第52話 閑話 境界線の向こう側


――――地上、神界側。とある村落。


「彼らの処罰は言い渡した通りに。では、よろしく頼みましたよ」

 オグは小さめの丸メガネを軽く指であげて彼らを見る。

 ひざまずいている男達は、いずれもオグよりも屈強な体格と、鏡のように顔が映りそうなほど磨きあげられた豪奢な鎧に身を包んでいる。しかし山を軽く散策する風体の優男を前に、彼らはその全身を小刻みに震わせていた。

「ハッ! しかとご拝命、承りましてございます!!!」

 一連の命を決して違えぬよう、何度も心中で繰り返す。彼からの・・・・命令だけは絶対に何一つとして間違えるわけにはいかないからだ。

 その鎧の背中から出ている白亜の翼は4枚。決して身分低き天使達ではない。同輩の咎人を連行するという厳しい任を担えるだけの実力と精神力を持ち合わせている彼らですら、“オグ”を前にして自身の震えを抑える事はできなかった。

「これでフゥルネスの送り込んだ者達の処遇については、カタがつきました。まずは一息というところですが…」

 地上は魔界側領内へと勝手に入り込んだ工作員達には、しかるべき処罰が下される。これで少なくともこちら側神界側での今回の件は処理し終えた事になる。だがオグはグレートラインを、その山越しに魔界側を透かして見るかのように眺めた。

「…お、オグ様?」

 ようやく偽名で呼ぶ事に慣れた従者の天使が、恐る恐るこちらを伺ってくるが、彼はまるで無視して山を眺め続けた。

「(…後日、何かしらのお詫びはすべきでしょうかね。やれやれ、まだまだ大仕事は残っているというのに)」

 フゥルネス卿のように、半ば地位も実力も備えた輩は本当に面倒だ。しかも考え方が極端な方向にこじれすぎていて、今回のような暴走を引き起こしてしまう。

 しかも心当たりがある部下は、フゥルネスに限った話してはないのがまた頭痛の種なのだ。本当に信用のおける野心なき重臣クラスは果たしてどれだけいる事やら。

「(かつての人間世界にあっても、神を口実として野心をなさんとする者は数多くいましたが…まさか天使たる者の中より、それにたぐいする者が出て来ようとは……、我々は・・・世界の運営ばかりに気を回し過ぎていたのでしょうかね?)」

 ここにはいない、魔界側のトップに語り掛けるように思いを馳せる。そういえばもう随分と時は経つが、魔界より発生した “ 連中 ” もまた、実力と野心の暴走の果てに生まれし者達であったかと過去を顧みかけたオグ。

 だがその思考に、嫌な予感が針程度ではあるが、ハッキリと突き刺さった。

「(…まさか、………。いえ、さすがにそこまで耄碌もうろくしたつもりは…ない、とは言えませんかね。懸念は懸念ですし調査の必要がありますか)」

 フゥルネス卿が “ 連中 ” に動かされた・・・・・とは考えにくい。しかし、それも絶対とは言い切れないだろう。

「オグ様、オグ様? また考え事ですか?」

「あぁ、すみませんね。色々と考えを巡らせていました。…しかし、この村落も随分と軌道に乗ってきたようですね」

 半ば誤魔化すように、オグは村落の中を見回す。自分如きにあれこれ語ってもらえないのは理解しているが、それでも不満げながらも彼に続いて同じように周囲を見回す天使。

「まさか焼け野原に新しい村を作るだなんて、最初はどうなる事かと思っていましたが」

 この村の立ち上げに際しては、伝達業務などで彼女も関わっている。少なくともその記憶と知識ではありえない前代未聞の発想だったのだろう。

 しかしオグにしてみれば、なんら不可思議な手法ではない。破壊の跡に興すは何かと理にかなっているからだ。

「今回は、先の大戦にて襲撃を受けた前線基地の跡を利用していますからね。壊滅しているとはいえ、防壁の一部は残っていますし、そのまま流用できる健在な施設もいくつかありますので」

「ですが、それならば基地を再建されるほうがよいのでは? このような場では次の戦いが起こった時、居住する村人に被害が及ぶと思うのですが…」

 天使の懸念は大きな間違いだ。そもそも宇宙にまで達し、戦闘を繰り広げる事が出来る者がいる時点で、戦場までの距離という要素による安全な場所など、この地上世界のどこにも存在しない。

 その気になれば高空から、どこへでも大規模な魔法弾を打ち込めるのだから、少なくとも地表においてはどこに住もうとも非戦闘員とて安息できるものではないのだ。

「この地上世界に住まう限り、その心配はナンセンスです。物事は短絡に考えてはなりません。むしろ村がある事によって、人の活動圏がこの辺りに築かれ、住民の目という名の監視がいきわたり、敵の潜入者等を見つけやすくなるメリットがありますから」

 そう言われて天使は得心いったような表情を浮かべた。

「なるほど! 今回の工作員の暴走の一件を受け、我が神界側とて敵の潜入をより警戒せねばならない…というお考えによるものなのですね!」

 オグは照れたように微笑みながら頬を軽く掻いた。しかしそれは、部下たる天使に方策を誉められたからではなく、真意を隠すためである。

 なぜなら本来、存在量の調整として神界側は間引き・・・をしなければならない状況にあった。先の神魔大戦の結果ですら、神界側の被害者は “ 足りない ” のだ。

「(嫌な調整・・仕事ではありますが…、こればかりは部下の誰をも使えませんし、私がきっちりと詰めて実行せねばなりませんからね)」

 気が重い。自然な形を装うとはいえ、懸命に生を成している者から選んで死を与えなければならないというのは、オグにとって一番苦手な作業であった。こればかりは何十万年、何十億年と経過しようとも慣れない。

「(普段から情をかけすぎだ、もっと割り切れと、また “ 彼 ” に笑い飛ばされそうですね…)」

 昔、どうしても気が乗らない時に魔王と示し合わせ、神魔大戦にてあえて自陣営が甚大な被害をこうむるように采配した事もある。ところがそうすると、神界側の者達の魔界側への悪感情が強まりすぎてしまい、大戦そのものが長引いて総被害量が大きくなりすぎてしまって、結局後の調整がさらに面倒な事になってしまったのだ。

 以来、気が乗らないにしてもこうした嫌な仕事もキッチリとこなすようにはしている。してはいる、が…

「(割り切れませんね、どうにも…。それこそ何か良い方策があればよいのですが…)」

 それこそ罪深き者が、こちらの都合に合わせてちょうど良い程度に沸いてはこないものか…、そうすれば何かと楽なのだが、地上は神界側においては法や秩序、治安維持がしっかりとしており、平時には極めて平穏を保っている。とてもじゃないが多人数を裁くような案件はまず発生しない。

 オグはキッチリと治め過ぎたかもしれないと自省し、ままならぬものだと空を仰いで深呼吸した。






 アトワルト領の東隣は、メリュジーネ=エル=ナガン候が治めるナガン領だが、当然ながら反対の西側にも別の領主が治めし地が存在する。


「………と、いうわけだ。これでお前さんはお役御免という事だな」

 執務机に座ったままで解雇状を手渡しながら、目の前に立つフードを深くかぶった男を軽く睨むは、この地の領主である。

 頭頂部は禿げているものの、かわりとばかりにもっさりと胸部を覆い隠すほどに生えたヒゲを蓄えている、ドワーフと魔族の混血貴族だ。

 身長150cmほどの小柄ながらも体格はよく、頭部に生えた角がまるで威嚇するようにその鋭い先端を前に向けている。

「利用するだけしておき、いまさら臆病風に吹かれたという事か…小心者よな」

 フードの男は解雇状を受け取ながら悪態つくものの、言葉にこれといった感情を込めてはいない。むしろ貴様への興味は既に失せていると言わんばかりだ。

「…これがあのみすぼらしかった場所と同じとは思えん変わりようだな。他力本願で成した繁栄の味はさぞ美味かろう?」

 そう言って軽く室内を見回す。

 結構な、しかし最上級というほどではない、ほどほどに豪華な調度品で彩られた執務室は、この地の現在の財政余力を物語っていた。

「……… “ お前たち ” の助力に感謝はしている。が、これ以上貴様らの助けはもう必要ない。今のワシの財力と領地、そして実力はさらに上を目指すにあたり、揺るぐ事なき十分な地盤と―――」

 領主が言い終える前に、フードの男は割り込んで口を開いた。

貴様の実力・・・・・などと、笑わせる。人を動かすタクトを得ただけの小心者にありがちな思い違いっぷりよ。……まぁいいだろう、今後この地において “ 我ら ” が介入する事はなくなる。それで貴様の “ 弱み ” がなくなり、 “ さらに上を目指す ” とやらが上手くいくのかどうか、せいぜい見せてもらうとしようか」

 フードの男は扉を開け、去っていく。その後ろ姿を見送りながら、半魔半小人ハーフドワーフは鷹揚な態度で椅子に背中を預けた。

「…フンッ、日陰者・・・ごときがワシを小心者扱いとは…見くびりおって。この肥沃ひよくな地を手にした今、ワシに恐れるものなど何もないわッ」

 かつてこの地は痩せ枯れた大地だった。加えて強力な自治集団が存在し、彼らが領主の緊急徴収にも応じずに対立的であった事も、長らくの治世の低迷を招いていた。

 しかし領主はある時、とある “ 連中 ” と手を組み、自分に逆らう者を一掃。さらにその叡智を借り受ける事で、自分の領地を己が理想とする牙城へと作り変える事に成功していた。

 だが “ 連中 ” と繋がりがある事実は、長年にわたって領主にとっても綱渡りの日々であった。もしこの事が魔界本土のお偉いさん、ひいては魔王様の耳に届くような事でもあったなら、即座に取り潰しになる事は確実なくらいに。

「だが、連中との縁はもう切った…これでワシの身は安泰、いやさらなる栄達が開けるというものよ、ファッファッファッァ!」



「…フッ、愚か者は分をわきまえぬとはよく言ったものよな」

 領主の屋敷を出て、執務室辺りからバカ笑いを耳にしながらフードの男は歩みを進める。

 この地を肥え太らせるために力を貸したのは、何もあんな愚か者の欲を満たすためではない。既に目的は達成された・・・・・今、この先この地がどうなろうとも彼には知った事ではない。

「…はい、おじさん、おはな」

 街角で幼くそして痩せた獣人の少女が小さな花を差し出してくる。男はそれを受け取ると銅貨を数枚、花の束を入れているカゴへと落とし入れた。

「わぁい、ありがとう、おじさん!」

 少女のお礼を、彼は聞くことなく立ち去る。見回せば、自分が・・・力を尽くした結果として、綺麗で発展した街並みが広がってはいる。だがそこらに転がるようにうずくまっている領民たちは、誰もかれもが疲れ、そして絶望していた。

「(アメとムチ。愚民から搾取し、肥えるは己の器も測れぬクズ……結果は明らかよな)」

 街はずれの路地を曲がったところで、男は立ち止った。同じフードを被った男が、片手を挙げて迎えたからだ。

「首尾は上々のようだな」

「ああ。しかし…お前は魔界にいたのではなかったか?」

「我らが力を持ってすれば、地上と魔界を行き来するなど造作もない事だろう」

 男が問いたかったのはそういう事ではない。魔界本土は特に自分達・・・への警戒が厳しい場所だ。そこでの任がもう終わったのかというのが、真に問いたい事だった。

「こちらの仕事も終わっているよ。見繕えた者は小粒ばかりだが…1匹、面白いのを拾えてな」

「ほう?」

「あのファルスター家に連なるものだ。本人は愚劣だが、何かと利用価値はあるかと思ってな」

 男はフードの下で少しだけ眉をあげ、驚きを露わにした。ファルスター家といえば魔界でも屈指の名門貴族の一つ。例え遠縁であっても、その存在感は小さくない。

「ならば、魔界の地下拠点の件は―――」

「ああ、順調そのものだ。頭数もファルスターの名を振りかざせば、後ろ暗い連中はすぐ飛びついてきた。後は構えるべき場所をどうするか、だが…」

 現状の問題はその一点のみ、と声色から彼の喜悦が伝わってくる。どのような仕事であろうとも、それを成功させた時の達成感は嬉しいものだ。

 それが例え自分達のような最高に優れた種・・・・・・・であろうとも。

「おい、お前ら」

 声をかけてきたのは、ボロボロの身なりに安っぽい荒くれもの風の者たちだった。

「我らに何か用か?」

 このような状況でこういった類の者が声をかけてくる、その目的は一目瞭然で会話を交わすのも煩わしいと、フードの男は両肩を落とした。

「見かけないカンジだがよ…旅人か? この街のモンじゃあねぇよなぁ?」

「だとしたらなんだ? 野良犬風情がキャンキャンと吠えるな、耳障りな」

 先ほどまでと違い、彼は急激に不機嫌になる。いい気分でいたところに水を差されたのだから、それも当然だった。

「(……殺しても構わんが、血肉は残すな。刺激を与えるには)」 

「(わかっている。お前の労を台無しにするような真似はせんさ。そこらのカスども・・・・のような愚劣を成すほど、なまってはおらん)」

 それならば良し、とフードの男は1歩下がった。

「おいおい、挨拶だなぁ? なーに、たいした用事じゃあねぇよ…身ぐるみ全部置いていきゃ、命――――ぃ?」


 ウェアウルフの、頭部が路地の中に向かって舞った。しかしそれが地面に落ちる事はない。


「あ?」「何??」「ふへ???」

 取り巻き達も、何が起こったのかも、今何が目の前で起こっているのかも理解できずに硬直している。

「(やはり下等な種よな。この程度の児戯にすら理解及ばぬとは)」

 傍観しているフードの男は、深くため息をついた。先ほどの少女のように、健気な生き様を晒してくれようものならば、まだ価値はあるかとも思えただろう。

「これで終わりだ。同情するよ、下等な種族に生まれ落ちた事をな」


 首を飛ばしたのは、単純な肉体能力によるものだ。しかしその屍の血肉を飲み込んだモノは明らかに魔法によるものであり、そしてその魔法はミミが使用した<世に隠れる暗黒面シャドウ・ストーカーズ>に酷似していた。

「さらばだ、雑魚ども。我の手を煩わせた上での死ならば、お前たちにとって大変貴重な体験だよ。他の下等生物ゴミたちにあの世で誇ってくれたまえ」

 いつの間にか自分達も闇に飲み込まれていた事に気付いた時には既に遅く、取り巻き達も叫び声を上げる前に姿を消す。

 手際よく、落ち度のない一連の仕儀を傍観していたフードの男は、仲間に称賛の拍手を送った。

「さて、我々の仕事は終えた。ひとまずは帰るとするか」

「そういえば、隣はよいのか? お前の仕事の範囲は、あくまでも “この辺り” という曖昧なものだったろう。なんなら我も手伝うぞ?」

 だがフードの男は首を横に振る。

「その必要はない。どこかのバカな天使と悪魔が暴走してくれたおかげでな、既に隣は今、火がついている状態だ。今、我らが介入するは危険が増すのみ…それに」

「それに?」

 フードの下で、この上なく笑む。それはこれほど事が勝手に、自分達の都合のいい方向へと回ってくれているからこその愉悦。

「この地の領主は、私が思う以上に愚か者だった。もう我らが背を押さずともいいように暴れてくれる事だろうよ」

「(……ふむ、ならばそれはそれで良し、か。しかし我らが影響力は小さい…駒は多いに越したことはない)」

 仲間の男はその考えとは裏腹に、表ではそうか、と短く納得の言葉を吐くのみに留める。芽生えた考えは彼の一存であり、仲間を巻き込む類のものでも、そう手のかかる話でもない。故に話す必要性もなかった。

 そして二人はそのまま、いずこかへと姿を消す。その痕跡の残らなさは、魔王や神をもってしてもいまだ完全に追いきれていないほど、巧妙を極めていた。






「魔法の水? 悪いがそんな大そうな品はないねぇ」

「そうですか…。ですがご主人、知っているという事は流通はしているのですね?」

 ジャックはメガネのズレを直しながら問いただす。老齢のドラゴンニュートの店主も、つられるようにして鼻の眼鏡のズレを直した。

「まぁ…滅多にお目にかかれないがね。こう見えてワシも魔界の出身でな、本土では珍しくなくともこの地上では希少に過ぎるのが現状じゃな」


 魔法の水―――極々単純な、魔力を込めた水溶液だ。それそのものはこれといった用途はない。飲用により込められている魔力を摂取する形で補給したり、他の薬液などと調合して、医薬品や魔法の道具を作りだしたりする素材アイテムだ。

 しかし、いかな用途においてもその効能は相当量をもってはじめて有用なレベルに達するというものであり、魔界本土では大量生産のありふれた品だ。


「(いかに魔法道具マジックアイテムの端くれとはいえ、この地上においてもほぼ出回っていないとは…)」


 ジャックは商機アリと思いかけたが、安直な思考を叱咤し、踏みとどまる。

 なぜならここ、ナガン領は地上でも有数の発展地である。そんな場所にあっても流通量が極めて少ないというのは何か危険の匂いを感じていた。

「ご主人。もしや顔料などの染色用品、加えて用紙の類も同様ですか?」

 あえて一般的でない品を例に挙げるのは、変に勘繰られないためだ。ジャック自身は既に堂々と日の下を歩ける身ではあるが、どこに監視・・の目があるかもわからない。目の前の店主がそうでないとは言い切れなかった。

 疑いをかけられるのは甚だ心外だが、老害共の仲間・・・・・・と見られるのも腹ただしい。すなわちジャックが慎重になった最大の理由は、身内に対する嫌悪感であった。

「ああ、魔法の力が宿った物という意味じゃあ、その類の品も少ないね。まったくないわけじゃあないんだがな…もちろん魔法に関係ない既製品は十分出回っているよ」

「(やはり。この分では例え日用品の類であっても、魔力を宿している品は厳しく制限していると見て間違いなさそうですね)」

 そしてその理由―――ジャックには、思い当たるものがあった。

「それで、ジャックさんとやら。何か買っていってくれるかい? 冷やかしはできればご遠慮したいんじゃが」

 ニッコリと微笑みながらも、客なんだろうな? というプレッシャーを放つ店主は、ドラゴンニュートならではの迫力がある。加えて年を重ねた者の老獪さも感じられ、ジャックは思わずニヤリとしてしまった。

「(同じドラゴンニュートでも、どこぞのおチビさんとは、まるでモノが違いますか…。ククク、やはり商談にはこれくらいのお相手がいなくてはつまらないですからねぇ)」

 思い出すは発育不全で悪辣下品な同業者。自分を一方的にライバル視し、稚拙な邪魔をしてきた事もあるうっとおしい相手。稼ぎでいえば圧倒的に奴の方が稼いでいるだろう。

 だが、商談を交わす相手としては目の前にいる小さな町の老いた小店主の方がよほど有益だ。

 ジャックは、この商談は小規模ながら価値があると見立て、改めて商人の顔を作り、取り掛かった。




「綿生地40巻と麻生地60巻、傷薬2箱、調理用包丁が80本に、低級酒が合わせて200本…ふむ、思ったよりも上々の仕入れが出来ましたか」

 ナガン領内でも下から数えた方が早い小規模な町にあっては、正直大した品揃えは期待していなかった。しかしモノは低級品ばかりといっても取り扱い幅は広く、分量もなかなかのもの。

 ジャックとしては想定外に満足できる結果を得て、店を後にする。

「お待たせいたしましたね皆さん。荷が増えますが、皆さんのいっそうの働きを期待いたしますよ」

 10台にもなる荷車を引くのは、いずれもジャックに絡んできた愚か者どもだ。呪いとも言うべき魔法によって縛り付けている下働きの奴隷たちである。もちろん飲食は保障しているが、その生命は使い捨てのつもりだ。

「だ、旦那…これ以上増えるのは…」

「何か問題でも?」

 見た目には何も変わっていない、が、あきらかに空気が変わる。奴隷たちは一様に恐怖の色を浮かべ、ある者はその場にうずくまってガタガタと震えだした。

「い、いや…。…いや! こ、これだけは言わせてもらわねぇとっ。既に荷車は全部満杯だ、増えるも何も、これ以上載せちまえば俺たちよりも荷車の方が砕けちまうぜ!」

 実は、言われなくともその事にはジャックも気づいていた。それ故に既に対策は打ってあるのだが、あえて素知らぬ風を装う。

「ふむ……。貴方のお名前をお聞かせ願いますか?」

「な、名前? なんだ今更…、……れ、レウジーだ、レウジー=ロントン…」

 レウジーと名乗ったのはジャックよりも遥かに体躯のある男は、半人半牛ミノタウロスの獣人だ。

 しかしジャックの出方を、体躯に似合わぬビクついた態度で伺う。それほどに両者の実力は開いており、レウジー自身もその事をよく理解していた。

 だからこそ今までは不満があっても口にはしなかった。逆らえばどんな目にあわされるかわかったものじゃない。しかし今度ばかりは不満以上に、無理筋が過ぎる。

 確実に破綻する事がわかっていて黙したまま従っても、どのみち後で責められる事になるのであれば意見すべきだと、彼は決心した。例えその結果、手ひどい目に遭うとしても…。

 しかし彼の覚悟は次の瞬間、あっさりと裏切られた。

「いやいや、ゴミクズばかりと思っていましたが、なかなかどうして。あなたのような方も稀に混ざっているから面白い」

「??? な、何が…そんなにおかしいので―――ウッ!?」

 その腕の動きすら捉えられない速さ……気づけば目の前にジャックの指先があった。レウジーは動けないまでも冷や汗を大量に流す。が、ゆっくりと額に指先が触れた瞬間、全身が薄っすらと淡く発光したかと思うと、なぜかカラダが少し軽くなった気がした。

「あなたは見所がありますゆえ、少しばかり昇格です。そして―――アレを任せますよ」

 そう言ってジャックが人差し指を自分の後方に向ける。すると店の建物の影から、誰も乗っていない大き目の荷車付きの馬車が移動してきた。

「任せるって…御者とかですかい??」

「ええ、もちろんそれもそうですが、馬車の管理などもお任せしますよ。量の多い品、大きな品などを優先的に積み込み、運搬してもらいますのでそのつもりで」

 馬車は、たくましい馬が3頭横並びにで引いている。そのサイズは近づくにつれてよりその大きさを実感できる。どう見ても並みのサイズではない。

「お、大きいですね旦那?」

「元々はここの店主が、運送業を営んでいた頃に利用していたモノだそうですが、今は使われていないという事で、買い付けのついでにいただきました。馬ともども金貨数枚という破格の値段でお譲りいただきましたので、馬の世話代コストにも余裕がありますし、荷の運搬が捗れば利益が大きくなるは必然。つくづく良い買い物をさせてもらいましたよ今回は――――……何か用ですかね」

 急にジャックの口調が変わり、レウジーはキョトンとする。が、それが自分に向けられた言葉でない事は、彼の背後に背中を合わせるように忽然と出現したローブの男の存在に気付いた事で理解する。

「下らぬ事をしているな、ジャック。小銭稼ぎ・・・・がそんなに楽しいか?」

 低く、しかしよく聞こえる声。淀みなく、まるで遮るものなき大草原を駆ける風のように辺りに広がるその一言だけで、ジャックの奴隷たちはすくんでしまった。

「少なくとも老害どもの埃被ったくだらない思想に付き合うよりかは、遥かに有意義ですとも」

 変わらぬ丁寧な言葉遣いだが、ジャックから放たれるは殺気だ。いつでも背中を合わせている相手を殺すつもりでいる事がわかる。奴隷たちは全身を強張らせ、完全に身動きが取れなくなってしまった。

「…フン、相変わらずの物言いだな。だがいつまでも勝手ができると思うなよ?」

 フードを被ったまま、ゆっくりと振り向くローブの男。しかしジャックは振り向かない。背中を見せたまま…しかし、至極愉悦とばかりに口元を吊り上げるその表情は、悪魔の企みを秘めた邪悪そのものだった。

「クックック、私を殺せるとでも?」

 会話の流れから、自分達に向けられてはいないとわかっていても、その殺意の余波だけで奴隷達は震えあがる。目の前のこの細身の商人は一体どれほどの強さを秘めているというのか?

「さぁな。それを決めるのは我らではない…が、協力しないというのであれば――」


 シャキン!! ガッ…ギィイン!!!!


「――いずれ、死がお前の身に降り立つ事となろう」

 奴隷達は、目を見開く。

 ローブの男が刃を抜いたと同時に、ジャックが振り返り様にその刃を独特な形状の自分の靴で絡めて中空へと弾き飛ばし、柄を掴んで逆に突きつける。が、ローブの男もさるもので、新たに抜き放った刃を、ジャックの斬りつけに合わせて防いでいた。

 それが0.1秒にも満たない刹那の瞬間に起こった二人の動作の全てである。信じられないものを見たと、奴隷たちは皆愕然としていた。

「脅迫の仕方がなっていませんね。その程度の言葉遊びで “ 我ら ” が動じるとでも?」

「そうだな、無理からぬ事か。…まぁいい、今回声をかけたのは、この後・・・を考えての念のためのつもりであった。だが既に我の任は達している…これ以上は無理筋…致し方あるまい」

 そう言うと、ローブの男は刃を引き、ローブの中の鞘へと収める。そしてそのままひるがえって立ち去ろうとした。

「おっと、忘れ物ですよ」


 ヒュッ! …ビッ…ィン…


 ジャックが背に向かって刃を人差し指で弾くように飛ばすと、それを2本指で軽々と受け取り、男は中空でクルクル回転させながら流れるように、やはりローブの中の鞘へと収める。

「律儀だな。くれてやろうと思っていたが」

「御冗談。剣を受け取る事、それすなわち任を承る事と同義…でしょう、あなた方の・・・・・一族は?」

「フン、覚えていたか。我らの・・・流儀などとうに忘れているものと思っていたが…相変わらず隙のない奴よな」

「誉め言葉と受け取っておきましょう。付け加えるならば、もう二度とお会いしたくないのですがねぇ、あなた方・・・・とは」


 ジャックの皮肉を鼻で笑うと、ローブの男は音もなくその場から消え去った。


「やれやれ、“ 連中 ” が動いているとなりますと、さすがに大事な上客アトワルト候の身を案じないわけにはいかなさそうですね。―――さて、少しハイペースでアトワルト領まで突っ走りますので、覚悟してもらいますよ皆さん」

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