第105話 第8章3 コソコソしましょう



――――――デナ近郊。



「お前さんもなかなか苦労してきたクチじゃのう。……ま、一杯やらんかい」

 そう言ってゴビウは、手持ちの徳利とっくりから酒を注いだ小さめのコップをカンタルに渡した。



「いえ、仕事中ですのでお酒は―――」

「心配いらん、こいつは酒ではない。ちょっとした精神安定用の飲み物じゃよ、ホレ」

「は、はぁ……ではいただきます」

 確かに酒特有の香りはない。済んだ水のようなコップの中の水面を大柄な甲虫亜人はしばし見つめ、そして一気にあおった。


「? ……変わったお味ですね、コレは」

「ファッファッファッ、そりゃあのう。本来であれば戦場のようなピリピリした場所で、過度に昂った精神をなだめる用――――いわば薬のようなもんじゃから、酒のように美味いモンではないわい」

 言われてみると何だか気分がなだらかになってきた気がして、カンタルは穏やかな表情を浮かべる。


 地面に置かれたミミより預かった魔導具が、この辺りの魔力を吸収している真っ最中。

 目を離すことなく様子を観察しながらも、ゴビウとの会話をこなす。


「なるほど……傭兵の方ならばこその携行品ですか。ご馳走になりました」

「気にするな。ワシが聞いたせいで嫌なことを思い出させてしもうたんじゃからのう。……ま、生涯にはいろんな事が起こる、生きてるだけで儲けものじゃと思うて前を向いてゆけばよい」

 体躯は真逆の小柄なドワーフ。しかしカンタルにはゴビウの姿が自分よりも遥かに大きく見えた気がした。




「お気遣いありがとうございます。……ところでそちらのご用事はもうお済みに?」

 ゴビウは、滞在で世話になってる礼としてミミに何か手伝いをと申し出た結果、このデナ近郊にて、ドワーフ知識を期待されて鉱脈調査をお願いされた。


「うむ、あらかたのう。多少深くはあるが掘れば出るモノは出る、といったところじゃ。鉱山開発の条件としちゃあ悪くはないが、何が埋まっとるかまでは実際に掘ってみねば分らん。地表に痕跡・・が露出しておらぬからのう」

 比較的浅いところに鉱脈が眠っている場合、それらしい痕跡が周辺で見られる。転がっている石ころにごく僅かに鉱物が含まれていたり、付近の川の水に鉱物成分が多く含まれていたり……


 しかしそういった痕跡がまったくない場合、鉱脈が存在しないかもしくは深い位置にあって地表には一切その兆候が表れないかのどちらか。


 ゴビウは、デナ村長の案内を受けて周辺を丁寧に見て回り、ドワーフ族に伝わる知恵を持って調べた。

 結果、エミラ・スモー山脈の地中深くには確かに鉱脈があると結論付けていた。




「ま、もう少しよく調べてみんといかんがのう。8割がた自信はあるが、裏を返せば2割はまだ確信が持てておらんでな」

「なるほど……調べた結果に絶対の自信を持てるまでは調査を重ねると、素晴らしいお心がけで―――」


 シュウウウンッ………


「! どうやらこの辺の魔素を吸い終えたようです。自分は移動します」

 魔導具の宝石部分の輝きが完全に消えたのを確認すると、広げて置いていたそれをカンタルは丁寧に両手で取った。


「その道具は身に付けたまま使えるのではないか? 何故に地面に置いて使うておる?」

 ミミから預かった魔導具は、中心にこそ核となる宝石が付いているものの、全体としてみればバンダナそのもの。明らかに着用を前提としている。

 しかしカンタルは地面において、辺りの魔素を吸収してはまた別の場所へと移動してを繰り返していた。


「魔導具は貴重なものですから。仕事ゆえ自分がお預かりしておりますがミミお嬢さんの持ち物……おいそれと身に着けるのは恐縮でして。それに任を果たすためには、身に着けて歩き回るよりこちらの方が丁寧かつ確実なのでは、と」

 まあ自分が不器用なだけかもしれませんがと言って軽く笑うカンタル。その様子を見ながらゴビウは、合わせるように笑いつつも驚きを持って思考を巡らせた。



「(ふーむ、思いのほか慕われておるようじゃのう。確かに領主として良き才覚はあろう程度には思っとったが……なるほど。ドーヴァの奴もほだされとるし、若いとはいえワシが思った以上に優れた御仁だったようじゃの)」

 正直に言ってしまえば、彼はミミを侮っていた。


 ワラビット族で見た目は確かに非常に良いものを持ち合わせている。が、それは人物として、また領主という一定の立場にある者としての評価に含められるポイントではない。

 あまりに若すぎる小娘であり、こんな小さな・・・田舎領地ですら治めるのに四苦八苦していることを知って、分不相応かつ能力不足ではないかとさえ思っていた。


 なので、あくまでもゴビウとしては本業である傭兵仕事にて、正式かつ正当な条件で頼んでくるのであれば受けてやらなくもない、良質な依頼人クライアントになるやもしれん、といった感覚でしかミミ=オプス=アトワルトという人物を見ていなかった。



「(……ワシも知らぬ間に耄碌もうろくしとったか。やれやれ、まだまだ老いが気になる年でもないというに、ドーヴァの奴を笑えんわい)」

 年若くて見た目だけの娘に熱をあげおって―――心の底で相棒を笑っていた自分が恥ずかしい。

 見る目がなかったのはどうやら己の方だったかと思うと自嘲が込み上げてきた。


「……、よしカンタル殿よ。お主の仕事、ワシも手伝おう。魔導具については多少知識もあるでな」

「え? いやしかし、ゴビウ殿には鉱脈調査があるのでは?」

「問題ないわい。残り2割の調査は近辺の土を調べる試掘がおもじゃて。場所をカンタル殿の移動に合わせよれば同時に進められるわい、ファッファッファッ」



 

 ・


 ・


 ・


 その頃、相棒のドーヴァはというと……


「……うむ、誰も……おらんようじゃな?」

 キョロキョロしながらミミの寝室から出てきて、何食わぬ顔を意識しながら気持ち早足で部屋から離れんとしていた。




 と、廊下の先の角を曲がるところに差し掛かったその時―――


「? ドワーフのおじちゃんなのです、こんにちはです」

 バッタリ会った小さな影から挨拶され、仰天しそうになるのを辛うじて堪える。


「!! お、おお、ルゥリィ御嬢ちゃんか、こんにちはじゃの。こんなところで何をしとるんじゃ??」

「庭の木に果物がっていたのです! ミミお姉さんにお差し入れに持っていこうと思ったのですよ」

 そう言って、丁寧に包み持っていた実をドーヴァに見せてくれる。黄色い果実が一つ、小さな両手の平の上いっぱいを使って乗っかっていた。


「ほお、ピュシルムの実じゃな。やや硬めの皮の下に柔らかく瑞々しい果肉と果汁を蓄える果物じゃが……うーむ、この実はまだ若いのう。残念じゃがもう数日置いておかねば食べられぬじゃろう、イフス殿に言うて預かってもらうとええぞい」



―――ピュシルムの実。


 柿のような外皮の中にすもものような果肉を持ち、小さな実1つですらコップ1杯にもなる多量の果汁を含んでいるフルーツの一つ。


 ピュシルムの樹は幅広い環境で生育し、放置していても育つため野生でも農園でもよく見かける果樹だが、実が大きくなるまでに相当な時間がかかる。

 しかも、1本の樹に1個でもればラッキーという個数の少なさと成果率の低さから市場に安定して出回らない。その希少性から高級果物に分類されていた。




「分かったのです、残念ですが食べられないなら仕方ないのです……。あっ、イフスお姉さんといえば。ちょうどドワーフのおじちゃんを見かけたら呼んできて欲しいって頼まれていたのですよ!」

「ほう? そりゃあ探させてしもうて悪かったのう。ならちょうどええ、一緒に行くとするか」

 平静を装ってはいるが、内心ドーヴァはホッとしていた。

 今、ミミは寝室で眠りについたばかり。それ自体は静養が必要な彼女には当然のことなのだが……


「(ワシが出入りしとる事がバレたら色々とかなわんしの)」

 ドーヴァが勝手に入ったわけではなく、ミミから招き入れられたので後ろめたく思う必要はないのだが、それでもやはり他人に知られるところとなるのははばかられる。

 女性の寝室にお邪魔するというのは、やはり外聞が悪いものだから。



「そういえばドワーフのおじちゃんは何をされていたのです?」

「ほへっ!? ああ、いやまぁ、ちょっとばかし……うむ、ちょっとばかしじゃがの、お養母上ははうえ殿とお話・・しておったのだよ、うんむ」

 つい反射的に “ 特にする事もなかったので散策していた ” と言い訳しそうになったのを踏みとどまる。長年の経験上、こういう時につく安易なウソは必ずバレると理解していた。

 なのでドーヴァは、あえて真実を話した――――――といっても、本当にしていたのはお話・・程度では済まないが。


「そうなのですか! ミミおねーさんとお話、ルゥリィも御具合のいい時にいっぱいしたいのですっ」

「? そういえば御嬢ちゃんはどうして養母ミミのことをお姉さんと呼ぶんじゃ? “ おかあさん ” ではダメなのかの?」

 聞いた途端、ドーヴァはうっかりしてしまったと自分を叱咤した。


 ミミはあくまで養子縁組上の母親で実母ではない。しかもまだ最近組んだばかりのご縁で、共に過ごした時間もさほど長くはない。

 いかに同族でも、ルゥリィにとってはまだまだ実母こそ真の " おかあさん " であり、養ってもらっているとはいえミミの事を母と呼ぶのは、まだまだ出来ないに決まっているというのに。


 しかしドーヴァの考えは的を射てはいなかったらしく、ルゥリィは首を横にフルフルと振った。

 本当の家族との過去を思い出して暗く沈む様子もない。


「んーとね、リリィね? ミミおねーさんの子どもになったのはすっごく嬉しいことなのです。けれどミミおねーさんはすっごく偉い人なのです、リリィはミミおねーさんの子どもとして、もっともっとふさわしくならなくちゃなのですよ」

 つまりルゥリィは、ミミの子であると堂々と名乗るに相応しい者に成長するまで、母と呼ぶ資格はないと自身に言い聞かせているのだ。


 恩義―――ひとりぼっちだった自分を保護し、家族となってくれたことに対してのルゥリィなりの意志がそこにはあった。


 両手を握ってふんすと鼻息を荒げるルゥリィは、頑張るのです! とやる気まんまんのポーズを取っている。

 その前向きな姿勢は純真無垢にして清々しい。憚られる隠し事を持つドーヴァにはこのうえなく眩しくて、見ているだけでよこしまな気持ちが浄化されそうな気分だった。








――――――マグル村。


「………」

 ベギィは、小難しい表情を浮かべながら沈黙を続けていた。


「(どうしたんだ一体?)」

「(さぁ。また調達・・に出した連中が戻ってこなくてイライラしてんじゃねーか?)」

「(目ぇあわせんな、とばっちり喰うぜ)」

 空き家をもらい、手下ともども滞在の拠点にしている中に篭ったまま、ベギィはこの数日、これといった動きを取ることなく大人しくしていた。


「(おかしい、確かに連中はいずれもたいした奴らではない。しかしこうも長らく帰ってこないというのはやはり妙だ。この地上に限るならば、邪魔出来る者がそこらにいようはずもない。たかだか山賊まがいの仕事に手こずるはずがない)」

 魔界から呼び寄せた連中は元罪人をはじめとして、手ごまとしては最低限合格と見なした強さを持った者たちばかり。

 いずれも地上世界にいる大半の者を退けられる力がある。ちょっと街道いく旅人なり商人なりに遅れを取ること自体、絶対にありえないこと。


「(この地の自警団か、領主の私兵が? いや、討伐されたと仮定したとして対応が早すぎる。連中が成果を幾度かあげたならばまだしも、1度たりとも成功の報告もないのだからな。いずこかへと逃げだしたとのだとしても、それならばそれでウワサくらいにはなるはずだが……)」

 見知らぬ者は田舎では目につきやすい。人々の視線に一切触れることなく、ベギィら徒党から抜けてどこかへ雲隠れ《逃亡》というのは難しい。


「(連中が不明になった原因が分からぬ以上、このまま次を放ったとしても同じことになりかねん。くそ、何がどうなっているのだ!)」

 イライラが止まらない。ベギィのはらわたは煮えくり返り、我慢の限界も近かった。



「……ふー、いかんな。俺としたことが」

 そう呟いてみても、周囲の手下は八つ当たりされるのが嫌で何ら反応を返さない。


 思い通りに事が進まなさすぎて逆に、沸騰する前に平静に立ち返られるようになっていたが、周囲に悪態をばら撒きすぎたのだろう。手下たちは最低限従っている状態にまで忠誠心が落ち込んでいる事に、ベギィ自身はまだ気付いていなかった。


「これから村の中を見て回る。お前達、供をする準備を―――」


 バンッ!!


 ベギィが立ち上がろうとした瞬間、けたたましい音を立てながら部屋の扉が開いた。


「た、たいへんですぜ! 森が…森の村の方がっ」

 もはやイラ立ちが起こる前に呆れ果てる。作法のさの字もない粗雑な手下どもにはため息しかでないと、ベギィは深く息を吐いた。


「落ち着いて報告しろ愚か者。もはや何事があっても驚かん。森の部族の村がどうしたというのだ?」

「か、火災で焼けちまったって報告が来たんでさぁ!」

 もう何があっても怒る気にもなれないだろうと思っていた矢先の報告に、ベギィは怒り沸騰する。

 あからさまに不機嫌さを増す彼の周囲から、手下たちは一斉に距離を取った。


「な・ん・だ・と……ッ」









「おそらくだがアレクス達が成功したんだろーな」


 酒場。


 ザードは主な村人が集まる中、唐突に村を出て森へと帰っていったベギィ一味について、自身が知る事情から連中の動きの説明を行った。



「領主の嬢ちゃんが何か頼み事をしてたのは聞いてる。つまり確実に、何らかの手が功を奏したってこった」

 村人達は歓喜を含む声をあげた。

 怪しげなベギィ一味が村を出て行ったことへの嬉しさに加え、ちゃんと領主様が手を打ってくださっていたという事実に喜びを感じる。


「……しかし、おそらくは一時的なものであろう。また舞い戻ってくるのではないか、ザードよ?」

 ジロウマルに頷き返すことで肯定の意を示す。

 ベギィ一味はしっかりと手の者を数名、マグル村に残していったのだ。



「だが大きな隙が出来たのは間違いねぇ、連中のうっとおしい目は確実に減る。今のうちにやれることやっとかねぇとな」

 掘った抜け道を使って村の外と密かに行き来するのは、バレないようにどうしても慎重になってしまう。

 村の入り口から堂々と出入りしなければやりにくい事も多い。


 何より村の中の人数が減ったことを悟られないよう、村外へ出かけるのは一度に極少人数が限界だった。



「じゃあ、まずはそれっぽい理由で大勢村の外に出すか? 薪が足りないとかいくらでも理由は付けられるだろ」

「別のことする奴がそれに紛れて行くのもアリだよな。く~、動きやすくなるってのは有難いねえ」

 村人達が口々にあーでもないこーでもないと方策を話し合う。実にいい傾向だ。


「できればこの絶好の機会に決定的なモンを準備してぇところだが……」

 スティンがシャルールのお目付けとして指名され、マグル村に残されたのは幸いだが、他にまだベギィの手下も残されている以上、変わらず彼に何かしてもらう事は出来ない。


 ザードの視線を受けたスティンは壁際で背をつけたまま、すまないと言う代わりに腕を組んで視線を下げた。



「(シャルールさんも変わらず “ 呪 ” ってぇのに侵されてる状態だし、さーて何ができっかな……)」

 一番は、やはり領主ミミの下へと行くことだ。


 人づてじゃなく、現地で立ち回っている主要なメンツの誰か一人でもいいから直接話に行って、より有効な手立てや方策なりを講じてもらえるようにしたい。

 しかし、さすがにザードやジロウマルといった者はベギィ一味にしかと認識されている。長時間不在は怪しまれてしまうだろう。


 かといってシャルールは病床の上、“ 呪 ” のせいであるいはその言動の全てが筒抜けになっている可能性が危惧されている。やはり村を出て移動するのは危険だ。


「(かといって、村人の誰かを送ったとしても……)」

 あくまでも片田舎の普通の領民。

 領主との面会から、小難しい話までこの状況下でキッチリとこなせるかは不安が残る。


「(……嬢ちゃんとこの誰かが次来るのを待つしかねぇか。けどそうこうしてちゃあ、あいつらが舞い戻ってきちまうし)」

 ザードは、このところ考える機会が増えすぎだと疲労感を滲ませながら両肩を落とした。考えてみればシュクリアの外壁工事の現場監督を行っていた頃から今まで、頭を使うことの連続だ。


 どちらかといえば本来、腕っぷしに物言わせるタイプの彼には、身体を動かすのとは異なるたぐいの疲れがたまっていた。




「とりあえずだ。細けぇ事から全部、やれそうなことを出しあってまとめ―――」

「はぁはぁ、ザード殿、ジロウマルさん!! む、村の外からその、す、すげぇのが来たぞっ!!」

 村人が酒場に転がるようにして飛び込んできた。ただ事ではない様子に、酒場に集っていた者は皆、一気に緊張して声を潜める。


「何だ? 何がきたってんだ?」


 ギシッ……ギィ……


「……たぶん、私の身内……かな。ここにいても感じるくらいだし、きっとすごい人が来てくれたんだと思うよ」

 階段をきしませながら、床についていたシャルールが降りてくる。

 皆のところまで来ると、どこか安心したような微笑みを浮かべた。


 ・


 ・


 ・


 ベギィが残した手下たちは、その圧倒的な美貌の前に下品な欲情に鼻の下を伸ばす余裕はなく、たじろいでいた。


「な、何だってんだアンタ?!」

「色っぽい姉ちゃんよ、この村にな、何の用だ…ぁあん?」

 頑張って虚勢を張ってみても滑稽。

 彼女―――アイシルの存在感の前にはあまりにも小者すぎて、吹けば消えそうにすら感じられた。


「あ、アイ姉様?! まさかアイ姉様がこんなところに来てくれるなんて!」

 ザード達と共に村の入り口に急行したシャルールが、驚きでいっぱいの声をあげた。

 それだけ目の前の人物がやってくるのは考えらない事なのだ。何せ族長代理すら務まるとされる種族でも間違いなく最強最高、稀代の淫魔サキュバス

 一体何万番目かも分からない妹のために出張ってくるレベルの存在ではない。



「シャル。思ったより元気そうで何よりですわ」

 ニッコリと微笑む。

 それだけですぐ近くにいたベギィの手下のみならず、村の男達は顔を真っ赤にして時が止まったかのように硬直してしまう。


 凄まじいまでの煽情せんじょう力。


 存在そのものが男の劣情、男の夢、男の快楽の全てを叶えてくれる権化であるかのようであり、ベギィの手下たちはそれ以上、彼女の前に立ちはだかることも虚勢を張る事もできなくなった。まるで天より降臨した初めて見るソレが、魂で神であると感じ、膝をつくかのように、塞いでいた道を譲った。

 それを見て悠々と進んで楽に入村を果たすアイシルは、そのまま流麗かつ悠然とシャルールの前まで歩み寄った。


「貴女の連絡はキチンと届きました。色々と確かめるべきことがありますので、私が赴いてきたのです……大変だったようですがもう大丈夫。安心してね、シャル」

 その巨大な胸にポスンと妹を抱き寄せると、優しく頭を撫でる。


 すると、シャルールはふわりと羽が落ちるようにまぶたをおろして、まるで幼子に戻ったかのような表情で穏やかな寝息をたてはじめた。



「ご領主様から色々とお話は聞いて参りました……貴方様がザード様で、お間違いありませんね?」

「へっ、はっ……あ、お、おう、その通りだが……別嬪さんは何者なんだ?」

 惚けていたザードの様子が面白くて、ついアイシルはクスクス笑ってしまう。

 そのちょっとした所作すらも優美。


 彼女を見る男たちは変わらず一時停止したままだった。


「申し遅れました。私は淫魔族のアイトゥーシィル……シャルールの大姉でございますれば皆様、どうぞお見知りおきを」








――――――森の部族の村。



 ベギィが慌てて帰り着くと、村の天幕テントの8割は完全に焼けた状態で、村に残っていた者は途方に暮れた様子で立ちすくんでいた。


 足元には数多くの木製バケツが転がっており、懸命な消火活動の跡がうかがえる。決して火事を傍観していたわけでないのは分かるが、火災はこれで二度目の事。


 ベギィは歯を強く噛み締め、もはや隠そうともしないで怒りをあらわにした。


「どういうことかコレは!? 貴様らの頭には反省し、同じ過ちを繰り返してはならんという危機感はないのか!!」

 まるで突風のような声に、真っ先に身をすくませたのはベギィが連れてきた連中。元からの真なる森の部族の者は、驚きこそしても怒るベギィにそこまで恐れおののく様子はない。

 むしろ二度目の火事に心ここに在らずな者がほとんどだった。



「(……またコイツらの不始末かっ)」

 態度と反応から、誰に原因があるかを察するには十分。そもそも大昔から脈々とこの森で生きてきた元からの部族の村人は、火の始末の重要性など説かれずとも骨の髄まで理解している。

 火災を起こす者がいるとしたなら、それはベギィ自身が連れてきた手下ども以外にありえない。


「それで? 死傷者などの状況はどうなっている」

 言いたいことは山ほどあるが無駄に時間を浪費している暇はない。事実上、村は壊滅したも同然なのだ。


 最終的に生き残った者がいかほどかはまだ分からないが、パッと見た限り、負傷者だけでもかなり多い。

 居住地を焼失した今、早急に何がしかの手を打たなければならない。


 ・


 ・


 ・



 村からおよそ200m地点の森の中、6つの瞳がその様子をうかがっていた。


「(あれがベギィとやらだな。予想通り、慌てて駆けつけてきたようだ)」

「(ヤバそうな感じがプンプンするのぜ……)」

「(魔界本土の魔族か何かなのかもな。アッシもアズアゼルの旦那……いや、それ以上の何かを感じる……)」

 アレクスとヒュドルチは地上出身。しかしモーグルは魔界本土の出であり、かつては魔王を出し抜いて神魔大戦を起こした元凶たる大貴族、アズアゼルの手下だった。


 当然、本物の強者と接触した経験は二人よりも豊富で、あるいはアレクスよりも強者の威圧感をその身で体感しているかもしれない。

 そんなモーグルが見ただけで異質異様と感じるベギィという存在。それも魔導具で見ているとはいえこの距離で、だ。


「(これは早くこの場を離れた方がいかもしれん)」

 アレクスも、ベギィは明らかに危険人物と断定した。自分達で手に負えないのが明らかである以上、このままここにいるのは危険極まりない。


「(いや、下手に動くと気取られる……と、思う。このままの態勢で向こうさんがどっか行っちまうまでしっかり待とう)」

 しかしモーグルは、息を潜め続けることを選択する。

 逃げるとはすなわち、移動するということだ。鬱蒼とした森は隠れる場所こそ多くとも、一切の気配を立てずに移動するには厳しすぎる場所。


「(確かに。連中、こっちの狙い通りに仲間の不始末が原因と思っているようなのぜ。バレたら苦労が水の泡なのぜ)」

 一度、怪しい気配があると勘付かれたら最後、たとえ逃げ切れたとしても火災の原因が村人ではなく第三者の可能性に思い至られてしまう。 

 ヒュドルチの言う通り、せっかく使命が成功したのだ。それを不意にしてしまっては意味がない。


「(では、退路は考えて置くとして、しばしこのまま様子を見続けよう。音は立てず、落ち着いて―――、動いたな)」

 魔導具の映像の中で、村人たちとベギィが慌ただしく動きだす。


 どう動く気か、決して目を離さないよう3人は村の様子を伺い続けていた。



―――不意に


 フオン


「(!?)」

「っ―――(ふぁふぁだぁ!?)」

 アレクスは声を出さなかったが、モーグルはもうちょっとで驚きのあまりに吐き出しそうになった口を懸命に抑え、とどまった。


「(気付かれたのぜ!?)」

 ヒュドルチは慌てて周囲を見回す。が、誰もいない。

 かわりに至極薄い膜のような光が3人の周囲を覆っていた。



「お静かに……と申しましても、ご心配なく。それと、もう普通に声を出しても彼らには気づかれませんよ」

 その声は彼らの上から聞こえてきた。


「!! ジャック殿、いつの間にそのようなところに?」

 声を聞いた時点で何者かは判明していたが、その予想外の居場所にアレクスは驚きをあらわにする。


 気配を完全に消していたはずの自分達を見つけ、その上を抑えるかのように樹木の細い枝の上に平然と立つ、森の景観にまるで似合わない姿をした知己の商人がそこにいた。







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