第69話 第1章5 常在の危険



 刃の鈍い両刃剣が横薙ぎに振るわれ、空を裂く。


「ゲギャァァ!!!」

 コボルト犬頭亜人が奇怪な叫びをあげながら後ろへと飛びのいた。


「ちぃッ! なかなか素早い奴だっ」

「ドンさんっ、追撃はしないで一度こっちに」

 ミミの言葉を、頭で意味を理解するより早く身体が反応し、前に出ていたドンはバックステップから後転を1つ入れて合流する。

 複数の敵を相手にする場合、状況を広く見渡す事ができる後衛の指示は視界が狭まりやすい前衛にはありがたい。

 実際、ドンが一度戻った事で仕掛けようとしていた他のコボルトも攻撃の手を緩め、いったん様子見に転じていた。敵味方とも全員が一呼吸つく。



「まさかモンスター・・・・・に出くわすとは……」

 互いに間合いを離して睨み合い、攻撃を再開する糸口を探り合う状態の中でラゴーフズがこぼす。

 ミミを中心にドン、ラゴーフズ、ハウローがそれぞれ3方に配する形で陣取り、敵対する者を睨みつけ、けん制していた。


「しかもこんな街道でね。うーん、大戦が終わって少し時間も経過したぶん、湧き出してきたのかなー」

 それが事実であれば領主ミミにとってあまり面白い話ではない。




――――――モンスター。それはあらゆる生物にとって危険な存在。


 一見すると様々な既存種族と同じ姿形や生態系を成しているが、その正体はこの世の全ての生命体を害する事を悦びとする魔力生命体だ。


 例えば目の前のコボルト犬頭亜人達。

 既存の種族たるコボルト族とまったく同じ姿と能力、生態を持ってはいるが、本物のコボルトがモンスター化したというわけではなく、異なっている点も多い。


 まず瞳が単色に輝いていて瞳孔がない。そしてコミュニケ―ションがまったく取れない。さらに誰彼構わず他の生命体を発見するや否や奇声をあげて襲ってくる。

 他の命を脅かすことに一切の躊躇いはなく、感情の起伏もない。

 あるのは貪欲なまでの殺傷意欲か、悪性の各種強欲を満たさんとする意志のみ。


 物理的に肉体は存在するがそれは魔力素によって構成されていて、ダメージを与え続ければやがて構成していられなくなり霧散する―――すなわち倒す事が出来る。

 金属や宝石、あるいはただの石や土、木の欠片など無機物をコアとしてそこに魔力素が集い、その場にかつて存在していた生命体の情報を元に象られる事でモンスターはこの世に湧き出す……というのがモンスターがこの世に出現し、活動している仕組みの、現在もっとも有力な説となっている。


 しかしわかっている事はまだまだ少なく、数多の生物に害を成す危険な存在であるため、現状では出くわせばその対策は逃げるか倒すしかない。


 本来であれば現在の地上においてモンスターはそう簡単には出くわさないシロモノだ。まだ野盗の類に出くわす確率の方がはるかに高い。

 大戦直後や、先のような反乱などなど、大気中の魔力素が乱れて安定しなくなる出来事の直後は特に、自然発生・・・・するモンスターというのは皆無なはずなのだ。



「メルロ殿を連れてこなかったのは正解でしたね」

 ハウロー半身猟犬の言葉にドンが無言のまま頷く。

 モンスターは既存の生物と違って理性というものを持っていない。戦いにおいては相手がか弱い女子供であってもなんらためらいなく襲う。戦闘能力や経験の浅い者が対峙するには危険過ぎる相手だ。

 生物は自己の肉体が傷つく可能性から無自覚の内に加減というものをしている。だがモンスターにはそれがなく、いかなる時も掛け値なしで全力の戦闘力を発揮してくる強敵だ。

 たとえ象っている姿が戦闘能力に乏しい種族であったとしても、外見より想定される強さの2割増しと見て対処に当たるのが常識化しているほどである。


「数は4……、こん棒に血がついてるのもいるから被害者が出てるね。うーん、デナの村は大丈夫かな」




―――ミミ達は今、シュクリアより西へと向かう街道の、途中枝分かれした北側の道の途上にあり、デナの村へと向かうところだった。


 モンスター・コボルト達と出くわしたのは周囲に木々が増えて街道がゆるい登りに差し掛かってより数キロほどの地点。

 目的地までの距離はまだあるとはいえ、ここから最寄となる村はデナだけ。モンスター達が村の住民ないし、村そのものに襲撃をかけた後でなければよいのだがとミミは心配する。


「まずはこいつらをどうにかする事を考えやしょう。オレがもう一回前の奴に突っ込みやすから、ラグはハウローと一緒に領主様を守って他の3体をけん制してくれ」

「わかった、任されよう」

 ラゴーフズ混血竜姿亜人の返事とほぼ同時にドンが再び地を蹴って飛び出した。

 先の一撃でドンが手ごわいと見たのか攻勢に踏み切れず、睨み構えたままのコボルトは敵の接近に一瞬たじろぐ。

 だがすぐにモンスターたるその狂暴な性質が衝動的に身体を突き動かし、迎え撃つようにこん棒を振りかざした。


 だが明らかに遅い。

 ドンが全身を回転させて振るった両手剣の一撃が新しい傷をモンスター・コボルトの胸に刻む。

「グギャァァァアァァ!!!!」

 傷は深い。しかし血は一滴も出ない。

 代わりに真っ黒に焼け焦げたような肉の粉のようなものが、パラパラとこぼれ始めたかと思うと、すぐに光の粒へと変化してそのまま霧散し始める。




――――魔力素まりょくそ。あるいは魔素まそ魔源素まげんそなど、その呼び方は多々あれど、意味するところはすべて魔力のもとである。




 一切の属性や性質を有さない純然たる魔力の素へとかえったソレは、容易く世界の大気の中へと溶け込んでいき、完全に消え去ってしまう。

 後に残るは深々と空いた傷のみ。それも真っ黒な谷底を思わせるような黒一色のみで塗りつぶされた、血一つ零れない異様な傷痕だ。


「せぇいっ!!」

 ドンは止まらない。そもそもモンスター連中には傷の痛みで怯むという事がない。

 こちらが有効な一撃を加えたとしてもお構いなしに反撃してくるので、戦闘範囲内にある内は1秒たりとも緩めない。


「ギァァウ!!!」

 振り下ろしてくるこん棒を回転するように体を捻って回避するドン。身を低くかがめてもう1回転し、モンスター・コボルトの足を払う。


「グギャッ!??」

「うおおおっ!!」

 体勢を崩した敵の背が地面に落ちるまで待つ気はない。回転力を利用して両手剣を振り上げ、右肩から刃を落とすような軌道でモンスター・コボルトに刀身を叩きつける。


 ドガ! ドォッ!!


「ゴガァアッ…」

 剣が叩きつけられた箇所から光の粒が飛び散る。そして地面に強く打ち付けられた背からも魔力素の輝きが弾けているのが見えた。

 ダメージは確実に入っている。が、見た目に弱っているかどうかわかりづらいモンスター相手では、その身が完全に消え去ってしまうまで油断は許されない。


「ずぁぁぁぁらぁぁぁぁぁ!!!」


 ドズゥッ!!!


 咆哮と共に自分の体重をかけて剣を突き立てるドン。

 モンスターたちは象った生物と同じ生態を持っている。なので、さすがにその身が貫かれて大きな穴が開けば大ダメージは必至だ。

 それでも同生物とは違ってなお生きていられる事も少なくない。


「ギギャァァァオォォォォ………、………」

 奇声が弱まっていく。やがて沈黙に達したかと思うと……


 ボファッ……ファァァ……ン……


 ドンの両手剣が突き立てられた場所を中心に煙のように全身が弾け、霧散して小さな粒となってバラバラに飛散して、最後の輝きを伴いながら消えていった。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ……やっと一匹か。やっぱ鈍ってるな」

 同じ姿形をしていたとてモンスターはその強さが一律ではない。

 それでもドンはこの程度のモンスターを相手にして過去、呼吸を乱した覚えはなかった。

 先の反乱騒ぎの際に負った傷が癒えても自身の戦闘力は落ちたままだと痛感する。


「ドン殿、後退を!」

「! ちぃっ、そういやそうだったっ。そんな事も忘れてたなんてなっ」

 モンスター達に仲間意識はない。群れているのは目的が同じというだけで連携能力は皆無だ。それは行動を共にした者が倒されようとも、無関係かつ無感動である事を意味する。

 複数体のモンスターに出くわした場合、1体を倒そうが他はまるで関係なく襲ってくるため、他の個体が残っている以上、息をついている余裕などない。

 ドンが振り返り、急いで戻らんとする先ではラゴーフズとハウローが、他の3体相手に苦戦を強いられていた。








――――――同じ頃、サスティの町より南東へ60km地点。


 街道のはるか先に登り坂が見え始めた頃、ソレは一向の前に現れた。



「カルルルルル………」

 その高い唸り声はあまり迫力を感じさせない。だがその容貌は楽観できるものではなかった。

「ストライク・ハウンド。なぜ…こんなところにいるんだ……?」

 カンタルが息を飲みながらボソリとつぶやく。見れば軽く冷や汗をかいていた。



―――――ストライク狂い襲うハウンド猟犬

 類似した生命種族が存在しない、モンスター専族種の一つである。長い手足が特徴的な、犬と狐の中間的な頭部を持つ二足歩行するモンスターなのだが、その背丈の高さたるや身長がおよそ2.5mはあるはずのカンタル甲虫亜人すらをも見下ろすほど。

 四肢のみならず胴や顔も細っており、見た目にはただ背が高いだけで容易くぶっ飛ばせそうに思える。

 だが――――


「クカカカカカカカカッ!!!」

「フルナッ、イフスさんを守れッ! コイツは危険だ!!」


 奇声をあげて笑い出したストライク・ハウンドに触発されるように叫ぶカンタル。

 次の瞬間には……


 シュビッ、ドッ……


「ッ?!! な、なんという速さで。くっ」

 イフスは気付けば眼前にいた細身の巨人に驚愕し、一瞬動きが遅れる。いつかの路地裏での、小さき竜人バランクも高速で間合いを詰めてきたが、あれはまだ移動の軌跡を目で見て認識できていた。

 だが今のはその次元とはまったくもって違うと断言できる。ストライク・ハウンドが一体この距離を、どのようにして移動してきたのかまるで見えなかったのだから。


「イフスさんッ!! こんのぉおっ」

 フルナ狐獣人が弾けるように飛び出し、ストライク・ハウンドの脇腹めがけてミドルキックを放つ。しかし―――


 ヒュッ…ガッ、ガシッ


「ふはっ!? な、嘘……今のタイミングで、なんでっ!??」

 放った蹴り足が掴まれてしまったのはまだわかる。なんと、いつの間にかもう片足までも掴まれていた。

 フルナの身体は大きく開脚させられつつ中空へと浮き上がる。


「わぁぁあぁぁっあ!!?」

「フルナさんっ!!」

 イフスは後ろにステップを踏んで間合いをあけ、空へと持ち上げられた彼女を見上げた。ほぼ完全な水平近くまで開脚させられ、上半身は垂れさがっている不安定極まりない体勢だ。


「カカカカカカカカカカカ♪」

 喜悦を孕んだ笑い声。後、自らの口元を舌なめずりするモンスター。

 そこに感じるは食欲を満たすための獲物を得た喜び……ではなく、もっと卑猥な欲望。

 瞳孔なき眼差しは彼女がはいている短パンの中心部に注がれる。



「その手を離すんだっ、この痩せっぽっち!!」

 カンタルがその体躯を活かして背後からタックルを仕掛けた。


 ドウッ!!


「クカガァッ!!?」

「っ、と……とと。ふぅ、助かったー、あいたたた……付け根から引き千切られるかと思った。アイツ、すごい力だよッ」

 あんな細い腕のどこにそんな力があるのかと続けたそうなフルナだが、そんな暇はなかった。


「! いけません! 横にっ」

 イフスが叫び、反射的に応えるフルナ。互いに左右反対方向に飛びのく。

「ひゅー……おっそろしー。いつの間に??」

 見れば二人がいた場所に寸分狂わず、モンスターがその両腕を伸ばしていた。彼女らを掴み損ねた手は、何もいなくなっている空間で指をニギニギさせている。


「嫌なものを感じてつい声を荒げてしまいましたが……偶然とはいえ避けれたのは幸いですね」

 イフスは言いながらゾッとする。

 もしもあの見えないスピードで動けるモンスターに二人とも捕まっていたら、残されたカンタルは極めて苦戦を強いられる事になったはずだ。

 否、苦戦でもまだ戦えるならばマシだろう。一番の最悪は捕まって連れ攫われてしまう事。


「アレに連れてかれたら終わりだし、偶然でもなんでも避けられるなら大歓迎ッ」

「まったくですね。ですが……どうしてこのような?」

 


 モンスターとしてしか存在しない固有の種―――それは遥かな昔より出没していたモンスターと、その被害にあった者との混血である事を意味する。

 すなわちモンスターに襲われた者が無理矢理に交配させられた事で誕生したモノなのだ。


 そうしてこの世に存在しえた彼らは基本、他のモンスターと同じである。だが親モンスターとはその容貌がまるで異なる容姿や能力を持って生まれる上に、彼らよりも他生物に対する暴虐的な意欲が弱く、代わりに他生物に対して三大欲を強要する傾向が顕著だ。


 食欲――――――他生物を捕殺し、喰らう。


 睡欲――――――他生物を殺害し、ねぐらを奪う。


 性欲――――――他生物を捕獲し、苗床もしくは種馬として一生飼い殺す。



 それゆえに通常のモンスターよりも危険視され、古来より出現したならばすぐさま討伐対象となってきた事もあって、彼らに出くわす可能性はいつの世も極めて小さい。

 また彼らが発生しているという事は何かしらのモンスターが地元住民を襲い、交配したという事の証左であり、被害が出ている事を意味する。



 しかし、だからこそイフスは解せなかった。

この辺り・・・・で被害のお話は上がっていなかったと思うのですが……」


 もしも固有モンスターが出現した場合、その情報は即座に周辺領地にも拡散され、討伐対象としてすぐに指名手配される。

 そしてこうしたモンスターの討伐には、街や村のみならず領主達までもが褒賞金等を出すケースが多く大金の実入りが期待できるため、流れの傭兵や腕に自信のある冒険者などがこぞって討伐に名乗りを上げる。

 最低でも出現確認された場所から半径3領地範囲内には1か月以内に周知されてしかるべき情報だ。


 ところが、アトワルト領主のもとにこのモンスターについて情報として何もあがってきていない。

 ……という事はつい最近、この辺りで出現したばかりでコレがファーストコンタクト初確認になる、という事だがそれもおかしな話だった。


「領内でモンスターによる被害報告はなかった、という事ですか?」

 ストライク・ハウンドをけん制しつつ、二人を守る位置に合流したカンタルの質問に、イフスは短く ” はい ” と答えるにとどまる。

 最低でも自分イフスが知る限りでは、という但し書きがつくからだ。さすがに固有モンスターの出現に関してミミ領主が情報を秘匿するとも思えない。


 そうなるとこのストライク・ハウンドは一体どこから湧いて出たモノだというのか? 限りなく謎めいた話となる。




「クククク……カカカカーーーッ!!!」

「悠長に考えてる暇はなさそうだねッ」

 フルナの言葉とほぼ同時にモンスターが跳躍する。みずからの長身をも容易く飛び越えるような高いジャンプは、かなりのスピードを伴っている。

 だが高空に飛び上がったせいか地を移動するよりも遅いらしい。戦闘能力に自信のないイフスの目でさえもその姿と位置が見て取れた。


「好機だ! フルナ、前に飛び出してくれっ!」

「? よくわかんないけど、了解だよッ!!」


 カンタルの指示にフルナは地面を強く蹴って前方へと飛び出す。

 今、モンスターは頭上はるか高くに位置している。当然、彼女が飛び出した先には誰もいないし何もない。

 しかしそこは知恵と理性ある生命体と、暴虐と本能だけで動くモンスターの違いである。


「クカカッ??」

 おそらくストライク・ハウンドが大跳躍したのは、獲物が固まってくれたために上空からの襲撃で一気に蹴散らそうという魂胆からだろう。


 しかしその思惑はフルナが二人より離れるように前に飛び出した事で崩れる。

 逆に離れた二人と一人、どちらを攻撃するかで迷いが生じてしまい、中空で大きく体勢を崩していた。


「そこだぁ! うおぉぉぉぉぉっっっ!!!」


 ダンッ! ビュオオ……ドカッ!!!


「カグゥクゥッ!?!?」

 カンタルが渾身の飛び上がりを持って、その頭部の角をストライク・ハウンドに突き当てる。

 さすがのモンスターも中空では自在に身動きが取れない。貫くまでには至らずとも回避不能な攻撃を受けて細長い胴体がくの字に曲がった。


「カァァァァーーーーッッッ」

 苦悶とも怒りとも取れる咆哮を上げながらストライク・ハウンドは地に落ち、二転三転ともんどりうつ。


 カンタルはイフスの近くに着地し、そこへ飛び出していたフルナも戻ってきた。


「とりあえずはダメージ1、といった感じかな。はぁはぁ、はぁ」

 カンタルは穏やかな性格の持ち主だ。

 戦闘能力があるとはいえ、そうそう荒事を好む者ではない。戦闘の緊張が強い精神疲労をもたらして彼の呼吸を乱させる。

「(これは、あまりよろしくない状況ですね……)」

 イフスは現状を相当に危険だと判断した。そして……



「お二人とも、ここは逃げましょう。カンタルさん、サスティに向かって走ってください。そしてフルナさんは……」

 言いながらイフスは、いそいそと服を脱ぎ始める。

「ちょっ!? ちょっとちょっと、いきなり何――――こっち見ないッ!!」

 カンタルをけん制しつつ慌てふためくフルナに、イフスは次々と自分の服を投げて渡した。


「それを持ってカンタルさんとサスティまで……お早く!!」

 全裸になったイフス。頭を振るいながらのっそりと起き上がりつつあるストライク・ハウンドを警戒しつつ、二人を促す。

 何がなんだかと戸惑いながらも指示通り走りはじめた彼らを見送り、姿が遠くなっていくのを確認していると――――


 ガシッ!!


「クカカカカカカカーーーッ♪♪♪」

 イフスの体を、モンスターが捕まえていた。

「申し訳けございませんが、貴方にはぬか喜びというものを経験していただきます」

 使用人の立場にある者が貴族に接する時のような、やたら丁寧な言葉遣いでそう告げる。

 と、直後に……



  ブファァッ



「クカッ!? クカッ、カカ??? カカカッ?????」

 突如、煙と消えた彼女にストライク・ハウンドは驚愕しながら、しきりにイフスのいたはずの場所をかき分けるよう、何度も何度も両腕を振るった。

 だが掴めるものは何もなく、やがて獲物に逃げられたのだと理解した彼は、その場で悔し紛れの奇声をあげるくらいの事しかできなかった。


「カーッ、クキャーーー!! クカックカカカカカァーーーーーッ!!!!!」






 10分近く喚き散らしていたがようやく諦めがついたのかトボトボと歩き始める。


『(…… さて どちらへと いどう なされる の でしょうか? ……)』

 イフスは霧状に変化して中空よりその動向を監視していた。

 固有モンスターが街や村に向かうようならば、一足早く飛んで行って避難や対処を指示しなければいけないからだ。

 特にここはナガン領へと向かう主要街道の一つ。最寄にはサスティの町やウオ村がある。

 ただでさえ食糧難という問題を抱えている今、被害が発生し、さらなる問題が起こる事はミミのためにもなるべく食い止めたかった。


 ところがそんな彼女の考えをよそにストライク・ハウンドは意外な方向へと向かい始める。


「(… !? ガドラ山? まさか …)」


 街や村ではない。ガドラ山の、しかも方向的には先の反乱騒ぎの際にウオ村やサスティの住人が避難地として利用した場所へと向かっているようだった。


「(… あそこに すみついて いるの でしょうか? …)」

 しかし追いかける事はできない。

 ただでさえ現在の状態は負担が大きい。追跡した先で限界を迎えて元に戻るような事にでもなれば、疲弊の上に全裸でモンスターの巣の近くに降り立つ事になってしまう。


 今度はイフスが仕方ないと諦める。そしてサスティに向かったカンタル達と合流すべく、モンスターとは反対方向へと移動し始めた。








――――――デナの村。


「この度は治療の手配をしていただいてありがとうございます、村長さん」

「ほっほっほ、なになに当然の事でございますれば」

 ドワーフ族として考えてもかなり背が低い方であろうデナの村長は、ニッコリと笑みを浮かべてミミを見上げた。


 道中、モンスター・コボルトとの戦闘は予想外に手こずり、ラゴーフズとハウローが少しばかり負傷してしまった。

 モンスター達を蹴散らした後、デナまでの移動には問題なかったものの傷口が開き、さすがに手当てが必要であるとして今、別室で二人は治療を受けている。

 村長と相対しているのはミミとドンの二人だけだった。



「さてさて、それでは領主さま。此度デナへの来訪……その目的をお聞かせいただけますかの?」

 ある程度は察している、といった雰囲気を醸しつつ、村長は丸太を切って擦り上げただけの簡素な椅子が並んでいる部屋の中央まで移動する。

 ミミとドンもそれに続き、3人は対面する形で着席した。


「一つは……やはり食料問題についてです。デナの今年の収量はいかがでしたか?」

 すでに報告は上がっているため数値的なものは把握している。が、現場の実情や実態など細やかな部分については人々から直に聞いたほうが得られるものが多い。


「ありがたい事にこの村の者が飢えに苦しむ事はない、といったところでございます。それだけでも他の町や村と比べますれば恵まれている方、でございましょうな」

 しかし語る言葉に喜悦の色はない。

 そこから “ 飢えはせずともいっぱいいっぱい ” という本音が読み取れた。


「……ううん。そう、ですか。やはりデナも……」

 予想通りとはいえ多少は期待していた部分もあった。先の反乱騒ぎはアトワルト領内の中央および北部や東部が中心で、西部地域の被害は比較的軽微であったからだ。

 だが元々デナは低いとはいえ山地に位置する村である。農作に適した平坦な土地は少なく、もっぱら食料の確保は他の町や村からの買い付けが主だった。


「耕作地を増やす事ができれば良かったのですけれども」

 アトワルト領内に平地が少ないと言っても街や村の近辺を見ればそうでもない。農地を広げれば、その町や村だけならば十分に賄えるだけの土地はいずこにもある。

 ミミも兼ねてより収量の低い村に対して農作地の拡大などを支援してきた。しかしデナはそれが上手くいっていない。



平地・・こそそれなりに村の近辺にございますれば、我々としましても自給率改善を目指し、幾度となく開墾を試みております。ですが収量を現状より増やすには至らず……」

「開墾が上手くいかない原因は分かっているんですかね?」

 ドンの質問に村長は首を横に振った。


「それがどうにもわからないのです。確かにこの辺りは草一本生えぬ不毛の荒地や石山が多くございますれど、植物が生えるはず・・な地質の土地も少しはあるのです。そうした場所を耕し、作物を育ててみてはいるのですが生育が上手くいっておりませぬ」

「少し待ってください村長さん。“ 植物が生えるはず・・” とはどういう意味なのでしょうか?」

 ミミの疑問に村長は最初、首を傾げる。その質問の意味がすぐには分からず少し考えてから、あぁ、と漏らした。


「この辺りは耕しても地質が堅く乾ききった土や砂しかない土壌が多いわけですが、少しは養分の在りそうな柔らかな土壌の土地もございまして……」

「いえそういう事じゃあなくてですね。領主様がお聞きになられたいのは、なぜその土地で " 植物が生えるはず " だと言えるのか、その根拠・・の方なんですよ」

 地上は文明的に魔界本土よりも劣っており、地質調査なども行われておらずそうした仕組みや道具、知識も不足している。

 にも関わらず、不毛の地の多いこの辺りでなぜ “ 植物が生えるはず ” とまで言えるのか?

 単に他と比べて耕したら土が柔らかかっただけで、作物が育つ土壌だと思い込んでいるのだろうか。


「えぇとですね。数か月前、西のゴルオン領の方よりやってこられた旅のお方がですね、村の近隣を見回って芽吹きそうな箇所をご丁寧にも教えてくださったんですよ」

 その話を、ドンは世の中いいやつもいるもんだと簡単に捉えたがミミは眉をひそめた。

 村長の話を詳しく聞くほど彼女の表情は難しいものに変わってゆく。


「(どうもその旅人さんが、このデナに何かを仕掛けていったように思えてならないんだよね……しかもゴルオン領から来た、かぁ)」

 領地の問題もあって隣のゴルオン領主とはいわゆる摩擦を抱える相手。

 しかも風聞うわさレベルでも伝え聞くは、あまり良くないものばかりの政敵ときている。

「(聞き及んでる悪材料を加えれば、お隣さんがこっちに対して何かおイタを企んでいるのは確実……はぁ~、また厄介な事になりそう)」



「領主様、どうかしやしたか??」

 ドンが声をかけてくれた事でミミは思考から返る。

 ゴルオン領主やその風聞を知らなければ、さすがのドンもその旅人を怪しく思うまでには至れないのだろう。その表情はあっけらかんとしていた。


「……うん、やはり一度見ておきましょうか。村長さん、その旅の方が回ったところを案内していただけませんか?」

「わかりました、ではすぐにでも参りましょうか。……あ、ご配下の方々の治療をお待ちになってからにいたしますかの?」

「いえ。……ん、そう、ですね。うん、そうしましょう」

 モンスターの出現。その事を思い出してミミはラゴーフズ達を待つ事にする。


「ではそれまでの間、私達がこちらに訪れる途上に遭遇したモンスターについてのお話を済ませておきましょう。お話の途中でドンさんにもいろいろとお聞きしますので、その時はお願いしますね」

 それは主に遭遇した敵の強さや傾向など、直に戦った者としての意見を求めるという事だ。


「わかりやした。どんな事でもお聞きください」

 荒事に長けた者がいるのは本当に助かる。魔法と身のこなしを駆使するスタイルで立ち回れはするものの、ミミ自身は戦闘に関する知識の幅は狭く経験も浅い。

 モンスターが村を襲撃すると仮定して、これに対する防備なども実はよくわからない。

 だが、モンスターが現実に湧いて被害も出ている今、そうも言っていられない。

 領主として村に適切な方針と対策を促さなければならない。


「(土地の件とモンスターの件、それにあの件・・・を手配したらホルテヘ村にも出向いたほうが良さそうかなぁこれは。領内にモンスター出没警戒の流布はさっき早馬の手配をしたから2、3日で周知が広がるとしても、うーん)」

 欲を言えば全ての町や村の自警力強化に領内を巡回警邏する戦力が欲しいところである。

 しかしそんなものは逆立ちしても手に入らない。雇う金も維持できる収益も人材も、ないないだらけなのだから。


「(ラゴーフズさん達が増えてもまだまだ焼け石に水で人手不足もあまり変わらず……ふぅ、悩みは尽きないなぁ)」



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