第84話 第4章4 見えざる影を捉える


――――――アトワルト領、都市シュクリア。


「……申し訳ない、ご領主殿。我が愚弟のせいで気苦労をかけてしまい、かわりに謝罪する所存――――」

 だがミミは、対面するドワーフの頭が下がる前に片手のひらを見せ、制止の意を表した。


「お身内とはいえ、彼方かなたの所業は此方こなたには何ら責任も関係もございません。仮にご本人が謝られたとて、もはやそれで済む話でもございませんわ、ダルゴートさん・・

 応接室にてジャックが連れてきた客人、ドワーフのダルゴートとの対面。元は貴族家の出自とはいえ、現在は貴族位を放棄・譲渡し、一般人の身分である彼に対し、ミミはしかと上位者として接する。なぜなら彼とのこの会談は今後を見据えた場合、ミミにとってかなり重要な意味があった。


「分かっております。それでも身内の恥…ご迷惑をおかけしている事、知ったからには謝らずにはいられないのです、本当に申し訳なく」

 背筋を正し、キチンとした姿勢で椅子に腰かけているダルゴートが再度、丁寧に頭を下げた。この辺は貴族家に生まれた者が培った教養の範疇だろう。


 対するミミは、比較的リラックスした態度で一人用のソファーに腰かけ、両肩をはだけさせる程度に薄手の上着をゆったりと羽織っていた。来客に対する構えとしてはやや横柄に見えるが、それが正解である事をミミと、第三者としてダルゴートの後ろに立って傍観しているジャックは理解していた。


「(公的な訪問であれば数日前にその旨を伝え、許可を取った後に訪れる。それ無き者の来訪に対しては、最低限の持て成しと礼節を損なわない限り、迎える側ホストに特段の用意も態度も必要なし……)」

 だがそれだけではないと、ミミを観察するジャックの眼鏡が光る。


 一方で、ミミの後ろに控えているイフスの眼光も嫌悪の輝きを宿した。


「…ジャック様、何か?」

 ニッコリとした笑顔で問うメイド。しかし言い知れぬ殺気が彼女に宿っている事は、この場にいる全員が感じていた。


「いえ、何もございませんが? そちらの方こそ、そのように良からぬ感情を剥き出しになされては、主の体調・・・・に余計な心労を与えかねないという気遣いをお忘れなのでは?」

 不敵な笑みで指摘され、イフスから放たれるトゲのようなオーラが、さらに鋭さを増した。


「イフス、お茶がなくなったのだけれど…かわりはありますか?」

「――――はっ!? ……これは申し訳ございません、すぐにお持ちいたします」

 心の中でだけやれやれと呆れるも、主人としての口調を心掛けたミミの言葉を受け、イフスはぐぬぬと歯噛みしながらジャックの横を通り過ぎ、退室する。

 3人になってもミミは表面上、態度も表情も変える事はない。貴族たるを維持したままだった。


「それで、ダルゴートさん。ここからはわたくしからの提案なのですけれど、……私は今、貴方を保護しようと考えております」

「(ほう、そう来ましたか…なるほど)」

「ほ、保護…と…このワシをですか??」

 ミミの意を理解するジャックと、まるで解しないダルゴートで反応が見事にわかれた。


 ちょっと面白いと思いつつ、ミミはその意味を説明しはじめる。


「まず…ダルゴートさんの弟であるお隣ゴルオン領の領主ドルワーゼ様…、彼がまかり間違ってこのアトワルト領に対し、なにがしかの悪意を向けてきた際、貴方の存在を交渉や取引の際の一助としたい、と思っておりますの」

 しかし、この考えはさほど有効には働かないだろう。悪名高く領民を苦しめるような者が、身内の存在でいちいち怯んだり引いたりするだろうか? するわけがない。


 だが身内の存在を無視して大それた事を仕掛ければ、他貴族からのそしりを受ける事になりかねない。親族縁者をないがしろにするのは、良くも悪くも名分体裁を気にする貴族社会では軽くないダメージを受ける事になってしまう。


 まして “ 保護 ” されているとなればなおさらだ。一族の者が他貴族の加護恩恵を受けている事実を無視した行いを取れば、ゴルオン領の領主ドルワーゼは、個人として信頼に足る人物であるのか、その資質を疑われる。


「(いわば、ダルゴート氏はアトワルト候にとって西隣に対する御守り・・・…というところでしょうかね)」

 効果のほどは確約できないものの、無いよりはあった方がマシという程度。もちろんそれだけにとどまらない。



「もし…もしもの話ですが、ドルワーゼ候が将来、失脚でもするような事になりますと、その責を引き継ぐ者が必要になります。おわかりですね?」

 ミミにとってダルゴートに期待することの本命はこちらだ。


 つまりは弟ドルワーゼが領主および貴族として失脚した場合、ゴルオン領は領主不在となるし、ゴルオン家にもドルワーゼの持つ爵位や地位、その全てを引き継ぐ後任が必要となる。



「(もしもその後任が自分の見知った者であり、過去に恩を与えている者であるならば……このアトワルト領の、西隣における諸問題は一気に解決を見ることができる、と。流石ですね)」

 ミミの思惑を看破し、ジャックは口の端をいつもよりも深く吊り上げた。


「し、しかしワシは…、ワシは家を飛び出した身。長男とはいえワシにその資格があるとは……」

 ダルゴートの懸念はもっともだ。ゴルオン家が出奔同然に立場を捨てて長年放浪していた長男をいまさら帰属させるかどうかは怪しい。

 仮に弟のドルワーゼの失脚を理由に家に戻したとしても、家長はともかく爵位や領地まで簡単に引き継げはしないだろう。

 それこそ欲に目のくらんでいる他貴族達が声を大にしてダルゴートにその資格なしと口撃・・する状況は容易に想像できる。


 …かつて父を失った時、まだ幼くて後を継ぐには力不足と判断され、領地も家長の座も魔王預かりとなった苦い経験を持つミミには、特に鮮明に脳裏に浮かぶ流れだ。



 だが、自らが経験しているからこそ、今の彼女にはその対策も思い浮かんでいた。




「問題ありませんわ。他貴族はともかくとして、魔王様は実力主義な観点をお持ちの御方です。それは言い換えれば相応の力あり・・・・・・とご判断されれば、ダルゴートさんが御家に復帰し、一切を引き継ぐにあたり、その過去を問題としないという事」

 ミミの言葉に、ダルゴートは複雑そうな表情を浮かべる。まだ弟に対する情もあるのだろう。

 いかに弟ドルワーゼが悪欲に溺れてはいても、それを家の事を放り出して逃げた長男の自分が追い落とし、悪い言い方をすれば全てを奪ってしまう事になるのに対して、不義や負い目を感じているに違いない。



「その場合、他の貴族方の妨害も予想できますが、何かお考えはおありですか?」

 ダルゴートの個人的な感傷など知った事ではないと、ジャックは己の個人的な興味と好奇心からその話をこのまま進める事が決まったかのような口ぶりで訊ねた。


 だがミミは、軽く微笑を浮かべてまぶたを伏せる。背後の窓から差し込む光も加わって、まるで聖母のような雰囲気をにじませると、さてどうでしょう、と小さく短い返答のみではぐらかした。



「(…我に切り札あり、というところですか。ククッ、つくづく楽しませてくれる御方ですねぇ)」

 第三者―――否、おそらくは当事者となるダルゴートにさえも秘中の秘なのだろう。

 ジャックが頭の中で様々な可能性を浮かべては分析と推測を繰り返すが、他貴族に対する方策はその後も結局、ミミの口から何一つ具体的に語られることはなかった。

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「それで、ダルゴートさん。わたくしの申し出…お受けしていただけますでしょうか?」

 ダルゴート個人としては他者の保護を受ける、それも貴族である者の世話になる事は、できれば断りたい気持ちの方が強い。

 放浪の根無し草な人生を歩んできた分、誰かの世話になる事はチンケなプライドが憚りたがらせてくる。そして何より貴族家の出身でその家と地位を捨てた自分が、他貴族の庇護にあずかるのは、世間的にも個人的にもかなり情けない話である。


「(ですが彼は断れないでしょう。愚弟の所業に心を痛めている手前、ゴルオン領より遠ざかる事は出来ず、なんとかしたいという想いも捨てきれはしない。この話はいわば、愚かな身内の後始末を兄であるダルゴートがつけるべきだと言われているも同然…いやはや、アトワルト候はご懐妊中・・・・であってもその冴えに曇りなしとは)」

 ジャックは軽く脱帽モノな気分になった。同時に、今の自分が大変充実した日々を送れていると確信した。


 そして心の中で、己が知る彼奴等・・・の滑稽さを盛大にせせら笑うのだった。




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「…お見事、と言うべきでしょうね。彼との出会いは偶然で、こちらにお連れしたのもちょっとした追加の手土産程度のつもりでしたが、まさかここまで見事に利する方向に持ってゆかれるとは」

 悩んだ末にミミの提案を飲んだダルゴートは、イフスにエスコートされて先ほど退室していった。

 イフスにお前も出ていけとばかりに睨まれつつも、ジャックがともに出て行かずに応接室に留まったのは、口頭の上では別件で用件があると言ったからだ。


 だがミミは感じていた。その用件とはおそらく軽いものではない、と。



「利する、というのは人聞きが悪いですわ。しかるべき者がとるべきしかるべき義務…それをすに相応ふさわしい手助けを持ちかけたまで…ただそれだけの事です」

 彼女の言葉にジャックはクックと含み笑うと、そういう事にしておいきましょうと短く紡ぐ。

 そしてゆっくりと歩を進め、ダルゴートが座っていた椅子に流れるような身のこなしでもって腰かけると、小さなテーブルを挟んで正式にミミと対話する恰好を整えた。


「………。……古い知己・・・・が、かの地ゴルオン領にて手を加えた形跡がございましてね」

 ジャックにしては珍しい、話の切り出しに少し迷うような重い口に開き方。ミミは少し意外なものを見たと驚きかけ、しかして表情を引き締め直して聞く態勢を維持した。


「まず、結論から申し上げますと何かを企んでいる・・・・・・・・。これは間違いのないところでしょう」

「間違いなく、ですか…随分と物騒かつ、聞き捨てのならなそうな話ですね?」

 ミミは発言に疑義の色を滲ませた。だが本当に疑っているというわけではない。

 暗に、その根拠を具体的な情報として聞かせていただきたい、という意が篭っているのを、ジャックも理解している。


「ゴルオン領へと商売に向かうより以前…そうですね、先のこの地の反乱騒ぎが収束に向かう少し前くらいの事でしょうか。ナガン領の端を進んでおりましたところ、その知己が声をかけてまいりましてね」

 語るジャックの表情は、いつも不敵な彼にしては珍しく歪んでいた。苦々しくも憎たらしいモノを想って、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。


「図々しくも協力を要請してまいりまして…ええ、もちろん断りました。協力する義理も、こちらにとって得になるような事もありえませんので」

 ミミは、語る彼をつぶさに観察する。それは貴族としての社交スキルといっても差し支えないだろう。

 言葉で多くを語り聞かせられるより、一言を語るその態度、その表情、視線の動き、指の動き…なんなら髪の毛の1本1本の変化までも見逃さずに、相手の意を知り、真意を見抜き、語る話の真偽を測る。


 教養のなっていないなんちゃって貴族相手であれば、そこまでする必要もなく簡単にその心中を推し量れるが、ジャックのように取引と対人に秀でた人種には油断できない。

 語って見せるその全てが、こちらを騙すための演技ではないとは言い切れないからだ。


「(……真実。けれど、隠している事がまったくないわけじゃない、って感じかな)」

 ミミの観察力が出した答えは、白。ただし黒も別途持ち得ている。


「(話の内容は真実。だけど隠しているのは…その知己と自分の関係……)」

 もしもいつものジャックであったなら、ミミがここまで見通す事は難しかっただろう。

 だが今日の彼は本当に嫌な相手を思い浮かべ、普段とは違って感情が多少波打っていた。だからこそ彼女は、彼の言外の意を見通す事ができていた。


「(よっぽど嫌いな相手、という事なんだろうけど…このジャックさんをしてそこまで嫌いな相手って)」

 一言で “ 嫌悪 ” といっても、その理由は様々だ。

 見た目が悪く、見るのも嫌だという容姿的なものに由来していたり、性格の不一致や、過去の摩擦や衝突などの出来事によるもの等、多岐にわたる。


 なのでその相手がこのジャックという人物には嫌われていても、ではミミがその人物と相対した場合、同じように嫌悪の対象になるかどうかは別である。


 愚か者は、他者が嫌悪しているからといって自分も嫌悪の対象にしてしまいがちだ。

 無知なる者が他者の言葉を鵜呑みにし、理由と根拠を自ら調べて解する事なく、自身の中の、見ず知らずの第三者に対する評を決めつけてしまう――――実に愚かなことである。


「(親の七光りで爵位を取ったお坊ちゃまお嬢ちゃま貴族には、そういうの多いイメージだなー……)」

 ミミのように努力して地位と爵位を得ている者と違い、家柄の良し悪しと親のコネだけでなんら努力なく地位を得た輩は、教養はともかく経験不足という点から、周囲の人間の言葉に惑わされやすい。

 かつての学園時代…そういうタイプは結構いたなーと過去を思い返して少しばかり現実逃避に思考を傾けた後、彼女は深くため息をついた。


「また厄介な事になりそうですね…直近では・・・・ゴルオン領との問題でしょうか」

 あのジャックが嫌悪するほどの相手が動いている。ならば1件2件程度かつ短期間の問題で済むような小さなもので留まるとはとても思えない。



 そして、そこまで考えてミミの中で可能性の段階ではあるが、線が一つ繋がる。



「―――ジャックさん。現在アトワルト領の北方、ロズ丘陵の大森林で怪しい動きをしていると思しき気配があるのですが、もしかしてその知己の方と関係のある動きだと思われますか?」

「ほう? それはまた…詳しくお聞かせ願えますと、私めにも何かわかる事があるやもしれませんが」

 ミミは、大森林を中心に何やら悪だくみをしてそうな者がいるのでは、という推測とそれに付随する出来事だけを端的に話す。


 一応ジャックはただの行商人であって、政治的な話をする相手ではない。彼女が欲しいのは、その自分の領内で悪さを企んでいる誰かさんに関する情報だけで、全てを丸々話す必要はなかった。


 そこはジャックも分かっているのだろう。根掘り葉掘り詳しく聞き出そうとはしてこない。

 もっとも彼ならば、1を聞いて10を想像する事は難しくないだろうが。


「……可能性はあるでしょうな。こちらが知る者が直接関わっているかどうかまではさすがにわかりかねますが、アレら・・・は組織だって動いているはずですので」

「組織、ですか…」

「ええ。実にくだらない思想の、狂った宗教団体のようなものです。厄介なのは、それでいて理性的な者も多いというところでしょうかね」

 もし、本当に狂信的で精神がイっちゃってる集団であれば、むしろ対応は楽だ。集団の掲げる思想に対して猪突猛進であるために尻尾を見せやすく、特に末端になるほど浅はかな行動をとって取り締まる側の口実となり、芋づる式に壊滅させやすい。


 しかし、冷静で理知的な者が集団の多くを占めるとなると話は変わる。そういった者達は、自分達の集団が世にあってどう見られるのかを客観的な観点からキチンと理解している。

 なので尻尾をなかなか見せない上に、それでいて自分達の思想には忠実なのだ。根絶する事はなかなかに難しい。


「アトワルト候のお話から推測いたしますと、おそらくは一部の者の独断専行である可能性が高いのではないかと。組織の中で功を焦る若い輩か新入りのたぐいか……私めが考え至るところとしましてはそんなところかと」

 ジャックは何かと核心は避けてはいるが、やはりいつもの彼と比べて多少気持ちが乱れているらしい。その話術にいつものキレがなく、脇も甘い。



「(少なくともその “ 組織 ” について、いろいろと知っていそう…)」

 もっとも、今それを訊ねてもはぐらかされるだろう。分かり切っているのでミミはとりあえずその “ 組織 ” についてはひとまず置いておくことにした。


「相手が集団ではなく独立して動いているというのでしたら、まだなんとか出来る目はありそうですね…少しだけ安堵いたしました」

 しかしそれは言葉の上でだけだ。今回のその怪しい者を取っちめる事が出来たとしても、その関係する者が集団で存在するというのであれば、今後も自分や自分の領地にちょっかいを出してくる可能性は大いにある。


 先々の事を考えると億劫極まりない。


 なるべく安静にとイフスから言われてはいるものの、残念ながら領主としての心労の蓄積から免れられそうにもないと、ミミは両肩を小さく落として乾いた微笑みを浮かべた。








――――――アトワルト領、ホルテヘ村。


「マフマフマフマフマフ……ッ!!」

 ワラビットの少女は弾けるような喜悦を浮かべて振る舞われた焼き魚の、大きめに切り分けられた身に、夢中でがっついていた。


 木製の質素な卓に並んだ料理は、大半が見栄えが悪く質素倹約の努力がうかがえるものばかり。だが唯一、メインとして出された大きな焼き魚だけはとても立派なものだった。


「領内は食糧難だって話なのに、いいのかいアッシらにこんなごちそうを出しちまって?」

「ぁあ~、かまやしませんともぉ。この魚だけはぁぁ、試食・・のよぉおなものですからのぉぉ」

 モーグルの質問に、ホルテヘ村の老村長は間延びした口調ながらハッキリと答えた。


「試食? なにかワケありの食材なのか…まさか盗品ではあるまいな?」

 アレクスが穿つような視線を向けると、村長はいやいやと大仰に頭を左右に振り、それと連動するように片手も左右に振って否定した。


「他の食材はぁぁ、村で備蓄および工面したものですがぁのぉ…その魚だけはぁぁ、ミミお嬢ちゃんからのぉ~たまわりものですじゃぁあ」

「何? それはどういう事か?? 我らが隣へと出向いている間に、どこかから食糧調達のメドがたったというのか」

 それは朗報である。

 アレクスとモーグルは、アトワルト領内の食糧事情が深刻になりつつあったことが気がかりだった。

 さらにゴルオン領内での調査で、近隣地域における食糧相場の高騰とそれをより煽るように仕掛けているのが他ならぬゴルオン領主ドルワーゼである事も突き止めている。


 他領を困窮させる陰湿な策略。


 アレクスが、よりゴルオン領に関しての情報収集に力を入れんとしたのも、もはや戦争で兵糧攻めにするのと本質的には大差ない事を、ゴルオン領主ドルワーゼがやっていると判断したからだ。


 もしミミが、そんな相手の思惑をくじく一手を打てたというのであれば吉報この上ない。だが、実際は食糧難を完全に凌げるところまでは行ってはいない。


「ミミお嬢ちゃんはぁぁ、イクレー湖の水産資源をぉ、活用する方策を取られたのですじゃぁよ。この魚はぁ、とりあえずの飢餓回避のためのぉ先行配布…。およびぃぃ運搬に際してのぉ諸問題の有無や、保存状態の良し悪し…等々のぉ、先を見据えた実験のようなもののようですじゃのぉお」

 モーグルとアレクスは顔を見合わせる。二人はそんな事は知らなかったし、まさか日持ちさせにくい水産物を活用するとは思ってもみなかった。


「しかし、こうして無事に食する事が出来ている。なればその実験は成功という事ではないか? 食糧問題を解決できる日はそう遠くはなさそうで――――」

 だがアレクスの意見を制するように、村長は首を横に軽く振る。


「そうは簡単には行かぬでしょぉぉなぁぁ…。ミミお嬢ちゃんにとってイクレー湖の産物をば利用する手段の確立は虎の子ぉ。大々的にこうした魚を各町や村に流通をばはじめますとぉぉ……」

「! そうかっ。隣の…ゴルオン領の領主がイチャモンつけてくるってーのか」

 ひらめいたモーグルが問いかけるように村長を見ると、今度はゆっくりと首を縦に振った。


「そのぉとおりですじゃあぁ。なかなか聡しいですのぉぉモグラの御仁ぅ。現在の食糧の問題…その半分はぁぁ、かのドルワーゼ候の仕掛けによるところもありますればぁあ、安易なる解決はかの者の睨みをば買う事になりましょおなぁぁ」


「睨まれたからどうだというのだ? かの悪徳領主ドルワーゼにとやかく言われる事でもなかろう」


「かのドルワーゼ候の狙いぃ……それはご領主さま―――ミミお嬢ちゃんに対してぇぇ、あらゆる政治的な摩擦のぉ一方的に都合良き解消の要求ぅぅ、なおかつ法外なるを持ってして抱え込んだ食糧をば買わせてのぉ、さらなる財をせしめようという腹積もりでしょうぞぉぉ」

「!」「!?」

 アレクスとモーグルがこれでもかと情報収集を行っても読み取れきれなかったドルワーゼの狙いを、この老村長はあっさりと看破していた。


 なるほど。そう考えれば不必要に過ぎるほどに食料品を抱え込み、領民を飢えさせてまで強欲を貫いている理由も見えてくる。



「あちらの一番の目的はぁぁ……ワシめの使命にもぉ、関係のございます事でしょうなぁぁ…」

「それは?」

「……お二人、いやお三人方がゴルオン領よりこちらへと向かわれる旅路ぃぃ…、最後に通りぬけたあの関所こそぉ、本当のアトワルト領が最西端なのですじゃぁよぉ」

「何?! まさか…いや、あの領主ドルワーゼならばありうるかもしれんが」

「それって、つまりアレか? ゴルオン領側がこっちの領地の一部を勝手に支配してるって事なのか??」

 驚く二人に、村長は肯定して続けた。


「今でこそぉぉ…このホルテヘ村がアトワルト領最西端の地と認識されてはおりますがぁぁのぉ。かつてご領主さま…ミミお嬢ちゃんの前のご領主さまが亡くなられてからお嬢ちゃんが赴任されるまでの間、空白の時間がございましてぇなぁ」

 村長曰く、その領主不在のさほど長くない僅かな間に、この地の境界は西北南にて侵され、本来定められている領土境界線よりも東を除き、他領から食い込まれてしまっているのだという。


「無論、その事はぁミミお嬢ちゃんも重々にご承知……。なれどぉ、侵犯しておりまする隣領の領主らはぁぁ、いずれも返還の意を一切持たぬ故にお嬢ちゃんの要請にもなしのつぶて。貴族位の低さと後ろ盾コネクションの無きが故、甘く見ておるのでしょぉおなぁ」

 だが地上における領地の境界は、魔王の名のもとに定められた不変のルールである、そんな勝手が許されるはずはない。

 特にアレクスはそう思っていた。だが…


「地上におきましてもぉぉ、各地各領地間におきましてはぁ、似たような諸問題は数多く散見されておりますれば、魔王様が直々に裁定を行ってゆくという事もございませぬしぃぃ……それこそ問題解決に際してのぉぉ…領主たる者の力が問われる側面もございますのぉじゃあぁ」

「つまり現状じゃあ、領主様ミミは手詰まりって事なのか……」

「そのような事がまかり通るとは、なんと解せぬ! 不条理にもほどがあるっ」

 激昂しかけるアレクスだが、他人の家で感情にかまけた振舞いをするわけにはいかないと、なんとか自制する。


「ワシと出会ったあの近くにこそぉぉ、本当の最西端の村…集落といった規模ですがぁのぉ、あったのですじゃぁよ。もっとも、ゴルオン領側に焼き捨てられてしまいましたがのぉぉ」

「! 村を一つ焼き捨てた? なんでまたそんな事を」

「最初からそこに村はない・・・・・・・…じゃからここまで自分の領地。それがゴルオン領側の言い分ですじゃあ。あの関所も最初からゴルオン領のモノ、という無理筋な事をぉ言っておるわけですなぁ」

「そんなバカな。無茶苦茶な話ではないか」

 もはや怒りを通りこして呆れるアレクスに、村長も同意の頷きを返す。


「そう、無茶苦茶な話をまかり通ると思っておるお隣さん・・・・がおる…。愛らしぃいあのミミお嬢ちゃんも苦労しておるでぇ、この老体も少しは役に立ちとうてぇなぁぁ? 頑張っておるわけじゃぁよぉお、ファファファッ♪」

「その頑張りとは、やはり…」

 アレクスが少し緊張した様子で訊ねると、村長はうむと深く頷いた。


「…戦争への備えですじゃぁ。もっともぉそれは最悪のケースの話じゃとぉ、ミミお嬢ちゃんは言うとったぁのぅ。食糧難を自力で解決してゆけばぁ、遅かれ早かれ愚かなお隣さんの目論見が潰れるじゃろぉてぇぇ。そうなれば大なり小なりぃ何かしらのアプローチはしてくるじゃろうなぁあ…手始めは穏便に外交からじゃろうがぁのぉ」

 愚かで欲深い為政者ほど、自分の思い通りにならなければいずれ癇癪を起す。まるで子供のように。


 理知を失い、秩序ルールを無視し、無理筋と力ずくで押し通そうとする。


 もしもドルワーゼの全ての策謀をミミがかわしていけば、いずれ必ずそうなる。


 だからこそ彼女は、ホルテヘ村の村長に密かにその時に対する備えをお願いしていた。村長が焼き捨てられた村の近辺を調査してまわっていたのは相手の動きや最新の地理・地形、そして状況を調べるために他ならない。




「は-、領主様はそこまで先の事を考えて今から備えてるのか」

 モーグルが政治って凄い世界だと感嘆する。その隣でアレクスは拳を強く握った。ますますもってして先の反乱の首謀者たる己の愚を再認識させられ、心中強く恥じ入る。


「(我は本当に、なんて愚かであったのか…)」

 彼女にあっさりと許された時に下げ尽くした頭。それでもなお足りなかったとさえかえりみる。

 もしも…もしも自分があんな真似を成さなかったならば、少なくとも今発生しているアトワルト領内の食糧問題はなかっただろうし、領主ミミは今頃その問題に対するための労力を他に割けていたはずだ。


「……あまりぃい、思いつめなさらんほうがぁええのぉぉ、大きいのぉ。過去に何かあろうとてぇ今は今じゃあぁ。落としモノを拾うてぇみても、落とした事実は変わらんでぇなぁ。むしろ拾えるだけマシじゃぁと考えぇよぉ? フォフォッ」

「…先達者のアドバイス、我が身に勿体なくも有難く(頂戴いたす)。なればこそ我は今、我に出来る精一杯を成しえんと思いますればっ」

 深い礼からの勢いの良い立ち上がり。

 アレクスほどの体躯が、さほど広くもない部屋の中でそんな動きをすれば―――


 ズズン


「お、おいおいアレクス。ちょっと落ち着いてくれよ。家が壊れるって!」

 モーグルの指摘に、あっと思った時には既に遅かった。

 ややガタのきている村長の家の一室、その壁の棚が振動でガタンと傾き、上に乗っていたあれやこれやが床へと落ちた。


「こ、これは申し訳ない。我としたことがつい気がはやってしまいっ」

「ファッファッファッ、かまわぁんともぉぉ。近々ぁ建て直す気じゃったでなぁ。ボロ小屋のままではイザという時ぃぃ、役には立たんでのぉお。…それにしてもよぉ夢中に喰うとるのぉお嬢ちゃんはぁ」

 モーグル達と村長の一連の会話ややり取りなどどこ吹く風。少女は一心不乱に食事を続けていた。


「マフマフマフマフッ……、…? どうかしたのです?? こんなに美味しいお魚、みなさんはたべないのですか???」

 久方ぶりに顔をあげて、キョトンと3人を見回す少女。


 ドッと笑いが巻き起こった。


「ファファファッ。これはこれはぁぁ、ミミお嬢ちゃんにぃ良い報告ができそぉじゃぁのぉぉ、ファッファッファッ♪」

 イクレー湖の水産資源活用。

 奇しくも同じワラビット族の少女のそんな様子が、ソレが有効な施策であることを証明していた。


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