新編:第7章

第97話 第7章1 女の吐息に動じる



 治める者は常に、領内のことはもちろん領外にも常に意識を向けなければならない。不穏な隣人がいる場合は特に、だ。




―――――――ホルテヘ村。


「…ほぉぉ、またぞろウロついておりましたかぁ」

 高齢のオーク村長は普段の雰囲気を押し殺し、至極真面目な表情を浮かべた。


「また、ってことは今までも? …なーんかうっとおしいよね、あーゆーの」

 フルナが眉をひそめる。我が目で見てきた事だけに、もどかしい気持ちを感じてついム~と唸った。


「別に攻めてこようとしてるって事はないッスよね?」

「まぁ~…今の所は、ですがのぉ~ぉ……」

 村長の回答にヒリッとする空気感を感じて、ノーヴィンテンはその体躯を縮めるように身を震わせる。

 あるいはいずれ危機が訪れるであろうと確信しているかのような。そして、すでにその時の覚悟は出来ていると言わんばかりの迫力が、この好々爺より滲みだしていた。



「ゴルオン兵は3人一組の計15人だった、と……間違いないのだな? お嬢には間違いなき情報を持ち帰らねばならぬ」

「大丈夫、他に隠れてるのはいなかったからそれであってるよっ。あ、それでいったらさハウロー。そこ、もう一つ付け加えといてよ」


「む、何かあったと?」

「うん、そのゴルオン兵達なんだけどさ。一人だけ兵士の恰好してないのがいたんだよ。さすがに遠目で確実じゃないけど…タキシードみたいなの着てた。ちょっと雰囲気が奇妙だったんだよね」

 単なる領内巡回の小隊ではない可能性―――――ハウローは無言のままに頷き、早速に報告書に追記していった。




 そんな彼らの話し合いの最中、村長の家の外が騒がしくなる。


「そ、村長!!」

「あ~、ぁわてるでぇぇなぃぃ…。何事かぁあ?」

 急ぎ飛び込んできたのはスネークマンの村人。子供かと思うほど小柄で、若草色の肌が特徴的な彼は、その手に何やら手紙めいたものを持っていた。


「そ、それがッ…フルナさん達の後、あの小隊の様子を伺ってたら、ゴルオン領むこうから接触してきて、この手紙をって渡されたんです。こっちの領主様に渡してくれって。なんかちょっとカタコトな喋りをするワニ男でしたッ」

 その手紙とやらはキチンとした封もされておらず、少しシワのよった紙面にメモ書きが書かれていた。

 しかし内容はビッシリ詰められており、それが全部で5枚もある。


「ほぉぉ…ほぉぉ~ぉ……ほほほぉぉ~う?」

「そ、村長さん。真面目に読んでるフリしながら……ボクのお尻、撫でまわすのやめてくれないかな?」

 フルナが拳を握りしめ、軽く片眉をピクピクさせる。

 さすがに殴るなりしてしまうと、あの世へ旅立ってしまいそうな高齢のオークに配慮して我慢こそするものの、クセの一人称を言い直すのを忘れるほどには、ムッときていた。


「おおぉ、これはすまんのぉ~う。いやぁいーいケツじゃぁなぁぁと思うたらつい、ついっと、こう…のぉぅ。ファッファッファッ♪」



「聞きしに勝る好色……それはそうと、肝心なるその手紙とやらの内容はいかに? お嬢ミミに持ち帰りて問題ないのか否か、それが重要だ」

 ハウローが危惧しているのは手紙の内容ではない。手紙そのものに何か危険がないかだ。

 もちろん内容も気にはなるが、ミミの下で働くにあたり幾度か魔導具や魔法をその目で見てきている。そういう観点で罠などが仕掛けられたものでないかは、当然気になった。


「ご安心んん~めされいぃぃ、まごう事なきただの紙じゃぁぁてぇえ。書いてある事も…ふぅうむふむふむ、もしもこれが真であればという前提じゃぁがぁ、相当にすごいものじゃぁぁよぉ」



 ・


 ・


 ・


 その頃、ゴルオン領。アトワルト領との境にほど近い草原地帯。


「………」

「ジェゲーダ殿、よろしかったので?」

「問題、ない。他領よその民、帰さない…その方が問題、起こる」

 なるほどと同行の兵士は頷く。

 だがクルカダイワニ亜人の執事、ジェゲーダはどこか物悲しそうな顔で解放した隣領の村人が去った方角を眺めていた。


「それより、反乱軍。潜伏、手がかり…見つからない?」

「は、申し訳ありません。もう領境に近しいというのにこれといってまだ……」

 ドルワーゼは、先の自領東部への遠征で成果を上げられなかった事を引きずり、ジェゲーダに自分の名代として部隊を率いて、再度かの地を捜索するよう命じた。

 だがジェゲーダは密かな企みを持ってこの任に挑み、そしてつい先ほど果たす。


「(兵士達、見られてない、大丈夫、きっと…。早く…手遅れ、なる前に…)」

 すでにゴルオン領は限界をこえている。


 ドルワーゼの横暴は非道の域に入って久しく、各地で少しでも怪しい領民は、即座に反乱分子疑いをかけられる始末。

 まさに末期もいいところだ。餓えだけでは終わらない地獄が、この地上に誕生しようとしていると思うと、クルカダイの全身を悪寒が覆う。



「…。…少し西、移動する。捜索範囲、絞る」

「ハッ、かしこまりました。ではすぐに移動の準備を致します!」

 正直なところ、ジェゲーダには何をどうすればこの状況を変えられるのか分からない。渡した手紙にしても、相手を間違っていないとは言い切れない。

 しかし、今の彼には誰かに意や情報を伝える自由はない。民衆にとどまらず、部下すら疑えば、ドルワーゼは即座に処理する。


 迂闊な行動はとれない――――今回の反乱軍捜索の命は数少ない好機だった。そして天が味方したのか、偶然にも他領の住民に遭遇することができたのも幸いだった。



「(大丈夫、たぶん。きっと何とかなる、耐える、もう少し、頑張る)」

 絞り出す事でようやく得られるポジティブな感情。それもすぐに折れそうになる。


 あまりにも酷い現状に対してジェゲーダに出来る事はちっぽけだ。今にも自壊しそうなほど、彼の心は苦しく締め付けられ続けていた。










――――――ナガン領、東端。


「どうやら入ったようですね」

 フワリとした、しかしネットリと絡みついていつまでも頭から離れない声が後ろから流れてきて、馬車を操縦する御者はゴクリと生唾を飲んだ。


「へ、へい。ナガン領内に入りやした。ええと…お客さん、どこまで行くんでしたっけ?」

「アトワルト領との境に一番近い街まで…なるべく急ぎでお願い致しますね」

「か、かしこまりやしたっ、お任せくだせぇ」

 服装こそよくある旅の娘さんとそう変わらない。だが服の上からでも分かる凄まじいほど優れたスタイルに、聞くだけで男の心を持っていきそうなその声。

 客として彼女を乗せてからというもの、御者の股座またぐらは山を形成したままだが、辛うじて上の服の長い裾でもってそれを覆い隠していた。

 

「(た、たまんねぇ…。ととっ、いかんいかん! 高い金貰ってんだ、仕事仕事)」

 ワーキャット猫獣人なれどややワーライオン獅子獣人に似た風貌を宿す御者は、プロ意識を奮い立たせる事で煩悩を振り切り、仕事に専念する。


 長距離を移動したいという事で前払いで頂いた金額は、実に彼の稼ぎの半年分に相当していた。


 それだけ払いのいい客。


 キッチリと仕事をこなさなければ男がすたる。それでも時折、平坦な道でこっそりと荷台の客の様子を伺ってしまうのは、男の哀しいさが


「(すっげぇ黒艶髪……何度見ても引き込まれそうだぁ~…)」

 顔が極めて美人なのは言うに及ばず、艶に輝く髪は枝毛など存在すら知らぬと言わんばかりの美しさ。


 胸のボリュームで、悲鳴を上げるように窮屈そうなワンピースは、下半身は太ももの大部分を覆う長いもの。

 それでもなおその先に見えている白肌の脚部は長い。しなやかで完璧なる肉付きバランスと形成されているラインは、これが美脚というものですと脚そのものが世にお手本を誇示しているかのよう。


「(人間族……じゃあないよな?? 獣人っぽくはないし亜人……ハーフかな?)」

 そこまで考えて、御者はふと風の噂を思い出した。


「(そういやアトワルト領って言やぁ、領主も可愛いコで仕えてるメイドさんも相当美人なのがいるって聞いたことあるな。確かそのメイドさんも何かのハーフって話だとか? …ハーフだと美人に生まれるとか?)」

 御者は知るよしもない。

 客の彼女はハーフではなく淫魔。それも種族随一の、淫魔族長ルリウスお墨付きのトップレベルにある女性だという事を。

 



「御者さん」

「は、はひっ?! ど、どうかしましたかお客さんっ?」

 急に声をかけられた、というよりは思いのほか耳元に近い位置で声をかけられて驚いた御者は、馬の制御を乱さぬよう辛うじてその両腕の動きを制した。


「気分もよいですし、目的地の前にどこか…そう良さげな街で」

「よ、良さげな街で?!?」

 彼は思わず髪を逆立ててしまう。興奮で心臓が一気にばっくんばっくんと鼓動をかき鳴らす。


「…美味しいお食事の出来るお店などご存知でしたら、お教えいただけないでしょうか? 急ぎたくはございますが、御者さんもご休憩を挟んだ方が効率が良いでしょう?」

「へ? あ、あぁ…そりゃあ、お客さんがいいって言うんでしたらまぁこっちは構いませんが。えー、そうですね…」

 ヘンな期待をするなバカ者と心の中で自分を叱咤すると、仕事柄培った数々の街の記憶から客の要望に沿えそうなものを探す。


「でしたら、この街道途上にあるヘウリーって街でどうでしょうかね? そこでしたら目的地までちょいと急ぎ目に走らせりゃあ1時間程度で着きますし、メシ屋も近隣じゃあ一番多いトコですんで、お客さんの満足いく店もあるかと思いやす」

「まぁ、そうですか。ではそこで一度お止めいただきましょうか」

「かしこまりやした」

 御者はそう言うと手綱をたわませて馬のお尻を軽く叩いた。

 馬車の速度が若干上がったのを体感すると、彼女は荷台へとその身を戻し、客用の椅子に腰かけなおす。

 そしてほろの後ろのひらきから、これまで移動してきた道や風景をぼんやりと眺めた。


「(地上の旅もいいものですね…。こんなにゆっくりとした気分は久しくありませんでしたが―――――)―――…はふ…ぅ」

 本人的には穏やかに気分よく息をついたつもりだったがそこは淫魔、無意識に色っぽい吐息となってその口より吐き出されていた。


 それは極小さい吐息の声であったが、聴覚を後ろに集中させていた御者はしっかりと聞き取っては動揺してしまう。馬車は一時、その走りを乱してしまったが、恙なく街道を進んでいった。





 そして、その日の内にヘウリーの街へと到着する。


「お客さん、この店なんてどうです? クロウリー黒小猪肉の果実ソース和えとか個人的にオススメですよ」

「聞きなれない食材ですね…ではそれを楽しみにさせていただくと致しましょう」

 御者のススメに従って店に入る。

 木板張りのウエスタン風な外装の造りに違わぬ雰囲気の店内には、様々な種族の客がたむろし、ほどよい混み具合で賑わっていた。


「いらっしぇ―――――…ぇい? お、おお…えーと、お、お客さん…2名様で? でしたらそちらのお席にどうぞ」

 カウンターの向こうで別の客の酒をつくっていた、この店の主人とおぼしき太めの猫獣人ワーキャットが、着用していたオーバーオールの左肩を思わずズラしてしまうほどの動揺を見せる。

 御者はわかるわかるよー、と心の中で店主の気持ちを察した。


『(なんだ、あの超絶美女?)』

『(すっげー……あんなの見た事ねぇぜ)』

『(観光っぽい恰好だが……魔界本土の金持ちお嬢さんかなんかか??)』

『(それにしちゃ服装は地味っつうか)』

『(エッロ! なんだあのダイナマイトなドスケベボディはよ? たまんねぇな)』

『(ツレのワーキャットが彼氏か? ありゃ凸凹カップルもいいとこだな、オイ)』


 二人が店の入り口から指定されたテーブルまで移動する間、そこらかしこから小声と視線を受ける彼女。

 彼らの気持ちもよーくわかると、御者はついウンウンと頷いた。






「では店の主人に注文を通してきやす。少しお待ちくだせぇ」

 席につき、メニューから注文するものを選定し終えると、御者はじっとこちらの様子を伺っている店主の方へと移動した。


「お、おいおい…なんだなんだ、あの超絶な美女は? まさかお前のコレとかじゃあないだろーな?」

 同種族の経営だけにこの店は御者の馴染みの一つだったりする。もちろん店主とは友人レベルで会話する仲だ。


「そのまさか…だったらどんだけ幸せだろうなあ。残念ながらお客さ…もっとも、何年ぶりかの超がつく上客よ。そんなわけで、できれば美味いところを頼むぜ、覚えが良けりゃこの店だってリピートしてくれるかもしんねぇぞ?」

 言いぶりから彼女が結構なお金持ちである事を察すると、店主はよし来たとニンマリ笑った。


「そいつぁ願ったりだ。ウチは若い女性客が少なくて華がねぇのが悩みだったんだ。よし、とびっきりのを用意するぜ…んで、注文は?」


クロウリー黒小猪肉の果実ソース和え2つ、アスパラのミュトロ乳葉巻き2つ、ワイルド野生牛のステーキ2つにミトン覆い葡萄ワイン…それとギョクコ・ナッツの大皿、だそうだ」

 途中まで普通に注文を聞いていた店主だが最後の品を聞いた瞬間、盛大に噴き出す。



「ちょ、…ちょっと待てお前。ギョクコ・ナッツはメニューには載せてないはずだぞ? なんつーもんを教えてるんだッ…ってかもしかしてナイショで注文か? おめー、良からぬこと考えてんじゃないだろうな?」

「バカ言え、こっちだって聞いた時は驚いたっつーのっ。メニュー眺めてたかと思ったらいきなり “この店はギョクコは提供してないのでしょうか?” って言われてさ…ギョッとしたぜ」



 ギョクコ玉狐――――――簡単に言うと、イタチとキツネの中間のような中程度の野生動物だ。

 それなりに数は多くて放置しておくと畑を荒らすため、割と頻繁に狩られる対象であり、害獣に分類されている。


 かつて、一時増えすぎて地上の各地で農産物を荒らしまわったため、やり過ぎたかと思うほど大々的に狩られたものの、すぐに個体数を増やし、絶滅とは無縁とまで言わしめる動物として有名を成した。


 その安定した種の保存を支えていたのは、ギョクコの睾丸こうがん。つまりは圧倒的な繁殖力。


 毛皮や肉の利用はもちろんのことながら、中でもその生殖器はギョクコを代表する産物として有名で、特にオスの睾丸の意として呼称されるギョクコ・ナッツは、一粒食せば千夜を駆けると例えられるほどの滋養強壮力がある。



 ギョクコ・ナッツは、そんなギョクコの睾丸の暗喩的な呼び方としてだけではなく、今日こんにちにおいては料理名としても定着している。

 乾燥させたギョクコの睾丸を炒り、数日酒に浸してからまた干して炒る事で、カラを剥いたナッツのような見た目、食感、そして香ばしさを得る。


 この店では常連の野郎達が、これから女とイチャついてくると言う時に頼む裏メニューなのだが…




 カリ…ッ


「ん。いい味ですね、良い酒を用いて浸けているようで、香りがよく出ています」

「は、はは…そ、それは何よりで…。ですがお客さん、そんなにたくさん食べてその…だ、大丈夫ですかい?」

 御者が恐る恐る聞くのも無理はない。本来は3粒程度食べれば十分なおつまみ。食べ過ぎでも10粒までにしないと滋養強壮効果が過ぎて、逆に身体には毒となる。


 ところが彼女は大きめの皿に盛られたギョクコ・ナッツを飲食の合間、事あるごとに口にしている。その個数は既に50個以上に及んでいた。


「ご心配には及びません、このくらいは食べなれていますから」

 そう言うとまた一つ、口に咥える。そして色んな意味でハラハラドキドキしている御者をヨソに、彼女は機嫌良さげに食事に舌鼓を打ち、楽しんでいた。









―――――――アトワルト領、都市シュクリア。


 ここ2、3日の間にシュクリアの往来には、いつもよりいかつい雰囲気をかもしている者が増加していた。


「何かしら奥様?」「なんだか逞しい殿方をよく見ますわね奥様」


 明らかに荒事に身を置いているであろう行き交う姿を見て、奥様方は世間話に華を咲かせる。




「―――っちゅーわけでじゃ。近隣に常駐しとる同業の連中に手紙で声かけてみたんじゃが、まずまずではないかの?」

 ドーヴァはどうじゃと胸を張る。

 続々とミミの元に挨拶にやってくる傭兵達。

 いずれも明らかに死線の1つや2つ潜り抜けてきた、そこらのペーペーな傭兵とは一線をかくしている実力者だと素人目でもわかるほど有望揃いだった。


「素晴らしいです、さすがドーヴァさんですわ」

 ミミがニッコリと微笑むと、ドーヴァはらしくもなく顔を赤らめてニシシと歯を見せながら照れる。

 そんな相棒を、隣にいるゴビウはジト目でもって睨んだ。


「…まったく、お人好しはいかんとワシはいつも言うとろうが。まぁ旦那ダルゴートのためというんであれば? ワシとて少しは考えぬでもなかったが」

「ま、ま、そー拗ねるなゴビウよ。確かに条件はしょっぱいがの、お主なら最後に納得してくれる思ったからこそじゃから!」

 実のところ、今回の知己傭兵の召集はドーヴァの一存。ゴビウには事後承諾であった。


 時間が惜しい――――というのは建前で、半ば強引に事を運ばなければゴビウは認めてくれないだろうと、ミミのおもてなし・・・・・・を受けてる最中にドーヴァが彼女に提案したのだ。


 後は彼の記憶にある、比較的近隣にて常駐して活動している傭兵達の中から、今回の案件に耐えられそうな者に、ミミが領主として正式なサインを付けたドーヴァの手紙を送付。

 なんと、早い者は手紙を送ってから僅か半日で駆けつけてくれた。




「……ふぅ、まーえーわい。たまにはこーゆー仕事も構わんじゃろう。じゃが今後は勘弁してくれ、ドーヴァよ?」

「うんむ、もちろんじゃ。なんだかんだ言いつつもお前はけてくれると信じとったぞゴビウよ! …うん? どうしたんじゃその右ほほは?」

 見るとゴビウは、右の頬やや下の辺りに薄っすらと擦り傷をつくっていた。



「おま…わ、忘れよったのか!!? この傷は先の大戦でっっ!!」

「……あ、そうじゃったそうじゃった! 最前線のキャンプで酔ったワシがぶん回した酒瓶、アレじゃな?! いやー、あの時はすまんかったのー」


「まったくお主というやつは! まぁ傷自体は塞がりかけとったんじゃがな、一昨日のダルゴートの旦那の新たな門出祝い(6度目)の深酒がたたったか、少々傷が開いたようじゃて、大事はないわい」

 気の良いコンビがワイワイと言い合いしているのは、傍目から見ると羨ましくも微笑ましいもの。

 クスクスと微笑みながらもミミは、イフスに目配せした。



「ゴビウ様。よろしければ傷のお手当を」

「おう、そうじゃの。どこぞのバカが安請け合いしてしまった分、堂々と世話になるとするかのっ!」

「おーう、なっとけなっとけ遠慮なく。肝心の仕事でしくじってはいかんからのーう!」

 口喧嘩。なれど両者とも本気ではない。

 掛け合う言葉に毒は含まれておらず、表情もお互い笑っている。


 いかに長い間、友として相棒として共に死線を潜り抜けてきたかを、彼らのやり取りの様子が全て物語っている、そんな関係。



「(あの調子ならとりあえずは彼も大丈夫かな。これで主力二人に複数の傭兵を戦力に加えられる…モンスター・ハウンドを抑えられる算段、なんとかつけられそう)」

 集まった傭兵達には手持ちの宝石から報酬を支払えるよう、ドーヴァが説得して話をつけてくれた。

 もちろん二人にも宝石で報酬支払を行う。


 ミミが手持ちの宝石の量を少なく誤魔化してドーヴァを説得できた分、報酬として支払う額は破格の安さを実現。

 しかしながら、さすがに高名な二人。意に沿わぬ額の穴埋め案がなければ、ゴビウは説得しきれないだろうという事で、ミミはナガン領主への紹介状を付ける事にし、ようやくゴビウとドーヴァという戦力を得る事ができた。




 …ただの紹介状と侮るなかれ。


 通常傭兵はその立場上、領主から見て非常に低位に当たる者達であり、二人は高名だからこそこうして好待遇を受けてはいるが、普通の傭兵はこちらから用がない限りは訪ねてきても門前払いされるのが当たり前だった。


 しかし地上で活動する傭兵にとって、最大の仕事請け負い先は通常、その地の領主になる。領主と事前に面会して、報酬などの条件を取り付けてから依頼を受けるのが傭兵達にとっては理想。

 現実は、今回のモンスター討伐のように公募に対して成果を上げ、それでもって領主より報酬を頂くという事後制が通常である。そしてその場合、領主が提示する以上のモノはまず出ない。


 つまり、傭兵達にとっては条件を事前相談でき、もっとも高額な報酬を見込める者をこちらから訪ねられるというのは、金銭に代えがたい大きなメリットとなるのだ。

 しかも今回の紹介状は、この辺りで最も大きなナガン領の領主に面会できるというシロモノ、報酬の一部としては十分すぎる価値がある。



「(メリュジーネ様にお任せ・・・できる流れを自然と作れたし、ちょうど良かったかも。これで懸案の一つはメドが立つ…)……ふぅ」

 ミミは、今までで一番疲労感を滲ませたため息をついた。かなりコッソリとついたつもりだったが、どうやらドーヴァには聞こえたらしい。


「だ、大丈夫か? もしや一昨日おとといの夜のせい――――」

「いいえ、ドーヴァさんのせいではありませんわ。ご心配には及びませんが、本音を申しますと少しばかり……モンスターを何とかできそうと思って安堵したのでしょう、疲れがどっと押し寄せてきたみたいです」

 微笑みながらも隠すことなく話す。実際、懸案2つ・・に光明が見えて安堵し、疲労がきたのも事実だ。


「…落ち着いてくださいませ。イフスが帰ってきた時、彼女に心配が伝染うつってしまいますから」

 今の状態の自分を見たら、確実に寝台へと強制連行される。もっとも、この後はさすがに就寝しようと思っているので同じ事だが、心配をかけさせない方が良いに決まってる。


 ここ数日ですっかりミミとの距離が近くなったドワーフは、瞳には心配の色を残しつつも落ち着きを取り戻した。


「無理はなさらんでくだされよ。大事な御身体じゃて…」

 ドーヴァは知っている、ミミが魔獣の卵を抱えていることを。最初に会った時から多少は勘付いていたのが、一昨日の夜にハッキリと確信に変わった。知ってしまった以上、余計に心配してしまうのだ。


「お気遣い感謝いたします。大丈夫、ドーヴァさんにお仕事をお引き受けいただけたおかげで、今宵はゆっくりと眠れそうですから」

 その台詞は嘘ではない。今日はよく眠れそうだとミミは本心から思っていた。


 ・


 ・


 ・



 しかしその日の夜更け。


 マグル村より帰ってきた狼獣人ワーウルフのエイセンによってもたらされた情報によって、残念ながらゆっくりとは眠れなくなってしまった。


「ベギィ…そして魔界から呼び寄せられた配下たち…ですか…」

 閉ざされた部屋。ロウソクの明かりのみの薄暗い中で報告書を見ながら、ミミは軽く肩を落とした。


「今はザード殿とマグルの村人達で連携して上手くいなしてる感じでした。オレの素性は知られずに済みましたけど、連中の目は結構鋭くて村を出るのも一苦労でしたよ」

 秘密の抜け穴を掘り抜き、そこから帰ってきたというエイセンの話からして、それは容易に想像できる “ 敵 ” の情報だ。ミミも理解して首肯する。

 

「怪しい誰かさんの姿がハッキリしてきたのは幸いです。黒幕はほぼこのベギィという魔族とおぼしき人物で間違いないでしょうね」

「だと思います。…次はどうしましょう?」

 どんな指示もこなしますと言わんばかりの緊張気味な表情のエイセンに、ミミはやんわりとした笑顔を返した。


「聞く限り、マグル村が相手にどうこうされるとは思いませんが、どのような企みを持って行動を起こすかも知れませんから、今後も警戒が必要でしょうね……ご苦労様でしたエイセン。今日はゆっくり休んでください、明日、皆を集めてより詳しくお話をしましょう」

「わかりやした姐様ミミ。ではオレはこれで失礼します、姐様こそゆっくり休んでください」

 緊急性は高い。高いが、同時に今すぐ有効な策を打てるわけではない。

 現地に赴いて直に見てきたエイセンにはやや不服だろうが、急いてあれこれ指示を出しても実を結ばなければ意味がない。





「さて、と。どうしたものかなぁ、ホントに…」

 エイセンが部屋を出て行ったあと、肩に羽織ったショールの乱れを直しながらつぶやく。


 色々と見えてはきた。それもほぼ核心に近いところまで。


 しかし諸問題はどれも解決の途上。いずれにも決定打と呼べるものはまだミミの手の中にはない。


「(食糧は今のところなんとか凌げそうというだけで危機を脱してはいない。モンスター・ハウンドを討伐するためにはマグル村からザードさん達を引っ張ってくる必要が…だけど、そのベギィっていうのがモンスター発生の元凶なら、素直に彼らを村から出す? 普通に考えれば妨害するよね……)」

 そもそも前提として元凶ベギィに知られることなくモンスターを処理しなければならない。でなければモンスターを倒さんとする際、邪魔せんと介入してくるだろうし、あるいはその隙をついて別途、よからぬ行動を取る可能性もある。


「ふー、続きはベッドで考えるかな。イフスに見つかったらまた心配させちゃうし」

 執務室を後にして、寝室へと向かった。

 それでもミミは、倦怠感が全身を襲う中も考え続ける。



 そして床へとついても案の定、思考と不安が止められない。嫌な気持ちの高ぶりから、この夜は結局、よく眠ることは叶わなかった。





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