第79話 第3章5 お悩み事は大なり小なり



――――ナガン領内、メリュジーネの私邸。



 広大な領地を有するメリュジーネは、自分の領内各地に数多くの屋敷を設けている。

 主な用途は居住用ではなく、視察や巡行などの際の宿泊用。たまにそこらの宿屋に泊まる事もあるが、それは私邸が近くに一つもないような町や村のみである。


 この十分に豪華な私邸も、そんな一時のみ滞在するだけの屋敷の一つだった。



「は~ぁ…やーっと終わったわぁ~」

「お疲れ様でございました、メリュジーネ様」


 領内の大きな町を巡り、領民の代表者たる者達の声を聞く。


 彼女がやる事は椅子に座ってただひたすら、彼らの言葉に耳を傾けるだけ。なのだが、下半身が蛇のソレである彼女には自分に合ったものでない、好意で・・・用意されてる椅子では、長い時間座っているだけでも大変な疲労を伴う。

 加えて領主として上位者としての威厳を保ち、然るべき態度を崩す事なく話を聞き続けていなければならない。


 そして、それだけの苦労を払って有益な話が聞けるかというと、答えはNO。


 何せ魔界本土と比較して、この地上はあらゆる面で劣っている世界。領民の代表者といえど、メリュジーネから見れば有識者とは呼び難い低教養な者ばかりである。


 いずこでも口をついて出てくるのは、自分達の事だけしか考えていない身勝手な欲望が透けて見える言葉ばかり――――他を見ず自分達の利益を追求するために都合のいい要望と、自己での努力を怠っていながら、それでいて他に責任転嫁する愚痴めいた子供の言い訳みたいな意見のフルコースである。



「……頭の悪いやつほど、町長とか村長とかになりたがるのはなんでかしらねー? 役職に見合った責任も仕事もしてないし、そもそもその能力もないくせにさーぁ」


「愚者であるほど名を欲するといいます。名に伴うメリットしか見えておらず、まるで 綺羅きら――見栄えの良い美飾――をまとうがごときものと考えているのでしょう」

 執事のロディの意見に、メリュジーネは深いため息でもって応える、うんざりするほど同意であるという意味を込めて。


「有名無実、って奴ね。そんな愚か者が私の領内に蔓延はびこってるとか、うっとおしい事この上ないわ。いっそ全員まとめてほうむってやろうかしら…」

 メリュジーネの表情に殺意の色が灯る。冗談混じり…と思いたいが、感じられるプレッシャーは本物のソレを多分たぶんに含んでいた。

 それでもロディは何事もないかのように平静を装ったまま部屋の扉を開け、お茶を運んできた侍女を出迎える。

 だがティータイムに及んでも、主の気迫が萎える気配を見せないため、仕方なしに一言苦言を述べる。


「メリュジーネ様がそうお望みとあらば、反対する者はございませぬ。ですが愚か者とは際限なく湧き出てくるもの……排斥は容易かろうとも、コレを御する事こそ肝要であるとわたくしめは具申いたします」

 実際、彼の言う事は正しい。知性ある生き物の全員が全員、高尚高潔なる精神と意志を持っているわけがない。


 その精神性が高まってより高次元に進化したとしても、結局はその中でまた優劣がつくもの。

 愚者と呼ぶに相応しい輩も時代を遡る…あるいは劣等で原始的な者達と比較したならば、十分に高い次元の知性と精神性を有しているとみる事が出来る。

 逆に言えば、今のメリュジーネやロディでさえ、遥か未来の卓越した者から見れば、十分に愚か者に見える者であるかもしれないということだ。



「ま、それが上に立つ者のつとめ・・・って事ね、嫌になるけどしょうがなし。…………でもねロディ? 同じ愚者でも、マシなモノに取り替える・・・・・くらいは必要だと思わなくて?」

 今日の領民との会見がよほど気にくわなかったらしい。

 ようやく収まったかと思いきや、まったく収まっていないメリュジーネ。全身から殺気を立ち上らせ、室内を覆い尽くしてゆく。


 自分が何か怒りを買ってしまったのかと勘違いした侍従が、思わずお茶のポットを落としてその身を震わせても、メリュジーネから放たれる恐ろしい迫力は一切、引っ込められる様子がない。




 メリュジーネ=エル=ナガン。



 普段は真面目さに欠け、仕える者達にしても親しみやすい雰囲気を纏っている彼女。だが一皮むけばその正体は、魔界屈指の大貴族である。


  " 噴けば飛ぶ " とは彼女の場合、言葉遊びの比喩表現の域に留まらない。調子に乗った地上の勘違いな愚か者どもなど、息を吹くだけで本当に吹き飛ばせてしまうだろう。物理的にも社会的にも。



 ロディは、ガタガタと怯えて立つ事もままならなくなっている侍女が可哀想になってきて、やれやれと肩をすくめた。


「それでしたならば仕方なき事かと。ふさわしくない愚物より、ふさわしい愚物に置き換えるは、領民のためにもなりましょう」

 なんだかんだ言っても、メリュジーネは執事たる自分ロディを信頼している。了承が得られない事は、彼女とて強引に無茶を通そうとはしない。


 だからこそロディは恐ろしくもあった。信を得ている側近を振り切ってしまうほどの一大事が起きた時、彼女は果たしていかなる暴走を起こしてしまうのか、と。


 そしてそうなった場合、この地上には彼女を止められる者は誰もいない。



「(本当に恐ろしい御方だ。アトワルト候がお隣にいらっしゃった事はある意味、幸運であったかもしれませんね)」

 メリュジーネがその機嫌を損ね、地上を蹂躙するような暴威を振るう事がないのは、たとえ腹立たしい事があっても、同時にこの地上世界に楽しみを見出しているからに他ならない。


 隣領にできた、同性で同じ領主仲間という友人の存在は、まさにその激情に歯止めをかけるストッパーとして彼女の心の中で、大きなウェイトを占めている。

 自分が無責任な行いをして迷惑をかけてはならないという気持ちがあるからこそ、メリュジーネは真面目に領主という務めを果たしている。


 ロディは収束していく殺気に背を向けると落ちたティーポットを拾い上げ、泡をふいて気絶している侍従を片手で軽々抱えあげる。

 お茶を淹れなおす手配をして参りますと、丁寧にことわってから押し車と侍従、そして諸々を持って退室し、廊下へと出た。




「(ゆえにアトワルト候には何卒なにとぞ平素へいそより安寧無事であってもらいたいものですが)」

 彼女にもし何かあったら、それこそメリュジーネの感情は天を突き抜けるかもしれない。先日の反乱騒ぎの件では、よくあの程度で収まってくれたものだと、いまさらながらに思い返して、ロディは再び両肩を上下させた。


 私邸とはいえ並みの邸宅の3倍はあろうかという広い屋敷。廊下も長く、普通に移動するだけでも思案には十分な時間を与えてくれる。


「(……。アトワルト候には、今後ともメリュジーネ様と良しなにと、継続的な贈り物の手配をしておくべきでしょう)」

 メリュジーネの名で出す贈り物。

 だが、当のメリュジーネは当然の如く知る事はない。ロディの言う “ 贈り物 ” とは、他の権力者とのコネクション維持のための事務のようなものであり、彼ら配下の者だけで全て取り仕切っている些事である。


 地上にあってメリュジーネの格に比肩するような貴族はこの付近にはいないため、格下に対する贈り物が少数と、魔界本土のメリュジーネの一族や特に親しい貴族等に対して、地上の産物などを定期的に送っているのが現状だ。


 ロディは歩を進めながら、アトワルト候への贈り物は日々の安寧無事と繁栄祈願の意を込めた、一段上の扱いで贈り物の手配をすべきであろうと、考えをまとめた。











 一方その頃、その当のアトワルト候こと、ミミ=オプス=アトワルトはというと…


「えーと、もう気分は良くなったから…大丈夫だから、ね??」

「いけません! まだ横になっていてください!!」

 イフスの猛烈なる看護の中、ベッドから起き上がれない状態にあった。


 ・


 ・


 ・



「魔獣生み…ですか、なるほど。アトワルト候におかれては、無理をおしてでも成し得たい事でしょうねぇ」

「まさか領主さまがそんな事してたなんてまるで気づかなかったよ。側にお仕えしていたのに、面目ねぇ限りだ……」

 ジャックとドンの二人は事態を完全に理解しているようだが、他の者にはどういう事なのかさっぱりわからない。


 唯一ザードが、うっすらと聞いた事があるような気がする、と少し首を傾げながら自分の知識を掘り返すもよくはわからないようで、半端な瞳の輝きを宿したままドン達に説明を求める視線を流す。


 そんな戸惑う群衆を見まわしながらジャックは、軽く笑みを浮かべながら口を開いた。


「魔獣――――それは非常に強力な力を有したる生命体である事は、ここにいる皆さんもご存じかと思いますが、単にそれだけではないのですよ」

「魔獣は忠誠心が強いんだ。一族の繋がりを大事にするし、自分を産んだ親ともなれば、自分自身のすべてを賭けてまで尽くそうとするのも多い」

 ジャックとドンの交互の説明に、メルロやラゴーフズ達は聞き入る。


 扉の向こう……部屋の中ではその魔獣の卵を抱えたミミが、イフスの看護を受けている。仕える者として、主の体調異変の原因を理解しておかなければならないと、彼らもまた深い忠節を抱いているだけに表情は真剣そのものだ。


「ま、言い方は悪いですが、自分に対して絶対的な忠誠心を持った精強なる兵士が得られる……という事になります。ピンキリとはいえとびっきりの…ね」

 ジャックがくいっとメガネのズレを直しながらのたまうその表情は、実に面白いという不謹慎にも思えるものだった。ともすれば悪だくみでもしてそうに思われかねないほどの。

 そんなジャックに若干引きながらも、ドンはすぐさま補足を入れる。


「実際、魔獣生みで生まれた魔獣は、親と子というよりは親と愛玩動物ペットって関係性に近いんだ。自分が産んだ魔獣を我が子扱いするケースなんざほぼ皆無だし、実際、生みの親にとって役に立つ存在なのは間違いないんだ」


「どのような魔獣かにもよりますが…大抵の場合、ここにいるほとんどの者よりも強いでしょうね。単純な戦力としてはこの地上において破格の存在となりえます」

「知能も高いからな。言葉は完全に理解するし、器用な奴も多けりゃ強力な魔力を秘めてたりもする……戦闘どころかあらゆる方面で役立つ存在なんだ」

 

「するってぇと領主の嬢ちゃんは、手持ちの人材を拡充したいって感じで魔獣を生もうとしてるワケか?」

 ザードの質問に おそらくはと前置きした上で、ジャックは続ける。


「もっとも、魔獣生みはそう簡単な事ではありませんがね。種族的に最上位と言われる方々でさえ成功する確率は極めて低く、それなりに長い期間、延々と異常なまでの負担を強いられる行いです。………こう言ってはなんですが、ワラビット族弱小種族であるアトワルト候にはかなり難しいと言わざるをえないでしょうね、本来ならば」


「……本来…なら…です、か? …で、では…その、上手くいっている、…という事なので…しょうか…??」

 メルロのたどたどしい質問に、ジャックはニコリと笑みを返した。


「その通りですよお嬢さん。驚くべき事ですが、アトワルト候の抱える魔獣の卵は、すでに安定期に入りつつあるといっても良いでしょう。普通であれば、この状態へと至る前に彼女の魔力は尽き、卵は栄養不足からただの石と化していたはずです。まさに奇跡と言える成功率をかいくぐったと言えるでしょう。ただ…」


「ただ…なんなのでしょうか、何か問題があると?」

 ラゴーフズ達が心配そうに1歩前へと身を乗り出してくる。

 実際に彼女の体調の急変に立ち会ってる者は、いまだその顔に心配の色を色濃く残したままだ。


「安定期に入る直前、卵が一気にゴソッと魔力を吸い取って、栄養として吸収しちまうんだ。ここで足りねぇと母体にも影響が出る事になっちまう」

 ドンは、自分の知る限りの知識を掘り起こしながら、懸念される事態を脳裏に浮かべつつ慎重に言葉を選ぶ。

 とはいえ、やはりミミ自身の命に関わる部分をどうマイルドに変換して説明を紡ぐべきかでやや迷い、口ごもってしまった。


「……ハッキリと申しますれば、アトワルト候の御命にかかわる、という事です」

「! お、おいジャックさん」

 ジャックの一言で、皆がザワつき始める。不安が募り、最悪の事態も頭をよぎって、悪い方向へと心配が加速してゆく。


「飾っても無意味ですからね。早いうちにハッキリと申しておかないと、それこそイザという時に混乱をきたしてしまいますよ?」

「それはそうかもしれないが…と、とにかくだ、今回領主さまがお倒れになったのは……多分だが魔力不足、だと思う」

 なんとか説明を続けるドン。


 こっちが言葉を吐き出し続ける限り、皆はそれを聞こうとするので場が混乱する事はとりあえず避けられる。だが場にいる誰もが不安そうな顔をしていた。


「魔獣の卵は魔力が不足しますと、今度は体力を…そして生命力を栄養として奪います。そうやって一定の大きさまで成長した後、卵は表面を硬化させ、母体との繋がりを切ります」

「そこまでいけば晴れて安定期入りで一安心なんだ。何せ繋がりが切れるから奪われるモノはなくなるからな。…けどその後の成長のための栄養を事前に卵に蓄えようとして今回、領主さまの身体から魔力や体力を大量に奪っちまったってわけなんだ」

 そこまで聞いて沈黙する彼らの中、バッと手を上げたのはそれまで大人しく聞いていたムームだった。


「じゃ、ミーミィ、ゴハンたくさん食べたら良くなる~?」

 肩に乗ってる泥の魔物ゲフェの子供も、真似っこして自分の身体の一部を手のように伸ばして挙手している。

 なかなか愛らしいコンビだと微笑ましく思いながら、ジャックは大きく首肯しゅこうを混ぜつつ肯定を示した。


「なるべく栄養を摂る事が一番でしょう。まだ完全に安定期に入ってはいないようですからね。…少なくとも食事をキチンととってさえいれば、命を落とすまでの事態には至ることはないでしょう」

 その言葉を受け、場にいる全員が口々に安堵を漏らした。彼らからミミに対する確かな忠誠心が感じられる。



「(大した御方だ。隣の愚者とは大違いですねぇ)」

 ただ高い地位にあるだけで配下より支持を得られると勘違いしている者は多々見てきた。それと比べればなんと良好な主従関係であるだろうか?


 ジャックは久しぶりに価値あるモノを見出せた気分になり、口角を大きく吊り上げてむ。

 だがその笑顔はこの上なく怪しい。胡散臭い。

 たまたまその表情を目撃したフルナ狐獣人が、ギョッとして尻尾を逆立てた。


 ・


 ・


 ・


「…ドンさん達が上手く説明してくれたみたいだね、とりあえず一安心―――――」

 そう言いながら、立てていた聞き耳をしおらせると同時に、自然な流れでベッドから起き上がろうと企てたミミだったが、眼前にドンッとイフスの顔が立ちはだかる。

 企ては失敗した。


「ダ・メ・で・す。ミミ様、お起きになってはなりません」

「――――はい」

 逸らすように横に流れた視線がベッドの脇に捉えたのは、追加の毛布やら布団やらクッションやらの山。加えてその奥には、水差しとコップ、洗面器にタオルなどなどなどなどなど……長期看護する気満々の充実した諸々の品が所狭しと並んでいた。


 ちなみに替えの寝巻はない。必要ないからだ。

 毛替わりする獣人族は体調不良や病気の際、唐突に毛が抜けたりする事があるため、汚れないよう着用するにしても最低限の下着だけでベッドに入る。



「(うーん、本当にもう平気なんだけど…どうしよう?)」

 ベッドの中からベッド脇で控えているイフスをチラりと伺う。


 目が合う。


 無言ながらに視線でダメですよ、と強く返してくる。



 まるで監視だ。ベッドで休む以外の一切を許してくれそうにない。

 こうなったら仕方ないとばかりに、今日はお休みにして大人しく寝ることにしようかとミミが諦めかけたところに…



 コンコン


 ドアをノックする音が響いた。



「失礼いたしやす。領主さま、お身体のほう大丈夫ですか?」

 入室してきたのはドンだった。


 静かに入室を済ませると、扉の近くで立ち止まる。

 ミミの容態を気遣って…というのもあるが、どちらかといえばイフスへの気配りだろう。入室直後にいきなりベッドの側に寄れば、まだ少しボルテージが上がっている彼女が制してくるのは容易に想像できる事だ。


「ん、大丈夫だけどイフーが起きるのを許してくれなくってねー。ベッドの上からで悪いけど」

「いえ、お身体を大事にしてくだせえ、細かい事なら我々でなんとか致しますんで」

「うん、ドンさんがいれば平時・・の雑務は皆でこなせると思う、よいしょっと」

 ミミはモソモソと上体だけ布団の中から起こし上げる。掛け布団で胸元を隠すようにしてから背中を後ろに軽く傾け、枕にもたれかかる体勢を整えた。相応に話をする構えだ。


 それを見てドンはすぐさま察し、あらためてベッドの側に歩み寄った。さすがにイフスもミミの様子から必要ごとを話しておかないといけないのだと理解し、近づくドンを止めるような事はしない。

 壁際に置いてある椅子を一つ取ると、ミミのベッドの横に運んでドンに座らせた。背の低い彼が、あるじと会話をかわすにあたり、不敬でない状況を整える。



「ありがとイフー。で、とりあえずそうだな~…まず私から・・・普段の雑務について指示を出しておくから、皆で手分けしてこなしておいてもらえると助かるかな」

 ドンからの話も聞く、という意志を言葉の内に含める。側に控えているイフスからすれば、今は余計を言って心労を与えるような事はさせたくないだろう。

 だが各人がそれぞれの任より戻ってきたばかり。本来ならすぐにでも皆から色々と報告を聞かなければいけない状況なのだ。


「(イフーの気持ちもわかるけど、こればっかりはキッチリしないとね)」


 ・

 ・

 ・


「――――以上が、ドンさん達にやってもらう日常の雑務のアレコレ。分からない事があったら遠慮なく聞きに来て。後で問題が起こるよりは、よっぽど私の身体にいいから」

「かしこまりやした。任せてください」

 イフスとしてはしっかりと静養してもらうべく、他者との接触の類は慎んでもらいたいだろうが、そうはいかない。

 領主である自分にしか出来ない、やらなければならない事は少なくない。



「それじゃ、順番に聞こっか。まずは、…皆はやっぱり動揺してるかな??」

「ええ、まぁ。ですがジャックさんと俺の方で一通り説明しておきましたんで、今は落ち着いてます。後は一目で構いませんので、見舞いに来させていただければ、心配ないんじゃないですかね」

 さすがに面会オールシャットアウトはよろしくないと、ドンは理解している。

 室内の念入りな看護体勢を見るに、第三者がこう言わなければ本当に面会謝絶にされかねない。それを理解した上でやんわりと彼女イフスに釘を刺してくれたのはさすがだ。


「ん…もう少し落ち着いてから、順番にみんなを通してもらおうかな。それでジャックさんが来てるって事は……。今も待ってくれてる?」

「いえ “女性にょしょう病床とこにお邪魔するほど無粋ではありませんので ”とか言って、また後日あらためてご訪問させていただくと言って先ほどお帰りになりやした。なんでもお客人を伴っているとかで、長々待たせておく事もできないとも」


「そう……、お隣さん・・・・の事を聞こうと思ったんだけど、まぁ急がなくてもいいかな。それで…うん、丁度いいから次はイフー、東でのこと・・・・・を教えてくれる?」

「あ、はい。かしこまりました」

 早馬の手紙である程度のあらまし・・・・は把握している。だが、実際に対峙した者に直接話を聞けば、また何か違った視点や糸口が見えてくるかもしれない。


 とはいえ、イフスは荒事にはさほど長けてはいない。戦闘面における情報は深くは期待できないだろう。それでもドンが同席している今がちょうどいい。彼がイフスの話から何かを見出してくれるかもしれない。


 ・

 ・

 ・


「身の軽いフルナ狐獣人のやつでさえ、瞬きする間もなく捕まえるほどのスピード…か。なるほど、聞きしに勝る厄介さだ」

 ドンは、腕組みをしてうーんと唸る。ラゴーフズ達、改心組は総合的にはいずれも似通った実力の持ち主だが、もちろんそれぞれに個性がある。


 その中でも機動力に自信があるのはフルナ狐獣人ハウロー半身猟犬の二人で、特にフルナの身のこなしは獣人系特有のしなやかさに秀で、優れた体さばきによる素早くて無駄のない動きを持ち味としている。


 そんな彼女が真正面から迫った相手を避けられず、その機動力の要である両脚を易々と捕らえられたという――――相手の、少なくとも瞬発力に関してはドンの当初の予想を遥かに超えていると言えた。



 モンスター・ハウンド。


 手足が細長くヒョロっとした、長身の獣のような姿とは裏腹に、大柄なカンタル甲虫亜人の角に突き上げられても耐えるだけのタフさと頑丈さをも有している。


 領内における目下もっか最大の懸案けんあんは、これをいかに討伐するかであった。



「ハッキリと言えば、悔しいですけども……俺とラゴーフズ達じゃあまず倒せません。ザードの旦那に助力願えば、倒せる確率はグンッと上がるとは思いますが――」

「――逃げられちゃう可能性が高い、と」

 そうですと頷くドン。そしてそうなった場合、事態がより悪化する事もミミは理解している。


「逃げられてしまうと、どうなるのでしょうか?」

 イフスの問いに、ミミは片手を上げて指折り語った。


「潜伏して姿を見せなくなって、捜索に時間がかかる。加えて、いつどこで襲い掛かってくるかますます分からなくなるから、不安からアトワルト領ウチに旅人や商人が寄り付かなくなる。女性がつかまったりしたら、問題が増殖する。私への不満がでて、領民が他所へ移っちゃう事も考えられるね」

 領地経営どころではない。この地に人そのものが寄り付かなくなるなど…まさに大失態だ。

 領主として不適格者であると、ミミは領地とくらいを没収され、状況がより悪くなれば、罪として責任を問われての牢獄行きなんて事態もありえる。


 なのでこの件は、被害が拡大する前に解決しなければならない。すなわち、モンスター・ハウンドの完全討伐だ。


「やはり問題は戦力ですね。俺ら領主さまの配下とザードの旦那を戦力とした場合、その2倍は要るかと思います。絶対に逃がさないための包囲要員もいればより安心ですけども、半端な奴じゃあそこから逆に抜けられちまいますし、現実的には包囲までは望めないかと」

 ザード級の戦力が何十人とそこらをウロウロしているはずがない。ましてや地上は片田舎なアトワルト領である。人材不足は今をもってしてもはなはだ悩ましい問題だ。




「んー…とりあえず戦えそうな人を探していくとして、この件にはもう一つ…ちょっと懸念している事があるんだよね」

「? と、言いやすと??」

 モンスター・ハウンドの発生の報を受けた時から、ずっと引っかかっていた事。ミミは帰りの道中もそれを考え続けていた。


「私達がデナに向かう途中で出くわしたモンスターもそうなんだけど、やっぱり不自然すぎるの、発生そのものが」

「それはどういう事なのでしょうか? モンスターの出現は滅多になく、予期する事は難しいものと―――」

「イフーの言う通り。だけどね、予期する事って一応は出来るんだよ。大気中の魔素の状態なんかを考えて大まかに…だけどね」

 そう、ミミはずっとおかしいと思っていた。


 こうした非生物モンスターとは、魔力の素たる魔素が、残留する思念やら怨念やら…とにかく悪いモノと混ざり集まって具現化したようなもの。


「何年も何十年も穏やかな状態が続いて、近隣の大気中の魔力素が安定した密度になっているとそこにモンスターが発生しやすいんだけど、アトワルト領ウチはつい最近、反乱騒ぎで慌ただしかったうえに、大戦からまだ1年も経っていない…」

 そこまで言われて、ドンはハッとする。

「魔素が乱れて不安定なはずの場所ところで、モンスターが発生した…?」


「そ。おかしいでしょ? それも1箇所じゃなくて2か所ほぼ同時期に確認されてるなんて。場所も東西の、狙いすましたかのように主要な街道の近く」

 イフスも口元に手を持っていき、表情にまさかと驚愕と理解の色を浮かべる。


「シュクリア、ハロイド、そして隣のナガン領と繋がっているガドラ山麓の街道。アトワルト領内ウチの商業のかなめはいずれもやや南寄り。出現したところを考えると、まるで誰かが最初からウチの商業流通を麻痺させるつもりで仕掛けたみたいじゃない?」

 確かにその可能性は否定できなかった。



 不自然なモンスター発生のタイミングと位置関係、食糧難の中での商業流通への悪影響、反乱騒ぎの後の諸々の復興途上にある中での出来事。



「……隣の領主が仕掛けてきたんですかね?」

 ドンが生唾を飲み込んでから吐き出した質問。それまでの会話と比べ、声量が大きく抑えられていた。


「今のところはなんとも言えないかな。意図的にモンスターを発生させて暴れさせる事ができたとして、私達が出くわしたモンスター・コボルトくらいならともかく、モンスター・ハウンドは、こっちで討伐できないとあっちに流れる可能性だってある。自分でも手に負えないものを安易に放つほどドルワーゼ候が暗愚とは思えないし」

 むしろ欲深いものほど、自分が損を被る可能性を考えれば、モンスター・コボルトの方はまだしも、モンスター・ハウンドのような危険性の高いものを使うとは考えにくい。


 何よりミミは、別途ある疑いを抱いていた。


「デナの周辺を見まわった時、土地の一部に魔力を操作した痕があったんだけど、結構高度なものだった。で、モンスターが発生したのがウチの南を挟むような東西位置でしょ? ……なーんか、どこかで誰か、別で・・企んでる人が……北の辺りにいるんじゃないかなー、って私は思ってる」

「北…ですかい? じゃあモンスターどもは南に注目を引き付けて置くための??」

 ドンにコクリと頷き返し、長い耳を立ててあちらこちらに動かすミミ。この部屋に聞く耳を立てている者がいないかを念入りに確かめてから、さらに声を潜める。


「…イフー。たしかさっき、来てくれてる人の中にジロウマルさんもいるって言ってたよね?」

「はい、確かにいらっしゃっておりますが…」

「ジロウマルさんはよほどの事がないとマグル村から離れる事はないと思うんだ。それが私が北に何かあると思った決定打。……悪いけどイフー、ジロウマルさんを連れてきてくれない? もしかすると北……森で何か起こっているのかもしれない」

「……かしこまりました。ドンさん、しばしミミ様のお側をお願い致します」

 ただならぬものを感じ取ったのだろう。イフスもさすがに素直にミミの言う通りにする。

 彼女が部屋から出ていった後、ドンは素直に疑問をぶつけた。


「どうして森なんです?」

「ロズ丘陵の大森林の中は、“ 森の部族 ” に自治権と排他的利権を認めてる領域だからね。…もし、モンスター・ハウンドを意図的に・・・・発生させられるようなのがいて何か企んでるとしたら、本命の準備が整うまでは迂闊に尻尾を見せてはくれないと思うんだ。そんな相手なら排他的な森の中は狙い目なはず」


「そうか! 治外法権で、しかも鬱蒼とした深い森の奥なら、何かやってたって見えも聞こえも…。元より森の部族なんている場所なら、隠れ住むための環境を最初から整える必要だってあまりない……」

 隠れて何かするにはもってこいだ。しかも企んでいる者が相応の実力者であれば、森の部族を滅ぼすなり懐柔するなりできるかもしれない。


 ドンは、にわかに冷や汗を流した。


 ただでさえモンスター・ハウンドの討伐に戦力が足りないと嘆いている状況下。もしもその何者かに武力で対抗しなければならなくなってしまったりしたら、一体どうすればいいのか?


「ね? 参っちゃうでしょ、ホントに。…これはもう一つの切り札をきらなきゃいけなくなるかもしれないかなぁ………」

 軽く窓を眺めながら、ポソリと呟く。出来ればこんなに早く手持ちのカードを空にしたくはない。

 けれど弱っているせいもあってかミミは他にいい手が思い浮かばず、諦めるように肩を落とした。


 少し苦々しい表情を浮かべながら、戻ってきたイフスともう一人の足音をその耳で捉える。出来ればそうでなければいいなぁと思っている内に、扉をノックする音が響き渡った。




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