第59話 第9章5 獅子博兎
―――――都市シュクリア、外壁の一角の外側。
ガラガラガラガラ…ガシャァアッ!!
朝日がのぼりはじめると同時に、けたたましい音がこだまする。見れば外壁の一角が崩れ落ちていた。
結構な高さの外壁が、その一部といえどもてっ辺より崩れ落ちる様は、見る者にある種の爽快感すら与えた。
「なるほどね~、あれがミミちゃんの
メルロに付いていた者達から聞いた話では、
メリュジーネはまるで我が功績であるかの如く、満足気な表情で胸を張っていた。
「ですが敵の罠という事も考えられますれば、楽観視はできますまい。ま―――…ゴホン、タスアナ殿よりの御使者が言われていたとおり、ここは
ロディの言う3点とは、まず今しがた崩れた外壁の隙間が1点、東門が1点、そしてもう1点は―――――
「! …な、なんだ、おい、あいつらはッ!?」
「あの鎧…外の連中と同じじゃね?? なんで中にいんだよ!!!?」
東門の内側で、固く守りをかためていたはずのならず者達は一気に浮足しだつ。これこそがもう1点―――すなわち、地中からの潜入である。
「3人で突撃する、20人はその周囲をカバーし、敵の増援を叩け。5人は温存だ、蹴散らした後、速やかに門を開いて本隊を迎え入れろ!」
「「「了解!」」」
潜入部隊は地中の掘削のため、最低限の武装しか持ちあわせていない。鎧も薄手で保護領域が狭く、激しい戦闘には耐えられないものしか着用していなかった。
敵の迎撃態勢が整う前に叩く短期戦で突破する必要がある。いかなナガン正規兵といえど、しくじれば全滅まぬがれない困難な任務。
しかし彼らに怖れは微塵もない。むしろ穴掘りが得意な種族が隊にいない分、地中を進んで外壁を越える方が大変だったくらいだ。
彼らにとって、自分達の数倍以上のならず者どもに飛び込む事は、とても楽なお仕事であった。
―――――都市シュクリア、西側。
「撃て撃てー! 門をこじあける味方に、攻撃させるなッ!!」
「不安がるな! 一度戦いがはじまったならば前だけを見よ! ぶち抜け!!」
「後方とて油断はするなよっ、常に周囲を警戒しつつ、動けっ」
ハロイドの民兵陣地から出た男達は、まっすぐに西門へと突貫しはじめ、第二陣が横一列に展開して外壁上の敵に射かける。
陣内も慌ただしくなり、前線への食料や矢玉の補給手はずを整え、負傷者が帰ってきた時のための受け入れ態勢も構築を進んでいた。
ハロイド民兵達に令を投げかけるは派遣されてきたナガン正規兵だ。張り上げた声は、現場にいる者たち一人として聞き漏らす事のないよく通るものだった。
「す、すげぇや。これが…戦いなんだ」
少年はさすがにまだ、自分があの場に立てない事を理解する。
後方支援の兵站部隊、そのお手伝いというのはすなわち足手まといも同義の配置だ。実戦というものを目の当たりにしては、不服を唱える資格がない事を納得せざるをえない。
「ハッハッハ。ボウズ、これはまだ序の口だぞ? 作戦の第一段階だからな」
ナガン正規軍の兵士が、彼の頭をポンポンと叩きながら高笑う。見れば彼が率いる部隊は、まだ前にでる様子もなくくつろいでいた。
「第一段階??」
―――――都市シュクリア、北側。
「まず、門をたたく。閉ざせないほどに破壊できれば上等だな」
タスアナの言葉に各小隊の長たる役目を持った者達は頷き合う。まだ展開はしていない。3軍が示し合わせた方針では、まず日の出と共に
「ついでに3、4か所ほど穴ぁ開けちまえれば最高なんだがな、そいつぁ欲張りすぎってもんか?」
ザードは、シュクリアの外壁を抜くルートは多い方が良いとの考えなのだろう。
いかに味方にナガン正規軍がいても、その他はその大半がただの村人達である。
都市の外壁内部への進入路が1か所では、たとえ門を抜いても敵がそこを改めて固めんと戦力を投入してこられれば容易く塞がれてしまうし、誘引撃破も受けてしまうであろう事を懸念していた。
「いや、なんとかなるだろう。外壁上の兵は見たところ増援が少なく少数に留まっている。敵の戦力が限られている以上、壁に穴を開ける上での危険は少ないはずだ」
戦力を3つに分け、第一波が門を突貫するために1点突撃を敢行し、第二波がその援護。そして第三波が外壁上の敵へと斉射を続ける。それがマグル・オレス村勢が取っている攻撃態勢である。
外壁上の敵が増れば別だが、ドンの示した初期の方針のおかげか、はたまた敵は思った以上に余裕がないのか、増えるどころか減らしたら減らしただけ、そのままだったのだ。
「話によれば、都市を占拠している敵は3000から4000ほどの見込みだというからな。少ない数ではないが、この規模の都市を占拠し続ける上では決して多い数でもない」
「なるほどな…東のナガン正規軍が実力的に言やぁ一番強えぇが、それも2000ほどと聞いてる。つまりだ、こっちは包囲してるったって合わせて3000前後…けど、敵さんは打って出るほどの戦力的余裕はねぇし、壁に張り付かせて防衛線張るにゃあ、内側の抑えが甘くなっちまうってワケだ」
本来ならば、それなりに高くて強固な
だが今回の例ではいささか異なり、敵は都市の住民を靡かせておらず無法を続けきた――――それは
内にいつでも外と呼応する者が存在する都市を占拠し続けるには、持ちうる戦力を満遍なく配置していなくてはならない。
そしてリジーン軍は、確かに数としては相応のものがあるが、シュクリアの人口は万を数える。
しかもハロイドへの出兵や
―――――都市シュクリア、とある路地裏。
「……ああ、リジーンんとこの野郎どもは完全に崩れてる、間違いねぇ。リジーン本人もぜんぜんダメダメだしよ。どさくさに紛れて逃げ出そうって考えてる奴も多いぜ」
リザードマンがそっとしゃがんで誰かに耳打ちするようにつぶやく。しかしその場には誰もいない。…が、古い家屋の小さな穴より、何かがニュルリと這い出してきた。
「……よく知らせてくれたぜ、こいつは礼なんだぜ、受け取ってほしいのぜ」
それは一匹の蛇だった。どこから取り出したのか、銀貨3枚を口に咥え、リザードマンへと渡す。
「へへ、ありがとよ。またなんかわかったら伝えにきてやんぜっ」
「おお、頼むぜ。気を付けるのぜ」
ペコリとお辞儀をすると、リザードマンは走り去っていった。
残された小さな蛇はフーと一息つくやいなや、その場でムクムクと大きく膨れ上がり…あっという間に身長にして190cmほどの
「潜入生活もクライマックスが近そうなのぜ。
彼はアレクスの組織に属していたならず者であった。しかしミミに許され、改心した内の一人であり、今では彼女に対して絶大な忠誠心を抱いている。
そんな
彼が潜伏に利用しているこの辺りは、シュクリアがまだ大きく成長する前には商売の中心地であった、中央部は南側の古い旧商店街地区で、比較的新しい他の地区と比べると死角が多く、隠れやすい。なによりこの地区には潜伏中に知り合い、協力してくれる住民がいたのだ。
「だ、大丈夫ですか? 早く中へ戻ったほうが…み、見つかると大変なのでは!?」
古く濁ったガラス窓に、薄っすらと映っているのは、潜入中に知り合った商店主の
「平気なのぜ。見回りの連中も呑気に町の中を回ってる余裕はないはずなのぜ、だからそんなに怯えなくてもいいのだぜ、オットーさん」
直接的なつながりは何もないものの、学園に通っていた頃のミミの後輩であるという履歴を持つこの商店主と知り合ったおかげで、
「おおーい! はぁ、はぁはぁ…よかった、無事だったようだな」
「ん、おお、そっちも無事だったようで何よりなのぜ!」
スネークマンは走ってきた
「…残念だが、何人かは連中にバレたようで、リジーンのところの連中に捕まってっしまった。だから心配していたんだ」
普段は寡黙な彼が饒舌に語る様子からも、さすがに潜入した仲間の全てが上手くやれてはいない事を知り、スネークマンは少しだけ肩を落とす。
「心配サンキュウなのだぜ。地元の人に協力してもらっていたから、こっちは比較的楽に事が運べたのぜ」
口ではそう言うも、実際は結構な綱渡りであった。さきほどの情報をくれたリザードマンにしてもリジーンの配下の一人であり、多少の金と引き換えに情報を漏らしてもらっていただけの事である。もし彼が告げ口をすれば、いつ追われる事になってもおかしくなかった。
それでも危険を伴うような活動を行っていたのは、このスネークマンが通常の蛇亜人とは異なり、亜人型と蛇型を自在に変身して使い分ける事が可能な、生まれついての特殊性を持っていたからだ。
「(他の奴らには荷が重かったのかもしれないのぜ…。けど、
領主様――実際には
ミミからはキツく準備にとどめて、実行の機は焦るべからずと申しつけられていた。潜入組はそれをよく守り、逆によく守ったからこそ都市内部のリジーン軍への工作は、入念かつしっかりとしたものを仕掛けることができたのだ。
その効果も絶大で、特にスネークマンが行った一部のならず者の裏切り行動誘引策は、リジーン達の対外迎撃準備を大きく遅らせる事に貢献していた。
「今は敵も落ち着きつつあるのぜ。油断はぜきないぜ、次の行動に………そういえば “ キツネ ” はどうしたのぜ??」
ミミの命で潜入した者は10名前後。その中でも特に代表的な者として潜入組をリードしていたのがこの3人。
スネークマン、ビートルマン、そしてもう一人…
「それが…彼女はこの機を逃す手はないといって、この都市の自警団を解放すると一人走っていってしまった。一昨日の夜中のことだが、これまで連絡はない」
「……捕まったのぜ?」
「おそらく」
もし上手くいっていれば、シュクリアの自警団はとっくに解放されており、リジーン軍は内外から攻め立てられ、にっちもさっちもいかない状態へと追い込まれているはずである。
しかし、
「まだ大丈夫なのぜ。リジーンとこの連中がこっちを探してる様子はないのぜ、ということは彼女が俺達のことを喋っていない証拠なのぜ。彼女もきっと無事なのぜ」
「…うむ、そう思うほかないな、今は」
数々の工作活動が効果を成している今、事実上彼らの仕事は終わったともいえる。それでも
―――――ドウドゥル駐屯村、入り口付近。
「ぐううう!! バフゥム! すぐに100…いや500の小隊を編成し、出撃させよ!!」
アレクスは自らの怪我もかえりみずに怒鳴り散らす。アレクス隊の面々はいずれも大怪我を負っており、ここまでたどり着いたのも奇跡に近いような散々な状態だった。
「いってぇ何があったんだぁ? ここの戦力は簡単にゃあ動かしちゃならねぇって言ったのはアンタだぜ、アレクス」
バフゥムは慎重に疑義を呈する。アレクス隊に何が起こったのかは不明ではあるが、
「何を言っている、貴様が一番わかっている事だろう!? 捕えていた
一瞬、ギクリとする。まさか
「だが、奴を守る者達の中に、想定外の強さを持つ者がいた! 無念ではあるが取り返す事かなわなかった、が、ぐ…っ」
傷が痛むのか、あのアレクスが苦悶を浮かべて口を閉ざす。
バフゥムはピンときた。アレクスがいうここに捕らわれていた逃げだした領主とは、あの
「(どういう事だ? あのカエルの美女ちゃんがたまたまウロウロしていたのに出くわしたってのか? 解せねぇな…なら守る者ってのは、なんだ?)」
どう見積もっても戦いに赴くような人物像ではなかったと記憶しているバフゥムは、考えながら現状に対する危機感を募らせてゆく。
どんな時でも自分が知らない不確定要素というものは、存在するものだ。この世の全てを余すことなく常に把握できるわけはないのだから。
だがアレクスほどの強さを持つ者をここまで痛めつける奴が、自分の知るところの外側に存在しているとなれば話は別である。いつそうした強い敵に自分が出くわすともしれない以上は、身の保身を考えなければならなかった。
「とりあえず言いてぇ事はわかったぜ。500…なんとかひねり出してみるからよぉ、アレクスは傷の手当てに専念してなぁ」
焦りはない。むしろアレクスが怪我を負っての帰還は好都合だ。何をおいても怪我を理由に安静してろと言うだけで、聞かれたくない事を聞かれそうになった際には簡単に誤魔化せる。
しかし、この時バフゥムは失念していた。バランクというライバルの存在に。それは彼らしからぬミスであった。
「少しよろしいですか、アレクス?」
「……バランク、貴様も戻っていたのか」
それは、アレクスがバフゥムの元を離れて休養のために手近な小屋へと向かう最中であった。ちょうど500人の出撃の手配に向かったバフゥムの動向を把握した上でタイミングを見計らい、バランクは勝負に出た。
「ええ。まずは一つ、貴方に謝らなければいけない事がありましてね…」
「? 何かあったのか、貴様にしては随分としおらしいな」
アレクスはいまだ彼に対して不信感を抱いており、バフゥムには信をおいていていても、バランクには警戒心を持ち続けていた。
だが、自分に対していつも不遜な態度の相手が、妙に意気消沈した様子を見せたとなれば、アレクスの彼を見る目も幾分か和らぐというもの。
演技とはいえ下手に出るのは腹立つが、バフゥムを出し抜き、目的を達するための辛抱と自身に言い聞かせ、バランクは言葉を紡いだ。
「まず、あの館で捕らえた領主ですが…偽者だったのです」
「なにっ? …いや、本当にそうなのか? 私をたばかっているのではあるまいな?」
アレクスの驚きようは想定以上だった。その様子からも、さきほどの話にあったここに戻る途上で不意遭遇したという
「耳と尻尾は飾りでした…ワラビット族ですらなかったのですよ」
そう言って、バランクは念のため取っておいた
館でメルロの姿と、着用していた装束をその目で見ているアレクスは、提示されたそれが本物である事を理解し、途端にワナワナと震えだした。
「………。バランクよ、ならばなぜ、すぐにその事を報告しなかったのか?」
軽く怒気が混じっている。が、同時にそれをバランクへとぶつけるには筋違いという理性も混在している。何せ自分もあの館で捕らえられた際に偽者と見抜けなかったのだから、そんな自分を差し置き、バランクを責めるは愚かと考え、踏みとどまっているのだろう。逆にいえば、ここで納得いく理由を述べられなければ、堰を切って怒号が浴びせかけられかねない。ゆえにアレクス好みの真摯な態度を示す。
「私にもメンツというものがありますのでね。本物を探し出す事で貴方へのお詫びとし、報告しようと思ったのですよ」
お詫びと事後報告するというのは嘘だが、それ以外は全て本当の事だ。それゆえに彼の告白を疑う気持ちはアレクスには芽生えない。
もともと単純な性格である。疑問を生じさせぬ――アレクスの
自分のプライドや諸々を投げ出し、ただ目的を…結果を得るべく、真実を多分に含んだ正直な告白は、この場においては最良の一手となる。バランクはそう踏んでいた。
「そしてアレクス、貴方がここにやってくる途上にて出くわした者は、おそらく間違いなくあの時に
あえて “ 我々が ” という言い回しをする事で、過去の偽領主捕縛の功を自分とアレクスの共有のものであるかのように思わせる。もっとも同時に、責任をも共有させようというバランクの思惑がしかと含まれてもいるのだが。
「ならば出撃させる意味はないではないか。バフゥムの奴に取りやめを―――」
偽領主を捕らえるために戦力を出すのは、シュクリアのリジーン隊が包囲されているという現状では、後々の事を想定して避け、手元の戦力の温存をと考えるのは、組織の長としては当然だろう。しかしバランクはそれを否定する。
「いえ、出撃させた方がいいでしょう。なぜならバフゥムは、重大な事を隠しているからです。本物の領主を捕らえた、という事実を…ね」
「!? どういう事か詳しく説明しろ」
バランクはほくそ笑む。おそらくは怪我で弱っている事もあって、自分への警戒心が緩んでいるのだろう。バフゥムの事を告げ口しはじめようとしているのに、アレクスはそんなバランクの言葉に対して疑う素振りも見せなかった。
「まず、偽者の領主がこの駐屯村へと移送された後の事ですが、どうやらこれを救い出すべく、本物の領主が乗り込んできたようなのです」
「ぬ…つまり、我らが館で捕らえた偽者は、その時に助け出されたという事か?」
「はい、まず間違いないかと。ですがその時、バフゥムは本物の領主を捕らえる事には成功していたのです。私めもその事を知ったのはほんの数日前だったのですが…」
「ならばその時点で、貴様から私に連絡をよこす事くらいできたはずだな? なぜしなかったのか?」
かかった。バランクは心の中でより強く笑みを浮かべる。もはや勝ちは揺るがない、満面の笑みを浮かべたい気分であった。
「
アレクスは聞き入っている。思い通りに事が運び始めた事を実感する時の、この感覚が、バランクは大好きだった。ついつい語り口が饒舌になってしまう。
「それはなぜか? ようやく面会が叶った時、彼女の身なりはそれはそれは酷いもので、そこの広場に吊るされた形で出されてきました。そのいたましい姿、バフゥム達に何をされていたのか……語るには憚られるであろう事なのは、まず間違いないでしょう」
想像したのだろう。あえて言明しない事でアレクスの想像力に任せた凄惨な領主の姿。高潔であらんとするアレクスの性格ならば、バフゥムに対して怒りを覚えるには十分である。
「しかして領主はそこで起死回生の一手を打ち、捕縛を解いて逃走を図ったのです。そして現在…この駐屯村内で今、彼女は逃げ回っており、それを捕えんとしている状況ながら、バフゥムは貴方に黙っている…出入り口を見ればお分かりいただけると思いますが、やたらと兵を固めているでしょう?」
それが、現在も
「!! …くっ、あぅっ、ん!」
数分後、ミミはドンドンと追い詰められていた。空の樽が、まるで火薬でも入っていたかのように破裂し、拳圧でミミの身体が吹き飛ばされるようですらあった。
「なるほど……貴様が本物か。くくく、ハッハッハ!! 私もとんと道化であったのだな!」
バランクがアレクスを味方につける――――それはミミにとっては想定外だった。何せバフゥム、バランク、アレクスは決して混ざる事のない者同士だと睨んでいたからだ。
「……ホントに道化でいてくれましたら、
彼女は態勢を立て直しつつ、転がっていた木片を蹴り飛ばした。アレクスの顔面向けて飛来するそれは、一瞬ではあるが視覚を塞ぐ。
その隙をついて窮地を脱せんとミミは跳んだ。しかし
「おっと、もうそろそろ鬼ごっこは飽きましたので、観念していただきますよ?」
「っ!」
アレクスをかわしても、バランクがいる。二人ともそこらのならず者とは動きが段違いで、すり抜ける隙がまったく見つけられない。
「(何も知らないで、あの
駐屯村の高い壁際。左右には小屋が立ち、窓のない壁に挟まれている。小屋の上へと飛び乗る事はできるが、屋根上に無造作に積まれた荷箱がさらなる壁となっていて、一手では飛び越えられない。
バランクとアレクスが相手では逃れるは不可能と、ミミは判断する。
「(場所はもう駐屯村の一番奥深く…ここを逃れても、出入り口まで走るには距離があるし……脱出の目はない、かな…。あははは、いきなり難易度上がり過ぎ)」
苦笑するしかない。再度捕まる事も致し方ないかとは思っていたが、状況が状況だけにミミとしてはメリュジーネ率いる正規軍が、相応の場所まで進軍するであろうもう1、2日程度は粘りたかった。
唯一の救いは、アレクスが大怪我を負っているという事。これならばまだなんとかなるかもしれないと諦めずに観察し、隙を見つけようとしていたのだが…
「バランクさん、待たせたな」
「ふー、ふー…こ、こんな遠くだなんて聞いてなかったですよー」
バランク手下の
「(この上、包囲が固められちゃさらに絶望的…切り抜けるなら今しかないっ)」
バッ!
バランクが、自身の手下の到着に右肩越しに後方へと視線を向けた隙をついて地面を蹴る。ワラビット族の跳躍力が、バランクの死角となった左側へとその身を飛ばしてすり抜けさせた。
「しまっ――――」
バランクが声をあげかけたその時――――
ドボゴォッ!!!!
「かふっ!!! …ぅ…、んぐ……ぅ、ぁ…はっ、ぐ…」
「かように小柄な女性を手にかけるは本意ではないが、こちらももはや猶予はないのでな。そろそろ大人しくしてもらうぞ」
アレクスの拳が、ミミの身体を深く穿っていた。そのまま上へと彼女の身体を押し上げ、高らかと掲げる。
「(…い、しき…が…、こ、混濁…し、て…っ)」
視界がグニャグニャに歪み、腹部から伝播した激痛が全身を駆ける。皮だけを残して中身を全部吐き出したいような気持ち悪さを感じるが、嘔吐せんとする事すらままならないほど、カラダの自由がきかない。
「さ、さすが…アレクスですね」
バランクはドン引きしていた。アレクスの性格ならば、彼女に直接手をかけるなどしないと思っていたからだ。ところが放った一撃は、あきらかに戦闘でも通用する破壊力を伴っていた。
その証拠に、拳の上に高く掲げ挙げられている領主のカラダは、モズの速贄が如く頭と四肢をぐったりさせ、ビクビクと痙攣している。ワラビット族特有の耳や尻尾もダランと下がり、時折起き上がろうとしては力尽きてまた垂れるを繰り返している。
アレクスの大柄さも相まって
「………その矮小な身で我が拳を受けてなお、まだ意識はあるか。だがもう動けまい」
アレクスは一瞬、クシャクシャに…今にも泣きそうな子供のような表情を浮かべた。
それは途方もなく深い罪悪感の現れである。自らの行いが、全て間違いであった事を知ってなお引くに引けず、今こうしてなんら罪なき娘を手にかけている身勝手な自分。
しかしもう彼が踵を返すことはない。
彼女をその肩に担ぎなおしてしかと抱くと、その場から歩き出した。
「(しかし……妙な? あの一撃は決して軽いものではなかったはず。手加減を忘れたと今ですら後悔すらしているほどだ…最低でも骨の数本はやってしまったかと思ったのだが…?)」
アレクスの疑問。
攻撃がヒットした事は間違いなく、その重さも到底彼女の細く小柄な身で耐えられるようなものではなかった。にも関わらず、意識が混濁し、身動き一つ取れないではいるものの、彼女のカラダに目立ったダメージは見受けられず、内臓や骨を痛めた様子もなかったのだ。
ト……… ク…… ン………
「? ………気のせい、か??」
心音とは異なる、本当に極かすかな振動が、右肩に伝わったような気がした。だが担いでいる領主の意識は朦朧としており、その身はやはりぐったりしたままで、何かした様子もない。
アレクスの右肩――――振動を感じたのは領主のお腹が接している辺り。だが意識を集中してみても、今はなにも感じない。
「(ふむ、やはり心臓の音か? …ぐっ…私も傷を負っているがゆえに、感覚がおかしくなっているのやもしれんな)」
手負い、それが気のせいの原因だろうと思い、アレクスがそれ以上深く考える事はなかった。
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