第100話 第7章4 兎耳垂れても難は変わらず



 シュクリアに帰って早速、ミミは受け取った報告書と睨めっこしていた。


「マグル村の状況は安定してる。けどベギィ一味は村に留まったまま…」

 それは良いとも悪いとも判断しがたい状況。

 ベギィ達の居場所が把握できるという意味では、マグル村にそのままいてくれた方が良いのは事実だ。しかし問題もある。


「マグル村の住民が、少しずつ不安を募らせている…と。なるほど、厄介ですね」

 渡された報告書を流し見たドンはミミの悩みどころを解する。


 今のところベギィ一味が明確に何か悪さをしている様子はない。けれど、まるで圧をかけるかのように村の出入りを四六時中手下が見張りのように眺めていたり、村の中でも小さなトラブルを起こす回数が増え、態度が徐々に横柄になっているなど日に日に増長しつつあるようなのだ。





「失礼しま…す。…お茶……入り、ました、ので…お持ち、しました」

「ありがとうメルロさん。ドンさん、ちょっと休憩にしよう」

「わかりやした。んじゃ、こっちの資料だけまとめておきやす」

 領主であるミミの仕事は、モンスターやベギィ一味に対処するだけではない。領主としてやらなければいけない他の仕事は山のようにある。


 それはサスティに赴いている間にも容赦なく溜まり、帰ってくれば書類の山がお出迎えだ。

 いくら現状、療養を基本としている生活でも、領主であるミミにしか処理できない仕事は多い。ドンをはじめとして周囲のサポートがあるとはいえ、それでも最低でも2割ほどの案件は、ミミが直接取り掛からなければならなかった。



「………、…はぁ~、落ち着く。うーんこのまま全部放り投げたい~」

 最近、ドンたちの前でも怠けたいモードを見せるようになった。それだけドンとメルロには気を許しているということ。

 もしくは単純に色々重なり、疲れで精神的な敷居が下がっているだけかもしれないが、ともかくミミはドンやメルロの前でも自分を、思う存分出せるようになっていた。


「はは、ダメですよ領主様。放り投げられたら誰もキャッチできやせんからね」

 ドンもそんなミミを理解していた。政治的な分野では、彼女に仕える者の中で一番助力できるという事もあって、執政の助手として同室する事も多いので当然だろう。

 いつの間にやら気楽な言葉のキャッチボールに応じ、ミミのていを受け止め、仕事の同僚然とした風格まで付き始めた。


「あ…。お茶、おかわり……いります、でしょうか?」

 二人のカップの中身の量。それとなく伺ってタイミングよく問うメルロ。


「お、じゃあ遠慮なくもらおう。領主様ももう一杯どうです?」

「うん、いただこうかな。少しぬるめでお願い」

 彼女もメイドとして板についてきた。まだまだ一人でこなせる仕事は少ないが、それでもお茶に関しては普通のモノだけでなく、ミミたちワラビット族特有の茶葉も上手く淹れて出せるようになった。

 執務中に入室する際もタイミングや仕方に慣れてきたようで、お茶の給仕に限ってはイフスにも劣らないくらい成長いちじるしい。


「(時間は着実に流れてる……。うーん、いつまでも慎重な姿勢じゃ時間的な余裕が詰まるばかりかぁ。まずはマグル村の方をどうにか…ううん、先にモンスター討伐に取り掛かるほうが? ……両方同時に処理は逆立ちしたって無理だし)」

 ドンとメルロの成長や変化から時間の流れを感じ、ミミの思考は休息から一気に離れた。



 モンスター・ハウンドを完全に倒してしまえれば、南東の街道の不安は解消され、ナガン領との物流や往来は一気に元に戻るだろう。それどころか、今までの反動でしばらくは以前より活性化することも見込める。領内の食糧問題も大幅な改善が見込めるはずだ。


 しかし、モンスターが人為的に作られたモノならその作り主であるベギィには、倒されたことを認識できる可能性があった。


「(そうなった場合、ベギィ一味は一気に何かしらの積極的な行動に乗り出すかも。正直、全然手立てがない今、思い切ったことされると対応できないし…)」

 ベギィ一味への具体的な対策が立っていない事が、モンスター討伐遅れの一因にもなっている。

 ミミとしては本当にもどかしい事態が続いていた。この現状を完璧に打破する考えが浮かばない。



「(相手の狙いがハッキリすればまだ手を打ちやすいんだけれど、今のところそういった話や情報をこぼしたり・・・・・もしてないみたいだし、うーん)」

 村人との会話の中で、うっかり糸口になるような事でも口走ってくれたりしないかとも期待していたが、さすがにそうそう脇は甘くないらしい。

 明確な情報という意味では、一味の下っ端と思しきバードマンを酔わせて聞き出したというモノだけで、それ以降はこれといって耳を寄せるような新情報は上がってこない。





 ともあれどちらの問題にしろ、もう悠長に対応を考えるには限界だ。あらゆる観点から考えても、そろそろ解決のために大きく動き出さなければならない。


 重い身体に加えて精神も削れていくようで、ミミは思わず背もたれに身を預け、天井を仰ぐ。そして周囲にはリラックスしての安息と見られるように装いながら、苦悩の嘆息をもらした。








―――――その日の午後。


「というわけで、コレがその時に受け取った “ 手紙 ” です!」

 フルナが元気よく、しかしうやうやしく上半身を90度に曲げ、両腕を伸ばして “ 手紙 ” を差し出す。


「お疲れ様。結構、時間がかかっていたみたいだけれど、道中も問題はなかった?」

「はい、お嬢の手を煩わせるような不届き者もなく、我らは無事、帰路を進めました故」

「帰り道中、ハロイドにて新たな魚肉の荷物をついでに受け取ったんで、遅くなってしまったッス! 申し訳ないっス!」

 ホルテヘ村への使いを終え、帰ってきたフルナ、ハウロー、ノーヴィンテン。

 さらに、マグル村と密かに行き来して連絡役を担っていたエイセンも、彼らと共に執務室へと呼ばれていた。


「ありがとうございます。これでまた少し、領民の皆さんのお腹を満たせます。………さて、帰ってきて早速で申し訳ありませんが、4人にはすぐに行って欲しいところがあります。ここから北、オレス村の跡地なんですが」

 そう言うとミミはちょいちょいと手招きし、4人にもっと近づくよう促した。同時に長い耳が執務室周りの音を聞き分けんとして、しきりに動く。


「……現地でこの手紙を開いて、書いてある通りに行動および活動して欲しいのです、お願いできますか?」

 ミミの様子から、4人は顔を見合わせて声を出す事を控える。そして一度だけハッキリと了解の意を込めて頷いた。



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 4人が発った後、ミミはまた別の者を執務室に呼んだ。


「…というわけでお三人には、コレを持ってロズ丘陵の大森林へ行ってもらいたいのです」

 執務机の前に立つのはヒュドルチ、アレクス、モーグル。

 真ん中に立っていたアレクスが軽く会釈を行い、ミミが差し出した巻き物スクロールを受け取って広げ、中身を確かめる。


「これは……、………」

 それが一体何なのか、アレクスは口に出しそうになるもこらえて黙した。


 古く日に焼けた紙面の上に墨で描かれた古地図。ところどころ新しい墨が入れられて、元の内容より修正された跡がうかがえる。



「入り口はマグル村近くではなく、オレス村跡地より街道を少し北東に進んだところ…普通は見分けがつきませんが、木の種類が異なている部分があります。そこから入ってください。そして、こちらに何をすれば良いのかを書いてあります。森に入りましたら周囲の目がない事を確認してから開いてください」

 もう一枚、今度は丁寧に折った手紙のようなものをヒュドルチに渡す。さらにミミは、小さな袋を取り出すとそれをモーグルに渡した。


「こいつはなんですかね??」

ドンさんから・・・・・・のおすそ分けがありまして、その中から今回役に立ちそうなものを選んで入れておきました。それも後で確認してみてください、使用方法を書いた紙を一緒に入れておきましたので」

 それはかつてドンとシャルールが、イムルンという従者を伴っていた旅の不思議な戦士タスアナより渡された道具袋の中身の一部。

 (※「第一編 9章2 頑張れ女の子!」参照)


 先の反乱騒ぎの最中、一目置いたドンと、ルリウスが数多ある娘の一人であるシャルールに対し、危険な任に赴くにあたり役立つだろうとして与えられたもの。

 しかし使い方の分からない道具も多々入っていたため、ドンはそれらをより魔導具に詳しいであろうミミに預けていた。


「……今なら彼ら・・はマグル村にいます。アレクスさんならこの意味、おわかりになりますね?」

「! ……なるほど、 鬼の居ぬ間に何とやら…と。任せてもらおう」

 ミミはニコリと微笑む。なるべく口数少なく意が伝わるのは重要だ。決して聞かれてはならない相手がいるかもしれない場合は特に。


「別名でフルナさん達がオレス村跡地に先ほど発ちました。彼らがカモフラージュも兼ねますので、見つかる可能性はないとは思いますが…何か勘付かれる場合もあります。十分に慎重な行動を心掛けてください。よろしくお願いしますね」


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 アレクス達が発った後、ミミは両肩を大きく落としながら長く息を吐いた。


「はーぁ…ふぅ~……。とりあえず…ホントにとりあえず、かな。後は彼らの成果待ちと言いたいところだけれど、さて…もう一手くらいは」

 お腹を軽くさすり、魔獣の卵に今日はもうちょっと頑張らせてねーと話しかける。見て分かりはするものの、触った感触ではそこまで腹が出ている感じはしない。

 しかし、ほんの少しでも押すような気持ちで力強く撫でると、卵の曲面を手の平に感じる事が出来る。

 魔獣の卵はミミの胎内でしかと育っていることを、もう手のひらで触れて確認できる。次の段階に至るのも時間の問題だろう。


「(魔獣の卵を体外に排出するところまでいけば、魔法が使えるようになるんだけど…まだもうちょっと先かな)」

 産卵後、卵はかえるまで蓄えた魔力で成長する。なので体外に産卵する段階まで行けば、母体であるミミの負担は一気になくなる。

 とはいえ、直後から魔法や魔力を元のようにバンバン使えるようにはさすがにならない。


 大量に吸われ続け、毎日のようにミミの身体は魔力枯渇状態。肉体に魔力が回復するのを待つのは勿論のこと、魔力が満ちた状態を体に慣らすことも必要になってくる――――いわゆるリハビリが必要なのだ。


「(まだしばらく魔力に頼ることはできない…)」

 先日のガドラ山麓でのドーヴァ&傭兵達とモンスター・ハウンドとの戦闘に随行した時、モンスターの毒牙が自分を襲わんとした際にもミミは無力だった。


 何せ魔法が一切使えない状態。


 どんなに自分の身に危険が迫ろうが、満足な魔力がその身にはないのだ。

 ただでさえ少なくなっている中で無理に行使すれば、それこそ魔獣の卵が吸う分がなくなってしまう。それがどんな影響を及ぼすかもわからない。


 なので必然、ミミ自身はまだしばらくの間、自分の魔法を手札に加えることのできないもどかしい状態が続くことになる。




「(その分、使えるものは何でも使わないと……心苦しいけど)」


 コンコン――――


 扉をノックする音。ちょうど考えようとしていた、呼び立てた人物が訪ねてきた。


「どうぞ、お入りになってください」

「失礼いたします。お呼びでしょうか、領主様?」

 大柄な、甲虫系の亜人独特の色つやと外骨格が執務室に姿を現す。

 以前、イフス・フルナと共にモンスターに遭遇した件以来、主に借り家でミミの世話を中心に料理や掃除など主夫仕事を担っていたカンタルだ。

 (※「第二編 1章5 常在の危険」参照)


「うん、ちょっとお仕事をお願いしたくって。えーっと…コレを持って、デナの村へ行ってくれるかな?」

「コレは一体なんでしょうか? 見た事のない道具のようですが??」

 ミミが差し出したものは宝石めいた、しかし輝きの鈍い石のついた小さなバンダナのようなものだった。


「それは、ちょっとした魔力を吸収することができる石。以前モンスター・コボルトに遭遇してから、まだ現地の後処理は手付かずでね。またモンスターが出没しないようにしなくちゃいけないんだけど…カンタルさんにはそれを持って、デナ近くの街道でちょっとした作業をして欲しいの」

 正直なところ、ミミはカンタルをあまり用いるつもりはなかった。彼の心の棘が刺さったままだからだ。


 貴族に家族を弄び殺されたうらみ。そしてその犯人たる貴族がどこの誰だか、カンタル自身は何故か覚えていないという妙。


 今回のベギィ一味がモンスターを人為的に作り出せるという結論に至ったことで、その謎の答えに、ミミは思い至った。



「(ベギィ一味…か、どうかは分からないけれど、そういった力を持った者がカンタルさんの記憶を改竄かいざんした可能性が今のところ一番高い…)」

 その目的は不明。だが、それだけの事ができる力を持つ存在が密かにうごめいているという胸騒ぎは、ベギィ一味の存在を認識したからではない。

 あのジャックがわざわざ筆談まで使い、警戒するほどの者が近くに存在する事実こそ、ミミがその考えに至った決定打だった。



「(危険な誰かさんが近くにいる……か。ま、その誰かさんについては、今は置いとくとして)」

 カンタルに任せた仕事は非常に簡単なもの。だが、万が一にも再びモンスターが作られ、放たれたりしている可能性もないとは言えない。

 しかしミミは、あえてカンタル一人にこの仕事をお願いすることにした。


「ゴビウさんが今、デナに赴いています。鉱脈調査の件で、少し見て下さるということで…もし、モンスターが再度湧いていたとしても、危険は少ないと思います」

 相棒のドーヴァが知己の傭兵を集めたことを受け、ゴビウもサービス精神を見せた方が良いと思ったのか、たまたまデナの鉱脈調査について、ミミとドンが廊下で軽く話していたのを聞いた彼が、現地での調査を少し手伝ってやると申し出てくれたのだ。

 それでゴビウが留守にしている間に、ドーヴァ達にお願いして先日、一戦してもらったわけなのだが。


「問題はないとは思いますが、もしモンスターに遭遇した場合は、デナまで逃げてください。詳しいやり方は、こちらに記しておきましたので、現地の安全を確かめた上でお願いしますね」

「分かりました、しっかりと任務を行ってきます」

 これは予防策だ。万が一、またベギィ一味がモンスターを作らんとしても、必要な環境というものがあるはずで、それが整っていないところでモンスターを発生させるのは骨が折れるはず。


 なのでミミは、カンタルに渡した道具で以前発生したモンスター・コボルトの残滓である魔素を完全に掃除してもらい、加えてその吸収の際、周囲の空間の魔素を不安定に乱してもらう。


 自然にしろ意図的にしろ、モンスターが発生しにくい条件にしておこうというわけだ。


 ・

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「(こればっかりは蛇足かも。でも杞憂に終わるならそれでいいし、危険の少ない仕事と場所に移動させておいた方が……と思うんだけど、んー)」

 まだ日は高いがベッドに横になり、安静にする。それでも頭はまだ何か足りない気がすると思考を止めてくれない。


「(打てる手…。ルゥリィがいるから最低でも数人は常駐必須で動かせないし、私もあまり動けないから、今これ以上は………)」

 イフス・ドン・メルロ・ラゴーフズは我が養子ルゥリィと自分の世話および護衛のため、動かす事はできない。

 ドーヴァや傭兵達はさすがにモンスター討伐本番までで、これ以上は何かお願いする事もできないだろう。当然、ゴビウも同様だ。


 あとはメリュジーネが勝手に動いて何をしているのか推測し、上手く乗っかる形で利させてもらうくらいが限界だった。


「(手が足りない…のは前々からだけど、ホント苦しいな。人手は言い出したらキリがないけれど、せめてもう数人動ける人がいれば……)」

 この地に赴任してからのミミの悩みは常にないものねだりだ。それだけ領主としての己に足りないものが多いのだと、ため息が出る。

 

「………。キミを産んだら、また魔獣生みに挑戦する…なんてさすがになー」

 ミミは、手の者不足になることを予期していたからこそ、ダメ元で魔獣生みに挑戦した。

 結果としては失敗だったものが、魔王様の介入で成功に近づきつつある。なので、配下を増すべくまた挑戦したとしても、残念ながら成功の見込みはないだろう。しかも魔力を奪われる日々を強制されるのだ。

 長い目で見るならアリでも、短期で難題山積な今、とてもじゃないがデメリットの方が多い。


「他の方法を考えるしかないかー。小さな田舎でのんびり好き放題に領主生活…なんて物語の中だけの御身分だよね、は~ぁ」

 領主は領主だ。規模の大小にかかわらず、やる事は山とある忙しい立場。現実は、都合のいい物語のようにはいかないなと苦笑しながら、ミミはゆっくりと瞼を閉じた。







―――――――クイ村跡地。


「……へー…クッシュゥンッ!!!!!」

 ネージュが、その容姿からは予想できないほど盛大なクシャミをする。地面に掘られた穴蔵の中で反響し、よりうるさくなって3人の耳を刺した。

 間接的にミミの嘆きは隣のナガン領の領主メリュジーネことネージュには皮肉となって、何か伝わるものがあったのだろう。


「むー、ネージュ…びっくりしたのー」

「いやー、ごめんごめん。誰か噂でもしてるのかしらねー…まさか、元旦那が…ブツブツ……」

「? それよりネージュさん、そちらのご用事はもう済んだんですか?」

 アラナータの問いに、軽く殺意を宿してぶつくさ呟いていたネージュの表情が明るいものへとパッと切り替わった。


「ええ、とりあえずここでする事はやり終えたわ。そっちは今―――――……ナニやってるのかしら?」

 見れば奇妙な光景。3人で何やら地面にあるドロドロしたものをT字に組んだ木製の道具で押している。


「コレー? ムームのゲ――――――」

「ムームさんが “ 溶かしたもの ” を一か所に集めているところです」

 やや早口気味に、ムームの発言を遮ってハイトが説明する。このスライム娘さんが何を口走ろうとしたのかは聞かずともネージュは察した。


「ふーん。じゃ、そっちもあらかた終わったのね。でもその “ 溶かしたもの ”はこの後どうするのかしら? ミミちゃんから何か指示もらってる?」

 すると、ムームはハッとして手にしていた道具を落とし、頭を抱えた。


「む~、む~……、……む~………、………ダメなの、ムーム、思い出せないー…」

 思い出そうとするという事は何か指示はあったのだろう。泥マリモもムームの横で真似っこして、小さな突起のような手を伸ばして頭を抱えている。


「ま、覚えてないものはしょーがないわね。そういう時は特に何もしないで、素直に “ 忘れたのでもう一回教えて ” って聞けばいいのよ」

「ではミミ様のところに戻るんですか?」

「ええ、そうね。この辺じゃ手紙で聞くのも時間かかるでしょーし、それなら直接戻る方が手っ取り早いわ」

 クイ村跡地は街道に沿っているとはいえ滅んだ村の跡だ。郵便システムは生きていないし、配達者がたまたま通りかかるのを待つのも現実的ではない。

 怪しい連中が動いていることも考えれば、ただの通りすがりに領主への手紙をお願いするのも危険だ。


 この場に滞在しながらミミと連絡を取ることはできない。


 さほど考える事もなく直に帰るという結論にすぐ至る辺り、ネージュも頭は良いし、判断の思い切りの良さも光る。

 あとは自分の領地で真面目に仕事を頑張っていれば、誉れ高い名領主と尊敬を集めていた事だろう。

 しかし現実は――――


「あの、ネージュさんは大丈夫なんですか? その、ご領地の方は…」

「あー、だいじょぶだいじょぶ。私がいなくったってちゃーんと回るからへーきへーき。気にしなくて全然OKだから」

 これである。


 アラナータは気を利かせたつもりだった。

 メリュジーネが、ネージュとしてアトワルト領に来てそれなりの日数が経過する。いかに公にはナガン領内にいるとされていたとしても、実際にはいないのだから治政に支障が出るのではないか?

 それこそ一度自領に戻り、そうした確認や必要な仕事を行った方がいいのではと心配になるが、メリュジーネ自身に己の領地経営を心配している様子はこれっぽっちもなく、ハイトとアラナータは互いの困惑を共有するように顔を見合わせた。


 ・

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 ・


「さ、それじゃあ帰る準備をしましょうか。…と、その前にソレ、せっかくまとめたのにそのまま放置もアレね。――――――《凍る手の中インサイド・ストップ》」

 ネージュが唱えると、途端にムームが溶かしたものは宙に浮かんで球形状になり、表面は何やら光のモヤのようなものに包まれた。モヤの内側は何もかもが停止しているようで、“ 溶かしたもの ” も微動だにしない。


「これで劣化もしないし、しばらく状態を保持していられるわ。次来る時はソレを入れる容器とか準備してきた方がいいでしょうね。…念のため、この穴蔵にも封しておきましょか。ヘンなのが入り込んでも困るでしょ」

 魔法の力といい、実力は本当に本物なのに。何というか残念なものを見る感覚が、ハイトとアラナータの気持ちを支配する。

 唯一ムームだけは、素直にネージュの魔法を見てハシャぎ喜んでいた。


「では僕たちは馬車の準備をしてきます。アラナータは荷物を整理してくれないか?」

「はい、行きましょうハイトさん」

 さすがに頼りきりではいけないので自分達に出来ることに取り掛かる二人。微笑ましいと笑みを浮かべるネージュだが、二人が背中を見せた瞬間、その目から笑いが消え失せ、何かを射貫くような鋭く厳しい眼光を瞳に宿した。





 そんな彼女らがクイ村跡地を出発したのが半日前。街道を南西に進み、まずはオレス村の跡地を目指して順調に走っていた一行。

 しかし不意に、ハイトが手綱を引いた。


「と、止まって~っ」

 アラナータも少し緊張したような声色でスレイプニルにお願いし、馬車は急停車する。


「何事? またムームちゃんが転がっちゃったわよ、盗賊?」

「す、すみません。アレを見てください、向こうの方で何か…」

 ハイトが指さすは真正面―――――自分達の進路方向だ。

 右手にロズ丘陵があるとはいえ、街道そのものは比較的開けていて見通しが良い。強いていえばやや道がアップダウンするのが気になる程度だが、それは地形の問題ゆえ仕方ない。

 そんな、何かあればすぐに目立つ場所で、確かに砂煙が上がっているのが遠目に見て取れた。


「あの感じ………あまりいい雰囲気じゃあなさそうね。トラブルに巻き込まれるのはゴメンだけど、んー…」

 ネージュは左手を見る。街道から外れて緑の大地を迂回できればよかったのだが、街道の左側はすぐにドウドゥル湿地帯が広がっている。

 安物の馬と馬車なら捨てて強引に迂回する事も出来たが、魔獣スレイプニルと借り物の馬車なのでそうもいかない。


 かといって湿地帯に馬車ごと突入するのは無理だ。車輪とスレイプニルの足が取られ、下手すると歩きよりも動きが鈍ることになる。

 それにトラブルを起こしている者がどういった手合いかも分からない。それこそ危険な力を持った者が万が一いる場合、動きがおろそかになる状況はリスキーだ。見つかってこちらに矛向けられた場合、取れる選択肢は戦闘一択になってしまう。


「…うん、いいわ。このまま街道をいきましょう。ただし走らせずゆっくりと、ね。あそこで誰が、何をしているのか確かめましょ。ちょうどミミちゃんのとこに帰るわけだし、面白い報告が出来るかもしれないわね」

 確かに今現在進行形で何か事件が起こっているのであれば、それははるかシュクリアにいるミミの知らない出来事。

 もしくだんの連中が関わっていたり、そうでなく新たな問題だったりしたらなるべく早く領主ミミの耳に届けるべき情報になるだろう。


「わかりました、慎重に近づいてみましょう」

 ハイトはゆっくりと手綱を取り、アラナータも緊張の面持ちで頷く。


「いちおー、いつでもかっ飛ばせる心づもりでいて頂戴。大した事ないなら簡単に対処できるだろーけど、そーじゃない可能性もあるから、逃げることは常に考えておきなさい」

 ネージュの言葉が少しピリッとする。

 果たして彼女が敵わない相手などいるのだろうか? という疑問は沸くが、本人が滅多に見せない真剣な表情を見て、ツバと共に飲み込んだ。


 カッポカッポカッポ……


「………あの登りを越えれば、そろそろ見えてきそうです」

 街道がアップダウンしている事が逆に幸いした。争う声や砂煙が見聞きできてはいても、その姿は見えない。それはあちらからもこっちが見えないということだ。


「ムームちゃん、街道にべたーって張り付き進んで、こっそり向こう見てこれないかしら?」

 ネージュに要請され、ムームは実際にその場でベタッと水たまりみたいに薄くなって見せた。


「うんー、いけるーの。じゃ、ムームちょっと見てくるー」


 そのまま馬車の荷台から出て、街道を這っていく。

 水たまりが移動しているかのようで、何とも不思議な光景だ。水たまりムームはなかなか素早く動いて十秒ほどで、騒動の中心が見えるであろう緩い坂道を登りきり止まった。


「むー? ………あ、ひゅどちーたちなーのー。おーい、ねじゅーねじゅー!」

 水たまりが坂道を後退し、途中でポンッといつものムームの姿に戻ると、ネージュを呼びながら駆けてきた。


「ひゅどちーたち、おそわれてたーのー、どーするー?」



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