反乱編:第2章

第2章1 復興への長い道のり



「…完全におちとるからな」

「ホント参るな~…、いつまで遠回りしなきゃなんねぇんだコレ?」

「しょうがないだろ。新しい橋をかける様子もねぇしさ」

 彼らが以前渡っていた橋は、終戦より3ヶ月経過した今も壊れたままだ。


 村と畑を行き来するには欠かせないものだが、一向に橋が直される気配はなく、崩れた橋脚の焦げ付きが今もなお戦を思いださせる。


「領主様は何やってんだかよお。はやいとこ直してくんねーかなー」

「無理だろ。年端もいかねー小娘だぞ? 数年は我慢しなきゃなんねーだろーなぁ」

 飛行能力のある種族が我関せずと川を渡る様を妬ましく思いながら見上げる。


 ガクリと頭を垂らした男達は、3km先にある別の橋まで毎日遠回りするのにもうんざりしていた。

 彼らの身体能力をもってすればその程度の距離は問題にならない。だがこれまでの利便性を失ったいま、行政への愚痴が絶えた日はなかった。






「墓も立ててもらえないのかい」

「そうは言ってもだな…」

 亡くなった亭主の弔いが終わってようやく一息と思いきや、新たな悩みが村の主婦達を悩ませる。

 村には立派な教会があるのだが、建物の半分と墓地が大戦時に流れ弾魔法弾を受けて滅茶苦茶になったままなのだ。


 大戦の犠牲となった死者を弔うにも、教会はまだしも、墓地がこの状態では当然捗るはずがない。


「我々も懸命に作業をしておる。もう少し待っておくれ」

 半獣犬族スキュレイドの神父は、体格のよい半蜘蛛族アラクネーの主婦達に詰め寄られ、たじろぎながらも説得に腐心していた。


 彼女らにしても、教会の状態がわかっていないわけではない。だが村のあちこちにいまだ大戦の爪跡が残ったまま、処理されずに放置されている現状に、彼女らも気がたっているのだ。


「(領主様は何か手をうってくださらないものか…ふぅ)」






「これしかないのかよ?」

「しょうがないだろう、街道がまだ完全じゃねぇんだ。仕入れも一苦労なんだぞ、文句いうなっての」

 牛身魔人タウロスの店主は、こっちもいっぱいいっぱいなんだとお手上げのジェスチャーを取る。


 以前は山のように積まれ、並べられていた果物や野菜の姿は見当たらず、今は空き棚が目立つ。

 店自体は個人のものゆえそれほど大きくない。にも関わらず、品揃えはかなりお粗末な状態だ。


「くっそー、はやいとこ道なおしてくれよな領主様よぉ…」

「そう言うなって。領主様だって苦労してんだ、あんだけデカい戦の後だからな」

 しかし納得いかなそうな獣人狼族ワーウルフの客は、語気を強めた。


「そりゃあ可愛くて若くてさ、オレも最初は最高だたまんねぇ、なんて思ったりしたさ。美味そ…ゴホンッ、お近づきになりてぇと悶えたことだってあらぁ。でもよ、領主なんだぜ、その前に? いくら可愛いからってオレら領民のためにがんばってくんなきゃ無意味ってもんだろ」







「ミミさま~、また“嘆願書”が届いておりま…きゃあ!」

バサササッ

 さすがのイフーも、あまりに大量のスクロール巻物に、運ぶのにも四苦八苦していた。


「ふう、予想してはいたけれど、ここまですごい数だと見るのも嫌になりそうね」

 ミミはため息をつきつつも、とりあえず片っ端からスクロールを開いては中を検めてゆく。


「橋の修復に荒れた墓地の整理。街道復旧の催促と、山賊化した荒くれ者の対処に、財産を失った世帯の救済。孤児のための施設建設のお願いに、不当な値上げをする商人をどうにかしてくれ? 森の一部が焼けて景観が悪い、余所者が勝手に村に住み着いた、井戸が枯れた、お隣の夫婦が毎日ケンカしててうるさい、それと~~……」

 20通ほどを読み終えると、書かれている内容を案件化して1枚の白紙に書き出し、まとめていく。


 執務室の入り口付近にはスクロールの山が5つは出来上がっている。

 おそらく1000はくだらないだろう。つとめて意識しないようにしながらミミは次のスクロールを開いた。


「えーっと、美味い酒が飲みたい、女が欲しい、金が欲しい、乳もませろ?? ………。……はぁ、ここら辺のは全部破棄っと」

 こういう馬鹿げた内容の嘆願書はまだ可愛いほうだ。送り主にしても冷やかし目的で、本気の嘆願でないのがすぐわかる。一番問題なのは……


「んーと次は―――、今の領内には経済的なものが足りないので商業を活性化させるべきです……領民は壊れた家を直してくれることを一番に望んでいるのですぐさま着手すべき~……、んー」

 こういう内容だ。


 一見すると、何かわかってる風な感じで長々と書かれているのだが、結局はこうしろと一方的な要求にしかなっていないもの。こういう自称政治に詳しい素人考え領民の提案が一番面倒くさい。


「提案する事自体はいいんだけどね~。具体性があって、その上で説得力がないと取り上げる価値なんてないって、そこまでわかってくれてる領民……なんているのかなぁ」

 スクロールをクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げ込む。こういった類は全部スルーだ。長い文章を読むだけでも時間の無駄なのだから。







 領土境界線付近の村で、彼―――オ・ジャックは食事をとっていた。


「(ふむ、どうやら荒れてきたようですねぇ。まぁ順当な流れと申しましょうか)」

 簡素な屋根のテラスの下、席につく他の食事客の会話からは領主への不満がちらほらと聞こえてくる。


 だがジャックからすれば、それは予定調和だ。大戦の後というのは得てしてこういう文句を言う輩が、ここぞとばかりに行政への憤懣を口にするものだと知っているからである。


「だぁからよぉ。アトワルトはもうダメだって。ボロボロさ!」

「どこも村もヒーヒー言ってるって話だぜ、ここの領主は無能だな!」

 その声に同調するのもそいつの勝手であり、ジャックが彼らに異を唱える気はない。


「(愚民と交わす言葉などありませんからね。それに、彼らのような愚か者に同調する盲目の民など、むしろ好都合……為政者からすれば腐った芽を間引く好機でしかない……)」

 放つ言葉に説得力の一つもあれば、彼らの言をねじ伏せる論議でも交わしてやろうとも思えただろう。

 だが彼らはあきらかに、又聞きの情報のみで知ったかな薄っぺらい批判を叫んでいるだけでまるで価値がない。


「(各町や村に致命的な問題はない。戦火を浴びたのですから、その分の爪跡はあって然るべきで、それを加味してもこのアトワルト領は随分マシである事がわからない見識の狭さ……)」

 周辺の他領と行き来する商人達ならば、いかに他がもっと酷いありさまであるかを知っている。


 実際、ジャックと同業者と思われる食事客は、愚かな言論を吐き散らかしている連中を冷ややかな、あるいは哀れむような目で見ていた。


「(この辺りではメリュジーネの治めるナガンが本命。次いでやや遠いですがゼルヴァラン、そしてアトワルト、といったところでしょうかね)」

 ナガン領を中心に据えて考えるならば、この辺り地方はおよそ15~20ほどの領地がある。そのトップ3に入っている領地を非難していたら他は一体どうなるのか。


 耳障りな連中へと聞こえるようにわざと嘲笑を漏らしながら、ジャックは席を立つ。食器の乗ったトレイをカウンターへと帰すと、店を後にした。




―――――が。

「おい、ちょっと待ちな、そこの派手なにいちゃんよぉ」

 店から10mほどのところで、先ほどの連中が追いすがってきた。


「てめぇ、さっきあの店で俺たちを笑っていやがったろ。どーゆーつもりだァ?」

「(簡単に釣られてくれますねぇ。三流の下賤も下賤……ククク)」

 黒き妖精人ダークエルフ半端な半龍人ドラゴマン醜悪なる豚人オークに加えて翼手の鳥人ハーピーまでいる。


「面白い集まりですねぇ。何、別にあなた方を笑ったわけではありませんよ。あまりに幼稚なお話がどこからか聞こえてきまして。愚かで浅慮に過ぎるその内容につい笑ってしまっただけの事ですよ」

 ジャックの言葉を受けて、彼らは怒りに顔を引きつらせる。


 雄弁に語る者は、己の言説に自信や誇りを抱いているものだ。無論、その内容に間違いがなく、有意義なものであるならば語るは大いに結構だが、彼らのように自称知ったかな愚か者は否定や嘲笑を受けると、思考を忘れて簡単に憤怒する。


「てめぇ!!」


 ブンッ!!


 ドラゴマンの拳はむなしく空を切る。ジャックはまるで宙を舞う羽毛のように軽やかに回避し、あえて彼らに囲まれる位置へと移動した。


「そして暴力に訴える、と。自称知識人の正体みたりといったところですかねぇ、クックック」

「やかましい! 薄気味わりぃ商人風情がっ!!」


 ドゴォオッ!!!


 太さ50cmはあろうかという木製の棍棒。ジャックの腹部を完全に捉えたと、オークは口元を吊り上げて笑った。


 強烈な打撃は腹の中に響き、とても立っていられないはずだ。

 そのまま崩れ落ちて地面にうずくまったなら、全員で袋叩きにしてやる。彼らは皆、そう思っていた。


「………これで、私があなた方を屠っても、誰も文句は言いませんね?」

 いつもの軽やかで丁寧な口調からほんの少し荒ぶった語気が感じられる一言。まるでダメージを受けていない様子に、連中は慄いた。


「な…? お、おい、確かに腹にっ」

「もちろんだ! 思いっきりぶっ叩いたし、当たってるぜ確か―――に?」

 オークがふと棍棒を持つ自分の手に違和感を覚える――――――動かない。


「あ、あれ!? う、動かねぇ、動かねぇぞっ、俺の棍棒がっ。どうなってんだぁっ!?」

 棍棒はジャックの腹の表面に接触しているだけのように見える。ごく僅か、その腹部にめり込んでいるようにも思えるが、それ以外はなんら変わったところはない。


「わかりませんか? では、わからぬままあの世にいってください」



 ボッ!!


 彼らは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


 仲間の一人の頭部が跡形もなく破裂する光景など、そうそうお目にかかるものではない。数秒を待ってようやくオーク仲間が絶命した事を理解した。


「相手の力量も見抜けないとは。愚かな連中ですが、…ふむ、この棍棒は売り物になりますかねぇ?」

 自分の腹を叩いた体勢のまま不動のオークから棍棒を取り上げると、しげしげと観察し、商品としての価値を見定めるジャック。動けずにいる残り3人の事などまるっきり興味がないかのように無視している。


「な…な、嘗めやがってぇぇ!!」


 ギリリリリ…ビュンッ!


「はい、甘いですよこの距離で弓矢など。モーションが大仰で攻撃までの時間が長い。射線がバレバレです」

 ダークエルフの放った矢を、棍棒から視線を外さぬままに片手で掴む。そのままクルリと回したかと思うと、手首のスナップのみで投げ返した。


「がっ?! ……な、…見えな……、……」

 絶命したダークエルフが地面に転がり、自分の足元まで広がってきた血溜まりを見て、ドラゴマンが恐怖に震えだす。

 ハーピーにいたっては逃げださんと懸命に翼を羽ばたかせているにも関わらず、あまりの恐ろしさに取り乱して浮かび上がれずにいた。


「さて。あなた方には償いをしてもらうとしましょうか? この私の貴重な時間を無駄に費やした償いをね。…ええ、もちろん逃がすつもりはございませんよ? ―――<生命ある自由なき下僕デモンズリスト・スレーヴ>」

 ジャックから二人に向かって黒い気流が流れたかと思うと、ハーピーは地面に落ちて這いつくばり、ドラゴマンは両脚を小刻みに震えさせたまま1歩も動けなくなった。


「な…にを…しや…がっ、」

「そうですねぇ。ガタイの良いあなたは荷運びでもしてもらいましょうかね。重量のある商品もよく取り扱いますので。貴女ハーピーは……」

 ハーピーの全身を強烈な悪寒が駆け抜けた。

 しゃがんで自分を覗き込むジャックが、この上なく邪悪に思えてならず、本能が全力で警鐘を鳴らす。


「…………貴族の慰み者にでもなってもらいましょうか? 一生ね…クッククク」








 トンテンカンテントン……


 板張りの屋根に登った猿魔人ハニュマンの男は軽快に金槌を振るっている。

 戦火で屋根全てと壁2面が崩れた家屋。しかし残すところ屋根に2本、真新しい板を打ち付ければ修復が終わるところまできていた。


「よっし、あと1本だな。おーい、最後の板っぱし上げてくれー」

「あいよ! 気をつけてなー、足すべらせるなー」

 下から数人がかりで持ち上げられてくる板を屋根の上に引き上げると、彼は早速最後の打ち付けにかかった。


「ふー、これでようやくここも直るな。次はダンさん家か?」

「いや、材木が足りないようだ。石材も残り少ないようだし、材料調達が先になるだろうな」

 袖をまくり、ねじり鉢巻を頭につけている蜥蜴人リザードマンの2人が、修復完了間近の家屋を前に腕を組んでいた。

 格好はそれっぽいが、彼らは大工ではない。この村のただの住人だ。



「あ、ホネオさんお疲れ様」

「やあホネオさん。コーギさんとこはもういいのかい?」


 トコトコと歩いてきた生きた骸骨スケルトンは、コクリと頷いた。言葉を発せられない彼は、脇に抱えたスケッチブックをめくると、文字を書き出す。


  ―― 北街道の山くずれ、後始末がおわったそうだ ――


「おお、じゃあ小山おやまに石の切り出しにいけそうだな!」

「ちょうど材料が乏しくなってきたと、2人で話してたとこなんですよ」


  ―― 想定どおり。しかし、計算ではあと18軒分ひつよう ――


 その一文を見た時、あきらかに彼らの顔に疲労の色が浮かんだのを、

ホネオは見過ごさなかった。

 しかしそれも無理からぬ事で、小さな村とはいえ120軒ほどの家屋があり、そのうち30軒が全壊、70軒が半壊しているのだ。


 現在、その半数ほどが修復を終え、再び人が住めるようにはなったものの、建築の素人である彼らの疲労は限界に達しつつあった。


「………」

 しかしこれしかない―――自分達で村を立て直す。


 本来ならば、領主が他の町や村から大工などを回して復興の手はずを整えるものだが、3ヶ月以上が経過しても、一向に助けがまわってくる気配がないのだから。



「領主さまが、もうちょいがんばってくれてればな…」

「せめて建材とかが回ってくるよう、手を打ったりとかさ、やりようはあんだろうにな」

「………」

 この村でも領主の治世に対する不満が募っている。だがホネオはむしろ領主を高く評価していた。


 彼らは全体が見えず、己の不安や不満を解消してもらう事ばかりを口にするが、実際にはこのアトワルト領は、元々が豊かではない事をホネオは知っている。


 加えて先の大戦の被害が加わわると、彼の計算では領主がこの村に何かしらの手を打てるのは、早くても半年はかかるはずだった。それが村に通じる道の復旧など、これでも思った以上に早く手を打ってくれている方なのだ。



  ―― 領主は よく やっている ――


 彼らは愛想笑いを返すだけで、領主への不満は彼らの中でくすぶったままだ。


  ―― 山崩れも、我らだけでは どうにもならなかった ――


「ま、まぁ…それは、ねぇ」

「しかし、それならもっと応援よこして村の方にも回してくれたっていいじゃねぇの、って思うわけですよ、ホネオさん」

「………」

 この地が隣のナガンのように豊富な財力や人材があるならば別だが、アトワルト領は片田舎だ。


 本当なら、もっと壊滅的で悲惨な状況に陥っていても不思議ではない。それをまだ人が住み、暮らせるレベルをなんとか保っているのも、現領主が戦前に打った政策の成果によるところが大きい。


「ホネオさんが領主だったらいいのになー」

「はは、まったくだ。なぁホネオさん。ははは」

 冗談を言いながら笑う彼らに、ホネオもカタカタと頭蓋骨あたまを揺らして笑う。だが内心は不安がこみ上げていた。


 何か嫌な予感を感じずにはいられない。


 このまま人々が小さな視点に凝り固まって不平不満を募らせていくと、危険な何かが起こりそうな……。

 胸騒ぎに沈みだした心の拠り所を求めて、彼は何気なく空を見上げた。


「………」

 しかし先ほどまで晴れ渡っていた空はいつの間にか灰色の雲が広がりだしている。まるで今の心中を反映するかのような空模様に、ホネオはますます不安に駆られた。







 ピチャン…、ピチャン…


 道端に立てられた小さな屋根の端から滴る水滴が、地面ではじけて彼女の足元を濡らす。

 次の町や村まで距離がある長い街道の途中に設けられた休憩所で、彼女はたった一人、椅子に座って体を揺らしていた。


「あーめ、あーめ、ざーざーざー~なの~♪」

 水溜りが道のあちこちに出来ていて、そこに降り落ちる雨音がオーケストラの楽器がわり。

 彼女は悪天候とは反対に、意気揚々とした雰囲気で歌を口ずさんでいた。


「ついてませんね。道はボコボコなのに天気にまで祟られては」

 雨天が奏でる綺麗な演奏を打ち切るように、バシャバシャと汚い音と声が近づいてくる。彼女は歌うのを止めて、その音のする方を見た。


「雨は仕方ねぇさ。道の方はその・・悪徳領主のせいだがよ……ととっ、先客か?」

「む~? おぢさんたち、雨宿り~?」

「おぢ……、まぁいい。ああ、ちょっくら邪魔させてもらうぜ、不定粘液族スライムさんよっ」

 休憩所に転がり込んできたのは人間の・・・男2人だ。

 彼女はお尻を横に動かして席を空ける。彼女の足から広がっている半透明の粘質な塊もヌルリと横にズレ動いた。


「ふう、大丈夫かいドミニクさんよ?」

「ええ、大丈夫です。ジニーさんこそ、平気ですか? どうぞ温まってください」


  ―――ボッ


 ドミニクと呼ばれた男が手のひらを上に向けた瞬間、炎が灯って揺らめきながら宙を移動してゆく。


「ありがてぇぜ。へへ、さすがドミニクさんだ、魔法まで使えるなんざスゲェすよ」

 ジニーと言う男がその炎を受け取るかのように両手をもっていく。すると両手の間で炎は移動を止め、その場で熱を放っていた。



「む~…、熱いのキライ。ぼーぼー、もっとはなれて~」

「おや、これは失礼を。そういえばスライム族はあまり炎が好きではないのでしたね」

 彼女はコクンと頷く。

 歳の頃は10歳ほどに見える少女だ。しかし……


「お名前をお教えいただいてもよろしいですか?」

「むー、なまえ? 私、ムーム。むーむー言うのくちぐせ、だからムームって呼ばれてるなの~」

 ジニーは軽くしかめっ面をした。言葉遣いも幼いが、スライム族はハッキリいって年齢の概念が見た目にはまったく出ない。


 カタチを変幻自在に変えられるのだから、そもそもが真の姿というものも存在しない。なので見た目からわかる情報が少なすぎて、彼の中では己を棚に上げ、どうにも信用のおけない種族の一つだった。


「ドミニクさん、ドミニクさん。あんま話さないほうがいいっすよ? こんな胡散臭い奴……」

「む~、きこえてるの。そっちのほうが、ヘンなカオしてるの~」


「な、ンだとコラぁ! このジニー様をつかまえて、この顔のどこが胡散臭いんだゴラァ!?」

「まぁまぁ、お二人とも落ち着いて。それにジニーさん、初めて会う方に先に失礼を働いたのは貴方ですよ」

 ムームは自分の顔を変形させて、ジニーの顔を少し崩し気味に象って煽っている。ジニーはジニーで眉間にシワを寄せ、ますます顔を歪ませ、両者はにらみ合っていた。


 ドミニクは軽く肩を落とすとムームの肩のあたり――スライムゆえそこが肩であるかは不明だが――に手を置くと、口を開く。


「彼はああ見えても “ 正義 ” の徒ですから、そう邪険にしないであげてくださいね」

「ん~? せーぎ?? わるもの、コイツなの~?」

「だーれが悪者だっ!」

 ジニーを指差すムームに、確かにその通りだと思わずふきだしそうになるのをかろうじて堪え、ドミニクは小さく首を横に振った。


「いいですか、ムームさん。今、この地にはとても悪い人がのさばっているのですよ。ジニーさん達には、この地の善良なる領民の代表として、その悪と戦ってもらいたいのです」

「む~? わるもの、コイツじゃないなら誰?? ムームもわるいやつ、やっつけるー」

「それはですね―――――」

 ドミニクは、下品と思っていてもニヤけずにはいられなかった。こうも上手く事が運ぶとは思っていなかったからだ。


「(おお、神よ。我が受けし使命は、どうやら達する事ができそうです。フゥルネス卿には感謝せねばなりませんね……フフフ)」

 フゥルネスは戦争の責任を取って今は謹慎の身であるという。上位者の不在は、下っ端である彼らのような者達にも活躍の機会を与えてくれた。


 しかし彼は知らない。

 彼の使命は神から下されたものではなく、他ならぬ拘束されている最中の、そのフゥルネスの差し金である事を。


「(貴方達にもせいぜい踊ってもらいましょう。私達のため、ひいては神のために、ね)」

 自らも踊らされている者であるとはこれっぽっちも気づいていないドミニクは、目の前で再びケンカをはじめるジニーとムーム下等生物たちを哀れむように眺めた。






 雨がますます強くなっている外の様子を窓越しに見ながら、ミミは館の2階廊下を歩いていた。

 1階のキッチンでは今頃、イフスが夕食の準備に取り掛かっている事だろう。


「ふぅ。今日もぜんぜん減らなかったなー、それどころかどんどん増えるし。これじゃあ嘆願書をチェックするだけで、いったい何日かかることやら……」

 手にもった貧相チープな燭台の上でロウソクが燃えている。


 彼女の人差し指ほどの太さと長さしかないそれは、とても頼りない光源だ。節約に節約を重ねて、ついにはこんな備品までも銅貨1枚単位で安物を選ばなくてはならなくなっていた。


「必要なものはだいたい揃ったし、あとは……」


  ガカッ!!


 雷鳴が轟き、強烈な閃光がミミとロウソクの明かりすらも影へと変える。それは一瞬の事だが、多くの生きとし生ける者にとっては恐れを抱くには十分な迫力の自然現象である。


 ――………をどうするか、だなー…――


 しかしミミは、突然の雷鳴に驚く事もなく、ポソリとつぶやいていた。


 外で降り荒ぶ雨が一層激しくなる。ハイヒールと廊下が奏でるコツコツという音のリズムは変わらない。激しくなった雨音との不協和音を聞くものは誰もいない。

 小さいとはいっても館には20人は楽に住めるほどの部屋数がある。なのに人の気配がしない館内の静けさが、暗く影のさしたミミの表情をより恐ろしげに見せていた。




 夕食時、雨はさらに強まっていた。


「なかなか止みませんね」

 窓の外を伺いながら口を開いたイフスは、食事をするミミの側に控えている。二人しかいないのだから主従の礼は必要ないと同席を求めたのだが、あくまでイフスはメイドとしていかなる時も立場をわきまえようとし、食事を共にはしてくれない。


「ん。この時期は仕方ないけど、憂鬱な気持ちになるから長雨は遠慮したいね~」

 咀嚼そしゃくを終え、口元をナプキンで軽く拭ってから口を開く。ミミがテーブルの上の燭台の明かりに目を向けると、まるで見られるのが恥ずかしいとでも言わんばかりに火が揺らめいた。


「(………お客?)」

 彼女の長い耳がめまぐるしく前後左右に動く。


 聴力のいいワラビット族は、意識的に音をシャットアウトする事もできれば、特定の音のみに集中して聞き取る事も可能だ。


 何もない広い丘の上にポツンと建っている領主の館。


 今、聞こえる音は外で雨の降る音と、屋根の欄干らんかんから滴り落ちる水滴が地面の芝生を打つ音。そしてイフスの呼吸音に、燭台の火の微かな燃焼音しかないはずだ。


 なのにそこに加えて、徐々に大きくなる足音が二つ聞こえる。


「イフー。玄関に出迎えてきてくれる? 誰か来たみたい」

「! まさか……またあの胡散臭い商人でしょうか?」


「さすがにそれはないと思うけどね」

 いやジャックならば時間に関係なく、訪ねてくる時はおまいなしにやってきそうではあるが。


「あ、やっぱいい。私が出るから、せっかくのお料理だしクロッシュかけといてくれる?」

「かしこまりましたミミ様。終わり次第そちらにまいります」

 イフスはとにかくジャックが嫌いらしい。来訪者が誰かが事前にわかっている際にはこういう時、後から来るなどと口にする事はない。

 必要に応じてミミがその都度呼べばいいだけなのだから。


「(生理的嫌悪、っていうのかなこういうの? はぁ、面倒だなぁ)」

 いがみ合ってもいいから揉め事だけは起こさないで頼むから。

 そんな事を考えつつ、ミミは脱力しながらダイニングルーム食堂を出て行く。




 ―――――カラン、カラーン


 玄関の扉が見えてきたところでチャイム呼び鐘が鳴った。


「ん、ん……コホン。はい、ただいま開けますので、少々お待ちくださいー」

 応対の準備を整えると、玄関の扉の片方の取っ手を掴み、開く―――とそこには。


「こんな時間に失礼しやす、領主様。どうしてもお願いしたい事がありやして」

 最初に目に飛び込んできたのは、厚手の布に身を包んで顔だけが見えている女性だった。

 綺麗で美人だが、目が虚ろで心ここにあらずといった雰囲気だ。


 しかし声の主は彼女ではない。野太い声の発生場所は彼女よりも一歩手前の、

ミミよりも低い位置からだった。


「……。何かご事情がおありのようですわね。どうぞ、入ってください」

 声の主はゴブリンだった。精悍な顔立ちで、少し思いつめたような表情に危険さは感じられない。

 女性の方とは違って彼は雨避けを何一つ纏っておらず、頭の先から靴の先までびしょ濡れだった。



  チリンチリンッ



「イフス、こちらに来る際にはタオルを持ってきてくださいませんかー? それと何か温かいものの用意をー」

 玄関脇に備え付けてあった呼び鈴を鳴らし、奥にいるであろうイフスに聞こえるよう声を張り上げる。


 見た目には異色カップルの来訪といった感じだが、少なくともあのドミニクやジャックのような、腹に何か一計を含んでいるような怪しさは感じない。音を注意深く探ってみても、武器などの金属類を隠し持ってる様子もなかった。


 ゴブリンは一礼をして1歩だけ館の中へ入ると、自分よりも連れの女性を前に出して雨天の外気の冷たさから彼女を守るようにエスコートしている。


「(夫婦……という雰囲気でもなさそう)」

 ゴブリンは礼を弁え、イフスがタオルを持ってやってくるまでそれ以上館の中へ立ち入ろうとはしなかった。


 その態度や物腰から警戒の必要はないと判断し、イフスに普通にお客として接するようアイコンタクトを取ると、ミミは館の主として二人を連れて応接室へと招き入れた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る