第58話 第9章4 夜明ける舞台の役者達


――――夜明けまであと数時間と迫る頃。


 アレクス隊の約120人弱は、領主の館よりドウドゥル駐屯村に向け、移動していた途上、思わぬ相手と遭遇していた。

「バカな、なぜ “ 領主 ” がこのようなトコロにいるのか!?」

 アレクス達が偶然出くわしたのは、メルロ達一向であった。

「な、なんッ……で、こ、こんなところにアレクスがいるッスか!?」

 先行したイムルンにメルロの護衛を任されていたシャドウデーモンが驚愕と共に声を上げる。彼はもともとはアレクスの組織に属していたならず者だ。ゆえにかつての上司ともいうべき者との不意遭は、より驚きに満ちていた。

 メルロも館で捕らわれた際にアレクスの容貌を見知っていただけに、軽く怯える。それでも意志を強く持って警戒心を強め、彼女なりに身構えた。

 だが何も知らないナガン兵たちは状況把握に手間取り、行動が遅れてしまった。

「あのバフゥム隊が逃げられたというのか…まぁいい、ならばここで遭遇したは好都合、再び捕らえるまでだ!」

 まだメルロが領主であると思い込んでいるアレクスが、一直線に彼女に向かって走り出す。

「(こ、これはヤバいッス! タイミング悪すぎッスよ!)」

 イムルンが先立ったのはつい数分前だ。そう遠く離れてはいないだろうが、すぐに助けを求められるほど近い距離にはいないだろう。

 呼び戻しに走る事も頭をよぎるがダメだと即座にその考えを否定する。護衛対象であるメルロを守るにあたり、イマイチ頼りないナガン兵だけに任せるわけにはいかない。

 結果、シャドウデーモンは腹をくくってメルロの前に飛び出し、アレクスと対峙する。

「そこどけぇい!! そ奴は決して逃がすわけにはいかんのだ!」

 勢いそのままに剛腕を繰り出してくるアレクス。シャドウデーモンも体格こそ自信はないが、その腕力は悪魔族らしいものがあり、多少は覚えもあった。

「そ、そうはいかないッスよ!! うぐっ…さすがはアレクス…馬鹿力ッス…!」

 なんとかアレクスにあわせて突き出されてきた拳を受け止めるが、腕の筋肉がギシリと悲鳴を上げる。両者の力の差はやはり大きい。

「ぬっ!? …やるな、だが!!」

「おっと、そうはいかないッスよ!!」

 空いたもう一方の拳も飛来する。だがこれはシャドウデモーンも読んでいた。パンチの勢いがのりきる前にこちらから掴みにゆき、アレクスの両拳を封じる。

「に、逃げるッス! 先にッ…イムルンさんが行った方に逃げるッスよ!!」

 イムルンならばなんとかしてくれるはずだ。シャドウデーモンはメルロに逃げるよう促す。だが―――

「全員、こやつらを囲め! 一人も逃がしてはならんぞ!!」

 一足早くアレクスの号令が下り、アレクス隊のならず者達が素早くメルロ達を取り囲んだ。欲求不満が募っていただけに、戦いと勝利後のお楽しみへの期待が、命令に対する機敏な行動を彼らにもたらす。

「く、くそ! なんて数だッ」

「慌てるな! 陣形を整えるんだ、訓練しただろ!」

 練度不足の下っ端兵とはいえ、腐ってもナガン正規軍の兵士である。数の不利は明らかながら隊列を整え、包囲するならず者達からメルロを守る位置に展開する動きはそれなりのものがあった。

 アレクスは一筋縄ではいきそうにない状況に軽く苦虫をかみつぶすが、同時に幸いとも思っていた。

「(もし館に留まっていたならば、逃げられていたやもしれぬ…。そうなれば先の策も含めてこちらにとっては大きな不利益となっていた。駐屯村アジトへの引き揚げは大正解だったな)」

 しかも相手の護衛は眼前のシャドウデーモンを除けばどうやら程度の低い兵ばかりである事も幸いした。

 いかに多勢で囲んだ事で状況は優勢…とはいっても、もし熟練のナガン兵が数人混ざっていたならば、難しい戦いを強いられたはずなのだ。それゆえアレクスは拳を突き合わせる敵を眼前にしながらも、軽く安堵を覚えていた。





「! …ん? この感じ…」

 イムルンは自分がやってきた方角に視線を向けた。

 辺りはまだ暗闇。夜明けまで2時間少々といったところで、視界は悪い。だが彼女が見ていた―――否、ていたのは視力で確認できるものではなく、この辺りに漂う気配である。

「(ここ最近で一番ココイチなカンジ。やっば…これ、メルロちゃん達の方が危ないかも)」

 漏れ出る己の気配を押し殺せていない雑多さから、相手がさほどの強者でない事はすぐにわかる。だが、それはあくまでもイムルン自分からすれば、の話。

 このアトワルト領にやってきてからでいえば、もっとも強いであろう者の気配に、イムルンは防護の必要性があるメルロの身に危険が迫っていると認識し、珍しく冷や汗を一滴だけ流した。

「(なんだぁ? あのアマ、よそ見しやがって…チャンスか!)」

 身体のあちこちを痛めつけられ、息も荒い河童だが、イムルンの心ここにあらずといった様子に機を見つける。

「(一撃だ。ぶちこんで、そんでバックれる。それしかねぇ!)」

 悔しいがこのグレムリンの女の強さは次元が違い過ぎる。何をおいても逃げきり、命の安全を図るが現状の最善と判断した河童は、ボロボロになっている自分のムチをチラリと見て、まだ十数撃くらいは耐えられると見込みをつけ―――跳んだ!

「うらはぁあ!! せめて一矢報いてやるぁぁぁあ、クソアマぁあああ!!!」


 ヒュバァッ!!!


「! あぶねぇっ、よそ見は!!」

 ドンが思わず声を上げた。いかに実力差が天と地ほどあるとはいえ、河童にしても決して弱き者ではない。この地上に限れば、相応に通用する実力はある。


 バチィッ!!!


 イムルンが強すぎるからこその余裕と油断――――ムチは痛烈な音を立てて、彼女の左胸の付け根辺りを打ちのめした。

「んっ。…あちゃあ、油断しちったかなー」

 響いた音からすれば結構な痛撃だったように思えるが、彼女は特に痛みを訴える事なく、眉をひそめるその表情も、苦痛ではなく自らのミスを恥じるものだった。

 ダメージはまるでない。だが、かろうじて乳房の恥部を隠しているだけの羽織り物が、その左胸の上の方を破かれてしまい、かろうじて繋がっているだけの布が不安定に揺れ、ますますきわどい状態になっていた。

「(ダメージはなし、かよ…チクショウが。怯みすらしねぇなんざ、一体どうなってやがる!?)」

 攻撃がまともにはいった瞬間こそ口元を緩めた河童だが、自身が逃走に至れる隙は生まれず、今度は奥歯を噛み締める。

 放ったのは嗜虐趣味で打つ鞭打ではなく、相手の肉体を削ぎ落すつもりの、殺意の一撃であったはずだ。

 にも関わらず、一見して柔肌にしか見えないイムルンの肌に、傷はない。せいぜい微かに赤らんでいる…のかな? という程度。

 とんでもない貧乏くじを引いたと、もはや苦笑するしかない。河童は確実に自身の生涯において最大の危機に瀕している事を改めて自覚した。

「(……なにか、なにか手はねぇか?)」

 だからこそ、その頭は逆に冷静さを取り戻していた。もともと卑屈な性格の彼は、ネガティブな状況に対する思考はよく働く。バランク一味の中でも特に危険に対する嗅覚が鋭く、万が一に遭遇した際の対処方法においてもおそらくは随一だろう。


 なにせ、手段を選ぶ気はない、心の底からゲスに染まり切っている男なのだから。


 ヒュバルッ!


 不意に河童のムチがあらぬ方向に飛ぶ。

 時間にして0.2秒。到達した先にいたのは――――仰向けのまま動かないでいるイフスだった。


「危ないっ」


 バシリッ!!!


 ムチがその無防備な肌を打ちのめす前に、飛び込んできた者のスカートの布を切り裂いた。


「シャルールさん! さすがに無茶ですぜそいつはっ」

 魔獣から飛び降りて、イフスを庇うように覆いかぶさったシャルールは小刻みに振るえている。走り寄ったドンは、スカートが千切られて露わになっているシャルールの右脚が薄っすらと赤くにじんでいるのを見て拳を握った。


「ケケケケ…、クソアマぁ…。てめぇは確かにツエーだろうよ。けどなぁ、この状況なら、オレもただじゃあヤられやしねぇんだよぉぉ!!」


 ヒュビュゥッ!!


 ドン、シャルール、そしてイフス。3人に向けて再びムチが飛ぶ。

 ゴブリンはもとより重傷。淫魔の娘も魔獣から離れた上に足を負傷した。メイドはバランクの支配下にあるため何があっても動かない。

 河童にとっては一切の敵となりえない者達への攻撃だ、どいつでも構わない。何せ100%当たる攻撃である。それゆえイムルンは彼らの防護へとまわらざるをえない。

 いかな強者であろうとも、その戦闘力のすべてを敵に向けられるのは戦場にあるのが自身と敵のみの場合だけだ。

 だが場に庇護すべき者がいた場合、その戦闘力を護衛に回さなければならなくなるため、今現状においては敵対者である河童に利が生まれる。

「(これであのアマの攻撃をひとまず封じりゃ、まだ道は見え―――)」

「野郎っ、そうはさせねぇっ!!」


 だが、被護衛者弱者が何か打てる手を持っていたならば話は別である。




 パカッ―――ドロォッ


「んなぁ!? …な、なんだこりゃああ!?」

 ドンが咄嗟に、シャルールの腰袋より取り出しざまに投げつけたのは、タスアナから預かっていた道具の一つだった。

 それは本当に小さく地味な、紙製を思わせる質感の玉だった。しかしムチによって上下に割られた瞬間、粘質の液体――ムームのカラダのような――が中から噴き出して、河童の鞭にまとわりつき、そのまま中空より地面へと落とした。

「ほへー、あれってばヌーバ弾じゃん。ドンちん、それどったの?」

 河童の目論見どおり、ムチを防がんとしてシャルール達の前へ1ステップで飛んできていたイムルンは、思わぬ出来事に本来の着地点の前で二の足を踏む。そして軽く一回前転してから、ドンの近くへと着地した。

「タスアナさんからもらった道具袋に入ってたもので、実は俺もよく知らないまま咄嗟に投げちまったんです」

 そういってドンは改めて河童の方を伺った。

 ムチにはドロドロの液体が絡んでいる。だが使えなくなったわけではないようで、河童が手首にスナップをきかせると鞭先がその足元まで戻っていった。

 しかしその動きはかなり遅い。河童も奇妙な液体がかかった自分の武器を見て、戸惑っているようだった。

「あれはヌーバ弾っていってねー。本来は銃とかボウガンとか弾を撃ち出す系の武器で使うヤツなんだよ。それなりの勢いでぶつけると、あのドロドロしたのが一気に広がって、ぶつかったとこから相手にベッタリくっついて、身動きを封じたり捕縛したりするってカンジ」

 内包されている液体は、液体同士で連なりやすく千切れにくい特性がある。一度広がって敵に絡めば動きを抑制する効果が見込めるものだ。

 だが怪我人のドンの腕力で、しかも咄嗟に投げた程度では広がりが浅すぎて河童のムチにしか絡まなかったが、そんな敵の様子とドンを順番に見てイムルンはほくそ笑んだ。

「………んー、そだなーぁ……うん、やっぱこの方がいいよね。ドンちん、悪いんだけどさ、そこのコ魔獣に乗ってアッチに向かってくんない?」

「え? そりゃどういう……シャルールさんやイフスの姐さんを置いていくわけには…それにあそこにも誰か倒れているみてぇだし…」

 見た目からして土竜人と思しき者が、イムルンが指さした方とは逆の方角、20mほどのところに転がっている。状況から考えて、聞こえてきた助けを呼ぶ声は、アレが放ったものだろう。

「こっちはウチに任せてくれれば大丈夫。それよりウチは、メルロちゃん伴ってたんだけど…ドンちんは彼女のこと知ってるんだよね?」

「! め、メルロが? いるのか、近くまで来てるのか!? 無事なのか!?」

 名前が出た瞬間、ドンは己のケガも忘れたのかというほどに彼女の顔面へと食いつく。そのあまりの勢いで、イムルンのバストに思いっきり両手を突き立ててしまっていたのだが、そのことすらも気づいていないようだった。

「(はー、こりゃこりゃ…お熱いお熱い。うんうん、やっぱり王子様役は決まりだねー)」

 そう思いながらもイムルンは、シャルールの道具袋から素早く何かを取り出すと、河童の足元に投げつける。それはただのナイフだった。

「っ!?」

「動くな。逃がす気はない」

 ほんの一瞬、イムルンの態度や表情から感情というものが失われた。しかしすぐにいつも通りに戻る。

「(敵ながら同情するぜ……この人ぁホンモノだ…)」

 ドンはゴクリとツバを飲んだ。イムルンはもうニコニコ笑顔を浮かべているが、片手は道具袋に突っ込んだままだった。それはまだナイフを投げる気でいるという河童に対するブラフである。ドンが知る限り、道具袋内にはもう刃物の類は入っていないはずなのだから。

「そうそう、そのメルロちゃん。あっちの方からこっちに向かって来てるはずなんだけど、ちょーっと嫌な気配がするから、ドンちんに迎えにいってあげて欲しいってワケ」

 そう言ってイムルンは、シャルールの道具袋から2つ、何かを取り出してドンに手渡した。代わりにドンが持っていた道具袋を取り上げる。

「下手にイロイロ持ってると余計な事までしかねないからねー。これ以上のミスはウチも避けたいし」

 そしてドンに耳打ちする。手渡した2つの道具の使い方だ。

 それを聞いただけでドンは理解した。イムルンが懸念する、メルロ達の身に起こっているであろうことと、それに対して自分に求めている事が何であるかを。

「……わかりやした。できるだけ手早く迎えに・・・いってきやす」

「うんうん、聡い男は大好物♪ んじゃよろしくー、こっちは私がなんとかしとくからー」

 ドンは魔獣に飛び乗る。シャルールを伴わないのは、彼女の気質と実力を考慮しての事だ。

 これから向かう先は、イムルンがいるこの場よりも危険である可能性が高い。そんなところに彼女を伴っても、足以外にも傷を増やさせてしまいかねないと判断していた。


「ッ……くそ、…ざけやがって!」

 目の前で悠然と会話を交わす敵に対し、河童は憎々しいとばかりに睨みつけている。

 しかし、動けない。ドンが魔獣に飛び乗る時間と隙は、河童からすれば致命の一撃を見舞えるに十分なもの。

 だがイムルンが、もうおイタは許さないよ? と自分の指先の爪の動きまでも注視している事がヒシヒシと感じられるのだ。河童はイムルン以外の相手に対して攻撃を仕掛ける余裕も、この場から無事に退散する隙も見つけられなかった。

「すまねぇ、魔獣。シャルールさんは任せて大丈夫だ、だからあっちに向かってくれ!!」


「ブルル……ッ、…ヒヒィーーンッ!!」


 一瞬ためらうが、スレイプニルはドンに従って走りだした。元々魔獣は下手な知的生命体よりも高い知能を持っている者が多い。

 生まれてまだ短い生といえど、このスレイプニルとて状況と彼らの会話内容、そしてイムルンの強さを理解できるだけの知能は持っていた。

 シャルールを置いて走り出すのは後ろ髪がひかれる思いだったが、大丈夫だと信じて、ドン一人だけを乗せ、夜闇の先へと駆けて行った。







「ぬぅん!! ハッ!!」

 アレクスの気合いと共に息を吐く。右ストレート、左ブロー、右脚の蹴り上げと連撃がシャドウデーモンを襲った。

「あぐっ!! …な、なんの、まだ…負けないっス!!」

 シャドウデーモンは悪魔族系統の派生種族だ。それゆえ生まれつきの基本能力も高い。が、それでも影に潜む事ができるという種族の特異能力は、他の悪魔系統の種族と比べると、多くの他能力をその身より失わせてしまっている。

 結果、アレクスと真向からの力比べでは6:4で劣勢。武術の経験の差も踏まえれば近接戦闘での優劣は8:2でアレクスに軍配があがるだろう。

 それは決定的な実力差だ。しかしシャドウデーモンはアレクスを倒す事を目的としていない。あくまでも敵の最大戦力を抑える事のみを目的とすれば、まだ幾分か差を縮める事も可能となっていた。

「<影なき黒影の壁ブラックインパクト!!> ッス!!」

「むうっ!? …また弾く魔法か。小手先程度ではあるが、上手く扱うものだな」

 極一瞬ながら、何もないところに壁ができたかのような衝撃をもって敵を阻む魔法だ。さほど強力なものでもないのだが魔力消費が大きく、シャドウデーモンとしても多用には耐えられない効率の悪い魔法である。

 しかし出し惜しみはできない。ここでとにかく耐え、メルロを守ればそのうちイムルンが戻ってくる可能性が高い。アレクスは確かに強いが、あのグレムリンと比べれば間違いなく劣る。

「てやぁ!!」

「くっ、隊列を乱すなっ」

「ならず者どもめっ、このっこのっ!!」

 一方で、チラリと伺ったメルロとその周囲に展開するナガン兵の戦況を考えると、あまり長くはもたないであろうことは、シャドウデーモンにも十分に理解できた。

 もしここでアレクスを抑えきれなかった場合、一瞬でナガン兵は蹴散らされ、メルロに危機が訪れる事になるだろう。それゆえ彼にしてもメルロの防護に回る事ができない。

「(頼むっス、イムルンさん! 早く帰ってきてくださいッス!!)」

 頼みの希望はやはりあのグレムリンなのだ。100人以上のならず者に囲まれ、10人足らずで維持できてるだけでも頑張っているほうだが、それだけに余裕はなく、長期戦も不可能な状況。悲しいが強者の救援を頼りにする以外の手を思いつかない。

 なにせシャドウデーモンにしても、その身に刻まれた怪我が戦闘にも影響を及ぼしそうなほどの痛みを発しつつあり、限界が間近である事を自覚しているのだから。

「……ふむ、そろそろ空も白ずんできた事だ。悪いがいい加減、退いてもらう!」


 ドォッ!!


 何かが爆発したような―――それは、アレクスが地面を蹴っただけの音だった。まさに爆発的な瞬発力を持って迫る相手の姿をハッキリと視認した時、すでにシャドウデーモンの腹にはアレクスの膝が埋もれていた。

「ごっ、は…………ま、だ…ぜ、全力じゃ…なかった…ス…か………ゴフゥッ!!」

 膝が腹から離れた直後、それはいつかの時、館に乗り込んできたゴブリンを館外へと蹴り飛ばした時と同じキックがシャドウデーモンに放たれた。しかしその威力は段違いである。

 敵の体格差から無意識下での力加減の差…シャドウデーモンの脇腹辺りで嫌な感じの、ボギリ…という音が鳴り、その決して小さくはない身体は天高く舞い上がって、メルロ達はおろか、囲んでいるならず者達すらも飛び越えて、地面に叩きつけられた。


「お、おい! アイツやられてしまったぞ!!」

「くそ、あの獣人がくる! 身構えろ!!」

「ひっ…ちくしょう、やってやる、やってやる!!」

 メルロを守るナガン兵達は、あきらかに腰が引けている。練度不足ゆえの覚悟の足りなさがその様子からも見てとれ、アレクスは口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。

「覇気が足りん。ナガン正規軍とてピンキリという事だな!!」

 走る。3m近い体躯の獣人がたてがみを逆立てて迫ってくる様は、強烈な迫力があった。突き出す拳は比較的大き目の体躯のナガン兵ですらも一撃で弾き飛ばし、メルロを守る兵達は容易くこじ開けられてしまった。

「っ……」

 アレクスが眼前に迫る。

 メルロは種族からの贈り物である鳴き声を放たんとお腹に力を込めた。それは自衛のための最終手段。シャドウデーモンやナガン兵がいた事もあって放てなかったが、自身が捕らわれてしまう事で彼らがこの後どんな目にあうかは、周囲にいるならず者達の熱気から想像に難くない――――殺されてしまう。

「…悪いが、もう止まる事もできん! 領主である貴様だけは、逃がすわけにはいかぬのだっ!」

 それはアレクス自身が自分へと言い聞かせている言葉のようにも聞こえた。迫る拳が解かれてゆき、メルロの身体を一掴みに捕まえようとする。

 刹那の時はゆっくりと流れ、メルロは腹から昇ってくる空気を両頬に溜める。アレクスの指がメルロの左右を覆い始める。ナガン兵は必死に身を起こそうとしているが、そこに向かってならず者の武器が伸びていく。遠くに倒れたシャドウデーモンに向かって、数人のならず者が槍や剣を振り上げる。


「メルロぉっ!!!」


 そんなゆっくりと流れる時間を、彼女の名を呼ぶ声が切り裂いた。



「?!」

 声だけで、誰が自らを呼んだのかわかる。メルロは声のした方を見た。だがそこにあるのはアレクスの右手の指。その隙間から見える先もならず者の群れのみ。

 それでもメルロは、特技の鳴き声を放つ事を取りやめた。

「ぬっ!?」

 アレクスも声に反応し、同じ方向を見た。体躯の大きさゆえ、彼の目にはハッキリと部下達の先に迫ってくる何者かの影を見て捉える。しかしその時――――

「ぬぁっ!!? く、日の出のっ」

 それはまったくの偶然だった。日の出の光が差し込んで、アレクスの、ならず者達の目をくらませたのだ。

「…ドンさ…んっ…」

 だがメルロだけは、その光の中でやってくる者の名を搾り出す。やがて無数の騎馬が迫るかのようなけたたましい蹄の音が、誰の耳にも届いて、そして直後――――


「な、なんだ!?」「何もみえな…煙!?」「どうなってやがる、何がおこ―――」


ドドカッ! ドギャッ!! ドガスッ!!


 メルロとナガン兵を囲むならず者達は蹴散らされてゆく。そして光の中、目の前に現れたは、黒と白が混ざり合った美しい毛並みの多脚馬スレイプニル

 視界を封じられたアレクスが経験と勘、そして音を頼りにして放った拳は的確にスレイプニルの騎乗位置を捉えていた、が…空を切る。

 その背には大きな馬に釣り合わない小さな騎手が――――乗っていなかった。

「メルロッ!!」

 その掛け声は想定していたよりも低い位置からこだました。

 カエルの姫が手を伸ばす。

 救うは小さな傷だらけの不格好な王子様―――彼はスレイプニルの横腹に張り付いていたのだ。

 そしてアレクスの目の前を横切るたったの一瞬、しかしその細い手をしかと掴んで、引き上げる。

 小さく、しかし力強い手。物語の王子様のようにカッコよくはいかない。

 不格好なれど、それでいいのだ。ドンは救うべき女性を救う事に成功したのだから。




「ぬうう! これはなんたる事かっ!?」

 アレクスの視力が戻った時、場は完全に混乱していた。乱入者への攻撃は功を成さず、部下達の一部は完全に蹴散らされ、地面の上をのたうち回っている。そして乱入者の姿を探してみれば囲みより完全に脱し、領主メルロを魔獣の上へと座らせているではないか。

 乱入者が魔獣を伴っていたことにも驚きだが、その騎乗者がゴブリンである事にも目を見開く。しかも全身包帯だらけで、とてもまともに動けそうにもなさそうな出で立ちだ。しかもアレクスはその小さき亜人に見覚えがあった。

「……確か、館に乗り込んできたゴブリンだな貴様?」

「てめぇは確か、こいつらのボス。あの時の借りを返してやりたいとこだがな」

 ドンの全身の傷はそのほとんどが館においてアレクスとの戦いで負ったものだ。男としてはここでその借りを返したい気持ちが沸いてくる。

 だが今はそれどころではない。ドンには現状況において悩ましい問題がいくつも転がっているからだ。

「(とにかくメルロさえ取り返せば…って思ってたが、こいつぁヤべぇな)」

 まず、ナガン正規兵の存在だ。アレクスに蹴散らされた際に受けた怪我のせいで、彼らの動きは鈍い。かといって見捨てるわけにもいかない。

 特にミミに仕えるドンとしては、ナガン候の私兵を見捨てるなどという選択肢は絶対に取れない。この場はそれでよかったとしても、後で仕え主とナガン候の間で問題になりかねないからだ。

 そして次にシャドウデーモンの存在だ。向こうで伸びているシャドウデーモンは、メルロ曰く味方であること、自分を守るべくアレクスと戦って吹っ飛ばされての今現在だという事。そんな恩人ともいうべき相手を、そのまま残していくわけにもいかない。

 そこへきて、魔獣がいるといってもドン自身はいまだ戦闘に耐えられるほどカラダは回復していないし、これといった武具もない。

 突入に際して転がした煙玉を使ってしまったため、手持ちの道具もあと1つだけ。

「(ならず者連中は魔獣で蹴散らせるにしても、あの野郎アレクスは無理だ。他の奴らとは実力が違う。ここで連中と戦うってぇ選択は無理だっ)」

 そこまで考えると、ドンは魔獣を走らせはじめた。まずシャドウデーモンの辺りにいるならず者達を吹っ飛ばし、そのままのびている彼を回収する。スレイプニルの大きさなら、自分とメルロを騎乗させていてももう一人は乗せられる余裕があるためだ。

「ぬっ…逃がさんぞ! お前たち、アレを逃がしてはならんっ!! 特に領主は・・・必ず捕えよ!!」

「何? …アイツ、まだメルロの事を勘違いしたままなのか?」

 ドンの呟きに、メルロがコクリと頷く。ならばと小さな亜人は一計を思いついた。

「残念だったな! この通り、領主様はかえしてもらうっ」

 そう叫ぶとドンはスレイプニルに大きく輪を描くように北へ、そして東へと進路をとらせる。当然アレクス達はこれに追いすがってくる。

 ちょうど並走する形で互いに南北の位置関係になり、東へと走る魔獣とアレクス隊。

 だが片やスレイプニルである。傷ついたナガン正規兵達からどんどん引き離し、やがて走る速度があがってゆくとアレクス隊の脚の遅いものが遅れてゆく。それでも追いかけてくるあたり、アレクスの領主に対する固執は相当なものだろう。

「(それだけ領主様を重要視してるってこったな!)」

 長く間延びした敵の隊列を見て、ドンはもう一つのアイテムをアレクス隊の遅れた連中めがけて投じる。

 同じような煙が発生したが、その煙に巻かれた連中は途端に足を止め、その場で奇怪な行動をしはじめた。

「ぁ…れ…は…??」

「一時的に混乱させる特殊な煙らしい。これで敵の数を減らした、後はっ」

 走ることたかだか2分ほど。それでも結構な速度を出せば、そこそこの距離を移動する。そして向かう先に目当ての人物を見つけたドンは、ほくそ笑んだ。

「はぁーい、いらっしゃーい。…なぁんてね」

 イムルン=ヴラマリー。朝の日光を半身に浴びながらムチを両手に持って引っ張り、バシリと音を立てているその姿の頼もしさたるや、言葉では言い表せない。陰になっているもう半身が、まるで笑っているかのようにすら見える。

 そんな彼女の後ろにはイフスとぐったりしたまま動かない土竜人族を抱えているシャルールの姿もある。

 そしてさらにその向こうの方に、遠目ですらもう二度と動かないであろうことがハッキリとわかる河童の身体が無惨な姿で転がっていた。



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