反乱編:第9章

第55話 第9章1 シュクリア包囲網



 ―――――都市シュクリア、町長の屋敷。

「何がどーなってんのぉ!? 他の連中はなにやってたってーのよぉー!?」

 くつろぎと享楽の日々の中、次々と飛び込んできた報告は、リジーンがいかに軍事に明るくないとはいっても、焦るには十分なものばかりだった。

 報告をまとめて要約すればこうだ。

 突如として結構な数の軍が現れた―――それも東西北、3方向からほぼ同時に。

実際には、それぞれの軍が現れたタイミングには1、2時間ほどのズレがあったのだが、怠惰なリーダーの気風が部下達にも蔓延していたせいで、見張りの連中が出現した敵の存在に気付くのに遅れた。

 結果、リジーン軍からすると都市シュクリアを包囲する謎の3軍隊は突然、同時に現れたように感じられたのだ。

 おかげで部下たるならず者達は完全に浮足立っており、毅然として指揮を取らなければならないはずのリジーンもうろたえるばかりだった。




「……んで、そんな状態にあるだろうっていう敵に、本格的な攻撃はまだしねぇっていう理由ワケを聞かせてくれ」

 ザード自身はその意図をある程度は理解してはいる。だが自分達の軍勢はマグル村とオレス村の有志による村人およそ400人少々………ほとんどが戦闘に関しては素人の一般人ばかりで構成されているのだ。

 中には攻め気にはやる者もいる彼らに対し、慎重な戦いを展開する事を提案したドンの意図をしかと聞かせるべく、あえてザード自身が質問の態でその考えを問う。

「防壁の上の連中と門を守ってる奴らの様子からして、確かに敵さんがうろたえてるのは間違いないさ。けど、こっちは包囲してるったって偶然のたまたまが重なっただけの3軍だ。いまだ他と連絡すら取れちゃいない」

 東のナガン正規軍は、領主ミミとナガン候の仲を考えれば100%友軍と見て間違いない。西の連中も民兵ばかりであるところを見ると、ハロイド辺りの町や村から集った、自分達と同じような有志の集まりに違いない。

 だがせっかく敵地を囲っていても、個々が勝手に戦っていてはせっかくの包囲もその強みを活かす事ができない。

「まず話通して、しっかりと連携しあわないとダメなんだ」

「け、けどよドンさん…、連中は迎撃態勢すら整ってないんだろ? なら一気に―――」

「少なく見積もったってぇ敵は2000以上いる相手だ。しかも高い外壁を持った町に陣取ってやがる。仮にぶちかませたとしても、こっちにも結構な被害が出ちまうが…真っ先に犠牲になる勇気がねぇと…な?」

 そういってザードは好戦的な意見の村人の肩をぽんと叩く。少しばかり力を込められたそれは、相手の口を閉ざさせるに十分な威圧感を伴っていた。

「ザードの説明につけ加えるなら、いくら浮足立ってるっていっても攻め寄せてくる敵がいれば、現場レベルでも対応しようと立て直してくるはずだ。連中を甘く見ちゃダメだ」

 ドンもならず者の類だったからこそわかる。敵の、現場にいる下っ端たちの心理。

 強欲で自己中心的……なればこそ、生存への意欲も危機感も高い。敵が攻め寄せてきた現実を突きつけられれば、上からの令を待たず現場レベルで臨機応変に対応される可能性も高い。

 しかも敵は高い防壁を持った都市を有しているのだ。そこらの村や野での戦闘とは根本的に勝手が違う。少数でも守り切れる拠点の力というものは絶大なのだ、敵の態勢が整っていないからといって突撃するのは無謀に過ぎる。

「(こっちの戦力が全員ザード並みならともかく、あくまでも村人ばかり……魔獣やタスアナさん、イムルンさんって強者を戦力として数えたって、強行な攻勢策は危険だ…)」

 一般人と戦闘者、一番の違いはその心構えだ。

 今はオレス村の奪還に成功し、順調に進軍出来ている事と、味方とおぼしき他の軍勢がいる事で彼らの気分を高揚させてはいるが、いざ戦場で傷つき、死人を出してしまうとそんなものは即座に霧散して消えてしまい、士気は一気に下がるだろう。

 戦闘に身を置く者というのは、殴られて “やりやがったなコノヤロウ!” と殴り返せるが、殴られて “ ひぃぃい、痛い! やめて、助けて、命だけはー! ” と逃げ出すのが一般人たる彼らの根幹にあり、両者の性質は根本的に異なるものと、正しく認識しておかなければならないのだ。



「なるほど…面白い、なかなかの状況把握と分析力だな。ここまで優秀なゴブリンを見たのは初めてかもしれん」

 男の発言で、場にいる全員が一瞬ザワつき、即座に静まり返る。

 それほどに彼――タスアナの存在感は、今やマグル村勢において大きなものとなっていた。

 何せたった二人でフラリと現れ、夜襲で危機にさらされていた彼らをさらりと救って見せたのだからその一言一言たるや、マグル村に長く滞在していたザードや、優れた智謀策謀を見せるドン以上の重みを持っていた。

「あ、ありがとうごぜえます。それで、えーっと…オレとしちゃあ、ハロイド辺りから来たとおぼしき西側の連中と、東側にいるナガン正規軍にそれぞれ、使者を送って、連絡と連携をしっかりと取らなきゃいけない、と」

 タスアナを相手に、なんとなく半端に丁寧になってしまうのは、その雰囲気からだろう。顔も見えない鎧の男など、本来は胡散臭い事この上ない風貌だろうが、全身から滲みだす貫禄が、相対する者から無意識のうちに敬意を引き出す。

「んで、同時に城壁の上の連中を片付けて、敵の “ 目 ” を潰すためにも弓で遠距離射撃を…ってのが、とりあえずの方針として最良だと、思ってるんですが…」

 自分の案の良し悪しを、タスアナにも判断してもらおうと上目遣いに伺うドン。

 正直にいってしまえば、やりにくい。お偉いさんの監査の視線を向けられながら前線で指揮する士官はこんな気分なのだろうか? などと考えてしまう。

 実際、タスアナの正体は今をもってしても不明瞭だが、イムルンの口ぶりなどからして、やはり噂の特別巡行武政官お偉いさんである可能性が大だ。

 事実上、オレス村を占領していたプライトラ軍の8割以上は彼と、彼の従者である悪戯悪魔族グレムリンのイムルンが倒してしまったその実力から考えても、然るべき地位にある者には違いないだろうと、ドンは推察していた。


「(ふぅむ、なかなかどうして。やはり地上の治世において我らが関与を弱めるは、間違いではなかったようだぞ、神よ)」

 領土を区分けして領主を置くやり方は、神界側でも同じだ。かつて神と魔王が共に、この地上世界での平時における直接的関与を弱める事で一致した方針の結果だ。

 単純な力や種の能力ではない、思考や判断力といった内面に優れた者の登場は、傘下の生命の自己進化を尊びたい両者にとって、喜ばしい成果の一つであると言えた。

「はいはーい、じゃその狙撃はウチが担当――――ふべっ!?」

 ビシリと少し強めに後頭部を小突かれ、挙げた手を下げるイムルン。

 当然だ。強さ的に言ってしまえば、彼女一人でこの戦いにおける敵全てを・・・・屠ってしまえる実力があるのだから、下手な介入は控えるべきなのだ。

 加えてタスアナこと、魔王にしても思いっきりに戦いに参加したい欲求を抑えているのだから、従者である彼女にも控えさせる。抜け駆けは許せようはずもない。

「んっ、ん、ゴホン! …ならば、我々が東西の軍に挨拶と連絡、そして連携の打ち合わせに赴くとしよう。いいな、イムルン?」

「えー、連絡係ですかぁ!? そんなまお――――うぶすっ!!」

 再度の頭チョップを喰らい、上下に震えた自らのバストに向かって頭を垂らすとそのままイムルンは沈黙する。ただし今度は口を閉ざすだけでなく、白目を剥いてその場にて完璧に沈んでいた。

「…ともかく、そちらはドンさんの作戦通り、まずは城壁の見張りどもを。本格的な攻勢は、我々がそれぞれより話を聞いてくるまでは仕掛けないという事で」

「あ、あぁ…確かに、移動の最中に連中の攻撃がないとも限らないし、タスアナさん達なら少数で赴いたって多少の襲撃も返り討ちに……お願いできますか」

 軽く呆気にとられながらも、丁寧に頼むドンに、ええ、任せてもらいましょう、とやはり丁寧に返すタスアナ。

 仮ごしらえの天幕から出ていく際には、気絶させたイムルンを引きずり出す事も忘れない。

 彼らが出ていくまでの様子を、他の者たちも唖然としながら見送った。




――――夜のはじまり。シュクリアの西、ハロイド民兵の陣地。

 陣地とは名ばかりの、不格好な木柵にヨレヨレの天幕が設営されてるだけのそこには、ハロイドの民およそ600人が詰めていた。

 ナガン正規軍より派遣されてきた彼らからすれば、頭を抱えるような思いをして、ようやくここまでの出来まで引きずり上げてこの程度であった。

「……まさか、ここまで使えない・・・・とはな」

 篝火かがりびに火をつけながら、兵士の一人が言葉に疲労感をにじませる。

「仕方ないさ。なんら訓練を施されていない連中なんだ、とりあえずそれなりになったと納得するしかないだろう」

 愚痴は尽きないが、とりあえず一息つける。兵士達もナガン正規軍にあっては一兵卒に過ぎない立場ではあるが、民兵を指導していると自分達が歴戦の精兵のような気さえしてくる。

 それほどに民兵と正規兵の差は大きかった。

「メリュジーネ様の懸念は正しかったというべきか、民兵などたいして役に立たない、と」

「だからこそ、我々が派遣されたのは正解だったということでもあるな。もしこのまま戦闘になだれ込んでいたら、彼らはたやすく全滅していただろうよ」

 今にも張った幕が落ちてきそうな不安を覚える天幕の中へと入ると、本当に疲れたとばかりに簡素な椅子に腰かけ、彼らはみっともなく四肢を放り出して思い思いにくつろぎ始める。

 このような効率的ではない労苦は、普段であれば割に合わないと思って憚らない。しかし彼らの中には、今そんな考えを抱く者はいない。

「ともあれ、あのミミ様…っと、もとい、アトワルト候をお救いする一端だ。ハロイドの連中にも気張ってもらって、多少なりとも役立ってもらわないとな」

「ああ、一応は隊列を組める程度にはなったし、足手まといになる事だけは避けられるだろう」

「なんとしてもお助けせねばな、アトワルト候にはよくしてもらって……」

 そこで兵士は軽く押し黙り、そして顔を赤らめる。彼が何を思い出したのか、同僚達も察すると、一様に顔を赤らめ、そして沸き立つ照れくささに頭をブンブン振って咳払いをするのだった。

 彼らは皆、以前メリュジーネのお供としてミミの元を訪れ、そして共にハロイドの町の問題に当たった兵士達だ。

 あるじたるメリュジーネに対する敬いと忠誠心に揺るぎはないが、ミミに対しても同じくらいの敬愛心を抱いていた。

 だが、そんな彼らの言葉を天幕の外で聞いていた小さな影もまた、ミミに対する敬愛心では負けてはいない。

「あ、あの、おじちゃんたち、領主様の事、知ってるのか!?!」

「ん? 確かイケ村とやらから来たとかいう……、あぁ少年、以前我らが仕えている方のお供でな」

「しかし盗み聞きはよくないぞ少年よ、礼儀に暗い者はアトワルト候のような貴族方には嫌われてしまうのだぞ?」

 ハハハハッと兵士達が軽やかに笑う。確かに少年の目から見ても、気を抜いて談笑しているはずの彼らが、どこか品位を維持しているように思える。自分が恥ずかしくなってしまい、軽くうつむいてしまった。

「ご、ごめんなさい。で、でも盗み聞ぎしようとしたわけじゃないよ!? た、たまたまトイレいこうとしてこの前通ったら、りょ、領主様の名前が聞こえたから…っ」

「ハハ、まぁそういう事なら仕方ないな。ようボウズ、せっかくの夜更かしだ、ついでにちょっと大人の階段を上ってみるか?」

 兵士達の中でも大柄なワーベアー熊獣人が、豪放ながらもどこか安心する穏やかさで話しかけてくる。手に持っているのはおそらくお酒だろう。

「え、え…でも」

「いいかボウズ? これは蜂蜜の酒だ。といっても蜂蜜みたいな甘いモンじゃあない。ハッキリ言っちまえば今のボウズにとっちゃ、マズイもんだ。けどな、そういう事をイヤだといって知らずじまいじゃあダメなんだぜ?」

 少年にはまだ理解できないだろうが、同僚の兵士達は、これは教育である事を理解している。なので彼が子供に酒を勧めるのを止めはしない。

「し、知らないままだと、ど、どうなるんだよ??」

 負けじと虚勢を張ろうとする少年を、兵士達はほっこりした気分で見守る。ワーベアーの彼も、ハッハッハと穏やかに笑った。

「苦しいもの、マズイもの、痛いもの、聞きたくないもの、辛い事。そんな嫌なことが世の中にはあふれかえってる。知らねぇままに大人になって、そん時にそんなやつらに襲われちまうとな? どこかでバッキリと折れちまうんだ、…心がな」

 やはり理解しきれていない様子の少年の肩を、ぽんと軽くたたく。

 そして小さな小さな、本当に一口分の器を少年に持たせた。

「子供のうちは守ってもらえる。けどな…大人になりゃあ、自分一人でいろーんな事をしなきゃあいけなくなっちまうんだ。嫌な事も、知って、理解して、じゃあどうすれば嫌でなくなるのか? って事を考えて考えて、工夫して、行動して、そして自分の答えってのを出さなきゃ、いい男にゃあなれねぇんだぜ?」

 子供にとって決して美味しいものではない酒。それそのものを嗜む事に意味はない。それを飲んで自らの内に沸き起こる感動や衝動を得る事こそ、重要なのだ。

「い、いい男に…なる、なってやる! このくらいどってことないやい!」

 だが今は、単純なミミへの想いが少年を突き動かす。器の中の分量は、本当に唇を潤わせる程度しかないが、それを一気に口へと運ぶ。

 それでいい、何よりも経験を重ねることが子供には必要な事だ。能書きと言い訳は大人の特権だが、子供がそれを理解する必要はない。

「ハハハ、ボウズー、目を回すなよー?」

「ま、大丈夫だろう。少年とはいえ種族的にはそれなりに頑丈なはずだからな」

「心配があるとすりゃあ、間違って味しめて、小さい頃から酒飲みになってしまう事くらいか? ハハハ」


 兵士達が少年をダシに、穏やかな休息を取っていたそんな矢先、突如として天幕の外が騒がしくなった。


「!」「!!」「!」

「少年、我々から離れるな。敵襲かもしれん」

「!? う、うん」

 一瞬で顔つきが変わった兵士達に驚愕しながらも、これが大人の男というものだと少年は学ぶ。そして兵士達が決して早くない速度で天幕の外に出ていく後に続き、彼は懸命についていった。




「やれやれ、手厚い歓迎だな…」

 タスアナは左から右へと視線を流し、彼らを見渡す。一番近いところにいる数人が、くわやら鶴嘴つるはしやらをこちらに向け、威嚇してきていた。

「な、なんだアンタ!?」

「怪しいぞ、おい、注意しろ!!」

「敵か、敵が攻めてきたのか!?」

 場は軽く混乱しはじめてすらいる。

「(たかだか鎧を着た者一人やってきただけでこの始末とはな、同じ民衆でもところ変われば…か)」

 タスアナ自身、ゴツい鎧こそ着てはいるが武器は何も持ってはいない。臆病は警戒心に繋がるため弱者たる一般人には必要な才能だが、それも過ぎれば問題だ。

「とりあえず…そうだな、お前たちの代表に合わせてもらいたいのだが、冷静にこちらの話を聞ける者はいるか?」

 静かな、しかし場にいる全員に聞き間違えようのないハッキリとした声が通る。一瞬だけ静まり返りはしたものの、彼らのざわめきはすぐに息を吹き返してしまう。

「(地域による住人の気質差…いや、指導者の差もあるか。考えてみればオリス村はホネオが、マグル村はドンやザードといった知や経験に明るい者がいたが)」

 その両村は自分達の地を守る事に気概を見せ、結果として助力したとはいえならず者を退けるに成功している。

 そうした町や村の方が稀であり、あるいはこのハロイドの民達のような者こそが、無辜の民むこのたみたる人々の実態なのかもしれないと、タスアナこと魔王たる最頂点者は、己の認識をあらためていた。


「何事か!? 敵襲でないのであれば落ち着けぃ!!」

 兵士達が声を張り上げ、人々をたしなめる。さすがはナガン正規兵である、その声一つで浮足立つ人々を制していた。

「ほう、メリュジーネ子飼いの者達か? ならば東と西は既に連絡が取り合えていると見て良さそうだな」

 ようやく静かになったハロイドの民衆をかきわけ、タスアナは数歩前に出る。それは自身の全身を余すことなく兵士達に見せるためだった。

「……ふむ。鎧の御仁、大変失礼した。彼らはこうした事に慣れていないゆえ、許してもらいたい」

 一目で只者ではない事を感じ取ったのだろう。兵士は努めて丁寧に接してくる。が、警戒心は解いていない。

「(さすがにしつけがなっているな)いや、こちらこそ突然訪ねてきて驚かせてしまった事を詫びよう。とはいえ、安穏としていられる時間もない、取り急ぎ用件を済ませたいのだが……ここの代表者か、それに連なる者への面会を求めたい」

「それは構わないが、念のために確認させていただきたい。貴殿はいずこの所属か?」

 その問いかけと共に、同僚の兵士と思しき者達が数名、タスアナの側面にさりげなく回いり込んだ。返答によっては即座に攻撃する事も辞さない態度だが、それを表には出さずに隠している。他の周囲にいる民衆達には、会話の邪魔にならないよう移動しただけにしか見えないだろう。

 兵士達の素晴らしい動きに、タスアナはつい微笑みをこぼした。

「都市シュクリアが北に軍勢があらわれた事は承知しているな? あれは北のマグル、オレスの村人による民兵による一隊だ。オレス村をならず者どもの手より奪還し、軍をここまで進めてきたが…そちらも同じような勢力のようなのでな。連絡と、可能であれば連携の相談が出来ればと思ってやってきたのだが」

 彼の言葉に、ハロイドの人々は歓喜の声を漏らした。味方が多いに越したことはないし心強いものだ。が、兵士達はというと、表情になんら感情を浮かべていない。

「左様か。…夜も遅いゆえ、代表は就寝している。今より呼んで来るゆえ、少々お待ちいただきたい」

 仲間の言葉を受けて兵士の一人が一つ頷き返し、走り去る。やや遠目に見えているヨレヨレの天幕の一つに入ると、すぐに戻ってきた。もう一人新たな兵士と、その腕に抱えられている小柄な者を伴って。

「お待たせした、こちらがハロイドの町の長で――――…? どうした?」

 抱えていたハロイドの町長を地面に降ろし、改めてタスアナを見た兵士が、驚愕の表情を浮かべて軽く震えている。同僚に問われても、声一つ返さない。

「ん? …ああ、どこかで見た事がある顔だな。確か……そうそう、メリュジーネの屋敷では、従者イムルンが世話になったな」

「は、ハハァッ!!!」

 兵士はそのまま地面に埋もれてしまいそうな勢いでひれ伏した。その並々ならぬ態度は、ハロイドの民衆のみならず、同僚のナガン正規軍たる兵士すらも驚かせ、場が凍り付く。

「屋敷でも言った事だが…今は隠密活動中だ。過ぎた礼儀は無礼と思えよ?」

「………は、はい!! ど、同僚や愚民共が無礼をッ」

 しかし兵士の口は閉ざされる。ピリっとした何かが、タスアナより彼に突き刺さったのだ。それは魔法でもなんでもない、純然たるただの・・・殺気。

 言い含められている上意は、これ以上同じ事を言わせる気か? であった。

「まぁ、イムルンあいつに一晩付き合わせてしまった負い目もあるからな、咎めはしない。…が、理解・・しろ、よいな?」

「は、はい!! ……た、タスアナ様・・・・・

 タスアナがよろしいと頷くと、兵士はその場にどっと大量の汗を流した。二人の会話と態度から、尋常でない事は理解できても、事情を知らない他の兵士や民衆達は、当然注目してくる。タスアナはふぅと一息ついて両肩を落とした。

「…おじさんは、すごく偉い人なのか?」

 それは、低い位置から放たれた疑問の一言だ。事情を知らない兵士達ですら聞くべきかどうか迷っていた質問。彼らの足の間で、少年はさらりとそれを口に出していた。

「………。…フフ、そうだな。すごく・・・偉い人だよ少年。だが、身分というものは時に身動きが取りづらくなる不便なもの。なのでこの地の領主を救うためには詳しくは話せんのだよ……わかってくれるかい?」

 それは渡りに舟だった。優しく少年の頭をなでる。子供が間に入る事によって、大人達の間のわだかまりは急速に霧散するからだ。少なくともハロイドの人々からは警戒心が解かれていくのがわかる。

 だが同時に、ナガン正規軍の兵士達の緊張度が急激に増した事も、タスアナは感じ取っていた。

そういうこと・・・・・・だ。まぁ詳しい事は、そちらのワケ知りの同僚に話を聞くといい。もっともこの地に来たのは割と本当にたまたまでな、重大事な件でやってきた、という事でもない―――あっと、くれぐれも・・・・・間違えないように、私の名はタスアナだ、いいな?」

 兵士達は敬礼を持って返事とする。当然だ、察してしまったからだタスアナの正体を。メリュジーネほどの大貴族を呼び捨てにでき、なおかつ隠さなければ動きづらくなってしまうほどの身分など限られるのだから。

「さて、貴方が彼らの代表者か? 夜分遅くに申し訳ないが、いろいろと話を聞かせてもらいたい。…ふむ…そうだな少年、君にも話を聞かせてもらうとしようか。大人の目線とは違ったものが見えているという事もある、遠慮せずに思ったままでよいから、いろいろと聞かせてほしい」


 こうして事情を知る兵士達が緊張の汗を流しながら見守る中、少年を交えて町長からの事情聴取が始まった。


 といっても、兵士達以外はタスアナはあくまでそれなりのお偉い方という認識でしかないため、ハロイド町長もそして少年も緊張は小さく、互いの情報交換と状況把握はスムーズに進む。だがそんな中、タスアナの精神を大きく揺さぶる情報が飛び出した。


「ところで少年。先ほどから気になっていたんだが……それは?」

 きっかけは普段であれば気になることもなかっただろう、少年がそのヒモを持ったまま手放そうとしないは淡い土気色の布袋の存在だった。

 すでに夜もふけてきた頃合いに、年少の子供が持ち歩くには不自然な荷だ。

「え、あ、これは…えーっと…」

 たどたどしくも、イケ村で起こった事を話す少年に、タスアナの表情はどんどん強張っていく。最後に袋から出して見せてくれたソレは、確かに魔王城務めのメイドが着用している、見覚えあるデザインのメイド服だった。

 少年が自分をたばかる可能性はないだろう。とすれば話してくれた内容からもこのメイド服の着用者はかつて自分に仕えていたメイド、ルオウ=イフスである事は間違いない。

「た、タスアナ殿、いかがなされたか? この子が何かマズイ事でも…」

 心配になったハロイド町長が口を挟んでくるが、タスアナは息を軽くついて笑顔を作った。

「いやいや、なんでもありません。多少、憤りを覚える話だったので、つい」

 その言葉を、少年と町長はバランクと言う者達の下劣な所業に腹がたったのだと受け止める。実際その通りでもあるが、それ以上に今も彼女が敵側に支配されているという状況にタスアナは…いや、魔王はイラだちを覚えていた。

「(領主に問題があったわけではないが…、責任者として、我が与えた者イフスがかように扱われた事については罪を問わねばなるまい。だが…その支配したバランクとやら、許してはおけんな)」

 少年やハロイド町長、そしてこれまでも聞き及んでいる限り、領主の評価・評判は非常に良いもの揃いだ。なので深く責める気はないが、多少のお小言は聞いてもらう事に決める。

 だがそれも事が終息してからの話だ。魔王はそう結論付け、己に沸き起こった感情をすんなりと収める。

 そして、今後の行動予定に変更を加えんと思考を深めた。

「(身に降りかかる火の粉や害虫…過保護にするわけにはいかんとはいえ、イフスはが残した一粒種だ、このままでは合わせる顔がない。特別扱いはなるべく避けねばならんが、…今回は救出に向かうとするか)」

 ドンやザード、そしてナガン正規軍のハロイド民兵への指導のやりようを見る限り、ならず者どもに遅れを取る事はないだろう。仮に劣勢を強いられようとも、彼らならば数日は余裕で持ちこたえられるはずだ。

 タスアナ自身、元より手取り足取り彼らに助力する気はない。介入は最小限にとどめ、戦闘に参加するにしても、せいぜい彼らよりほんのちょっぴり・・・・・・・・だけ強き者として手を貸すだけだ。

 幸いにも彼らは、自分が特別な権限を与えられている魔界本土の査察官のような者――真にその立場にあるのは、イムルンの方なのだが――と勘違いしてくれている。

 自分達の不甲斐ない戦いを見せる事はできないと、自身の存在が士気に繋がってもいる今、簡単に敗北を喫する事はないと確信する。


「話はおおよそ理解した。少年、貴重な情報をありがとう」

 そう言って立ち上がり、少年の頭を撫でるとタスアナは天幕の外へと歩み出る。夜もそろそろ深まりはじめている。敵に悟られずに移動を行うにはうってつけの頃合いだ。

「東側に陣取っているナガン正規軍にも連絡を取り付けている。私は一度戻り、聞かせていただいた情報の整理と共有、そして定期的に走らせる連絡係の選定と今後の方針について協議するよう、マグル村の人々に伝えよう」





――――サスティの町の北方、シュクリアより東へ10数km地点。


「ぜー、はー、ぜー、はー…く、ぐぅ…ッ」

 モーグルは膝をついた。湿地帯の淵より離れ、硬くなってきた地面が着地の衝撃を全身に伝える。

「へ、へへ…やっ、たぜ…ざまぁみろってんだ…ハァハァハァ…」

 河童ウォーターインプの追撃を受け、窮地に立たされたものの、彼は土竜人族の強みを活かし、なんとか立ち回る事に成功する。

 湿地帯はその上に立つにはひどく不安定な足場だ。だが、土は柔らかく、素早く穴を掘るには適している。といってもモーグルにもリスクがなかったわけではない。土が柔らかいという事は、掘った穴が簡単に崩れてしまうという事でもある。穴の中にじっと隠れるといった事はできず、絶えず動き回る必要があった。

「い、つつ…はーはー、…くそ、アッシの爪…が…」

 結果として、地中のモーグルと地上の河童の戦いは、後者が戦闘力では圧倒的優位にあったにも関わらず、矮小な土竜人の知恵と勇気が勝った。

 地中を移動し、河童の足を掬ってはまた地中に逃れる。そうして相手を翻弄すると同時に、彼は地面の中を耕した・・・

 ただでさえ不安定な湿地帯のほとりの地面はさらに柔らかくなる。そこへ湿地帯から水分を引くようにモーグルが穴を通した事で、河童の足元は粘度の高い沼のような状態となり、その身を泥の中へと沈めさせる事に成功したのだった。それはまるで即席の底なし沼のようなだった。

「はー、はー…と、とにかく…少しでも、遠くへ、い、行かなけりゃ…痛っ…ぅ!」

 勝利したとはいえ、モーグルも無傷では済まなかった。無茶な掘削が祟り、自慢の爪先は削れ、あるいはヒビが走っている。全身には深くはないが、強い痛みを発する出血の止まらない傷がいくつもつけられ、しかもその傷口は泥に汚れて不衛生極まりない状態にあった。


 追手が来ない事を、敵に遭遇しない事を祈る。もう今の彼に反抗する力は――――


 ベチャリ、ベチャッ…


「やってくれたなぁ…土臭ぇモグラ風情がよぉおぉぉ!!!」

 振り返るとそこには、頭の先から足の水かきの隙間までビッチリと泥にまみれた河童の姿があった。見開いた両目は充血し、怒りに満ちている。

「………」

 絶望。声もでない。驚きの感傷も、恐怖の気持ちも湧いてこない。モーグルがその時思った事、それは――――


   あぁ、オイラの悪運は、尽きちまったんだな……


 ボゴッ! ドカッ! ガスッ! ズドッ!! ドゴォッ!!!


 痛みはなかった。いや、感じてはいたが、甘んじて受け止めようという気分だった。これまでの悪運のツケなのだ、と。

 すると不思議な事に、痛みに喚き、泣き叫ぶ気すら起きず、痛めつけられている最中はずっと、自分でも恐ろしいほどに穏やかな気分でいられた。


 最後に蹴り飛ばされて、真っ白な世界の中をゆっくりと飛んでいく。


 ドッ…サァ……


 地面に打ち付けられ、青色を失いつつある短い雑草の上を2度、3度転がって止まる。

 すると思い出したかのように、途端に全身に激痛が走りはじめるが、モーグルの意識は薄く遠ざかっていく。1mmも動けない、まさに言葉通りに。

「ケッ! とんだ時間くっちまったぜ…、煩わせやがってよぉ…。ったく、ワリにあわねぇなぁ、今回はよぉっ!!」

 泥にまみれたまま、イフスに歩み寄る河童。ドチャリ、ヌチャリとそのカラダから泥が滴り落ちる音が、妙に生々しい。

 そして、彼女が纏っているボロ布を乱暴に掴むと、そのままは剥ぎ取り捨てた。

「…へっ、リアクションがねぇってのも味気ねぇが…、ま、少しはおこぼれ貰わねぇとな、バランクの野郎には黙ってりゃわからねぇ、キヒヒ…」

 河童はバランクの手下ではあるが、忠誠を持っているわけでもなく、あくまでも仕事仲間以上の関係ではない。時折、不満が募ればこうして、バランクの目の届かないところで獲物の “ 横取り ” や “ つまみ食い ” を頻繁に行っている。


 イフスの白肌に河童の泥が落ちる。ベッタリと、そして流れて下へと線を引く。河童はそのまま捨てた布の上に彼女を押し倒した。


 モーグルは声一つあげられない。河童の野郎が何をしようとしているのかわかっていながら、やめろとも叫べない――――心身の限界。


 心の慟哭。任されたというのに、領主ミミに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 このまま完全に意識が沈んだら、その間に河童はイフスを穢し尽くすに違いない。そして次に目覚めた時には、二人はもうドウドゥル駐屯村に逆戻りしている事だろう。そして、イフスが連れ戻されたなら、バランクとバフゥムいさかいは終わる。それは領主ミミが置かれる状況がますますヤバイ方向へと向かう事に他ならない。

 必死に、まさに必死に、モーグルは己を奮い立たせる。

 だが正真正銘、文字通り必死になってみても、今の彼にはその意識を糸1本分程度の厚さで繋ぎ止めるので精一杯で、何もできはしなかった。


 だが、そんな彼の耳に、ソレは届いた――聞き慣れない馬のいななく声。


 河童は気づいていない。こっそりつまみ食いする獲物に思いを馳せて油断し、ニヤけながらイフスの身にヨダレと泥を落としている。


「うあぁぁぁぁ!! こ、ここだぁぁあぁっ、助け…助けてくれぇぇぇぇえッ!!!」

 考えるよりも先にあげた、僅かな意識の保持と引き換えに搾り出した声。はたして敵か味方かもわからない一抹の希望にモーグルはすがった。どのみちこのままではダメなのだ、そして自分にもどうする事もできないのだ。ならば賭けるのみ。

 河童が驚いてこちらを見ている。そして、辺りを警戒するように見回している。暗くなっていく、視界が閉ざされていく。

 今度こそ、完全な意識の喪失に向かっていく中、モーグルは地面から伝わる振動を肌で感じた。――――響く振動。蹄の音。そしてそれらが近づいてくる事も。


 これでもう、本当に運が尽きても構わない。だから頼む、目が覚めた時、最悪の光景が広がってくれているなと願いながら、この矮小なる土竜人の意識は閉ざされた。





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