第48話 第8章2 反撃の力


――――――ミミが囚われてより8日目。マグル村。


「っと、よし書き終わった。オレス村の中はだいたいこんな感じだ」

 元オレス村の住人が書き終えた村内部の地図は、正確に建築部や柵の位置が記されていた。しかし記した本人は暗い顔で一言付け加える。

「…けど、今は連中のせいでボロボロにされちまってるはずだからな。この図面通りじゃないだろうから、あまり役には立たないと思うぜ」

 悔しさで奥歯を噛み締める彼の肩を、ザードが軽く叩く。大きなリザードマンの武骨な手が、不思議な安心感を彼に与えた。

「なぁに十分さ。元々戦いってもんは、未知だらけの中でやるもんだからな。少しでも情報があるってぇのは、けっこうデカい事なんだぜ」

 それが慰めの言葉である事はわかっている。それでも少しでも郷里のために役に立てたのだと感じられたなら、彼の心は無限の悔恨より救われるだろう。

「それでだ。あのグレムリンの女は、オレス村から感じる気配は500前後だっつってたよな?」

 ザードの言葉に、その場にいる全員が頷く。

 傷だらけのゴブリン――ドン――と、スライムの少女(?)――ムーム――を抱えてやってきたグレムリン悪戯魔族は、ある程度の情報をマグル村の人々より聞き出した後、さっさと出て行ってしまった。

 後にムームの話から、魔界のお偉いさんに仕えている者だという事と、ザードをして一瞥で相当な強者である事が判明している。そんな彼女の言葉を信じるならば、敵の残兵は思いのほか少なくなっているという事だが…


「しかしのう…それでも500じゃ。こちらから攻めるにはまだ厳しいのではないか?」

 オレス村の村長は口ではそう言いはすれど、込み上げる感情を必至に抑えているようだった。本音でいえば相手がどれほどの頭数であろうと、すぐさま村を奪還したいに決まっている。

 それでも感情ではなく冷静な意見を述べられるのはこのマグル村、すなわち他所の村に世話になっているという認識があるが故だろう。自分達の村のために危険を強いるわけにはいかないと理解しているからだ。


    「…いや、攻める準備は始めるべきだと思うぜ」


 聞き覚えのない声に場の全員が振り返る。そこにはカラダ中に包帯を巻いた小さな亜人がまだ少しフラつく足取りで入室してきていた。

「ダメだよドンさん。まだ寝てないと」

 遅れてシャルールが会議室の扉を開けっぱなして飛び込んでくる。だが大丈夫だとドンは片手で制しつつ、人々が集っているテーブル付近へと足を運んだ。

 丸太をぶった切っただけの簡素な椅子。その中の1つに空きを見つけて上によじ登るも、しつらえの悪いソレは、ゴブリンの身体をグラつかせる。

「ドンドン、無理しちゃダメなのー」

 危なっかしさからシャルールが後ろに回るよりも先に、近くにいたムームがスライムの身体の一部を伸ばし、その背中を支えた。

「へぇー、そんなに伸ばせるんだ。便利なカラダだね」

 自在に変形し、伸びるカラダに感心されてムームは照れる。だがその一瞬の隙を待っていたように丸太椅子は再び不安定になり、ついにはドンを落下させた。

「おっとと! ほらぁ、危ないよドンさん? まだ動き回っちゃ」

「い、いや…そんな悠長に休んでもいられねぇんだ。連中が公文書まで好き勝手に使い始めた今、後手に回るのはよくねぇからな。オレスの村長さんよ、慎重になるのもわかるが、今回に限ってはそれじゃあダメだ。時間をかければかけるほど、面倒な事になっちまう」

 反乱軍が人々から強引に金品を奪う目的で用いている命令文書。それが偽造物である事はすでに皆の前で説明および証明済みだ。しかしそれを知っているのはこのマグル村にいる者のみで、領内の多くの人々は公文書偽造ソレの事を知らない。

 反乱軍が臨時徴収という名の強奪を繰り返せば、領主への不信が人々の間で高まってしまうだろう。

「(それは避けねぇといけねぇが…ただでさえ一部には復興の遅れに不満の声が出てたんだ、連中の思惑通りにノせられちまう人々も出てくるだろうな…)」

 その熱が広がって最悪の場合、反乱軍に領民が迎合するなんて事も考えられる。

 しかしそこまでいく可能性は低い。なぜなら反乱軍の面々はお世辞にも信頼に値するような行動や態度の者達ではなく、良識に基づくならば領主の権限を好き勝手に振りかざしている暴力集団、というのが人々が抱く反乱軍の印象となるはずである。なので安直に領主への不信には繋がらないはずだと今は信じるより他ない。


「(加えてこっちにも流れが出来つつある、ぼーっとしてるわけにはいかねぇ)」

 それは先日遭遇したグレムリンがきっかけだった。すでに彼女はこの村にはいない。

「連中から奪ったあの文書の一部、あのイムルンとかいうグレムリンが持って行った事も考えると、こっちも準備をはじめていかねぇと…あ痛…っ」

 よろめきつつも、シャルールとムームに支えられながらドンは語るのを止めない。傷の手当てを受け、静養したとはいえせいぜい2、3日程度。その傷口はすぐにでもまた大きな口を開けたがっている。

「………、ドンさんよ。攻める準備を始める事と、あのグレムリン女が文書の一部を持って行った事が、なんか関係あるのか?」

 戦闘者として戦場経験もあるザードは、ドンの傷の重さをこの場の誰よりも理解していた。にも関わらずあえて心配の気持ちと素振りを封じる。

 ドンに語るだけ語らせてさっさと話にケリをつける方が、結果的に彼を早く床につかせられるからだ。

「あのイムルンって女は自分の事を “魔界の偉いさんに仕えてる者” って言ってたんだ。今頃はあの偽造文書もろとも、そのお偉いさんとやらに伝えていると思う。地上に来ていてそのお供をしているような事も言っていたから、そのお偉いさんとやらがいるところも、そう遠くないだろうしな」

 他の村人達にはまだドンの言わんとするところが理解できていないようだが、ザードだけはなるほどな、とつぶやき、深く頷いていた。

「つまりだ、そのお偉いさんとやらが軍隊を起こすなり、政治的なやり方なりで連中を蹴散らす算段をつけてくるなり、あーとにかく何かしら動きを見せてくれるっつーわけだ?」

 話を手早く進めるべく補足を入れてくれるザードに、心の内で感謝を述べながらドンは話を続ける。

「ああ、その通り。その時にこっちの準備が整っていりゃ、オレらだってすぐに動きだせる。オレス村を取り返すのだって、こっちだけでどうにかしようとするよりかは、偉いさんの後ろ盾や助力を素直に受けた方が、被害も少なくできるだろうし、成功もしやすいはずだ」

 そこまで言って、ようやく村人達にも納得の声や態度があらわれだした。しかし同時に疑問も出てくる。

「ならさ、余計に急ぐべきじゃないんじゃあないか?? その“お偉いさん”とやらにあのグレムリンの女が報告したとしてさ、そこからどうするか考えたり、手配したりしなきゃいけないだろうから、時間がかかるんじゃあ?」

「確かに……けど、それならこっちも念入りに準備する時間があるって事でもあるよな?」

「おお、そうだな。武具もしっかりとしたものをこしらえて―――」

 村人達がワイワイと盛り上がり始めたところへ、しかしてドンが水を差した。

「いや、そんなに時間はねぇんだ。おそらくだが、1日…いや、下手すっとあと半日以内にはおっぱじまる可能性だって低くくないくらいなんだよ」

 それにはさすがにザードも目を見開く。村人達やシャルールも驚いていた。唯一ドンと一緒に、イムルンの実力の一端を垣間見たムームだけはドンが示した時間の根拠をある程度理解し、平静な表情でぷにんぷにん揺らめている。

「イムルンー、ものすごく足速いー。それにすごく強かったーのー」

 あの移動速度であれば、どこにいるかは不明だがお偉いさんとやらの元にとっくにたどり着いている可能性は高い。これは彼女の戦闘や行動を直接見ている者でなければ考えられないだろう。

「加えてだ。地上をウロウロする “ 魔界のお偉いさん ” が、単なる “ お偉いさん ” とは思えねぇからな…。あれだけの強さを持ったやつをお供にしているって事は、現地で独自に執政権を持った監査官か、あるいはあの・・巡武官の可能性だってあるかもしんねぇ」

 


 巡武官――――それは有能な兵士や士官が平時に与えられる任務として、各地を巡行し、その地で起こっている問題などに独自の裁量権とその地の領主並みの権限を有して当たる事を許されている、「特別巡行武政官」という特権を持った役職の略式だ。

 基本は旅人など普通の者を装い、必要に応じて身分や任務を明かして権限を用いては必要な措置を遂行する。選ばれる者は相当な爵位と実力を有し、魔王様直々の信頼を持っているのが当たり前。言うなれば諜報員と秘密警察と私服警官を兼ね備えたような存在である。

 地上においても噂レベルではあるものの、恐ろしく強くて誰もかなわないだとか領主すら魔王様を通さずにその場で解任できるほどの権限を持っているだとか、町や村を丸ごと消し去って、最初からなかったようにしたとか、これでもかというくらいに尾びれがつきまくっている状態で人々に知られている。

 だがその特性上、実際に 巡武官 を見た事がある者はおらず、噂話ばかりが先行している実態不明の存在である。



 ドンの言葉を受けて半信半疑にざわつく村人達。場をおさめたのはザードの一言だった。

「巡武官かぁ…そんなのが本当にいるってぇのか? だがそんなのが動きだしてるってんならよ、確かにドンさんの言う通り、すぐにでも準備をはじめておいて損はねぇな」

 イムルンという強者の力を、一目見ただけで見抜いたザードである。ドンの意見には根拠は薄くとも十分に納得できてはいた。しかしあえて疑問形を用いつつ、ドンの言葉も肯定して見せる事で、懐疑的な村人とドンの意見との橋渡しをする。

「うーん、確かにな。それにどのみちいつかはオレス村を取り返すために、行動しなきゃいけねぇもんなぁ」

「また向こうから攻めてくるって可能性もあるな。ならすぐにでも戦えるように準備だけでもしとくのは、なるほど最重要かもだな」

 やがて場は急速に即座の戦闘準備という方向にまとまってゆく。ドンは軽く目くばせをする事で礼とし、ザードは腕組みしたまま片手を挙げて軽く振る事でその返答とした。






―――――その頃、アトワルト領南東は領土境界線付近。


「ええい!! 怯むなァっ、我が軍の強さを見せつけてやれぃ!!!」

 ベッケスの怒号が飛ぶ。だが彼の軍は、その叫びの前後でなんら変わることなく同じ調子で戦闘を展開していた。


  ワァァァァァ!!!


 ガキンッ!! ガァンッ!! ドススッ! ズバァッ!!


「第一、第三騎兵隊へ。それぞれ敵側面へと回り込み、注意をかき乱すよう伝達」

「ハッ! 直ちに伝えてまいります!」

 落ち着いた口調で伝令に命令を伝えさせるはマグロディ=アン=ヴロドラスである。ナガン正規軍の細やかな行動を指揮するこの執事は、顔色一つ変えることなく悠々と戦場を眺めていた。

「…ふむ、この程度の相手では、2000も用意する必要はございませんでしたな、メリュジーネ様」

 すぐ横でとぐろを巻いた己の尻尾の上に腰を落ち着けている主を見上げる。表情に真剣みはなく、今にもつまんなーい、とでも言いだしそうな態度だ。

「つまんなーい! ちょっとは歯ごたえがあるかも、なんて思ってたのにぃ~。連中、この程度でウチナガン領に攻めてくるとか…馬鹿なの?」

ならず者犯罪者の集まりである事を考えますれば、もとより程度は知れております。兵達の方はまだ頑張って隊列を作っているようですが問題は……、随分と稚拙な采配でございますな、相手方は」

 メリュジーネも肯定とばかりにその意見に頷いてみせる。彼女自身はそんなに戦略や戦術に明るいわけではないが、それでも名門貴族の一端として多少の事は学んでいるし、戦況を見て理解が及ぶだけの知識も持ち合わせている。

 そんなお嬢様知識のみの彼女から見ても、敵―――ベッケス軍―――の弱さは一目瞭然だった。

「何あれ、わかりやすっ。場当たり的ねー」

 そう言ってケラケラと笑い飛ばした敵は、とにもかくにも戦線・・を維持する事に固執していた。一か所でも崩れる事、後退する事を許さないとばかりに、後方に位置している部隊を小分けにして補填していっているのだ。

「兵をすり減らすだけの運用方法ですな。あちらの指揮官は、そのうち数が足りなくなって総崩れになる事がお分かりになられていないようで」

 規模が小さいとはいえ一応は軍隊同士の戦争なのだ。決して油断していいものではない。特にロディ執事の性格からすれば、いかな相手といえどこういう場で気を緩める事はない。



 ズギャン!! ビュヒュヒュウンッ!! ドスッッ、ズバッ、ドカッ!!


 ワァァァァ!!


 そんな彼をして気を緩めさせるほどの相手―――ベッケスは、大いにイラだっていた。

「ぬぅうう! ぬぅうううっ!! うぬぅうううううっっ!!!」


 バキャッ!!


 もう何本目かもわからない、へし折った指揮棒を地面に叩きつけ、踏みつける。あまりにも悔しすぎて、歯茎から血がにじむほど激しく歯ぎしりまでしているその顔は、激情に塗れていた。


「(あーあ、こりゃ負けたな。…って、わかりきってた事だが、前線の連中は完全に貧乏くじだぜ、同情するよ)」

 ベッケス軍の陣容はいたってシンプルだ。南北を山に挟まれた中、この比較的ひらけている場所で三重の隊列をもって壁を成し、敵軍を通さない対前方防衛に特化した形である。

 ところがこの陣形を取るにあたってそもそもがならず者達の頭数が足りていない。なので壁とはいってもスカスカで、被害が大きくなるにつれて壁は萎縮し、南北の端は山の麓より離れ、中央へと寄っていかざるを得なくなっている。

 結果、敵の小隊に回り込まれ、前方からのみ受け止める強固な陣形のはずが、今となっては完全に3方向を囲まれるカタチとなってしまっていた。

「(そろそろ潮時だな、こりゃ…)おい、お前ら」

 言葉を投げかけられた傍に控えていた者達は、無言のまま頷いてポールに巻いて仕舞っていた小ぶりな旗を取り出す。本来は離れた味方への伝達手段として持たされた手旗信号用のソレは、いまだかつて一度も使われてはいない。

 隊長であるベッケスは知識こそ多いものの、結局はそれを実践で活かせない。ハンドシグナルや手旗信号といった術を部下に押し付けても、いざ実戦となると感情が高ぶってしまい、目の前の事に精一杯でころっと忘れてしまっているのだ。

「まさかこんな目的で使う事になるとはなぁ…、よし…いまだ、振れ!」

 彼らは、すでに示し合わせていた。当然ベッケスはこの事・・・を知らない。だが彼らに隊長を裏切る罪悪感はない。所詮はならず者の浅き縁と言ってしまえばそれまでだが、もうついていけない、というのが正直な感情だった。


「あら?」

 メリュジーネは目を細める。蛇の股あたりがとぐろの上で伸び上がり、彼女の上半身を高い位置へと押し上げた。

「いかがなさいました、メリュジーネ様?」

「……ロディ、崩れだしたわよ。それも“壁”の方より、内側の方が脆かったみたいね」

 言われてロディも目を細め、敵陣を注視した。

「…なるほど。これは思惑、進軍が捗るやもしれませんな。グーラプー、これへ」

 ロディが呼ぶと、すぐさま待機していた家臣団の列から一人が歩み出てくる。そして恭しく膝まづくいた。

「ホッホー。敵最前列の突き崩し、でございますね?」

 先行部隊の隊長として、領土境界線の前後で敵を引きつけていた梟獣人ワーアウルは、したり顔で述べる。この状況下でいただく命となればそれくらいのものだ。

「ええ、それでこの戦いは終わる事でしょう。散り散りになった者達は別の小隊に狩らせてゆきます故、貴方の隊は任務完遂後、そのまま取って返して構いません」

「ホッホー、了解いたしました。では早速に取り掛かる事といたしましょうぞ」

 グーラプーなる梟獣人は、異を唱えることなく自分の隊へと走っていく。彼の部隊は敵の足止めのため先行して戦闘を行っていた分、疲労が蓄積しているが、崩れだした敵を完全に突き崩すひと押し程度ならば問題なく行える。

 メリュジーネ率いるナガン正規軍は全部で2000の兵力だ。可能であれば疲労や損耗を分散させずに一部にまとめる事で、今後に向けた戦力維持に努める。もちろん被害を最小限に抑える事は大前提だ。

「あの梟ちゃん、なかなか優秀じゃないのー」

「ええ、グーラプーは頭の回転よく、戦況も読める者ゆえ、あらゆる任に耐えられますれば、重用に足る臣下と言えましょう」

 メリュジーネを前にして高い評価を口にするのは、今回の働きに対する賞与の一環だ。今後も活躍の場を与えられれば、より地位や恩賞を望めるようになるがゆえに、部下の活躍をあるじにアピールするは大変に有効な事であった。





――――――ハロイドの町。


 日が軽く傾きはじめ、赤焼けが町を照らしはじめた頃、町ではちょっとした騒ぎが起きていた。

「…ん、むぅ…、何やら騒がしいのう」

「あ、町長! 目が覚めましたか、大丈夫ですか、お体は??」

 町の若者がついてくれていたらしく、心配そうに覗き込んでくる。ワラクーンの町長はその小柄な体をコロンと転がすかのように起き上がり、軽く左右に身を捻る。

「ふむ、だいぶ楽になっておる。やはり強力な魔法は負担が大きかったのぅ」

 若者の心配を拭うように笑って見せ、そして息を吐き出して改めて喧騒聞こえる家屋の外が気になり、窓へと視線を向けた。

「また敵が攻め寄せてきたのかの?」

「いえ、そうではないんですが……」

 言いよどむ若者は、何か言えない事が…というよりはどう説明したものか困惑しているようだった。その様子から町に直接害が及ぶ類の話ではないが、良い話でもなさそうだと、町長は察する。

「とりあえず、様子を見に行かねばのっ」

 ベッドから飛び降りると、町長は歩き出す。壁に立てかけてあった杖を見つけて迷わず手に取ると、家の扉を開けて外へと出た。

 見慣れた町中だが、見慣れない喧騒が町長を出迎える。どちらも小柄なワラクーンとボブドルイドの我が血が恨めしい。人々の様子を伺うには彼の視線はあまりにも低かった。

「無理しないでくださいよ町長。失礼」

 若者が町長を抱えあげる。そして人々をかき分けるようにして、喧騒の中心へと移動していった。


「ううむ、どうしたものか?」

「少年の話じゃ、領主様は下手すりゃ今頃、もう…」

「いやいやいや! それは悪く考えすぎだって! もうちょっとポジティブにさ!」

「そうは言ってもなぁ…もしホントに領主様が奴らの手に落ちたってんなら…」


 ハロイドの町、一番の広場。噴水の水が止まって久しいその場に、多くの住民がたむろし、議論を白熱させている。意見こそ様々ではあるものの、すべてが同じテーマであるらしい。そして、その最中心にいたのは年端もいかぬ少年だった。

「見かけぬ顔じゃのう。他の村から来たのか?」

「あ、町長!」「町長だ」「町長、もう起きて大丈夫なのかい?」

 少年に話しかけると同時に返ってきた言葉は、周囲の住民達からだった。自分を心配してくれるのは非常に嬉しくはあるが、まずこの喧騒の大元とおぼしき少年の話を聞きたくて、若者の手から飛び降り、ハロイド町長は少年の下まで歩み寄った。

「あんたがこの町の一番えらい人? …うん、おいらはイケ村から来たんだ」

 少年はどこか困惑気味だった。おそらくは住人達の喧騒にまさかこんなにも大事になるとは思ってもいなかったのだろう。まだヤンチャそうな年頃ながら、場の雰囲気に対して委縮してしまっている。

「イケ村…そういえば南にある小さな無名の村じゃったか、最近村名が決まり、正式に認可されたとかいう」

「うん、そう。…えと、町長…さん? 話を聞いてほしいんだ。大変なんだよ、領主さまが…領主さまが」

 少年は、イケ村にやってきたバランク一味のこと、そして連中とのやり取りと、その最中に覗き見えた情報を、ハロイド町長に話す。

 町長の周囲にいた者達も既に聞き及んでいる話に改めて耳を傾けるが、その表情はどんどん苦いものへ変わっていった。

「聞いたろ、町長。この地はどうなっちまうんだこれから…」

「領主がならず者に囚われたんじゃ終わりだろ。どうなっちまうもねぇよ」

「けどよ!」「…だが」「そりゃお前っ」

 人々が喧騒へと戻りかけたその時、町長は深く息を吸って、吐き出すと同時に叫んだ。

「ええい! うろたえるでないっ!!!」

 ビリリッとした空気の移動が、全員の頬を撫でる――いや、叩く。

 一瞬で静まり返った場で、町長は静かに、そして改めて口を開いた。

「予定通りじゃ。領主様が想定されておられた通り…何も変わりない。それにじゃおぬしら、忘れておらぬか? わし等は先の戦いにも勝利した、少なくともこの町に憂いはなかろうて…わかったら、みっともなく騒ぎ立てるでないっ」

 町長の言葉で、場はようやく落ち着きを取り戻しはじめる。だが今度は別の意味で熱を帯び始めた。

「…そうだよ、俺たち連中とやりあって勝ってるんだ。俺たちで領主様を助け出しにいけないのか?」

「! 確かにそうだっ、敵がやってくるのを待つより、いっそこっちから…」

「ありだな! 俺たちならやれるんじゃ?!」

 そんな人々の様子に少年はあまりの事にポカンと口をあけている。町長は頭を抱えたい思いだった。


 ハロイドの住人達は、良くも悪くも単純なところがあり、+にも-にも振れやすい気質の者が多い。先だって領主ミミを見くびって思い上がり、独立性を保とうとしたのも、住人達のそんな特性が悪い方に傾いた事が発端だった。

 当時は彼らの舵取り役が事実上不在であり、悪い方向へと煽る者が多かったため、その結果は散々なものとなってしまったが、今回は正式な町長として自分がいると、ハロイド町長は己の役目を再確認して再び彼らに喝を浴びせかけた。

「調子づくでない!! 勇ましい意見をのたまうは一向に構わぬが、現実が見えておらんその場の勢いだけの方策など、不幸しか呼ばんわ!」

「け、けどよ町長…。前の戦いだって勝てたんだ、俺らだってやれる―――」

「先の戦闘は、我らに地の利があり、防備もしかと整え万全の態勢で敵を待ち受ける事が出来た。加えて領主様が強力な魔法を施しておいていただいたが故の勝利…。こちらか攻めるとなれば、それらの恩恵には一切あずかれんのじゃぞ? そんな戦いを行えば確実に死人が出る…それはおぬしやもしれんのじゃぞ、それでもよいのか? 戦って死ぬ覚悟はあるのか?」

 その言葉にさすがに彼らも押し黙ってしまう。実際問題、先の数度の戦闘においても彼らはその血肉を犠牲にしてはいない。しかし勝利した。一切のリスクを負う事なく結果を得られた事で、酔いしれた自分達の力を見誤っていた事くらい、さすがに理解できないほど愚かではない。

「それでも…」

 だが、一度付いた火は簡単には消えないものであるのもまた事実である。

「それでも町長、俺たちはやるべきじゃないか?」

「だってさ、だって…俺ら、散々領主様に迷惑かけてさ、にもかかわらず町を守れるように計らってくれてさ……俺ら、領主様にまだ、なんも返せてねぇんだ」

「そうだ! 仇を恩で返してもらって、その恩に報いなきゃ、俺らはなんなんだってもんだよ!!」

 食い下がってくる住人達の、その気持ちはわかる。しかし町長の顔は難色をしめしたままだった。

「落ち着かんかみな。……なんでも物事は短絡的に考え、行ってはならん。この町より領主様をお助けせんと打って出たところで、かの御方の下まで届く前に全滅してしまうわい」

 少年の話からすれば、領主ミミが囚われているのはドウドゥル駐屯村でほぼ間違いないだろう。そうなるとハロイドからは結構な距離がある上に、間には敵に制圧されているシュクリアがある。

 あくまで一般人な自分達だ。戦いにはどうしても数も武装もいる。しかしシュクリアをスルーしようにも、それなりの数の集団が移動していたら怪しまれる事は確実。

 かといって駐屯村にたどり着く事を優先し、小人数で向かったところで、戦力は足りず、返り討ちにあうに決まっている。

「…なぁ、町長のオッチャン。ほかの村や町は? イケ村だって無事だったんだ、ほかにもヤなやつらのいないトコロはないのかな? そういうトコとさ、協力できたらなんとかなるんじゃないか??」

 少年の一言で、町長の思考に光明が差した。とはいえそれは折衝案といったところであり、絶対的な手立てというわけではない。しかし熱さめぬ者達をある程度落ち着かせるにはそれなりに有効であろうと、町長は胸中に沸いた1案を語り出した。

「少年の言う通りじゃな。…無事な町や村とまずは連絡を取り合ってみるとしよう。まずは連中の侵攻を受け取らん所を探すところからじゃ。そうして味方を確かなものとし、その上で改めて攻勢に打って出られるか否かを考えるのがよいじゃろう」

 もしも他のすべての町や村が制圧されていたらそれこそ最悪だが、反乱軍の狙いこそ不明なれど仮に町や村を全て支配する事だった場合、他所が制圧済みであればこのハロイドにはもっと多数の敵が押し寄せてきてもおかしくない。それがないという事は、他でも抵抗し、戦っている町や村がそれなりにあるはずだった。

「(ふー…それも希望的観測になってしまうか。難儀な事じゃが…)」


  ―――― もし私わたくしの身に何か起こりましても ――――


 かつてのミミの言葉を思い出す。まるで自分の身に不幸が起こる事がわかっていたかのような言葉。それだけで領主様は何かと対策や対処を考えておられたと信じるには、盲目的だとは思う。それでも町長は、今はあの言葉の裏に隠された、現在の状況を覆す何かを考えていらっしゃるに違いないと信じることで、一つの町の長たる立場を堅持し、人々を制して導く者としての責任感と志を保っていた。



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