反乱編:第6章

第34話 第6章1 動乱の外でー対岸の火事ー


―――――ナガン領北部、とある宿場町。


「買い物はすんだのか?」

「ああ、バッチリだ。いい薬草がかなり出回っていて助かったよ」

「おーい、こっちだこっち!」

 古代人間種族が残したと思われる、木造の酒場の遺跡ウェスタン風酒場とそれに関する建築資料の発見―――もう何百年と前の話だが、高齢を向かえ、引退した元冒険者発見者が己の栄光を残さんとばかりに発見した遺跡の一部を模倣して建てたというのがこの木造の宿屋だ。

 宿として考えてもかなり大きめに建てられている屋内は、常に活気に溢れていた。


「すまない遅れた。だが準備はできてる、すぐに出ようぜ」

「よし、遅れた分取り戻す勢いで急ぐぞっ」

 今しがた入ってきたかと思えば、仲間とおぼしき者たちと共にすぐに出てゆく者もいれば…

「ねぇ、やっぱりさ……エルベロ領に一旦移って、拠点かまえなおしたほうがよくない?」

 真剣な眼差しで広げた地図を睨んでいる女もいる。

「まぁな。あっちのほうがグレートラインに近いし、今なら街道も安全に……」

「けどさ、その遺跡は反対のアトワルト領の北に位置してんだろ、遠まわりすぎないか?」

 まとまらない話にうなっている一行のすぐ側を、また別の一団が歩いてくる。

彼らの会話に聞き耳を立てることもなくまっすぐカウンターに向かうと、内一人が連れの小さな体躯を持ち上げて受付とのやり取りをはじめた。

「一泊おいくらかな? できれば個室が望ましいであるゲロが」

「少々お待ちください。えーと、ひー、ふー、みー……6名様ですね?」

 仲間に持ち上げられた小人は、紳士的なスーツとシルクハットを着用している。だが、その姿は二足歩行のカエルそのもの。そしてその仲間の誰もがおよそ人の姿をしてはいない。

「お? こりゃいけねぇや。酒が切れたぞ、誰か買ってこい」

「自分でいけよ。ったく、いっつも飲んでばっかじゃねーか」

 開けたロビーの一角では宿泊客とおぼしき者たちが――翼をはためかせながら――たわいもない事で口ゲンカをしているが、険悪な雰囲気はない。

「冒険者っぽい連中が多いわねぇ。もっと静かにくつろげるところはなかったの?」

「申し訳ありませんお嬢様。ナガン領でも一番の宿と聞いておりましたので……」

 喧騒をさけようとやや離れたところで、いかにも大金持ちといった装束の女性と側仕えの男が腰掛けている。しかし男のほうは足が5、6本以上……しかも1本1本がうねうねと柔らかく波打っていた。



「やれやれ、ここも随分にぎやかになったもんだねぇ。メリュジーネ様が領主になってからどこもかしこも活気づいちゃって。まぁ、別に結構なことなんだがよ…」

 カウンターに肘かけた男はあたりをぐるりと見渡した。

 自分と同じ普通の人間種もいれば、比較的それに近い者、そしてまるで人間離れした姿の者。それらが混在している光景は本来、特別珍しいものではないだろう。

 …ただし遥かなる太古の記憶を持ちし彼――転生者――からすれば別である。前世にて醸成された常識をぶち壊してくれる、まさに珍景であった。

「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」

 愛想よく話しかけてきた女性に、男は薄ら笑いを浮かべながら片手をあげて横に軽く振る。

「おっと、今日は泊まりじゃないんだ。人(?)との待ち合わせでね、少しばかり居させてくれ」

 男が客でないとわかると、受付の獣人女性ワーキャットは肩をすくめる。

別にかまわないですけどねと呟くと、金にならない相手に時間を割くのは無駄だとばかりの冷めた態度で離れていった。


「(ホント、奇跡みたいなもんだよなぁ)」

 にぎわいを形成している者たちの中でも、彼の種族―――すなわち人間―――は、特に個体能力に劣る下等な種族だ。先ほどの受付嬢にしても見た目の可愛らしさとは異なり、その気になれば冷やかしでしかない彼を一撃のもとに裂き殺せるほどの強さを有している事だろう。

 にもかかわらず、弱者として狩られる事もなく、こうして生活圏を共有して日々暮らしていけるだなんて、弱肉強食という生態系の食物連鎖の基本からすればまず考えられない事だ。

 そんな事を考えながら、彼が宿場内の人々をぼんやりと眺めていたそのとき、


 ドンッ!


 何か大きな質量のものが肩を押しのけるようにぶつかる。

 衝撃は大きく、彼がよろめきながらも片足を踏ん張ると、古い床板がギシリと悲鳴をあげた。

「あっと、すみません。邪魔でしたよね?」

 こんなところで暴力沙汰に巻き込まれるなんてまっぴらゴメンだ。男は可能な限り下手の態度を取りながら、即座に頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ。お怪我はありませんでしたか?」

 下げた頭を上げる、が…見えるのは相手のお腹の辺りとおぼしき光景。さらに頭を上げて、ぶつかった相手の顔を確かめようと見上げる形になる。

 緑色の肌に盛り上がった二の腕、さらには天を突くように逆立った牙がなんとも恐ろしい。

 それはオーガ大亜人と呼ばれる種族だった。その巨躯で恐ろしげな容姿とはかけ離れた紳士的な口調と振る舞いが、このオーガが優れた人格者である事を物語っている。

 見た目から勝手に暴力的な相手と思い込んだ自分が恥かしくなって、男はオーガからつい視線をそらしてしまった。

「も、問題ありません、大丈夫ですんで。どうも…」

 男の言葉にそうですかとにこやかに応じ、改めて受付に向き直ったオーガは、非常に堂々としていて、社交性に富む態度で受付と話しはじめる。

 受付嬢の視線がわずかに異性を見る目になっているのが特に悔かった。

「(うわー、俺かっこ悪ぅ! いろんな意味で負けた気がするよ……。はぁ~、どうせ記憶もって生まれ変わるならさ…せめて強い種族とかに生まれ変わってくれりゃよかったのになぁ…)」

 こんなにも多種多様な種族がいる世界で、なぜまた人間…それも純潔の人間という最も底辺といっても過言ではない星の下に生まれたんだかと嘆き、自分の情けなさに男が沈みかけた、その時。


「本当かよ。メリュジーネ様が自ら軍を?」


 耳に飛び込んできた一言が、傾きつつあった彼の頭の動きを止めさせ、その意識を耳へと集中させた。

「ああ。どーもアトワルト領の反乱話は事実のようだぜ」

 話しているのはぶよぶよの脂肪を揺らしているトロールと蛇頭の亜人だ。どちらも行商人としてこの辺りで活動している連中で、男も同業者として名くらいは聞いたことがある二人だった。

「でもよ? いくらお隣さんだからっつっても、なんでメリュジーネ様が直々に軍を出すんだ??」

 聞き耳を立てていた男も思わず頷いた。



 ここナガン領は、魔族側の地上領土の中でもかなり広い。魔界の偉い方にも通じているラミア族の貴族、メリュジーネがしきっている地だ。

 同じ魔族側の地方領主として隣人を助ける事は、もちろんおかしな話ではないだろう。しかし…


「アトワルトなんて片田舎にさ、領主自ら正規軍を率いて向かうとか何考えているんだか?」

 反乱の鎮圧に加勢するのであれば、適当な部下に適当な兵数を与えて向かわせるだけで十分だ。しかも話中のアトワルト領はこのナガン領とは違い、人口も少なく、魔界本土から見ても決して高い価値のある地ではないはずで、大領主自らが軍を率いて救援に向かうのは過ぎた行為と考えて当然だ。

 興味を抱いた男は話がよく聞こえるよう、それとなく彼らの近くへと移動した。


「メリュジーネ様と同じ女領主ってんで親近感を感じているのかもな。ちょくちょく訪問してたって話も聞くし。…俺もそこらへん見込んで新しい商売ルート開拓を考えて準備した矢先にコレだよ、はぁ~…ぁ」

 トロールが腹の肉を揺らしながら参ったよといわんばかりに両腕をあげた。

 本当に領主同士の仲が良いのであれば、領地間の交流や物流にも大きな影響が出る。

 もしかすると、何かしらの商業的な政策が新たに公布される事だってあるかもしれない。商人からすればそれは大きな商機となるかもしれない話であり、男にとっても見逃せないチャンスだ。

 しかし、反乱が事実であればそれもご破算だ。おそらくはトロールの商人はすでに先を見越して莫大な投資を行っていたのだろう。

 それがすべて泡と消えるとなれば、その損失の大きさを想像するだけで恐ろしさがこみ上げる。男は我が事のようにその身を震わせた。


「おおい、今の話本当か? 傭兵とか新規に兵を募集してるとか、そういう話はないか、ん?」

 ぶしつけに彼らに話しかけたのは、リザードマンとドワーフ、ゴブリン、そして大柄な人間の数人で構成されている一団だった。いずれも己の背丈ほどもあるグレートソードや重厚な弓、高そうな装飾を施されているハルバードなどを背負っている。

「すまないが、そういう話は聞かないな……おたくら傭兵かい?」

「おおともよ。不謹慎かもしんねーけどよ、俺らのようなモンには滅多にありつけない稼ぎ話だからよぉ、争いの火種は見逃せないってワケよ」

「先の大戦でガッポリ儲けたんじゃないのか。地方の反乱程度じゃ物足りないだろ?」

 蛇頭の問いに、ドワーフが首を横に振った。


 先の大戦―――それは長い歴史の中でたびたび起こる神族と魔族の地上における覇権争いの事であり、直近の戦いはつい半年ほど前に終結したばかりだ。

 俗に “ 神魔大戦 ” と呼ばれ、過去には神と魔王が直接対決した事もあるという。

「あんな規格外のバケモノが跋扈する戦場で、満足な儲けなぞあるワケがない」

 商人達は軍事ごとにはうとい。正確には、物資の調達と売却などの商売人目線でこそ考えはすれど、戦いそのものに関しては興味がないため、現場の実情を知らない。ドワーフの不満声にも彼らが首をかしげるのはそのためだ。

「指先一つで湖が干上がり、山が砕ける。そんなのが双方あわせて数万人以上いるんだぜ? こちとら自分と同じくらいの岩一つ砕くのに10年20年費やしてようやくって感じなのによ」

 大柄の、いかにもパワーのありそうな人間の戦士がため息混じりに語ると商人達は得心し、桁が違いすぎるものなと同情の声をあげた。


 大戦ともなれば魔界本土の強者達が出張ってくるし、相手も同様だ。

 地上で最も強いとされる種族達ですらも、その足元にも及ばないような者同士の戦いでは、彼らの実力だとおこぼれのあぶく銭を得る事もままならないのだろう。

「だからよぉ、“ 普通の ” 戦争してくれるってんなら大歓迎なんだよ。な、その話もっと詳しく教えてくれねぇか。このままじゃオマンマ食い上げなんだよ~」

 まるで駄々っ子のようにリザードマンに絡まれ、迷惑そうにしている商人二人を尻目に、男はさりげなくその場から退散した。


 そして急に不安がこみ上げてくる。それは今彼が待っている取引相手についてだ。

「(たしか……今、アトワルトに行ってるんじゃなかったか?)」

 反乱が事実なら、それに巻き込まれている可能性は低くないが、彼の安否そのものは正直どうでもいい。

 しかし取引の相手が待ち合わせに来れなくなる事態は、先のトロールの不幸も笑えないほどの大損害をこうむる事となってしまうのだ。

「まずい……手持ちのほとんど使って仕入れたんだぞ? 丸々在庫とか洒落にならなさすぎる。ちくしょう、反乱とか起こしてんじゃねーよどこの誰だか知らないけどよ!」

 見知らぬ反乱軍に対して悪態をつく事しかできない。もし待ち人がこなければ、資金がほとんど底をついた現状に加えて、品物を一時保管している借倉庫の賃料など未払いの経費が重くのしかかる最悪の状況だけが待ち受ける。

 利益に目がくらんで後先考えない仕入れをした自分が悪いとはいえ、不安から焦りがこみ上げ、どんどん落ち着きがなくなってゆく。気付けば男は、周囲の人々の怪訝な視線が向けられるほどに爪を噛み、片足を揺すってしまっていた。




「やあ、お待たせして申し訳ありません」


 カツカツと音をたてて歩み寄ってくるオレンジ色の人影は、背が高く線が細い。

 手にしている、カブをくり抜いて作られた独特のランタンには、屋内だというのにいまだ炎が灯っており、魔女の帽子の先端を模したかのように固めた頭髪にも乱れはない。以前会った時と変わらぬ奇抜な格好だが、それゆえに安堵と同時に苛立ちを覚えた。

「!! ジャックさん! ……はぁ~、よかった…アトワルト領で反乱が起こったって話聞いて、超不安……いや、心配していたんですよ(取引を)」

「それはそれは、ご心配いただきありがとうございます。まずは一息つかせてくれますか? …いえ、お互いに落ち着いた方がよいでしょう。話はそれからでも遅くはありませんからね」

 やけに丁寧な口調に不快感を覚える。その態度は何事もなかったように余裕そのものだ。宿の階段を上がるその背を追いかけるように、男も階段を上り始める。

「(これで5度目だが、何度会っても胡散臭いカンジだな…)」

 いつだったか別の商人仲間から、ジャックは誰に対しても不敵な態度を崩さないと聞いた事がある。魔界本土においても鼻つまみ者として有名らしいが、それでも上流貴族から自分のように地方の駆け出し商人に至るまでなんとも幅広いコネクションを構築している敏腕であるとも聞き及んでいる。

「貸切りにしておりますので、くつろいで下さって結構ですよ」

 そんな相手と商談に臨む自分を誉れ高く思う反面、恐怖も覚える。

 かつて獣人や亜人、魔獣に天界や魔界といった概念が妄想でしかなかった、人間が霊長類最高の知能と繁栄を享受していた世界の知識と常識。それが男に教えてくれる、商談というものが本音と建前をキッチリと使い分けつつ、したたかで繊細、それでいて柔軟かつ大胆な判断も必要とする、非常に難しいものである事を。

 彼は自分の中から油断を追い出し、思考を商談モードへと切り替えた。

「(とにかく仕入れた総数の半分でいい。こちらの言い値か、それに近い額で買い取ってもらうんだ。それが今回の最低目標……よし!!)」

 まずは全経費を取り戻し、かつ若干の利益が出るあたりの価格を確実に確保する。何せ相手はジャックだ。魔族(?)のやり手商人相手に、ひ弱な人間の商人が欲深く利益を伸ばさんために頑張ってみたところで、打ち負かされる可能性の方が高い。

「今回の商品は “ 木材 ” という事で前もって問い合わせいただきましたが、数量はこれくらい準備できます。ジャックさんとは長い付き合いでもありますし、額のほうは多少勉強しますが、戦後の需給状況を考えますと、多少は大目に見てもらう事になるかと…」

 長い付き合いでもありますし―――男はどの口がそう言うのかと頭の中で自嘲した。付き合いが長い? そんなわけがないだろうと。

 にもかかわらずこういう言い回しをするのは、社交辞令の意味だけではない。

 “ これからもご贔屓に ” というアピールに加えて、こちらの要求をある程度通しやすくする目論見も含めた商人の決まり文句アイサツだ。

「(いきなり総量を提示しても、こんなに買い取れないと言われればそれまでだからな…まずは懐具合と求める実数のほどを探らないと)」

 既に準備してある、とは言わない。白紙の上に示した数量もあえて少なめに書いて見せた。もし相手が商談に対して積極的であったその時はなお余力をみせ、利益を確実なものとする。

「(ジャックにとってはたいした商談ではないはず…だからといって手を抜いてくれる人ではない……)」

 取引相手と無事に商談が開始できた事には一安心だが、商人の戦いはここからだ。どんな商売人であろうとも自分の利益を最大限に確保したいと考える。しかし欲張りすぎれば商談そのものが不成立に終わる。故に相手の近況や狙い、譲歩ラインなどを見極めながら、お互いの許容ギリギリのところまで詰めて、さらに少し利益に寄せる事を目指す。

 事前に彼が “ 買う ” 前提で持ちかけてきた取引ではあるが、油断はできない。

「ふーむ。なるほどなるほど、良い感じですね。良い感じ、なのですが。……一つお願いしたい事が」

「(そらきた! さあ、どう文句をつけてくる?!)」

 このジャックという商人は、特に手ごわい取引相手だ。

 頭がよく、こちらの商売論理を完全に抑え付けていやらしい条件をねじこんでくる事これまでも多々あった。身構えたくなる気持ちをおさえ、緊張している事に気づかれぬよう、隠すように両拳を握った。

「この倍、用意していただけますか? 価格も提示の1.5倍でかまいませんので。期限は――」

「え!? え、えええ!? い、1.5倍? 本当にいいんですか、ジャックさん!?」

 返ってきたジャックの答えは、男の予想とは180度異なるものだった。

 ただでさえ現在の木材相場は高騰している。男の提示した額だって決してお求め安い値段とは言えない。

 にも関わらずその1.5倍額で買うという――それは特大の利益を得る事ができる条件、それも自分がである。

 商談のつもりがフタを開けてみればほぼただの買い物でしかないような話に、男は何度もジャックの顔色をうかがった。

「ええ、かまいませんとも。ですが納品は……そうですねぇ、今から1ヶ月後から半年後の合間で調整していただきたいのですが、可能でしょうかね?」

「え、えーと、それは……はい、可能です……が。本当によろしいので??」

 見たことないほど人の良さそうな好意的笑顔を浮かべ、肯定を示すジャック。

 彼が何を考えているのかさっぱりわからない男は、ものの数分で終わった商談にこれまでで最も強い徒労感を覚えて、ソファーに力なく腰を落とした。




「そ、そういえば噂で聞いたのですが、アトワルト領で反乱が起こったのは事実でしょうかね?」

 まだおぼつかない気分が言葉の節々に滲み出してしまい、軽く咳払いをしてごまかす相手にジャックは苦笑しながら頷いた。好条件の商談を終えた目の前の人間の反応が楽しくて、何か意地悪でも仕掛けたくなる気持ちが沸いてくる。

「ええ、事実ですよ。ついでに申し上げれば、かの地の領主……アトワルト侯も囚われたとか……」

「それは本当ですか? そうか、ならメリュジーネ様が軍を率いて向かったって噂も本当なのかもしれないな……」

「うん? メリュジーネが? ……興味深いですね、その話。聞かせていただけますでしょうか? 代わりといってはなんですが、私もかの地で得たお話をお聞かせいたしますよ」

 体を前に寄せて、興味深げに顔を近づける。

 男は軽く後ろに反ったが、現場を見てきたであろうジャックの話に興味があるらしい。互いに改めて座りなおすと、知る限りの情報を交換しはじめる。

 人間である彼は気づかない。そうした情報こそ、ジャックが最も信頼している商品である事を。

 そして、ひそかにこの部屋を、何者も入ってこれず盗聴をも防ぐ魔法によってジャックが隔離した事にも、彼が気づく様子はない。

 後で振り返ってみても、ただ楽しく歓談の時を過ごした程度にしか思わないであろうこの男は、こうした世情についての雑談の価値をまったく理解していない、隙だらけで愚かな人間だった。

 心中で彼を侮蔑しつつも、その愚劣な存在の一喜一憂に面白みを見出しているジャックは、故に下等な生物と自分達――他の強者たる種族達――が共存できる世界が成り立っているのではないだろうかなどと考える。

 テーブルの端に置かれた愛用のランタン―――カブ製―――が、己が主人の哲学を肯定するようにその灯火を揺らめかせた。






―――――オレス村近郊。


「………えーと、これでもう一つ…ここを…ポンッと。これで解放リリースっと!」

 ミミは草原に仕掛けた<世に隠れる暗黒面シャドウ・ストーカーズ>の魔法陣を解く。すると縄で雁字搦がんじがらめになっている男が数名、地面より浮き上がってきた。

「んー! んーっ、んぅううぅーッ!!」

 ふん縛られた彼らは、ミミを見るなり情けない表情を向け、恐怖に歪んだ瞳で助けを懇願してくる。

「まぁ怖かったとは思うけど、まだマシな方なんだよ、貴方達は?」

 <世に隠れる暗黒面シャドウ・ストーカーズ>に飲み込まれた者は本来、その時点で完全に消滅する。しかしこの魔法はいかに魔導媒体を用いたとはいえ、今のミミには分不相応にレベルの高い魔法で、完璧に用いる事が出来なかった。結果、飲み込んだ者達は、縛って捕えておく程度の域に留まったのだ。

 黒いモノと戦って殺される事を考えれば、これも恐怖であったとはいえ、彼らにとっては破格の幸運だったと言えるだろう。

「……さて、と。えーと、確か…プライトラ、だっけ。隊長さんの名前は?」

 男達は激しく頷く。なんでもしゃべるから助けて! といった雰囲気だ。正直、あまり期待していなかっただけに、ミミにとってはありがたい収穫だった。

「ホントは即極刑のあの世行きでも文句言えないんだから、コレに懲りたらもう悪さしちゃダメなんだからね。貴方達、ちゃんと理解してる?」

 ミミがじっと彼らの目を見る。以前の彼らならば、可愛らしいウサギちゃんが何マジ顔つくって睨んでんだよ、おぉコエーコエー、超コエー(笑)などと思い、ミミに嘗めた態度で応えた事だろう。だが視線が交差する時間が長くなるにつれ、男達の目尻には涙の粒が膨らんでいき、やがて流れ出すと彼らは目を閉じて嗚咽を漏らした。

「じゃ、逃がしてあげる。でももうプライトラの隊に戻ったらダメだからね?」

 そういって、ミミはあっさりと彼らの束縛を解いた。普通なら、その瞬間に襲い掛かられてもおかしくない愚行だ。しかし男達はポカンとしたままミミを見上げて立ち上がらない。

「…え、え…その、…ほ、ホントに…?」

「うん、逃げていいよ。別に後から追いかけてどうこうするつもりもないし」

 それは、別にミミがお人好しなわけではない。

 単なる下っ端が数人だ。仮に敵の下に戻ったところで大差はないし、拘束して情報を引き出すにしたって、既にバランクに施した魔法でそれなりに深い情報を獲得しているミミである。それ以上有益な話を得られる可能性は低い。加えてミミにはまだやらなければならない事が多く、いちいち敵の下っ端に深く関わっているヒマはなかった。

「(まだ “ 計画 ” も半ばだし、“ 詰め ” のカードも結局は賭けだしなぁ……無事な町や村は大方予定通りに話をつけて、この “ 後 ” に向けて各地それぞれの準備をはじめてくれたから、後は……)」

 考えながら草原を歩き出す。が、そんなミミを彼らは呼び止めた。

「ど、どこの誰かは知らねぇが嬢ちゃん…い、いやお嬢様! ほ、本当に…本当にオレらを見過ごすというんで??」

「お嬢様って…はぁ、ですから、そう言って―――っ!?」

 振り返り、驚愕する。ならず者達が残らず頭を地面につけ、ミミに向かって平伏していた。

「あ、あんな魔法を使えるぐれえだ。き、きっとお嬢様は領主のお抱えの名士とお見受けしやす! ほ、本当なら俺らを殺してもおかしくねぇのに、命を助けてくれるばかりか見逃してくれるなんて…!!!」

「あ、…はは…。そんな、大げさですよ、頭を上げてください」

 ある意味、ラフな言葉遣いで接したのは大正解だったかもしれないとミミは思った。もし魔法を解いた当初から丁寧な口調で接していたら、彼らは自分を領主と思って警戒していただろう。いやマントを羽織って全身を一応は隠しているからそれでも気付かれないかもしれないが。

 しかし、もし気付かれたなら言葉に従ってそのまま逃げていたに違いない。それも領主ミミの身か情報を手土産に、意気揚々と敵の部隊へと再び合流した事だろう。


 思わぬ収穫――正体がよくわかってない自分に頭を下げてくる精神状態――を得られたことは、完全に彼女の想定外だった。

「いえ! お、俺らは…その、こんな事言っても信用されないモンですが! 罪滅ぼし…いや、そんな生易しい事じゃ償えねぇってのはわかってます! けど、けど、ただ見逃してもらうには、その……情けなさすぎてっ!」

 他のならず者達を見回すと、全員同じ気持ちだといわんばかりの顔をしていた。

「ですから何か…何か俺らに手伝わせてくだせえ! 命じてくだせえ! 領主様に取り次いで欲しいだなんて贅沢は言いやせんっ、ただせめてっ、せめてこの場を見逃してくださるというその恩返しをさせてくだせぇっ!」

「(私の事を領主お抱えの名士だと判断したのは、ワラビット族だからかな。地上にはあまりいないし、魔界から伴ってきた側近か何かと思われてる感じ? …さて、これはどう処理するのが一番いいかなぁ……)」

 まず、自分の事を正確に名乗るべきか否かだ。嘘をついて彼らの勘違い通りの身分を名乗るのは容易いだろうが、それだと後々バレた時に問題が生じるかもしれない。

 特にならず者はその関わり具合の深浅に差はあっても大抵が裏社会に生きてきた者たちだ。こうして他人に己が赤心を見せて誠実な態度を示す事など滅多にない。

 それを嘘で弄んだと思われたら怨みに思われ、再び暗い側へと傾かれかねない。

「……一つ、貴方達は間違っています。私は領主に仕える者でもなんでもないですよ。確かにプライトラの隊の行軍を事前に察知し、魔法を仕掛けた張本人ではありますが」

「え…そ、それじゃあお嬢様は一体…?」

 プライトラ軍に攻撃を仕掛けた以上は、その敵…すなわち領主に仕えている者か、プライトラが狙っていた村の者くらいで、しかしあんな魔法を使える者が後者にいるとは思えない故に、彼らの顔には前者だと思ってた…と、書かれていた。

「……ミミ=オプス=アトワルト。魔界はワラビット族の出身で、この地の現領主ですわ」

 颯爽と、纏っていたマントを取り外すミミ。彼らの前にその全身が示される。

いつものワラビット族の貴族服ではない。スカート部を取り払い、やや使い古した感のある比較的シンプルなバニーガール姿だ。しかし全体に黒を貴重とし、赤をあしらった高貴さを思わせる色味と材質の輝きは、高い格調を保ちつつ無駄な装飾を控えて実用性も考慮したデザインだった。

 その出で立ちだけでも並みの出自の者でない事は、最底辺たる者達の目にも明らか。だが、マントを羽織っている時でもかなり若い娘とは思っていたのに、それが例の領主様であったなど、ショックは大きかった。

「!? ………」

「…こ、この方が…?」

「マジか。領主って…オレはもっと歳くった奴を想像してた……」

「…こ、こんな子供が? 本当に??」

 領主である事も驚きだが、何より恐怖の魔法を用いた者がこんな若く、かつ美少女なワラビットだなどと思いもしていなかった彼らの反応は、彼女の想定内だった。

 そもそもミミは、領主就任の際にも領内の町や村に御触れを出しただけで、自らを披露するような事は一切していない。

 今をもってしても、領主がどんな姿をしているのか知らない領民も少なくないだろう。もっとも人々の前に軽々しくその身を晒さなかったのは、若さゆえに侮られて、初期の治世に影響が及ぶのを防ぐためと結構軽く考えての事だったのだが。

「りょ、領主のお嬢さん、オレを…騒ぎを起こして迷惑かけちまったオレ達が言うのもなんだがっ! お、お嬢さんの役に立たせてくれ!!」

「おお、そうだ! こんな…こんな若い娘っこががんばってるってのに、俺らはそれを…。俺も頼む、この通りだ!」

 彼らの中でも、特に歳を重ねていると見られる数人は、領主としては年端のいかぬ彼女を見て、その改心はより進んだらしい。若さゆえに侮られる事は慣れているし、特に悪く思うこともない。だが自分への年上の保護意欲からなされる、悪者の精神浄化なんてケースを見るのは初めてで、さすがに彼女も軽く戸惑う。だが今は手駒が増えるのは素直にありがたかった。


「……わかりました。では、貴方達が改心したと見込んで、お手伝いをお願いしたいと思います。事が順調に運べば、私も身動きが取れなくなる時が来る予定ですので…」


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