第2章2 見える爪跡、見えぬ傷跡


――――――3日前、マグル村


「~~~♪」

「……ご機嫌だな」

 グラスを磨きながらジロウマルは、鼻歌を口ずさむシャルールを満足げに眺める。


 昼食時の忙しい時間が過ぎた直後の後片付けの最中だ。疲れを訴える事はあっても、この時間にこんなにも機嫌良さそうな彼女を見るのは、彼にしても初めてのことだった。


「まーね。この村も少しづつだけどよくなってきてるし。それに、こんなに晴天だとアウィーサ小魚の干物も順調に乾くだろうしっ」

 後者はサッキュバスの自分が純粋な気持ち復興を喜ぶが気恥ずかしくて、照れ隠しのためのとってつけた理由だ。

 客の雰囲気は良くなってきているし、そこから感じられる確かな復興の手ごたえ―――彼女の本音は前者が大半であろう事はジロウマルも理解している。


 故に…


「この天気ならば、今夜のメニューにも加えられそうだな」

 意地の悪いことは言わない。


 シャルールがそういう性格の女性である事は重々承知だ。ただ軽く口の端を緩ませる程度に微笑みを漏らしながら、ジロウマルは綺麗になったグラスを棚に戻そうとした。

 しかし気配を感じて不意に入り口の方を伺う。


「……復興のおかげか、この時間でもお客がよく来るようになったか」

 酒場の入り口には大小二つの影が佇んでいた。


 大きい影は女性だ。差し込む昼の陽光で後光がさしているかのように深いエメラルドグリーンの長い髪のふちが輝いている。

 しかしその神秘的な雰囲気とは裏腹に本人の顔にはかげが差しており、心ここにあらずといったもの哀しさを感じさせる女性ひとだった。


 小さい影はゴブリンの男性だ。人間種であれば間違いなく子供だと思える背丈だが、露出している肩から二の腕にかけてはガッシリとしていて、顔つきにも精悍さが宿っている。

 内からにじみ出るような力強さを感じさせる旅の戦士たる風貌。小柄といえど大人の男である事は間違いない。



「あ、いらっしゃいませー。こちらのお席にどうぞー」

 ジロウマルは皮肉めいた言ぶりではあったが、この時間に客が訪れるのはいつかのミミの来訪以来、じつに数週間ぶりの事。

 シャルールは完全に仕事モードを切っていたが、後片付け中だった事もあってすぐに応対に出る。


 案内したテーブルに、まずゴブリンが椅子を引いて同伴の女性を座らせた。そのエスコートの仕方は、介護をしているようにも見えるほど丁寧なものだった。


「(かわったカップル……と、それは失礼かな。世の中にはいろんな組み合わせがいてもいいもんね)」

 淫魔族サッキュバスは、異性であれば種族を問わず肌を重ねる。そんな彼女が異種族のカップルにヘンな感情や偏見を抱くことは非常に恥ずかしい事だ。


「御注文は何にします? お食事だったらサテル食感葉のサラダと、アップル茶、それとミルトロフ乳スープ浸し肉ならすぐにお出しできますよー」

「あ、いや。……実は、お願いしたい事があって。ここの責任者と話させてもらえないか、いや、もらえないだろうか?」

 努めて丁寧なゴブリンに、シャルールとジロウマルは顔を見合わせた。ジロウマルがコクリと頷くと彼女は改めて二人に向き直る。


「……私がここのオーナーです。お願いとはなんですか?」

 二人がついたテーブルにシャルールも対面する位置に座る。それを待って、やはりゴブリンが口を開いた。


「今のご時勢にこんな事をお願いしやすのは……いや、するのは無理な事だとは重々承知しています。ですがお願いです、彼女を! メルロをここで雇ってやもらえませんか!」

 立ち上がり、頭をテーブルにつけて頼み込むゴブリンに、シャルールとジロウマルは再び顔を見合わせた。今度は互いに驚愕の表情を浮かべながら。


「とりあえず頭をあげて。まず落ち着いたほうがいいよ。マスター、アップル茶を3つお願い」

 言いながら席を立つと、シャルールは入り口のほうへと移動する。そして軽く店の周囲をうかがいながらCloseの看板を立てると、酒場の扉に施錠してからテーブルへと戻った。





「んー、なるほどね。そういう事情があったんだ。大変だったねメルロさん」

 メルロが小さく、本当に小さく頷く。その表情に感情の色はない。

 夫の死の現実に改めて悲しんで泣き崩れる事もなければ、うなだれすらしなかった。


 話を一通り聞き終える頃にはメルロを除く2人のカップはカラになり、ジロウマルはそれを見越してか、カウンターの向こうで新しいお茶を淹れている。


「(心が壊れている女性……か。我には無縁ごと故、下手な口出しは余計だな)」

 自身の出生とこれまでの半生を振り返って、愛する人を失うという事がまずない自分にはメルロの気持ちを察してやることは出来ないと、ジロウマルは黙って新しいお茶を3人のテーブルへと運んでくる。


 シャルールを見て、もし彼女がそのような目にあったらと思いかけたが、軽く首を横に振り、その考えを打ち消した。


「どうぞ。温かいうちにお召し上がりください」

 減っていないメルロの分も下げて新しいものに取り替える。おそらく彼女は飲まないだろうが、温かいお茶は目の前にあるだけで心の静養に一役買うこともあるものだ。


「あ、ありがとうごぜぇ…んんっ、ございます」

 身動き一つしないメルロのかわりに、ドンと名乗ったゴブリンが慌てて礼を述べた。


「うーーーん………~~~ぅんんんん~~~」

 シャルが腕を組んでいきなり呻り声をあげる。一周まわってグルリとまわさんばかりの勢いで上半身を横へ傾けた。

 雇用できるかどうかではない。もっとずっと、非常に悩ましい問題がこの話にはある。


「(まず、ウチは客商売だからな~。メルロさんにお客さんへの対応は期待できないだろうし。何より私が夜の客・・・をとってるから、メルロさんにヘンな期待やちょっかいかける奴が出てくるかもしれないし)」

 仮に女性を雇用する場合、そういう事・・・・・にも笑って対応できる人でなければならない。

 酒場というところは、普通の客にしても女性店員へのセクハラの一つや二つは日常茶飯事。精神的に余裕がない女性を働かせるところとしては、どんな職務に就かせようとも難しい職場なのだ。


 しかし、最大の問題は他にあった。


「(ドンさんが元犯罪者、っていうのが厳しいなぁ。別に隠したっていいんだけど、明るみに出たりしたら……最近、妙な連中がこの辺うろついてるみたいだし、うーん……)」

 そう、最近ガラの悪い連中が徒党を組んでいる様子が、アトワルト領内で散見されている。いつか来た怪しい客たちもその仲間である可能性が高い。


 彼らが何を目論んでいるかは不明だが、もしかすると犯罪者としてのドンを探している連中というセンもある。


「(さすがにその可能性は低いか、おそらくは関係ないと思うけど。でも…何か、嫌な予感がするんだよねぇ)」

 いつかミミにも、領内に怪しい連中がうろついてると教えなければと思っていたシャルールだが、酒場の仕事は思いのほか忙しくなかなか領主館までは出向く機会はない。

 かといって嘆願書ではいつ彼女ミミの目に止まるかわからない。


「(ただでさえ領内各地から大量に届いてるだろうしなー。素直に普通の手紙を……)」




「あの、すいやせ……すみません。やっぱり難しいですかね……」

 なかなか思索が終わらないシャルールに、ドンは残念そうな顔で恐る恐る伺ってきた。

 ハッとして脱線しかけた思考から戻ってくると、彼女はあわてて取り繕う。


「あ、ううん、そういう事じゃないんだけど。ゴメンね、長い事待たせちゃって」

 とはいえまだ結論は出ていない。

 感情的には雇ってあげたいところだが、メルロが酒場ここで働く事で彼女に生じるかもしれない危険を考えると、雇用しないほうがいいとも思える。


「んんん~~~。そうだね…私は雇ってあげたいんだけれど、ここは酒場でしょう? ちょっと危なっかしいお客さんとかもいるからね、女性的に考えて。メルロさんが働けないってわけじゃないし、ドンさんの気持ちもわかるからどうにかしてあげたいんだけれど……」

 言いながら自分が情けなく思えてきた。これでは雇えない理由を懸命に取りつくろって自分をいい人っぽく見せようとしているだけ。とどのつまりは「雇えない」と言ってるのと同じだ。


「そう…ですか…。すみません、ご迷惑をおかけしやした……」

 落胆するドンは、ゆっくりと立ち上がりながらメルロの座る椅子を引き、彼女の腰を持って立ち上がらせる。

 相変わらず感情の起伏が見えない表情の彼女も、なんだか落胆しているように見えて、シャルールは心の中で悶えた。


「(うーあー、ちがう~!! そうじゃないでしょ私ぃ~~っっ、もっとこう! 断るにしてもさぁ~っ、あああ、やっぱこういうのってホント苦手っ、……あれ?)」

 なんとかフォローせんと慌てて立ち上がった拍子にポケットから何かが落ちる。

 彼女はそれを拾い上げ、そして思い出した。



 ――― 本日は少し、シャルさんにお願いしたい事があるのですが ――



「あ、あああ~~っ!! そうだったー!!」

「!? ど、どうした?」

 急に声をあげるシャルールに思わず声をかけたジロウマルはおろか、ドンとそしてメルロでさえも目を見開いて彼女を見た。


「ドンさん! これをっ」

「? これはなんでしょうか、……手紙?」

 渡されたのは封書だった。裏面の隅にアトワルト領主のフルネームが記されている。


「これを持って領主様の館を訪ねてみて。ミミ……領主様から直々に働き手を探してほしいって言われてたの!」

 酒場でいろんな客を相手にしているシャルールには、それなりに人を見る目があるはずだからと、ミミは彼女に領主の館で働けそうな者を探してほしいと頼んでいた。


 とりわけ信頼のおけそうな、できれば女性であればなお良しとの条件で。


「し、しかし……いいんですかい? 俺ら…んん、私たちみたいな者が領主様の……」

「いいのいいの。それを持っていけば、私が認めた人っていう証だから。少なくとも普段ここに来る客に比べればメルロさんのほうが絶対いいし。それにね、領主様の館は今、メイドさんが一人と領主様本人の二人だけしかいないから、今のメルロさんには最適な働き場所だと思うわけよ」

 そもそもドンの話では、メルロを働かせるのはお金を稼ぐのが目的ではない。


 まだまだではあるものの、日に日に少しずつ心を取り戻しつつあるメルロに、社会復帰させる事。そして労働を通してより見えない傷跡心の痛みの回復を加速させたいという事だった。


 人の少ない館は静かで、仕事も館の保守ハウスキーピングが主になるだろう。

 聞く限りではメルロは家事が出来るとのこと。今の状態では能率は上がらないだろうが、働きながら心を癒す職場としては最適のはずだ。


「あ、ありがとうございやす! 雇っていただけるかはわかりや―――んん、わかりませんが、せっかくのご紹介ですので、行ってみようと思います」

 ドンは肩掛けの大降りなポーチに丁寧に封書をしまうと、メルロを促して歩きはじめる。そして再度シャルールに深々と礼をしようとした。


「あぁ、そうそう。領主様に会ったらドンさんは無理に丁寧な言葉遣いはしないほうがいいよ。素のほうがたぶんいいと思う」

「わかりま……わかりやした。重ね重ね、本当にありがとうございやした」

 するとメルロも振り返って軽く会釈をした。ほんの少し、よーく見ないとわからない程度に微笑を湛えている。

 少しずつ少しずつ、彼女は本当に少しずつ、失った心を取り戻していっているのだろうと、遠くなっていく二人の背中を見送りながら、シャルールは戦火の爪跡とは決して見えるところばかりではないと改めて思い知らされた気がした。






―――――2日前、都市シュクリアへの街道途上


「……この辺りになると、だいぶマシになってくるな」

 ドンは街道の周囲を見渡す。見通しのいい平原は綺麗に雑草が刈り取られ、陽光に照らされて輝くような新緑の発色が、地平線の彼方まで続いている。


 いまだ凸凹の激しい土道から赤レンガが敷き詰められて舗装された街道に入ってよりおよそ2km、戦火の跡はすっかり消えているように見える。しかし…


「(実際は穴を埋めただけのとこもあるな。雑な工事してやがる)」

 目を凝らしてみると明らかに埋めた跡がわかるところがチラホラ。さらに遠目に見えてきた橋は石造りではなく粗末な木造りだ。

 おそらくは仮橋なのだろうが、街道の景観と比べてもまるでそぐわない。


 領内で最も栄えている都市の近郊ならば、復興にも力を入れているであろう事は予想していた。しかしそれでこの雑さなのかとドンは自分の中の復興に対する認識を改めた。


「(酒場娘シャルールさんはああは言ってはくれたものの……)」

 これでは領主様のところにいっても、メルロを雇ってもらえる余裕などないのではないだろうか? そんな不安が頭をよぎる。

 これまでさまざまな村を転々とし、お願いして回ってきた。しかしどこも新たに人を雇う余裕はない。

 その最たる理由は、何も雇う金がないというばかりではなかった。


「(人口も減っちまったし、他所に流れてるって話も聞く。ヘンなのもいるみてぇだし)」

 仕事とは、人がいる社会にあってはじめて生まれるもの。


 たとえば誰かの明日の食事のためには誰かが畑を耕し、作物を作ったりしなければならないように、誰かが求めて誰かがそれに応える事で、仕事とその対価を得るという流れが成り立つ。


 しかし人口が少なくなれば求める者は少なくなり、応える者仕事が割に合わなくなる。そしてやめていき、社会に仕事は少なくなっていく。

 大きな大きな社会の仕組みがどこかでつまづけば、直接関係ない事であったとしても、巡り巡って己に関わってくるものなのだ。



 ドンは隣を歩くメルロを見上げた。相変わらずの表情だが、整備された街道と周囲に広がる景観が珍しいのか、眺めて楽しんでいるようにも思える。


 彼女メルロが働くということ。


 それは求められ、応えるという事。社会の中に彼女という存在が組み込まれるという事であり、彼女が正常な暮らしに復帰するために必要な――――


「(本当にそうなのか? オレは、また勝手な思い込みで……)」

 ドンの袖のない肩口を、トントンと叩くか細く綺麗な指先。自分を呼んだメルロの方を見ると、彼女は自分達の進行方向に視線を向けていた。


「ん? なんだありゃ、……リザードマンか?」

 やたらデカい蜥蜴人リザードマンが、これまたデカい荷をひっさげている。

 いや、ひっさげているというよりも、肩の上に巨大な岩でも抱えあげるように、大量の物品が入っているであろう荷袋を持ってこちらに歩いてくる。


「おっと、すまねぇな。歩くの邪魔しちまって」

 リザードマンは対向するドンとメルロに荷が当たらないよう、少しだけ横に傾ける。―――が

「うおった、とっ、おおお!? おーーーーー???!」


 ……ドシィンッ!!! バラララッ


 バランスを崩した巨大な荷袋はリザードマンの肩から転げ落ちて、街道の脇に落ちた。落ちた衝撃で袋の口が開き、中身が散乱する。


「お、おいおいおい……大丈夫かよアンタ?」

 ドンはおそるおそる、まだ刈り取られたばかりの真新しい草の上に転がったリザードマンに近づき、声をかけた。

 盛大にもんどりうっているリザードマンは、上体だけ起こすと大口開けて笑い出す。


「ハッハッハァ、いやぁ参った参った。少しばかり詰め込み過ぎちまったようだ。すまねぇな、そっちになんかぶつかったりしてケガとかしてねーかい?」

 ドンもメルロも当然被害はない。リザードマンが逆方向に倒れてくれたおかげで袋の品々も逆方向へと飛び出し、彼らに当たる事はなかった。


「おっとすまないなべっぴんさん、拾ってくれてありがとうよ」

 メルロはいつの間にかリザードマンの散乱した品を拾っては袋に戻している。相変わらず物申さない彼女だが、フルフルと首を横に振ってこちらこそごめんなさい、という意志を示した。


「そうだぜ、オレ達に当たらねぇよう配慮してくれたんだ、手伝わせてもらうよ」

 ドンも手近なところから散乱したものを拾い、袋へと戻す作業に加わった。





「いやぁ、助かったぜ。すっかり世話になっちまったなぁ」

 リザードマンは再び巨岩のようにパンパンになった袋を片手で担ぎ上げると、ドンに握手を求め、空いている片手を差し出した。


「俺の名はズドゥ・スァ・ドゥーン。発音が他の種族じゃわかりにくいってんで、ザドザドーンと皆は呼ぶ。気軽にザードと呼んでくれていいぜゴブリンさんよ」

 ドンの事をあえてゴブリンと呼んだのは彼なりの親愛表現だ。彼がゴブリン族である事は間違いないし、ドンの名前を知らないのだから当然だ。


 それでもこの蜥蜴人ザードは、ゴブリン と口にする際に種族を卑下するようなイントネーションを含めず、非常に気さくに呼んでくれた。

 豪放そうな性格であろうにも関わらず、他人への配慮もしっかりしている。ドンからみても好感の持てる人物であった。


「なぁに、礼には及ばねぇさ。オレはドン、そしてこっちがメルロってんだ」

 差し出された手を握る。体格の差ゆえにそれは握手というよりもドンがザードの指数本の先っぽを握るような形になってしまったが。


「べっぴんな嫁さんだな。大事にしろよっ」

「ばっ、べ、別にそういうんじゃ……」

 顔を真っ赤にしたドンの頭をべしべしと叩きながら、ザードはメルロを伺った。


「(………ワケあり、か)」

 一瞥しただけでメルロが普通の状態でない事を見抜くと、今度はしゃがんでドンの肩を抱き、小さく耳打ちする。


「これからシュクリアに行くんだったら、“ 宿 ” には行くなよ?」

 一変して真面目な口調でささやくザードに、ドンの表情も険しくなった。


「! なにかあるのか?」

「ああ、ヤバそうな連中が泊まってやがる。べっぴんさん連れなんざ見たら、一発で絡んできそうな下賤な野郎どもがな。泊まるなら町の南にある古宿のほうにしときな」

 それは願ってもない情報だった。どのみちドンたちの目的地は領主の館……これから向かう都市シュクリアの南門を出ることになるのだから。


「すまねぇ、恩に着るぜ」

 ドンの礼に対して、ザードは腰をあげると豪放な調子に戻った。


「ハッハッハ。ま、道中気をつけなよ、おふたりさん。じゃなー」

 巨大な荷の重さを感じさせない軽やかな足取りで、ザードは自分達が来た道を行く。


 それを見送ってからドンとメルロもシュクリアを目指し、再び歩きはじめた。







――――――1日前、都市シュクリア。


「………そうか。彼は行ってしまったか」

「ああ。でもよ、あんなデクの棒リザードマン、たいして役に立たないっすよ。アレクスさん」

 シュクリアでも1,2を争う大きな宿。その周囲にはいかにも品のなさげな荒くれ者たちがたむろしている。

 宿の一室のベッドに腰掛けている彼らの頭目は、雄雄しいたてがみを揺らしながらアゴに手を当て、これからの事を考えていた。


「戦力は多いほうがいいだろう。それに、彼は見た目よりもずっと優れた男だ。来るべき時には、ぜひ共に声を上げてほしかったんだがな」

「他にもっとめぼしい輩なんざいくらでもいますって。大丈夫っすよ」

 アレクスは正直迷っていた。ここ数ヶ月、正義を為すために同志を募って各地をまわってみたものの、集まったのはゴロツキまがいの者ばかり。


 人数も増えて、この都市にも随分迷惑をかけてしまっているし、この宿の女将はさっさと出て行ってほしいと毎日のように催促してくるほどだ。


「……ジニーたちはまだ戻ってこないのか?」

「ああ、ドウドゥル駐屯村を見に行ってる連中ですかい? もう少ししたら帰ってくるかと思いますがね。……あそこを占拠する気で?」

 部下の問いに、アレクスは静かに頷いた。


「拠点は必要だからな。町中にかまえているのはもはや限界だ」





「大丈夫かメルロ? 疲れたろ、すぐ飯を調達してくるからな」

 メルロはコクリと頷く。随分ハッキリと意志表示ができるようになってきた事に、ドンは喜びを覚えながら部屋を出た。


 ザードに紹介してもらった古宿の廊下は、下手に踏むと抜け落ちそうなほど痛んでいる。どんなに注意深く歩いてみてもギシギシと大きな音を立てるボロさだ。

 しかし安くて件の危ない連中がたむろしているところからは随分離れている。


「(けど安心はできねぇな。外出はなるべく避けて明日も早めに出たほうが―――)」

 古宿の入り口を出た瞬間、ドンは顔を引きつらせた。さまざまな種族が混ざった一団が宿の前を横切っていたのだ。

 見ると道沿いの誰もが目をあわさないようにそっぽを向いている。その様子から、こいつらが件の連中の一味である事は間違いないと確信した。


「(………。向こうの新しい宿の多い通りの方に向かってやがる。ザードの言うとおり、ボロでもこっちにしといて正解だったな)」

 さまざまな種族がつるむ事は珍しい話ではない。が、この一団には間違いなくある共通点があった。

 かつて犯罪に手を染めていたドンだからこそ、彼らのかもし出す臭い・・を理解できてしまう―――そう、連中は紛れもなく犯罪者の集団であった。


「………。おばさんよ、そのイモコロッケとパン、それにメロシアン藍色の果実スープを2つづくれ」

 連中が通り過ぎた後、ドンは素早く向かいの惣菜店に駆け込んで注文を済ませる。

 なるべく早くメルロのいる部屋に戻ったほうがいいと考え、予定していた雨具の買出しはやめて、惣菜だけをもって踵を返した。





 翌日はあいにくの雨。雷鳴も轟く中、二人はシュクリアの南門に立っていた。


「よし、いくぞメルロ。目的地まであと少しだ」

「………ょぅぶ?」

「ん? ああ、オレは平気だ。濡れたって風邪なんか引きやしねぇよ。そっちこそ大丈夫か?」

 メルロはコクリと頷く。

 厚手の布で全身を覆い、彼女の雨避けは十分だ。しかしドンは傘すら持たず、いつもの旅装束で雨に打たれている。


 歩き出す小さな影の後にメルロも続いて雨中の中へと進みだした。


「(だいぶ予定が狂っちまったな。はえーとこ領主様にあわねーと)」

 朝早くに出立する予定は荒くれ者達のせいで大幅にズレてしまった。


「(ザードの忠告は助かったな、あいつらムチャクチャだぜ)」

 日も昇りきらない早朝に商店を襲撃しての強奪騒ぎ――――おかげで半日近くも町はゴタゴタした状態が続いた。


「(あのヘッドレスマンのバーテンダー、すげー泣いていたな。どこから涙が出てるんだか)」

 襲撃にあった複数の店の被害は相当に及んでいて死傷者もいたらしい。

 緩やかながら長く続く坂道を歩きながら、ドンは昨日の夜に見つけたメッセージを思い出していた。


 ―― 領主様に、ヘンな連中が領内をうろついている事を知らせて欲しい ――


 酒場娘シャルールに持たされた封書に挟まれていた紙切れ。気づいたのは昨日の夜、封書をなくしていないか確かめたときだった。


「(何かやべぇ事が起こってるのかもしれねぇ……。メルロの事も大事だが、領主様にいろいろ伝えるべきなのかもしれねぇな)」

 とはいえ自分が知っていることは少ない。それでも領内随一の都であるシュクリアで起こった異変は、アトワルト領全体を揺るがしかねない話に発展するかもしれない。


「メルロ、平気か? 無理しないでヤバかったらちゃんと言えよ」

 メルロはコクリと頷く。なんだかんだで彼女はハーフトードマンだ。激しい雨にも怯むことなく歩を進めている。


「(空模様から雨が降るのは予想できてたんだ。やはり雨具は買っとくべきだったか? いや、せいぜい風邪ひくくれぇだ、ヘンな揉め事に巻き込まれる可能性と天秤にかけりゃ、雨に濡れる事ぐれぇは)」

 その時、不意に突風が吹いた。正面ではなく横へと回った風はドンの露出した肌に不意打ちで雨粒を打ち付けた。


「ぐわっとと! ……、す、すまねぇな。情けねぇとこ見せちまった、ハハハ」

 メルロはフルフルと首を横に振った。彼女が手を添えて支えるゴブリンのカラダは小さい。

 いかに鍛えられた肉体であろうとも、この突風に耐えるには小柄に過ぎる。それでも彼女を守るように前を歩く事をやめないドンに、男としてのプライドが垣間見えて、メルロにはその存在がとても大きくなったように感じられた。




「あそこか、やっとついたな」

 ドンの言葉にメルロはコクリと頷き、そして自分達が歩いてきた道を振り返った。激しい雨のせいで見えなくなっているが歩いて半日近くの道程は、決して短い距離ではない。


 途中、雨宿りのできる小さな休憩所を経てもこの激しい雨。すぐにまたずぶ濡れになってしまい、ドンの体は冷え切っていることだろう。


 メルロはそっと彼の肩に手を当てる。


 気遣っての行為だが、ドンはメルロが不安に思っているものと考えたのか、その手を握り返して心配するなと小さく返した。


 シュクリアからここまで、途中6つの丘を越え、山と丘の境ともいえる大きな丘の中央、緩やかな坂を登り続けてたどり着いたそこには、周囲に木の一本すらも立っていないとても見通しのいい原っぱに、ポツンと一軒の館があった。


「だいぶ暗くなっちまったが、今から引き返すわけにもいかねぇ。よし、いくぜ」

 綺麗に整ってはいるがただの土道は、水溜りというよりも道全体でごく浅い川ができあがっている。

 丘の傾斜にそって逆流してくる水を蹴り上げながらドンは恐れず進んでいく。


「………」

 メルロは思った。ここまでしてくれるドンという存在が、すでに自分の中で決して小さくないものになっている事を。

 同時に、自暴自棄に沈んでいたその心には、彼に報いたいという積極的な意志が芽吹きはじめていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る