第37話 第6章4 意義ある足掻きー奪われた者達ー


――――領主館前。


「はぁ、はぁ、はぁ…、なんてこった…領主さま、イフスの姐さん、メルロ…ッ」

 ガドラ山の隠れ里から駆け下り、サスティ脇を見つからぬよう慎重に通過し、行きも通った最短距離の獣道を通って、息も絶え絶えにようやく帰って来た領主館。

 ゴブリンの瞳に映る久々の光景は散々たるものだった。


「……くそっ! 今、今オレがっ、うおおおっ!!」

 館が攻め落とされ、領主様が捕らわれた―――アレクス達が発した報は、ガドラ山に退避した彼らにも遅まきながらに伝わった。群集が動揺する中、ただ一人いてもたってもいられずに駆け出した小さな影は今、館を前にして拳を握り締め、ワナワナと震える。そして、無意識の内に走り出していた。

 外観からは、攻撃による損傷が随所に見受けられ、周囲には敵とおぼしきならず者達の死体がまだ転がったままだ。

 生きている連中が館の周囲を警戒し、玄関口には5人ほどが門番がわりにたむろしている。

「(っ! 2Fにも5、6人…こっちに気付きやがったな。この分じゃ中にもっといる…)」

 窓からこちらをうかがっている連中は当然知らない者ばかり。それも人相からして、当然ならず者の類である。

 そこまで考えて、彼はギリリッと強く歯ぎしりした。それは踏みにじられた事への怒り。そう長い時間を過ごしたわけではないが、自分達を受け入れてくれた領主様の住まいを蹂躙されては、不幸な半生を彷徨ってきた小さな亜人の恩義と忠義が黙っていられるはずがない。

 サスティの防衛戦で見せた冷静な思考や戦略眼は隅へと押しのけられ、爆発するような感情の渦が、彼の精神の大半を占めていた。


「ん? なんだ、アイツ…ゴブリン? 仲間…じゃねぇな、見たことない顔だ」

「こっちに向かってくんぞ。なんだぁ?」

 面倒な門番を命じられ、不真面目にくつろいでいる連中は完全に油断していた。たかだかゴブリン1匹が突進してきたところで、一体何を恐れる理由があるというのか? 他の部隊からの伝令か何かだろうと気楽に思い込む者すらいる、そんな中へ…


 ヒュッ! ドッガァ!!!


「ゴホッブッ!?」


 彼は手前でさらに加速し、勢いのままに飛び上がり、槍の柄を思いっきり連中の一人の顔面に叩き込んだ。

 すでに大穴の開いている玄関扉にぶち当たりながら中へとなだれ込むと、ゴブリンはすぐさま体勢を立て直し、槍を構える。

 2Fから駆け下りてくるは10人。今しがた突入した玄関から5人。玄関ロビー最寄の、左右の部屋からそれぞれ騒がしくも4、5人が飛び出してくる。

「(……ざっと20人か。へっ、上等だっ!!)」


「なんだてめぇは!?」

「ゴブリン風情がいい槍もってんじゃんよー。ハハ、そんなお子ちゃま用を振り回してどうしようってんだぁ?」

「殴り込んできたっつーことは、領主側の野郎ってことで間違いねぇよなぁ?」

「ケケケ、暇してたんだ、ちょうどいい。小ぶりの獲物だが…せいぜいなぶってやるぁっ」


 前後左右を完全に囲まれた。だがゴブリン――ドンは、口元をしくじったと歪ませるどころか、したりと笑みをこぼす。

 確かに敵は多く、圧倒的に不利な状況だが、“ まだ ” 油断してくれている。何より己の内の、とどまりそうにない怒りをぶつける相手が、今は一人でも多く欲しかった。


「うおぉぁあっ!!」


 ドシュッ!! バグゥッ!!


 シンプルな咆哮と共に、真っ直ぐに突き出した短い槍は、正面の一人の太ももを貫通し、そして肉をえぐって弾き飛ばす。

 突いて、薙ぎ払う。それによって受けたダメージの重さを、当の敵本人は、数秒を要してようやく理解し、絶叫しながら床を転げまわった。

「や、野郎!!」


 ――剣が来る。間合いから考えて、左の奴が振り下ろしてくる。


 フゥンッ! ガッ


「なっ!?」

 空をきり、硬い床に切っ先を埋めた剣は、直ぐには抜けない。おそらく力を込めれば1、2秒程度で引き抜けるだろうか。それだけの時間があればドンには十分だった。


 ズガドッ!!


「わかりやすいぜっ、動きが!!」

 剣をかわした体勢から、全身を半回転させたドンの打ち込み。槍の穂先の付け根あたりが男の顔面を横から打ちのめし、たまらずその手から剣が離れ、敵は床を1回転してもんどりうつと、片膝をついた状態で耐え止まった。

 いくら四方を囲まれているといっても、敵とドンの位置関係は常に変化する。とりわけ、武器を主たる攻撃手段とする場合、距離感というものは非常に重要だ。

 いかに力任せの粗暴な戦い方のゴロツキ達といえども、武器の扱いに関しては否応ナシに最適なことわりの上で振るう事になる。

 何せ常に生き死にがかかっているハードなお仕事犯罪が生業の奴らだ。生き延びるためには、自然と戦う術に関しては長けてくる。

 ある程度は我流であっても、基礎的な部分はまさに教本通りなのだ。それはドン自身、彼らと同じ暗がりの住人であったからこそ、よく知っている事。


 相手がどう動くのか、どいつが動くのか、タイミングは?


 分析し、それだけ察する事ができれば、いかにゴブリンが種族的に劣る部分が多かろうとも相手の動きを見切った上で自分の動き方さえ間違えなければ十分だ。それに加えて、戦い方で相手の上をいく技術と判断をもってすれば、種族差など関係なく連中は、ドンにとって勝てない相手ではなかった。


 ブオォォ…バシンッ!!


 柄による強打、からの…


 ゴッ!


 槍を軸にしての回し蹴り。


「ぐっ、が! …こ、このチビがっ」


 右から迫ってきていた身長2mほどのドラゴマン。確かにそれと比べれば、子供ほどの背丈であるドンはチビだろう。だが、この体格差だからこそ、ドンは素早くしなやかな動きを持って、優位に攻撃を続ける事ができる。

 クルクルと回転し、時には反転して右から、左からと打撃や斬りつけを連続で繰り出し、体格で勝る敵を痛めつけてゆく。

「うおらあ!」


 ゴオォッ!!


 振り下ろされてくる木製の、しかし打面を厚手の金属で覆っているハンマー。しかし…


 …トンッ


 ガカァアンッ!!!


「いくら死角っつっても、大振りがそうそう当たるもんかよ」

「ぬぐうう! ゴブリン風情がっ」


 慌てる事なく、ワンステップでほんの30~40cm程度を移動するだけで、簡単にかわせる単調な攻撃は、ドンがいた床を破砕し、その威力こそ確かなものを示した。だが結局は当たらなければ意味がない。

「そらよっ、攻撃ってのは…こんくらいは鋭くなきゃなっ!」


 ビュビュビュッ……ドドドスッ!!


「くはぁっ!! …ぬく、そんな棒っきれのような槍如きでぇっ!」


 高速の3連突き。しかし1発1発は浅い。だがそれでいい。下手に深く突いて、骨や筋肉に挟まり抜けなくなると、この包囲状態では危険だ。

 むしろ浅くとも着実なダメージを与える事で、敵の戦闘力を低下させる。事実、ドンが突いたのは敵の腕。重いハンマーを十全に振り回すには両腕は不可欠ながら、その片方が負傷したとなれば、もはや渾身の攻撃を繰り出してはこれないだろう。

「…戦闘じゃあ欲かきすぎると、致命的なミスしちまいかねないんだ、もっと慎重に立ち回りなよデカブツ」


 …が、あまり調子に乗ってもいられない。


「っ! こいつ、結構やるぞ!」

「気ぃ引き締めろっ、一斉にかかれっ!!」


 荒事に長けているからこそ、思わぬダメージを受けた時は、その気持ちの切り替えも早い。ならず者達の数少ない長所といえるだろう。

 だからこそ、ドンはここらが潮時と判断する。飛び掛ってきた複数人が互いにぶつかり合うようギリギリのところでかわし、その股下を抜いて階段へと走りだす。

「なっ! こいつっ、待ちやがれ!!」

 切り替えが早いのは敵ばかりではない。対多人数戦の中で、ドンもまた怒りに任せた感情だけの精神に歯止めをかけ、徐々に冷静さを取り戻しつつあった。

「(メルロを…領主さまを…、イフスの姐さんを……。…とにかく一人でも多く助け出す…それが今、一番優先しなきゃなんねぇ事だ)」 

 館の中に、一体どれだけの敵がいるのかわからない。ましてや領内全体に連中が跋扈しているとなると、他所から敵の増援がやってくる可能性も低くない。

 全てをぶちのめし尽くす―――そんな真似ができれば最高なのだが、さすがのドンも、自分がそんな真似ができるほどの強さを持ち合わせていない事くらいよく理解していた。

「(……ザードなら、やれそうだな)」

 階段をかけあがりながら、遠くマグル村にいるであろう知人を思い出す。あるいは今後、彼に助けを求めるのも悪くはないだろう。

 だが今はどこからも助けは望めない。ドン一人でやれる限りを、一人でもいいから助け出す事に全力をそそぐ。

 …もっともこの館の中に、ミミもイフスもメルロも既に居ないという事を、彼は知る由もなかった。






――――シュクリアから10km北の街道途上。


 疾走する5つの影は、時速にして50kmほどで南下している。彼らにしてみれば全力とまではいかないにせよ多少急ぎで、という程度のスピードだった。

「オレス村の工作ですが…本当にアレでいいんですかい、お嬢?」

 随行しているハーフハウンド半身猟犬の元ならず者がその脚を止める事なく訪ねてくる。

「ええ、かまいません。敵に見つかる事は避けたいですし、欲張って全てが台無しになっては最悪ですから」

 随行する元ならず者達が高速で脚を動かしているのに対し、ミミは1歩1歩のステップを強く踏みしめ、軽やかに低空を疾走していた。これが平和で穏やかな日であったならば、ホップステップジャンプとお茶目に振舞いたいところだが、残念ながら事態は差し迫っている。時間的余裕はなく、もはや数秒とて惜しい。

「なるほど…さすがは姐様だ!」

 反対側を随行しているワーウルフ狼獣人は、ほぼ獣の姿になって四足走行で併走している。

 彼らを伴うようになってからというもの、ミミは不思議と気持ち重圧が軽くなったような錯覚を感じていた。その理由は…

「(…うん、別にどう呼んでくれてもいいんだけどね、なんか面白いなぁ)」

 元ならず者達がミミを呼ぶ際、その呼称に仕方がそれぞれ違うのだ。それがなんだか面白くて、余計な緊張がほぐされている気がした。特にワーウルフという存在が共にいる事が、彼女に懐かしさと安心感を与えてくれた。

「(うーん、事が落ち着いたら、大公エロジジイにちゃんとした手紙書こう…皆も元気かなぁ?)」


 一応は、今回の騒動のシメのカード切り札に、最悪の場合利用させてもらうつもりでいる恩人(?)の顔を思い出し、苦笑する。

 トクンと熱くなるお腹。ミミにとって、最良と臨む切り札が “ 成功してくれれば ” それに越したことはなかった。

「(そもそも、人材は平時の領地経営ですら足りていないし、お金もない。しかも大戦の直後で、持ち出し一方な状況で、これだけ捻りだせただけでも奇跡に近いよ……はぁ…)」

 彼女としては、まさに雑巾を最後の1滴まで搾り尽くしてなお搾る思いで、今回のハプニングに対していた。

「(しかも、それでも間に合ってないし。はー…やっぱり最後の最後は、ギャンブルだなぁ… “ 三重 ” で準備してはみたものの、全部リスク高いまま不完全だし、最悪逆効果でカオスな事になりそうなのが…。うー、せめて事が1年先に始まってくれてたらなー…)」

 いつかはこうした、自分に対する反乱なりが起こる事も赴任する上で想定はしていた。だがそれは、あくまでも “この先、こういう事も起こりえるだろう” という予想と可能性の話に過ぎない。

 領主という身分にあって、起こる可能性のあるハプニングの一つとして考えにあがっただけで、現実にそれに対して前もっての備えがいかほど用意できるかといえば……

「うん、ハッキリいって無理だよね」

「は? 何がですお嬢?」

「ん、独り言。この後の予定とか、もうちょっと詰められないかなーっていろいろ考えてただけ」

 そうこう言いながら走っているうちに、シュクリアの外壁が一同の視線の先に見えてきた。

「次が最後の仕上げになるから、よろしくお願いね。もちろんここでも見つからない事が最優先だから」

『了解ッス、アトワルト様っ』

 すぐ後方から元気の良い返事が返ってくる。ややブレた声色が少々不気味ではあるが、珍しいシャドウデーモン影に潜む悪魔がミミの落とす影の中からその瞳をやる気十分とばかりに輝かせた。

「(シャドウデーモンなのに、あの魔法に飲み込まれたのって、なんか可笑しい…)」

 自分が仕掛けたものではあるが、思い返してみると不思議で笑えてくる。シャドウデーモンは、あくまで他人の影に潜む事ができる能力を有しているだけで、基本は悪魔族の亜種に過ぎない。実際、影から出てくるとその見た目は、個体によって幅広い外見が見受けられる悪魔族といえどもその範疇におさまるものだ。

 今はミミの影に潜んで共に移動している。

「…同じ速度で移動できるわけだから、速く移動できる影の主がいれば、とても便利だよね」

『へへへ、そう言ってもらえると嬉しいッス! でも、ちょっとタダ乗りしてる気がしないでもないんで、そこらへんはちょっと良心が咎めるッス!』

「良心があったのか」「こいつぁ驚きだな」

『ひどいッスよ! 俺たちは心を入れ替えた仲間じゃないッスかー! そ、そりゃあ以前の俺たちなら、良心なんて鼻で笑ったかもしれないッスけど…』

「違いない…」「だな。だがこれからは違うぜ」

「おうとも、まずは僅かばかりの償いだ、しっかりとお嬢の役に立つぞ!」

『「「おう!(ッス!)」」』


 笑っては悪いとは思いつつも、後ろから聞こえてくる彼らのやり取りにミミは苦笑してしまう。とてもこれから、リジーン軍が占拠している町に潜入しようという一行だとは思えない良い空気を感じる。だが気を引き締め直し、目前に迫ったシュクリアの外壁を観察しながらミミはゆっくりと口を開いた。

「…これから最後の仕上げにかかります。皆さん、今回の仕掛けは今後、この町を取り戻す時のための事前準備です」

 外壁付近に、敵の監視なりはいない事を確認すると、ミミはそのまま壁の落とす陰に入り、背中を外壁に付けて話を続ける。

「そして皆さんには、それを然るべき方々に伝えてもらう事になりますが、今後の状況次第で、伝える相手が異なります。少し複雑で難しい話になりますので、しっかりと覚えてください…状況判断と正確な伝令が肝要になりますから」

 後に続いていた彼らも、ミミにならって外壁に背をつけて止まる。そして彼女の言葉にハッキリと、しかし衣類の擦れる音一つ立てないように静かに頷いた。

「…では、シュクリアの中へと潜入を試みましょう。まずは、ここでの行動を成功させなくては意味がありませんから」





―――――領主館2F廊下。


 ゴッ…ガァンッ!!


「げはぁっ!! ……がっは!」


 ゴブリンの小さな体躯が吹き飛び、壁へと打ちつけられる。その衝撃でモロくなっていた窓ガラスが軽く割れ、小さな破片が降り注ぎ、彼の身に数箇所の切り傷を添えた。

「ふむ、…なかなかに出来る。いい動きだ……ゴブリンにしては、だがな」

 アレクスは、突き出した拳をゆっくりと引き戻すと、軽く肩を回して二の腕より力を抜いた。

 館を占拠する、およそ60名の部下。その全てを振り切って立ち回ってきたドンだが、獣人としてゴロツキ達とは一線を隔す実力を持つアレクス相手にはさすがに歯が立たなかった。

「くぐ……、て、め…、ぇ…」

 強烈な数発の打撲と、ガラス片による切り傷。会敵よりわずか十数秒で負ったダメージ量。本能がドンに全力の逃走を促す。

「はぁ、はぁ、はぁ……く、う…」

「それ以上はやめておけ。実力差がわからんほど、未熟でもあるまい」

 理想と高潔を旨として生きるアレクスが、欲と暴力にまみれたならず者達を今だかろうじて束ねられているのは、他でもないその強さにあった。

 社会のはみ出し者たる連中は、シンプルな力の秩序に特に従う傾向がある。アレクスはこと1対1であれば、あのバヴォックさえも戦いを避けるほど、組織の中では絶対的実力の持ち主である。

 いかにドンが、並みのゴブリンよりも腕っ節に自信ありのツワモノとはいっても、真正面からやりあって勝てる相手ではない。

「てめぇ…が、はぁはぁ、ボス…か…? ぜぇはぁ、ぜぇ…領主さまや…はぁはぁ、イフス姐さん、…それに、メルロは…っ、はぁはぁ、ぐ…っぅ」

「ふむ、貴様…領主の兵か? …それらの名は、確か雇用者リストに見覚えがあったが…」

 不意にアレクスは考えるように自身のアゴ髭に触れる。ライオンのような鬣の持ち主ゆえ、それが本当にアゴ髭なのかは判別しづらいが、構えを解いたその体勢は

「…隙だらけだぜっ!!」


 ビュオッ!!


「ほう、そう見えるか?」


 飛び掛ったドンの槍の横薙ぎは、アレクスの頭部に触れる事なく空をきった。


「っ!!」


 ズムッ………ドカッ! ダンッ、ゴロゴロゴロロ……


 小亜人の腹を、彼の体躯以上に太ましい脚による膝蹴りが襲い、そのまま蹴り上げられる。ドンは天井にぶち当たり、反射して床に打ち付けられて絨毯の上に血を撒き散らしながら転がった。

「よい腕だ。私でなければ、頭が上下に別れていたであろうな」

「ゴハッ…ぜぇぜぇ…ち、くしょ…う…が……。…メ…ルロ……」

「……名はわからんが、ツインテールのメイドらしきものならば、バランクの奴が…部下の一人が支配下コントロールにおいていた。領主ならば既に別の場所へと送り出した後だ。その二人以外は遭遇してはいないが…この館の中、他は見当たらなかったがな」

 アレクスとしては、バランクに対する鬱憤を少しでも晴らすつもりで、ついドンに語る。いまだ彼の中ではバランクの存在は面倒で厄介、かつどこまでも自分の矜持にそぐわない獅子身中の虫なのだ。

 対してドンは、一瞬喜びかけた。少なくともメルロは無事なのか、と。だがおかしい事に気付く。


 バフォッ!


 それ以上は語る事はないとばかりに、アレクスは高速に繰り出した拳圧による衝撃波を放つ。当たってもダメージを与えるほどではないが、一瞬でも敵の身動きを封じる小手先の技だ。

「ちぃっ」

 だがドンはその危険さをよく理解していた。強者を相手にした戦いにおいては、たとえ0.1秒であろうとも動けなくなるのは死活。事実、衝撃波の後からアレクス自身が次の攻撃を叩き込むべく間合いを詰めてきていた。ドンは横っ飛びに回避し、数回転がった後、すぐさま両腕で可能な限り自身の前を広くガードする構えを取る。


 ゴッ!


「咄嗟の判断力といい、その傷での動きの良さも目を見張るものがある。が…悲しいな」


 ビキィッ


「ぐぁあううッ!!」

 骨にヒビが入る衝撃。当然だ。

「体格差からくる質量差。加えて、身体能力の差は埋めようがない。諦めろ」

 いかに優れた防御体勢をとったとしても、アレクスほどのパワーに対してゴブリンの体はあまりにひ弱だ。自身の腕の向こうに接する敵の拳の、なんと大きく迫力に満ちている事か。

 折れそうになる心を奮い立たせんとするように、ドンは両腕を振るってアレクスの拳を弾き、間合いを取った。腕だけではない。体の隅々が悲鳴をあげている。だがそんな事はどうでもいい。今のドンには、一つのある懸念しか頭にない。

「(メルロが一人でどっかに出かけている? ありえねぇ…、――まてよ?!)」 

 不意にフラッシュバックする記憶。メルロは…メイド服だけでなく、ワラビット族のアクセサリーを付けていた、と。


「はぁ、はぁ…一つ、聞きてぇ……ぜぇぜぇ…、その “ 領主 ” は、…げほっごほっ……、髪色が緑で、メイド服を着てたんじゃあないのか?」

「? そうだが…なぜそのような事を聞く? しかし姑息な話だ、メイドに扮して難を免れようとするなど…」

「(やっぱりだ。それは領主様じゃあねぇ! メルロだっ! …く、うう…なんて、事して…)」

 おかしいとは思っていた。なぜワラビット族のような耳や尻尾のアクセサリーを、メルロが選んだのか? なぜ普段から身につけていたのか?

「(メルロはメルロなりに…、自分にできることを考えてたのか)」

 影武者―――とまではいかなくとも、敵を一時でも惑わし、領主に危害が及ぶ危険を減らす努力。しかしそれは身代わりであり、もしもの時の代償は高くつく。メルロもそれは分かっていたはずだ。なのに……


 拳を握る。強く、血が滲むほどに。

 眉間にシワを寄せると、ドンは床を舐めるような低い姿勢で飛び出していた。

「うらぁああぁ! オレがコンナトコで、ツカレテちゃアなぁアぁッ!!」

「ぬっ!? まだそこまで動けるのかっ」


 ビシュッ!

 ガズッ!!!


 槍の穂先がかろうじてアレクスの脚を掠めた刹那、ドンの体が蹴り飛ばされる。


 ガッシャァアン!!!


 そしてゴブリンのカラダは、窓の外へと放り出されていった。




――――領主の館前、300m地点


 ヒュウウウウ……ン……ドバチャァッ!!


 雨降りの中、それは水溜りではなかった。青く透き通った、水よりも弾力のある感触が傷ついたドンの身体を包み込む。

「…ふー、ナイスキャッチなのー」

「お、お前は…? …はぁはぁ、はぁ…す、スライム…族……か…?」

「うんー。ムームは、ムームなのー。だいじょぶゴブリンー?」

 なんとも緊張感のない言葉使いに、ボロボロのドンは無自覚に笑みをこぼした。

「だ、大丈夫かどうかって言われるとな…はぁ、はぁ…大丈夫じゃあないな…は、ははは」

 鎧は砕け、槍はどこかへと吹き飛んだ。その身は打撲と切り傷に加えて無数の出血。さらには内蔵も痛めているのだろう、腹の底から血の味が駆けあがってくるのを感じる。

「ゴボッ…ゲホッ、…す、すまねぇ…血…」

 堪えられなかった吐血が、ムームの青い体を赤黒く汚す。だが彼女は平気なのーと言って首を横に振った。

「…おめぇ…なんで、ゲホッゲホッ…助けてくれたんだ?」

「んー~…。ムーム、ずっとアレクスの近くいたー。領主、わるものだーってー。でも」

「でも?」

「アレクスのまわり、悪いカオした奴ばっかりー。ムームが思ってたのと違ったのー。だからムーム、もう別のとこ行こうとしてたー。そしたらゴブリン、お空から降ってきたのー」

 やや言葉足らずな感じではあるが、ドンは彼女の話を理解した。

「(連中の一味だったが愛想つかして出て行くとこだった、ってワケか…)」

「すまねぇ…助かった。はぁはぁ…ゴホッゴホッ…オレは、ゴブリンのドン…っていう…領主様に仕えてるモンだ」

「おー? ドン、ドン、ドンー。名前、覚えたのー。ドンー、領主ってどんなひとなのー?」

 そのフィーリングからドンはなんとなく察する。彼女がならず者達の集団に加わっていたのは、純粋な好奇心。おそらくは彼女自身これといった目的や望みがあって加わっていたわけではなかったのだろう。

「(なら、信用できるか…けど)……その前に、こっから遠ざかりたいんだ…すまねぇけど、肩貸してくれるとありがた…っ!?」

 ムームの体の一部が、ドンを包みこみはじめる。慌てかけたドンに構わず、ムームはそのまま館とは逆方向に結構なスピードで移動しはじめた。

「運んであげるのー。ドンドン、綺麗な目してるからムームが助けてあげるのー。どこいくー?」

 走る、というよりかは地面を滑る…言うなれば高速移動するナメクジのような動き。

 ドンは一瞬唖然としたが、こみ上げてくる血と苦痛がボーっとしている場合じゃないだろと叱咤してきた。

「あ、ああ…悪ぃな、助かるよ。ゲホッゲホッ……じゃ、すまねぇけど…そうだな……、マグル村、って…わかるか? 可能だったらでいい、そこまで行けたらお願いしてぇ…知り合いがいるんだ」

「わかったのー。だいじょぶ、ムームいろんなとこ知ってるー、まかされてー」

 そりゃ頼もしいと、ドンは呟きながら自分の周囲を見回す。スライムの中に包まれるなんてさすがに初めての経験だ。溺れないかという不安はあるが、どうやらその心配はなさそうだった。

 しかもムームは走りながらその見た目を変化させていく。

「これなら自然なのー、怪しまれないのー」

 大柄な種族の女性。しかもドンが納まっている部分は、ちょうどお腹のあたりになり、見た目が妊婦にしか見えないよう変化したのだ。それも形状だけでなく、色艶まで完璧に。

「ふへー、すげぇな…スライムはこんな事できるのか…はじめて知ったぜ…」

「えっへん、たぶんムームだけー。ムーム、けっこう長生きー。変身はだいとくいなのー」

 そう言いながらナメクジ走法から、見ため相応の歩き方に変わる。手足はもちろんの事、頭や目の動かし方など、変化した外見にあわせて完璧な仕草で移動しているのが内にいるドンからでもうかがい知れた。さすがに半透明だった体色まで変わってしまっている分、彼の視界は大幅に悪化したが。

「演技も完璧か…ホント、頼もしい限りだ。ゲホッゴホッ…」

「だいじょぶー? ドンドン、けっこー重傷ー?」

「…なぁに、死ぬほどじゃあねぇさ…けどすまねぇ、血…」

 見れば度重なる吐血で、ムームの体はどんどん汚れていっていた。

「気にしないでいいのー。吸収すれば問題ないー、安心して血、はくのー」

「はくのー、って…ハハ、できれば吐きたくないんだけどな」

 言いながらドンは考える。とりあえず領主様は連中に捕まっていないと考えるべきだろう。

「(けど、イフスの姐さん…支配されてるってどういう事だ? それにメルロ…。領主様と間違われてるうちは、まだ大丈夫かもしんねぇが…)」

 どこへ連れて行かれたのか、それを聞き出せなかったのは残念だが、まだ希望はあった。

「( “ 連れて行かれた ” ってことは、連中に殺す気はねぇって事だ…けど、もしメルロが領主様じゃないってバレちまったら…安全とはいえねぇな…早いとこ助けに…)」

「ゴホッゲホッ…! はぁはぁ、んぐ…ぅ」

「……ドンドン、少し寝たほうがいいのー。着いたら起こすー」

「…は、はは…そうだな…、オレがこんな体たらくじゃあな。悪い、もしマグル村にたどり着けたら、シャルールって女性かザードってリザードマンを探してくれ…俺の名前を…ドンが訪ねてきたって言ってくれりゃ、通じるはずだからよ…」

「ムームわかったー、まかせておくのー。ドンドン、おやすみなのー」

 返事は返ってこない。だが自分のカラダを通して伝わってくる寝息の振動から、ドンが眠ったことを理解するムーム。テクテクと歩く妊婦の姿で、ムームは一路シュクリアに向けて移動してゆく。

「この姿だと、少しかかるのー。むー、途中でもっと早く移動する姿に変更するのー」

 知っているマグル村までは結構な距離がある。ムームはどこかでドンの治療のための道具なりアイテムなりを調達しようと考えをめぐらせながら、本降りになりつつある雨の中、元気よく進んでいった。


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