第53話 閑話 平穏なる辺境警備


 アトワルト領で、ならず者達が騒ぎを起こしていたその頃。


 ここはその東隣はナガン領の片田舎。メリュジーネ様に仕えてまだ日の浅いボク、小人猫獣人ケット・シーのルィアル=エール=ァルーは、メリュジーネ様が興したアトワルト領行き直営軍には当然入れてもらえるはずもなく…

「おい新人、ぼーっとするな。こういう警戒の薄い田舎こそ敵の狙い目になるんだ、気を引き締めろ」

 およそ10人ほどで編成された留守番組緊急小隊の1人として、この辺り一帯の警備任務に派遣されています。

「は、はい、隊長。…でも、こんなに閑散とした…いえ長閑のどかな場所に、賊が襲ってくるんでしょうか??」

 現在、メリュジーネ様という領主が不在という事もあって、ナガン領内各地には、ボク達のような小隊が派遣配備されています。もちろん不逞ふていの輩が領主不在の隙を突いて悪事をなさんとするのを、未然に防ぐためです。

 でも……

「来る。間違いなく。我々の配置はメリュジーネ様御自らが策定されたと聞いている、つまりは…そういう事だ!」

 そういう事が、どういう事を指しているのかは、なんとなく分かるような分からないような。でも、ボクが知る限り――

「(メリュジーネ様って、そういうトコロ、結構アバウトだったような気がするけれど…)」

 この巨人族の隊長は、今回の任務は名誉な事だと、なおかつ重要性を感じているらしいです。隊長は元々が上等兵と、階級自体はそんなに高くはなかった方。そこへきての今回の小隊長就任、だから余計に張り切っているのも当然なのかも。


「えっと、ですが隊長。具体的には、ボク達はこれからどうすればいいのでしょうか?」

 ボクのいる隊が派遣された場所は、片田舎でも特に周囲が開けた場所で、四方八方の地平線の彼方まで見渡してみても、大地に僅かな起伏もなければ、身を隠せそうな木々や草むらすらない場所です。最低でもどの方角に向かっていっても数kmは何もない平な地面が続くだけの土地なんです。

 今現在滞在している村は、そんな何もない殺風景な大地の上にポツンと存在していて、村というよりも旅人や輸送隊が、途中で立ち寄る事を念頭に置いた、中継地点のようなもの。常駐する村人も100人に満たない、村にすらならない規模で。

「……。……待機!」

 そう、出来る事がなにもないんです。見通しが良すぎるため、敵の襲撃を警戒しての警邏行動も必要ないし、村には襲われるほどの価値もありません。

 ハッキリ言って、メリュジーネ様はたぶん…

「(地図を見て適当に、こことこことここらへんに置いとけばいいんじゃない、とかいう感じで決めたんだろうなぁ…はぁ~)」

 偉い人に仕える事ができたのは、とても幸運だと思います。でも、お仕えしてからの3年間、いまだにボクは何か手柄を立てる事もなければ、その機会にも恵まれてません。

「(おっきな手柄をたてて故郷に錦を飾りたいと思っても、これじゃあいつの事になるのか、わからないよ)」

 兵士になったのも、戦いは怖いけれど取り柄は身のこなしくらいしかないから、それを活かせば―――などと簡単に考えての事でした。

 魔界でも有数の貴族の一人であるメリュジーネ様の下なら、その兵士になっただけでも故郷に報告すれば、皆すごく喜んでくれると思う。だけど有名無実じゃ哀しいし虚しいから、せめて何か報告に添えられるような手柄を立ててから……そう思ってはや3年が経過してしまいました。

「隊長。無駄かもしれませんが、街道の様子を見てきてもいいですか?」

 焦燥感から、何かせずにはいられない。けれど今できる事は、せいぜい村の周囲を回るだけ。それでもこうしてじっと待機しているだけよりは、砂粒くらいの差でマシだと、ボクは思った―――いや、思う事にしました。

「ふむ、襲撃を少しでも早く知る事ができれば対応もしやすくなるな。いいだろう、許可する」

 一体誰が、どこから襲撃してくると言うんだろう…。でもボクは両肩を落とすと待機所から一人外に出て、村の入り口に向かって歩き出しました。


 扉を閉めると同時に空を仰ぐと、真っ青な空を背景に強い日差しが飛び込んでくる。

「…冬が近づいているとは思えないくらい、いい天気だなぁ」

 待機所は、木板を組んだだけの四角い箱のような掘っ立て小屋だ。同じような建物がそこらかしこに点在しているが、どれも簡素でとても脆そうに見える。

 その後ろには1mくらいの高さの木柵が立っていて、それがグルリと村を囲んでいる。入り口には棒を組んだだけの門っぽいものがあるけれど、当然なんの表記もない。

「………うーん、廃墟みたいだ」

 ポツリとつぶやいた言葉は、あながち間違いではないかもしれない。住んでいる人がいるとはいえ、彼らも真っ当な村人ではない。ボク達ほどではないにしても、ある程度の訓練を受けていてもしもの時には戦いに参加できる半兵だ。正真正銘完全無欠の村人、という存在は一人もいない。

 彼らも上からの命令があれば、簡単に他所へと移住する身なので村に住むというよりも、廃墟に簡易拠点を構えている、と言う表現のほうがしっくりくるような気がします。


「盾…、よし」

 丸くて小さなラウンドシールド。攻撃を受ける外板は薄い青銅製で、内側には堅くて軽い木版を合わせている。

 外板中央がポコッと盛り上がっていて、敵の剣を受けた後、ここに引っかけて払うらしい。……まだ、そんな戦闘に遭遇したこともないのでボクにはピンとこないけれど。


「槍…、よし」

 立てると自分の背丈の1.5倍ほどの長さのスピアー。

 柄は木製製だけれど、表面に特殊鋼のメッキが施されているから、剣や槍を受け止めるにも十分なほど丈夫です。

 穂先には十字型に3つのダイヤ状の鋼鉄刃がついています。飾りっけはないけれど、シンプルで質実剛健な感じが、ボクは気に入ってる。

 

「鎧…、よし」

 上半身は背中と胸当てが、革で包まれた木片をつなげたベルトで繋げられた簡素なもの。

 下半身はベルトと、そこから股間部の前方の保護のみを目的とした金属板が垂れさがっているだけ。

 肩当てやガントレットはなく、両手は微細な金属糸が織り込まれた手袋しかありません。


「ブーツ…、よし」

 革を基本として、前半分にのみ金属板が張り付けられているだけの簡素なもの。それでも長い距離を移動しても疲れないように工夫されているし、足の動きを損ねることなく防護もなせるのだから、十分だと思います。


「兜…よし」

 これも頭を包むような形状の革に、金属板を張り付けただけの単純なものだけれど、ちゃんとケット・シーであるボクの耳を妨げない穴が開いていて、フィット感がいいからお気に入りです。


「道具袋…、よし」

 最低限の手当てのための包帯や傷薬、いざという時の非常食などなどが入った腰下げ袋。

 厚手の革で出来ていて、細い金属の鎖でベルトに繋いでいるから、戦闘になってもうっかり落としたりする心配がないので安心。


「…。こうして見ると、本当に最低限…仕方ないといえば仕方ないのかな」

 いくら装備一式を準備してくれるとは言っても、新兵にまで良いものが回ってくるほど甘くはない―――言い換えれば、ボクはまだまだ新兵の域を出ていないと判断されている、という事でもあるわけで。

「うーん、どうすれば一人前と認めてもらえるのかなぁ?」

 町の外へと歩み出しながら考える。とはいっても、答えは考えるまでもなく決まり切っているのだけれど。

「…やっぱり功績をあげないとダメだよね、当たり前かぁ」

 ため息しか出ません。新兵だからこそ、こんな何もない場所に遣わされる小隊に組み込まれるわけで。それで立てられる功なんて。

 どんなに見回しても、村の周囲の大地には薄っすらとコケみたいに短い雑草がところどころに生えているだけ…。

 街道は、そんな地面の表を削って浅く窪ませただけのもの。石畳すら引かれていない白く乾いた土がむき出しの道が延々と地平線まで続いています。

 広大なナガン領は、本当に様々な環境を内包しているのは知っていたけれど、こんなにも開けている場所も滅多にないんじゃないかな?

「異常なし。…当然だけど」

 4方に伸びている街道を、それぞれで遥か遠くを眺めてみても、人影一つ見当たらりません。

 主要な旅路たびみちの途上でもないため、普段から人の往来そのものが少なく、治安維持も何も、守るもの自体がないに等しいと思うのはボクだけなのだろうか?

「…虚しいよ、何やってるのかなボクは?」

 言葉に出して自問自答してみても、情けなくなるだけ。小さな影が途方に暮れたように遠くを望んで伸びていくのをボクは立ち尽くして、そのままずっと眺めていました。






「これは絶対価値があがるぞっ、へへへっ!」

 魔界から地上での商機を見出そうとやってきた行商を営む彼は、水妖獅子フーアと呼ばれる変わった種族の出で、魔界ではチマチマとした行商で多少の財を蓄えていたケチな商人である。

 そんな彼が手にするのは、薄っぺらい写真一枚。それを眺めつつ人気ひとけのない街道を歩いていた。

 ナガン領よりさらに東へ。

 旅の途上で聞いた話によれば、現在アトワルト領にて大きな反乱騒ぎが起こっているという。しかもかの地の領主すらその身危うい状況にあるとかないとかで、交流のあるこの地の領主が、その救出の軍まで出したというではないか。

「もしそのままそのアトワルト領のご領主さんが亡くなってもごらんなさいよ? …いやいやいや、それは少々不吉に過ぎるとしてもよ? 怪我でもして領主引退、なんて運びにでもなりゃあ、この写真の価値が高騰するのは目に見えているじゃあないかい?!」

 容姿の良いワラビット族、それも写真を見る限りとびっきりの美少女だ。加えてその装束も異性の興味を引きつけるに十分な、大胆なものを着用している。

 これならば特に獣人族の男連中辺りを中心に需要が出て高額で売りさばけるに違いないと確信してやまない彼は、異性への欲求ではなく金銭欲からヨダレをこぼしていた。

「おっと、さすがに我ながら品位に欠けていたか。…しかし、問題はどうやってこれを複製するか…ウーム」

 この写真そのものは、サンダーパートトランスポート光速輸送貨物港は地上発着場のスタッフ達から買い受けたものだ。彼らはツテで魔法による絵図の複製を行い、必要枚数スタッフ分を揃えたらしいが、交渉して金貨20枚も出してようやく1枚だけ分けてもらえた。

「やはりどうにかして複製魔法を…しかし、そんな魔法を使える者は知らんし、魔界でもあまり聞いた事がない、悩ましい限りだ」

 スタッフから買った時に聞いておけばよかったと後悔する。もっとも他に手が思いつかないからこそ、こうしてしばらく地上をあちこち回った後に、再びサンダーパートトランスポート光速輸送貨物港へ戻ろうと移動しているわけだが。

「ともかく、この一枚は大事にしなくてはな。大事な金の素だ…フッフッフ」

 ニヤニヤが止まらない。この容姿にあのスタッフ達の様子からすれば、この娘は地上では相当に人気があるに違いないと、彼は思いこむ。

 複製できたとして、1枚あたり金貨20枚では売れなくとも、金貨1枚でも値が付くのであれば、わずか20枚の複製で元が取れる計算になる。複製の経費と手立ての確立が出来るかどうか、現段階ではさすがにまだ不透明に過ぎるがそれでもこの商機、逃すわけにはいかないと意気込む。

「(条件次第じゃあ、今までの稼ぎを全部投入したっていいかもしれない。グフッグフッ、グッフッフ♪ これはヤバイぞ、ガッポリ稼げば―――)」



 ザザッ!! …ピッ。


「あっ!? …な、なんだお前らは!! 返せ、このっ!!」

 いつの間に近づいてきていたのか? この広大で見通しのいい場所で、忽然と現れたのは、10人程度の集団だった。

「なんだぁ? 行きがけの駄賃と思ってカモがいると思えぁ、たいしたモン持ってなさそうだな」

「こんな辺鄙へんぴな所を歩いてるんだ、売れない商人だろ。…んで、その写真はなんだ?」

「ああ、なんか勢いで盗っちまったが…?」

「そいつはダメだ! 返せ、他の荷は全部やるから、それだけは返せ!!」

 商人が必死に取り返そうとしてくるのを、賊は怪訝そうに見ながら写真を持った手を上へ下へと動かしてかわす。

 やがて商人の息が切れてぜーぜー言い始めているのを確認すると、賊は改めて写真を眺めた。

「んんッ? …女、それもえらい別嬪べっぴんじゃあないか? 少し若いが、スタイルも装束もそそるな、テメェの妻かなんかかぁ?」

「はぁ、はぁ、ぜぇ…ぜぇ、違う…、と、隣の…ぜぇはぁ、ぜぇ…あ、アトワルト領の領主の写真だ……はぁ、はぁ…ひぃ、ひぃ…」

 その言葉を受けて、賊達は一様に目を見開き、そして互いに顔を見合わせた。

「こいつが…あそこの領主だって? マジかよ…クソ、館の襲撃に行った連中は大当たりじゃねぇかッ」

「それに比べて俺たちはといえばクソ野郎ミリヲタにこき使われて大損とか。くっそー! 腹たつ!!」

 彼らはアトワルト領での反乱、南東の街道沿いを任されたベッケスの部隊に所属していたならず者だ。しかしもう付き合ってられないと、ナガン正規軍との戦闘中に逃亡し、アレクス反乱軍に見切りをつけ、新たな稼ぎを求めて他所へと移動している真っ最中だった。

「いいから写真返せ! そいつがないと…」

「? こいつがなんだってんだぁ? …ケケ、そんなに重要なら取り返してみろよ、ハハハ」

 まるでいい暇つぶしを見つけたとばかりにニヤリと笑い合うと、ならず者達は写真を持ったまま逃走する。しかしその走る速度は完全に馬鹿にしたものであり、水妖獅子フーアの商人はヒーヒー言いながら彼らを追いかけていった。



 ケット・シーの背丈でも、地平線の向こうに異変が伺えたのは昼過ぎの事だった。

「んん、あれは一体? ………」

 目を細めて見ると、何も変わらない時間が止まったような景色の中、明らかに砂煙が舞って何人かの人影らしきものが見えた。

「旅人? それとも商人の一団かな?」

 ともあれこの村には物見櫓ものみやぐらの類はなく、周囲の見張り番は常設されていない。今、この変化を見つけたのは自分だけで、隊の皆は今は村の中で昼食をとっている。

「報告…するべきなんだろうけども。…うーん」

 もし問題事であれば、このまま自分一人で解決してしまえば、何もないこの任地でも多少の功にはなるかもしれないと、アルは考える。

 少しでも功績を積めば、今より良い仕事が回され、また功績を積み上げられる。そうして徐々に登っていければ――――今は1段目に足すらかけられていないのだ。登ってゆくどころか止まっているも同然の状態がアルの焦燥感が育んで、功に焦った選択を取らせてしまう。

「よーし、まずは確認しないとッ。…そうだよ、ただの通過者であればそれでいいんだから。あれらが何者か、対処はそれが分かってからでも遅くないよね!」

 隊の連携としては、単独で事に当たるは愚かの極みであり、それは彼も理解している。にもかかわらず彼は、その愚かを冒してしまうのだった。


「そこ行く一団、止まれぇ! ナガン候正規軍、治安維持隊の者だ!」

 ケット・シーの小さな脚でバタバタと走りながら、何者か達に近づいてゆく。

「そこ行く一団、止まれぇ! ナガン候正規軍、治安維持隊の者だーぁ!」

 何度も同じ文言を叫ぶ。彼らの姿が薄っすらと視認できる距離まで縮まると、ようやく自分の声が聞こえたのか、一団がこちらに気付いて動きを一度止めた。

「(? 一人は…獅子獣人? でも指の間に水かきがついているから水妖獅子フーア族かな?? 商人っぽい出で立ちをしているけれど…、他の者達は)」

 少しだけ緊張が走った。明らかに商人風の男一人を除いた他の者たちの風貌があまりよろしいものではなかったからだ。

 種族もバラバラで、雰囲気から察するにどうやら商人に雇われた護衛の傭兵ボディガードの類、というわけでもなさそうだった。

「これはなんの騒ぎだッ!? このナガン領内で悪事を働く事は許さないぞッ!!」

 強く、腹の底から威圧する声を張り上げるアル。だがそれを聞いた男達は、一度顔を見合わせると―――

「ハハハ! なんだぁこのチビはぁ!?」

「ギャッギャッギャ!! おーおー、怖いねぇ兵隊サン。俺ら懲らしめられちゃうよぉ~」

「クハハハハ!! たった一人でとっちめる気かい、可愛らしい小猫クンよぉ?」

 途端にゲラゲラと笑い出すならず者達。

 雑兵レベルとはいえ、体格も荒事の経験もそれなりの修羅場を潜り抜けてきた彼らは、その場に立っているだけでも一般人と比べれば強者の雰囲気を漂わせている。

 これに対して新兵で戦闘経験もほとんどなく、練度も装備も不足しているアルの槍と盾を構える姿は、あまりにも滑稽なものであった。

 とはいえ、その名乗り上げた所属は本物だ。彼の身に纏っている装備品が、ナガン正規軍の下級兵のものである事は一目でわかる。水妖獅子フーアの商人は、黄色の鬣たてがみを乱してその小さなカラダにすがるように走り寄った。


「お願いだ、他の荷物はどうでもいい! あの…あの写真を! あの写真だけは奴らから取り返してくれっ!!」

 おかしな懇願を受けてアルは最初、小首をかしげた。だが単純に、アルが連中とまともにやり合って勝てないだろうから、一番大事なものだけは取り返してほしいと、期待のハードルを下げてくれたのだと察する。

「なるほど…ですが大丈夫! 写真も荷も、ボクが取り返して見せますから!!」

「だってよ、聞いたか? なんか小猫の兵士さんが俺らと遊んでくれるらしぃぜぇ?」

「キャッハッハ!! こいつぁけっさくだ。森の中や町中ならいざ知らず、こんな隠れるとこもねぇだだっ広い荒野で、正面きってやり合おうなんてなぁ」

 ならず者達は欲求不満だ。たとえそれが小粒な獲物だとしても、多少なりとも気分を晴らせるのであれば別に構わなかった。

「貧相な武具だが…引っぺがせばいくらかにはなるか。…まとめて売り飛ばしちまうぜぇ?!!」


 バッ!!


 削った土がむき出しの街道に、深さ2、3cmほどの小さな穴が開く。それはならず者が地面を強く蹴った跡だ。


「(は、早い!?)」

 アルとそのならず者――鈍そうな豚獣人オークは、距離にして5、6mは離れていたはずだ。なのに瞬き2回ほどの短い時間ですでに目の前にその体躯があった。

「はっはぁ!! 遅いなぁ、反応がついてこれてねぇじゃねぇの!?!」


 ドガッ!!


「うぁっ!? く…ぅ…」

 それはただの蹴りだった。しかし盾を構える前に飛んできた足先は、見事なほど綺麗にケット・シーの身体の真芯を捉え、吹き飛ばした。

「おいおい、兵士さんよぉ。こんなのも避けられないのかい?」

 オークは両手を上に向けて肩をすくめる。他のならず者達も皆、余裕の態度でクスクスゲラゲラと笑っているばかりで、戦いに参加しようとする気配を見せない。

 否、戦いと呼べるものですらなく、その光景は単なるイジメに近いものだ。そんな状況に手を貸すほど、彼らも落ちぶれてはいない、という事らしい。趣味が良いとも言えないが。

「く、くそ…ぉ。はぁはぁ、ぜぇぜぇっ」

「おお、よく立ち上がりました。えらいぞぉ、ハハハ」

「馬鹿に…するなぁっ!!」


 バッ! …ビュゥンッ


 中空に飛び上がり、オークの顔面と同じ高さで槍を薙ぐ。だが…


 ガッ


 その一撃を、敵は左腕をあげて容易く防いで見せた。

 

「ハッハッハ、なんだぁこの程度かい、兵士の攻撃ってのはよーぉ?」

「く…っ!」

 だがアルから2撃目は出ない。

 その場にストンと落ちて着地する際も敵前でありながら両脚に、見てわかるほどにキチンとしたクッション運動を用いている始末だ。

 身のこなしは悪くない。今の跳躍にしてもなかなか鋭敏な動きだったし、槍の振るい方もサマにはなっていた。

 が、彼の悪癖とも言うべきもの。それは丁寧に過ぎること。不器用にも1手1手を無駄に教本通りの行動しか取れず、アクションごとの硬直や隙が大きすぎるのだ。

「なんだアイツ、まるで子供のママゴトだぜ」

「あれで兵士か。弱すぎる…よく務まるな?」

「1対1ですら誰にも勝てねぇだろ、あのザマじゃ。よく俺たちにつっかかってきたもんだな」

「ハッ、正規軍っつーてもピンキリってこったろ。広報担当のマスコットなんじゃねぇの?」

 侮辱の会話が聞こえる。屈辱にまみれ、しかし言い返せるものはない。悔しくてアルは激しく歯噛みする。

「(うう、こんな事ならちゃんと報告してから、隊のみんなと一緒に来ればよかった)」

 何せ被害者がいて、助けを求められたのだ。これほど情けない兵の姿を見せていては、自分のみならずナガン正規軍全体が、ひいてはメリュジーネ様が軽んじられる事にもつながりかねない。


 ドゴォッ!!


「がふっ!! …うあぁあ!!!」

 再び蹴り飛ばされ、苦痛で地面を転がるケット・シー。その身が中空を舞っている際に兜が外れ、まるで主を見放したかのように遠くへと転がっていった。

「チッ、つまんねぇなぁ…これじゃケンカにすらなりゃしねぇ」

「とっととトドメさしてやれよ。身ぐるみ剥ぐ手間もあんだろ?」

「殺るのが気ぃすすまねぇなら、気絶なりさせちまえよ。優しいねぇ豚ちゃんは?」

「うるせぇ! 豚いうな!! …ったく。ま…あれだ、恨むなら分不相応にいっちょ前の兵士きどろうとした自分を恨みな!」


 オークは腰のこん棒を握り、高らかに振り上げた。


「!! …う、あ、ぅう!!」

 それを見たアルは、槍を投げ捨てて両手で盾を天に向けて構える。オークは相手の防御の態勢が整うまで、ニヤつきながら様子を見届けていた。

「それでいいのかぁ? んな薄っぺらい盾じゃあ、オレさまの一撃は、……耐えられやしねぇぞぉ!!!?」


 怒号と共に振り下ろされるこん棒は、風をきりながらあえて構えられている盾のど真ん中を目指して落ちた。


 ドガゴォオオンッ!!!!


 金属に、強烈な打撃が加えられた音が辺りに響き渡る。ならず者達はようやく終わったかと笑みを浮かべ、水妖獅子フーアの商人は思わず両手で顔を塞いだ。


 だが、当事者たる二人はというと、揃って目を見開き、驚愕に満ちた表情を浮かべる。

 アルの盾は、粉砕されるどころかまるでヘコみもしていなかったのだ。だが盾の表に接触しているこん棒は、ケット・シーごと粉砕確実の力で、確かに叩きつけられている。

 攻撃した者とされた者、その立場は違えど今、二人は同じ思いを抱く――――なぜ、耐えられたのか? と。


「いけませんねぇ、弱いものイジメは。見ていてなんとも見苦しいものです」

 第三者の声が響き渡る。

 その男は、自分の商隊から離れて一人、こちらに歩み寄ってきていた。天に向けて立てた人差し指に、飛ばされて遠く転がっていったアルの兜を拾ったのか、ひっかけてクルクル回している。

「なんだテメェは!? しょ、商人かぁ!??」

 オークが思わずそう問いかけたのは、見た目こそ商人風ではあるものの、その男から感じる雰囲気が、明らかに強者である事を感じたからだ。この不可解な現象の原因を起こしたのもこの男の仕業と確信する。

「え、あ…アンタは! ジャック、ジャックさんじゃあないか!?」

「おや、これはこれは。確か水妖獅子フーア族の……ハッラドさんでしたか? 珍しいところでお会いしましたねぇ」

 元々二人とも魔界の商人だ。といってもそのレベルは天と地ほどの差が開いている。

 水妖獅子フーアの行商人―――ハッラドは、安定した小さな商売を中心とした行商人で、荷も小物が多く、荷車や馬車などを用いない。一方でジャックは大きな規模の商売を数多く手掛ける。両者の稼ぎや商人としての格の違いは一目瞭然ではあるが商人同士、交流もそれなりにある仲だった。

「さて、ゴミが旧き友の手足メリュジーネの私兵をイジメているのを見過ごしたとなると、後でうるさく言われそうですし? 軽く掃除してあげるとしますかね」


 そこからはあっという間だった。ならず者達は残らず粉砕され、生き残った者は縛られてジャックの “ 商品 ” として組み込まれる。その末路はどこの地獄的な現場へと売り払われるともしれない強制労働力へと貶められる事を理解している彼の奴隷たちは、後ろで一連の様子を傍観しつつ、まだ自分らは奴隷でよかったと安堵すらしていた。



「ふむ、ちょうど私はそのアトワルト領へと向かうところでしたが…なるほど、ね」

 ハッラドが、取り戻した写真を見せて鼻息荒く大金を掴む商機を見つけたと語るのを、ジャックは懸命に笑いを押し殺して聞いていた。

「(確かに彼女の美貌は類まれですし、一部の者達にも人気なのやもしれませんが…ククク、いやはや、これはどうしたものですかねぇ? 同業者のよしみで、残念ながらその商売は成立しない事を伝えるべきか……)」

 商人仲間としては夢をへし折るような事はしたくないのが本音だ。しかし同時に、魔王千金・数字棒宝くじで当選したと喜んでいるが、番号が1つ違いだと気づいていない者を見ているようで、深い哀れみも感じる。

「あー…とりあえずですね、貴方の商売が上手くいくためには、アトワルト候の安否が大きく関わってきます故、あまり入れ込まない事をオススメ致しますよ。後で落胆する事になるでしょうから」

 警告はした。これで義理は果たしたし、この後に彼が大失敗をおかすのか大成功を掴むのかはジャックが関知するところではない。

 知己の同業者の興奮をなだめていると、小さな影が近づいてきて、恭しく頭を下げるのが視界に入った。

「あ、えーと、あの、ありがとうございました! ボクが至らないばかりに通りすがりの方にお手数を―――」

 頭をあげたケット・シーの兵士、その面持ちは己の無力を嘆くような、あるいは悔しそうな沈痛をたたえたものだった。

「いえいえ、その小さき身で頑張られていらっしゃるのは素晴らしい事です。ですが、現実とは非情なもの……背伸びをし過ぎては足を捻ります。自身をよく知り、精進を続けてください」

 言い終えると、なんとも平穏な事だと思いながらジャックは空を仰ぐ。日は高く、道はまだ長い。

 おそらく目的地に着くころには “事” は終息しているだろう。

「……ま、受けた依頼を完遂するのが、まず第一ですかね」

 そのあと・・・・の事は、またその時にでも考えればよい。

 今しがたケット・シーに説いた言葉を自分にも言い聞かせて余計を考えないよう気持ちを落ち着けると、彼は自分の商隊に合図を送り、移動再開を促した。




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