第33話 第5章5 制圧ー無法の始まりー


――――シュクリア、外壁崩壊より6時間後。


 このシュクリアという都市は、南の旧市街地域から北に広がり、さらに西へと伸ばした形をしている。

 形状としては東が大きな円形で一番広い面積を有しており、当然人口も活気もこちらに集中している。西へゆくほど細くなっていき、落ち着いた宿場街の雰囲気を漂わせており、人口密度は下がってゆく。

 当然、東の守りが一番厚く、細くなってゆく西側は、その形状から少数配備でも守りきれると町長は踏んでいた。事実その通りで彼の判断、ひいてはその彼にいざという時の防衛についての基礎的なレクチャーを施した領主様の言うとおりで、何一つ間違ってはいない。

「……く、う…な、なんとかあの化け物だけは、倒せた…が」

 だが、おそらくは領主様においても想定してはおられないであろう。このような未知の化け物に都市防衛の最も厚い部分を崩される事など。

 泥の怪物は物理的な攻撃のほとんどが効かず、その身を盾にして押し寄せ、ゴロツキ軍団を都市内部になだれこませた。結果、シュクリア側は一気に壊滅していった。


 徹底抗戦したものの、戦果はほぼ泥の化け物1体のみ。町長と生き残った自警団の面々も捕らわれてしまい、後ろ手に縛られて槍の穂先を突きつけられての監視の中にあった。

「ちくしょう、オレ達の町をっ」

 何人かのまだ元気のある自警団の団員が、悔しそうに歯噛みしながら、あちこちの店や家屋から物品や金銭を強奪している連中を睨む。


 ガスッ!!


「ぐふっ…、く…くそ…」

 彼らを見張るゴロツキが手にした槍の柄で殴りつけ、意気揚々と見下した。

「静かにしていろ。死にたいなら別だがな、ハッハッハ!!」

 強奪に加われないのは残念だが、圧倒的優越感を得られるこの役目もまんざらではないと笑みを浮かべる彼ら。


 今やシュクリアは、リジーン軍に制圧されていた。




「想定以上に粘られましたが……ひとまずは “ 計画通り ” ですかね」

 バランクはまずは一息と肩の力を抜いた。最低でもアレクスの計画通りに都市制圧を完遂してさえいれば、ここから先は押し付けられた分担外だ。革命軍御大将殿の計画通りに事を運んでおいたのはここからの行動に対する保険である。これでバランク達の自発的な行動――プラスアルファ分――の成否については問題にならないし、咎められても計画分はキチンと仕事をこなしていると反論できるというわけだ。

 そうして組織内での安全を確保しつつ、ここからが賭けを伴う勝負に打って出る事となる。


 ならず者達にリジーンを迎えるよう準備をさせつつ、適当な店の軒先から売り物であるはずの飲み物を無造作にかっぱらって口にする。

 もちろんお金など払うわけもない。今やこの都市の全てがリジーン軍、ひいてはアレクス革命軍の所有物であるのだから。

「やっほー、バランクちゃん。やー、ごくろーごくろー♪」

 まるで威厳のないリジーンの声が聞こえ、そちらを伺う。やはり輿に乗ったままで直属の部下達に囲まれながらの御参上だ。しかし彼はもはや文句を言う気すら起きなかった。

「約束どおりこの都市は任せますよ、リジーン」

「オーケーオーケー、…うししし、この街丸々あたしのモンかぁ~…うん、悪くないな~♪」

 リジーンの性格だと、この後シュクリアは彼女のワガママとやりたい放題にさらされる事になるのは想像にかたくない。それこそ女王様気分で支配する事だろう。

 それは街の人々の反感を一心に買う行為である。アレクス革命軍に悪名の限りを吸い上げてもらえれば、その影で好き放題に動けるバランクとしてはまさに願ってもない。

「(こんな片田舎の都市ひとつで喜ぶなど…まぁ、こちらの意図通りに事が運びさえすれば、なんら文句はないですから、せいぜい悪行の限りを尽くしてくださいよ…)」

「でもホントにいーの~? なんかバランクちゃん、切り札っぽいの使ってしかも倒されちゃったっぽいじゃん?」

 彼女はのたまいながらも完全に崩壊した外壁の一角を伺った。瓦礫の山と敵味方の死骸が、動かなくなった泥と共に山となって散乱している。

 バランクにとって、泥の魔物ゲフェを失った事は損失にはならない。時間にヒマをもてあましている際に、手駒として使えそうなものを湿地帯で見つけ、なんとなく捕まえておいただけの、経費も行動的な無駄も一切なく得られただけのものだ。

 必要ならばまたぞろ新たな魔物なりを支配下に置けばいい。本当ならゲフェは、領主を捕えるにあたり邪魔になる友軍を “ 致し方ない巻き添え ” として排除する目的で使えるかなどと考えていたものだ。強いていえばこれから向かう領主館にてバランクが取れる手数が一つ減った、という程度でしかない。


「何、計画通りに事を成せたのですからね。それよりもリジーン、私はアレクス隊を追いかけ、これより領主館の方へと赴きます」

「え、何? まだ向こう戦ってんの? 確かあたし達より攻めはじめるの1日くらい早くなかったっけ??」

 規模でいえば領主館の方が小さく、攻め落とすのは容易いはずだ。事実、可能であれば早々に領主を捕えてそれを声高らかに喧伝し、シュクリアも流す血を抑えて陥落させられれば最良、という話もあった。

「ええ、アレクス隊やバヴォック隊からの連絡はまだ何もありませんゆえ、おそらくは」

「じゃあ5、600人くらい連れてく? それくらいならバランクちゃんにあげてもいーよー」

 さすがのリジーンも、ゲフェを失っているバランクから丸々シュクリアの手柄を貰っては悪いと思っているらしく、珍しく気遣いモードだ。それを戦闘開始時から将として、兵達に向けて繊細な指揮を取る事に傾けてくれていればと、バランクの頭の中は彼女への文句で埋め尽くされる。しかし表情ではしっかりと笑顔を取り繕った。

「お気遣いなく。それよりも当初の計画では…リジーン。貴女の隊より西方攻略の第一陣を出す事になっていたはず。兵を割くならばその事をお忘れなきよう」

「わーってるってぇ。確か…ハロイド、とかいうとこに何百かの分隊を出せばいいんでしょ? ちゃーんとやっとくって、心配むよーよー」

「では、この都市と後の事もしかと頼みましたよ」

「ほいほーい、バランクちゃんも気ーつけてねー」

 まるっきり危機感のない見送る言葉を背に、バランクは都市の南門へと向かう。アレクスの計画通りに各地の事が運んでいるとすれば、こちらにいまだ連絡のこない領主館の戦況はまだ厳しい状況にあるとみてよいだろう。

「……バランク」

 歩みを止めないバランクと歩調を合わせるように猿亜人ハニュマンが合流する。

「どうでしたか、あちらの状況は?」

「思った以上に領主が粘ってるみてぇですぜ。バヴォック隊が壊滅し、バヴォックの野郎もおっ死んだようだ、ケケケ」

 反対側にやはり歩調を合わせて合流した河童ウォーターインプが、邪悪な笑い声をあげた。

「ほう。それはそれは…、随分とよい展開ではないですか。一時はどうなることかと思いましたが。…ククク、どうやら戦功を掻っ攫うは容易そうですね」

「今はオーク豚亜人の野郎が、アレクス隊に混ざって様子を伺ってるはずだぜ」

 そうこう話を進めているうちに、一行は南門を抜けた。眼前に丘領地が広がり、続いている道の先、一番小高い丘の辺りから戦いの声があがっているのがうっすらと聞こえる。

「では我らも早々に参るとしましょうか…っ」

 歩けば数時間を擁する距離。だが彼らは己の身体能力を駆使して走りはじめた。全力疾走ではないが1、2時間もあれば到着できるだろう。これが兵を伴っての行軍となるとそうはいかない。何よりバランクには援軍に駆けつけるにあたり兵士を伴う必要がなかった。

「(フフフ、待っていなさい。アレクスの驚愕する顔が目に浮かぶようですよ)」

 走りながら懐にしまっている小さな宝玉を握り、その存在を確かめる。これがある限り、領主の館での戦いにバランクは必勝の自信をもって乱入する事ができる。

 それほどの秘密兵器たる宝玉は今はまだ、彼の手の中で静かに身を潜めたまま穏やかな輝きを放ち続けていた。







――――サスティの町北壁付近、仮設テント。


「昨日の別働隊の突っ切る作戦は上手くいった。アレで連中をだいぶかき乱せたからな」

 ドンはテーブルに広げた地図の上に、木片を彫って整形した簡易駒を並べながら語る。各持ち場の責任者は、彼の話を真剣に傾聴していた。ならず者達が攻め寄せてきてより約3日。当初こそ、ゴブリンであるドンをまだ侮る気持ちが少しあった彼らだが、この3日間でそれは完全になくなっていた。

 ゴブリンの見た目からは考えられないほど彼は頭が良く、そして現実的な視点で理路整然と作戦を立ててきたのだ。

「ともかくだ、ベッケス軍の連中は北にまとまって展開したままで、町を包囲しようって雰囲気は今んところはまったく見られねぇ。いくら多いっつっても、こうしてまとまってくれてりゃこそ、こっちも混乱させる手が打てたってモンだ」

 駒を動かしながら話すドンに、彼らも深く頷く。ゴブリン族は元々非常に数が多い。それでいて種族としての生まれ持った力は、あまり高くないがゆえ、使い潰しな仕事や役目に就かされる不幸もさして珍しくない。

 だが繁殖力が高くて数が多いということは、時に傑出した者を排出する可能性も高くなるという事だ。目の前のドンという存在がそれを証明していると、今や彼らはドンの指揮のみならずその存在そのものにも一目置いていた。

「けど、別働隊による作戦は敵中に突っ込む分、負傷もしやすいからな。かといって負傷したモンの代わりを当てるほどの人的余裕もねぇからこの手は何度も使えやしない。脚になる馬も限られてるし、魔獣でもいりゃ話はまた違ってくるが…ま、そりゃあないものねだりってやつだしな」

「では、今度はまた違う策をとると?」

 ドンが何を考えているのか興味ありげに聞いてきたのは、鳥亜人バードマンの男だった。旅人の装いの彼は、偵察と警戒を担う小隊を指揮している。

「ああ。ゲトール町長が町のみんなを避難させるまで連中を引きつけなきゃなんねぇ。この戦いにおけるコッチの目的はあくまでもソコだ。そろそろ避難完了してもいい頃だし、今日明日でしまいになるだろう…だが、その時に問題となるのがオレ達だ」

「そうか、必然的に防衛にあたっている私たちが殿しんがりとなってしまう……」

 理解の色をすぐさまに浮かべ、途端に難しい表情を浮かべたのは、戦いの負傷者をまとめ、後方支援の指揮を任されている半植半人ハーフプラントの女性だった。潤いたっぷりの緑の触手が束となっている髪が、プルンと揺れたかとおもうと力なく垂れ下がっていく。

「どういうことだ? 町の者の避難が完了したならば、心置きなく戦えるという事ではないのか??」

 イマイチよくわからないと首をかしげるは別働隊を指揮し、敵陣に打撃を与えたばかりで未だ気分が高揚している陸竜人アースドラグンだ。迫力ある頭部が、まるでモノ知らぬ幼子の顔でも見ているかのような錯覚を覚えさせる雰囲気を漂わせる。

「どこまでいっても数で負けてるんじゃ、真正面きって戦う事は無理だ。多少数を減らせても、減ったら減ったで相手も何かしら手ぇ打ってくる。けどこっちは援軍も見込めねぇから、負傷者が増えれば増えるほど戦力は失っちまう」 

 今でこそ互角以上に渡り合っているが、負傷者が増えるとそれを守ったり運んだりする要員も増える。一方で敵は負傷者など歯牙にもかけないような薄情者たる反社会的なならず者達だ。単純な数字の多寡以上に、戦える兵数で見ればその差は縮まっているとは言いがたい。戦力増援の手が戦闘開始前に確立されているのであればともかく、こちらは消耗の一途である以上、残念ながらこのまま戦い続ける事自体難しい。

 つまり、ドン達もどこかのタイミングで町から撤退する作戦を取らなければならないのだ。

「理想は、相手さんが俺らが逃げたのに気付かず、2、3日ぼーっとしてくれてりゃ最高、ってトコなんだがなぁ」

「さすがに敵もそこまで間が抜けてはいないだろう。つまり、我らは町から撤退する際においては、必ず敵の追撃を受ける事になるのが最大の難問、というワケだな?」

 バードマンに軽くその通りと応えてから、ドンは再び地図に視線を落とした。サスティの町とその周辺を記した図を注視しながら、どうにかしていくつかの作戦を捻出せんと考え込む。

「(一つ、敵がこっちの動きの変化に気付くのを遅らせる策。二つ、オレらが逃げ切るためにも、追撃してきた連中の足を止めるような策。三つ、町のみんなが避難してる先を知らされないよう、オレ達が逃げる場所を悟らせねぇための策。そんで逃げ先を誤って伝わらせる策……の4つだな)」

 視点がめまぐるしく動き、地図の隅々を見回すドン。ゲトール町長の知らせを待ってから準備に取り掛かってもよいかもしれないが、敵が陣容の立て直しに忙しく、大きく攻勢に出られない今のうちに撤退の準備を終えておく方が効率的だ。

 避難完了の報が来るまではマニュアルどおりの防衛戦でもたせられるし、下手な策を打っても、撤退の際に多くの労力を割く事になる重傷者の搬送量が増えるだけ。ならば今この時点で、自分達が可能な限り安全に撤退可能な方法を今こそ模索しなければとこのゴブリンは懸命にその頭脳をフル回転させるのだった。




 騒がしくならず者達が動き回る中、ベッケスは忌々しい思いでサスティの外壁を睨んでいた。

「おのれ、せっかくの我輩が美しき軍容をっ」

 幾何学的に隊列を組ませての陣立てを成すに一体どれほど苦労した事か。覚えも悪ければ軍の機能美たるものを理解しないゴロツキ達を、兵士として扱うのがこれほど面倒とは思っていなかったこの半人半馬ケンタウロスは、さきほどから手にした長い指揮棒をしきりに地面へと叩きつけ続けていた。

「ええい! 貴様らッ、とっとと隊列を立て直せ! そこぉッ、整列したまま待機だっ、せっかくの美しい列を乱すんじゃあないっ!!」

 所詮ベッケスは軍事愛好家ミリヲタでしかない。実戦において無意味とも思える事にばかりこだわり、その戦略も作戦も、何かの受け売りのような内容ばかりだった。

 実際には万戦で等しく通用する戦い方などは存在しない。戦地・人材・情報・天候・敵状などによって常に左右される。確かに兵法など、多くの戦闘において共通する軍事論法は古今語り継がれているが、それはあくまで基本の話でしかない。

 例えば今回のように外壁を持つ町を攻める、いわば攻城戦とも呼べる戦地にあっても、同じ外壁を持つ町としてこのサスティと、シュクリアを例に比較してみたならば、この二箇所での状況はまるっきり異なる。まず擁している外壁の高さが明確に違うがゆえの拠点防御力の差に加え、町の規模からして防衛戦力たる兵力にも差が出る。さらには町の周辺地形にしてもまるで異なっている以上、この二箇所の攻略にて同じ戦略はまず通用しない。

 そんな奥深い軍事戦略の世界で、生半可に聞きかじっただけの攻城戦を想定した戦い方がそのまま当てはまるはずなど当然ありえない。サスティという町にあわせて上手く応用や応変を加えなければ効果的でないのは、ゴロツキ達でも荒事の経験豊富な連中ならばよく理解している事である。

「(くっそ…うっとおしいヤツだぜ)」

「(そういうな。一応は隊長なんだからよ…)」

「(なんだよあのそれっぽい軍服みてーの。うぜぇ…)」

 事実、ベッケスの指揮や作戦は、サスティ側の指揮を取っているドンからすれば非常に読みやすく浅い。ゆえに寡勢でも十分対応可能なものばかりだった。皮肉な事にベッケスの将としての間抜けさが、サスティ攻略の遅滞要因の一つとなっていたのだ。


「おーい、ベッケス!」

 呼ばれた本人は苛立ちもあって、ジロリと睨みかえす。

「あ、悪い。ベッケス将軍殿、だったっけか。あー…えー…、ああ、こうか。報告ッ!」

「うむ」

 周りはあきれ返って声もでない、この軍隊風なノリを強要する無意味さに。報告にやってきたならず者も面倒とは思いながらも、こんなアホと言い争って無駄に疲れたくないという思いから、ベッケスの要望どおりに振舞っていた。

「敵に動きアリ! 外壁の上から兵の気配が消えたとの事です」

「何?」

「加えて、壁の向こう側が騒がしいとも。どうも兵を動かしているようですが」

 昨日の別働隊による奇襲を受け、警戒を強化していたベッケス達はそれを聞き、また奇襲を仕掛けんと準備をしているのではと考えかけた。

「一つ、奇妙な事が……」

「なんだ、もったいぶらず早く言え!」

「ハッ、門が開いている、と。それも全開で開け放たれているそうです」




―――サスティの町中、東住居区画。


「ちょっともったいねぇけど…」

「躊躇するな。どうせヤツらが入ってきたらメチャクチャにされちまうんだからよっ」

 男達は数人がかりで、家という家に油を撒き散らし、燃えやすいわらや、風呂を沸かすためのたきぎなどを随所に配置していた。

「皆さん、急ぎましょう! 敵はいつまでも待ってはくれませんぞ!」

 町の人々の避難が完了した事を伝えにきたゲトール町長は、そのままドンの作戦の一端を準備する現場指揮に入り、叫びながら市街地を走る。逃げ遅れがいなかの確認しつつ、作戦準備に当たっている彼らを鼓舞してまわっていた。


 町長が作戦当該地域を一周して東門に戻ってくると、ドンは何かの植物を織り込みながら紙縒りこよりを作っていた。

「ドン殿、それは?」

「火ぃつけると、軽く破裂する雑草さ。あと長く燃え続けやすい葉っぱに、油分が多い植物の茎をこうして…」

 それは自然物だけを材料とした導火線だった。敵に発見され、火を消される可能性をも考慮したものを、その辺に生えている植物と紙のみで作りあげるなど、そう誰にでもできる事ではない。

「博識ですねドン殿は。さすがです」

「よ、よせやい。こんなもん、たいしたことねぇって…」

 自身の知識を褒められる事がこんなにも嬉しいだなんて、思いもしていなかったドンは恥ずかしそうに顔を赤らめた。しかしその手の動きを鈍る事なく、むしろスピードアップする。

「…ここを、こう結んじまえば……よし、出来た。町長、悪ぃがこっちの先端を、持って、幾つかの家の油なりに触れるように配置しながら、もう一度まわってきて欲しいんだ」

 そういって差し出された紙縒りこよりの先端をつまみ、ゲトールは手繰るように視線を動かす。かなりの長さを編んだらしく、ドンの横には何重にも円を描いて積まれていた紙縒りの束があった。

「わかりました、おおせつかりましょう」

「オレはその間に他の連中の撤収を促す。もういつ押し寄せてきてもおかしくねぇからな…急ごう!」

 外壁上にはもう味方の兵はいない。戦闘のために張った各種テントも全て引き払い、必要最低限の物資も先ほど運び出し終えた。今、このサスティの町を奪われたとしても、惜しいものはほとんど残っていない。

 これで最後と二人は頷き合い、互いの役目のために走り出した。





 ドガッッ! ガラガラガラ…


 積み上げられたバリケードの山を蹴飛ばし、ならず者は周囲を見回した。

「……やっぱも抜けのカラだぜ」

「そっちもか、向こうも誰もいなかったぞ」

 仲間が合流するなり交わす互いの言葉は、いかにも拍子抜けだと言いたげだった。加えてまた無駄な隊長の判断で好機を逃した事への苛立ちがにじむ。

 一本の矢も投石も受けることなく、楽にサスティの町へと乗り込んだベッケス軍の兵士達。しかし随分な時間をかけて誰もいなくなっている町中を確かめてまわるハメになった原因……隊長への不満として、これまでの積もりに積もったものも含めて愚痴として吐き出す。

「なーにが、“ ハッ! これは罠だ。その手には乗らんぞ、フフフ… ” だよ。ざけんじゃねーぞ、あのかぶれ野郎―――」

「しっ! ちょっと待て…東? 何か聞こえるぞ」

 二人は町の東部の方を伺う。すると次の瞬間、立ち並ぶ家屋の屋根越しに炎が噴出すようにして上がったのが見えた。

「なっ、火事!?」

「それにしちゃいきなりだな…。確かあっちは……本隊が残党らしい影をおっかけて向かった方じゃないか?」




 ―――サスティの町、東門の外。


「火の手が上がった! ドンさんの合図だ、撃て撃てー!!」

 町の外から壁を越えるように山形の矢を放ち、石を投げつける人々。最後まで残った殿しんがりを務めるサスティの防衛部隊だ。

 攻撃は当たらなくてもいい。しかし突然の火災に加えて上空から攻撃が飛んでくれば、敵は伏兵に囲まれ罠に嵌められたと最初は思うだろう。それで一瞬でも敵軍がその足を止める…あるいは後退してくれれば、一番最後まで残って火付け役をつとめたドンとゲトール町長が脱出しやすくなる、という寸法だ。

 なので開いている東門に攻撃を打ち込みはしない。射手や投擲手も一人一人がその事を十分に理解しており、1本1石たりとも誤射はない。

「見ろっ、二人だ!! おーい、ドンさーん、町長ー! こっちだー!!」

 大小二つの影が、煙の充満した門をくぐりぬけ、走ってくる。彼らが出てきたのを確認し、開いた門戸の両脇に伏せていた数人が、頷き合って扉を閉め始めた。

「「そーれっぇ!!」」


 ガゴゴゴゴゴ………ゴゴォンッ!


 閉まっていく門の向こう、煙の先からゴロツキどものあげる下品な歓声とシルエットが見えていたが、彼らが東門をくぐり抜ける前に扉は閉ざされた。

「よし! “ ロック ” だ!」

 合図と共に、力自慢の数名が大きな岩を転がしてくる。内部にはかんぬきがあるが、門の外側には開閉を制御するものはなにもない。

 サスティの門扉は内にも外にも開く仕組みになっているが、事前に溶接で工作を施し、内側には開かないようにしてある以上、外に大きな岩を置いて塞いだ今、よほどの力がなければ東門はもはや開く事はない。

 ましてや東門の中、門付近の区画は現在火の海だ。ドン達を追いかけてきた敵は門から外へと脱する事もかなわず今頃はまさに、阿鼻叫喚の混乱の中にある事だろう。

「すぅぅぅ……よしッ! 十分だ皆、逃げるぞっ、“ ウオ村まで ” 走るんだーーー!!」

 ドンは思いっきり息を吸い込み、可能な限りの大声で叫ぶ。殿しんがりの面々はオウッと声を揃え、言われたとおりに走り出した。

「急いで! 皆さん急いで “ ウオ村 ” へ!! 敵はすぐ追ってきますよ、“ ウオ村 ” へと逃げ込むんです、急いで!!!」

 さらに町長も声を張り上げる。これもドンの作戦の一つだった。


 いかに町の区画一つを火の海にしても、敵兵が全員が焼け死ぬほどではない。当然、生き残る者も相当数いるだろうし、中には無傷で済む者だっているはずだ。実際、遠ざかるサスティの町を軽く振り返ったドンの視界には、壁の上に這い上がり、こちらを観測する敵兵の姿がチラホラ見てとれていた。

 これでドン達も、そしてサスティの町にいた人々も “ ウオ村に逃げた ” と相手は思ってくれる事だろう。

 後は敵の追撃に気をつけながら、いいところでガトラ山へと逃走ルートを転換すればいい。

 ウオ村は、サスティへと赴く前にミミから承っていた事前の策を実行したため、すでに誰もいないはずである。しかもサスティの町の攻防戦で相当な余裕が生まれたウオ村には、住民も旅人も、己の財貨を全て抱えて避難するだけの時間があった。これからベッケス軍がウオ村へと進軍しても、再び何もない村を手に入れるだけになる、というわけだ。

「(ふう、けど……これからどうすりゃいいんだ? 館の方はどうなってるんだ? 大丈夫なのか? 領主様、イフスの姐さん、そしてメルロ…無事でいてくれよッ!!)」





―――――領主館。


 館の周辺も、そして館の内部1F玄関ロビーから廊下にかけて、多くの死骸が転がっている。

「はぁ、はぁ……ぅ…、…っ」

 メルロの頑張りでバヴォック隊はほぼ壊滅。1000人もいたはずの部隊は今や生き残りに僅か80名程を残すのみとなっていた。

「やれやれ、我々が来なければどうなっていたことやら…、ねぇアレクスさん?」

 アレクス隊もバヴォック隊が攻略した後に、館をしかと制圧するための補充隊の意味合いが強く、その兵数は元より150と少なめだが、館の1Fで激しい戦闘を繰り広げた結果、今や半数以下の60人しか生存していない。

 はっきりと言ってしまえばアレクスと戦死したバヴォックは、メルロがたった一人で守っていた領主館の攻略に、事実上大敗したといっても過言ではない状況にあった。

「……バランク、シュクリアはどうした?」

 しかし、事態は急転した。

 バランク一味が館へと到着し、アレクスがそれを識るところとなる前に戦列に加わっての僅か数分、2Fにいたメルロを捕える事に成功したのだ。

「もちろん、リジーンさんと共に制圧いたしましたとも。むしろこちらはなぜ、こうも手間取っていたのか、不思議でなりませんよ」

 巨体のオークに両手首を掴まれて吊り下げられる形で捕まっているメルロ。

 バヴォックを屠った黒い騎士を操るので心身ともに消耗しすぎた彼女は、メイド服のスカート部分を乱暴に脱ぎ払ってまで気力を振り絞るなりふり構わなさで魔法陣を操作し、アレクス隊の猛攻に徹底抗戦し続けた。だが意外な敵が彼女を羽交い絞めにした事で、決着は一瞬にしてついたのだ。

「……ぅ、……く…、…はぁ、はぁ…、ィフ…スさ…ん、……」

 両手を前に組み、まるで物言わぬ人形の如くオークの隣で佇んでいるメイドは、自分の名を呼ばれても微動だにしない。

 イフスが羽交い絞めにしていたメルロをバランク一味が捕えた事で、この館はようやくアレクス革命軍に制圧される運びとなった。

 彼女を捕える時、猿亜人ハニュマン河童ウォーターインプが “ 多少 ” 無茶をしたためにメルロの衣服はボロボロになり、その衣服はかろうじてワラビット族メイド装束の残滓を留めている状態だった。あちらこちらが裂け、肌が露出している分、余計に下衆な連中の悪欲をそそる格好となり果ててしまっている。

「さてアレクスさん、何か文句がおありでしたら聞きますよ。もっとも? たかだか館一つ落とすのに、随分と苦労と犠牲を払われた身で、我々に異議があるとは思えませんけどねぇ、クックック」

 勝ち誇ったように笑うバランクに対し、アレクスは苦虫を噛み潰す事しかできなかった。言いたい事は多いがバランクの言うとおり、自身の組織最大の功労者に異議申し立てる資格は今のアレクスにはない。

「……さて、誰もが私めらの活躍を認めるところであると理解していただけたところで……、“ コレ ” の処遇はいかがいたしますか、アレクス総大将殿?」

 吊り下げられているメルロを、オークは低い位置まで下げる。するとバランクが懐からナイフを素早く取り出し、下から彼女の豊かな胸を突っついた。

「っ……、ぅ…う……」

 彼女の心身の疲労が限界である事は、敵であるアレクスから見ても明らかだ。これ以上、無体に扱うわけにはいかない…だが、“ 領主 ” たる彼女には聞き出さなければならない事が多いのも事実だ。

「……ドウドゥル駐屯村へ護送だ。それと領主を捕えた旨も、各地に喧伝する。それでどの町や村も、我らを容易く受け入れる事だろう」

 アレクスはアトワルト領主は悪名高き者と信じきっている。ゆえに民衆も、彼女の捕縛を示さば、喜んで自分達を認めてくれるようになるはずだ…と、確信していた。

「(クックック、相変わらずのおバカさんですね、アレクス。せいぜい夢みていなさい。その間に我々はいただくものをいただき、さっさと退散させていただきますゆえ、後の責任をすべて負いながら絶望に沈んでいくがいい…)」

 だがバランクは後に激昂する事となる。メルロの兎耳と兎尻尾がアクセサリーである事に気付いて。

 そしてこの一連の流れも、メルロの危機も、イフスの異変も、バランクの考えも……その全てを把握しながらも、本物の領主様はというと、今もなお領内を駆けまわっている最中だった。


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