反乱編:第3章

第3章1 玉を砂利と見る



――――――都市シュクリア北東部の平原地



 心地良い風にあおられてなびく紺碧の波を、4本の足が遮る。膝下まで伸びた草は、彼らの足を絡め取るようにまとわりついていた。


「……」

「やめておけ。その刃を向ける相手が私ではもったいない。もっと他にいるだろう」

 しかしアレクスの制止を聞かず、対峙者は跳ぶ。

 低空ながら生い茂る草に邪魔されることなく襲い掛かり、手にした剣を振り下ろした。



「フゥッ!!」


 キィンッ!!!


 手甲をめた拳を振り上げるアレクス。鉤爪のついたソレは、耐久性の高い合金によって敵の攻撃を容易く受け止めた。

 戦闘体勢を取らずに、事も無げに片腕をあげる姿は、雄々しいたてがみもあいまって強者の風格が漂う。



「……これも致し方なしか。残念だ」

 敵の剣を払うとそのまま身体をひねって、手甲をつけていない右腕を突き出す―――右ストレート。


「ぐっ!!!! ……がふっ、なるほど? 獣人らしい膂力りょりょくだな」

 吹っ飛んだ相手は血を吐きながらも体勢を整え直した。バランスを取るために丸めていた尾を落として草を薙ぐ。


 呼吸を整え、そして―――消えた。


「! ……背景との同化か」

 体色変化能力を有する亜蜥蜴族カメレオルならではの業。しかも一撃を軽くあしらったアレクスとはいえ、相手の剣術に確かな錬度を感じている。

 見えぬ敵から鋭い刃が飛んでくるとするなら、さすがに構えずにはいられない。腰を落として両腕を胸前で交差させた。




「ジャアッ!!!」


 シュバッ!!! ドシュシュゥッ!!!


 金属の輝きが見えたかと思うと、切っ先は既にアレクスの脇に触れていた。しかし薄皮を突き破ったそれは、そのまま後方へと流される。


 しかし敵も然る者で、間髪いれずの連続突きを放つ。


 アレクスが身のこなしを頼りにそのすべてかわして見せても、相手に焦りの色はない。むしろ勝利の確信を抱いているようですらあった。


「(狙いは……脚かっ!)」



 ヒュ……バシンッ!! ザシャッ


 後転蹴り上げサマーソルトで敵の剣を蹴り上げると、そのまま間合いをあける。


 アレクスは冷や汗を流した。たった一つの能力が加わっただけで、ここまで脅威度が増すとは正直思ってなかったからだ。


 ゆえに、より惜しいと思う。

 攻撃を繰り出しながらも考えずにはいられない。なぜ、なぜ……



「ハァァッ!!」


 ドチャァッ!!!


 ――――なぜこのように優れた者が、自分についてきてはくれないのか?


「がふっ!!! はぁはぁ、ぜぇぜぇ……、く、そ……」

 貫かれた自分の胸を見て敗北と死を悟る亜蜥蜴族カメレオル

 だが彼の顔には一抹の恐怖も後悔もない。覚悟といさぎよいあきらめに加え、笑みすら浮かべてみせた。




「なぜだ? なぜそこまで頑なに私の誘いを断るのだ??」

「はっ! ……テメェのその、正義の使途ぶった態度が気に入らねぇ。まるでわかっちゃいねぇんだよ、なんにもな」

 死に瀕して彼は思い出す。


 戦後まもなく恩賞を手に故郷に帰った時、大戦の流れ弾で死んでいた家族の事。

 自暴自棄になって町中でケンカして過って致命的なケガを負い、野垂れ死にしそうになった事。

 道行く人々は巻き込まれたくないと誰も助けてはくれなかった事。


 そして……ワラビットの美少女とメイドさんに助けられた事。


 走馬灯が巡る中、アレクスから持ち掛けられた話を、そして言葉を思い出す。なぜか笑いがこみ上げてきた、あまりにも彼が愚かで滑稽すぎて。



「テメェの話を聞いた時、ぶっ殺しておかなきゃならねぇって思った……俺もたいがいロクデナシだがよ、この世の理ってヤツは知ってる…ゲホッ、ガフッ…」

「………ことわり、だと?」

 彼から見れば、アレクスはいわゆる 正義厨・・・ なのだ。

 世の中が勧善懲悪では成り立たない事を理解していない。いや理解したつもりでいて、なおも正義の夢想に酔いしれているだけなのだ。

 そしてそういった輩のほうが、分かりやすい悪党よりも遥かに危険。


 だから彼はここで殺しておいたほうがいいと考えた、一生の恩を受けた彼女達のためにも。



「(すまねぇな……ウサミミ領主さんよ……。お手数………かけ…ちま……)」

 だがそれはもはや叶わない。全身が冷たくなっていく。

 寒くはなく、そして暑くもない。意識が暗く深いところに落ちていくのが自分で理解できる。


「………テメェ…は、ハァハァ…なんも理解できてねぇって事だ。大人しく俺に殺されてたほうが、よっぽ…ど…世のためになったろう…ぜ………、………」


 ドサリ…


 彼は絶命した、そしてアレクスは自分の腕を引き抜く。

 しかばねが、長く伸びた草の中に埋もれる。まるで大自然が彼の死体を慰め抱くかのように。


「………一体、何が問題だというのだ……」

 挑んできた男の屍から視線を外し、夜空を見上げる。


 集う者は自分の事しか考えていないならず者ばかり。有志の少なさに嘆きが耐えない。

 有望な人材は去るか、自分を排除しようと命を狙ってくるかのどちらかだ。


 嫌味なほど綺麗な真円を描いている月が、まるで死んだ彼のかわりにアレクスを嘲笑あざわらっているようだった。










「ハァハァ、ゼェゼェ……」

 一人の男が懸命に走る先には……彼の種族領地たる境界線のバリケードがあった。


「よ、よしっ、あそこまで逃げ込めばッ」



 ――――種族領地。


 魔界本土に暮らす数多の種族が、それぞれに与えられた領地であり、その種族専用の土地を指す。


 地上の魔界領土とは違って赴任する領主のような者はいない。かわりにその種族の長である族長やリーダー格の者が領地内をまとめあげ、他の仲間達と協力しながら種族に適した社会を構成していた。


 ・

 ・

 ・


 ヒュッ……ドドッドッ!!


 弓矢が数本、風を切りながら飛来する。いずれも地面に突き立ち、男の身には一本たりとも刺さる事はない。だがその着弾点は確実に男に近づいていた。


「く、くそっ! ぜぇはぁ、ぜぇっ……な、なんとしてもコレだけはッ」

 男は懐に忍ばせている手紙を取り出して紙飛行機を折った。そして機を伺う。


 ヒュブッ!!!


「(ここだッ)」

 矢が放たれた弦の音が、もうハッキリと聞こえる。頭の上の長い耳を震わせながら、彼は紙飛行機を飛ばした。


 追っ手が気づいたとしても、矢を打ち放ったばかりではコレは打ち落とせない。そうこうしているうちに、紙飛行機はバリケードを越えて種族領土内へと入る―――と同時に…



 ドスドスドスッ!!!


「うあぁあぁああーーーっ!!!」

 3本の矢が男に突き刺さった。自分も逃げ切れたならそれが最良であったが、世の中そう甘くはない。

 男はもんどりうって地面に倒れる。そこはまだ種族領土の外。


「へへへ、やっと仕留めたぜ。まったくワラビット・・・・・の連中は逃げ足だけは一人前だ」

「おい、殺してないだろうな?」

「急所は外れてる、死にゃしねぇだろ。それよりとっとと捕まえて引き上げよーぜ? もうかなり近いしな」

 木々の生い茂る中より姿をあらわしたのは弓を抱えた4人組み。

 リーダーとおぼしきは商人風の装いをした小さな竜亜人ドラゴンニュート、それに従うは大柄のオークと卑屈そうな河童、そして猿亜人ハニュマン


「連中がいくら種族領土に篭ってるとはいっても、見られたら面倒なのは確かだ。よし、獲物をウンヴァーハ様のところに持ち帰るぞ」

 弱いワラビット族が売買目的で狩られたのはもうはるか昔の話。しかし今でも稀にこういった輩がいる。

 ゆえに彼らワラビットたちは今日こんにちにおいても種族領土の外へと出ることは滅多にない。

 一生を種族領土内で暮らした方が安全だからだ。


 しかし彼にはワラビット達の誉れである、ミミ=オプス=アトワルトへの一族からの手紙の配達を行うという仕事があった。

 地上の彼女の領土まで赴くことはできないが、地上とのやり取りはワラビット族領内には、然るべき設備もサービスもないため、荷物や手紙を送るには他領へ行かなければならない。


 だが今回はそこを突かれてしまい、彼は担ぎ上げられたオークの肩の上で気を失った。




――――魔界、ファルスター家別荘。


「よくやったぞ、これは褒美だ、受け取れっ」

 ひざまずくドラゴンニュートの前に、ウンヴァーハは無造作に袋を投げた。床を転がって彼の手の届く位置に止まる。袋の口が開いて大量の宝石が吐き出された。


「おおお、これはこれはありがとうございまする。ではウンヴァーハ様のお楽しみの邪魔になりますゆえ、私どもはこれにて失礼させていただきます」

 彼らは報酬の宝石袋を拾い上げると、ウンヴァーハの寝室・・からうやうやしく退出した。


「フンッ、最初から別の商人を使えばよかったのだ。ジャックのやつめ、いつまでたっても連絡の一つもよこさずに待たせやがって……なぁ、お前もそー思うだろ?」

「は、はひ……も、もちろん、ウンヴァーハさまの言うとおり…りひぃっ!」

 女の声がうわずる。胎内で数匹の蛇が暴れ、その心は快楽ではなく恐怖に満たされていた。




 ―――ウンヴァーハ=アバング=ファルスター


 一見すると可愛らしい毛玉の愛玩動物のように見える容姿だが、その股間から伸びる性器は生きた蛇。それが何本も存在して多頭蛇獣ヒュドラのごとき男根を有している。


 それを奴隷としてはべらせている女一人の腹におさめているのだ。周囲に侍っている他の全裸女性達も恐怖で身を震わせていた。

 彼の機嫌を損ねて内より腹を喰い破られて死んだ同僚を何人もその目で見ているのだから、いつ自分が同じように殺されるかわかったものではない。


「おい、お前!」

「は、はいっ!! な、なんでございましょうかウンヴァーハ様!」

 すぐに平伏する女性を、ウンヴァーハは自分が快楽を満たす異性という視線ではなく、飽きた玩具を無慈悲に捨てるような目で見る。


「その男を仰向けにして上にまたがれ。もちろん繋がってだぞ」

「え、あ…は、はい…わ、わかりましたウンヴァーハ様……」

 女性は命じられ、恐る恐る彼へと近づいた。商人達が連れてきた男は気を失っている。

 近くで見ると矢傷があり、非合法に連れてこられた者だと一目でわかった――――自分達と同じように。


「(可哀そう……この人もこれから私達のようにアイツに……)」

 どんなに同情してもウンヴァーハの命令には逆らえない。彼女は慣れた手つきで男の股から性器を取り出すと、流れるような手さばきで隆起させ、またがり、腰を落とした。


「っ……はぁ、はぁ…こ、これでよろしいでしょうか、ウンヴァーハさま?」

 見知らぬワラビットの男性と繋がり、ウンヴァーハの方を見る。彼は今抱いている女を犯す事に夢中だが、自分の命令通りに行動した彼女に、満足そうな視線を送った。


「よし、そのまま押さえつけてろ。お前がソイツの枷代わりだ、逃がしたら承知しないからなっ」

 女は戦慄した。いかに相手がワラビット族といえど男と女では勝負にならない。

 しかも彼女はさきほどウンヴァーハの相手を努めたばかり。心身の疲労はすでにピークを超えている。

 もし彼が目を覚まして暴れようものなら、彼女に押さえつけるのは難しい。


「(うう……ど、どうしよう? どうやって押さえれば、今の私でもなんとかできるの??)」

 しかし答えが見つからないまま、ウンヴァーハは一通り楽しみ終わって息を吐いた。

 抱かれていた女は無事に終わった事に安堵し、そそくさとベッドの脇へ退散する。


 そして絶望の命令が下った。



「そいつを叩き起こすんだ。聞きたい事があるからな」

 彼女はゴクリと息を飲んだ。そしてペチペチと気を失っている男の頬を叩く。


「ぅ……く、な…んだ…。ここは? あ、アンタは一体何を!?」

「落ち着いてください。ここはウンヴァーハ様の別荘です。ウンヴァーハ様が貴方にお聞きしたい事があると……っ、あ、暴れないでっ!」

 彼女は腰を押し沈め、男との繋がりを強くする。男の両腕を押さえつけた両手は簡単に弾かれ、跳ね飛ばされそうになるのを全身全霊でなんとか堪える。


 もしこれで股間の繋がりも抜けてしまっていたらウンヴァーハの機嫌を底ね、命の危機に晒された事だろう。


「ぐ…うっ! …はぁはぁ、く、そ…傷…が…」

 矢傷は手当も受けていない。その苦痛が男の身体の自由を奪う。彼女は助かったと安堵し、全身から玉のような汗を噴いた。


「おまえ、ミミ=オプス=アトワルトというワラビットを知ってるな? そいつについて知る限りのことを、このボクにすべて教えるんだ」

「な、なに?? ………わからないな、なんの事だ? 誰だそれは―――んぐぅおっ!?!」

 女性は後ろめたさから男を直視できず、懸命に視線を逸らす。


 だが一方で彼の性器を引きちぎるつもりで下半身に力を込めていた。それがウンヴァーハの望みであり、そうする事が彼女のこの場での役目。

 男にもたらされるものは快楽ではない。性別のシンボルたるモノを人質にとられた苦痛のみ。これは尋問なのだ。


「しらばっくれるのか、このボクに対して? まさか知らないとでも思ってるのか。お前らワラビット族の中じゃあ、アイツ・・・は英雄なみの声望があるんだろう?」

 その通りだ。かつては虐げられる弱い種族の一つであった彼ら。一族が不当かつ不条理な日々から解放されてより久しいが、それでも彼らが強くなったわけではない。

 他種族との争いごとにおいてはまず勝ることはないし、魔界における地位は相応に低いままだ、虐げられないというだけで。


 その中にあって、若くして父の爵位を全て受け継ぎ、地上に領土を得て領主となったミミはまさにワラビット族希望の星であり、出世頭であり、アイドルであり、英雄であった。




「はぁ、はぁ…あいにくと、そんな名前のヤツは我らの種族領土内にいない。聞いた事もな――ーッッぁぐ!!!」

 考えてみればこれはかなりヤバイ状況だった。男性器とは単なる繁殖器官ではない。男性にとっての急所でもある。


 女性はウンヴァーハが囲っている者だ。ウンヴァーハの望む答えを発しなければ、容赦なく攻撃してくる。

 そしてその攻撃は実に簡単で効果的だ。


 矢傷も開いて血を吹く。出血が増え意識が朦朧としてくるが、そんな事はどうでもいい。

 出血多量で死にいたろうと腹上死しようと、ウンヴァーハにとってはゴミにも等しい命。このままでは彼の死は確実だった。


「(だ、だが……これで、いい…。み、ミミ様……、ど、どうか……お気をつけを。ヤバイ奴が貴女様を調べ……)」

 男はとにかく口を閉ざす。

 殺されてもいい、むしろその方がワラビット族の、ひいてはミミのためになると望んですらいた。


 しかし、絶望とは思った以上に底が深いものである。



「失礼いたします。ウンヴァーハ様、このようなものがあった事を忘れておりました故、届けに参りました」

「それはっ!?? き、貴様どこでそれをっ」

 あの手紙だ、間違いない。

 さきほどのドラゴンニュートが戻ってきてウンヴァーハに差し出したものは、種族領土内へと投げ込んだはずの “ ミミから種族の皆にあてた手紙 ” だった。


「ほーう、ほうほうほう? どうやらこの手紙、大事なもののようだな? どれどれ……」

 無造作に封を破り捨てられて男は憤りわきたつ。ウンヴァーハに手紙の内容を読まれる事も憎たらしいが、それ以上にどうやって入手したのかが気にかかる。


「…ぐうっ、ま…まさかっ、貴様らぁっ!!!」

「種族領土とはいえ、境界線付近に誰か居るなんて事は稀ですからねぇ。ちょこっとお邪魔して拾ってくるなど造作もないことですよ」

 本来、種族領土内にはいかなる者であっても、他種族の者が無断で立ち入る事は許されない。

 それは魔界の最頂点たる魔王によって制定された絶対の法の一つだ。


 しかし実情はこれである。あくどい連中の侵犯は度重なり、境界線付近に種族の者が安心して居を構えられないほど治安に不安を抱えるのが現実。



「にしてもたかが手紙1枚と思っていましたが……当たりでしょうか、ウンヴァーハ様?」

 ドラゴニュートが問いかけるのも無視して、ウンヴァーハは手紙の内容に見入っている。そして大きく笑みを浮かべた。


「ハハッ、あの女……どうやら上手くいってないみたいだっ。そうかそうか、これは使える、使えるぞっ、ハハハハ!!」

 手紙は最初、種族の皆への挨拶や雑談からはじまり、今の自分の領土の不穏な連中の存在や騒動についても触れられ、皆が送ってくれたワラビット族の茶葉へのお礼で締めくくられていた。


 中でもウンヴァーハが目をつけたのが、ミミの領土で活動しているらしき不穏な連中の存在である。


「よくやったぞ! これは追加報酬だ、受け取れっ」

 さきほど渡した宝石袋よりも一回り大きい袋を投げ渡す。今度は直接キャッチし、感嘆の声を漏らしながらドラゴニュートは膝をついて深く礼を示した。


「ありがとうございまする。では今度こそ私めはこれで失礼し―――」

「まて、おまえは出来るヤツだ。新しく頼みたいことがある、もっと近くに寄って来い。……おい、その男はもういい。お前、そいつを連れて出て行け、牢屋にぶち込んで死ぬまでそうしてろ」

 ワラビットの男には興味が失せたとばかりに、ウンヴァーハはシッシッと退出を促す。女は命令に従い彼を立たせると、連れて立って牢へと向かった。

 そう、女は男の枷を命じられている―――つまり牢獄の中へ彼と共に入らなければならない。それは彼女の人生の終わりを意味していた。



 どのみち早いか遅いかの違いしかない。退出していく二人を残った全裸女性達は哀れみや、今生の別れといった哀しみに満ちた表情で見送っていた。






 それから幾日の時が過ぎただろうか? あるいは何ヶ月かもしれない。窓すらない牢獄の中では時間の経過がよくわからない。


 だがワラビットの男を抑えつける役目として、彼にまたがったままの女性は、確実に時が経過している事を知る。

 食事すらも運ばれてはこないが、脆弱な人間種ではない二人。飲食を絶っても何週間かは耐えられるだけの生命力がある。

 しかしそんな二人が餓えを覚え始めたのだから、獄につながれてよりの時間は決して短くはなかった。



 もう女が枷でいる必要がないほど男はやせ、指一本動かす力がない。しかし彼女は彼と繋がったまま離れようとはしなかった。


「(………)」

 もはや気力がない。が、それ以上に気まぐれでウンヴァーハが様子を見に来る可能性の方が恐ろしかった。

 もしその時、男から離れていたらそれはウンヴァーハの命令を破った、あるいは軽視していると捉えられてしまう。


 ウンヴァーハ=アバング=ファルスターという男は、とにかく自分の思い通りにならなければ気がすまない。自分の命令に僅かでもそぐわない者や事が起これば即座に怒り出す。

 そしてゴミを処分する感覚で、直前まで情愛を注いでいた者ですら容易く殺してしまう、そんな最悪に我侭わがまま勝手かってな奴なのだ。



「(………ぅ……ぁ……)」

 二人とも声もあげない。もはや死は近いだろう。

 男の上で居眠りをするようにコクリコクリと頭を下げる彼女は、意識が落ちた瞬間、永遠に目覚める事はないと確信した。


「(どうして……こう、なったん……だろう……?)」

 思い出しても理不尽過ぎる流れで今、彼女はここにいる。

 両親が殺され、村人達が殺され、他の若い娘達とともに殺戮の高ぶりを沈めようとしたウンヴァーハの私兵達に犯された。ウンヴァーハに献上されてからは地獄のような恐怖に晒され続ける奴隷の日々。


 同じ境遇の娘達がアレの不興を買っては、抱かれている最中に下腹部を内側から食いちぎられ、無残な死に様を迎えるのを何度も見てきた。


 ウンヴァーハに逆らった男に、囲っていた娘達でもっとも飽きていた者を枷にあてがい、こうして牢獄に入れられてゆく様子も何度も見た。

 そして帰ってこなかった事も知っている。


 自分の最後はどっちになるのだろうと恐怖する毎日。そして今、その後者で自分は死にかけている。


「(ぁ…ぁ……。……)」

 一滴だけ涙がこぼれた。もはやもの言わぬ男の顔に落ちる。人生の不遇を嘆く想いの詰まった一滴は、まるで彼の涙でもあるかのように頬を流れていった。


「(…も…ぅ……だ…め………だ…。死………)」

 あるいは男はすでに死んでいるかもしれない。もしそうなら自分だけこんなにがんばっていても無意味じゃないか?

 もう楽になろう、そうしよう……彼女から恐怖も気力も何もかもが抜けてゆく。


 ゆっくりと上体を傾かせ、男の上に重なるように倒れ、そして――――動かなくなった。






――――――地上の魔界側、アトワルト領内のドウドゥル駐屯村。


「ほ、本当か それは真であろうな!?」

 アレクスは思わず立ち上がる。訪ねてきたドラゴニュートの商人が持ち込んだ話は、彼にとってまさに渡りに船であった。


「ええ、もちろんですとも。魔界にあって我が主、ウンヴァーハ様は、皆様のご活躍にいたく賛同なされておいでです。つきましてはこちらを……」

 パチンとドラゴニュートが指を鳴らすと、オークとハニュマン、そして河童が大小さまざまな荷箱や袋を次々と運び込んでくる。


 アレクスは中身を検めるべくそのうちの一つを無造作に叩き壊した、すると―――



 ジャララララァアッ!


「うおおお!? す、すげぇっっ」

「なんだこの宝石の山はッ!? とんでもねぇ量だぜ、こ、これ全部モノホンかよ!??」

 たった一箱から、両手で抱え上げきれないほどの宝石の数々が雪崩打って飛び出し、アレクスの側に控えていた部下達が歓喜に沸いた。


「皆様への御投資、との事にございますれば、存分に活用してくださいませ」

 しかしアレクスは少し冷静になる。確かに資金繰りは厳しく、部下の中には暴走して厄介ごとを起こす者も増えてきていた。

 そんな時に多額の財宝が転がり込んでくれば素直に諸手を挙げて喜びたくはある。


 反面、そのウンヴァーハとやらの目論見が気になる。

 はるか遠方の小さな勢力でしかない自分達に、ここまで高額な投資を行うなどいくらなんでも貴族の気まぐれやお遊びの範疇をこえている。



「(何が狙いなのだ、その男? ……まぁいい、利用させてもらうとしよう。皆をまとめるために金がいるのは事実だからな)」


「それと今後は私めらも、貴殿の下で働かせていただきたく存じます」

「? それもウンヴァーハとやらの差し金か?」

「はい、まったくもってその通りです。まぁ働くといいましても、何かございました時にウンヴァーハ様のご威光でもってあなた方をお守りするため、と言っておきましょう」

 つまり汗水たらして積極的に何かに務めようという気はない―――事実上の監査役、すなわち自分達のことをそのウンヴァーハとやらに逐一伝える役目という事だろう。


「……いいだろう。だがこちらの指示にはキッチリと従ってもらうぞ。余計な行動は取るな、いいな?」

「もちろんでございますとも、ハイ」

 このドラゴンニュートは要注意だ。いかにも詐欺師のニオイがぷんぷんする。利益のためなら主義主張など関係なくどんな無法も為すに違いない。

 それはアレクスの掲げる高潔なこころざしとはまさに真逆だ。


「ああ、それと数日後には私めの部下が数名、こちらに合流する予定となっております。ドワーフとトードマン、人間、魔族の4名、どうぞ手足のようにお使いください」

「気前のいい事だ。遠慮なく使わせてもらおう」

 これで兵の数は1万を越えた。資金も一気に潤い、アレクスはまずは一安心と胸をなでおろす。

 だがこれからだ。彼の計画はまだ半ば、目的を達するにはまだ程遠い。



「(へっへっへ、面白くなってきやがってぜぇ……)」

 側に控えていた者の一人がニマリといやらしい笑みを浮かべる。大量のお宝が舞い込んできたのは想定外だがヨダレが止まらない。しかし―――


「(おっとぉ、まだだ。まだ我慢だぜぇ俺様よぉ? もう少しだ、わかる…わかるぜぇ、へっへっへぇ、もう少しでもっとウメぇ・・・もんにありつける。それまでがんばってせいぜい組織をでっかくしろよぉアレクス? このバフゥム様のためによぉ♪)」

 流れ者の彼だが、既にアレクスの組織の中で相応に目立つ働きをしていた。見た目にそぐわず意外に実直な働きぶりに、組織の長であるアレクスも一目置いている。


 しかしそれは嘘である。バフゥムは来るべき瞬間ときを待っているのだ。その時、最高にオイシイ思いをするためには、相応の立場に立っている必要がある。

 そのため彼は、労働という投資を惜しげもなく払うのだ。

 本来そんな真面目ではないにも関わらずらしくもない行動を取り続けられるのは、唯一信頼している自分の鼻のおかげだ。


 目の前の宝石の山だけではない、まだまだ満たされるであろう欲望の予感。それを嗅ぎつけてくれる鼻。



「(この世で唯一信用に足るモンだからなぁ、頼むぜぇ俺様に最高のタイミングを教えてくれよぉ? へへっ)」

 砂利じゃりどものする事に興味はない。

 バフゥムはぎょくを嗅ぎ分ける。本当に価値のあるモノを理屈や事実ではなく、ニオイ・・・る。



 そんな、本当に危険な人物が己の陣営にいる事など知りもせず、長たるアレクスは今後の計画の進め方について熱心に議論を展開している。


 ドウドゥル駐屯村を夕焼けの赤い光が照らす。


 万を数える中、本気で正義を信じて歩みを進めているのはアレクスのみ。太陽が地平線に沈んで見えなくなってゆく様が、まるで彼の行く末を暗示しているかのようだった。







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