第96話 閑話 肉と魚と宝石と
――――――イクレー湖。
それは大半の面積がアトワルト領内に属している、単純な直径で200km以上にも及ぶ巨大な湖である。
領内で言えばガドラ山脈を丸のみでき、シュクリアからホルテヘ村までの街道域を余裕で水没してしまえるほどの広さ。
当然、その湖に生息する水棲生物は種類も数もケタ違い。食糧資源の宝庫であるのだが、
その理由は、大きい湖であるがゆえに波があること。
しかも湖畔は、遠浅の延長線上のような浅く薄い標高が何キロにも渡って続いており、長い年月をかけてよせる真水の波にさらされ続けた大地は、水を豊富に含んでユルユルになった泥土が広がっている。
漁村の建設はもちろん、湖畔に定住地を構える事が困難。一番近い町や村まで遠すぎるために、水産資源を獲得したところで鮮度を保ったまま運ぶことも大変なのだ。
結果、イクレー湖での漁業は労力に見合わないとして時折、波で打ち上げられたものを近隣の町や村人が何かの通りすがりに見つけたら拾ってゆく、という程度にとどまっていた。
カタコン…カタコン…カタコン…
「へぇ~、なるほど。今までの領主さまが何もしなかったのは、そういう事だったんですねー」
手漕ぎトロッコの上で、悪魔族の若者がレバーを上下させながら感嘆する。対面するは
「ああ。しょせんは魚介類…市場にありふれた品ではそう高値で売れるモノでもないから、投資に見合わない。だが当代の
彼らはハロイドの住人。
木と石と薄鉄によるレールがイクレー湖まで敷設され、トロッコが開通し、彼らによる運用――――ミミの計画は順調に成されていた。
さらに湖畔のすぐ近く。
もっとも
そこには当然、駅と小さな港のような場所が建設された。
イクレー湖での漁が始まり、日々それなりの漁獲量をあげ、それら産物を半日とかけずにハロイドへと運ばれる仕組みは終ぞ確立されたのだ。
「なんでも今、" 加工場 " で保存処理された魚肉各種を、他の町や村へと試験的に配給してるらしい。…きっと、随分と前より計画されてたのだろうな」
「食糧問題もあるし、やらなきゃならなかったのかもしれやせんね。おかげで餓える前に魚にありつけて、オレらとしちゃあ
未来は明るい。
政治の結果が領民に身に染みて伝わることは、もっとも為政者への支持へとつながる。
食糧難という苦境にあって、厳しいながらもそれを乗り越える方策をきちんと考え、進めていたという事実は、彼らの中に
「まぁ、まだまだ課題もあるらしいがな…」
そう言って、ハーペレイの男性はチラリと後ろを見た。
木製レールを主軸とし、合間に等間隔で配された小さな角柱石材、その上に敷かれてる薄い金属板。
総金属製で作る事が出来ないがための苦心の結果たるレールは、やはりというべきかトロッコで往復するたび、より傷ついて汚れていく。
「この辺りも
「ああ、耐久性がどうしてもな。金属板の方は表面を磨けばまだまだ使い続けられるが、他はどうやったって削れてしまう」
トロッコを動かす者は比較的体重の軽い者に限定して任せられている。トロッコ自体も僅かでも軽くなる事を優先して作られていた。
いずれも少しでも長く使い続ける事を第一とした工夫だ。
だが、帰りのトロッコには水産物が多く
「全て金属製のレールなら取り替えの苦労もなくなるんですかね?」
「いや、錆びたりするだろ。まぁそれでも今ほど頻繁に取り替える必要はなくなるだろうが」
「俺ぁ、どっちかっていうとこのトロッコの運転がもっと楽になって欲しいですよ。やっぱ手動で漕ぐのは結構な重労働で―――――お、駅が見えてきましたよ」
・
・
・
「今日も大漁だ。キッチリ運んでくれよっ」
いかにも漁業に従事しているといった格好の
2人が乗ってきた運転用トロッコの後ろに連結されたのは、貨物専用トロッコ。帰りは2台でハロイドに向かう。
「ご苦労さん。ああ、小屋の備品は新しいのを入れといたから」
「助かる。あと網も出来れば新しいのを手配してくれねぇか? ここんとこよく大物の|
「分かった、用意してもらうよう伝えとくよ」
出来てまだ日は浅いが、もうすっかり板についたやり取りだ。ケット・シーの男性は住み込みでこのイクレー湖畔に常駐しているだけに、各作業も手慣れきっている。
…まだこのイクレー湖の水産資源運搬のシステムは公にはされていない。理由は、隣のゴルオン領に知られると厄介な事になるからだ。
それを、現場に従事する彼らはもちろん、ハロイドの住民すべてが、ミミより直に教わっている。それすなわち、
「そういえば、
「あー、それがなかなか上手くいかなくってなぁ。やっぱ魔力を用いるって話になると、魔法使えるモンがそもそも少ないだろ? その上、上手く方向が定まらなくてすぐ脱線しちまうみたいでな。またトロッコの設計から見直すって話になっちまってるんだ」
今は手漕ぎ式のトロッコだが、レールのみならずトロッコの方もミミは、新しいものを開発させていた。
新型は魔導具による魔法効果を推進力に、上手くいけば無人でも移動させる事が可能になるのだという。
ところがさすがにこちらに関しては、ミミにしてもまだ具体的な設計案は作れず、抽象的なアイデアの段階でしかなかった。
しかし役に立ちたいというハロイドの住人達は、ミミよりその抽象案と魔導具を預かり、何とか自分達でカタチになるよう試してみる事を名乗り出たのだ。
「領主様の手紙にも簡単ではないって書かれてたらしいが、確かに一筋縄じゃいきそうもないようでな。町長と開発担当連中が今日も設計図とにらめっこしてたよ。まだしばらくは手漕ぎトロッコだな」
「はは、楽はできそうにないな。けど手漕ぎにしたって今までなかったモンだし、贅沢言っちゃバチあたるぜ? ……よし、これが今回の品目リストだ。持って帰って魚と一緒に渡してくれ」
二人はさっそく手漕ぎ車両の方へと乗り込んだ。
「よし、んじゃ俺らはハロイドに戻る。次は多分明日になるだろう、じゃあなー」
「おーう、ちゃんと届けてくれよー」
――――――都市、シュクリアの酒場。
「食料品の相場が少し下がっている? 本当か?」
「ああ、間違いないジャ。それでも十分に高騰状態なのは変わらないジャが、上昇が落ち着いたばかりかここ数日は僅かに下降に転じてるジャよ」
オークの同業者はこのアトワルト領に着いたばかり。食品商である彼は、遠方でこの地域一帯の食糧高騰の話を聞きつけ、商機と思いやってきたのだ。
しかし遠方からではそういった情報は風の噂レベル。実際に商いに取り掛かる前に、最新かつより正確な情報を求めるのが先である。
行商人たちの商売はそうやって行われる。なので酒場ではその地の市場情報を握っている商人が、
「むむ、ならば儲け損ねることはないか。けども、なるべく早く
「
「肉類が中心だ、果物も少々あるが肉の方が生でな。鮮度を保つのにも経費がかかるし、なるべく早く
するとナーガの商人はフームと己の口の下、アゴと
「魚介類を中心に下がってるジャ。肉類ならまだ高いままジャが…そうジャねぇ…」
困ったように唸るのは、それはこのアトワルト領内の
そもそもが片田舎で、町に常駐する商人達にも大した金持ちはいない。一番のお金持ちはやはり領主という事になるが、こんな辺鄙な領ではその税収もたかが知れている。
加えてこの地は、先の大戦の後に反乱騒ぎがあったばかりの上、今は食糧難と南東の街道に治安問題を抱えるなど、トラブル続き。
いかに市場が高騰していようとも、大量の食肉を購入できる資金が残っているとは思えない。
「…ちなみにジャが、何か仕入れたいモノはあるジャ?」
行商人とは、自分の運ぶ品を売り、そして新たに仕入れるを繰り返しながら各地をまわる。それらの売買の差額で利益を上げる者達だ。
ただ売るだけで終わる事は滅多になく、売った際には次へと持ってゆく産物を買ってゆく。
なので場合によってはお金を介さずに、物品取引でやり取りする事もある。取引相手がお金の手持ちがない時などの際には有効な取引のやり方だ。
「うーむ、そうだなぁ。専門外ではあるが何か織物か…鉱物、あるいは宝飾品の類でもあれば良いのだが…この地にそのような特産品はあるだろうか?」
「難しいジャね。元々たいした特産、名産品の類はアトワルトにはないジャよ。あ、でも待てジャよ…?」
そういえば、とナーガは自分の記憶を引っ張り出すように首をひねった。
「確か…チラッとジャが、領主さまと他の商人が取引してるのを見た記憶があるジャ。モノは宝石で結構な量だったジャが、その時の商人はあまり買い取れないような事を言ってた気がするジャ。もしかすると領主様に取引持ち掛ければ、その宝石類を取引して貰えるかもしれないジャよ? …まぁ、今も残っていればの話ジャが」
「宝石類か…ふむ。そもそもの価値がケタ違いではあるが、食料品が高騰している今ならそれなりの量と現物取引が出来るかもしれないか。伺ってみる価値はありそうだな、教えてくれて感謝するよ」
そう言うとオークは銀貨数枚をテーブルの上に置き、ナーガの手元まで滑らせた。
有益な情報には対価を支払う。
これもまた、商人達の間での暗黙のルールとなっていること。ナーガはあいあいと適当な相槌を打って、遠慮なくその銀貨を懐に収めた。
・
・
・
オークの行商人が、領主への謁見を希望して翌日。
「この度は、急なお訪ねに応じていただき、ありがとうございます」
彼はさっそく、
「こちらこそ、このような恰好での応対になり申し訳ありません。それで
ミミは、寝間着のようなものの上に軽く羽織っただけの、本来なら接客にはやや相応しくない姿で応接間に現れた。
それを失礼だと思うこともなく、むしろオークは心中でラッキーだと喜ぶ。
「(病に伏せている時というのは弱気になるもの。これは有利に取引を進められそうだぞ)」
彼はさっそくとばかりに、まずテーブルの上に厚手のタオルを広げた。そしてその上に紙を重ねて敷くと、最後に取り出したモノの
「これは…食肉の塊ですね?」
「
事前に簡単な用件は聞いているミミ。要は商人による商品の売り込みだ。
そしてその取り扱う品を見聞きする分には、今のアトワルト領にとってノドから手が出るほど欲しい食料品。
しかし、これを買い取る余裕が今のミミの
「(さて。どうしたものかな…。買い取りたいのは山々だし、向こうもこっちの泣き所が食糧にあるって分かった上で売り込みにきたんだろうから、簡単には引き下がらないはず。値下げ交渉をしてみたところで、どの道出せる額まで下げるのは無理……やっぱり
そもそも現在、今すぐにミミが金で出せる額自体が真っ当な相場でも200kg買えるかどうかの手持ちしかない。
しかし相手の示した取引量を考えれば、最低でも1000kgは買うつもりでなければ向こうも商売にならない。
何より小さな取引に抑えようとすれば、商人の間であの領主はケチだと言われかねない。
「……。こちらとしましては対価は現金でなくとも構いません。何か現物で価値ある品を仕入れられれば、私めとしましては十分なのですが、いかがでしょうか?」
ミミが即決しない事から金銭的な余力がない事を考慮し、オークはハードルを下げてくる。ミミが取引商品としての宝石類を大量保持している可能性を見込んでの提言だ。
オークとしては、酒場で聞いた話が本当かどうかを確かめる意味もあっての問いかけだった。
「現物…ですか。しかし食品商とお見受け致しますが、生憎と食料品の類で取引に出せる品は―――」
「食料品でなくとも構いません。相応の品と量をお取引できるモノでしたならば、織物生地などの衣料品、調度品、鉱石類や染料、
「宝飾品……」
ミミがそう呟いた瞬間、オークの行商人は確信した。例の情報――――大量の宝石類はある、と。
しかしここで
つつがなく、そして良い条件で取引を成立させるためにも素知らぬフリを貫き通す。
「もし……宝石類でも取引の品としては通用致しますでしょうか?」
「! ええ、それはもう。ただ当然の事ではございますが、それなりによいモノでなければなりませんし、数量もある程度のご用意をお願い出来るモノに限らせていただく事となりますが…」
やや尻つぼみに言い淀んで見せるオーク。ミミは呼び鈴を取って軽く鳴らした。
「はい…お呼びでございますか?」
扉を静かに開けてメルロが入室―――――入ってきたメイドの容姿に思わず感嘆するオークだが、別にその美貌で性欲を刺激されたのではない。
「(ふむ、存外…片田舎の領主と言って侮れないな)」
どのような側用人を雇っているかでその主の資質が問われる。程度の低い者を雇っていれば、それだけで侮る者も少なくない。
すなわちメルロは、その外見だけで領主に仕えるには十分に合格と見なされ、主人の格を高めるに一役買ったのだ。
「こちらのお客様にアレを」
「はい…かしこまりました…」
少しばかり陰気な感じを覚えるが、それがまた儚げな魅力となってプラスされる。オークの商人はつい、彼女が退室していくまでその姿を目で追い続けてしまった。
・
・
・
数分後、メルロが再び扉を開けて応接間に戻ってくる。その手には恭しく小さな小箱を持っていた。
「お手前に、失礼…致し、ます…お客様」
オークの商人が座っているすぐ近くにてしゃがむと、箱の中身が見えるよう軽く傾けるメルロ。
彼の目線には、メルロの大きく豊かな胸元が上に添えられる形で箱の中が披露された。
「おお、これはこれは…」
思わず言葉を失う。
およそ20cm四方の正方形の箱、深さは5cmもない。そこに赤い上質な敷物がなされ、等間隔に設けられた凹みにハメ込まれる形で20個の宝石が並んでいる。
色とりどりながら、放つ輝きはいずれも一級品。それを美人のメイドさんによって提示されるのは、さながら高級宝石店で接待を受けているかのようで、オークの行商人はつい姿勢を正した。
「こちらが現在所有している、宝石類のサンプルです。一種につき同じモノを100はご用意できますが、お気に召された品はおありでしょうか?」
「100!? …それはまた、…ふむ」
ミミは嘘をついた。実際の保有数は1種100個どころではない。
しかも今回提示してみせたモノは、どんなに大きくとも小指大の、比較的小さい石ばかりだった。
「(…これは想像していたよりも? このレベルの石で100も数量があるとは…今後ともいい取引をする関係も視野に…ブツブツ)」
食品を専門としてきたとはいえ、専門外の品にまったく疎いわけではない。オークは高速に頭の中で商人たる打算を行う。
「価値としましてはいかほどで見合うでしょうか? こちらの持ちうる量にて足りるのでしたら最良なのですけれど……」
「いやいや、十分すぎるほどですとも。例えばこちらの青い石―――ブリッシュ・ルーシェットですが、この大きさですと1つ金貨4枚相当でお取引させていただきたい」
ブリッシュ・ルーシェット。表面が滑らかな円盤型の青い宝石だ。
中にはデコボコとした不揃いな模様が見えるが、光を通すとそれらが異なる輝きを放つため、見るたびに違う輝きを見せてくれる石として
極小サイズでも原石だと仕入れ値は銀貨9枚の値がつき、カットや研磨を経て商品として店頭に並ぶ時には、石によっては金貨20枚という価格がつく事もある。
「(全てがこのクォリティでないとしても、上手く卸せれば100個で金貨1200枚はいけるだろう。良相場に乗れれば金貨2000枚以上もいけるかもしれん)」
仕入れが金貨400枚相当であれば、彼の試算通りの儲けを出せたならば結構な利益となる。
しかも宝石の類は量を取り扱ったとしても、コンパクトで重量もかさばりづらい。持ち運びには便利だし、食品と違って劣化が少ない。丈夫な石なら小袋に乱暴に詰めても平気なので、移動が常の行商人が取り扱う商品としては非常に優れている。
「ぜひ、このブリッシュ・ルーシェットと…あと、こちらのブラッデン・ピースを私めにいただけませんか? 合わせて200、であればこちらは手持ちのハーディッシュ・クラッファブの食肉2000(kg)に、追加でもう2000(kg)を付けましょう。なんでしたらリンゴ果実200(kg)もオマケでお付け致します」
ハーディッシュ・クラッファブの食肉は、適正な相場であれば1kg銅貨3枚程度だ。しかし現在のアトワルト領の高騰により、1kgあたり銀貨1枚にまで上がっている。
本来なら金貨400枚相当に及ぶ額であり、ブリッシュ・ルーシェット(小)の100個分と同等価格。
つまりブラッデン・ピース100個分の価格分は丸々0でと言ってるに等しいが、そこは商人。
しかし、詳しくはなくともミミも駆け引き必須な貴族社会に生まれ落ちたる身である。そうは問屋が卸さない。
「二種類の石をそれぞれ
「むむ…な、なるほど…」
競合相手の存在を
採算で言えば食肉を更に2倍以上を拠出したところでなお問題はない。だが儲ける好機に少しでも大きく儲けたいのが商人たる欲でもある。
彼は、この取引を成立させ逃さない事、今後も良しなにしてもらう事、今回の儲けをより大きくしたい事、相手に石の市場知識がない内に多くのモノを確保したい事―――――などなど、頭の中でグルグルと巡らせる。
そして導き出した結論は…
「…分かりました。ではハーディッシュ・クラッファブの食肉をもう2000(kg)、合わせて6000(kg)とリンゴ果実300(kg)で何とかお願いできませんか? こちらもそれ以上の拠出は難しく…」
実態はなお余裕はあるし、出せと言われれば出したところで利益に陰りもない。そして、彼の手持ちのカードにはそのくらいの余裕はあるだろうと、ミミも勘づいてはいた。
しかし、自分も所持宝石類に関して本当のところを隠し、なおかつ小さな石のみを提示しているという負い目がある。
この辺で手を打つ――――あまりにしつこく食い下がるのはよろしくない。
「(何より宝石の元手はタダだし、追加でお金がかかるでもない…十分かな)」
こうして現物取引は成立。
ミミは合計6トンもの食肉を手に入れ、オークの行商人は2種類の宝石、サイズは小カラットながら合わせて200個を手にする事となった。
「―――――ご主人様、取引は上手くいったのぜ?」
「ええ、ヒュドルチさんも
酒場にいたナーガの行商人――――その正体は他でもない、ミミの指示で商人に変装してそれっぽくたむろしていた部下の
「ご主人様の作戦通りだったのぜ。まさかホントに行商人が話しかけてくるとは思わなかったのぜ」
「なんとか手持ちの宝石類をお金かモノに変えたかったですから。しかも食品商であった事は特に幸いでした」
小さな宝石ばかりを見繕ったのは相手の購買力を見透かしての事。食品商は扱いが食料品だけに、相当に大きくて名の通ってる者でもなければ儲けはそう多くはない。
小粒な商人に、手持ちの中でも特に良い品を見せたところで購買力が及ばないし、何より大量の価値の高い宝石を領主が抱えているなんて流布でもされたら、金があるんじゃないかと領民が不満を訴える事態になりかねない。
いかに宝石が大量にあろうとも資金に変えるのに苦労している今、対外的に大量の宝石類を保有している事は隠すと同時に、何とかして少しずつでも売り捌く方法を―――――ミミがベッドの上で思案を重ねて考えだした作戦こそ、今回の商人を引っかけての取引であった。
「これで食糧問題をまた少し緩和できるかな。各町や村に配り尽くしたとして……1週間分になるかどうかの量だけど、イクレー湖の魚介類が軌道に乗るまでの繋ぎにはなってくれるはず」
既に試験的に魚の配給を初めているとはいえ、本格的な流通に至るまでにはまだまだその前途は多難だ。
イクレー湖とハロイドを繋ぐトロッコ線は頻繁なレールの取り替えが欠かせないし、一度に運べる分量も領内全体を賄うには不足。
ミミの試算では現状、領民が1日2食でやや粗食気味に耐えてもらえれば半年は十分に切り抜けられる、といったところ。
「解決まで半分…ううん、やっと40%くらいって感じかな。まだまだ先は長いね」
そう言って一息つくと、彼女はベッドの枕に頭を預ける。メルロが布団を首の付け根辺りまでかけ直すと、疲れが出たのかすぐに寝息を立て始めた。
――――――――ハロイド近郊。
「お、きたきた。おーい、減速減速ー! ここで止まってくれー!!」
二人が顔を見合わせ、何事かと思いつつもトロッコを動かす漕ぎ手を止める。まだハロイドまで200m近くある町の外、見知った町人の一人が両手を振ってトロッコを停止させるよう声を張り上げていた。
ギッギッギッ……ググッゥ………ギシッ…。
レールに負担をかけるわけにはいかないので常時用いるためのブレーキはついていない。なので自然減速のみでトロッコは止まる。
幸い、魚を積んだトロッコを連結しての復路。その自重からさほど慣性は働かず、ほどなくして停車する事ができた。
「こんなところで一体どーしたんです? まだ町まで結構ありますけど」
悪魔族の若者が何事かあったのかと、少しだけ緊張を含んだ様子で問いかけた。
二人のところに走り寄ってきたのはエルフの町人。加工場の建設に際して内装構造のデザインを担当した者だ。
「すまない。実は急な話なんだが今、“ 外の ” 加工場の方に全て移している真っ最中なんだ。その積み荷も、そちらへと移動させなくてはいけなくなってね」
「! …何か妙な動きがあったのか?」
「いや、まだ何もない。ただ領主様から手紙が届いたんだ。隣のゴルオン領がいよいよきな臭い事になってきてるらしい。なんで、町中の加工場は “ 泥固め場 ” へと今から切り替える事になったんだ。外の加工場はまだ完成していないが、今から偽装の作業を始めないといけないらしい」
実は、イクレー湖の漁業場からトロッコレール、そしてハロイドの加工場と、一連のシステムが上手く運用できた事を受け、ミミは水産物の加工場を町の外の目立たない位置にも建造するよう指示を出していた。
そしてイクレー湖からのレールは途中で切断し、そちらへと繋げなおす。ルートもやはり見られない死角になる位置に通す。
さらに寸断されたハロイドの町からのレールは別方向へと伸ばし、イクレー湖の遠浅の地面を掘って、泥を集める偽りの作業現場を設営する。
つまり、町から伸びるレールとトロッコは泥を運び入れるために使用し、町中にある魚の加工場はその運び入れた泥を固めてブロック状にしする施設。
領内の建物復興に使用する建材とする泥ブロック
「なるほど。じゃあまだそっちにはレールは繋がってないから…」
「ああ、積み荷側のトロッコを外してここから外の加工場まで俺達で運ぶしかない。すぐ取り掛かろう」
「よし! 大事な魚だ、落とさないように気を付けろ! …ってなにしてるんだ?」
見るとエルフの男は、魚の入ったトロッコの底に何やら取り付けていた。
「これで良し。これも領主様のアイデアの一つなんだが…さて、上手くいってくれよ……~~…<地を掃く
フォォンッ!
持ち上げられているトロッコと地面の間に、渦巻く風が発生する。風力は強すぎず弱すぎず、適度な浮力をトロッコに与え、二人の腕にかかる重量感は一気に軽くなった。
「よし、俺はこのまま魔導具の維持に努める。二人はそのまま運搬を頼むっ」
「すげぇ、これなら楽々だ!」
3人1組で魚が入ったトロッコを運ぶ。
その魔導具は、反乱軍から宝石の山を接収した際、中から魔力媒体となるものをミミが見つけて、核に使用して手作りされたモノ。
これを用いてトロッコを少しでも軽くする事ができないか、兼ねてより実験を重ねていた。
今はまだ魔力を用いる事の出来る限られた町人によって用いるしかなく、集中しなければ維持すら出来ない。
しかし、これが上手くいけばトロッコの運搬能力や走行速度が大幅に上がる。それは素人でも理解できる事。
「(いける、すごいぜ領主さま! アトワルト領の未来はきっと明るいぞ!)」
もちろんそう簡単にはいかないと判ってはいる。
それでも彼ら領民たちは、
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