バランクの野郎、いつの間にそんなに手ぇ回してやがった!? …ええい、急げっ! こっちもかき集めんだよォ!!! あの野郎の行き先はアレクスんとこにちげぇねぇ!」

 バフゥムは完全に出遅れたと思い、焦っていた。このドウドゥル駐屯村の留守役として、下っ端のならず者達を仕切る立場であったがために、部下の鎮静化と防衛体制の敷設に奔走しなければならなかったのが痛い。

「(クソがぁ! アレクスの野郎が帰ってきてるからって、マジメに仕事やってる場合じゃあねぇだろぉ!? オレぁいったい何やってんだぁ!??)」

 もはや組織の崩壊は決定的だ。バフゥムがすべき事は、どうでもいい下っ端をまとめる事ではなく、獲物ミミをかっぱらってとっととトンズラかます事なのだ。にも関わらず、このところ調子が狂いっぱなしで、自慢の直観も頼みの鼻も、まるで働いてくれず、肝心なタイミングを逃し続けている。

「おい、てめぇら! とにかくだ、出入り口だけオレがいいって言うまで固めてろ! 内側からも勝手に外出て戦おうなんて奴出すんじゃねぇぞ!!? いいなっ!!」

「「「へ、へいっ!!」」」

 幸いというべきか、モーグルの脱出路は完成している。あのメイドの女をかっさらわせて外に出したのもそこからだ。

 その後、脱出路が崩壊せぬよう、バフゥムはコツコツと補強を加えている。今でもまだ通れるはずで、出入り口を固めさせておけば、この駐屯村内より無事かつ容易く抜け出せるのは、バフゥムだけとなる。

「(…とにかくだ、アレクスの野郎からウサギちゃんをなんとかして分捕らねぇと! バランクの野郎はこっから逃げ出した後で考える! もう四の五の言ってる場合じゃねぇ!!)」


 バフゥムは50人ほどの部下と共にアレクスの小屋へと近づく。だが、小屋の周囲にはバランクが連れてきたやはり50人近い下っ端が取り囲み、妨げとなっていた。

「チッ、おいどけお前ら! アレクスの野郎に用があんだよっ!!」

「悪いねぇ、バフゥムさんよ。バランクさんが誰も通すなってんでね」

「あぁん!? テメェ…逆らおうってのかぁ!?」

 だが、バフゥムがいくら凄んでみても、彼らはヘラヘラしたまま道を塞いでいる。

「何イキってんだよ犬頭。もうこの組織は終わりだ、アレクスのような奴がリーダーじゃあこうなる事はアンタだってわかってたろうに? 俺らはバランクさんについてくぜ。あの人は魔界の商人だって言うじゃあねぇか。金払いも良さそうだしよ」

 もはやアレクスの革命ごっこは終わったのだ。すなわちその組織の中では然るべき地位にあったバフゥムも事ここに至っては彼らと同じ、ただのイチならず者に過ぎない。

 命令の権限や上下関係が意味をなさなくなった今、バフゥムにとって目の前のならず者達は明確な敵と化していた。

「ええい! テメェらに構ってる暇ぁねぇんだよっ! どけ、三下ども――――」


 ドバキャアッ!!!


 バフゥムが激昂し、たむろするならず者に攻撃せんと仕掛けかけたまさにその時、小屋の天上が吹っ飛び、そこから大柄な影が飛び出した。




―――――数分前、アレクスの小屋の中。

「……なんの真似だ、バランク?」

「チッ、私の拳を受けても平然としてますか…。オツムは足りずとも、身体能力はさすがの獣人、というわけですね…厄介な」

 バランクは最初、アレクスに対してバフゥムが反乱を起こした、と偽りの報告をした。先のバフゥムへの不信もあって、今のアレクスならば信じ込ませられると踏んだからだ。

 しかも小屋の外は敵の攻撃を受けて浮足立ち、いい具合の喧騒が中にまで聞こえてきており、いかにもバランクの言う通りの事態になっているかのように思えるはずであった。

 ところが、アレクスはバランクの言う事を信じなかった。なぜなら彼が、領主の身柄を渡すように要求したからである。

 口上の上では、怪我を負っているアレクスに変わり、領主を安全なところに匿うべく自分が連れて行きましょう、などとそれっぽい言葉を紡いだバランク。

 しかし、このドウドゥル駐屯村を預かっていて、アレクス達の誰よりもよくこの地の事をよく知っているバフゥムが乱を起こしたのが事実であれば、駐屯村内に安全に誰かを匿える場所などありはしない。

 そもそも駐屯村内はこうした小屋が乱立してはいるが、そんな誰からも守り通せるような便利な場所などない。どの小屋も簡単な作りで、隠し部屋のようなものも存在せず、せいぜい転がっている荷箱や空樽の影にでも隠すくらいしかできないというのに、一体どこに連れて行こうというのか?

 立ち上がり、その事をアレクスが問うた瞬間、バランクは得意の武術をもって一気に間合いを詰め、いつかのメイドを仕留めた時と同じようにアレクスの腹に一撃を見舞ったのだった。

「なるほど? 貴様の狙いは領主彼女そのものだったというわけか……何かしら企みはあると思ってはいたがな。まぁいい、尻尾を出してくれれば対処の仕方も簡単だ」


 不思議とアレクスに覇気はない。ハッキリと自分に敵対する行為を取った者を目の前にしてもまるで闘志は沸き立たず、まるで家の奥深くに仕舞われて埃をかぶっていた置物のように静謐せいひつとした雰囲気を保っていた。

「(? なんですか、この妙な感じは…?)」

 バランクは次の攻撃を放とうとして取りやめ、一度間合いを取った。あまりにもアレクスの様子がおかしくて、慎重にならざるをえなかったのだ。

 何せ不意の一撃を真正面から与えても、ダメージらしいダメージを負わなかった相手である。バフゥム達も外に駆け付けている中、彼としても早めに決着をつけたくはあったが、かといってアレクスは焦ってどうにかできる相手でもない。

「(…? あれは、…手紙?)」

 不意に突破口を開かんと、対峙するアレクスの周囲を観察していた時、横たわる領主の足元付近、アレクスが座っていた辺りに紙が置かれているのに気が付く。実はこの手紙こそ、アレクスの現在の状態へと誘っている原因である。


 …手紙の内容は、いつぞやに出した偽の奏上文に対する返事であった。



 それは、シュクリア奪還作戦の途上のリジーンと対峙する少し前に、転送魔法にてタスアナに届けられた。

「魔王城から直接転送だと? …奏上文…………。…フ、フフフ…なるほどな。これが敵の親玉の切り札であったわけか。我をたばかり、利用しようなどと、随分と舐めてくれるものだ」

 奏上文が正式なものではないばかりか、その内容も偽証を書き連ねている。今回のアトワルト領の反乱騒ぎの主犯格が自分達の行動に際して正当性を得るべく、魔王のお墨付きを貰わんとする身勝手なもので、タスアナを多いに不快にさせた。

「このようなものに騙されるほど、容易く騙されてくれると思ったのか。はたまたなりふり構っていられなかったのかはさておき、この罪はなかなかに度し難いな」

 結果、彼がこの時抱いた不快感はこの直後、リジーンに叩きつけられる事となった。

 タスアナはその後に奏上文の差出人に向けて返事の手紙を記した。

「こんなところか。<渡り鳥の運び屋ウインド・ガーバッグ>」

 わざわざ転送魔法を用いる必要もない。ただ指定した送り先へと風に乗せて飛ばすだけの魔法によって送られた。

 そして、アレクスが小屋の中で休養に入るのとほぼ同時にその手紙は届き、彼の最後の希望を完全に消し飛ばしたのである。

 後に残ったのは絶望のみ。道化として踊り、無知蒙昧なる者が思い込みによって罪を犯した。誤魔化しも起死回生も成しえなかった。

 崇高なる正義感による行動の結果は、なんら罪も悪もなかった人々に迷惑を与えただけであった。



 そんなアレクスの今の心境を、バランクには読み解けないだろう。

「……まぁ、戦意がないというのであれば好都合。その娘はこちらに頂かせていただきますよッ!」


 バキャッ!!


 バランクの言葉と同時に、横の壁を破ってオークがあらわれ、アレクスの右側面を強襲する。大柄な体格という意味では負けてはいないが、贅肉だらけの醜い身体と筋骨隆々とした獣人とでは勝負にならない。だが、左手の小屋の出入り口はハニュマンが、そして真正面にはバランクが布陣している。小屋の外もバランクの手勢で囲われている事だろう。

 そしてアレクスの背後の壁は、ドウドゥル駐屯村の防壁に密着していて、これを破っても脱する事はできない。

「随分と用意周到に囲んできたものだ」

 アレクスは、オークのこん棒の一撃を軽々と右手で受け止める。そのまま相手をしてもよかったが、意識を喪失している領主ミミがいる以上、下手に戦闘を行い、隙をついて奪われる可能性を考えれば、ここは避けるべきと彼は判断する。そして―――

「フンッ!!」





 ドバキャアッ!!!


 アレクスは素早く領主ミミの身体を脇に抱きかかえ、そのまま床を蹴って勢いよく天井を貫き、小屋の屋根上へと飛び出した。

「……100、いや、200は集まっている…か」

 チラリと自分の右脇を見る……領主の身体は小柄で良い。軽くて抱えやすい分、アレクスからすれば荷物にもならない。

 今、この小屋をグルリと取り囲んでいるのは、バランクとバフゥムの息のかかった連中ばかりだろう。逃げるのも蹴散らすのもそう難儀な相手ではないが……

「(どうする? これから一体、どうすればいい??)」

 少なくとも、バランクやバフゥム達の思い通りにはさせまいと、領主を抱えて包囲網よりの脱出を試みてはいるものの、アレクス自身はこれからどうすべきか何も思いついていない。目的とするゴールが見えなければ、いかなる行動を取ればよいのか迷うのは当然だった。

 だが、ここでまごまごしてもいられない。


 ヒュッ…、トッ


「悪いが逃がさないぜ、アレクスさんよ。まともにっちゃあ敵わないが、こういう場でなら話は別よ」

 自らが開けた穴から、軽やかに飛び出てきた相手の姿を確認し、アレクスは軽く目を細めた。

「…確かにな。ハニュマン猿亜人相手に戦うには状況が悪い、か」

 しかも、バフゥムの手勢とバランクの手勢が小屋の周辺で衝突しはじめ、その中より何人かが抜け出し、小屋をよじ登りはじめている。追っ付けバランクも、穴より飛び出してくるだろう。考えている時間はあまりに少ない。

「さぁて、そいつをこっちに渡してもら――――」

「ハッ!!」


 ドバゴォッ!!


 ハニュマンが短弓を取り出して矢をつがえようとする隙をつき、小屋の屋根を踏み抜いてアレクスは大きく跳躍した。

「くっ! 逃がさね―――うぉおお!!?」


 ゴガァアッ!! ガラガラガラドシャァアッ!!


 跳躍のためにアレクスが踏み抜いたところから亀裂と力が伝播し、ハニュマンが追撃の跳躍をしようとした途端に、小屋は屋根から崩れてしまった。

 中にいたオークとバランクがガレキをのけてカラダを出し、上半身を振るわせて土埃を払っている様子が空より確認できる。小屋の周囲にいた連中も、生じた土煙に包まれて、より混迷極まっているようだった。

「(よし、時間は稼げたな。後は…)」

 どうする? どうすればいい??

 中空から落ち始めたアレクスは、着地の体勢を取りつつ考える。バフゥムが裏切り、バランクが尻尾を出した以上、この駐屯村内にいるならず者のいかほどがまだ自分の命に従ってくれるか不明瞭。実質的にはすべて敵であると考えてしまってもよいだろう。


 …ゥゥウ…ンンンッ! ドッォ!!


「わっ!? あ、アレクスさん??」「なんです、一体何事で??」

 砂煙を舞いあげてアレクスが着地すると、手近にいたならず者達は、驚きの表情で自分を見ていた。まだこの辺りにいる連中は、事態を把握できていないらしく、アレクスは少しだけ安堵する。

「バランクが裏切った。今、バフゥムがそれを抑えている。あっちだ、お前達も加勢に向かってくれ」

「へ、へい!」「わ、わかりやした!」

 騙すのは気がひけるが、今はそんな事を言っている場合ではない。まだ自身の傷も癒えてはおらず、先行きは変わらず真っ暗なのだ。彼にはあまりにも余裕がなかった。

「(……やはりまず、領主を帰すのが妥当なのだろうが。さて、ここよりどのようにして抜け出すか??)」

 幸い、今は視界内にいるならず者たちの中に、こちらへ害をなそうとするような様子のある者は見当たらない。だがどこでバランクかバフゥムの手の者にあたるとも知れない。奇襲にも対応できるよう気を配りつつ、アレクスは歩みを進める。

 走りたくはあるが、何事かと周囲に懸念を覚えさせぬよう、堂々と歩く。とりあえずは出入り口の方へと向かう。…が、その足は十数歩で止まった。

「(…ダメか、バフゥムの奴が出入り口を固めさせている。奴の手勢もいるはず……クッ、いずれどこかで強行に打って出ねばこの状況、脱するは不可能か?)」

 さすがに怪我を負い、武装して臨戦態勢にある多数のならず者を相手に、領主を抱えたまま戦闘を行うのはアレクスといえども厳しい。理想は、攻め寄せてきている外の連中を頼みに、出入り口を固めているならず者たちの隙を突いて内から蹴散らし活路を開く事だが、現状ではそれは不確実だった。

「(外の敵…いや、おそらくはこの娘領主を救出せんとしている者達だろうが、彼らが攻勢を仕掛けてきている様子はまだない。……当然か、一つしかない出入り口をああも固めていては、例えナガン領の正規軍とて容易くは手を出せんだろうな)」

 皮肉な事に、このドウドゥル駐屯村の拠点としての防御力と、数と荒々しさに頼ったならず者達の防衛力が、ここにきてきちんと機能している。

 既に戦闘がはじまっていたならば混戦の中、脱出する事もできたのだが互いににらみ合いを続けている状況なのだろう。出入り口付近にこれといった動きはいまだ起こっていないようだった。




――――――ドウドゥル駐屯村、防壁上空。

「地上からだと、だいたい30~40m…ってとこか。落ちたらオダブツだな…」

 防壁はかなりの高さがあるため、その直上にあってはさほど高くないように思える。だが、ドンが視線を壁からズラして見下ろすと、地表までの高さがハッキリと感じられ、背筋をゾクリとするものが走った。

『…… あまり うごかないで くださいね。 このあたりは しっけが おおいので ふあんていに なりやすいんです ……』

 ドンが今乗っているのは、霧状に変化しているルオウ=イフスである。

 ハーフエレメンタリオという特殊な生まれの彼女が生まれつき有するこの能力は、誰かを乗せて飛行する事ができる。それによってドンはドウドゥル駐屯村の防壁を今、越えようとしていた。

「わかっていやすよ、姐さん。とりあえずは中の様子を探りやしょう。なんとか高度を維持してくだせぇ」

 もしこのまま駐屯村の中へと落ちたりすると、脱出はほぼ不可能になる。加えてイフスのこの状態は、衣服や他の荷を伴えない。全裸で武具も道具もなく、まだ完治していないゴブリン1人と共に、敵渦中に飛び込む事になってしまうなど最悪だ。

『…… もんだい ありません。 このたかさのまま いどうします ……』

 イフスの霧がゆっくりと駐屯村内上空へと進んでいく。ドンはタスアナからもらった道具袋より、伸縮式の小型望遠鏡を取り出した。

「お願いしやす。さて、まずは―――ん? こいつは一体?? 連中、何か荒れていやがる…もめ事か?」

 望遠鏡越しにあちらこちらでならず者達が争っている様子が映る。そして、ドンがあっちにこっちにと望遠鏡を数度移したところで、その手は完全に止まった。

「! あいつは…ッ。それに奴が抱えているのは…領主さまだ!!」



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