第94話 第6章4 淫魔達は微笑みて踊りだす


 マグル村の住人達との交流はスムーズに進んでいて、ベギィは久方ぶりの安堵感を覚えていた。


「(次こそは上手くいくか…やれやれだな)」

 イラ立っていた精神が少しだけ落ち着く。

 マグル村に来てよりおよそ3日。今のところ、森の部族の者とマグル村の者との間で摩擦や問題は生じず、連日に渡って穏やかな接触と会談が続いている。


 粗末には変わりないが、森の部族の村よりかはマシな寝床と料理。まだ幾ばくか文明というものを知るマグルの村人達との対話。


 より酷いものを体験した後だからか、この程度の田舎村でさえも楽園…とまでは言い過ぎでも、ある程度ポジティブな気分をベギィは感じていた。



「(彼奴ら・・・がそれなりの物資を調達してくるのを待つ、か…)」

 森の中、部族の村の環境を少しでも改善せんと、ひそかに適当な人員に賊仕事をさせての物品の調達も試みている。その帰りと成果を待つというのは何とも屈辱的な話だが、拠点化するにあたり色々と足りなさすぎる今、ある程度は致し方ない。


 魔界本土にある一族・・の拠点より物資を手配する手も考えはしたが、魔界と地上を行き来するのは人にしろ物にしろリスキー。

 そこから自分の足取りや正体を辿られないとも限らない。しかしベギィには出来るだけ早く今の任を終えて帰途につきたいというれがあった。


 そこから導き出された結論は―――――現地調達。


 万一の事も考え、自分にまで糸を手繰り寄せられないようチンケな賊を装わせたものの、それが失敗するかもとは微塵も思っておらず、失敗したところで問題はないと彼はたかくくっていた。

 手配した者たちが、こんな田舎を行き来する者相手に遅れを取る事はない。大した物を得られる期待はないが、少なくとも大自然の恵みとやらだけで暮らす未開な地の改善に役立つであろう物資は入るだろうと期待していた。



 …しかし彼は知らない。手配したその連中・・が、既に一人残らずこの地上世界にはいない事を。

 メッタメタのギッタギタに打ちのめされた挙句、口を割った上で魔界本土の牢獄へと叩きこまれている。


 確かに元は魔界の傭兵くずれであり、地上世界のそこらにいる一般的な人々に比べれば強い者達ばかりだった。

 ところが彼らが出くわした相手が、まさか魔界屈指の大貴族……隣領の長たるラミア族だなどとは、ベギィにしても夢にも思ない事だろう。



「(デカい口を叩いてこの任につかせてもらったのだ…一族内でも俺の発言力を高める好機。とっとと成功させ、帰還したいというのに…)」


 ベギィはもどかしいと拳を強く握る。

 たまたま掴まれた舞い落ちる木の葉が中でバラバラに砕ける。再び手を開いた時、粉となったそれは儚くも風に舞って散り、空の彼方に消え去った。








 そのころマグル村の酒場の中では、シャルールと数人の村人達、そしてザードにスティンらが集まっていた。


「―――では、エイセンさんには後で私から伝えておけばよいのですね?」

「ああ頼むわ。部族のモンやシャルールさんも下手に接触しねー方がいいからよ。世間話でもする感じでしれっと伝えといてくれや」

 ザードに言われ、わかりましたと答えるはたんなる村人の一人。


 連中に気取られないよう、領主にあれこれ伝えるために必要不可欠――――なれど、ザードは特定の人物が領主の使いであるエイセンに直接話すことはなるべく控えるべきと判断した。


 エイセンが領主ミミの配下である事を連中に知られなければ、自分達にとって有利な材料となる。

 何より今、ここで行おうとしている事は連中に漏れないようにしたいとシャルールにも言われている。本来ならエイセンにも同席してもらい、直接話したり見たりしてもらうのが望ましいだろうが、あえて外した。


「それで、言われた通りに道具揃えましたけど…こんなもので一体全体なにをおっぱじめようってんですか、シャルールさん?」

「ふっふ~ん、それは見てのお楽しみ! じゃあ早速しちゃおうっ」

 するとシャルールは、テーブル上に置かれた大き目の紙の上に何やら墨を付けた筆で描きはじめた。


「これは魔法陣…か?」

 偽村長によるシャルールへの “ 呪 ” の付与する様子や魔導具などを見ている分、スティンも多少は知識をつけている。それでもそれがどういうものなのかまではその知は及んでいないので、己の理解のほどには自信薄といった様子だ。


「そそ、ちょーっと特別なものなんだけどね。淫魔族わたしたちにしか使えないって言ってたけど……実は私もよく知らないんだ。みんなは上手くいくよう祈ってて、使うのは今回が初めてだから」

 何やら大円形にところどころ角が飛び出した図形の中、文字と記号と虫がのたうち回るような線が随所に書き込まれた、奇妙な魔法陣を描いたシャルール。

 すると今度は、油を入れた薄皿に火を灯して作られた簡易ランプを四隅に置き、目を閉じて両手を組んだ。


 さながら儀式めいた雰囲気だが魔力の気配は感じられない。傍目には魔術に興味のある素人が、何かの本を読んでそれっぽい真似事をしている程度にしか見えない。


 しかし、シャルールがブツブツと何か文言を呟き、組んだ両手をほどいて魔法陣の上にかざした途端――――――


 シュウウウブッ!!!


 モノが焼けるような音と共にただの墨で描かれた魔法陣が、紙の上で発光して回り始めた。

 器の意を成すとおぼしき円の図形を構成する太いラインがグルグルと回る中、文字や記号、意味不明な線などが撹拌かくはんされるように激しく蠢き、やがて何やら意味のある文章めいたものへと変化しながら渦を巻いて―――――


「!? あ、熱いっ……身体が、急にっ」

 シャルールが不意に苦しみだした。全身がいきなり燃えるように熱くなったのだ。


「な、なんだ??」

「副作用か何かなのか…だ、大丈夫かいシャルールさんよ?!」


 この謎の魔術めいた儀式に伴うリスク的な何かなのかと戸惑う周囲の人々。しかし、それにしてはシャルールの様子が明らかにおかしい。


 そして背の高いザードは気づいた。シャルールの服の隙間で見え隠れしている、妙な発光を伴った、肌に刻まれているような線の存在に。


 ・


 ・


 ・



 同時刻、マグル村の広場。


「! これは魔力の反応か? …あの娘、一体何をしている」

 ベギィは突然走りだした。


 迷う事なく、酒場へと一直線に向かう。



 酒場の前で普段仕事を装いながら警戒していたジロウマルが、その様子を遠目に捉え、窓から内部に向けて簡単なハンドシグナルでもってすぐさまザード達に伝えた。


 ・

 ・

 ・


「! やべぇ、奴がこっちに来ている! シャルールさん、一度止めた方がいい、マズイぜ!」

「だい、じょうぶ…っ、後は……これを…こうっ!!」


 バシャッ! ボワァアアッ!!


 苦しみながらも四隅のランプを全てひっくり返すシャルール。


 魔法陣の書かれた紙は一気に燃え上がり、中心部でまとまった文字が全て煙と化して立ち上り、そして虚空へと消えてゆく。


 紙も完全に燃えて灰も残らず消滅―――



 バタンッ!!


 ――――したと同時に、酒場の扉は勢いよく開かれた。



「……。…おや、これはこれは、どうかしたんですか? そんなに慌てて」

 村人が何食わぬ顔でベギィに振り返る。

 その間にザードとスティンが、シャルールを介抱するかのように装った。


「なに、急な魔力の気配・・・・・を感じたものでね、…何事かあったのですか」

「(! なるほど、…それで彼女をあっさりと手放したのか!)」

 スティンは、なぜベギィが簡単にシャルールをマグル村へと帰したのか不思議だった。森の部族の実態を見聞きし、その身で経験している彼女の存在はベギィにとっては泣き所になるはずなのに。


 もちろんこの村に着いてからも、スティンを彼女の警護にと常時近くに付けさせてはいるし、相応に警戒はしているようではある。


 が、いつ何時、彼女が森の部族やベギィ達の事についてマグル村の者に話さないとも限らない。

 にも関わらず、なぜ彼女を束縛することもなければ何かしらの制限をかけたりもしないのかが、スティンにはかねてより疑問だった。



「…いやあ、村のみんなのためにもっと料理を効率よく出来ないもんかと、シャルールさんが火の魔法に挑戦するってんでね、皆で見守ってたんですよ。ま、見ての通り失敗しちまったわけで…ご心配おかけしたようで、すんませんね」

 しれっと嘘をつくザード。

 しかし、見ればテーブル上には皿ランプがひっくりかえっていて、火の気配のする香りが酒場に充満しているこの状況。彼の嘘は実にマッチした言い分だ。


「そうですか、それはそれは……努力家で村人思いなのですね、彼女は。ですが生半可な魔法の使用は危険ですよ、無理せず今あるかまどで我慢する事をお勧めします」

 ベギィは語らない。当然だ、自分達の企みのための隠した手札を語るはずもない。


 だがスティンとザードは気づいていた。


 ベギィが “魔力の気配 ” と口走ってしまった事、そしてザードが見たシャルールの身体に表れた妙な発光……。


 ・

 ・

 ・


「間違いない。おそらく彼女は “しゅ” によって奴に監視、または管理されているとでも言うべき状態にある」

 ベギィが酒場から去った後、スティンは端的に結論を述べた。


 シャルールの身体に施された “ しゅ ” は最初、森の部族の者に逆らえないようにしつつ部族の者と女児を3人設けなければ解除されない、という形で偽長老が彼女に施した。(※「第二編 2章5 森の棲み人」参照)

 その後、ベギィによって解除されたかに思われていたが……


「奴がやってきた当日の夜だろう。“しゅ” があの男の管理下に移され、どこまでのものかは不明だが彼女をある程度、縛るものへと変えられている」

 スティンの見解は、概ね正しいだろうとザードも頷く。


 彼らにしても “ しゅ ” が何なのかは分からない。が、今日の件でベギィが彼女に何がしかの制約を与えたり、彼女が何かした際に離れていても感知できるような仕掛けを施している事は明白だった。


「シャルールさんになんてモンを…どおりであの野郎、妙に余裕があるワケだ」

「―――その “ しゅ ” とやら。最低でも魔法…魔力の使用に反応する事は間違いないようだ。オーナーシャルールの身体の魔力が落ち着くに呼応し、発光の度合いも下がった」

 彼女を寝かせ付けにいったジロウマルが、そう述べながら二階より降りてきた。


「…会話も注意した方が良さそうだなこりゃあ」

「その場合、おそらくは彼女のみだ。もし周囲も含めて全てを把握できるのであれば、すでにこちらの何もかもを知られているはず」

 それは会話まで盗み聞きできるとすればの話が前提だ。だが慎重であるに越したことはないと、ザードとスティンは結論付け、頷き合う。


「ではシャルールさんとの会話では、何かこう…直接的なことは言わないほうが?」

「ああ、そうしてもらった方がいいな。他の村のやつらにもこっそり言っといてくれ。迂闊なことは言わねぇようにってな」

 一気に厄介な話となった。これではシャルールを踏まえて密談の類を行う事が難しくなる。ザードは思わず右人差し指で己の頭を軽くかき、まいったなと呟きを漏らした。


「あの男が彼女をあっさりとこの村へ帰したくらいだ、可能性は高い……他に何が仕掛けられているとも分からないだろう。今後は彼女自身にも行動や発言を注意させた方が良い」

 自分で言いながら、スティンは一気に希望が遠のいた気分になった。


 “しゅ” について認識してしまった事で警戒のために今後、どうしても活動が萎縮せざるを得なくなる。そうこうしているうちにベギィ達が抱いている良からぬ企みを完遂させてしまったりしたら最悪だ。


「(かといって、彼女に危険を承知で何かさせることは―――――)―――そういえばザードよ。彼女が行ったあの儀式のようなものは、結局はなんだったのか? あれでは最後までうまくやれたのかどうかも分からんが…」

「そりゃあ俺にも分からねぇよ、アレが一体なんの意味あんのか見当もつかねぇ。魔法やら魔術やらに関しちゃ詳しいところはサッパリだ。…けどよ、シャルールさんが言ってたろ?」



―― 特別なものなんだけどね。淫魔族わたしたちにしか使えない… ――



「ってよ。んなら、なんかスゲェもんなんじゃねぇか? ……少なくともあのベギィって野郎に気取られなかっただけ今は良しとしとこうや」

「だといいが、あまり楽観的に構えてはいられんだろう。どのような意味があるかは不明な以上、不発に終わる事を前提に今後のことを考えるべきだ」

 スティンは生真面目だなとザードは肩をすくめる。


 もちろん彼の言い分は分かるし、その通りだ。しかしこういう状況だからこそ、ザードは肩の力を抜いてみせ、気負い過ぎないようスティンに促した。









 そして、同じ頃―――――魔界本土は淫魔族領内、ルリウスの館。


「ほう…久しぶりに飛んできおったわ。どれ…」

 部屋でくつろいでいる淫魔族の長、クスキルラ=ルリウスの視線の先……中空にてソレはいきなり現われた。


 炎が風のようになって流れながら、差し出されたルリウスの片手に向けてゆっくりと降りてきて、手のひらの上で球体状に渦巻き始めた。


 そしてルリウスがもう片方の手で、何もない空間より純白のハンカチのようなものを取り出し、その渦巻く炎の中へと無造作に放り込む。


 ボボッ! ボボボッ! ジュシュウウゥッ!!


 渦巻く炎がハンカチの表面に宿るようにして燃え盛り、やがてすべてが消える。

 残ったハンカチがひらりひらりと降りてきて、ルリウスのひざの上に広がった。表面にはハッキリとした文字が描かれている。


「………ほぅ。先の件といい、こうも短期間で続けざまに同じ場所でのう。しかもこの魔力の残滓……何やら割り込まれて・・・・・・おるな」

 文字に残った魔力は、ハンカチ全体に染みわたっている。

 ルリウスは文面を読みつつも、染みわたっている魔力の質や染み方などより、この一族秘伝の連絡術を行った際の自分の娘の身に何が起こったのかを読み解く。


 文面には込められない事情を魔力残滓によって伝えられる、まさに秘中の秘だ。


「……これはまさか…… “ しゅ ” …とはのう。地上世界にかような真似が出来る者がいるとは考えにくいが……とはいえ、これはなかなかの異常事態じゃな」

 文面には “ 呪 ” について何も書かれてはいない。普通とはまるで違う魔力の痕跡が娘の魔力にへばりついていたればこそ気付けた。

 逆に言えば、その事について文章にて明示されてないという事は、明確に伝えられない事情があったということ。

 ルリウスは珍しく何やら難しい顔でハンカチを眺め続けた。


「……あるいは…いや、かような地に何の目論見があって…、しかしこのように迂闊に尻尾を掴ませるような奴ら・・では……可能性はなくはないが……罠という事も考えられよるし……」

 呟きながら、熱心に思考を巡らせる。


 現時点では憶測事であり確証はまったくない。しかし、もし彼女が今考えている通りであった場合、魔王の妻としては・・・・・・・・見逃せない、由々しき事態であると危惧もしていた。



「…ふぅむ、考えたところで詮無き事か。これだけでは情報が少なすぎよる。さて…如何いかんとしたものか、――――っ! お、驚かすでない!」

 ルリウスが顔を上げると、そこには娼館の総支配人を任せている自慢の娘がニコニコ笑顔で待機していた。(※「第二編 4章1 悲哀なるウサギたち」参照)


「幾度もノックいたしましたし、お声もかけさせていただいたのですが…少し待っておれ、ともおっしゃられておりましたよ?」

「む? そうであったか? ……ううむ、我ながら不覚じゃのう」

 それを聞いて彼女は、親から1本とったと言わんばかりに喜びを噛み締め、クスクスと微笑んだ。


「それで、一体何をそんなに御熱心に眺めておられたのでしょうか?」

「これじゃ。お主の妹からの伝文なのじゃが…」

 彼女は御拝見いたしますと、ルリウスより差し出されたハンカチを恭しく受け取る。

 妹と言われてもその数、万を超えてなお多いが故に、どこで何してるどの妹なのかは分からない。


 しかしさすがである。ハンカチを受け取るや否や、数秒としないうちに彼女は表情に理解の色を浮かべた。


「地上に行ったあのからですね。……そしてこれは……まさか奴ら・・でしょうか?」

「現時点ではまだそうと判断するには拙速かと思うておる。ただまあ…並みの魔術などであればともかく、 “しゅ ” を意図的に扱える者など、この魔界においても昨今そうはおらぬ。かようにカビの生えた古臭い術を用いる者……可能性はぬぐい切れぬのう」

 それが今の所出せる精一杯の見解だ。すなわち、何も分かっていないも同じであった。


「魔王様にご連絡は――――」

「まだ出来ぬよ。あまりにも可能性、憶測の話にすぎよる。確かに小耳には入れて置いたほうが良い事ではあるが……まだどこぞをほっつき歩いておるようで、城に帰っておらん、まったく」

「でしたらわたくしめがかの地に直接おもむきましょう。少なくともカワイイ妹の危機に関しましては事実……なればコレを助けついでに可能な限りを暴いてまいります」

 ルリウスはその申し出に即決はせず、フムと考える。確かに悪くない手だ。


 自分が直接動くには何かと問題が生じるが、この娘は自分の娼館の総支配人代理という仕事に就かせている。


 つまり魔界勢力において爵位などを持ち合わせてはいない者であり、他貴族の領地で活動させるに貴族社会のしがらみや影響を受けにくい。

 ましてや今回は、同族血縁である妹を助けるという立派な大義がある。そして彼女はルリウスが知る限り最も優秀な自慢の娘が一人……適任にして結果を期待できる最適な人材だ。


 だが同時に、彼女を地上に向かわせる事はつまり、娼館の支配人がその間空白になるという事で―――――今まで全てを任せていた面倒な仕事の山が、自分自身ルリウスにのしかかる事も同時に意味している。


「しかしのう…ワシは働きたくないでござ――――」

奴ら・・の動きに遅れを取っては、さすがに温厚な魔王様だんなさまもお怒りになるのではないでしょうか、お母様・・・?」

 そう言われてしまうと、さすがのルリウスもぐっと言葉を飲み込まざるを得ない。夫婦とはいっても世間一般のそれとは異なる関係性だし、互いに好き勝手やってる間柄だ。

 それでも立場ある身。世界に影響する・・・・・・・懸案に関するやもしれない事で手抜きがあったとなれば、さすがに娘の言う通り、夫は怒るだろう。


「ぬぅ…しょうがないのう、ワシの負けじゃな。なるべく早く帰ってくるようにの。…ああそれとじゃ、地上世界には我らの基盤となる場所――娼館―――は確立されてはおらぬゆえ、地味な一般人の装いをすること、忘れぬようにの」

 魔界ならば彼女らの娼館とその娼婦たちの存在は有名だ。ゆえに普段から店と同じ華美で性的興奮を誘うような装束で辺りを出歩くのは店の宣伝も兼ねており、当たり前として世間にもすっかり慣れられている。


 だが地上世界ではそうはいかない。


 淫魔族の娼館のような、キッチリと厳格かつ大人のルールを求められる場は存在も世間的認知もされていない。

 古き乱暴なる時代の感覚で、大きな都市ですら小さな宿のような規模。世間的に後ろ暗いところのある商売、という域でしか見られていないのだ。


 なので今、ルリウスや彼女が着ているような、淫魔族特有のセクシーで美麗極まりない恰好で地上世界をうろつくのは目立ちまくる上にメチャクチャ浮いてしまう。



「かしこまりましてございます。では族長ルリウス様、私めが留守の間はくれぐれもお仕事に励んでいただけますよう、重ね重ねお願い申し上げておきますね」

 ニッコリと笑顔でそう釘を刺してから退室する娘。


 これはサボれぬなとルリウスは思いっきり肩を落とした。


 彼女を待っているのは娼婦の夜の仕事……ではなく、娼館の運営に関する膨大な事務仕事デスクワークであり、彼女が大の苦手とする仕事であった。










――――――――地上、マグル村。


「…ということで、領主様にこれら事の次第をぜひ伝えてください。エイセンさん」

 シャルールが寝込んだことで酒場での集まりがお開きとなった後、その場に同席した村人の一人が、エイセンにこれまでやベギィ達の事など、世間話を装ってこと細かくエイセンに伝えていた。


「了解したぜ。なかなか大事になっているようだし、キッチリと姐様ミミに伝えるから、安心してくれ」

 別命でホルテヘ村へと出向いているフルナに代わり、マグル村へと赴いてきたエイセン。しかし今回は領主の命を受けた配下の者である事を隠し、村人達に溶け込む形で村に滞在している。


 それゆえに少し困った問題が浮上していた。



 常にベギィの手の者が誰かしら自然な風を装いつつ、村の出入り口にて行き来する者をそれとなく監視しているのだ。この状況下で普通にエイセンがマグル村を後にすると、連中に何か勘付かれてしまうかもしれない。



「(どうしたもんかな。ノーヴィンテンやヒュドルチみたいな能力でもあれば……。オレじゃあ普通に出るしかないんだけども…)」

 連中に怪訝に思われず、これといって重要性のないただのイチ村人として問題なく村を後にする――――――そのための確実な方法を考えなければならず、少しでも怪しまれたり目を付けられてはいけない。

 エイセンは狼獣人ワーウルフだ。他人の目を盗んで密かに行動するに適した能力など持ち合わせてはいない。


「(夜にこっそり? けど交代で夜もウロウロしてるって言ってたな。そこで見つかったらもっと怪しまれるし…)」

 やってきた森の部族連中は数が多い。マグル村の人口よりはさすがに少ないが、余裕で村人の動向をチェックできる頭数がいる。

 昼夜問わず彼らの目を盗んで村から出るのは、かなり難しい状況だ。


「そうだ! なあ、この村には地下とか抜け道とか、そういうのないか?」

 先の反乱騒ぎの際、ドウドゥル駐屯村での地下を掘って抜け道を作り、それを侵入路に活用したというモーグルの話(※「第一編 10章4 欲望の破綻」参照)を思い出し、エイセンはその可能性を当たる。

 しかし村人は首をフルフルと横に振った。


「地下室は…酒場やいくつかの家にはありますけどね。さすがに村の外に通じてるとかそういうのは…」

「だよなー。いや、あったらラッキーだって思っただけだから」

 普段はただの片田舎の村である。


 神魔大戦などの大規模な危険に備え、ある程度は非常時の避難計画など策定されてはいても、そう都合のよい設備はない。ましてや地下道や抜け道などがあるはずもなかった。―――が、村人が意外な事をエイセンに提案した。


「あ! でしたらこの機に作ってしまう…なんていうのはどうでしょうか?」


 ・


 ・


 ・


 マグル村でも一番端に位置する家。


「この家にはもともと、地下室が二段に渡って作られてました。なので最下層の部屋から横穴を掘り進めれば、作業音は上までは聞こえないと思います」

 少し縦に長く、地表部分でも3階建てのその建物は、一見すると倉庫や蔵の類に近しい造りをしていた。


「それはいいんだが…この家の住人はいいのか?? 地下室に横穴なんか開けられて?」

 しかしエイセンの問いかけに対し、村人は哀しそうに少し顔を伏せた。


「この家の3階…見ましたか? 一部に大穴が空いたままになっているのを。この家に住んでいた家族は大戦の時、たまたま集まっていた場所に不運にも魔法弾流れ弾の直撃が……」

 以来、この家は空き家状態。3階だけでなく1階や2階、そして地下室も手入れされている形跡はなく、あちこちが痛んだまま長らく放置されていた。


「そうだったのか。なら、有難く利用させてもらおう、って言いたいとこだが…」

 場所は良い。だが密かに穴を掘るというのは単純なようで難しい作業だ。


 何せ掘れば土が出る。それをどこかに運び出さなければならないし、それなりに人手も必要だ。

 特定の家に大勢が出入りしていれば否が応でも目立つし、そこに土の運び出しが加われば怪しいことこの上なしと、連中の目には映ることだろう。


「…うーん、いい理由が…堂々と作業しても怪しまれないような理由があればな」

 なぜ今? 何のために? 何をしているか?

 その3点において、ベギィ達が一切怪しまない理由を用意しなければならない。村人も一緒に考えるが、唸り声しか上がらない。


 そんな中、ふと家の外から声がした。


『おおーい、ここにいるかー? そろそろメシだぞー』

 エイセンに同行している村人の知り合いらしき者の声。


 マグル村は今、一手に食事を作り、村人達に均等に分ける形で食糧難に対処している。なので全員同じ料理、同じ量を分かち合い、同じ時刻に食事を摂る。

 特にここ数日は、ベギィ達が懐柔のために運び入れた食糧のおかげで、村人達にも多少の元気が戻っており、食事だけは全員が等しく楽しみとしている事であった。


「ああー、もうすぐ調査・・が終わるから。すぐ行くよー」

 空き家の調査―――という名目で二人は今、ここにいる。それもベギィ達の目と耳を警戒してのことだ。


 するとエイセンが、ハッとして天井を見上げた。彼の視線は、外から声をかけてきたであろう他の村人のいる上の方をじっと見つめている。


「…そうだ、いい方法がある。これなら奴らを上手く誤魔化せるかもしれないぞ」


 エイセンの思い付きは、その日の夕方より早速実行に移された。



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