第77話 第3章3 留守に集う知らせ



―――――――アトワルト領、都市シュクリア。


 ミミやイフス達がそれぞれ領内の各地へとおもむいている間、メルロを筆頭としてエイセン狼獣人ノーヴィンテン潜影悪魔ヒュドルチ蛇亜人らは留守役としてシュクリアのミミの借家で待機している。


 もちろんただ待っているだけではない。




「………えと、この紙の束…は、……はい、隣のお部屋に……」

「わかりやした、メルロさん」

 エイセンが指示に従って書類の山の一つを丁寧に持ち上げる。そして軽く頭を下げてから部屋より運び出していった。


「それで……こちら、は……焼却……だ、そうです…」

「お任せッス! しっかり燃やしてくるッス!」

 続いて、やや分量の多い書類の山をノーヴィンテンが軽々と持ち出す。


「…この、束と……こちらの、ほう…は、………。……もう一度、読み直、して…えと……」

「誤字とか間違いとかないかを確かめるのぜ?」

「……は、はい、そう……みたい、です…。…よ、よろしくお願い…します」

「任せるのぜ。内容は無理でも文字の読み書きならわかるのぜ」

「で、では…えっと、……こちらの束、は……私、が。そちらの…を、お願いしま、す…」

 メルロは今、留守番組のリーダーを任されていた。

 メモで指示されている仕事を行い、同じく留守番組である彼らにも指示を出す、いわゆる監督役をこなさなければならない。


 普通に領主の部下として働く秘書や事務官ならばなんてことの無い役目でも、普段はただのメイドでしかないメルロにとっては結構な大役だ。未だにたどたどしい口調で緊張を伴いつつ、それでもなんとか自分のお役目を果たさんとして頑張っていた。



「……あ。……すみ、ません、ヒュドルチさん。…えと、商店街、の…復旧の、その様子、を……見に行くお仕事、と……壁の工事、の…書類を受け取りに、行く…お仕事…わ、忘れていまし、た……」

 毎日行う定期的な仕事について記したメモを見直していたメルロは、抜けがあった事に気付く。

 どちらの仕事もそれほど急を要するものでもなく、まして重要度の高いものでもない。だがメルロは、後回しにするよりも気付いた時に先にこなしてしまった方がいいと思い、ヒュドルチにお願いする。


「じゃあどちらか行ってくるのぜ。どっちに行けばいいのぜ??」

「えと…っで、では…ヒュドルチさんに、は、…商店街の方、を……。私は工事の書類、を…貰いにい、行きま…す」







 シュクリアの外壁は全面にてその高さを、以前の8割ほどまで低く組み直されている。


「よーし、そのままだ。ゆっくり…ゆっくりと運んでくれ。石材の運搬はなるべく多くの頭数でゆっくりだ! 貴重な材料だからな、欠損させねーよーに頼むぞっ!!」


「「「へいっ分かってます、ザードの旦那っ」」」


 建材が圧倒的不足している中、あえて外壁の無事なところの上の方から石材を取り崩し、補修へと当てている。山頂を崩して谷を埋めようというわけだ。

 外壁の高さが下がってしまうのは避けられないが、全体を平均化する事で防備が弱くなってしまう部分を無くすように整え直す。


「(っつーても、だいぶ時間喰っちまったな。もうちょいなんとかなるかと思ってたんだが……やっぱ専門の大工でもねーと、なかなか難しいもんだ)」

 ザードは一度近くの仮設テントへと移動した。テーブルの上に乗っている紙の束より1枚取ると大きくも武骨な手で、立ったまま器用に文字を記しはじめる。


 それは報告書。

 どのような補修を行ったか? どこからどれだけ石材を移設したか? それにより結果はどうなったか、あるいはどうなる見込みか? …といった事を詳細に記してゆく。



「(けどま、これが済めば作業はおおかた完了だ。マグル村やシャルールさんらの方も気がかりだしな……領主の嬢ちゃんが帰ってきたら、一度向こうに行かせて貰えるように言って――――)」

「あ、ザードさんここにいましたか」

「ん? どうした。何かトラブったか??」

 2mを超える大柄でいかにも武闘派な体躯のリザードマンが、事務仕事の手を止めて縮こまっていた上半身を上げる。


「いえ、領主様のところのメイドさんがお見えです」

 それを聞いてザードは即座に、いつもの定期的な事務仕事――――つまりこの報告書を受け取りにくるメルロの姿を思い浮かべた。



「おう、タイミング良かったぜ。別嬪さんに渡す報告書か みを今ちょうど書き上げたところで――――」

「いやメルロさんじゃあないんだ。もう一人の…ええと、そう! イフスさんの方が来てるんだが」

 それを聞いてザードは少し嫌な予感を覚える。確か彼女イフスは、数人を伴って主命で東の方へ視察に赴いていたはずだ。

 彼女がこのシュクリアに帰ってきて最初に話に行くべき相手はあるじたる領主ミミであって、たかだかイチ工事現場の監督主任を担っている自分ザードではない。


 その事を除いても、メイドの彼女が領主の部下でもない善意のお手伝いボランティアたる自分に一体何の用があるというのか?

 可能性で色々考えてみるも、やはりというか、何か荒事に関する厄介事くらいしか思い至らなかった。


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「モンスター・ハウンド……だって? そんなモンに遭遇してよく無事で戻ってこれたもんだなお前ら」

 ザードは驚愕したままイフスと、彼女の供をしたカンタル甲虫亜人フルナ狐獣人を順に見回しつつ、ひとまず全員が無事である事を喜ぶように、安堵のため息をついてみせた。


 帰ってきたばかりのイフスの口から伝えられた脅威。

 知る限りではあるが、この地上で自然遭遇するモノの中では最大級の危険度たる事象の一つ―――――強力な二世モンスターの出現。


 それはザードほどの強者でも、思わず冷や汗を流してしまうような案件である。



「ミミ様には既に早馬でお知らせしてありますので、お帰りになられ次第この件についての対策を講じていただけるかと思われます」

「ふーん…ま、そうなるだろうな。でもよ、なぜ真っ先に俺に話にきたんだい?」

 疑問を呈してはみたが、おおかた予想はついている。


「モンスター・ハウンドの討伐に際しまして、ザード様のご助力とご助言は不可欠と考えます。ですのでミミ様に先だって私の方からもご協力のほどを――――」

「――――お願いしたいってわけか。まぁそれは構わねぇが、モンスター・ハウンド……ね」

 さすがにザードから見ても甘く考えられる相手ではない。勝てない事はないだろう、まともに正面から戦えるのであれば、実力差で考えて100%勝てる相手と断言はできる。

 だが自然発生ポップしたモンスターという連中ヤツは、本物の生物と違ってその行動原理は極めて読みづらく、単純な力量で勝敗のほどを測る事ができない。


「(意志による行動よりも、本能に近い…それでいて獣とはまた違うような連中だ。かと思えば、まったく知性がねぇワケでもねぇもんだから、そこがまた厄介なんだよなぁ…)」


 ザードの懸念。それは敵をキッチリと殺しきれる・・・・・か、であった。



「(野郎ハウンドのスピードは俺を凌ぐ。かといって捉えられねぇほどじゃあない。……だが、あのスピードで逃げたり他を狙われちまったりすると、どうにもならねぇんだよな正直)」

 勝てはしても仕留めきれない可能性が一番高い。手ごわいと見れば相手は簡単に逃げを選択するだろう。

 討ち漏らしてしまうとモンスターはより知恵をつけ、こちらを警戒しながら活動するだろう。完璧に討ち取るためには、一人では不可能だとザードは判断していた。


 敵がモンスター・ハウンドともなれば、絶対に逃がさずに仕留めるためにも、ザードと同等かそれ以上の実力者が最低3人…できれば5人は望ましいかった。

 だがこのアトワルト領内にそこまでの力の持ち主が複数人存在しているとは思えない。

 現時点では絶対に討伐可能な戦力を揃えるアテがないのだ。



「…ところでやっこさんの棲家は分かってんのかい?」

「はい、ガドラ山脈の山中に非常時用の小さな避難村があるのですが、どうやらそこに住み着いてしまっているらしく…」

 ザードは思わず舌打ちをうった。なかなかいい位置に陣取るものだと敵の小賢しさに対する皮肉を込めて。


「街道を狙える絶好のポジショニングに居座ってやがるとか、ヒデェ話だな」

「食糧問題の解決の糸口としまして東からの流通が欠かせないからこそ、ミミ様は私達を視察に送り出したのですか、本当にまさかの事態でございます」

 先の反乱騒ぎの後、ようやく落ち着いてきたかと思えば難問ばかりが続出する現状。

 イフスとしてもミミの負担を出来る限り和らげたいという気持ちがあるのだろう。

 ミミが不在でも帰ってくるまで待たずに、真っ先にザードに相談に来たのは、おそらくは何か良い知恵なり手立てなりを期待して、という部分もあったはずだ。

 この件を自分達だけで早々に片付けてしまう事が可能ならば、領主ミミには従来の復興と食糧難の問題にのみ注力してもらえる…と。


「期待に応えられるような方策、持ち合わせてなくてすまねぇな」

「いえ、敵が敵ですので、そう上手くいかないであろう事は重々承知しております」


「…とはいえだ、モンスター・ハウンドだからな。どのみち放置なんざ到底無理だしよ、なんとか俺の方でも倒す算段は考えておくぜ」

「ありがとうございます、ザード様」

 イフスが丁寧にお辞儀をする。帰ってきてからずっとこの調子だ。適度な柔らかさがなくなってしまい、真剣なのは良いが堅すぎる。口調も態度も。


 それだけこの件が重大事であるのはよくわかるのだが……


「ま、肩の力抜きなって。真面目も詰めすぎちまうと頭が回らなくなるぜ」

 ザードが率先してリラックスするようなジェスチャーを取ると、イフスは自分が堅くなりすぎている事にようやく気が付いたのか、ハッとして意識的に表情をやわらげようと努める。





 だが、一瞬後にはすぐにその表情が強張る事となった。


「彼の言う通りです。そのような体たらくでは、貴族家人仕える者としては失格ですよ?」

 後方に突如現れた気配、そして言葉を投げかけてきた相手に、イフスは振り返ることなく笑顔のまま、こめかみ辺りに怒気を集中させる。


「……しれっと侵入し、話に混ざっている礼儀知らずな商人は、……早々にお引き取り願いますっ」


 ビュッ!! パシッ!


 イフスは、報告書を書くのにザードが使っていた筆をテーブルの上より掴むや否や、振り返る挙動に乗せて投げた。

 だが投げつけられた方は自分の顔前に飛んできた筆を、軽く右手をあげて指の間に挟んで、事もなげに受け止める。

 

「おっと…なかなかやりますね、今のは良いコントロールでした」

「(コイツ、見た目のひょろっこさとは裏腹に相当デキやがる…)確か、商人のジャックさん…だったか? 結構重要な話してる最中なんでね、悪ぃがお呼びでないモンには席外してもらえるとありがたいんだがね」

 ジャックの実力に興味はあったが、ここはイフスの言う通りだと思ってザードは彼女の肩を持つ。


 実際、モンスター・ハウンドの件を騒ぎすぎるのはよくない。既に耳にしている者は数多かろうとも、上が対策に困って浮足立っているなんて事まで伝わっては、人々の不安を煽る。

 この場に第三者を容易く同席させるのは憚るべきだ。



「あぁ、これは失礼を。アトワルト候のお耳に入れたい話もございましてね、私めとした事が少々気に早ってしまっていたようです、ご容赦を」

「…ミミ様にどのようなご用件が―――」

「それは御本人に直接言うべき事ですので、メイド如きが出しゃばるのは感心いたしませんね。それくらいわかりそうなものですが…やれやれ、なってませんねぇ」

 ピシュリと鋭い電気がイフスからジャックに向かって飛んだような気がした。ジャックは不敵な笑みを浮かべながら、それを意に介する事なく眼鏡のズレを直している。

 イフスも笑みを浮かべてはいるものの真意の読めないジャックと比べて、真なる感情がその全身から立ち上ってしまっており、なんとも言えない空気が場に立ち込めた。

 そんな二人の雰囲気にたじろいで、下手に口出しすることも出来ずに周囲の面々はただ押し黙るしかなかった。







――――――シュクリア。ミミの借家前。


「ふー、やっとついたのー」

 ムームはようやくミミのいる家にたどり着く。その肩の一部はお椀形に変形して、中には泥水と泥の魔物の子供が入っていた。


「ミーミィ~、ムームなの~、いーる~~ぅ?」

 玄関先で呼んでみるが何も反応がない。目当ての人物でなくとも、仕えているメイドか元ならず者な部下の誰かが出てくるはずなのだが、静まり返っていて中に誰かがいる気配も感じられない。


「むー…お留守~?? せっかく来たの~に、どうしようなの……」

 肩にいる魔物の子供と互いに見合わせ、一緒に悩みだす。

「おや、ムームなのぜ? どうしたのぜ、こんなところで」

 彼女が困り果てていると、背後から声がかかった。


「むー? お~…………ヘビー、ヘビー…む~……」

「ヒュドルチなのぜ。覚えてなかったのぜ?」

「ひゅどるち~、わかったの。今覚えたのー」

 いまいち怪しいムームの返事に、ヒュドルチはまぁいいのぜと半ば諦める。



「それでどうしたのぜ? 今、みんな留守なのぜ」

「そうなのー、誰もいないー。ミーミィに会いに来たんだけど~…」

 そう言ってムームはひょいっと肩に乗ってた泥の魔物を摘まみ、手のひらに乗せて見せた。


「…魔物の子供ぜ?」

「なの~。このコの事、ミーミィに相談しに来た~」

 小さな泥団子のようなそれは、ムームの手のひらの上でクリンクリン揺れ動きながらヒュドルチを見上げている。その様子から敵意や害意の類はまったく感じられず、とりあえず悪いものでない事を確認すると、警戒を解くかのように蛇の眼が軽く閉じた。


「うーん、俺じゃあ役に立てそうな事はないのぜ。それにご主人ミミ様は出かけていて、いつ帰ってくるかまだ分からないのぜ」

 するとムームと泥の魔物は、同じようにシュンとして顔を下に伏せる。そのシンクロ率から二人が相応に仲良しになっている事がうかがえ、ヒュドルチとしてもどうにかしてやりたいという気持ちにかられた。


「…あっ、そうなのぜ。ご主人ミミ様には聞けなくても誰か力になれる奴がいるかもしれないのぜ。メルロさんが今、外壁工事の現場にいるはず、そっちに行ってみるのぜ」

「おー、分かったー。ついてく~ぅ」

 ヒュドルチに先導され、ムームと泥の魔物は彼の後をついて歩きだした。






 


――――――シュクリア。北門。


 外壁工事の現場に近しい街の入り口に、ジロウマルはようやくたどり着いた。


「急がねば。さて、ザード殿はいずこに…」

 マグル村から全力で移動してきたが疲れはない。1日にマグル村と数往復しろと言われれば、それが可能なほどの体力とスピードが彼にはある。その身体能力を活かさねばならない急用を今、ジロウマルは携えていた。



 現在マグル村ではちょっとした問題が起こっていた。それはかねてからの食糧難に関することではない。


「! すまんがそこの方、少し訊ねたいのだが、リザードマンのザードという方がどこにいるかご存知ではないだろうか?」

 門をくぐってすぐ、たまたま近くにいた住人をつかまえる。この規模の都市で誰かを探すのは容易ではないだろうと覚悟し、ジロウマルは聞き込みを繰り返すつもりでいた。

 だがあっさりと目的の情報は得られる。


「ああ、ザードさんなら外壁工事の現場にいると思うよ。そこで工事監督してるはずだからね…ほら、あそこらへんの壁の辺り。残りはあの辺だけっぽいから、たぶんあの辺りにいると思うよ」

「これはお教えいただき、感謝する」

 ザードはやや深めの礼をすると、さっそく示された方向へと歩を進めた。


「(何事もなければ良いのだが…万が一の際はザード殿の助力が不可欠)」

 まだ問題が発生したと決まったわけではない。しかしシャルールが森に入っていってなかなか帰ってこないのも事実。


 幸い、食糧に関してはマグル村より北西の隣村であるシトノから、僅かながらカンパがあった。

 かの村も状況は厳しいものの、北西の隣領からきた行商人が幾ばくか食糧を売ってくれたそうで、マグル村にも御裾分けがあったのだ。

 もちろんそれで村の食糧事情が解決するわけはなく、依然として食糧の調達は急務。だが一抹の希望を求めて森の部族への接触を図ったシャルールは、まだ帰る気配がないときている。


「(ザード殿ならば森の部族と接触した事があると聞く……もしも森に入らねばならなくなった暁には、速やかなる行動のためにも彼の案内は必須)」

 戦力としても絶大な信頼が置けるだけに、事の詳細が判明するのを待つよりも、早めにザードに話を通しておいた方がよい。それがジロウマルの判断だった。


「この辺りか……すまぬがそこの方。ザード殿がどこにおわすかご存じないだろうか?」

「ん? ザードの旦那なら今は……ほれ、あそこのテントにいるはずだ。なんか話し込んでいるみてぇだから、用があるなら注意して声かけなよ」

「…あいわかった、仕事中にかたじけない」

 ザードもなかなか忙しそうだと思いつつ、彼はテントへと近づく。細い木の柱に3方だけ布で覆った簡素なテントは、工事現場の簡易事務所といった感じだ。

 その開けた部分に複数人が集まっており、何人か見た事のある姿も混ざっている。


「(あれは……確かメルロといういつかの女性。そしてあちらはイフス殿に……彼女と睨み合っている者は商人であろうか?)」

 不躾に訪ねるは失礼かと思い、遠巻きに状況を伺う。イフスと商人のピリッとした睨み合い以外は比較的楽な雰囲気を感じ取れたために、彼はとりあえず一言かけて自身の来訪の意をまず伝えようと考えた。


「(用件は向こうのタイミングに合わせて述べれば良し…取り込んでいるようならば、いささか後にするも仕方あるまい)」


 ・


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 ・



 ザードは頭を抱えたい気分だった。ただの工事現場に集中したしらせは、いずれも一筋縄ではいかなそうな、それでいて自分の関与が欠かせそうもない話が多すぎるのだ。


「……。……あー、まずはガドラ山のモンスター・ハウンドの件だろ? シャルールさんの話も聞き捨てならねぇ。で、西隣の領主が怪しい動きをしていやがって? んでもって泥の魔物の子供が親を探しに―――あー! ちょっと整理させてくれや」

 頭がメチャクチャ痛い。元々、そんなにあれこれ考えるタイプではないというのに、いきなり押し寄せてきた多くの情報がザードを困らせた。


 個人的に最優先にしたいのは当然ジロウマルの話、シャルールの件だ。

 まさか森の部族に接触しに行くと思っていなかったザードは、すぐにでも向かいたいくらいだったが、それは私情。


「(まぁ、今はあそこは生き残った少人数で復興の真っ最中で、訪ねるのに危険はねぇとは思うが…)」

 ザードは、今の・・森の部族の状況を知らなかった。彼がかつて接触していたのは、ほんの数人の生き残りがこれから立て直しに尽力すると言っていた頃であり、もし森の部族の現状を知ったなら、何を差し置いてもこの件を優先しただろう。


 だが彼は森の部族が変貌している事を知らない。故に冷静になって私的な感情を捨て去り、再考する。



 するとやはりモンスター・ハウンドの件が、最重要にしてもっとも急を要する話であると導き出された。

 この件においては、ザードが戦力として動員されるは必至だろう。

「(つーてもどのみち戦力が足りねぇしなぁ…こいつぁ俺にゃ今んところは手詰まりだ、どうしようもねぇな)」


 西隣の領主への対応は領主ミミが考える事だが、ドンパチに発展するとなると、やはりザードにもお呼びがかかる可能性は高い。

「(これはまだどーなるかはわかんねぇからな…今から俺が何か備えとかなきゃなんねぇような事もない)」



 そして泥の魔物の子供の用件に関しては、もっとも手短に済む。何ならこの場で今すぐにでも片付けてしまえるだろう。


「(おそらくこの子供の親ってのは、アレクスのバカ野郎がやらかした件で、バランクとかいう商人に使われた泥の魔物―――ゲフェって奴だ。ちょうどこの外壁をぶっ壊した張本人だな)」

 しかし気が重い。何せその泥の魔物ゲフェは退治され、外壁工事の際にその亡骸たる泥は、綺麗に排除され終えてしまっている。


「(バランクとかいうドラゴンニュートの商人がどんだけゲス野郎かはメイドさんイフスから聞いてはいる。だがコイツの親を直接ぶっ殺しちまったのはここの自警団連中で……波風立てねぇように説明するにゃどう話しゃいいんだ?)」

 生物として不自然なモンスターとは違い、魔物は自然環境上で生物として真っ当に生きている。

 知性やコミュニケーションの問題はあっても、どちらかといえば野の動物に近しいものだ。互いに生存圏を犯したり、害意を持って接触するでもなければ対立する事はない。


 だが今回の件ではバランクが泥の魔物ゲフェの領分を侵してさらい、けしかけられたとはいえシュクリア自警団がこれを迎撃して滅してしまった。

 説明の仕方次第では、このゲフェの子供が町の人々らに恨みを抱いてしまいかねない。

 しかもドウドゥル湿地帯に暮らすゲフェの数は、1体や2体でないだろう。潜み暮らす彼らが大挙して襲来し、暴れるような事態にでもなれば最悪だ。


 かと言ってこの件を領主に丸投げする事もできない。何せこの工事現場を監督し、手始めの仕事として残っていた泥を片付ける指示を下したのは、他でもないザードだ。彼にも多少なりとも責任がある。




「(ってぇ、なんでこんなに俺が悩まなくちゃあいけない事になってんだぁ!?)」

 ザードは嘆く。ほんの数十分前までは、ただの工事現場監督として昨日と変わらぬ簡単な仕事に従事していたはずだというのに。


 彼は心の中で願った。領主の嬢ちゃん、早く帰ってきて諸々の話の中心位置を早く変わってくれ、と。







―――――――その頃ミミ達は、シュクリアから西に数キロの街道上にいた。


「もうすぐシュクリアに到着しますねお嬢様。やはり早々にお仕事に取り掛かられるるのですか?」

 ラゴーフズは心配そうにミミの顔色をうかがう。旅の疲れが出たのか、少し肌の色が薄いように見えたからだ。


「うん、そのつもり。一息つきたいのは山々だけど、すぐに取り掛からないといけない問題が多いからね」

 領内の食糧難に関しては、ハロイドとイクレー湖を結ぶ輸送線路が順調に整備できている事から、中期的にはまだ安心できる。

 しかし来年度の収穫期まで考えるとこれだけではまだ不安だし、イクレー湖の漁獲量が安定しない可能性も考えて、より多くの手を考えて実行に移さねばならない。


「やはりモンスターの件ですかね、一番厄介なのは?」

 ドンの懸念は正しい。

 モンスター・ハウンドの脅威が取り除かなければ、東隣のナガン領からの恩恵が受けられないし、領民の不安もどんどん高まって経済活動や生産活動も萎縮し続ける。


「うん。出来る限り早いところ討伐したいところではあるんだけどね……」

 しかも西隣のゴルオン領は、こちらに対して協力や助けを出す事は絶対にない。それどころか、この先もこちらの弱みに付け込んだ動きを取ってくる可能性が高い。

 東西が詰まっている現状、モンスター・ハウンドの件を解消して東の風通しをよくしておかないと、西が行動を起こした時に詰んでしまう。


「まぉ…――――んんっ、タスアナさんがまだいてくれたらよかったんだけど、まぁいても手を貸してくれないか」

 もしタスアナが動かなくとも、その付き人であるイムルンだけでも大いに戦力になったろうし、彼女ならこういう敵に対して嬉々として戦ってくれるだろう。しかし彼らがアトワルト領を後にしたのはもう随分と前の事だ。


「……ないものねだりをしても、しょうがないってわかってるんだけどもね、うーん」

「ザードの旦那なら真正面から戦えさえすれば勝てるでしょうけども、逃がさずに仕留めきるためにはもう5、6人ほど、信頼できる実力の持ち主がいるでしょうね」

 ドンは、モンスター・ハウンドへの対処に関してザードとほぼ同じ見解を抱いていた。

 悔しいが、ドンにはかのリザードマン並みの実力はない。ラゴーフズ達も同様だ。やれる事があるとしたら現場でのサポート援護がせいぜいだろう。


「我が力、お嬢のほことなれず申し訳ない」

 ハウローがシュンとして頭を垂らした。ラゴーフズもさすがにモンスター・ハウンド相手だと自分達では太刀打ちできないと理解しているのか、少し悔し気な顔で握り拳を震わせていた。


「大丈夫、そんなに気にしないでいいから。数年前は私とイフーの二人だけでもっと手札がない状態だったし、その頃に比べたら全然マシ――――――」



ギュゥゥゥゥンッ



 ミミの言葉が不意に途切れる。


 下腹部に穴でも開いたかのように吸い込まれていく全身の力。


 ただでさえ調子の悪そうだった顔色が、一気に青ざめていく。





「? 領主様、どうかし―――――……っ! りょ、領主様っ!? ラゴーフズ、ハウロー!!」

「!! お嬢様!!?」

「お嬢っ! お気を確かにっっ」

 借り物の馬の上、彼女は上体を曲げて尋常でない汗を流し落としていた。

 全身を小刻みに震わせ、長い耳をぐったりと垂れ下げ、冬毛への毛替わりで紫が白くなりつつある髪の毛からもつやが失せている。


 明らかな体調の急変。

 その原因は、ただでさえ少なくなっていた彼女の魔力を、お腹の魔獣の卵が一気に吸い取ってしまったためだった。それによって一回り大きくなった卵が、その重量を増した事も、ミミに大きな負担となって襲い掛かっていた。



「これはただ事じゃあねぇ! 馬は俺とラゴーフズで、荷物を全部預かってシュクリアの馬借まで乗っていく。……ハウロー! あと数キロ、領主さまを乗せて走破できるか!?」

 借りた馬は早く走るタイプではなく、起伏のある道でも安定して乗員や荷物を運べる力のあるタイプだ。早く走らせたとしてもさほどの速度はでない。

 ドンは、ハウローの獣形態のスピードの方が速いと睨んで、もう一言も言葉を発せないほど苦しんでいるミミを、ゆっくりと彼の背に預けた。


「うむ、我が全力をもってシュクリアまで急行しよう、任されよ!」

「頼むっ! けど無茶な走りはすんな、馬より安定性が欠けるからな。領主さまを落っことさねぇように急いでくれ、こっちも可能な限り飛ばす。シュクリアに到着したら急いで借家に向かってくれ、メルロ達がいるはずだ。もし留守にしてるようなら領主様を一旦寝かせて、外壁工事の現場にいるザードを頼ってくれ」

 領主の不調は現在の領内の情勢を考えると、あまり公にしていい事ではない。領民を不安にさせてしまうからだ。

 なのでドンは、ハウローに対してシュクリアに着いてからのルート取りについても綿密に指示する。


「しかと承った、では一足先に御免!」

 ハウローが走る。馬より二回りは速いだろうか? あっという間に道の向こうへと消えていった。


「よし、こっちも急ぐぞ! ハウローと領主さまの荷物、落とさねぇようにしっかりくくりつけてくれ」

「もちろんですとも、急ぎましょう!」

 ドン達はミミの体調急変の理由を知らない。なので二人の不安と心配の気持ちは強まるばかりだ。


 速く走るのが苦手な馬には申し訳ないが、二人乗りかつ荷の増えた状態でも街道を一路シュクリアに向け、容赦なくひた走らせた。








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