第88話 第5章3 滲み寄る先を識らんと欲す



 ―――夕食。

 それは本来、皆で食卓を囲んで和気あいあいと談笑しながら料理に舌鼓うつ時間。


 しかしこの日はそうはいかない。

 貴族であり、この地の領主であるミミが客人を迎えての食事となれば、それは歓待という名の公務の一面を持つ事となる。



「ほらルゥリィ、こぼれていますよ。慌てなくとも良いですから、ゆっくり味わいましょうね」

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「そうですか…魔界本土からの旅は大変でしたでしょう。ゆるりと旅の疲れを癒してください」

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「うん、それで問題ないかな。ただくれぐれも疲れをためないよう、ローテーションは均等に。何ならアレクスさんのお手伝いに入ってるエイセンも組み込んで。今夜はお客様がいらっしゃるから、夜警はしっかりとお願い」

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「ドワーフの方々との御歓談はもうよろしいのですか? お話はもちろんお伺い致しますが、こちらからも調達して頂きたい品がございまして、まずはそのお話を…」

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 食事は数回に分けて行われた。そして席につく者は毎回異なる。


 ホストであるミミだけは全てに出席し、全員と食事を共にしなければならない。

 それはとても大変な事だが、今はむしろ好都合だとイフスは思っていた。


「(これでしたらお食事の量も自然と増えますし、ミミ様もしかと栄養をお摂りになられるはずですから)」

 それを聞いて、メルロは納得ですと頷く。


 領内に食糧難の問題が横たわって以降、ミミも食事を質素なものへと制限してきた。だが魔獣の卵を抱えている今、栄養失調は厳に憚らなければならない。

 誰かと食事の席ともなれば、ミミも出された料理に手をつけないわけにはいかない。そこを突いてイフスは夕食の量をいつもより多く考えて出していた。


 その狙い通りにミミは、1回の分量こそ少な目ながら、総量でいえばいつもの2倍強を食す事になっていた。


 とはいえ、長時間座りっぱなしで対人するのも身体にはよくない。なのでイフスは、メルロに指示して既に寝室の準備ベッドメイキングを整えさせている。

 もちろん食後、すぐに床へとつけるようにだ。



 もっとも、食事を終えたら即就寝できるはずもなく……






「そうそう、こっちに来る時にね、ウオ村に到着する直前に例のヤツに遭遇したのよ」

 全ての夕食を終えた後、ネージュ(メリュジーネ)、ドン、アレクスらを交え、雑談をかわしていた。


 イフスはミミの左後方に控え、メルロはルゥリィを寝かしつけにいっている。


 ドンは、ミミに領主ホストの箔をつけるための傍役として、アレクスはゴルオン領調査の情報をまとめる途中報告のために同席していた。


「モンスター・ハウンドですか? よくご無事で……いえ、ネージュさんでしたらそこは心配無用でしょうね」

 むしろメリュジーネ級の相手をどうにか出来てしまうモンスターなら、アトワルト領どころか地上全体レベルの災害だ。魔王様が自らが退治に乗り出してもおかしくない相手だろう。


「まぁねー。このアタシを連れ去ろうとしてくれちゃったもんだから、そのままぶちのめしてやろうとしたんだけどさ、フラれちゃった逃げられたわー」

 この人(?)なら確かにやれるだろう。そしてそれは、ミミやドンからすれば今一番欲する、実力ある人材である。

 だがネージュにモンスター・ハウンドへの対処に関して力を貸してもらうわけにはいかないし、それはネージュ自身も分かっている事。


 いくら一般人を装っているとはいっても、強力なモンスターを討伐すれば自然と名が広まる。そうなればいずれネージュ=メリュジーネである事はどこかでバレるし、それこそ小賢しい知恵で高位貴族の助力を取り付けた、などと一部の悪辣な貴族がミミに難癖つけんとしかねない。


「(オレにメリュジーネ様みたいな力があったら…って、無い物ねだりしても情けなくなるだけか、現実的じゃあないな)」

 ドンはかなり焦りを覚えていた。武装の調達に戦闘人員探しと日々、モンスターに対抗するための準備は行っている。――――だが、その進捗は遅々としていた。


 理由は2つ。資金不足と土地柄による、野にいる戦闘人材の質の低さである。

 資金不足はアトワルト領の財政と、抱えている諸問題を考えればどうにもならない。


 そして人材に関しては片田舎であるがため、元より暮らしている土地の者には戦闘長者が少ないし、大した探検・探索のし甲斐のある古の遺跡などのポイントもない。

 なので他所から戦闘事に特化している者が訪れるという事がほとんどない。


 モンスター・ハウンドの件で護衛を伴ってくる旅人や商人はチラホラいても、彼らからその護衛者を借り受ける事も難しい。護衛者はほぼ傭兵であり、金がなければ動かないからだ。


「(メリュジーネ様にお願いして私兵を借りるのも無理だしな…。アレクスが帰ってきたのを含めても、ザードが北のごたごたに向かっている今、プラマイゼロも同じで…うーん)」

 特に、モンスター出現より日数がそれなりに経過している事がドンを焦らせる原因だった。今でこそガドラ山に陣取って動いていないが、いつどこへその行動範囲を広げるともしれない。


 そうなったら確実に被害が拡大するし、貴族間でミミの領主としての評判も落ちてしまうだろう。

 手詰まりながらどうにかしなければならないという気持ちに駆られて、ドンが唸っていると……


「一つ、我には疑問があるのだが…良いだろうか?」

 アレクスが軽く挙手し、発言の許可を求めた。


「良いですよ、どうぞアレクスさん」

 ミミの許可を待って挙げた手をおろすと、巨躯の獣人はではと口を開く。


「奴…モンスター・ハウンドは話を聞く限り、ガドラ山近辺より動いていないと思われるが、そこより移動する可能性はないのだろうか?」

 まさにドンが懸念していた事だ。非生物的に発生したモノとはいえモンスターにも一定の我があり、生物と同様に行動する事ができる。

 拠点を定めていても、一か所に留まり続ける方が不自然と言えるかもしれない。


「そういえばそーねぇ? あの山にモンスターが引き付けられるモノでもあるのかしらね??」

 特に考えなく発したネージュだが、その一言こそまさに正解だった。


「……その通りです。本当は、もう少し調査をしてから結論付けたいところなのですけれど…あのモンスター・ハウンドは、ガドラ山近郊より遠くへと動く事はないでしょうね」

「?? どういう事です、領主さま。何かご存知なんですか?」

 ドンに聞かれて、ミミは少しだけ言い淀んだ。後ろめたいものを隠しているというよりは、まだ確信を得ていないためにどう説明したものか困ったといった様子だ。




「皆さん。ここからは、あくまでもまだ可能性と推測のお話と思ってお聞きください。…ドンさん、以前地図を広げて皆の前でお話をした時の事を覚えていますか?」

「このアトワルト領内の地理の事でしたらもちろんですぜ。しっかりと記憶してます」

 それを聞いてミミはさすがと小さく頷く。


「その際、ガドラ山の北麓にリ・デーゴという廃村がある事を説明したかと思いますが……」(※「第二編1章4 アトワルト領」参照)

 言われて頭の中で地図を広げるドン。

 確かにガドラ山の北、ドウドゥル駐屯村を過ぎてなお東に向かう街道の終点、山麓に少し上った先に、その廃村がある事を記憶している。


「確か、領主さまがご赴任なされた時には、もう廃村となって久しいと言われてたとこですよね?」


「うん、そう。あの時は説明を途中で切りましたけれど、あの廃村はちょっと曰くつきなんです。ドンさんは既に知っている事ですがもう一度お話しますと、リ・デーゴ廃村はかつてモンスター発生があった場所で、当時の住人が大虐殺にあった…“ しゅ ” が濃く溜まってるところなんです」(※「第二編2章1 積まるるほどに詰む」参照)


「! …もしかしてミミちゃん、今沸いてるモンスターって、その時の生き残り? その廃村はアイツの生まれ故郷って事かしら?」

 ネージュの発言にドンもアレクスもなるほどと思いかけた。ところがミミはそれに対して首を横に振る。


「私も最初はそう思っていました。生き残りからの二世モンスターがいて、それが今になって出てきた……それでしたら大気中の魔素が安定していない今、モンスターが出現した理由もうなずける、と…」

「うん? 魔素が安定していないとは?」

 アレクスが思わず疑義を露わにするが、それに対してミミは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「非生物のモンスターは本来、大気中の魔素が安定した状態でなくては自然発生しないんです。ですが先の大戦…そして続けてこの地には反乱騒ぎがございましたから、その大気中の魔素の状態は今も乱れたままなのですよ、アレクスさん?」

 反乱の首謀者であったアレクスとしては耳が痛い話で、ぬぐっと思わず息がつまる。その様子を見てミミがクスクス笑いながらも話を続けた。


「そして負の精神性気…怨念とか情念といった類のよろしくないモノ・・が濃く溜まっている場所に、大気中の安定した・・・・魔素が凝集して結びつくことでモンスターが発生する―――――リ・デーゴ廃村の場合、片方の条件は満たされていると言えます」

 すなわち、殺された村人達の無念や苦しみの情だ。そんな村ならば確かにモンスターが自然発生する可能性は比較的高いと言える。


「ですが、肝心の大気中の魔素が安定していない状態で強力なモンスターが発生する事は考えにくいのです。他の場所で、タイミングよく同じ頃合いにモンスターが出現していなかったら、私も二世モンスターのセンで信じてしまっていたと思います」

「! そういえば西の…デナの村の前に襲ってきた、モンスター・コボルト!」

 ドンの中で線が一本につながる。ミミが言わんとしている事にピンときた。


「そうです。あの辺りはリ・デーゴ廃村とは違って、負の精神性気がまったく滞留していません。つまりモンスターの発生条件を一切満たしていない場所で、非生物モンスターが発生したという事になります。…そしてデナの周囲の土地を見回った時に確認した、不自然な魔力の使用痕の事も考えますと――――」

 ミミの話を静かに聞いていたネージュも、なるほどねと得心いった様だった。


「あのモンスターを誰かが故意に発生させた・・・ってワケね?」


「はい、私はそう思っております。まだ調査らしい調査も行えてませんから、確定とは言い難いのですけれど。ですが、そう考えれば東西の主要な街道付近にほぼ同時に発生するという妙な偶然も、発生条件が不十分にも関わらず発生した事も頷けます。東の方が強いモンスターが発生しましたのは、リ・デーゴ廃村の負の精神性気を利用したからなのでしょう」


「ならばモンスターを故意に発生させられる者が存在する、という事になるな…」

 奇しくも反乱騒ぎを起こした事でより乱れた大気中の魔素状態。今回の件で、ミミの推測の一助となった事には複雑な気持ちながら、アレクスはそのような事が出来る輩がいるという事にうっすらと冷や汗を流した。


「どこのどいつかしらないけれど、私のミミちゃんを困らせる奴は許せないわっ! 必ずとっちめてやろうじゃないの、そのお馬鹿さんを!!」









―――――――ロズ丘陵の大森林。


「っくしゅ!! ……?」

 ベギィは思わず辺りを見回す。そして自分がクシャミなどするとはと、軽く小首を捻った。


「(ふん、未開地で長居しすぎたか? 未知の病にかかるなどまっぴら御免だぞ)」

「? どうかしたカァ?」

 グリン緑性ドウジ和鬼が足を止め、振り返った。


「…何でもない。それより道はこの1本だけか?」

「そうでもねぇナァ。不数にあるダァ。…あり、違った無数だったかナァ?? まぁとにかくたくさんあるナァ」

「そうか…」

 ベギィは心中、辟易としていた。

 森の部族は知能の低い者が多く、このグリン緑性ドウジ和鬼にしても、自身の知性に対してあまりに見劣りしすぎていて、僅かに言葉を交わす事でさえも苦痛を感じるほどだった。


「(クッ、この森林に詳しい者に案内をと頼んでみれば、この程度とは。まったく…このベギィ様を、こんな情けない気分にさせるとは)」

 もっとも、その低能さがゆえに支配もスムーズにできたと言える。

 自分が送り込んだ偽村長一味と、先の火災で焼け死んだ新村民達を、森の部族にあっさり浸透させられたのだから。


「(物事とはままならんもの、か。ここは耐え時だな)」

 ベギィは今、大森林内の移動ルートを確認するために案内役を前にして森の中を歩いていた。

 部族の村が火災によって焼けてしまったのは大きな損失だが、拠点形成が多少遅れる事になっただけ。

 だがシャルールという部外者の存在がある以上、時間の経過には注意せねばならない。


「(聞く限り、元々の部族連中も100%外部との交流がないわけではなかったという。のんびりとはしていられん…)」

 外部の者がきたからといって、森の部族らしく対応すればいいだけの話―――本来であれば。

 ところが、部下が勝手を行ったせいでそれができない。


 接触時、シャルールがひどい目に遭った事が伝われば不審に思われる。それがさらに森の外部にて広まったりしたら、この森を拠点化しての今後の活動に支障をきたす。


「(使い走りパシリも戻ってこぬ…くそっ、どいつもこいつも足を引っ張りやがって、役立たずばかりが)」

 もどかしい。

 いくら一族の痕跡を可能な限り残してはならないとはいえ、こうも遅々として自分の計画が上手く進行しないのが、若いベギィにはこの上なくもどかしかった。


「それよりダァ、おカクじん・・・・・…じゃないナァ、…そうそう、お客人ダァ! お客人、この後はどーするんダァ?」

「他に目ぼしい場所がないというのならば村に引き返す、おおよそは理解した。……無駄な時間だったがな、フン!」

 悪態を隠すことなくまき散らし、踵を返すベギィにグリン緑性ドウジ和鬼も思わずムッとする。

 

 だからこそ彼は確信した。


「(やっぱりナァ。スチン・・・の言う通りダァ…)」

 元からの森の部族たる仲間からもたらされた情報。己のために部族を壊す者の存在……

 和鬼は信じていた。

 村長が生きて帰ってきてくれた事。その命はこれからの部族のためになると信じて疑わずに忠実に従った。多少の疑問は、自分の頭が悪いからと目を瞑って。


 だが村長は偽物で、黒幕が我ら部族を利用していると知らされた時、頭の悪い彼でも激しい憤怒を覚えた。心当たりがいっぱいあったからだ。


 元からの部族の生き残り、頼もしい戦士――――その名はスティン=ギー。


 大森林でも今やたった一人しかいないワー・ドゥローン雄蜂獣人


 グリン緑性ドウジ和鬼は彼の役に立たんと、ベギィを注意深く観察し続けながら森の案内役を務めた。


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「これはこれは、お帰りなさいませ…いかがでございましたでしょうか、森の方は?」

「…フン、たいしたものじゃあない」

 すり寄るように問うてきた村長を、短い言葉で切って遠ざけるベギィ。彼のイライラは明らかにここに来た時よりも強く、その態度はどんどん悪化している。

 そんな彼に、部下である村長一味もどう接すればよいのか困惑気味だ。そんな彼らから少し離れたところで…



「ご苦労だったな。……どうだったヤツは?」

 ワー・ドゥローン雄蜂獣人―――――スティンが、自然な風を装い、労をねぎらう形で仲間のグリン緑性ドウジ和鬼に声をかけながら近寄っていた。


 緑の肌に2mオーバーの大きな体躯。額から生えた2本の角は根本の方は肌の色と同じながら、先端に向けて徐々に薄ら白くなっていく。

 口から見える牙に隆々とした筋肉と、外見だけでいえば恐ろしげだ。しかしその瞳は純朴そうで、顔立ちもあまり知性的とは言えないが、穏やかさと優しさが内包されている。


「スチンの言う通りダァ。アイツ、よろしくないナァ…、でもオデらじゃあ、勝てそうにもないんダァ」

「お前もそう思ったか…ああ、アレは実力でいえば遥かに上だろう、俺も今のままではどうにもできないと思っている」

 そう言ってタオルを差し出すスティン。


 汗をぬぐうためのものだが、森の部族が昔使っていたものは麻を可能な限りきめ細かくしたベースの生地に、綿や獣の毛などを表面に用いて工夫して造られた浅黒い色のボロ布きれだった。

 しかしこのタオルは違う。真っ白でしっかりとした造り。肌ざわりも天と地ほどの差がある。


「……」

 タオルに留まらない。ベギィは確かに、村にもたらしてくれた…文明の香りの数々を。それには感謝しているが、しかしてその奥に打算と腹黒い計画が潜んでいるとなると話は違う。


 そして皮肉なことに、ベギィが彼自身のために持ち込んだそれらは、スティン達元々からの森の部族の意識を変えるきっかけにもなっていた。


「(…ある意味では本物の村長ら年寄り衆が失われていたのは、かえって良かったかもしれん)」

 森の部族は外界と隔絶して独自の社会を構築してきた。掟を定め、それを何世代にもわたって厳しく遵守してきた。

 しかしスティン達、今日こんにちの生き残りは一つの道を考えている――――森の外へと積極的に出て、外界との関わりを深めようという道である。


 原始的な社会と秩序に根差して暮らしてきたスティン達森の部族にとって、このベギィ一味とは途方もない敵だ。とても勝てる気がしない。


 スティンが懸命に情報収集を重ね、なんとかせんと立ち回り続け、考え続けて導き出した結論こそ、“ 我々だけでは、連中には絶対に勝てない ” であった。


 何せ魔導具などという未知に過ぎるモノを平然と持ち込み、この樹海とも言える大森林の中を飛行して移動できるほどの魔術も使う相手。単純な戦闘能力だけではない。あらゆる知識や情報でも劣っている。


 もっと言えば連中に相当なバックボーン後ろ盾がいたとしても驚かない。だが森の部族はというと、先の大戦の被害でその大半が失われ、自力で生活していくにも苦しいのが現状…。

 独立性の保持という、今考えれば馬鹿馬鹿しいほど頑なな老害たちのせいで、外部に助力を求めることさえも容易ならない。


 だからこそこれまでを捨てて外部に接触し、連中の事を伝えて助力を求めるべきだというところに、スティン達の密かなる意志は統一されつつあった。


「あの娘ダァ…鍵になるのハァ?」

「ああ、そうだな。できれば上手く俺達と “ 外 ” とを仲介してもらいたいが…」

 だが、シャルールはいまや “ 客人 ” 待遇で、現状では森の部族のイチ住人―――いわゆる下っ端という形にある自分達が軽々に近づいて会話を、それも秘密の話を交わすのは至難。

 ベギィにしても、マグル村へのアプローチのために彼女を利せんと考えている。彼女自身は、スティン達の内情を既に知っているため、ベギィにむざむざ利用される事はないだろう。


「あのベギィとやらがマグル村に接触をはかり、彼女を伴って行った時が好機だろう。その際に我ら真なる部族の者が同行できるよう、それとなくはからってみるつもりだ」

「気をづけるダァ。あのベギィというヤツ、底が知れないナァ…」

 体躯の割に気弱な雰囲気を見せながらタオルを返してくる同胞に、任せておけとスティンは受け取る。

 それはまるでベギィ対策を行う者としてのバトンの受け渡しのようだった。


「だが待つだけでは難しいからな…こちらからも可能な限り動く事も考えている」









―――――――サスティの町。


「それじゃあ旦那、我々はここまでですね。また縁がありやしたら雇ってくだせぇ」

「ああ…道中助かった、感謝する。さらばだ」

 雇った傭兵たちと別れてローブの男は一息つく。孤独は正義だ、自分が自分でいられる。


「(余計な出費ではあったが、越境はつつがなく終えた。モンスターが襲来する可能性も考えてはいたが、まさかのタイミングであったな)」

 自分達がウオ村に到着した時、聞いた話では少し前にモンスターが街道に現れたが、居合わせたドワーフの傭兵達によって追い払われたという。

 モンスターが手痛い目にあった直後という事もあって、彼ら以外にもこの隙に移動してしまわんとする旅人や行商人は多く、傭兵達を雇った甲斐は残念ながらあまりなかった。


「(さて、ベギィの奴の行動を探りたいが…)」

 地上に拠点を増設するための偵察および前準備がベギィの今回の任務であると理解している。

 だが、それにしては時間がかかっている……ローブの男は辟易とした。


「(ヤツめ、何か余計をしていなければ良いが……)」

 まずはこの町からだ。

 モンスター発生の件がベギィの仕業であるのかどうかを確認するために、情報を集めなくてはいけない。

 さらにこの地域の現状なども把握したい。それによって行動に適した仮姿カバー設定・・を決めるためだ。出来る限り迅速かつ制限の少ない行動が可能で、なおかつ自身の正体を悟られない隠密性も必要。


 ローブの男は前回の己の任に比べてなんと面倒なことかと心中嘆きつつ、酒場の扉をくぐった。


「いらっしゃい。おや…見かけないですね」

 既に、ローブの男は適当な顔に変え終えていた・・・・・・・。もちろん自分の正体を万が一にでも辿られないためにだ。


「旅の途中でね。…飲食は出来るかい?」

 なるべくフランクな口調を心掛ける。声の高さも、本来の自分よりはやや高めを意識して、まだ若い青年を装った。


「んー…今は・・あまり大したものは出せないが、それでも良ければ」

「構わないよ、贅沢をする舌も金もないしね。…けど何かあったのかい? 事情あり、って感じだけど」

 態度も軽く、ありきたりなケツの青い若造。風来坊に憧れる魔族の青年的な立ち居振る舞いは、自分でも少しあざとすぎるかと懸念する。


 だがこれがいい。どちらかと言えばなめられるくらいの人物像の方が、相手の口も軽くなっていろいろと話してくれやすいものだと、ローブの男は今までの経験から確信していた。


「なんだニイちゃん、知らないのか? …ぁあ、まぁ旅人じゃあそういった事はあんま知らねぇか。今はこの辺り、どこも食糧不足でね…なんとか物流は途絶え切ってはいねぇけども、モノも量も入ってこねぇんだ。ほいよ」

 カウンター席に座ると同時にコップ一杯の水が出される。

 それを少し大仰にあおり、いかにも今この町についたばかりで疲労している風を装って、生き返るという安い芝居をうった。


 本当は疲労などこれっぽっちもしていないのだが、こういった細々とした部分が結構重要だ。

 不自然を疑われるのは、そこらにいる普通の一般人の目から。それがどうしたと思うような些細な事からほころぶものなのだから。


「ふーい……うめぇ。おやじさんもう1杯もらえるかい?」

「ああ、そりゃ構わないが……もしかしてナガンの方からかい? 途中モンスターに襲われやしないか不安だったろうな」

「まぁね…でもそんなヤツ、もし本当に出てきたら逆にボッコボコにして――――とっとと!」

 空を殴る素振りをしてバランスを崩し、椅子から転げ落ちそうになる。もちろん全て演技。自分の仮姿カバーを考えれば、このくらいお調子者っぽい態度を取る方が正解だ。

 そして事実、酒場のマスターはガッハッハと気良く笑う。


「(低俗なものだが…この程度で騙されてくれるのは楽でいい)」

 ローブの男に思う所はない。気分はどこまでも平坦なままで抑揚がまるでない。


 徹底した一族のための優秀なる一員とは、かくある者である。任務のためには己というもの、己の自尊心というものを殺しきるのは当然であり、そこに一切の惑いはない。

 それが必要であるならば、容易く他者を殺める事もすれば救う事もする。全ての行動原理はひとえに一族のため。


「ほれ、座り直しな。お前さんラッキーだぜ、いつもはロクでもないもんしか出せねぇんだが、今日はいいモンが入ったんでな」

「そうなのかい? それは楽しみだなぁ」

 改めて座り直すとカウンターの向こうでジュージューといい音が鳴り始める。

 そしてしばしの時間を経て、一皿が目の前に出された。


「ほいよ、マグノ磁嗅フィエム中魚のステーキだ。塩漬けからの戻しだからソースなしでもイケるぜ」

「へぇ、結構な魚じゃあないか? 美味しそうだけれど、高くつくのは遠慮したいなぁ…」

「大丈夫さ。コイツぁ領主様からの配給・・でタダで入ったモンでね。…おっと、だからっつても無料ってわけにゃあいかんがな、安くしとくよ」

 だが、ローブの男は少し疑問に感じる。


 マグノ磁嗅フィエム中魚は地上では高級魚の一つで、魔界でもそこそこの値になる体長60cmオーバーが当たり前の大きめな魚だ。

 そんなものを簡単に無料で配るなど気前が良すぎる。


「配給、ってよくこんないい魚を配れるもんだね。ここの領主さんは凄いんだ?」

「ああ、なかなかのモンだぜ。この魚にしてもなんかの施策の試しだかなんだかっつって、遠慮なく使って欲しいって回ってきてな。あんな可愛らしいお嬢ちゃんなのに、よく頑張ってくれてるよ。ホント俺たちゃ感謝しねーとなぁ、ハッハ」

「…。…ふーん」

 つい、素が出そうになるのを密かに戒める。


 有用そうな情報の香りが鼻をつくと、どうにも仮姿カバーを忘れそうになるのが彼の唯一ともいえる欠点だった。

 だがそれを自覚しているからこそ常に気を付けている、隙は生まれない。


 彼は魚料理に舌鼓を打ちながら酒場マスターとの世間話を続け、順調に情報を獲得していった。






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