新編:第2章

第70話 第2章1 積まるるほどに詰む




 産業。


 それは文字通り何かをみ出すである。生物が安定して生きていくために何かしらの産業の発展は必須となる。

 しかしそれらが当たり前となり、社会秩序がある程度の水準レベルに至れば産業の意味は一段と重くなり、さらなるものが求められる。




「領主様、この辺りに鉱床のアテがあるんですかい?」

「ないよ。けどリ・デーゴ廃村の話でちょっとね。もしエミラ・スモー山脈に鉱床や鉱脈が見つかればかなり大きいから」

 ドンは軽く考えた。

 地上において片田舎な領地は、おおよそ産業と呼べるものといえば農業くらいしかない。しかしそれすらおぼつかない今のアトワルト領にとって、もし新たな産業の芽が見つかれば今後の領地経営において大きな武器になる、それは間違いない。


「(だったらなぜ、前の領主様ん時はこっちを調べなかったんだ?)」

 ミミの前任の領主時代は、この地の領有事情もエミラ・スモー山脈は丸々領内に入っていた山地だ。

 ガドラ山脈よりも広く、鉱物資源を求めるならばこちらの方が当時からより有力候補地であったはずなのだ。


「(嫌な予感がするな)」

 街道を一路西へ。

 ホルテヘ村目指して進む一行の中、ドンは周囲を警戒する。あるいは前領主時代に鉱床の捜索がなされなかったのは、このエミラ・スモー山脈が昔からモンスターの頻出ポイントである可能性に思い至ったからだ。


「モンスターがよく出るから開発が進まなかったって思ってる? でもねドンさん、このエミラ・スモー山脈はむしろモンスターの出現率が一番低いところなんだよ」

「! そうなんですか?? てっきり……、じゃあなんで前の領主さんはこっちじゃあなくて、ガドラ山の方に目をつけたんですかね? それも専用の村をこしらえてまで……」

 その言葉には同時に、ではミミはなぜガドラ山ではなくこのエミラ・スモーの地の方に鉱床をもとめたのか? という疑問も透けて見える。

 仮に鉱物資源が見つかれば採掘のための整備が必要になる。廃村とはいえ既に拠点が存在するガドラ山脈の方が、発見できた後は楽に事を進められる。

 特に今のアトワルト領の財政を考えればなるべく安く、かつ短時間で成果が上がるに越したことはないはずなのだ。


「……実を言うとガドラ山脈の方は見つかってるんだよね、それも結構な鉱脈が」

「! それじゃ……」

 ドンは目を見開く。そして、じゃあなんで、と言いかけた口を閉ざした。

 今すぐにでも飛びつきたいものがあって、しかし手を出さないのにはそれなりの理由があるからに決まってる。


「リ・デーゴの村は、正確には鉱業失敗で廃れたわけじゃないんだよ。前領主の時代に、あそこに “ 強力なモンスター ” が湧き出してね。当時の村人のほとんどが殺害された場所なの」

 随行するラゴーフズ達はその話に息を飲んだ。

 モンスターがいかに人々にとって脅威的な存在だとはいえ、それによって村一つが滅ぶというのは相当だ。

 つまりその “ 強力なモンスター ” が、いわゆる一般にモンスターと呼ばれている存在の数段上を行く強さを有している事は想像に難くない。



「ま、討伐隊が組まれて退治されたらしいんだけどね。でもその時の被害は大きくてリ・デーゴ廃村の辺りは今も “ しゅ ” のたぐいが空気に溶け込んで渦巻いてるって話だから」

「? お嬢、その “ しゅ ” というのは一体?」

「残虐的な殺傷事からくる怨念と、強い魔力の使用痕として滞留した魔素が混濁して、一種の呪いめいたものが充満した空間になる現象が、本当に稀にあるんだけれどね。そんな現象を広義的には “ 呪 ” と書いて “ しゅ ” と呼ぶの」

 魔法学でも高位かつどマイナーな分野だ。

 地上はおろか、魔界本土の長い長い歴史の中でも数えられる程度の案件しか記録されていないほど、しゅが特定の場所に発生する事はとても珍しい現象である。


「もしかすると地上じゃリ・デーゴだけかもしれないね、ああいう状態にある場所って。……とにかくしゅが浄化されない限り、リ・デーゴの辺りで鉱物資源探索は無理ってわけ」

「つまり手を出したくても出せない状態にあるのですね。それでお嬢様はこの地に同様の実入りを求められる、と」

 ラゴーフズの言葉を肯定するようにミミは頷く。



「ですけど領主様、こっちにも鉱脈なりがあるんですかね? 本当にアテもなくデナの村長に指示を出した、ってわけでもないんでしょう?」

 デナ村の村長には、近辺の山肌にて試掘により鉱床、もしくは鉱脈の捜索を指示している。

 もしも農地拡大に芽があればそちらを優先させようかとも思っていたが、見回った土地はいずれも案の定というか、明らかに人為的に妙な魔力溜まりが施されていた。


 デナの前に襲ってきたモンスター・コボルトが湧いた事にも関係していると睨み、ミミが溜まっていた魔力を魔力素に分解処理して解放。

 しかしながら影響はしばらく続く可能性もあり、土地の農地化に際して開拓にあたる村人がモンスターに襲われる危険を考慮して、農地開拓はしばらくの間は見送らせた。


「モンスターを警戒してしばらく近づかないように指示した手前、代替案を出さないと村人の気持ちが沈んじゃうしね。正直、鉱脈が見つかるかどうかっていうよりも将来の村の産業に希望を持たせる事の方が目的かな」


「え、じゃあ根拠は何もないんですかい?」

 ドンは意外そうに見上げる。

 彼の中での領主ミミの評価は存外高いらしい。

「んー、まったくなかったわけじゃないけれど根拠が弱いのも事実かな。この間の地図を思い出してもらうとわかりやすいんだけど、実はガドラ山脈とこの辺りって大昔は山脈が繋がってたような位置関係なんだよね」




 ミミの言葉にドンはもちろんの事、ラゴーフズ達も驚いて思わず “ えっ ” と声を漏らした。


「神魔大戦って大昔から何度も起こってるでしょ? その爪跡で地形が徐々に変わったりとか、あるいはその時代の領主の政策の結果だとか地盤の変動だとか。まぁいろいろあって今の地形になってるわけだけれど」

 確かに歴史をさかのぼれば、遥かいにしえの地上と現在の地上の地形が大きく変わっている事は間違いない。それでも大胆なミミの予想に、彼らはなかなか驚きの感情を鎮められずにいた。


「ちょうどデナとハロイドの間から領主の館の辺りの丘陵地、そして今は街道になってるサスティからナガン領までの街道の谷間…この辺りは昔は全部山でつながっていてエミラ・スモー山脈の一部だったんじゃないかな、って私は思ってる」

「…そうか。もし領主様の仮説通りなら、ガドラ山脈に鉱脈があった事実を考えりゃ、過去に繋がっていたエミラ・スモー山脈にもあるかもしれねぇ、って事ですね?」

 いち早くミミの考えを理解したドンがなるほどと首肯した。


「まぁ、繋がってたからって山脈全体にくまなく鉱石が埋まってるなんてワケがないし、かなり希望的観測。だけど安全性を確保できる事を考えると、エミラ・スモーの捜索は遅かれ早かれ着手すべきだったから」

「今回はちょうどいい機会になったって事ですね」

 前向きに考えるのはいいことだ。四の五の言っても無いモノはないし、有るモノはある。

 土地も人手も資金も、何もかもが限られている以上、後ろ向きに考えても得られるものはない。



「まぁね。本当はこれから向かうホルテヘ村の近隣の方が試掘には適したところが多そうだったんだけど、デナにちょっかい出してきた “ 旅人 ” が他領主の差し向けた輩だったとしたら」

「より隣領に近い村にて新たな産業を担わせるは危険なり、ですな」

 我、お嬢の考えを理解したりとハウローがうんうん頷く。


 だが、その考えが正しいという事は同時に……

「(お隣さん…つまりゴルオン領の領主がキナ臭いって事か…。こりゃオレらも気ぃ引き締めとかないといけねぇな)」

 ドンはゴクリとツバを飲む。


 単純に敵だ味方だと、腕づくでどうにかする話ならば苦労はない。

 だが領主間の確執や外交、深慮遠謀となればそうはいかない。僅かな付け入る隙で相手をおとしめる事も出来るし、それが本人でなく御付きの配下の粗相そそうであっても同じ。

 領主ミミに付き従う者としてついうっかりすらも見逃してはもらえないだろう。


「あまり難しく考えなくていいよドンさん。厄介で面倒が多いのは事実だけど、だいたいの事ってなんだかんだいってどうにかなっちゃうものだから。完璧にしようとか、ミスせずにとか考えるほど逆に失敗ってしちゃうものだからリラックスリラックス」

 心中を察し、ドンの肩に軽く手を乗せるミミ。頭が回り、根が真面目であるほど深刻に考えすぎてしまうものだ。

 人数が少ないとはいえ部下たる者が増えた今、ミミもまた彼らの主たる立場と態度を求められる。

 彼女が投げかけた言葉は彼らに対してだけでなく、自身に対するものでもあった。






――――――サスティの町。中央広場。


「―――というわけで皆さま、モンスターの|出現(ポップ)が確認されておりますので街道を行く際は警戒を怠らぬよう……」

 町長のゲトールが急ごしらえの木製台の上で声を張り上げる。その脇にはイフスとカンタル、フルナが控えていた。


「マジかよ……」

「こんな時にモンスターが出るなんて」

「せっかく希望が見えたってのに」

 人々から苦渋に満ちた声が漏れ聞こえてくる。


 サスティの町はおりからの食糧問題に対処すべく、ウオ村に活路を見出さんと働きかけてきた。

 そしてナガン領からの行商人が多数ウオ村に訪れて食料が流入している事や、ウオ村在住の商人が赤字覚悟でそれらの食料品を買い付け、サスティにも安く工面してくれる事が決まるなど先行き明るい話が出始めた矢先の出来事であった。





 人々への警告を終えた後、今後を協議すべく彼らは町長の家の応接間に集っていた。


「そのモンスターの調査をいたしたいところではありますが、下手に藪をつつく事になりかねませんね」

 そう言いながらゲトール町長は頭のないその身で深いため息をついた。


「対処可能なモンスターであればよかったのですが……残念ながらアレは危険かと思われます」

 この場にミミ領主がいない今、イフスが代表して町長と会話を交わす。

 もちろんイフスとてミミの一配下に過ぎず、カンタルやフルナと立場的な上下があるわけでもない。せいぜい先輩後輩の差くらいだ。

 それでもミミの傍に仕え、数年の間この地の治世を見守ってきた彼女である。政治的な話に関しては元ならず者であったカンタル達よりはマシといえた。


「最大の問題はあのモンスターが先の避難所に巣食っている可能性が高い事かと」

 イフスの言葉にゲトールは両肩を落とす。

 先の反乱騒ぎの際に攻め寄せてきたベッケスとその手勢。それらの魔の手より逃れるべく、サスティとウオ村の人々はかの避難所へと一時退避していた。


 だが、その時にはモンスターの影など当然なく……

「事が終息した後、あそこにモンスターがやってきた、もしくは湧き出した、という事ですか」

「でもでもッ、あのモンスターってアレだよねッ? 湧き出した奴じゃなくて……」

「フルナさん、それ以上は。町長さんも分かっていらっしゃいますので」

 ゲトール町長の発言に含まれる “ 湧き出した ” は彼の願望だ。

 湧いたポップモンスターであれば強さや脅威度はグンと下がる。そうであってほしいという希望だ。


 しかし確認されたモンスターの外見、そして強さは間違いなく二世・・。すなわち沸いたモンスターが誰かしらを襲い、結果として産まれたモノ。

 その危険性を誰もが理解している。だからこそ悩ましい問題であった。



「ウオ村との物資の運搬……あの位置からなら容易く伺えますよね……」

 町長の口調が重くなる。

 先の反乱の際、ベッケス達がナガン正規軍とぶつかった様子をあの山の上から見て駆け下り、少数からなる民衆でも有効な打撃を与えられたのだ。

 それが今度は厄介なモンスターが同じように山上から襲い掛かってくる。それも街の希望たる食料を運ぶ隊商や、往来の商人達など荷を運び、目立つ者が狙われる可能性が高い。


「やはり早急な調査と討伐は必須ではないでしょうか? ミミお嬢さんに早く報告し、対応を」

「報告の早馬はすでに手配してもらいました。落ち着いて下さいカンタルさん。あのモンスターが相手では例え戦える方を募ったとしても被害が大きくなってしまうだけです」

 イフスになだめられてカンタルは少し興奮していた事に気付き、鼻息をおさめて謝りつつ椅子に腰かけなおす。

 ならず者から足を洗い、元々が善良で真面目な性格のカンタルはいささか熱くなりすぎていた。


 いてもたってもいられないのだろう。

 あのモンスターはフルナを捕まえた時、明らかに欲情的な感情をむき出しにしていた。もし女性が被害にあえば、場合によっては同等か更なる危険性を持ったモンスターが増える可能性だってある。

 出来る限り早急に滅さなければならないのだ。それはこの場にいる全員が理解している事。


 だが現状では明確に打てる手がない。せいぜい人々に注意を促すだけだ。


「(一体どうしたものでしょうか? ナガン候に御助力をいただくのが最良で、最短なのかもしれませんが……)」

 しかしイフスはそれも難しい事をよく知っている。既に先の反乱の件でお世話になってしまっているからだ。

 もし今回の件でも戦力をお借りするような事をすれば貴族社会におけるミミの立場が悪くなるのは確実だった。




 閉塞感。体裁など捨ててなりふり構わなければ打開できる道はある。


 ―――――が、体裁とは思惑厄介なもの。

 特に貴族達の間でのそれは、時にその進退すら左右しかねない大きなウェイトとなってしまう。

 魔王に仕えていたイフスだからこそそのような現場をよく目にし、重々承知していること。

 それでもなんとかして主人ミミの負担を減らせないものかと、彼女なりに頭を悩ませる。

 この問題への解を求めて思考を巡らせるも、良き閃きは何も浮かばなかった。






―――――――ホルテヘ村、小高い丘の上。


「……と、あそこからあそこまで新たに防柵を建ててくださいますか?」

「はいぃ、わかりました。お任せくださぃぃ…ですがぁ、木製の簡単なものしかできませぬがぁ、よろしぃでしょうかぁ~?」

 眉毛が両目を隠すように垂れさがり、アゴヒゲの先端が地につきそうなほど伸びている。かなりヨボヨボで突く杖もブルブルと震えっぱなしの老齢なオーク豚亜人の村長。

 しかしミミの指示を明確に理解しているらしく、おぼつかない声ながらしっかりと言葉を返していた。


「ええ、それで問題ありませんわ。ですが、できれば高さをなるべく確保したものを。それと見せかけだけでも良いですから西側・・から見た時、威圧感が出るようにお造りできますか?」

「ええ、ええ、イケますともぉ~。どうぞ、お任せくださぃい」




「領主様。本当にあの村長は大丈夫なんですかね??」

 一通りの話を終えて村内を視察せんと散策する中、ドンは心配そうに話しかける。


「ん、村長さんは確かにすごく高齢だけど、ああ見えてしっかりした人だから大丈夫。私の意図もたぶん察してるから、こっちの想像以上のものを作ってくれるかもね」

 実際ホルテヘ村の村長はかなり長い年月の間、村長の座を務めてきたベテランである。その在位はミミより3代前の領主の時代からであり、アトワルト領内の町や村の長の中では最長老と言えるほどの年長者だ。

 オーク豚亜人族として考えれば相当に長命であり、今をもって生きているのですら奇跡に近い。


「ま、ちょっとスケベなところが玉にキズだけどね。それが長生きの秘訣らしいよ?」

 村長がミミに対して最初から全面的に協力姿勢なのには理由がある。

 早い話が大の女好きなのだ。何せ先ほどの小高い丘から村を見渡しながらの会話中、ずっとミミのお尻を撫でまわしていたほどである。


「ちょっとどころじゃない気も……悪い方ではないってのはわかりますが」

 万が一、西隣のゴルオン領主がアトワルト領に対して危険な行動・・・・・を取った場合、このホルテヘ村がアトワルト領の西端として防衛の拠点となる。

 防柵をはじめとした様々な指示はそんな事態に対する備えだとドンは考えていた。そしてそれがどれだけの危機であるのかも。

 そのために上下関係を無視するほどの好色者に任せても、本当に大丈夫なのかという心配がドンにはあった。


「フフッ、大丈夫。あの村長さん、若い頃はかなりの猛者だったらしくてね? 本人はあまり自慢したりしないみたいだけれど時の大戦で相当活躍してたみたいだよ?」

「そうなんですかい? ……それが今や見る影もない、ってやつですかね」

「調べたら元々は魔界の出自で大戦で活躍した後、軍を退職して地上に移り住んだとか。栄誉や地位を放り出してまで魔界本土から移り住んだ理由まではわからないけど―――」

「ぁ~、お褒めいただいて、ありがたいことですじゃぁのぉ~」


 ムニュウウウ!


「はひゃんッ!!? もう村長さんっ、そのような事は慎んでいただきませんと」

「こ、この爺さん、いつの間にオレらの後ろに……?」

 村長が後ろからスカート越しながらもお尻に顔を深くうずめては揉んできて、ミミは思わず普段はあげないような声を発した。

 それでようやくかの者の存在に気付いドンは、平穏な村の中で気を抜いていたとはいえ驚愕する。


「ほぉっ、ほぉっ、ほぉ。なぁに、お褒めのぉ、お言葉をいただきぃ、ましたゆぇぇ…そのお礼にとぉ、思いましての~ぉ。しかしながらこれはぁ、逆にご褒美をばいただいてしまいもしたかのぉぉ?」

 一瞬、本当に一瞬見直しかけていた気持ちを引っ込め、ドンはすぐさま軽蔑けいべつの眼差しに変える。こいつは骨の髄までドスケベだと村長に対する認識を再確認し、頭を抱えたくなった。


「それでですがのぉ、領主さま。…ぁー、すこぉし、身をおかがめくださいませぬかぁぁ?」

「なんでしょう? ……これは」

 高齢ゆえ、背の低くなっている村長に顔の位置を合わせるようにミミがかがむと同時に、村長は一通の手紙を渡す。

「こちらはぁ…、さきほど届いたぁぁ、あなたさまアテに早馬のつてでございますぅじゃ」


 言葉やその身は相変わらず小刻みに震えているものの、先ほどのスケベジジイはどこへやら。一転して真面目な雰囲気が漂う。

 小声で伝えるのはドンの存在に配慮してだろう。早馬の手紙が一角ひとかどの為政者の元に飛ばされてくるは往々にして重大事である可能性が高く、物によっては側近であろうとも容易く内容を知らせられない事だってある。

 さすがの長生きと言うべきか。オーク豚亜人の村長はそうした気遣いが出来る者だという事。


 真面目な表情でずっとお尻を揉みし抱き、撫でまわすのさえやめれてくれれば正しく尊敬に値する人物でいられたであろうに、なんと惜しい事だろうかとミミは心中呆れる。


「それと…もう一つぅぅ……。あまりご無理をなされませぬよぉぉ……。お腹にさわりますればぁ、ご自愛なさいませぇよ?」

 例えお尻に顔を埋められようとも不意打ちへの驚愕を除いてさほど動じなかったミミが、はじめて村長に対して驚きをあらわにし、そして緊張の面持ちを浮かべる。


「……どうしてそれを」

「ほぉっ、ほっ、ほぉっ……ジジイゆえ、鼻はこれこの通り、引っ込んでしまいよってますが……、香りの嗅ぎ分けはぁぁ、衰え知らずでございますとも。この歳までぇ、多くの我が子ぉに我が村人らぁが産事うぶごとぉ……見守りてぇ、きておりますでぇなぁ」

 それまで真面目さの宿っていた表情かお――――しわがれたオークの顔面がニコリと悪戯っぽく微笑んだ。


「なによりぃ…このジジイめはぁぁ、いまだ・・・現役でぇしてぇ、ニオイの違いはぁぁ、よぉぉぉぉくぅ、わかりもうしますともぉ、ほぉっほっほぉっ♪」

 そう言うと撫でまわしていたミミのお尻からその手が離れる。直後に軽くポンと一つ叩いて完全に離れきった。


「…そういう村長さんも歳なのですからあまりハメを外さず、お身体を大事になさってくださいね?」

「ほぁっ、ほぁ、ほぁっ。ご領主様のぉ、この素晴らしき尻を拝めなくなるはぁぁ、堪忍していただきとぉ、ございますのぅぅ」

 軽口を交えた応酬。もちろん村長にしても領主を相手に本気で下劣な会話を望むものではない。


 独特の空気感。

 交わす言葉と雰囲気で、既にお互いにベストな距離感を掴んでいる。尻を揉み揉まれ、多少下品なものを含めつつも笑い呆れる。

 真面目な公務仕事を除けば、ミミにしてもやたら改まられるよりもよほど良い。

 ラフにやり取りできるくらいがちょうど良いと互いに理解しているのだ。


「………」

 だが、それは当人たちだけで共有されるフィーリングでしかない。

 傍にいたドンは二人のヒソヒソ話から時折聞こえてくるワードから自分の中の村長の株をますます下降させつつ、軽く二人から距離を取りはじめていた。





――――――翌日。ホルテヘ村より東へおよそ50km。


 ミミ達はちょうど街道が枝分かれする手前まで来ていた。


「デナの鉱床捜索の件に、ホルテヘ村への指示も一通り終わって…」

 指折り数えながらやるべき事を確認しているミミに、ラゴーフズが問いかける。

「この後はシュクリアへ帰るのでしょうか?」

 ホルテヘ村の宿でミミ宛に届いた早馬の知らせを説明して以来、ラゴーフズ達はどこかピリピリとした雰囲気を漂わせる。


 当然だ。こちらでもモンスターの出現を確認し、なおかつ反対方向に向かったイフス達もまたモンスターに出くわしたというのだから。


 しかも非常に危険な個体に遭遇したらしい知らせを受けた翌日の道程である。彼らの警戒心は否応なく高くならざるを得ない。そして上位者の随伴たる者である以上、現状での最優先は同行するあるじの守護である。

 そんな彼らからすればなるべく早くミミを安全な場所に連れ行きたいのだろう。ラゴーフズの言葉にその意志がにじみ出ていた。


「ん、そうしたいのは山々なんだけどもう一か所、回らないといけないところがあるの。で、今回の視察の本命ね」

「という事はハロイドですかね?」

「ドンさん正解。そんなわけだから帰りは南側の街道ね」

 ドンにしてもいつもより周囲に気を配っているのが伺える。

 イフス達が成す術なく撤退したレベルのモンスターに自分達が遭遇する可能性が0ではない以上、それは当然なのだが……


「みんな、もう少し力抜いてね。ラゴーフズさん達は治療したといってもケガが完治してるワケじゃないし、いざって時に傷口が開いて戦えません、ってなるのも困るからあまり力まないで」

 何せハウローに至っては、殿に位置して半獣形態になってまで怖い顔で後左右をしきりに睨んでいる始末だ。

 街道が整備してあるとはいえ山の道、しかも目的地まではまだ50km近くの距離がある。今から気を張り過ぎていては到底もたない事はミミから見ても明らかだった。


「(んー。それにしてもまさかモンスター・ハウンドだなんてね。リ・デーゴ滅亡の際の話は本当だったって事かぁ。はぁ、どうしよっかな…)」

 昨日、ホルテヘ村に着いてから今日の朝に村をつまでの間、ラゴーフズ達にはしっかりとした治療と休息を取らせたが、モンスター・ハウンドの存在が確認された時点で彼らを主戦力として考えるには心もとない。

 それは怪我を負ったからではなく、たとえ完全な状態であったとしても敵わないからだ。

 何せラゴーフズ達改心組の戦闘能力はいずれも似通っており、しかも所詮はならず者であった者達。人数に頼った戦法を取ったとしてもモンスター・ハウンド相手には焼け石に水だろう。


「(せめてザードさん並みの戦士を軸にすえた体制が取れれば良いんだけどなー。ラゴーフズさん達よりは強いと言ってもドンさんにその役は荷が重すぎるし……)」

 反乱騒ぎで領内の大気中の魔素が乱れたおかげでしばらくはモンスターが沸かないだろうと安堵し、領内における警備および戦力強化の類の案件は後回しにできると思ってた矢先にコレだ。


 悪い事は重なるもの。

 そして手が回るところからと問題案件を後回しにしていればやがて火がついてしまう。


「ハロイドのアレは、是が非でも軌道に乗せないと」

 思わず独り言を呟いてしまう。

 心の余裕が失われつつある―――それほどにミミは今、領主として苦悩を強いられていた。



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