第85話 第4章5 ウサギの子
――――――ナガン領、領境付近の街道。
「……というわけでさ、アトワルト領のウオ村近くで出たんだとさ。もっとも襲われた女性の仲間だか護衛だか知んないけど、その場にいた奴が退けたって話だぜ」
「では、そのモンスターは山に逃げ帰った…と?」
「たぶんな。俺も人づてに聞いた事だからよくは知んねぇが…、もし退治されたんだってんならこの辺も今頃、兵士の数減ってるはずだしな」
そう言って
ローブの男は軽く見回す素振りをして、なるほどなと短く納得の言葉を返して見せる。
…もっとも彼にしてみれば直接周囲を伺わずとも、どんな輩がどの位置にいるかなど容易く把握できる。だが、
「(面倒ではあるが、些細な事であろうと怪しまれるは避けねばならん。…その辺りの事を分かっているのか、ベギィの奴め)」
彼は既に自分の任務を終えている。別命あるまで地上に用はないはずだった。
しかし、どうしても気になって長老衆の許可を得る――――今後の地上における円滑なる活動のための情報収集任務という名目。そして、再びこの地上へとやってきたのだった。
「こんだけ兵士がまだウロウロしてるって事は、倒しきれちゃあいねぇんだろうさ…おぉ、コワイコワイ。アンタも
「ご心配いたみいる。そちらも旅路が平穏無事であらん事を祈るよ」
「おうサンキュー。じゃあな」
通りが掛かりの者から遠方よりの旅人として何知らぬ顔で情報を聞く。一期一会なだけに自分の正体を探られる事もまずない。
得られる情報の質は低いが安全な行動を第一とする以上、そこは仕方がない。
「(そうすると…このまま街道をのうのうと行くはよろしくないな。かといって脇に外れての移動は、万が一見られてしまえば、それこそ怪しまれかねんが…さて)」
街道途上にて襲われる脅威が発生していれば、普通の旅人はこれを危険と判断し、街道を行くのを躊躇い、行く先を変えるか戻るか安全圏で滞在するかといった行動をとるだろう。
もしこのまま一人街道をゆけば、兵士達に怪訝な顔をされてしまう可能性がある。かといって街道を大きく外れて越境しようとすれば、完全に怪しまれる。
方法はもう1つある。街道をそのまま行くが、一人ではなく複数人で連れ立って行動する事だ。しかしそれは、他者との接触時間を限りなく短く抑えたい身としては、出来れば遠慮したい手段。
「(……金はかかるが護衛を雇うか。加えて行かねばならない
モンスターという危険が存在していても、街道を行く旅人は少数ながら存在している。なんとか物流を滞らせまいと正義感で勇気を奮い立たせている商人や、逆にモンスターの討伐を目指している傭兵などがソレだ。
しかし、この危険地帯を一人で突き進もうという旅人はさすがに皆無。
ぶちのめして強行する事もできるが、それでは怪しまれるという点において最悪手になる。
となれば、彼もまた他者を伴いつつ、危険でも街道を行かねばならない理由を携えるのが越境における最善手である。
実際、ナガン領側の近くの町の酒場や宿では、護衛のご用命を待っていたり討伐せんと意気込んで準備をしている傭兵などが
「(一時的な旅仲間の確保は難しくないとして、理由はどうするか……)」
その時、彼の懐から一輪の小さな花が零れ落ちた。
「これは…」
・
・
・
『…はい、おじさん、おはな』
『わぁい、ありがとう、おじさん!』
・
・
・
それは前の任務を終えた直後、ゴルオン領で出会った小さな少女との一期一会。
「(獣人の少女から買ったものだったな。……ふむ)」
銅貨数枚。
小さな花一つには過ぎた代金ではあったが、今はその価値があったと思う事にする。おかげで決めかねていた “ 理由 ” に算段がついたからだ。
「(魔力を施しておけば……よし、これで今しばらくは枯れはせん)」
別に感傷的になったのでもなければ、その花を大事にしようと思ったわけでもない。彼はただ今回の越境ミッションにあたり、その一助となってくれた礼を獣人の少女の代わりとして花に与えただけである。
「(さてと、まずは適当な者を雇いに行かねばな。急ぐ必要も義理もないが…我らが未来のために、ベギィの奴が失敗せぬに越したことはない)」
――――――――アトワルト領、都市シュクリア。
その西側の外壁を今、一台の馬車がくぐりぬけて町へと入った。
「ふう、やっと戻ってこれたな。さすがにクタクタだぜ…」
モーグルは御者台の小さな、しかし自分には十分な背もたれに背中を預け、空に向かって一息ついた。
「まずは
一方でアレクスは、むしろ気を引き締めている。
モーグルは一緒に旅をした事で、その気性のほどを完全に把握していた―――――アレクスはストイックなほど生真面目だと。そしてそれを周囲にも強要するところがある、それも無自覚に。
「わかってるって。けど何よりもまず、その娘の事を話さないとだな」
そう言ってモーグルとアレクスは荷台を振り返った。
もはや荷箱に隠れる必要もなく、堂々と荷物に混じって横になっているワラビットの少女は、穏やかな寝息を立てている。
「少なくともかの地のような不幸なる日々とは無縁となれよう。しかし…」
「ああ、連れてきたアッシらとしちゃ無責任かもしんねぇが…領主様はどう判断なさるかだな」
アトワルト領の食糧危機は去っていない。当然、領主たるミミとその周辺も質素倹約でやり繰りしているはずだ。
そんな中、幼いとはいえ新たに食い扶持一人どうにかなりませんかと連れ帰ってきた事は、はたして良かったのだろうか?
人道的には正しい事をした。それは間違いない。
だが世の中そう簡単ではない。感情だけで…可哀想だからという理由で安易に弱者を救済するのは、実は非常に危うい行為である。
上位者や富める者が救いの手を出すと、我も我もと殺到する。そして救いの手が不公平であり、あるいは少しでも偏りがあったならば、途端に不平不満を浴びせかけられるのが目に見えている。
ジャックが二人に任せ、自分は関わらないようにしたのもそれが理由の一つだ。
商人として優れた手腕を持つ彼は、当然ながら相応の財力を有する。だが所詮は商人でしかなく、弱く不幸な民の全てを救えるほどのものではない。半端な救いの手は逆に社会を混乱させるだけである。
財を全て蝕まれても、なおもどこかに隠しているはずだと糾弾され、言われなき罵詈雑言を受け、善を行ったはずなのに悪と罵られる理不尽だけが返ってくる事を、ジャックは理解しているのだ。
身勝手なる民――――社会的に低位弱者となりやすい者達を “ 愚民 ” と罵る言葉が存在するのも道理である。
「心配あるまい、悪く考えるだけキリがなかろう。実際に話してみなければどう転ぶかも分らぬ事だ」
「そうだな。まぁ、あの方が悪いようにするとは思えないしな」
そうこう言ってるうちに馬車は街の一角、ミミ達が滞在している借り家の前に到着した。
「無事到着…と、おーい、起きろー。着いたぞー、ここが目的地だ」
・
・
・
3人を玄関にて出迎えたのはメルロだった。そこに、ちょうどダルゴートを滞在するための部屋に案内し終えたイフスも合流。先にモーグルからおおよその話を聞いたメルロがその場をイフスに託し、ミミのいる応接室へと先行する。
「……と、モーグル…さん、が…おっしゃって、…ました。その…大丈夫…ですか?」
今日は来客が相次ぎ、ミミも既に結構な時間を接客に費やしている。その事をメルロは心配して気遣うが、当の本人はニコリと微笑んで疲労を見せない。
「うん平気。ちょうどジャックさんからも聞いていたからね、むしろタイミングよかったかも…このままお通しして」
「はい…では、すぐにお連れ、しま…す」
見た目には年上の大人な容姿のメルロだが、テテテと早足で退室していく姿にはまだどこか少女の頃を思わせるものがある。
一度、精神を病んでしまったからなのか、あるいはもともと可愛らしいトコロのある女性なのかはわからないが、彼女も随分と元気になったとミミは自分のところに来たばかりの頃の様子を思い返しながら退室するその背を見送る。
応接室で一人になった途端、ほのかな寂しさが湧いてきた。
いつの間にか周囲に人がいる状況が当たり前になった―――そんな現在と、父を亡くして爵位や領地を取り上げられた頃の自分を比べて、感傷に
嬉しい…と、想う。
だが同時にこの状況を壊したくないという怖れと、プレッシャーも感じる。
「……キミはどう? 賑やかになって楽しいかな?」
自分の下腹部に何気なく語り掛けた。もちろん返ってくるものは何もない。けれど胎内でほんの少しだけ魔獣の卵が動いた気がした。それが返事なのかただの偶然なのかは分からないが、前者を信じた方がロマンがある。
「そうだね…大変だけど、悪くない…かな」
うら寂しい応接室。しかして穏やかなひと時……両目を閉じながら軽く天井を仰ぎ、心身ともにリラックスする。
やがて鳴り響くノックの音。
「どうぞ、お入りになってください」
ミミの返答と共に、メルロとイフスがゆっくりと応接室の扉を開く。
モーグルとアレクスは、使命を果たして戻ってきた者としての緊張感こそあれど、相手の人となりを知っているだけに、どちらかといえばリラックスしている。
だが――――はじめての地、はじめての町、はじめての家、そしてはじめて会う、親以外の
少女は緊張から、コクンと小さく喉を鳴らしていた。
やがて開いた扉の先、部屋の中のソファーに、穏やかに座っている女性の姿が見えてくると少女はより緊張し、今は無き両耳を強く立てて硬直させた。
「ほら大丈夫だから、入って椅子に座らせてもらえ」
モーグルが背中を押し、イフスとメルロも穏やかな表情で中へと促す。
すべてが初めての少女。最初は恐る恐る…だが緊張に耐えられなくなって、つい走り出してしまう。自分でもいけない事をやっちゃったと思いはするが、止まらない。
タタタッと小気味よい足音を立てながら、応接室は耳の長い女性の前の椅子に飛び乗ってしまった。
はしたない。マナーがなってない。恥ずかしい行い。
心の中で自分が自分に叱ってくる。分かっているけれど、頭の中はグルグルするばかりで自分でも何がなんだかよくわからない。
だから少女は、目の前に座っている女性をじぃっと観察した。観察する事しかできないから。
女性は少し驚いた様だった。きっといきなり入ってきてはしたなく椅子に座ったからだと少女は思った。
――――なにやってるです? 呆れられてるですよ。
――――でも、でも、モグラのおじさんが座らせてもらえって言ったのです。
少女の中で、異なる意見の自分達が目まぐるしい応酬を開始する。すべては己の行いに対する言い訳だ。あるいは正当化して、恥ずかしい事をなかった事にするための。
何よりこの女性から呆れられたり嫌われたりするのが嫌だった。そこまで気持ちが回って、そして少女はにわかに理解する。
それは一目惚れだったのだと。といっても恋慕の類ではない。
生き物の中には、生れてすぐに見たものを親と思い込む習性を持ったものがいるというが、それに少し似ているような感覚。あるいは、ほとんど時間を共にしたことのない犬や猫が、初対面の新たな飼い主に懐く感覚。
もちろんミミは少女の血縁者ではないし、少女もそんな事は分かっている。
だが、けれど、でも……少女を迎えてくれたこの女性の微笑みは、佇まいは、雰囲気は――――
「(似てた……ママみたいに……笑ってた…です)」
容姿はまったく違うし母親よりも全然若い。それでもたおやかで穏やかに微笑み迎えてくれたその姿は、より幼き頃に感じていた母親の温かさを少女の幼き
時間が経過するほどに自分がやらかしちゃったことを恥じ、この女性から嫌われたくない、呆れられたくないという気持ちが、少女の内にどんどん沸き起こってくる。
一言たりとも言葉を交わしたこともないのに、なのに、なのに…好きすぎて、そして今度は怖くて泣きたくなってくる。
怒られる? 呆れられる? あの笑顔が、怖い顔になったらどうしよう――――そんな少女の、嫌われてしまう事に怯えた心。
それを知ってか知らずか
「よく、今まで生きていてくれました……。頑張りましたね……」
ミミは、何よりも少女が絶望に沈んでなおその命を失わなかった事を褒めた。ひとりぼっちの辛さは彼女にも経験がある。
だが少女のソレとは違ってミミには父の残した財や、先を見据えて選択する余裕がまだあった。寂しくともなんとかやっていける道があった。
しかし一般人の、ツテも何も持たない幼き者。しかも父親よりその身を守るためにと一族の特徴たるその耳を切られ、両親を失い、その亡骸を一人埋葬し、民を不幸に貶める地で……なおも生きてきた。
そんな、未来に一切の光明を見る事の出来なかった少女の日々は、ミミの幼き頃とは比べ物にならない…まさに生き地獄であったはずである。
心を
見る見るうちにその表情はくしゃくしゃになり、涙がどっと溢れ、そして……
「う、…う……、うぁぁあああぁぁぁぁぁぁあぁんん!!!!」
両親の死にも人知れぬところで泣いた健気な少女が、何かが決壊したように人前で泣く。
その感情の波を理解できない者はこの場にはいない。モーグル、イフス、メルロは、それぞれに目がしらを抑え、あるいはもらい泣きの涙で目を潤ませた。
アレクスに至っては廊下に一度出て隅っこにうずくまり、必至に泣き顔を隠して声を押し殺すほどに感涙していた。
――――――――都市シュクリア郊外。その遥か上空……
「ほぉう、アレですか…なるほど? アトワルト候のおっしゃっていた怪しい輩というのは」
ミミとの会談を終えたジャックは、町から少し北に出たところで空高く飛びあがっていた。
高度はおよそ800m……空を飛んでいるわけではない。ただジャンプしたまま現在も
しかし彼は余裕の、目に見えない椅子にでも腰かけてくつろいでいるかのような体勢で遥か遠き北方を眺めている。
「どうやら、私の推測は間違っていなかったようで……にしてもダメですね、最近の若者は? 見られている事に
嘆かわしいとばかりに、ジャックは軽く頭を横に振って眼鏡のズレを直す。
直線距離にしておよそ100km程度先……途中に地面の起伏やら樹木やらと、いくらでも障害物のある先。正確に観察するその視線を、今度は少し手前に向けた。
「北に向かう一行…あのリザードマンは……アトワルト候の手の者でしたかね? ……ふむ、森へ向かう途上…先遣の調査隊といったところか。そして――――」
今度はクルリと首をひねり、南東方面を伺う。
「あの山の上にいるモンスターが
突如、余裕を浮かべていたジャックの表情に険しいものが浮かんだ。
「まさか……いや、あり得なくはない。ですがあのような大物がこんな地上の片田舎にやってくるとは…何か大きな動きが?」
ジャックの全身から存在感が消える。念のために気配を消したが、向こうは既に察知しているかもしれない。
いつも不敵に
「おや、更に後方に……またですか。顔も見たくない旧知がこの地にやってくる……まったく、何が起ろうとしているのですかねぇ? それともこれから起こす企みでも持ってきたのか…」
ガドラ山の麓の街道をカスを伴って歩いてくる者の姿に辟易とした気分を覚えながら、ジャックは跳躍を折り返して降下へと入る。
上空およそ1200mからの自由落下。もちろん彼には翼など生えてはいないし、何かしらの魔法を用いようという兆候も見せない。
ドンドン落下は加速していき、そしてみるみる地面は近づいて―――――――
トーーーーン………カッ……ン
片足で、北へとのびた街道の上に降り立った。遥か上空から落ちてきたにしてはその衝撃は小さく、街道の路面には穴どころか傷らしい傷もついていない。
「やれやれ、少し鈍ったかもしれませんね。この私としたことがあの程度の高さからの着地をしくじるとは」
傍目には至極優雅な着地。足にダメージを受けもしなければ僅かな体勢の乱れもない。
だが着地の際に音を立ててしまった事がジャックには不満であった。それは同じ事をしても、一切音を立てないレベルを知っているからこその辛口採点。
「それにしても…アトワルト候は本当に面白い御方だ。
もっとも今回ばかりは面白がってばかりもいられない。さすがにこのまま傍観していては、その面白い取引相手を失う事態にもなりかねないと、彼にしては珍しく危機感をあらわにする。
ジャックは、アゴに片手をあてて何事かを考えながらシュクリアの町中へと戻って行った。
―――――――夕刻、大広間。
大広間とはいっても、10人ちょっとが一堂に集まるのが限界の広さだ。借り家ゆえ致し方ないが、そこにミミに従う者全員が詰めるには、さすがに手狭…特に体躯が大きめなアレクス、ノーヴィンテン、カンタルらは懸命にその身を狭めている。
気を回して
中央テーブルには、粗末ながらイフスとメルロが頑張って用意した料理の数々が並べられ、椅子にはミミ、ドン、モーグル、そして客人のダルゴートとワラビットの少女が腰かけていた。
「フルナさんはザードさんとジロウマルさんに付いて、マグル村に調査に出てもらったから、今ウチにいるのはこれで全員かな」
「はい、全員集まったかと思いますミミ様」
イフスに頷き返すと、あらためて見回す。
イフス ――――――ハーフエレメンタリオ(半精霊人)
ドン ―――――――ゴブリン(小亜人)
メルロ ――――――ハーフトードマン’(混血蛙亜人)
ラゴーフズ ――――ドラゴンマン×ナーガ(混血竜姿亜人)
エイセン ―――――ワーウルフ(狼獣人)
ハウロー ―――――ハーフハウンド(半身猟犬)
カンタル ―――――ビートルマン(甲虫亜人)
ノーヴィンテン ――シャドウデーモン(影潜悪魔)
ヒュドルチ ――――スネークマン(蛇亜人)
ムーム ――――――スライムマン(有知性粘液生命亜人)
モーグル ―――――モグラマン(土竜魔人)
アレクス ―――――ワービースト(獣王魔人)
ダルゴート ――――ドワーフ(小亜人)
ワラビットの少女――ワラビット(兎獣人)
…自分も含めて総勢15名+泥の魔物ゲフェの子供。
それらが一室にひしめく様は、領主として赴任してきた頃には想像もつかなかった賑やかな光景だ。
ミミはクスっと微笑んでから軽く片手を上げる。途端に全ての音がなりをひそめた。
静かになったのを確認すると立ち上がり、自分の隣に座っている少女の椅子の背もたれに片手を添えて口を開く。
「皆さんに集まってもらったのは他でもありません。この
カチンコチンに固まってる少女は、優しく肩に触れられた事でようやく、飛び出しそうな勢いで立ち上がった。
「わ、わ、ワラビットのる、る、る…ルゥリィですっ! よ、よろしくおねがいしますっ」
温かな拍手が起こった。
少女の名前は ルゥリィ(リリィ)=クラリエス。
ボサボサだった髪はメルロによって綺麗に
艶の無かった薄い赤橙色は輝きを取り戻しており、入浴後を示す
身に着けるは決して高価ではない……しかし卸したばかりのドレスは、一般に広く用いられている子供用のソレ。しかしイフスによって随所に新たな刺繍が施され、若干ながら品格のグレードアップが図られている。
さして珍しくないレベルの服とはいえ、彼女が今まで着用していたものとは雲泥の差だろう。
痛々しく切られた短い耳は綺麗な白一色。もう色をつけて偽る必要はない。これからは一日でも早く元の姿を取り戻せるよう治療に励めばよい。
そして、やはりワラビット族の女の子である。幼いとはいえ綺麗に洗われたその肌には、既に美少女の片鱗たる輝きが見て取れた。
まだまだ幼くて愛らしくも、種族の特徴をキチンと内包している少女は本日より、アトワルトの姓を名乗る者となる。
ルゥリィ(リリィ)=クラリエス=アトワルト。
これよりはそれが彼女の正式なる名。亡くなった両親の姓をしかと継承しつつも新たな人生を歩み出す。
ミミを義母としてアトワルト家の一員となった新たな仲間に、一堂に会した者達は皆、祝福を送った。
――――――――マグル村。
「皆、今戻った…ザード殿と領主様からの遣いをお連れしたぞ」
ジロウマルと魔獣スレイプニル、そしてザードにフルナの一行は、夜の帳が降りはじめた頃にマグル村へと到着した。
スレイプニルの脚の速さのおかげで、夜とはいえまだ空は僅かに明るい時刻での到着。
村内ではちょうど各所で明かりを灯し始めたところだった。
「おお、ジロウマルさん。よく無事にお戻りに! それにザード殿もよく来てくれました!」
ザードとジロウマルは、スレイプニルとその背に乗ってるフルナに先行して村内に入る。ザードは迎えた村人に近づくが、ジロウマルは周囲を念入りに警戒してキョロキョロと見回し続けていた。
「おう、話はだいたい聞いているが……シャルールさんはまだ戻ってきちゃいねぇのか?」
到着早々ではあるが、ザードはすぐに状況を聞く。もしかすると戻ってきているかもしれないという期待がないわけではないが、村人の様子からすぐに察し、顔を曇らせた。
「…残念ながら。すみません、我々の力じゃ森に入るのは危険すぎてシャルールさんを探しに行くことも……」
「いや、それが正解だ。下手に探しにいってまた帰ってこないなんて事になっちまったら最悪だからな……っと、そうだった。僅かではあるが、ちょっとだけこっちは朗報があるぞ。おおぉいフルナさんよ、そのまま村の中に引っ張ってこさせてくんねーかー?」
「はーい、了解だよっ! じゃー魔獣クン、もう一仕事お願いっ」
『ブルルルッ! ヒヒィーンッ!!』
任せろ言わんばかりに頼もしい
「なんだいなんだい? その大きな箱は???」
スレイプニルの胴体に取り付けられたロープで引っ張られてきたのは、ソリ状の運搬具の上に乗った大きな木箱だった。
ザードも余裕で中に入れそうなほどのソレにフルナが飛び乗り、縛っていたヒモを解く。
再びスレイプニルの背に彼女が飛び移ると、途端に箱を形成していた板が四方に開いて、中身が姿をあらわした。
「!! こ、これって…ぜ、全部魚か!??」
「です! アトワルト様のご命令で、皆への配給品だよっ!」
村人たちがワッと歓喜に沸いた。
シャルールも帰ってこない今、マグル村の食糧事情はさらに切迫しつつあった中での食料品の到着である。喜ばない者は誰一人としていない。
だが……ザード、そしてジロウマルは見逃さなかった。歓喜に沸く人々の中に、明らかに真逆の態度を取る者がいた事を。
「(ザード……)」
「(ああ、分かってるぜジロウマルさんよ。アレは村のヤツか?)」
「(いや……暗いせいでよくは見えないが……よそ者だ。オレスの者も含め、見た事がない)」
ザードと違ってマグル村に居住して久しく、村を離れるという事の方が珍しいジロウマル。しかも酒場のマスターとして勤める職業柄、人の顔を覚える事に長けているし、事実として村人の姿や顔は全て把握している。
そんな彼が
「……フルナさんよ、俺らは念のために村の周りで変わったところがねぇか調べてくるんで、そっちの方は任せても大丈夫かい?」
「オッケー! というかそれがボク…っとと、
ミミから受けたフルナの今回の仕事は、この干物にした魚の配給および魚の飲食が滞りなく行える状態であるかという、ハロイドからの加工品の日持ちのほどと運搬、および食せるかどうかのテスト。
そして次点でザードとジロウマルを手伝い、マグル村および北部で起きている事を把握し、ミミに情報を持ち帰る事である。
南東はガドラ山のモンスターの件もある。
ザードとジロウマルはミミの部下というわけではないため、本来ならば憚られる民間人への情報の伝達もミミはあえて領内北方、特に森で何か妙な動きがある可能性を彼らに伝えていた。
二人が村人の押し寄せる中、すぐに違和感に気付けたのも、そうした前情報を貰っていたというのが大きい。
そして彼らは頷きあう。その場では別れてそれぞれ違う方向へと歩き出す。
だが……行き着くところは最初から同じ。対象に勘付かれずに、なおかつ村人達を不安にさせぬよう、軽く泳がして村の外へと移動した地点で、その者を挟む形で捉えた。
「よーぉ。お前さんはいいのかい。腹は減ってるんだろう? 魚はたっぷりと貰ってきたんでなぁ……よそモンの一人や二人、御馳走するぐらいワケないぜ?」
ローブを纏った男…
堂々と歩き迫ってくる巨躯のリザードマンを相手に後ずさる。だが振り返れば…
「どこの村の者か……それとも、この辺りの者ではない旅の途上にある者か? このような夜更けに村を出るは危なかろう…あるいは急いで出立せねばならぬ理由でもおありか?」
異様なる姿のインセクトエビルが退路を断つ。
そして一切の隙もなく、ザードとは逆に恐ろしいほど静かな歩みで距離を詰めてくる……
ローブを纏った男がどんなにあっちを見こっちを見しても二人に隙はなし。
正反対の二方向を閉ざされているだけで全方位囲まれているわけではない。にも関わらず、この二人から逃げきれる気がまったくしない。そんな感じだ。
「(下っ端か? …村の様子を探りにきたのか、野良にいくらでもいるただの
「(当たりにしろ外れにしろ、まずは確実に捕獲する……)」
目の輝き。それだけで二人は意思疎通する。
普通よりも一段深い戦いの闇を知る者同士だからこそ出来るコミュニケーション。
森から聞こえる夜鳥の声。村から聞こえる喜びの声。
それに挟まれた中、3人は……動く!
「…ちっ、ちくしょうがっ」
ザードとジロウマルが歩みを止めて地面を蹴った。一気に3人の距離が詰まる中、ローブの男が選択したのは、ギリギリでの上空への回避だった。
飛翔―――――ではない。それは有翼なるものの飛行!
ローブの男はほくそ笑みかけた。逃げ切れると思ったのだろう。もしくはザードとジロウマルが互いに正面衝突するとでも思ったのか。だが!
「読んでたぜっ!!」
ザードがグッと頭を、いや上半身全体を大きく下げる…地面に突っ伏す勢いで。その後頭部にジロウマルが飛び乗ると、すぐさまザードは身を起こした。
タッ…ンッ!!
「ぬなぁっ!??」
インセクトエビルのジロウマルは見た目に伸長も低いが、身の肉付きも少なめである。
なのでかなり身軽であった。そこに自身の脚力と、ザードの力強いジャンプ台が加わる事で、空中高く飛びあがったはずのローブの男を余裕で追撃する。
「ザード…いくぞ、殺すなよ……」
「おうよ、手加減は得意だぜ!!」
空中でジロウマルの身が
ザッサンッ! シャッシュッ! シャンッ!!
「ぎゃぁああぁぁッ!!?」
「転閃……朧落とし……」
最後に前1回転しての一撃が天よりローブの男の身体を叩きつけ、空中から地へと落とした。
「そうらよ……とっ!!」
ドゴォッ!!!
「ゲブゥッ………、………」
落ちてきた男の腹ど真ん中にザードの拳がめり込む。
男は泡を吹いて痙攣し、彼の腕にぐったりとその身を預けた。
「どうだ、腹いっぱいになったかい? お代はてめえの知ってる事全部だ…食い逃げは許さねぇぜ」
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