第98話 第7章2 果のために搾る皮


 都市シュクリアは、先の反乱騒ぎによる損害からの復興途上にある。


 とはいえ、それでもアトワルト領では最大の都市。断続的なれど、他領からの人や物の流れが集まりやすいこの街は、穏やかでまばらながらある程度の人気ひとけが常にあった。




「ふわ~、なになに? それは何なのです??」

 小さな屋台。ルゥリィはカウンターの向こうで形成されていく、柔らかそうな乳白色の山を、興味津々に見つめる。


「ハッハッハ、見るのは初めてかいお嬢ちゃん? コイツはな、“ ユキ・アイス ”って言ってな。地上のふるーい文献に載ってた “ そふとくりーむ ” っつーのをヒントに開発された、冷たくって甘ーいお菓子よ…ほいよ、一丁上がり」

 屋台の店主はモフッとした濃い灰色の体毛に覆われたワードッグ。体格の良さもあってか、いかにも飲食系屋台の店主が様になっている。


 彼から差し出されたカップには、粉雪のような真っ白いものが山と盛られ、日の光でキラキラと輝く。

 ルゥリィは同じように瞳を輝かせながら、恐る恐るカップを受け取った。



「変わった感じですが、“ かきごおり ” とはまた違うのでしょうか?」

「ああ、見た目にゃあ似てはいるがね。食べると全く違うってのが分かるぜ。よし、もう一丁あがり。ほれ、お姉さんも試してみな」

「クスッ。いえ義理ではありますけれど、姉妹ではなくこれでも母子おやこなんですよ」

「おや、そいつぁ失敬、養い子でしたかい…ほれ、そっちのメイドさんもおあがりよ。冷たくって美味いぜ?」

 合計3カップ。

 ミミとイフスも受け取り、それぞれ薄木のスプーンで口に運ぶ――――と


「これは…口の中で滑らかな舌触りに変わって?」

 すくった感触こそかき氷に近しいものだったのに口に入れた途端、体温で一瞬にして溶け、滑らかで柔らかいクリームのような舌触りへと変わる。


「へへ、美味いもんだろう? クア領・・・発の新しい甘味さ。当初は昔の文献通りに、そふとくりーむを再現しようとしてたらしいんだが、上手く行かなくて試行錯誤してたらコレが出来ってー話よ」

「なるほど…これは確かに新しい味と食感ですね」

 イフスもカップの白山をマジマジと観察しつつも、その美味に二口三口とスプーンをすすめた。


「店主さんはさしずめ、ゼルヴァラン・・・・・・の新名物を広める広報さん、といったところでしょうか?」

「ハハ、まぁね。よくおわかりで」

 ミミは自分の羽織ものの乱れを直しながら愛想笑いを返すも、多くを語らず黙して冷たい甘味を口に運んだ。




―――ミルフィタウロス族の領主、モルル=ファーヴ=ゼルヴァランが治める領地はアトワルト領より東方、はるか遠くにある。


 元はオッグス=ヴァハル=クアという貴族によって治められていたかの地は、先代である彼が病に伏して執政がままならなくなってしまったために領主が変わった経緯を持つ。

 そして現領主であるモルルを含めて前領主の人柄と善政を知る人々は、今も自分達の住む地を “ クア領 ” と呼称しており、一方で他領の者はゼルヴァラン領と呼んでいる。



 なので、領名の呼び方によってかの地の現地人かどうか、すぐに判別できた。


「(あの地は昔から酪農に力を入れていたはず。このユキ・アイスの原材料もおそらくは地上では特に名高いクア乳牛から採れる生乳……)」

 特産にして名産品がある事は、ミミとしては羨ましいことこの上ない。アトワルト領には特産品も名産品もないのだ。


 土地の産物がありふれたものしかないのは、商業経済を活性化させる上ではなかなかに厳しい。実際にそれが泣き所となり、赴任後から今日に至るまで領内の商業発展に、ミミは一番苦労してきた。




 ――――――名産品や特産品を作る場合、一次産業から見直しと増産を領民に強いる必要が出てくる。


 しかし領民からすれば、そういった産業の改革や再編は将来の糧に繋がるかの不安が付きまとうし、特産や名産にばかり領民の労力や土地活用が向けられると、他の産物がおろそかになってしまう。



 ありふれた、雑多なと言えばイマイチなイメージが付きまとうが、日々の生活に必要な産物であるからこそ、どこにでもありふれた物だと言える。


 ……たとえば綿織物を特産にしようと考えた場合、まず綿花を大量に生産させる必要がある。

 しかし領地の広さが変わらない以上、既存の土地で綿花畑を広げるためには、それまで生産していた他の作物の畑などから転換する事になる。


 仮に空いている土地を新たに開墾し、既存の畑を損なわないようにしたとて、働き手の数は変わらない。

 労力のリソースが、畑を増やしただけ分散してしまい、生産効率や諸々の生産物の品質が落ちる。


 ましてやアトワルト領はのどかな片田舎。人々の気風も比較的穏やかで、さらなる労働を強いられても意欲的に取り組むほどのストイックさはないし、何より人口は少なく、産業拡大に対応する労働余力は見込めない。




「(――――もっとも、今はそれ以前の問題だけど。ともあれ飲食系の屋台が来てくれたのは、本当にありがたいよ)」

 食糧難に喘いで食事を切り詰め続ける生活は人々の心に暗い影を落とす。いかに耐えなければならない時だと理解していても、時間の経過と共に影は深まってしまう。


 とりあえず餓えさせない事を前提に最低限を維持する現状では、いかに餓死は免れようとも人々の心が荒んでしまうのを止める事までは手が回らない。


 ミミがそんな危機感を抱きつつあった中、まさに渡りに舟。


 屋台商売の隊商キャラバンがナガン領からの越境に成功し、この都市シュクリアへと達したのはここ最近では一番の朗報と言えた。



「んむンむ…美味し―のです、ミミおねーさん! こんな美味しいもの、初めてなのですっ」

「クスッ。ほらルゥリィ? 慌てていただくと…口周りについてますよ」

 周囲には20台程度の屋台がのきをつらね、シュクリアの住人が思い思いに興味をそそられた料理を賞味している。

 久方ぶりに美味なものを食べられて、気持ちが和らいでいるのが彼らの表情から見てとれた。



「(…後で警告文を出しておかないと)」

 笑顔で人々や我が養子の様子を眺めながらも、ミミの心中は穏やかにはなりきれなかった。


 モンスター発生以来、商人の往来はこれまで辛うじて絶えはしなかったが、極めて細々としていて、街道を行く者はいつ襲われやしないかと慎重に往来していた。


 しかし今回、こうして隊商がナガン領より越境に成功してきてくれた事はありがたい反面、問題もある。

 大規模な集団が危険地帯を越えられた事実は、危険に対するゆるみに繋がりかねない。


    ―― もしかして、そんな危なくないんじゃね? ――


 少しでもそう思う者出てきて、軽率に行動する者が増えては困る。危険の元凶は健在であり、問題の状況は何一つ変わっていないのだから。



 なのでミミは、領民や行商人の危機意識が緩まぬよう、改めてモンスター・ハウンドへの警戒を喚起するべく、警告を発信し、人々に周知と注意を促さなければならなかった。








―――――都市シュクリア、ミミの借り家。


「他の町や村にも…ですか。それはいささか難しいですな、いえ我々もご要請に応じたくはあるのですが」

 屋台隊商キャラバンおさを招き、ミミは領内各地を巡回してもらえないか打診していた。


 シュクリアはアトワルト領内随一の都市であり、人口も一番多いのは間違いないが、ここにしか領民が暮らしていないわけではない。

 各町や村の人々にも彼らの屋台料理を提供してもらい、人々の気持ちを良い方向へと回復させたかった。


「そこまでの材料はない、と…?」

「ええ、よくおわかりで。隊商キャラバンを組んでいるとはいえ規模は小さいですからね。今回は遠征ゆえこれでも量多く運んできた方ですが、この都市で2日間の営業がやっとの分量です」

 食料品市場の高騰。それが彼らが遠くはゼルヴァラン領よりアトワルト領へとはるばる営業にやってきた理由だ。


 食料品の高騰はすなわち食糧不足をまねいている可能性が高く、飲食物を取り扱う業種としては売り込みの絶好の機会。


 特に彼ら隊商はゼルヴァラン領の名物ばかりの、事実上の広報活動隊である。途中に危険ありを承知のうえでやってきたのも、言い方は悪いがアトワルト領の食糧難につけ込んでのゼルヴァラン産物の宣伝と売り込みが目的だった。



「現地の食材調達でも間に合わないのですね」

「ええ、料理を通してクアの食材をアピールしなければ意味がありませんので、他の地の食材を使うわけには。それに仮に食材を現地調達いたしましても、料理自体がクア領の名産品を材料としているものばかりですから、代替や追加補充がそもそも難しいのですよ」

 かなりハッキリと明け透けなく語る長は、スーツを着て二足歩行で歩く蝸牛亜人カタツムリンだ。

 ほぼ胸元から上だけがカタツムリの半人といってもいい容姿。ピシッとした姿勢でソファーに腰かける様は、隊商の営業面を一手に担っている者として一種の風格すら感じさせる。目や口や鼻や耳がどこにあるのか分からないが、話すたびに2本の触覚がうねうねと動くので、まだ会話はしやすい方だ。


 それどころか言葉を飾らず、誤魔化さず、気遣いや迂遠な言い回しもなく正直1本に話す姿には、ビジネス相手としては好感すら持てる態度だろう。


 それは裏を返せば一切の妥協も譲歩もしない意志の持ち主だと見る事もできた。



「(崩すのは無理……というか実際、彼らの商売内容から考えて領内ウチで食材調達は不可能だろうし、そもそも今は調達できるモノがないわけで…うーん)」

 ミミとしては、領民の気持ちに明るいものをもたらしてもらいたいという意味で、彼らに協力してもらえるよう取り付けたい。


 が、相手が望むであろう交渉のカードは何一つ手元にはなかった。



「(イクレー湖の水産物が軌道にのるまでもう少し。それさえ成れば領民の餓えはとりあえず免れられる。ドーヴァさんのおかげでモンスターに対抗する戦力集めは順調、こっちも解決まであと少しといったところだけど)」

 仮に二つの問題が解決しても、来年の恵みの時期まで領内は食糧の綱渡り状態が続くし、ベギィ一味の問題も控えている。

 先の大戦から反乱騒ぎ、そして今回の諸問題で領民の心に少なからず陰がさしているであろう事は、領主として無視できない不安要素だ。



「(うーん、それも長い目で見ればであってすぐにどうこうって懸念があるわけじゃあないんだけどもせっかくの機会、何とか…)」

 ミミが考えていると、不意にその長い兎耳がピンッと立った。


「(部屋の外…廊下に誰か。この歩幅の短い、けれど重みのある足音はドーヴァさん達かな? そういえば今日は、集まった他の傭兵の皆さんにモンスターの詳細な話をするって言って―――)―――ッ!」

 足音が応接室の扉の前を通過して遠ざかっていくのを聞きながら、ミミは思わず立ち上がった。


「ど、どうかなされましたか領主殿?」

「驚かせてしまい申し訳ありません。突然ながらお聞き致したいのですがおよそ30人分の食材を残して2日後、こちらの指定する場所にて振る舞っていただく事は、可能でしょうか?」

 ポカンとする蝸牛亜人カタツムリンの長は、ずいっと身を乗り出してきたミミの胸元がチラ見える事に気付き、慌てて2本の触覚(視線)を明後日の方へと逸らした。


 その上で、質問を頭の中で反芻はんすうし、問われた事を解する。


「え、ええそれくらいでしたら皆に通達し、明日の営業分より分けさせる事で確保できるかと思いますが…一体その程度の量をいずこにてどなたに振る舞うと??」

「2日後、このシュクリアより南東、サスティから東の郊外にて、現在この町に集っております傭兵の方々を対象に振る舞っていただきたいのです」








 そして2日後。


 ミミとドン、そして傭兵のドーヴァと彼が呼集した傭兵達10名が随行し、隊商はサスティの町の東、ちょうどガドラ山の山脈を北に見始めた辺りまで移動した。


「ご領主殿、屋台の設営を終えました。ですが…本当に大丈夫でしょうか?」

 隊商の長は不安そうだが、ミミの顔色は逆に晴れやかだった。


「ええ、問題ございません。隊商の方々にも危害及ばぬよう、最善を尽くしますので、どうかご安心を。では、料理のご用意をお願い致しますね」

「は、はぁ…かしこまりました。よしみな、調理に取り掛かってくだされ」

 扇状に並んだそれぞれの屋台の店主が、個々に了解の意を声にあげた。



「しかし、こんなところでゼルヴァランの名物料理を振る舞ってもらえるというのも奇妙な感じですのう」

 言いながらドーヴァは辺りを見回す。


 ガドラ山の山脈やまなみを前にした草原。火を扱う屋台の周辺のみ火事を懸念して草刈りをした以外は、ミミのヒザまで覆い隠す長さの草が豊かに生えており、風が吹くたびに美しくなびく。冬が近づく中にあってまだ緑を残す雑草達が、自らに照る陽光を、まるで波のように流していた。


 街道が見えないほど奥まった自然地。少なくとも屋台が軒をつらねるような場所ではない。



「わざわざご足労いただいて申し訳ありません。ですがドーヴァさんとご同業の方々でしたら大丈夫だとわたくし、確信しております」

 ミミにそう言われたドーヴァは、照れて顔を赤らめながら笑い、後頭部をかきむしった。


「ドーヴァ殿、領主殿、全員配置につきましたぞ。一部は匂い消しの粉末を用いて草の中に身を隠しましたゆえ、まず気取られますまい」

 報告にきたのはドラゴニュートの傭兵、ランバルだ。体色が茶色で、背中の翼は小ぶりだが、その顔立ちは威厳あるドラゴンそのもの。背もこの場にいる全員よりも高く、見た目には一番強そうに見える。


 だがドーヴァ曰く、彼でもまだ中堅そこそこ程度であり、実力よりもその誠実さから共闘を得意とするという。今回ドーヴァに代わって傭兵達の取りまとめ役を担っていた。



「おう、ご苦労さんランバル。これで準備は完了じゃて、あとはやっこさんのご登場を待つばかりじゃな」

「ではわたくし達も一度身を潜める事に致しましょう。ドンさんは私の護衛を、ドーヴァさんとランバルさんは屋台の近くに。報告の事例では、遥か高空より奇襲してくる可能性もありますので、上空にも注意していてください」


 ・


 ・


 ・


 モンスターは飲まず食わずでもなんら問題なく存在している事ができる。

 しかし…

 


『? ……』

 モンスター・ハウンドはその匂いに、つい山の上からふもとの方を伺わずにはいられない。


 なぜなら、生物が生きて行くあらゆる行為を不要としていても、生き物の負の情念とでもいうべきモノによってモンスターは成り立っている。


 なのであらゆるモンスターと呼ばれる非生物たちは、本物の生物に比べて剥き出しの欲求を持ち、常にその衝動に駆られる。

 睡欲、性欲、そして食欲―――――生き物の三大欲求に至ってはより顕著である。



『グキャキャッ……フー…フー』

 だが、モンスター・ハウンドは慎重に様子を伺い続けていた。先に手痛い目にあった記憶がまだこびりついているからだ。

 だが匂いに突き動かされる食欲の衝動がモンスターを落ち着かせない。


『フーッ、フッ…フギャギャッァ!!』



 ついには跳躍し、山から空へと飛び出す。


 何度かの実戦を経た高高度からの奇襲。それは襲うにとても有効であると、これまでの経験から理解していた。


 匂いの元に向かって一直線に空を切って降下してくるモンスター・ハウンドを、辺りに潜む傭兵たちは、しかと捕捉していた。



「今だ、第一波開始!」


 ボッボボッ!!!


 3本の槍。それも手投げ用の消耗前提な軽いものではない。騎兵の全力の突撃をも防ぐ大重量の巨槍が、あちこちの草の合間から飛び出し、モンスター・ハウンドの身を貫かんと飛んだ。


『!? ガククッ!!』

 突き刺さる寸前、流石さすがの反応速度で身をひねっては直撃を避ける。


 だが完全に不意を突かれたこともあってか、いかにモンスター・ハウンドでも回避しきる事はできなかったらしく、失速して屋台の並ぶところより40mほど前で着地。

 その身体には3本の擦り跡が真っ黒く焦げ、やがて何の意味も持たない魔素の粒となって中空に飛散。何事もなかったかのように体表は綺麗な状態へと戻った。


『ググググ……』

 浮かべる表情は、怒り。

 奇襲したはずが不意を突かれたのは自分。モンスターは不愉快な展開に、パキペキと音が鳴るほど、四肢の筋肉を強張らせる。


『グギャ―――――』

「おっと、まだこっちのターンは終わってないんだぜ!?」


 ヒュドドッ!!


『ガッ…!?』

 草むらからエルフの傭兵が立ち上がり、2本の矢を放つ。十分に引き絞られたベテランが繰り出した矢は、先ほどの槍の速度の比ではない。今度ばかりはモンスターも回避できず、脇腹深くに矢じりが埋もれた。


「よし、第二波開始!」


 シャララララッ!!


 ランバルの掛け声と同時に、今度はチェーンが方々の草の中より飛来する。矢を引き抜こうとしたせいで、反応が遅れたモンスターの四肢を絡めとった。


『グカッ!? カカカカカカカーーーーッ!!!』

「急げっ、10秒と持たないぞッ!!」

 モンスター・ハウンドは、その細身からは考えられないほどの力を持つ。傭兵10人近くが鎖でその身を束縛し続けようともお構いなしに暴れ、完全に動きを抑制することなどままならない。


 ギャリギャリと鎖の擦れる不快音をたてながらも、強引に動かんとして両腕をやたらめったら振りまくるモンスターに…


「第三波! お願いします、ドーヴァ殿!!」

「おおよ!! 奴の腕をかいくぐれっ、一撃離脱をくれぐれも忘れんようになッ」

 ドーヴァと近接戦を得意とする傭兵数名が全方位より出現。それぞれの得物を構えながらモンスターへと一斉に詰める。


『ギャガァァァァァァアアアッ!!!!!』


 ボゴッ!! ブォオンッ!!


「おわぁあっ!? くっ、こっちにはかまうなっ」

 鎖担当の一人が、地面に固定していたチェーンの先を力で強引に引っこ抜かれ、モンスターに振り回される形で中空を舞った。

 まるで腕が一つ増えたかのように激しく振るい、近づかんとしていた者達をさえぎる。


「チッ」

「うっ、…しまった、足が止まった」

「くそっ、手がつけられんぞ!」

「なんて力だ、想定以上だなコイツッ」

 言いながらも傭兵達は何とか懐までかいくぐらんとする。1本引っこ抜かれたとしても数本のチェーンはまだモンスターの身体に絡み、その動きを制限しているのだ。この機に一撃たりとも食らわせ、少しでも弱らせるのが彼らの仕事。


 しかし、歴戦のドーヴァでさえ余裕ある表情ながら、己の武器の間合いまで距離を詰めきる事ができずにいた。


「ランバル! 空じゃ、落とせ・・・!!」

「! 了解です、ドーヴァ殿っ!」

 竜亜人ドラゴニュートの翼は既にランバルの身を飛び立たせている。指示を聞いて言葉を返してから行動していては遅い。彼らは返答する時には既に動いている。


「すげぇ…これが本物の傭兵っ」

 ドンは草の影から無意識に半歩、身を乗り出してしまうほど彼らの動きに見入る。だがその半歩が、後にミスへと繋がってしまうとは夢にも思っていなかった。



『ギャギャギャッ!! ググガッ、クガァーーーーッ!!!』

 ますます狂暴さを露わに暴れるモンスターは、煩わしいと言わんばかりでまだどこか余裕があるようにも見える。名高いドーヴァを含め、彼が認めたベテランの傭兵達が集い、ここまで段取っているというのに仕留めきれそうな気がしてこない。


 我が目で直に見るとなるほど、知識や情報からどれだけ危険と理解していたつもりでも、まるで意識が違ってくる。肌で感じるとはまさにこのことだとミミは草の中で長い耳を折り隠しながら息をのんだ。


「(アレを仕留めるには、この戦力ではまだ厳しい――――)」

 目を背けているつもりはなかった。注視していたはずだった。しかし次の瞬間、ミミは驚く。いや、驚いたのはより数舜あとのこと。なぜなら何が起こったのか理解が追いつかなかったからだ。


『クカカカカカォォォッ!!!』

 草の中に隠れ、匂いも消していたはずのミミを、モンスター・ハウンドは戦いの中で視界に捉えた。

 それは彼女の護衛であるドンが、半歩前に動いてしまったがゆえであった。元より体色が周囲の草と似通っているドンとは違い、ミミの冬毛に代わり始めた頭髪や長い耳は、草の隙間から僅かに覗くだけでも明らかに違和感ある色。

 目ざといモンスターが、一瞬とはいえ視界に映ったソレを見逃すはずもない。


 モンスター・ハウンドは既に撤退を意識してドーヴァ達に対処していた。そのための隙を探して周囲に視線を巡らせていた。


 そして、身に絡んだ鎖とまとわりついてくる傭兵達を振り切る事も含め、全力で地面を蹴り、滑るように跳んだのだ。


 ミミの眼前。迫ってハッキリと姿を見た瞬間で “ 女 ” だと認識したのか、長い右手が彼女に迫る。

 まだ間延びした体勢。着地も減速もしていないモンスター・ハウンドは、ミミの手前にいたドンの存在など気にも留めていない。


「(! コイツ、勢いに任せて領主様をッ)」

 ミミをさらいつつ逃走する。ドンは刹那にそう理解すると、しゃがんだ体勢のまま上半身を強引にねじりつつ、手に持っていた片手斧を振った。


 体勢は最悪。既に自分を通り越した敵。斬撃は低く、斧のリーチは短い。それでもドンは、歯を食いしばって目を見開きながら振りぬいた。



 ザシュッッ!

 

 跳躍で地面を蹴り、伸びきったままの左足のかかと。浅い。


 1秒にも満たない時間の中、ドンがここまで早く反応できた事は、彼にとっては会心の動きだ。しかし、それで上げられた戦果は僅かな斬り傷を1つ与えるだけ。

 それどころか、モンスター・ハウンドの右手は既にミミの左肩をしっかりと掴んでドンの位置から遠ざかっていく。


 跳躍から2秒、モンスター・ハウンドはミミを掴んだままドンの位置から10mほど離れたところに無事着地――――――できなかった。


 ガクンッ


『グギカッッ?!?』

 ドンの攻撃を受けた左かかと。

 浅いとはいえ斬られた部分が魔素と化して飛散しはじめており、形状が歪になっていた。

 そのために地面に足裏をつけた時、体勢が僅かにブレた。そしてその一瞬のブレだけで、ドーヴァ達は十分追いつく事ができる。


「貴様ぁっ!! ミミ殿・・・を連れてゆこうなどと、このワシが許さんぞいっ!!!!」

 モンスターが跳躍した時、一瞬遅れではあるものの、既にドーヴァ達は追撃に移っていた。

 いかにモンスター・ハウンドが速かろうとも、途中で動きが鈍れば傭兵達もまた常人ならざる速度の持ち主ばかり、追いつく事は困難ではない。


 ゴゥッ!!!


 それでもドーヴァの足でもっても、一撃入れるまで追いつくには全身で跳び、空中で身を捻って武器を振るわねばならなかった。

 だが彼の身体が空中で回転、十分な唸りをあげるハンマーがミミを掴んだことで伸びきっていたモンスターの右脇を捉える!


 ズドゴォッ!


『ゴカガッァ?! カハッッ』

 さすがのモンスター・ハウンドも、ドーヴァの怒りの一撃は効いたらしい。不安定な空中での全身回転という手法で振るわれたとはいえ、胸部やや下をジャストミートしたハンマーが空へと敵を吹っ飛ばし、囚われた兎姫をこぼし落とさせる。

 ドーヴァが背中で着地すると、ちょうどその上にミミは落ちてキャッチされた。


「ドン殿ッ、投げるんじゃ!」

「ハッ!? そ、そうかっこの!!!」

 ミミを受け止めた事で即座に動けないドーヴァ。しかし間を置く事なく声で次の一手を打つ。


 さすがに傭兵達のように即座の行動とはいかないが、それでも掛けられた言葉の意味を理解し、ドンは素早く斧を投げつけた。


 ドッ!


『カッ!!』

 刺さりはしなかったものの、回転しながら敵の身を打った斧。空中での体勢の立て直しに水を差されたモンスターは一瞬動きを鈍らせる。


 そしてその一瞬で、やはり傭兵達には十分だった。


「そこっ!」

「逃がすなっ」

「ぶちのめすっ」


 ドーヴァに続いて特に速い3人が空へと跳躍し、剣を、拳を、槍を振るう。

 そして上空からも陰が落ちてきた――――岩。


『クギャギャーーーーーーッ!!!!』



 ドガッ! ザシュドコッザクッ!! ザンッッ!!


 空中は全方位が空間だらけだ。一方から衝撃を与えても何もない空間へと衝撃は抜けやすい。

 特にモンスター・ハウンドは、ドーヴァによって宙に舞いあげられた状態だ。敵の身体の移動方向はまだ空に向かっており、反転する落下まで待ってからでは体勢を立て直されてしまう。


 下からの追撃は衝撃が抜けやすい状態。だがそこはドーヴァである。元より敵を中空へと舞い上げる攻撃を入れるつもりでいたのだろう。


 短い言葉でランバルに出した指示―――――直上からの岩落としは、まさに下からの攻撃の威力が抜けるのを妨げるように、絶妙なタイミングで敵の身体を打ち付けた。


『クカ…カ……、カカァァーーーーッ、キィャァァーーーーーッ!!!!』


 ギュルルルルルッ、ドガカカカッ!


 ハッキリとわかる憤怒。奇声と共に自分の身体を猛烈に回転させ、傭兵達と岩を吹っ飛ばす。


「くはっ!!」

「野郎…あの体勢からッ」

「いかん、奴が逃げるぞドーヴァ殿!」

  

 ドーヴァが駆け寄ったドンにミミを任せて戦闘に戻ろうとした、僅か数秒。

 モンスター・ハウンドはその強烈なバネに物言わせ、もはや四肢でまともに走る事すら忘れたかのように全身で狂い跳ねながらガドラ山へと去っていた。


「もうあんなところまで…なんてスピードでしょうか」

「まったくじゃのう。それにヤツはまだ本気ではなかった…やはり仕留めきる事はできんかったな……大事はないかの、ミミ殿?」

 ドーヴァは敵の影が遥か遠く見えなくなると同時に戦闘モードを解き、一気に心配モードへと移行、ドンに背中を支えられてしゃがんでいるミミに駆け寄ってきた。


「ドーヴァ様、いつから領主様のことをお名前でお呼びに??」

 ドンは思わず素朴な疑問を投げかけた。先ほどまで憧憬すら感じていた戦士とは思えないほどスイッチの切りかわったドーヴァへの困惑から、つい聞いてしまう。


「ん? ああ、いや…まぁその何じゃ、野暮ったいことは…いやいや、まぁそのあれじゃよ、領主殿が名前で呼んでくれて構わないと言ってくれたでな、タハハッ」

 顔を赤らめながら、細かい事はいいじゃないかと煙に撒こうとする。


 そんなドーヴァを見て、ミミは訳知り顔でクスクスと穏やかに笑っていた。





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